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天辻家の今日のおやつ #02「スコーン」

 
 

「スコーンが食べたい」
 辰弥たつやのその言葉に日翔あきとがぎょっとする。
「え、お前、今、『仕事』中」
 のんびりとした発言をした辰弥はその言葉とは裏腹にハンドガンTWE Twe-tWo-threEを連射し、目の前の敵を容赦なく排除している。
 日翔も辰弥の視界外の敵に対して発砲、沈黙させる。
「どうした急に」
「いや、なんか急にスコーンが食べたくなった。クロテッドクリームたっぷり乗せたやつ」
「……はぁ」
 まるで平和なデスクワーク中に隣の席の同僚に声をかけるような、そんなノリで辰弥は帰ってからのおやつの話をしている。その実はデスクワークどころか命のやり取りをしている戦闘中なのだが。
 だが、日翔も慣れたもので「今戦闘中」とたしなめることもなくそうか、と返事した。
「帰ってから作るのか?」
「そうだね、すぐ食べたいから簡易レシピになるけど――あ、生クリームは切らしてるから帰りに買って帰ろう」
 そう言いながら一発、次の瞬間、辰弥を狙っていた敵の眉間に穴が開く。
《お前ら、人殺しながらよくそんな会話ができるな》
 ハッキングで周囲の警備システムを乗っ取り、攻撃しながら鏡介きょうすけが呆れたように言う。
 とはいえ、鏡介も理解していた。
 これが自分たちの日常。日常生活で何気ない会話は当たり前である。
 ここで撃たれて死んでも文句はない。いつそうなってもおかしくない生活だから。
 だけど、と辰弥は独りごちる。
 せっかくスコーンが食べたい、と思ったのだから撃たれて死ぬにしてもスコーンを食べてからにしたいなあ、と。
 そんなことを呟きながらも辰弥は手際よく敵を処理していく。
 辰弥が「スコーンが食べたい」と呟いて数分後。
 二人は一発も被弾することなく全ての敵を排除し、帰路に付いた。
 その帰り道にスーパーに寄って乳脂肪分四十七%の純生クリームを買うのも忘れずに。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「さて……と」
 帰宅後、シャワーを浴びて汗を流してから辰弥がエプロンの紐を結ぶ。
 キッチンの調理台の上にはホットケーキミックス、バター、牛乳。ちゃんとしたスコーンを作るのであれば材料はこんなものではないが、「仕事」から帰ったばかりで疲れている。
 どうせそれっぽいものになるし簡単な方のレシピでいいや、と辰弥はホットケーキミックスをジッパー付きの保存袋に入れ、それからバターと牛乳を丁寧に計量して投入、塩も一つまみ追加する。
 ジッパーを閉じ、バターを手の熱で溶かさないように、ジッパーが開いて中身が飛び出さないように気を付けながら揉み始めた。
「たつやー、牛乳くれー」
 辰弥の後にシャワーを浴びた日翔が頭を拭きながらキッチンに顔を出す。
 風呂上がりで暑いだろうに長袖長ズボンを身にまとう日翔に辰弥ははい、と調理台に置いていた牛乳パックを手渡した。
「暑くないの? 下着姿でも俺は構わないけど」
 辰弥も風呂上りはTシャツ、短パン姿でうろつくことが多い。しかし保護されて三年近く経つが日翔が半袖、短パンでうろつく姿を見たことがない。
 極度の寒がりなのか、それとも何か理由があるのか、と思い日翔を見ると、彼は苦笑して辰弥を見た。
「ちょっと、暑いが……ほら、仕事柄傷跡とか結構あって見苦しいからさ」
「俺は別に気にしないけど」
 体裁を気にするより体調を気にしてほしい。風呂というものはとにかく汗をかく。シャワーでも発汗作用はあるわけで、風呂上りはちゃんと水分を取らなければ血液が濃縮し、脳梗塞などの脳血管疾患の発生リスクが高まってしまう。それにのぼせているときなどは早急に手足を冷やした方がいい。それを踏まえても風呂上りすぐに長袖長ズボンでうろつくと場合によっては倒れてしまわないか心配ではある……が。
