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天辻家の今日のおやつ #03「シュトーレン」

 
 

 あと一環(一ヵ月)もすれば新しい年になるという年の瀬が迫った頃。
 辰弥たつやがキッチンで何かを作ろうとしているのを日翔あきとは目撃した。
「ん? ごはん時分にはまだ早くね? 何か作るのか?」
 うん、と辰弥が流し下の収納から粉類を取り出す。
「……強力粉……? パンでも焼くのか?」
 生活能力が圧倒的に欠けている日翔だが、パンの原材料の一つに強力粉があることくらいは辰弥から聞かされている。
 辰弥が強力粉を取り出し、冷凍庫からドライイーストを取り出したのを見て日翔は確信した。
 辰弥はパンを焼く気だ。辰弥のパンってなんかふわふわして美味しいんだよなあ、と涎が出てくるところを悟られなように日翔は慌てて口元を拭う。
「パンじゃないよ?」
 うわ、ばっちい、と目ざとく目撃した辰弥がくすりと笑う。
「じゃあ何なんだよ」
 強力粉とドライイーストを出したのだ。これで食べ物以外を作ると言われたらそれはそれで暴動を起こしてもいいかもしれない。
 そんな目まぐるしく変わる日翔の様子に辰弥は「子供っぽいな」とふと思った。
 良くも悪くも日翔は単純で正直である。表情はころころ変わるし嘘は言わないから余計にそう感じさせる。
 そう思ってから、辰弥は思わず手を止めて考えた。
 ――その点、俺は――。
 辰弥も「仕事」以外では嘘はあまり吐いていない方だろう。しかし、あまりにも隠していることが多すぎる。
 日翔に拾われてもうどれくらい経つのか。いくつ年を越しただろうか。
 それでも日翔に言えないことは多すぎる。
 例えば――。
 いや、考えていても仕方がない。今は言えないのだ。
 「グリム・リーパー」の面々に。
 日翔も鏡介きょうすけも何も言わないでいてくれる。今はそれに甘えるべきだ、と考えてから心の中でごめん、と謝罪する。
 信用していないわけではない。それでも、言えないのだ。
 本当のことを知れば、きっと、受け入れてもらえない。
 チームの一員として認められている今を壊したくない。
「どうした?」
 いつの間にか考え込んでしまい、手が止まっていたらしい。
 日翔が心配そうに辰弥の顔を覗き込む。
「あ、なんでもない」
「……何か思い出したのか?」
 日翔も鏡介も辰弥が記憶喪失だという話を信じている。
 実際、記憶はブロックされているかのように思い出せないこともたくさんある。それを記憶喪失と言っていいのかは分からないが、少なくとも思い出せない、思い出したくないことがかなりあるということから日翔たちは辰弥を記憶喪失として扱ってくれていた。
 思い出したくないことを無理に聞き出そうともしない。ただ「話したくなったら話せばいい」と静観してくれている。
 だから日翔が今の言葉を口にしたのは珍しいことだが、彼としても辰弥の過去は少なからず興味を持っているということだろう。
「……いや、何も」
 そう呟くように答え、辰弥は取り出した材料を確認する。
 強力粉、アーモンドプードル、ドライイースト、粉砂糖に卵や牛乳、バターなど。
 ドライフルーツミックスは数日前からラム酒に漬け込んだものから水気を切って準備している。
 クルミも乾煎りして細かく砕いて準備が整っている。
 それを見た日翔が目を輝かせた。
「もしかして、シュトーレンか?」
 年末の毎巡を数えるかのように少しずつ食べる、元々はUJFユジフ発祥の菓子パン。年末をこのシュトーレンを少しずつ食べることで迎えようと桜花でも近年定着してきたものである。
 うん、と辰弥が頷いた。
「今年もあと一環で終わりだからね。そろそろ作っておかないと」
「今年もお前のシュトーレンが食えるのか! 楽しみだ」
 それじゃ、俺は邪魔しちゃ悪いから、と日翔がキッチンを離れていく。
 それを少しだけ名残惜しそうに見送った辰弥が調理台の上に置いた材料に視線を投げた。
「それじゃ、やりますか」
 ボウルに粉類を入れて軽く混ぜ、牛乳、卵黄、溶かしバターを入れて混ぜ合わせる。
 しっかり混ざり合ってまとまってきたらそこにさらに砕いたクルミと水気を切ったドライフルーツミックスも入れてよく混ぜ合わせる。
「……こんなものかな」
 ドライフルーツがまんべんなく混ざったのを確認した辰弥が生地をまとめ、ボウルにラップフィルムをかぶせて横に置く。
 発酵も兼ねた休憩タイム、これが始まったら次は中に入れるマジパンの準備である。
 アーモンドプードルに粉砂糖を混ぜ、卵白を少しずつ加えて混ぜ合わせる。
 ひとまとまりになったところで棒状に伸ばし、ラップフィルムに包んで冷蔵庫に入れる。
「……よし」
 メインの生地の休憩タイムは一時間、少し時間ができたので茶器を取り出し紅茶を淹れる。
 前日に大量に作って保存していたおからクッキーを一掴み皿に乗せ、辰弥はキッチンを出て日翔に声をかけた。
「日翔、お茶にしよう」
「あれ? シュトーレンもうできたのか?」
 結構時間がかかるだろうとリビングのTVでサブスクリプションの映像コンテンツを観ようとしていた日翔が振り返る。
「いや、生地を寝かせる間にお茶でもしようと思って」
「なるほど」
