天辻家の今日のおやつ #04「ぜんざい」
年が明け、「グリム・リーパー」も営業再開し始めた頃。
「さっむ」
自分を抱き抱えるかのように腕を回した
「ちょっと出かけてくる」と言っての外出だったが思いの外外出時間が長く、どうしたんだろうと
「おかえり、日翔。ストーブ付けてるから温まりなよ」
玄関で日翔を出迎え、辰弥が目を丸くする。
「雪、降ってたの?」
日翔のジャケットにうっすら積もった雪。
ああ、と日翔が頷く。
「天気予報で降るかもって言ってたが、マジで降ってきたぞ」
そんなことを言いながら日翔がジャケットを脱いでパタパタと雪を払い、家に入る。
「おお寒い寒い」
いそいそとストーブに面したこたつの入り口を陣取り、日翔が丸くなる。
「お疲れ様。おやつ、できてるよ」
辰弥が日翔の前にそっとお椀を置く。
ほかほかと湯気の立つそれを覗き込むと黒いどろっとした液体の中に浮かぶ白い四角。
おお、と日翔が声を上げた。
「ぜんざい!」
「うん、いい小豆が手に入ったから」
そう言って、辰弥がにっこりと笑った。
◆◇◆ ◆◇◆
「辰弥、ちょっと出かけてくる」
日翔がジャケットの袖に腕を通しながら辰弥に言う。
「あれ、出かけるの? 天気予報だと雪じゃなかったっけ」
まさか出かけるとは思っていなかったのか辰弥が日翔を見る。
「ああ、ちょっと外回りがあってな」
「……リーダー、俺だけど俺じゃなくていいの?」
外回りがあること自体初耳だが、それを日翔が行っているのも意外である。交渉ごとがあったとしてもそれは鏡介の仕事だと思っていたので余計に意外さを覚える。
「ああ、リーダーはお前だがまだ信用の問題とかあるだろ。この辺は俺、慣れてるし、俺じゃないと話しないって奴もいるし」
「……そっか」
「まぁ、お前も記憶喪失のこととか色々あって自分のことで手一杯だろ、ここは俺に任せとけ」
にっ、と笑い、日翔が辰弥の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「だから子供扱いしないでってば」
拾われた時、日翔には「成人済みだ」と言っていた辰弥だが外見は日翔より若く見える。
だからだろう、日翔は辰弥が年上であったとしてもその身長差もありついつい子供扱いしてしまう。
むぅ、とむくれる辰弥に日翔がさらに笑い、玄関のドアを開ける。
「寒っ。これはマジで降ってくるかもな」
外から吹き込む冷たい風に日翔はぶるっと震え、それから見送りに来た辰弥を撫でる。
「だから子供扱い――」
「行ってくるな、辰弥。留守番よろしく」
「子供扱いするな」という辰弥の抗議も虚しく、相変わらずの笑顔で日翔が廊下に出た。
「いい子でお留守番するんだぞー」
「だから子供扱いしないでってば!」
バタン、とドアが閉まる。
ドアが閉まった瞬間、しん、と静まり返った自宅に辰弥はほんの一瞬寂しさを覚えた。
日翔が出かけただけでこの様とは情けない。
そう思ったものの、すぐに辰弥は首を横に振って考えを改める。
今、日翔はいない。つまりやりたいことがやりたい放題である。
よし、と辰弥は両手をパン、と合わせた。
「……今のうちにできること全部やっちゃおう」
外回り、と言うくらいだ。十分二十分で帰ってくることはないだろう。
それなら
何を作ろうか、と考え、辰弥はキッチンに入り、流し下の収納を開けた。
整然と片付けられた収納に収められた食材に目を通す。
夕飯は鶏肉が大量に余っているから唐揚げにするとして、それよりも今はおやつを作りたい。しかも何故か手間のかかるものと来た。
さて、何があるかなと収納を見る辰弥の深紅の瞳が、す、と流れ、とある袋で止まる。
手を伸ばしてその袋を取り出し、辰弥はふふっと笑った。
「よし、今日のおやつはぜんざいにしよう」
辰弥の手の中にある赤茶けた豆の袋。
しばらく前にあんこが作りたくて買った小豆、ここで役に立ってもらおう。
しかし小豆からぜんざいを作ってしまうと暫くぜんざいばかりを食べることになる。
これは一旦粒あんを作り、そこからぜんざいを作った方がいろんな食べ方ができると考え、辰弥はコンロ下の収納から大きめの鍋を取り出した。
小豆はそのまま茹で始めると渋いあんこになってしまう。
まずは渋切り、小豆を茹でこぼすところから始まる。
ざるに入れてさっと洗った小豆を鍋に入れ、三倍量の水を入れてコンロに掛ける。
沸騰するまでの間に軽く水回りを掃除し、沸騰してからは十五分時間を計って煮込んでおく。
キッチンがピカピカになったところでタイマーが時間を報せてきたので茹でた小豆をざるに上げてしっかり水気を切る。
ゆで汁は濃いワイン色、しっかり渋みが取れたようだと辰弥は満足そうに頷いた。