 辰弥が心配する理由は勿論ある。
 一度だけ、日翔は風呂上り直後に辰弥の目の前で倒れた。
 慌てて「イヴ」を呼んで診てもらった結果、ただのぼせただけだからと言われたがそれでも辰弥にとってはある意味保護者である日翔が倒れたことに変わりはない。
 だから真冬でもない限り風呂上り直後くらいは涼し気な格好でいてもらいたい、そう、辰弥は思っていた。
 日翔がコップに入れた牛乳を一息に飲み干し、牛乳パックを冷蔵庫に片付ける。
「お、スコーン作ってるのか?」
 日翔の言葉に、辰弥は袋を揉む手を止めずに頷いた。
 先ほどから日翔の心配はしているが袋を揉む手だけはずっと止まっていない。
 そのため材料は少しずつ混ざり、ポロポロとした状態になりつつあった。
 うん、と辰弥が頷く。
「ちゃんとしたレシピで作るには疲れてるから簡易版だけどね」
 そう言いながら袋を揉む辰弥を日翔が興味深そうに見る。
 「手伝おうか?」とは絶対に言わない。
 基本的に辰弥の調理中のキッチンへの立ち入りは禁止されている。下手に日翔が手伝えば料理が崩壊する、ということは日翔も身をもって知っている。
 以前も袋に入れた材料を揉むくらいなら、と言われて手渡された袋を握った際に力加減が利かず、袋に穴を開けた実績がある。手伝いたいのは山々だが美味しい料理を食べるために日翔ができることはただ見守るだけだった。
 が。
「あ、そうだ。日翔、手伝ってくれる?」
「うぇ!?!?
 突然の辰弥の言葉に日翔が変な声を上げる。
「え、ちょ、いいのかよ! 俺、それ、粉砕するぞ!?!?
 辰弥の手の中の袋を見て日翔が慌てたように両手を振る。
 辰弥も分かっているはずだ。この手の調理ですらできないのは辰弥も自分から依頼して経験しているのだから。
 だが、辰弥は涼しげな顔で首を横に振る。
「流石に丈夫な袋でも日翔は穴を開けるでしょ。もっと簡単な仕事」
「揉むより簡単な仕事あるのかよ」
 半信半疑の日翔に辰弥がうん、と頷く。
 それから、
「冷蔵庫に入ってる生クリーム出して」
 と、シェイカーのボトルを取り出しながら言った。
「お、おう」
 日翔が冷蔵庫から生クリームを取り出す。
 生クリームを受け取った辰弥はシェイカーに中身を注ぎ込み、しっかり蓋をして、それを日翔に手渡した。
「振って」
「へ?」
 振る? こいつを? と首を傾げる日翔に辰弥が説明する。
「しっかり振って。あとは途中で指示するから」
「……あ、ああ……」
 生クリームなんて振ってどうするんだろう、と思いながら日翔は両手でシェイカーを掴み、振り始めた。
 しゃかしゃかしゃか……しゃかしゃかしゃか……。
 シェイカーの中で生クリームがたぷたぷと波打っている。
 なんか面白いな、と日翔が思い始めたその時。
 すぽっ。
 そんな擬音が音として聞こえるかのような勢いで日翔の手からシェイカーがすっぽ抜けた。
 すっぽ抜けたシェイカーは二人の視界でスローモーションで再生されているかのように宙を舞い、そして天井に激突する。
 直後、シェイカーは天井にぶつかった勢いそのままに床に落下した。
「……日翔?」
 辰弥の、日翔の名を呼ぶ声が冷たい。
 シェイカーを握ったままのポーズで硬直した日翔が首だけ辰弥に向ける。
「……調子、悪い?」
「……い、いや」
 調子は悪くない。悪くないはずである。
 しかし、普段の馬鹿力を考えれば握ったシェイカーがすっぽ抜けるほどに力が入っていないのか、やはり調子が悪いのか、と考える。
「……すまん」
 辰弥がシェイカーを拾うのを見てようやく硬直が解けた日翔が謝罪する。
「いいよ、瓶じゃないから割れてないしこぼれてもいないから」
 そう言って辰弥は日翔にシェイカーを返した。
「え?」
「取り返しのつく失敗なら何回でもやっていいよ。この間は取り返しがつかなかったから俺がやるって言ったけど」
