天辻家の今日のおやつ #09 「せんべい」
その巡は前巡に「仕事」が入り、帰ってきたのは
「マジで、今回は、疲れた」
日翔が上着をダイニングの椅子に投げ出し、ソファにどっかりと腰を下ろす。
「いや今回ただの暗殺って言ってましたよねえ……? まさか警備ドローンに追いかけまわされるとは思ってませんでしたけどー?」
今回の依頼は「とある企業で私腹を肥やしている専務を暗殺してほしい」というもので、普段の「グリム・リーパー」からすればぬるい仕事である――はずだった。
「はずだった」というのは、この専務とやらが
最終的に警備ドローンはすべて破壊し、暗殺対象も仕留めたわけだが、ぬるい仕事だと思っていたのに思いの外ハードになって辰弥も日翔も疲労困憊になった次第である。
勿論、この戦闘に関しては自宅でサポートをしていた鏡介も予定外のハッキングを行うことになり、辰弥と日翔が暗殺を終えて帰還する間も証拠隠滅等に奔走していたらしい。
辰弥に比べて体力のある日翔は「疲れたー」と言いながらソファでくつろいでいるが、辰弥は完全に疲れ切ったようで、いつもならシャワーを浴びて寝るところを「もう寝る……」と自室に引きこもっている。
完全に締め切られ、ご丁寧に鍵まで掛けられた辰弥の部屋のドアに視線を投げ、日翔はふと思いをはせる。
辰弥がこの家に来てからもうどれほど経ったのだろうか。
すっかりこの家に馴染み、家のことを一手に引き受けてくれる辰弥。辰弥のおかげで日翔は清潔な布団で寝られるし、おいしいご飯を食べることができている。
だが、いつまでも続いてほしいと思うそんな日々がいつまでも続くはずがない。
辰弥には帰るべき場所があるはずだし、日翔自身、残された時間を考えると、そう遠くない未来に別離の時はやってくる。
なんでこうなったんだろうなあ、と思いつつも、こうなったからこそ辰弥と出会えたんだよなあ、とふと思う日翔。
梅雨も後半に入った、特に雨脚が強かったその日。
環境汚染で降る雨も汚染されていて、そんな雨に晒されるのは健康上よくないと言われているにもかかわらず、辰弥は打ち捨てられたごみのように汚れた路地裏に倒れていた。
本来なら、身分を隠して生きていかなければいけない暗殺者である日翔はこれを放置しなければいけなかった。身元がよく分からない人間を拾ったところでいいことなど一つもない、むしろ面倒事が増えるだけ。
それなのに、日翔は傘を差し伸べていた。
「どうした? この辺のチンピラに喧嘩でも売られたのか?」
そう、声を掛けた時の辰弥の目に光はなく、日翔が差し伸べた手を一度は払いのけるほど怯えていた。
それを半ば強引に連れて帰って早数年。
今では自由に過ごしているし、何なら日翔を台所出禁にするほどの権限を持っている。
天辻家のヒエラルキーは家主である日翔より辰弥の方が高いのは自明の理だった。
日翔が辰弥の部屋のドアに視線を投げる。
「……腹、減ったな」
冷蔵庫に作り置きのおかずがあったな、と思いつつ、ついでに白米も欲しくなって日翔は米櫃から米を二合取り出し、軽く研いで炊飯器にセットした。
いくら日翔が壊滅的に家事ができずとも、ご飯くらいは炊ける――はずである。というよりも渋る辰弥に無理言って教えてもらった。
白米が炊けるのを待つ間、日翔は菓子類の保管庫からポテトチップを取り出し、パリパリと食べ始めた。
「――で、なんでこんなことになってんの」
そう、日翔を詰める辰弥のこめかみに青筋が浮いている。
炊飯器からはぷすぷすと煙が上がり、焦げ臭い匂いが台所どころかリビングにまで充満している。
「……スミマセン」
辰弥の前で正座した日翔が謝る。
「まさか爆発するとは思いませんでした」
何をどうやったら炊飯器が爆発するのか。
その謎を解明するには日翔の脳を掻っ捌けばいいのか、などと考えながら辰弥ははぁ、とため息を吐いた。
「新しい炊飯器、買わなきゃ……」
そう言いながら、冷凍庫を開ける。
「炊飯器が壊れたら俺も米が食べたくなってきた」
中から取り出されたのは以前冷凍保存しておいた白米。
「あ、いいなー」
俺も食いたい、と日翔が物欲しそうに眺めるが、辰弥はそれをスルーした。
ラップフィルムに包まれた白米を電子レンジに入れ、解凍温めを始める。
解凍が終わるのを待つ間に、辰弥はすり鉢と擂り粉木、そして醤油を取り出した。
「あれ? 白米食うんじゃないのか?」
怪訝そうな日翔の声。
くるり、と振り返って日翔を見た辰弥の顔には苦笑が浮かんでいた。
「それじゃおやつにならないじゃん」
「おやつ作る気かよ!」
この状況で、おやつ。
