世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第7章
分冊版インデックス
アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという
その際に起動された爆弾から彼を救い、叱咤する謎のハッカー。
弟子入りしたいという匠音の要望を拒絶しつつもトレーニングアプリを送り付ける魔法使い。
それを起動した匠音はランキング一位にかつてスポーツハッカーだった
そんな折、メアリーが「キャメロット」の握手会に行くことになるがトラブルに巻き込まれてしまう。それを助けたもののハッキングが発覚して拘束され、メアリーの機転で厳重注意のみで済むものの、和美にはハッキングのことを知られ辞めるよう強く言われる。
それでも諦められず、逆に力を付けたくて匠音は匠海のオーグギアに接続し、父親のビデをメッセージを見る。
その際に手に入れた「エクスカリバー」の性能を知りたくて手近なサーバに侵入する匠音、しかし「エクスカリバー」を使いこなせず通報されかける。
それを謎の魔法使いこと
ハッキングを禁止する理由も、匠海のこともはっきりと教えてくれない和美に反抗し、匠音は家を飛び出し、祖父、
白狼からハッキングを教わりたいと懇願し、OKが出るが教えてもらえるのは
父親の事故の真相を聞きつつもそのハッキングに嫌気がさした匠音はブラウニーの姿を見つけ、追いかけてしまう。
ブラウニーが逃げ込んだ先で匠音は男に声を掛けられる。
ブラウニーについて調べてほしいという男は用意した義体にわざと不具合を起こさせ、ブラウニーを呼び出すことに成功する。
ブラウニーを追跡する匠音。しかしブラウニーが逃げ込んだ先は
男の指示でイルミンスールに侵入をし始めた匠音。
はじめは何故か聞こえる匠海の声に従ってハッキングを行っていたが、徐々に自分の判断で鋭く切り込み始める。
「シルバークルツ」のアバターが、イルミンスール内部の少し広いエリアに出る。
円形に広がった空間。
まるで
ここまでは何事もなく進ことができた。
PINGを使ったことで侵入自体は察知されているだろうが侵入経路を追跡されるより速く匠音はこの深層まで到達した。
たとえイルミンスールのカウンターハッカーであってもまさか侵入者がここまで到達しているとは思っていないだろう。
少し休憩できそうだ、と匠音は息を吐いた。
視界に映るブラウニーの痕跡はこの奥に続いている。
近くまで来ている、そんな勘の囁きが聞こえる気がする。
しかし、同時にえも言われぬ不安が胸を締め付ける。
油断してはいけない、警戒を緩めてはいけない、そんな声を聞いた気がした直後、匠音は咄嗟に横に跳んだ。
直前まで匠音が立っていた場所を衝撃波のような何かが通り過ぎていく。
ごくり、と匠音は唾を飲み込んだ。
今の衝撃波は――いや、俺はこれを知っていると理解する。
これは衝撃波なんかではない。斬撃を波動状にして飛ばした斬撃波。
そしてこれに触れれば――。
匠音が斬撃波が飛んできた方向を見る。
そこには一人の騎士が立っていた。
豪奢な甲冑を身に纏った騎士のアバター。
そして、この場では一番会いたくなかった――。
「……ルキウス」
匠音が低く呟く。
イルミンスール最強のカウンターハッカー、「ルキウス」。
かつてはスポーツハッカーとして最強の座に居座った男。
匠音が初めて見たスポーツハッキングの大会の決勝戦で圧倒的な強さを見せ、その大会の直後に彼はイルミンスールのカウンターハッカーとしてスカウトされた。
その後、「ニヴルング」で匠音を襲った魔術師を撃退し、彼をハッキングへの世界へと誘った魔術師が、目の前にいる。
「侵入検知はしていたがどこにもいないと監視室は大童でな……そう奥深くまで進んでいないだろうと全員考えていたが、お前、やるな」
まさかこの短時間でここまで来るとは、と「ルキウス」が呟く。
「だが、これ以上先には進ませねえ。侵入者は排除する」
「ルキウス」が剣を――「ルキウス」を最強たらしめる最強の
まずい、と匠音が唸る。
勝てない。
「ルキウス」の実力は分かっている――「フロレント」の能力も。
触れればデータが凍結され、即座に通報される凍結型。
ほんのわずかにでもダメージを受ければそこから凍結は侵食する。
そして今の匠音には対抗策がない。
いや、「フロレント」の対抗策は「ルキウス」のスポーツハッカー現役時代から見つけ出されていなかった。
あの「キャメロット」の「ガウェイン」が持つ、当時最強と言われた「
「フロレント」を前にした魔術師が取るべき行動はたった一つだと言われている。
――逃げろ!