 袋を握り締めた勢いで穴を開けられた時は日翔の力加減のできなさを判断して続きをさせれば何度でも同じことになる、と思ったから辰弥はそれ以上させることはなかった。
 しかし、生クリームのシェイクは話が違う。余程のことがなければ中身が飛び散ることはないしシェイカーもプラスチック製なのでそう簡単に割れることはない。
 それなら窓ガラスを割ったり天井に穴を開けない限りは何度でもチャレンジさせた方がいい、そう辰弥は思っていた。
 いいのか、と日翔が確認する。
「いいよ。それに、俺がやるより日翔がやった方が早くできる」
 そう言ってから、辰弥はふとキッチンに視線を巡らせ、それからシリコン製のラップシートを手に取った。
「もし、手が滑るならこれ使ってもいいよ」
「お、おう」
 ラップシートを受け取り、日翔がシェイカーに巻いて握り直す。
 するとラップシートがシェイカーと手に張り付き、ホールド感が一気に増す。
「おお、すげえ」
 辰弥の配慮が心に沁みる。
 辰弥も普段は調理のために様々な調理器具を使用している。
 だからどの状況で何を使えばいいのかは把握しているのだろうが、日翔の様子を見て適切な道具を選択して渡せるということはなかなかできないだろう。
 辰弥が、日翔が何度か軽くシェイカーを振って様子を伺っているのを見て満足そうに頷く。
「じゃあ、それでよろしく。五分くらい頑張ってみて」
「おう、任せろ」
 嬉しそうに笑い、日翔は再びシェイカーを勢いよく振り始めた。
 日翔とて料理がしたくないわけではない。いつも辰弥に任せてばかりで、たまには力になりたいと思っている。
 それでも下手に手伝えば辰弥に後始末をさせる結果となり「やっぱ俺には無理か……」と諦めていた矢先のこの作業。
 一度はトラブルに見舞われたものの辰弥はすぐに対処して続きをさせてくれた。
 それが嬉しくて、つい張り切ってシェイカーを振ってしまう。
「……よし、これくらいかな」
 辰弥も袋の中身が程よく混ざったのか満足そうに頷き、調理台の上に出した製菓ボードの上に袋の中身を取り出し、ひとまとめにする。
 ひとまとめにした生地を一・五センチ程度の厚さに伸ばし、包丁で切り分ける。
 クッキングシートを敷いた天板に切り分けた生地を乗せ、刷毛はけで牛乳を薄く塗ってから辰弥は生地の揉み始め前に温め始めていたオーブンに天板を置いた。
「もう焼けるんだ」
 シェイカーを振りながら日翔が訊く。
「うん、予熱はしてたし今回のレシピは混ぜるだけの簡単なものだったしね」
「楽しみだな」
 そう、ワクワクとした表情でつぶやく日翔に辰弥も思わず笑みをこぼす。
 が、すぐに真剣な顔になり日翔の手の中のシェイカーを見た。
「音が変わってきたね。もうちょっと、頑張って」
「え? 音?」
 辰弥に言われて日翔もシェイカーを振りながら耳を澄ませる。
 振り始めのたぷたぷとした音が、いつの間にか響かなくなっている。
「ホイップ状態になってるね。もうちょっと振ったら出来上がりだよ」
「おぉー」
 よし、じゃあ頑張る、と日翔がさらにシェイカーを振った。
 その間に辰弥は冷蔵庫を開けて中から作り置きしていたいちごジャムとりんごを取り出す。
「ん? りんごなんかどうするんだ?」
「? ああ、これ紅茶に入れる」
 スコーンと言えば紅茶だし、と辰弥はさらに茶葉と茶器を取り出し、てきぱきと準備を進めた。
 紅茶用のお湯を沸かし、その間にりんごをいちょう切りに。
 まずは規定時間の通りに紅茶を淹れ、それからリンゴとポットを湯通しして温め、そこに紅茶を注ぐ。
「……うーん、すぐ食べたいから保温は短めでいいか……」
 そんなことを呟きながら辰弥はティーカバーをポットに被せ、すぐに冷めないようにとオーブンの上に置く。
 辰弥はオーブンの温度を利用しようとズボラをしたわけだが、実際にはオーブンの上に物を置くのはオーブンの注意事項でも禁じられている。良い子は真似しないようにしよう。