 そう言いながらも日翔の目は辰弥が手にした盆に乗っているおからクッキーにくぎ付けである。
「おからクッキー!」
「うん、口寂しいときにちょうどいいからね」
 テーブルにクッキーの乗った皿と茶器を置き、辰弥は日翔の向かいに座った。
「調子はどう?」
 辰弥の口からそんな質問が漏れる。
 日翔が一瞬、えっ、という顔をするがすぐに苦笑する。
「別に何ともねえよ。そんなに体調悪いように見えるか?」
「……うん」
 実際、日翔はよく昼寝をする。「仕事」中はそんな様子を微塵も見せないが家にいるときや「白雪姫スノウホワイト」で店番しているときは時々気怠そうにしている。
 もしかしたら「仕事」の疲れが溜まっている? 「仕事」も積極的に最前に立つし、と考え、辰弥は普段の食事の栄養バランスも計算して日翔に食事を提供していた。
 おやつもその例に漏れず過度に糖質や脂質を取らないように、比較的身体に負担の少ない素材を、と考えている。
 尤も、毎日がそれだと息苦しいので時にはシュトーレンのようなカロリー爆弾も作るしチョコレートをたっぷりかけたオールドファッションなど、見る人が見たら「身体に悪そうな……」といったものも作る。
 それで日翔のストレスが少しでも減り、健康に過ごせてくれるならそれに越したことはない。そもそも「暗殺者」という、人の命を奪ったり、時には命の危険にさらされるような仕事をしているのだ。当然、一般人より受けるストレスは大きいし神経も磨り減る。
 辰弥としては自分の保護者である日翔が倒れるのだけはどうしても避けたいことだった。だから少しでも体にいいものを、と思っている。
 そんな辰弥の考えに気づいたか日翔が苦笑する。
「大丈夫だ、お前の飯はうまいしおやつも絶品だからな。おやつのためにはまだ死ねねえよ」
「……そう、」
 そう呟いて辰弥は紅茶を啜る。
 日翔の言葉が嘘だということは何となく分かった。
 日翔は何か無理をしている、そんな気がする。
 しかし自分の過去を開示できない以上他人に踏み込んではいけない。
 大丈夫というのなら信じる、と辰弥は自分に言い聞かせた。
「しかし、お前本当に料理の腕上げたよな」
 はじめは日翔が作った卵焼きの成れの果てを黙って食べるか冷蔵庫の生肉をそのまま食べていたような辰弥が食に興味を持ち自分で料理をするようになったのはいつのことだったか。
 確かにはじめは失敗も多かった。
 それでも辰弥は失敗を糧に少しずつ成長し、今ではレストランで出される料理と遜色ないものを出すことができるようになっている。それこそ、暗殺者から足を洗ってシェフになってもいいくらいに。
 それでも辰弥がそうしないのは何故だろう、と日翔は考えた。
 いや、辰弥が自分のもとにいてくれるのは嬉しい。彼の料理が目当てというわけではなく、仲間として、友人として、そして家族として側にいてくれるのが純粋に嬉しい。
 日翔も分かっているのだ。「辰弥は自由になるべきだ」と。
 それでも、辰弥には側にいてほしい。
 ……そんなことを願っていい人間ではないと、分かっているが。
 そんなことを考えているとどんどんネガティヴな方に思考が流れていきそうで、日翔は強引に話題を変えた。
「そう言えば、年末はやっぱり?」
「? あ、うん、七面鳥頼んでるよ」
 シュトーレンと違い、こちらはIoLイオルの伝統となっている「年末の七面鳥」。
 ローストした七面鳥を年末に食べることでその年に感謝し新しい年を迎えるというものだが、国籍問わず様々な国の文化や宗教を取り入れて楽しむのが桜花流である。
 辰弥も以前ニュースの特集で「年末に七面鳥を食べる」というものを見て興味を持ち、その年から天辻家の年末には七面鳥のローストが食卓に並ぶようになった。
 辰弥の返答に日翔がまたもや目を輝かせる。
「今年の年末も楽しみだな」
「そうだね」
 そんな会話を繰り広げながら二人はおからクッキーを紅茶で流し込む。
 最後のクッキーが日翔の胃袋に収まったタイミングで、キッチンタイマーが一時間経過したことを知らせてくる。
「あ、時間だ」
 そう言って辰弥が立ち上がり、盆に空になった食器を乗せてキッチンに戻る。
 食器を洗って洗い籠に入れてから辰弥はオーブンの予熱を始め、それから寝かせていた生地をボウルから取り出し、製菓ボードに置いて伸ばし始めた。
 小ぶりのノートくらいのサイズに伸ばした生地に、冷蔵庫から取り出したマジパンを乗せて包み込む。
 合わせ目が広がらないようにしっかり閉じ、オーブンに入れる。
 タイマーは四十分。
 今のうちに洗濯とか済ませてしまおう、と辰弥はエプロンを外し、キッチンを出た。
「……」
 その光景に、辰弥が一瞬沈黙する。
 TVを付けたまま、日翔はソファで眠っていた。
 疲れていたのか、それとも調子が悪いのか。
 顔色は悪くなさそうだがもう冬である。あまり積極的に暖房を付けない天辻家のソファで昼寝は体を冷やす。
 なるべく物音を立てないように日翔の部屋に入り、辰弥はベッドからブランケットを手に取った。
 ふわりと香る日翔の匂いに一瞬どきりとするが頭を振って雑念を払い、リビングに戻る。
 ブランケットを日翔の身体に掛け、辰弥はそっと手を伸ばした。
 さわり、と日翔の髪を撫でる。
「……無理、しないで」
 そう、呟くように言い、辰弥はソファから離れた。

