天辻家の今日のおやつ #06 「桜餅」
「仕事」前のゲン担ぎでニュースチャンネルを開くと、
もうそんな時期か、と考えると同時に、ここ数日の陽気に納得する。
「桜」が付く国名通り、桜花の国花は桜の中でも特に美しく咲き、一斉に咲いては一斉に散ることで桜花人を魅了する
そんなソメイキンプが開花するとメディアは一斉に「桜の季節到来」と報道する。
国の南から北へ開花が進むさまを「桜前線」と呼んだり、本当にこの国の人間は桜が好きだな、と辰弥は思った。
世界各国、バギーラ・レインとそれを乗り越えるための科学の発展による環境汚染の進行で自然そのままの緑を見かけることはほとんどなくなった。街のところどころに植えられた街路樹や公園に植えられた樹はあるが、そんな人工的に管理されたものに風流というものは存在しないし感傷に浸ることもない。
俺みたいなものだよ、とぼやきつつ、辰弥はニュースに映し出された、ぽつぽつと花を開かせた御神楽自然公園のソメイキンプの映像に気持ちを入れ替える。
今回の依頼が終わったら暫くは暇だろうし、花見もいいかもしれない、そう考えて、辰弥は「仕事」に集中するために開いていたニュースを閉じた。
◆◇◆ ◆◇◆
台所の調理台に材料を並べる。
塩漬けの桜の葉、道明寺粉、砂糖に食紅、そしてこしあん。
こしあんは日翔が最近おはぎにハマっていて作り置きしているため、それを使い回す。
まずは桜の葉を水に浸けての塩抜き。これを怠ると折角の甘味がしょっぱくなってしまう。
桜の葉の塩抜きをしている間に、辰弥は鍋に水と砂糖を入れた。
コンロにかけ、点火して沸騰させる。
沸騰したところでいったん加熱を止め、ほんの少しだけ食紅を入れる。
本格的に作るならクチナシで着色するべきだろうが、天然の着色料はとにかく高いので食紅で我慢する。
「……これくらいかな」
食紅をはじめとして、食品の着色料はとにかく色が付く。ほんの少しのつもりでも海外の輸入菓子かよと言いたくなるような毒々しい色になるのはよくある話である。
鍋を傾け、色の付き具合を確認する。
ほんのり赤く染まった、淡いピンク色。
よし、と辰弥は鍋に道明寺粉を投入した。
再びコンロに点火、焦げ付かないように火力を調整、ゆっくりと混ぜて煮込んでいく。
「……でも、」
道明寺粉を混ぜながら、辰弥が呟く。
道明寺粉は「粉」と銘打っていながらとても粉とは思えない。炊いたもち米を乾燥させたものらしいが、それぞれの粒が大きく、少し砕けただけの干飯なのではないか、とさえ思えてくる。
しかし、そんな道明寺粉を火に掛けていくとどんどん炊いた米のような質感になってきて、つやつやとしたてかりも出てくる。
あらかじめ食紅で水を染めていたため、ほんのりとピンク色に染まった道明寺粉に春の気配を感じ、辰弥はふっと笑った。
火を止め、ラップフィルムを掛けて暫く冷ます。
冷ましている間にお弁当でも作ろうか、と考えていたら日翔がひょっこりと顔を出した。
「おー、今日もおやつ作ってんのか?」
辰弥がラップフィルムを掛けた鍋を見て、日翔が尋ねる。
「うん、桜餅作ろうと思って」
手を洗い、冷蔵庫から卵を取り出す辰弥。
「次の巡、晴れてたら花見行かない?」
「花見?」
突然、そんな提案をされて日翔が驚く。
「お前がそんなこと言うなんて珍しいな」
「俺だって季節の行事を楽しみたいよ」
こんこん、と辰弥が卵を割り、ボウルに入れていく。
「その卵は桜餅に使うのか?」
辰弥から「桜餅を作る」と聞かされても桜餅がどのような材料で作られているかは知らない日翔。
その問いかけに、辰弥はううん、と首を振った。
「これはお弁当用の卵焼き。ちょっと待ち時間あるから」
「ほへー」
手際よく調味料を入れ、卵をかき混ぜる辰弥に日翔が感嘆の声を上げる。
それから、ふと何かを思い出したのか、ラップフィルムが掛けられた鍋を見た。