 ふわり、とりんごと紅茶の香りが日翔の鼻孔をくすぐる。
「やばい、匂いだけでスコーンいくらでも食えそう」
「うーん、あと十分ほどかな」
 オーブンのタイマーに視線を投げた辰弥が食器の準備を始める。
 優雅なティータイムにしたいところではあるが「仕事」の疲れが見え隠れしているため皿は適当でいいか、と洗いかごから同じデザインの皿を取り出す。
 それでもさりげなくレースペーパーを敷く辺り辰弥の几帳面さが垣間見える。
 辰弥がそうこうしているうちに、日翔の手の中の生クリームにも変化が生じていた。
 ホイップ状になったクリームがどすん、どすんといった重い手ごたえを返してくる。
「お、辰弥、そろそろじゃね?」
 食器の準備をする辰弥に日翔が声をかける。
「ありがと」
 そう言って辰弥がシェイカーを受け取り、ふたを開ける。
 中の生クリームはバターになる一歩手前の、どしりとしたものになっていた。
「うん、いい感じ」
 辰弥がシェイカーから固形状態となった生クリームを取り出し、軽く混ぜる。
 そのタイミングでちん、と音を立ててオーブンが停止する。
「あ、焼けた」
 ミトンを両手にはめて天板を取り出す。
 いい色に焼けたスコーンが天板の上に並んでいて、辰弥はふっと笑った。
「おー、うまそう!」
 辰弥の後ろから天板を覗き込んだ日翔も声を上げる。
「よし、おやつにしよう。これ食べたら俺、ちょっと寝るから」
 天板から皿にスコーンを移しながら、辰弥はそう言った。
 おう、と日翔も頷く。
「いつもなら帰ってすぐに寝るのにスコーンなんか作ってたからな。そんなにも食いたかったのか?」
 うん、と辰弥が頷く。
 今日はいつもより調子がよく、普段のような「仕事」の後すぐに寝るようなことにはならないかなと考えてはいたがそれでも思っていたよりは疲れていたらしい。
 準備しているうちにどっと疲れが押し寄せ、辰弥は軽く首を振った。
 せっかく作ったスコーンとクロテッドクリーム風クリームとフレッシュアップルティー。これを食べずに寝るわけにはいかない。
 それだけの意地で皿とティーセットを乗せた盆を運ぼうとする辰弥。
 それをひょい、と取り上げて日翔が笑った。
「お前、限界だろ。俺が運ぶ」
「……ありがとう」
 二人並んでリビングに移動する。
 ソファの前のテーブルに皿とティーセットを並べ、向かい合わせに座る。
「うまそ」
 うきうきとした様子で日翔がティーカップに注がれる紅茶を眺め、それから辰弥に視線を投げた。
 紅茶のいい香りがリビングに広がり、「仕事」で張りつめていた心をほぐしていく。
 こと、と日翔の前に紅茶が置かれ、日翔はそれを手に取りすう、と香りをかぐ。
「ティーバッグの紅茶とは全然違うな」
「ふふ」
 辰弥もティーカップを手に取り、香りをかいでから口をつける。
 ほんのりとりんごの甘みが沁み出した紅茶が喉を通り、緊張を和らげていく。
 そこで辰弥は自分が思っていた以上に緊張状態を引きずっていたことに気付かされるが、それすらもうどうでもいい。
 皿に乗せたスコーンを手に取って半分に割り、日翔に作ってもらったクロテッドクリーム風クリームと自家製のいちごジャムを乗せる。
 はむ、と一口かじると小麦粉の香ばしい香りと共にミルクの香り、甘さ、そしてそこにジャムの甘さが口の中に広がっていく。
「はぁ……うめぇ……」
 辰弥に倣ってクロテッドクリーム風クリームとジャムをたっぷり乗せたスコーンを口に運んだ日翔もうっとりと呟く。
「『仕事』の後にこんな優雅なティータイムとか、生きてていいのか俺」
「何言ってんの、頑張った御褒美だよ」
 いつもは疲れてしまってこんなことはなかなかできないが、こんなに優雅で満たされた時間が過ごせるのならたまには頑張ってみるのもいいものだな、と辰弥はふと考えた。
 出来立てのおやつと淹れたての紅茶。
 いくら「殺す」ことが仕事であったとしてもこれくらいの贅沢は許されてもいいのではないか、そう思う。