鍋を一度丁寧に洗い、それから改めて小豆と三倍量の水を入れてコンロに掛ける。
ここから三十分ほど、小豆が柔らかくなるまで煮込むことになる。
三十分なら他の部屋の掃除もできそうだったがこの煮込みは小豆から結構な量の灰汁が出る。
弱めの中火でコトコトと煮込みながら網で灰汁を取り、辰弥は知らずとあるメロディをハミングした。
どこで聴いたかも憶えていないが恐らくは日翔がサブスクリプションの動画サービスで観ていたドラマか映画の主題歌だろう。何となく印象に残っていたフレーズがふと鼻を突いて出る。
ふんふんと数分ハミングし。
「……っ!」
自分がハミングしていることに気づいた辰弥が慌てたように周りをキョロキョロと見る。
今、この家にいるのは自分だけ。日翔が聞いているはずがない。
確かに自分は料理に集中しすぎて日翔の接近に気づかないことはあるが、それでも流石にこの鼻歌を聞かれるのはまずい。何がまずいかと言えば単純に恥ずかしすぎる。
普段は音楽を聴くようなこともないのだ。それなのに「いつの間にか耳コピしていました」な曲をハミングしていたと知られれば生きていられない。
「……日翔、帰ってないよね……?」
一旦玄関に行って施錠を確認し、辰弥はほっとしてキッチンに戻った。
改めて小豆の灰汁取り作業に戻り、再びふんふんと鼻歌を歌い出した。
そうやって煮込むこと三十分。
煮汁が減り、残った煮汁にもとろみがついてくる。
「そろそろかな」
そう呟きつつ鍋から小豆を一粒取り出し、親指と小指でつまむようにして潰してみる。
親指と人差し指でつまむよりもはるかに力を加えにくいこの指でつままれた小豆がふに、と抵抗なく崩れていく。
「……よし」
いい感じに茹で上がった、と辰弥は満足げに頷いた。
ここからは砂糖を入れて仕上げていくだけ。
用意した砂糖を半分、小豆に入れて軽く混ぜる。
それから数分、残りの砂糖を入れ、時々混ぜながら三十分煮込む。
しかしかれこれ一時間以上作業をしているにもかかわらず日翔はまだ帰ってこないため、辰弥の胸がちり、と痛む。
日翔は何をしているのだろうか。外回り、と言っていたが
大丈夫だろうか、とふと心配になるが確かに自分はまだメンバーとしては日が浅い。信用を得るにはもっと実績を積む必要がある。
いつか、日翔の隣に立てるのか、や、日翔の代わりに外回りできないか、などという考えが頭をよぎり、首をぶんぶんと横に振った。
そんな雑念を抱えておやつを作っていても楽しくない。
目の前の鍋に出来上がった粒あんを前に、辰弥は苦笑した。
日翔には感謝している。
あの雨の日、力尽きて人気のない路地裏で蹲っていたところを、通りがかった日翔は手を差し伸べてくれた。
名前も、どこから来たとも、家族の有無も何一つ答えられなかった自分を日翔はそれ以上深く追求しようともせず、それなら、と「
最初は日翔や鏡介、そして
暗殺者なら俺の能力は喉から手が出るほど欲しいはずなのにどうして何も言わない、と思いつつも何度か後を付けていたら日翔のピンチに遭遇した。
そこで飛び出さなければ今の辰弥はなかっただろう。
あの時、日翔を死なせたくない、と辰弥は飛び出し、彼の目の前で彼を殺そうと取り囲んでいた連中を惨殺した。
その結果、辰弥は暗殺者向きの能力を持っていると知られ、「グリム・リーパー」の前身である「ラファエル・ウィンド」に加入することになった。
その選択に後悔はない。むしろ日翔の隣に立って同じことができると胸が高鳴ったものだ。
そして今、こうやって毎日を過ごしている。
「……日翔、喜んでくれるかな」
粒あんの一部を別の鍋に移し、水で伸ばしながら辰弥はふと呟いた。
そのタイミングで日翔から「もうすぐ帰る」という連絡が入る。
「ちょうどいいタイミングで」
日翔のおやつセンサーかな? と呟き、辰弥は冷凍庫から切り餅を取り出した。
オーブントースターで軽く色が付くまで焼いたところで日翔が帰ってくる。
日翔が帰ってきた、と嬉しくなって玄関まで迎えに行くとうっすら雪をかぶった日翔がジャケットの雪を払っている。
これはおやつをぜんざいにしてよかった、と辰弥は日翔をこたつに誘導した。
日翔がこたつに潜り込んだところで餅が焼け、お椀に餅を入れぜんざいをかける。
自分の分もよそい、辰弥はお椀を持ってこたつに向かった。
「お疲れ様。おやつ、できてるよ」
そう言いながら日翔の前にお椀を置く。
お椀の中身を見た日翔が目を輝かせる。
「おお、ぜんざい!」
寒い日のぜんざいはとても身体が温まる。
まずは一口、小豆を口に含む。
とろり、とした甘みが喉を通り、身体を内側から温めていく。
「うめぇ~」
まるでぜんざいの熱さに溶かされたかのように日翔がこたつに沈んでいく。