 

 オーブンのタイマーが残り数分になったところで辰弥はバターを小鍋に入れて溶かし始めた。
 本場のシュトーレンは大量の溶かしバターに浸すと聞いたが流石にそこまでできるほど大量のバターは用意できないし使いきれない。
 そのため簡易的に溶かしたバターを刷毛はけで塗るようにしている。
 バターが全て溶け切ったところでオーブンのアラームが鳴り、シュトーレンが焼けたことを知らせてくる。
 ミトンを両手にはめてオーブンを開け、辰弥は焼き立てのシュトーレンを取り出した。
 すぐに網の上に乗せ、溶かしバターをまんべんなく塗る。
 それからグラニュー糖製の粉砂糖を振りかけて一旦冷ます。
 しっとりとバターを吸ったシュトーレンが冷めていく。
 全て冷めてから、辰弥は改めてたっぷりの粉砂糖をシュトーレンに振りかけ、満足そうに頷いた。
「よし、できた」
「ん~……あれ、俺寝てた?」
 バターの香りで目を覚ましたのか。
 日翔が体を起こし、キッチンの方に視線を投げる。
「あ、起きた? もう寒いんだから自分の部屋で寝てよ」
 シュトーレンにラップフィルムを巻きながら辰弥が声をかける。
「……ああ、すまん」
 そう言いながら日翔がキッチンに乗り込み、辰弥の手の中にあるシュトーレンを見る。
「おお、今年もうまそうだな!」
 尻尾があればぶんぶんと振っていたのではないかという勢いの日翔。
 仕方ないなあ、と辰弥は苦笑し、巻いたばかりのラップフィルムを少し剥がす。
「ちょっとだけだよ」
 包丁で端の方をほんの少しだけスライスし、日翔に手渡す。
「いいのか?」
「どうせ明日から食べるんだし誤差の範囲でしょ」
 自分の分もスライスし、辰弥はシュトーレンを口に運んだ。
 ほろり、と口の中でほどけたシュトーレンがラム酒の香り豊かに広がっていく。
「うっま!」
 量が少ないからか一口で食べた日翔が声を上げる。
「なんだろう、こう、ドライフルーツがじわっときてさ。いやぁ、マジでうまいわこれ」
「よかった」
 日翔のリアクションから、お世辞でもないと判断した辰弥がはにかむ。
 日翔が喜んで食べてくれるから俺は頑張れる、と辰弥はふと思った。
 辰弥とて楽しくて人を殺しているわけではない。罪悪感というものはないが、それでも命が失われる瞬間は見ていて楽しいものではない。当然、受けるストレスは相当なものだし戦闘になった場合の死に対する感情はとても重い。
 それを発散するかのようなおやつ作りではあったが、おやつ作りはとても楽しかった。
 ――これで喜んでくれる人間がいるというのなら、俺はいくらでも頑張れる。
 うまいうまいといつまでもシュトーレンの余韻を味わう日翔に、辰弥はふっと笑った。