「そういえば辰弥、桜餅って二種類あるの知ってるか?」
お前が作ってるのはどっちだ、と鍋を覗き込もうとする日翔に辰弥が笑う。
「地域によって変わるってやつでしょ? 西の方と東の方の」
「そうそう」
「俺が作ってるのは西の方。道明寺粉使う方の」
そう言って、辰弥は鍋を日翔に見せた。
鍋の中を見た瞬間、日翔がおお、と声を上げる。
「すげえ、桜餅の皮の部分だ!」
「ふふん」
日翔が感動しているのを見た辰弥が少し嬉しそうに笑う。
「東の方も食べたい?」
誰しも褒められると嬉しくなるもの。そこで調子に乗ってしまう人物もいる。
辰弥も日翔に褒められて調子に乗ってしまったらしい。
「いいよ、東の桜餅も作ってあげる。俺も食べたいし」
「いいのか!?!?」
東と西の桜餅の食べ比べ、なんと甘美な響きだろうか。
辰弥の提案に食いついた日翔が尻尾を千切れんばかりに振っている様子が空目される。
いいよ、と辰弥は再び頷いた。
「材料はあったはず――。あったあった」
辰弥が流し下の収納を開き、粉類の保管ケースから白玉粉と薄力粉を取り出す。
ボウルに白玉粉を入れ、計量した水を入れて混ぜ、砂糖を加える。
全体が混ざったら薄力粉を振るい、食紅をほんの少しだけ混ぜるとこちらも淡いピンク色に染まっていく。
「おー……」
桜餅特有の淡いピンクに日翔が感嘆の声を上げる。
「これを焼いていくよ」
フライパンをコンロにかけ、辰弥が説明した。
弱火で温め、サラダ油を垂らしてキッチンペーパーで薄く延ばす。
生地を少し流し込み、スプーンで楕円形に広げる。
弱火でじっくり温められた生地は少しずつ火が通り、表面が乾いてきたところで辰弥は焼けた生地を皿に移した。
冷蔵庫からこしあんを取り出し、スプーンですくう。
生地にこしあんを乗せ、くるりと巻くとそれだけで一つの甘味として成立したように見えてくる。
焼いた生地全てでこしあんを巻き、それから冷ましていた道明寺粉にも手を伸ばした。
適当な量を手に取り、スプーンですくったこしあんを手際よく包んでいく。
こちらもあっという間に全て包み、皿の上には桜の葉を巻かれる前の桜餅がきれいに並んだ。
ここでもう一手間、先に作っておいた寒天液を塗ると桜餅は艶々とした輝きを放ち始める。
「じゅる……」
あまりにもおいしそうなそれに、日翔が思わず涎を垂らす。
「日翔、ばっちい」
そんなことを言いながら辰弥が水に浸けていた桜の葉を取り出し、一枚一枚丁寧にキッチンペーパーで拭いていく。
拭き終わった桜の葉を、葉脈が外側に見えるようにして桜色のおはぎに巻いていくと。
そこには、茶色がかった緑と桜色のコントラストが美しい桜餅があった。
「おお……おおお……!」
日翔が目を輝かせる。
食わせろ、と言わんばかりの彼の様子に辰弥が苦笑する。
「だーめ」
皿にラップフィルムをかぶせ、辰弥がおあずけを宣言する。
「うぅ……」
目の前でおあずけを喰らった日翔がしょんぼりとする。
「花見の時のお楽しみ。それまでにつまみ食いしたら……分かってるよね?」
辰弥がそう言った瞬間、台所をぞっとするような空気が流れた。
それが辰弥の殺気だと気づくのに時間はかからない。
「……ハイ」
素直に、日翔は頷いた。
ここでつまみ食いでもしようものなら
偉い偉い、と辰弥が口元に笑みを浮かべ、辺りを支配する空気が和らいだ。
「じゃあ、俺はお弁当作るね」
「あ、そうだ」
思い出したように日翔が声を上げる。
「花見に行くって、どこだ?」
「この近くだと……泉北市の
あそこなら入場料も安いし、と辰弥が答えると日翔がうへぇ、と唸る。
「御神楽の施設かあ……。いや、でも行かないと辰弥の弁当と桜餅食えないし……」
辰弥や鏡介と違って反御神楽思想に染まっている日翔は御神楽が関係する施設に足を踏み入れることに抵抗があるのだろう。