声が聞こえた気がした。
咄嗟に匠音が
目くらましの煙幕がフロア全体に充満し、いくつもの「シルバークルツ」を模したデコイが配置される。
「うわ、こいついっちょ前にデコイ展開しやがった! ――しかし!」
目の前でデコイを展開された「ルキウス」が「フロレント」を振るう。
剣から放たれた斬撃波が複数のデコイをまとめて凍結させ、粉々に砕く。
同時に煙幕も斬り裂き、「ルキウス」は周りを見た。
周りの反応はデコイのみ。本体の反応はどこにもない。
逃げたか、と「ルキウス」は呟いた。
相手が逃げたくなるのも無理はない、と彼は理解していた。
スポーツハッキングの大会でも「ルキウスには遭遇するな、喧嘩も売るな、姿を見れば即逃げろ」と囁かれた時期もあった。
それを理解しているのなら今回の侵入者の対応は正しい。
いかなる魔術師であっても、「フロレント」の凍結能力を攻略することは不可能。
いや、攻略できるとすれば――。
「ルキウス」にはたった一つだけ心当たりがあった。
実際に対峙したことはない。しかし、「アーサー」が振るう「
結局、「アーサー」とは一度も対戦することはなかった。
対戦カードが組まれる前に「アーサー」は事故で死んでしまった。
「ルキウス」がスポーツハッキング界に足を踏み入れたのは「アーサー」がデビューした少し後。
事故の報道にスポーツハッキング界は震撼したものだ。
「百年に一度の逸材を喪った」と。
「エクスカリバー」の
「アーサー」の死後、「エクスカリバー」が誰かに受け継がれたという話も聞かない。そもそも
今までも多くの固有ツール持ちの魔術師が引退したがツールを広く配布した、といったようなことはごく稀だ。
親から子へ、師から弟子へ、というケースはないではないが、そもそもそれほどに世代が開けば、
それでも、
だから「エクスカリバー」が「フロレント」を攻略し得るツールだったかどうかはもう分からない。
「ルキウス」と「アーサー」の対戦カードはもう組まれることはないのだから。
そんな考えを巡らせる余裕があったのは、侵入者は既にこの場を離脱していたから。
急ぎ、追跡しなければいけないがここまで来た侵入者なら向かう先は一つしかない。
イルミンスールの最奥、サーバ内の全てのデータを統括する基幹システム「
その成長の一環で分化した「Oberon」が義体制御OSとして現在稼働している。
多くの
「Oberon」を攻略すれば、最高の魔術師の名を欲しいままにできる、そう囁かれるイルミンスール。
攻略させるか、と「ルキウス」は「フロレント」を収め歩き出した。
しかし他のカウンターハッカーには連絡を入れない。
ここまで単騎で侵入した実力。侵入を敢えて察知されるような行動を取りつつもその行方を簡単に眩ます腕は確かなもの。ここまでの腕を持つ魔術師を他のカウンターハッカーが確保できるとも思えない。
俺の手で仕留める、「ルキウス」はそう呟いた。
しかし誰の手も借りずにいて取り逃した場合の責任は大きい。
逃げ道を塞ぐため、「ルキウス」は他のカウンターハッカーに連絡を入れた。
「第三層から第四層を封鎖。侵入者は単騎、実力は不明だが確かな奴だ。俺が当たる」
《了解、『ルキウス』。しかし二人ほど
「ルキウス」の言葉に対する返答は芳しくないもの。
亡霊級が二人? と「ルキウス」が唸る。
先程目の前から逃げた侵入者は腕は確かに思えたが自分を見て逃げたことを考えると「フロレント」の敵ではない。
しかし二人の亡霊級ももし基幹システムを目指しているとしたら流石の「ルキウス」でも荷が重い。
その存在を疑問視されるレベルで人知れず高度なハッキングを行い、消える亡霊級魔術師。
ネットワークの
その魔術師とも相見えあい、そんな思いもふと浮かび上がるが「ルキウス」は首を振ってその雑念を払い落とした。
今はそんなことを考えている場合ではない。
しかし、ふと「ルキウス」の胸に不安がよぎる。
何かとてつもなく悪いことが起こりそうな、自分の行く末を考えさせられるような何かが起こるような――不安。
魔術師は総じて勘がいい。直感的にハッキングができるこの時代、勘が悪ければすぐに喰われる。
だからこの不安もきっと的中する、そう、「ルキウス」は感じとっていた。
一体何があるのか。
侵入者を追跡すれば見ることができるのか。
逆に、今ここで引けば自分は平穏に終わる、という悪魔の囁きが聞こえてくる。
――厄介ごとに巻き込まれたくなければ、逃げろ。
「バカ……言うな……」
自分の内なる声に呟きで返す。
逃げるわけにはいかない。
それは自分がイルミンスール最強のカウンターハッカーだからではない。
イルミンスールを脅かす侵入者を野放しにするということが、単純に「ルキウス」の正義に反するから。
たとえ自分に不利な展開になったとしても必ず捕える。
そう自分に言い聞かせ、「ルキウス」はイルミンスールの最奥へ続く扉を見た。
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