 

 夕飯時、そろそろご飯を作るかと辰弥がレシピ本を閉じて自室を出る。
 リビングで日翔が何やらもぞもぞとしている。
「……日翔?」
 辰弥が声をかけると、日翔はあからさまにびくりと身を震わせ、恐る恐る辰弥の方に振り返った。
 その口元に付いた粉砂糖。
「……日翔……?」
 辰弥の声音が一気に冷たいものになる。
「え、あ、その、これは……」
 日翔の手に握られたもの。
 それは明らかに先ほど辰弥が作ったシュトーレンだった。
 しかもスライスすらせず、恵方巻のように丸かじりされている。
 ぴき、と辰弥は自分のこめかみで何かが鳴ったような錯覚を覚えた。
「……日翔、またつまみ食いして!!!!
 次の瞬間、日翔に放たれるピアノ線。
 日翔も咄嗟に床に伏せてそれを回避する。
「ピアノ線はないだろ!」
「いや、シュトーレンを恵方巻食い二年連続は流石に許せない!」
 ソファを乗り越え、辰弥が日翔に躍りかかる。
「おっと」
 しかし、日翔はあっさりと辰弥を受け止め、抱きかかえてしまう。
「ほらほら、オイタはそこまでにしときな」
「むぅ~」
 じたばたと日翔の腕の中で暴れる辰弥。
「オイタしたのはそっちでしょ!」
「はいはい、言い訳は後で聞くからなー」
 そう言って日翔がシュトーレンをもう一口。
「だから、シュトーレンのカロリーはやばいんだって! もう、日翔は夕飯抜き!」
「えっ」
 「夕飯抜き」の言葉が耳に入った瞬間、日翔が硬直した。
 それから、そっとかじりかけのシュトーレンをテーブルに置く。
「……夕飯抜きは嫌だ」
「カロリーオーバーキルしてるのに何言ってんの」
 辰弥の紅い瞳が日翔を見据える。
 それに怯まず、日翔は辰弥を抱きかかえる腕に力を入れた。
「痛い痛い」
「……お前の飯、美味いし。逃がしたくねえ」
「……逃げないってば」
 逃げる気なんてない。日翔に喜んでもらいたいから家事はするしご飯も作る。
 日翔に元気でいてもらいたいから体調管理は怠らない。
 だから、元気でいて、と辰弥は口にせずそう呟く。
 ――俺の前から、いなくならないで。
 漠然とした不安。
 いつか、日翔が自分の前からいなくなってしまうような、そんな不安。
 普段から命がけの仕事をしているのだからそう思うのは当たり前だろう。
 しかし、それだけではない、漠然とした不安がある。
 日翔が目の前で撃たれるのは嫌だ。しかし、それ以外の要因でいなくなるのはもっと嫌だ。
 だから、ずっとそばにいて。
 思わず、日翔にしがみつく。
「おいおい、どうしたんだ辰弥くーん?」
 日翔が苦笑いしながら辰弥の頭を撫でる。
 そんなことをすればいつもは「子供扱いしないで」と返ってくるのにそれが返ってこなくて。
「……すまん」
 そう、日翔は一言だけ謝った。
 辰弥が不安に駆られるのはよくある話だ。しかし、それに対して「俺がそばにいるから」とはどうしても言えなかった。
 いつかは辰弥を置いていってしまうことが分かっているから。
 辰弥にだけは嘘を吐きたくない、だから今は黙っておく。
 ポンポンと軽く頭を叩きながら、日翔はもう一度だけ「すまん」と呟いた。

to be continued……

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