案外、怒ってない……? と思いながら日翔は辰弥の手元を見る。
辰弥が温めた白米をすり鉢に入れ、擂り粉木で突き始める。
餅でも作る気か? と日翔が見ていると、辰弥は米粒がまだはっきりとわかる状態で突くのをやめ、醤油を差してしっかりと混ぜ合わせた。
「……何、作ってるんだ?」
恐る恐る日翔が尋ねる。
すると、辰弥は楽しそうに、
「うん、未来の日翔の姿」
と答えた。
ぎえぇ、と日翔が声を上げる。
こいつ後で
米を突くと言えば餅かおはぎくらいしか思いつかないが、おはぎの米の部分に醤油を差すのは聞いたことがない。と、なると別のおやつになるのだろうが、何だろうか。
そうやって見ている間にも辰弥はしょうゆを混ぜた米をクッキングシートの上に置き、薄く伸ばし始めた。
米を薄く延ばす? 一体何を作る気だ。
日翔の頭の上のクエスチョンマークがどんどん増えていくが、それに構わず辰弥はそれを電子レンジの中に入れていく。
600wに設定して加熱。
加熱が始まったところで、辰弥は再び日翔を見た。
「これは簡単だけど日翔には任せられないおやつだね」
「なんだよー。電子レンジくらい俺も扱えるぞ!」
辰弥に馬鹿にされたような気がして日翔がむくれる。
ふふっ、と辰弥が笑みをこぼした。
「炊飯器ですら爆破するような日翔に電子レンジが使えるとは思えません」
「むぅ……」
さっき自分でおかず温めたけどなあと思いつつ、日翔は辰弥と共に米を加熱する電子レンジを見守る。
数分経ったところで辰弥はいったん止め、中の米をチェックした。
「もうちょっと加熱してからひっくり返すか……」
そう言って、再び加熱。
「なんだよー、一気にやりゃあいいじゃねえか」
そんな、何度も確認するなんてまどろっこしい。
最初から時間を決めて加熱したら何の問題もないだろうが、と思った日翔がそう言うが、辰弥はちら、と日翔を一瞥するだけで黙らせる。
「それやって前の電子レンジ爆破したの君だよね?」
「うっ」
そうだった。
今天辻家にある電子レンジは辰弥が来てから三台目である。過去二台は日翔が爆破した。
「加熱不足はよくないけど、加熱しすぎもよくない。食材が燃えるからね」
「それなー、直接熱を当ててるわけじゃないのになんで燃えるんだよ」
日翔からすれば当然の疑問。
電子レンジの原理なんて興味がなかったが、食材が燃えたり爆発したりするのは納得いかないのだ。
辰弥がはぁ、とため息を吐く。
「日翔に教えても分かってもらえる気がしないから鏡介に聞いて」
「えぇ……」
辰弥に見放された。少なくとも日翔はそう感じた。
いつもならなんだかんだと教えてくれるのに、遂に辰弥が教えるのをやめた。
うわあ、これはまずい、離婚される、という言葉が脳裏をよぎり、それから日翔は自分の思考に気付いた。
「……離婚?」
「は? 何言ってんの日翔頭大丈夫?」
唐突に訳の分からない言葉を呟かれたらこう返さざるを得ない、という辰弥に日翔は首をぶんぶんと振った。
「いやなんでもない」
「そもそも俺たち結婚なんてしてないよね? 八谷とかには『いい夫婦ね~』とか言われるけどさ」
辰弥としては日翔との関係を「夫婦」と揶揄されるのは腹立たしいことなのか。
憮然とした辰弥の呟きに、日翔は「そうか……」と肩を落とした。
いや、別に辰弥とは男同士だし夫婦と言われて嬉しいわけがない。それでもこうもあからさまに拒絶されると、何故か、心が落ち込む。
辰弥は俺のことを信用はしてくれたが、そこまでなのか。料理は作ってくれるが義務的なものなのか、そう考え、日翔はしゅん、となった。
「日翔……」
日翔が耳と尻尾を垂らす大型犬のように見え、辰弥が思わず声を上げる。
そのタイミングで電子レンジが停止のアラームを鳴らし、辰弥が中身を取り出しひっくり返し、もう一度中に入れる。
再度加熱を始めたところで、辰弥はもう一度日翔の方に向き直った。
「俺は、日翔とずっと一緒にいたいと思ってるよ」
それは辰弥の本心。
流石に夫婦でありたいなんて思いはなかったが、良き仲間として、良き同居人として、共にありたい、と思う。
それが伝わったのか、日翔の様子が目に見えて明るくなった。
「ほんとか?」
「ここで嘘を言う意味ある?」
苦笑する辰弥。
その顔を見て、日翔はほっとした。
辰弥はこの関係が嫌じゃなんだ、そう思うと心が軽くなる。
「でも、やっぱり日翔に電化調理器使わせるの怖いから台所は出禁で」
「うぅ……」
辰弥にきっぱり言われるが、それに対して何の反論もできない日翔だった。
数分後、再び電子レンジのアラームが鳴り、辰弥が中身を取り出す。
「うん、いい感じ」
電子レンジから取り出された米はパリパリの状態に乾燥していた。