 いや、「殺し」ているからこそ生き残った自分たちはきちんと生きなければいけない。
 人の命を奪っておいて生きる価値などないと言われるかもしれない。
 しかし、辰弥たちも生きるために殺している。
 それは生きるために牛や豚といった家畜を殺すのと何が違うのだろうか。
 そんなことをふわふわとした頭で考えながら、辰弥はまた一口スコーンを口に運んだ。
 ほろりと口の中でほぐれるスコーンを、大切な仲間の日翔と一緒に食べられて。
 今日も二人が生き残れたことに感謝する。
 後方支援の鏡介もハッキングが察知されることなく二人を的確にサポートし、生き永らえさせてくれた。
 本当は鏡介も呼びたかったが基本的にエナジーバーとゼリー飲料で食事を済ませる鏡介は辰弥が作った料理でも口にすることは滅多にない。
 「その必要がない」からだと鏡介は言うが、たまには一緒に食べたい、そう思って辰弥もプリンやゼリーといったものを作った時は持っていく。
 今日はどうしてもスコーンが食べたかったので鏡介には申し訳ないが、このひと時を日翔と二人だけで楽しんでしまおう。
 そう思い、辰弥はもう一口、紅茶を飲んだ。

 

「……ん?」
 辰弥が疲れているからと空になった食器を流しに運び、戻ってきた日翔が声を上げる。
「……辰弥、」
 日翔が食器を運ぶほんのわずかな間に、辰弥はソファに倒れ込むように横になっていた。
 すぅ、という寝息が辰弥の口から洩れる。
 普段は隙一つ見せない辰弥が唯一日翔に見せる無防備な姿。
「……おいおい、風邪ひくぞ」
 辰弥はシャワーから上がった直後のままの半袖短パン姿だった。
 季節は寒さを覚えるようなものではないが、このままでは風邪をひいてしまう。
 さてどうする、ブランケットでも掛けてやるか、と考えた日翔だったがすぐに首を横に振って辰弥に手を伸ばした。
 辰弥も疲れている、ソファで寝させるよりちゃんとしたベッドで寝させた方がいい。
 そっと辰弥を抱き上げ、日翔はその軽さに苦笑する。
 元々辰弥は小柄だったが、それでもその身長での標準体重を軽く下回るのではないかという軽さに「俺ばっかり食わせずにもっと食えよ」と呟く。
 辰弥を部屋に運んでベッドに寝かせ、日翔はそっと掛け布団を身体に掛けた。
「おやすみ、辰弥」
 そう言ってそっと頭を撫で、部屋の照明を落とす。
「……ん……」
 部屋を出ようとした日翔の耳に辰弥の声が届く。
「あき、と……」
 俺の夢を見ているのか、と思わず振り返り、日翔が辰弥の寝顔を見た。
 辰弥がぎゅっと掛け布団を握り締める。
「あきと……しなないで……」
 その言葉を聞いた瞬間、日翔の心臓がどきりと鳴った。
「辰、弥……」
 いったいどんな夢を見ているのだ。幸せな夢ではないのか。
 もう一度辰弥の横で膝立ちをして、日翔はそっと辰弥の手を握った。
「辰弥、俺はここにいる」
 そう、話しかけると辰弥は安心したような面持ちになり、穏やかな寝息を立て始める。
「……辰弥……」
 すまん、と日翔は内心で辰弥に謝罪した。
 辰弥のその願いは、叶えられない。
 辰弥には明かしていないが、日翔はいつまでも辰弥と共に生きることはできない。
 遅かれ早かれ――いや、そう遠くない未来、永遠の別れを迎えることになる。
 それでも、せめてその瞬間までは。
 だから、あのクロテッドクリーム風クリームを作った時のような、穏やかな二人の時間を大切にしたい。
 辰弥、ともう一度呟いてから日翔は立ち上がった。
「……いい夢、見ろよ」
 そう言って部屋を出てそっと扉を閉める。
 側にいてやりたいが疲れているときの辰弥は繊細で、一人きりにしておかないと満足に休めない。
 今はしっかり休め、とドアに向かってそう囁き、日翔は自分の部屋へと足を運んだ。

 

to be continued……

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