辰弥も一口、ほっとしたように息を吐く。
「……日翔、」
「んー?」
餅にかじりついた日翔が辰弥を見る。
「……ありがとう」
「どうしたんだよ急に」
急な辰弥の言葉に日翔が苦笑しながらお椀をこたつに置く。
「……うん、日翔が俺を拾ってくれたから、今の俺があるから」
「そんな大げさな」
俺、大した事何もしてないぞと日翔が苦笑するものの辰弥が真剣な目でじっと見てくるため真顔に戻る。
「……辰弥、」
「ん?」
「お前も、ありがとうな」
そう言って、にっと笑う。
「そんな、俺は何も」
俺は日翔に感謝されるようなことは何一つしていない、と辰弥が呟く。
そんなことないぞ、と日翔が辰弥を見る。
同時にこたつの中でもぞもぞと足を動かし、辰弥の足を絡め取る。
「うりゃ」
「いたたたたたたたた」
足だけで膝の逆関節を極められ、辰弥が声を上げる。
「湿っぽいこと言うなよ。お前の飯は美味いし毎日おやつも出てくる、家のことも全部してくれるしお前がいないと俺、生きていけねえ」
「家事だけなの?」
俺の価値ってそれだけー? と辰弥がむくれる。
「いやいやいやいや、『仕事』の相棒としても頼りにしてるぞ」
そう言いながら絡めた足を別の方向に曲げる。
「ぎゃーーーー!!!!」
「お前、自己肯定感低すぎ。俺よりできること多いのにもっと自信持てよ」
ぐい、と足を捻ると耐えられなくなった辰弥が床に転がる。
それを見て日翔はこたつから出た。
辰弥の傍に寄り、そっと頬に手を当てる。
「……辰弥」
まっすぐ見据えられ、辰弥の深紅の瞳が揺らぐ。
「ん……」
ほんの一瞬、辰弥の身体が強張ったのが感じ取れる。
まだ触られることに恐怖を覚えているのか、と日翔が口にせず呟く。
そもそも出会って間もない頃もこちら側からの接触を極度に拒絶していたところがある。
「仕事」柄、傷の手当てをすることも多い。それすら「自分でする」と拒絶していたことを考えるとよほどの仕打ちを受けていたのではないかという推測も立つ。しかし、それを無理に聞けば逆に辰弥との関係を崩してしまいそうだから日翔は辰弥が言いたくなるまでは聞かないでおくつもりだった。
「大丈夫だ、何もしない」
「……うん」
辰弥が頷き、身体を起こす。
「お前はよくやってるよ。俺なんかには勿体ないくらいだ」
日翔がポンポンと辰弥の肩を叩く。
出会った頃は記憶はなくとも知識だけはあった辰弥。それなのに掃除どころか料理一つできず「腹が減ったら冷蔵庫の中のもの好きに食っていい」と言われれば生肉をそのまま食べた、というほどだった。
そんな辰弥が今では家事のできない日翔の代わりに家事全般をこなし、「仕事」でも息の合ったバディとして動いている。
自分には勿体ない、それは日翔の本心だった。
自分はそう遠くない未来、辰弥の隣に立てなくなる。それがいつかは分からないができれば自分の命が燃え尽きるその時までは隣に立ちたい、そう思ってしまう。
――いつまで俺は辰弥の隣に立てるんだろうか。
辰弥の顔を見ながら、そう思う。
ふと、胸がちり、と痛むがそれはなんだかんだ自分を信頼してくれる辰弥を最終的には裏切ることになるという思いからか。
――ごめんな。
心の中で、謝罪する。
辰弥が自分のことを覚えているかいないかはともかく、何も語ってくれないように日翔もまた辰弥には何も語っていない。
互いに信頼し合う関係ではあるが深入りはしない。
まるでそれがお互いのためだというかのように。
――もし、俺が全部話したら、お前は――。
それでも俺を受け入れてくれるだろうか。
永くは生きられないこの俺を、受け止めてくれるだろうか。
辰弥がこんなことで自分から離れるような人間だとは思っていない。それでも、不安だけは付きまとう。
もし、俺を拒絶したら。もし、俺を裏切り者だと謗ったら。もし、俺から離れてしまったら。
耐えられない、と日翔は思った。
自分は辰弥を裏切ることが確定しているのに自分は辰弥に裏切られることを拒むのか。
その身勝手さに苦笑する。
「……日翔?」
苦笑した日翔を見て、辰弥が怪訝そうに首をかしげる。
「……いーや、なんでもない」
今はまだ、何も言えない。
それでもいつかは全てを明かさなければいけないときは来るだろう。
せめて、その時までは。
「ぜんざい、冷めるから食べよう」
日翔が今は何も話せないということを察したのか、辰弥が話題を変える。
そうだな、と日翔は頷いてお椀を手に取った。
温かいぜんざいが、胸に引っかかったわだかまりを溶かしていくような気がした。
to be continued……
「天辻家の今日のおやつ 第4章」のあとがきを
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