しかし、だからといって違う自然公園だとそこそこ遠い場所になるし、第一他の
いくら暗殺の報酬が一般人の平均年収より高いと言われても、普段の食事が格安なフードプリンタ製の合成食ではなく、割高な本物の食材をふんだんに使ったものであるため、天辻家の食費はかなり高い。
また、日翔が金銭を湯水のように使っているわけでもないのに万年金欠で、その分も辰弥が持ち出しているため生活費に余裕はあまりない。
それでも多少は貯金をしている辰弥だが、その金は必要な時に使うべきであろう。
だから日翔もわがままを言って別の自然公園にしよう、とは言わなかった。
「御神楽の施設ってのがちょっとアレだが……仕方ないな、あそこが一番桜きれいだって聞くし」
うん、と辰弥が頷いた。
「鏡介も呼ぶからさ、みんなで楽しもうよ」
「ああ、そうだな」
そう言い、日翔はまるで春の陽の光のように朗らかに笑った。
◆◇◆ ◆◇◆
花見当日。
「うわー!」
御神楽自然公園に足を踏み入れた瞬間、辰弥が感嘆の声を上げる。
辺り一面に咲き誇るソメイキンプ。
ちょうど満開のタイミングで、まるで桜色のもやがかかっているかのようにも見える。
「ほら、場所を取りに行くぞ」
鏡介が少々にやけながら辰弥を促す。
うん、と辰弥も頷き、周りをキョロキョロと見まわした。
この時期、花見のために大勢の人間がこの自然公園に集まってくる。
桜の木の下には様々な人間がブルーシートを敷いて思い思いに食べて飲んで騒いでいる。
あまりやかましくしていない、人の集まりが比較的少ない場所を探し出し、三人はレジャーシートを地面に敷いた。
「日翔、ありがと」
怪力故に輸送を一手に引き受けていた弁当類を日翔から受け取り、辰弥がてきぱきとレジャーシートの上に広げていく。
三段の重箱を二つ、それぞれの段をレジャーシートに広げると鮮やかな色彩のおかずの数々が見る目を楽しませてくれる。
「うまそ! よく作ったな、こんなにも」
「誰かがいっぱい食べるからね」
機嫌よく辰弥が紙皿と割り箸を日翔に渡す。
「じゃあ、花見しよう」
「いただきまーす!」
辰弥の声と共に、日翔が重箱に箸を突っ込んだ。
肉団子に唐揚げ、角煮、と見事に肉ばかり取る日翔に辰弥が笑う。
「花より団子ってこういうことか……」
「諦めろ辰弥、日翔に風流なんて分かるわけがないだろう」
苦笑しながら、鏡介もおにぎりを手に取る。
桜を見上げながら口に運び、一口。
「……ツナマヨだ」
口の中に広がるマヨネーズの風味にふっと笑う。
「うまいな」
「ありがと」
辰弥もおにぎりを頬張りながら頷く。
「酒ないのかー?」
こういう時は酒飲んで宴会だろー、などと日翔が騒ぎ出す。
それを、辰弥がじろりと睨んだ。
「……日翔、酒癖悪いから持ってきてない」
「えぇ~!!!!」
そんなぁ、としょぼくれる日翔に辰弥は苦笑した。
日翔が浮かれたい気持ちはよく分かる。自分も桜を見て楽しんでいるのだ、誰だってこういう時は楽しく浮かれたいだろう。
しかし、日翔の酒癖の悪さだけはいただけない。
絡んでくるわ無理に飲ませてくるわ、アルコールが苦手な辰弥にはとても耐えられるものではない。
過去に無理やり飲まされて酩酊し、果ては倒れたこともある。
その時の日翔に「お前、弱いんだなぁ」などと言われたが体質上アルコールを受け付けないのだから仕方がない。
日翔もそれは憶えているので、辰弥に「いいから酒買って来いよ」とも言わず、「しゃーねーな」などと言いながら紙コップにオレンジジュースを注いでいる。
「ほらよ、辰弥」
オレンジジュースを入れた紙コップを辰弥に手渡し、日翔が笑う。
うん、と受け取り、辰弥は紙コップに口を付けた。
「楽しんでいるか?」
ちびちびとオレンジジュースを飲む辰弥に鏡介が声をかける。
「うん」
辰弥が頷く。鏡介が安心したように笑う。