「ほへぇ……」
薄く延ばされ、乾燥したそれに日翔が感心したような声を上げる。
心なしか醤油が焦げたような香ばしい香りがキッチンに漂っているような気がして、そこで日翔はなるほどと手を叩いた。
「せんべい!」
「正解」
これは前に何度か食べたことがある。辰弥が白米を余らせた時によく作ってくれるおやつだ。
今までは作っているところを見ていなかったが、なるほど、こうやって作っているのかと驚きが隠せない。
辰弥が何度も様子を見ながら加熱していたのは一気に加熱すると焦げたりするからか、と納得する。
実際、初めて食べたころは少し焦げてたもんな、あれはあれでうまかったがと思いつつ、日翔は辰弥がせんべいをいくつかの破片に割っていくのを眺めていた。
「へえ、お前のせんべいってこうやって作ってたんだ」
見てて勉強になるわー、と言いつつも台所出禁を言い渡された身としては作ることはないんだけどな、と日翔が思う。
割ったせんべいを皿に移し、辰弥が台所から出てくる。
「じゃ、食べようか」
テーブルに置かれたせんべいの皿。
二人が手を合わせ、「いただきます」を口にする。
二人が同時に手を伸ばし、せんべいを手に取ろうとする。
その二人の手が触れ、二人は思わず互いを見た。
「「……」」
気まずい沈黙が二人の間を流れる。
先ほどの日翔の「離婚」発言が同時に二人の脳裏をよぎる。
「ねえ日翔……」
おずおずと辰弥が口を開く。
「な、なんだ?」
「俺たちって、夫婦なのかな」
辰弥がそう言った瞬間、日翔の顔が真っ赤になった。
「~~~~!!!!」
声にならない声を上げ、日翔が手を引っ込め、番茶の入った湯のみを手に取り、一息に飲み干す。
「ななな何言ってるんだ!?!?」
「違うならいいんだけど」
そう言い、辰弥がせんべいを手に取り、ぱくりと食べる。
それに負けじと日翔も一枚手に取り、口に運ぶ。
辰弥の発言のせいで味が全く分からない。
それどころか噛み砕いたせんべいの破片が歯茎に刺さって痛い。
もう一杯茶を飲もうとして、湯のみを手に取るが、中は空。
「もう、日翔落ち着いて」
辰弥が急須に湯を入れ、番茶を淹れてくれる。
「さ、サンキュ」
自分を落ち着かせるように番茶を煽り、日翔は辰弥を見た。
「……お、お前はさ……」
そう言った日翔の喉がごくりと鳴る。
「……もし、俺が夫婦になりたいって言ったらどうすんだよ」
言ってから、日翔はなんてことを口走ったんだと自分を罵った。
これじゃまるで告白じゃないか。そんなことを思いながら、日翔はせんべいをもう一枚手に取った。
「うーん……日翔がそれを望むなら、別に構わないけど」
「むぐっ!」
今度はせんべいがのどに詰まった。
いや受け入れるんですかい! と次の茶を求め目を白黒させる日翔に、辰弥が呆れたように苦笑しながらもう一杯番茶を注ぐ。
「お前はいいんんかよ!」
一息ついた日翔が声を上げる。
辰弥が冗談を言うような人間だとは思っていない。だが、本気で言っているとはにわかには信じられなかった。
「? 俺は、日翔がそれで幸せになれるなら別に夫婦でもいいんだよ?」
平然として言う辰弥。
「辰弥……」
「……なんてね」
そう言って、辰弥がもう一枚せんべいを手に取り、ぱくり。
「じょ、冗談かよ……」
辰弥も冗談を言うのか、とホッとすると同時に、ほんの少しだけ日翔の胸が痛くなる。
いくら桜花では同性婚が認められているとはいえ、日翔もそこまでは望んでいない。むしろそんなことをすれば確実に辰弥を不幸にする。
日翔としては辰弥に少しでも幸せになってもらいたい。
そのためには辰弥に独り立ちしてもらう必要があるんだろうな、と考えて、ふと寂しさを覚える。
一体何が辰弥の幸せなんだろうか。
「……日翔?」
いつもならおやつをがっつく日翔の手が止まっていることに気がついた辰弥が声をかける。
「食べよう、やっぱりこのおせんべいは出来立てが一番美味しいからさ」
「あ、そうだな」
辰弥の声に我に返った日翔がせんべいに手を伸ばす。
心が落ち着いた状態で食べたせんべいはほんのりと温かく、それは辰弥の思いやりに溢れた優しい味がした。
to be continued……
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「天辻家の今日のおやつ 第8章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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