二人と出会ったばかりの頃の辰弥は常時怯えた様子で誰も信じることができていなかった。
それが今では二人に心を開き、こうやって三人で遊びに出かけることもある。
楽しい、と辰弥は思った。こうやって三人で花見をしながら弁当を食べることが。
いや、日翔や鏡介と出会ってから、毎日が楽しい。
それまでのことは思い出さない。思い出したくない。
今がこうやって楽しければ、そしてこれからもこの楽しい日々が続けばいい、と思う。
確かに、暗殺者という職業柄、命を脅かされることもあるし辛いこともある。
だが、日翔と鏡介の二人がいればそんなものはいくらでも乗り越えられる。
だから、ずっとそばにいて。
そう、辰弥はふと思った。
しばらく、それぞれが思い思いに弁当を食べ、桜を眺める。
(主に日翔によって)弁当がほぼ空になったタイミングで、辰弥は自分の保冷バッグから二つのタッパーウェアを取り出した。
「おおっ、それは!」
待ってましたとばかりに日翔が身を乗り出してタッパーウェアを覗き込む。
辰弥が蓋を開けると、そこには二種類の桜餅が。
「キマシタワー!!!! 本日のメインデザート!」
「もう、調子いいんだから」
辰弥が笑いながらタッパーウェアをレジャーシートの上に置く。
「ほら、食べよう」
「おー!」
三人が一斉に手を伸ばし、桜餅を手に取る。
「うんまー!」
真っ先に声を上げたのは例に漏れず日翔だった。
あっと言う間に一つ平らげ、次の桜餅に手を伸ばす。
「西の桜餅はやっぱり『桜餅ならこれ!』という感じだよな!」
口いっぱいに桜餅を頬張りながら日翔が唸る。
「うめえ……このおはぎ部分のもちもち感とあんこの控えめな甘さ、そして葉っぱのちょうどいい塩加減……俺たちが行けないような高級桜花菓子の店の桜餅って感じがする」
「ああ、まるで食べる芸術品のようだ」
日翔と鏡介がそれぞれ食レポを口にし始め、辰弥が恥ずかしそうに笑う。
「なんか照れるなぁ……レシピ通りに作っただけだよ」
「いや、レシピ通りに作っても真っ赤な桜餅を作る奴は一定数いるからな。それに比べるとお前の桜餅は程よい色付きで見た目も上品だ」
そう言いながら一つ食べ終えた鏡介がもう片方の桜餅に手を伸ばす。
「東の桜餅も作ったのか……西と東で桜餅論争はよく起こるが、さて、東の桜餅は……」
はむ、と鏡介が二個目の桜餅を頬張る。
普段はエナジーバーやゼリー飲料で済ませる鏡介がここまで辰弥が作った弁当や桜餅を口にすることは珍しい。
だから、辰弥は思わず、
「今日はよく食べるね」
と声をかけていた。
「ん? ああ、俺だって食いたいときは食うからな。それにお前の料理はいつもうまい。こういう時ならなおさらな」
そう言って、鏡介は桜の木を見上げた。
「来れて、よかったな」
「うん」
天気も良く、気温も程よく暖かい。
そよりとした風が木々を揺らし、花びらを散らす。
風に舞った花びらが、ひらりと辰弥の頭に乗った。
「頭についてるぞ」
鏡介が手を伸ばし、辰弥の頭に乗った花びらを取る。
「あー! せっこー!」
レジャーシートに寝転がってだらだらしていた日翔ががばり、と体を起こす。
それを見て、鏡介がふっと笑った。
「お前にはできないよ」
「なにをう!」
日翔が猛抗議するがそれを意に介する鏡介ではない。
「もう少し、気遣いできるように注意力を上げることだな」
「えー!!!!」
「……ふふっ」
火花を散らす日翔と鏡介に辰弥が笑う。
本当に、こんな日々が続いてくれれば。
それなら、俺という存在が生きていてもいいという理由になるのではないかと、辰弥は思うのであった。
to be continued……
「天辻家の今日のおやつ 第6章」のあとがきを
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