世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第2章
分冊版インデックス
アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
そんなある登校日、幼馴染のメアリーと登校した匠音は教師から性的な嫌がらせをされた女子と遭遇、教師のオーグギアをハッキングすることで制裁を行う。
その数日後、買い出しに出た匠音は目の前で義体装着者が倒れるというアクシデントに遭遇する。
緊急車両が間に合うかどうかも分からない中、コード書き換えを試みようとする匠音。
その時、何処からともなく現れた
都市伝説と言われていたブラウニーの存在。その実在に、匠音は驚きを隠せないでいた。
買い物から帰った
ある日の放課後、メアリーに誘われて匠音は「ニヴルング」でウィンドウショッピングを楽しむ。
しかし、匠音はふと違和感を覚え、メアリーから離れて違和感を覚えた方向へと向かう。
様々なアバターが歩く「ニヴルング」の通りを狼頭のアバターが駆け抜ける。
――間に合うか?
比較的人通りの少ない場所に移動、匠音は誰にも見られないように横道に飛び込んだ。
「ニヴルング」内の通路は基本的に大通りのみで、横道は存在するものの侵入不可エリアとなっている。
それでも通路のデータは存在するため、
そこは魔術師たちが集う暗黒のエリア。「ニヴルング」の中であって「ニヴルング」の管理下にない場所。
大抵は「第二層」で行われるような様々な情報の共有やグレーゾーンな品物の取引が行われたりするだけで「ニヴルング」内に悪影響を及ぼすような事は行わない。
ネットワークの深層、一般人が踏み込めない領域は「
もし「ニヴルング」に悪影響を及ぼすなら外部から、それこそ「ニヴルング」有する
「ニヴルング」内部の行動は細かくログが取られており、それを常時欺瞞し続けながら攻撃するのは現実的ではないからだ。
それでも、ごくまれに存在するのだ。内部から「ニヴルング」を攻撃しようとする輩が。
そうと確定したわけではないが、匠音はその雰囲気を感じ取っていた。
オーグギアの使用は直感的な操作が物を言うため、ゲーマーやハッカーといったヘビーユーザーは高い判断力と直感を求められる。
ほんの少しでも違和感を覚えたのなら、それが白黒確定するまで信用してはいけない。
確定して初めて、何かあった/何もなかったと断言することができる。
その違和感を確定するため、匠音はメアリーとのショッピングを中断した。
せっかくのメアリーとのデート、中断するのは非常に惜しかったが違和感を無視した結果「ニヴルング」に何かしらのテロ行為が行われた際に被害を被るのは自分とメアリーである。
少なくとも、メアリーに害が及ぶのは嫌だった。
回りに誰も、他の魔術師もいないことを確認して匠音はログインIDを偽装した。
ダミーのアカウントに切り替えたことで彼の周りを一瞬ノイズが走り、それから姿が切り替わる。
全身黒でコーディネートし、要所要所にシルバーのアクセサリーを身に着けた黒髪で紅い瞳を持つ長身の青年。
見る人が見れば「ああ、厨二病こじらせてるのね」という外見ではあったが匠音はこのアバターを特別気に入っている。
ホワイトハッカー「シルバークルツ」としての一張羅、このアバターに着替えると自然と気合が入ってくる。
このIDの偽装アプリは「ニヴルング」の利用が当たり前となった現在の魔術師なら誰もが使うアプリで、自動的に接続元を欺瞞して元のIDが辿られないようにしてくれる。
それでも「ニヴルング」のログは
行きますか、と匠音は横道から横道へと移動した。
先ほど覚えた違和感はここから数本隣の横道にある。
匠音は見たのだ。とあるアバターが横道へ侵入したのを。
だが、ごく普通の取引程度なら少しでもハッキングをかじった人間なら誰でもできるし違和感を覚えるような危うさはないはず。
それなのに匠音は危ない、と感じたのだ。
今横道に侵入した魔術師は良からぬことを企んでいる、と。
横道を渡りながら匠音は違和感の根拠を考えた。
本当はただのグレーな取引だけではないのか。危ないと思った根拠は何なのか。
二本目の横道を抜けた時、匠音はその違和感の根拠に思い当たった。
――あれは踏み台だ。
「ニヴルング」で怪しげな取引を行う程度なら偽装IDでアバターを差し替えるだけで事足りるはず。取引程度で相手の
実際、匠音もハッキングツールを融通してもらったり少しディープな話題を仕入れるときはこの横道ネットワークを利用しているし、それで素性を暴かれるようなことはない。
だが、先ほど横道に入ったアバターは動きがおかしかった。
それはまるで操り人形のようで、腕の悪い魔術師が強引に適当なユーザーのアバターを乗っ取り、制御しているように見えた。
何も知らない一般ユーザーなら気付くことのないささやかな違和感。
それを、匠音は確かに感じ取っていた。
他人のアバターを踏み台にして横道に侵入するとは、穏やかな話ではない。
余程追跡されたくない何かをこの魔術師は抱えている。
恐らくは――「ニヴルング」のデータ破壊。
そう思った根拠はある。
取引だけならIDを変えればいい。先に説明した通り、密かに取引するだけなら、それを見咎められる危険は少なく、偽装IDから本来のIDが破れる可能性も低い。
だが、「ニヴルング」へ攻撃するとなると話は違う。IDを変えただけでは「ニヴルング」に何か起こした際、すぐに運営が知るところとなり
しかし他人の
もちろん、
つまり、「ニヴルング」を攻撃したければ他人のIDを乗っ取って攻撃、穴を開けその穴に
これくらい考えなければ、「ニヴルング」で他人のIDを乗っ取るようなメリットがない、そう匠音は考えていた。
――急がないと、色々と危ない。
最後の横道を抜け、先ほど違和感を覚えた横道に突入する。
匠音の視界の先で、一人の男がウィンドウを開き何かを操作している。
男がウィンドウをスワイプすると、何かが「ニヴルング」内に実体化して地面に落ちる。
やばい、と匠音は地面を蹴った。
男に向かってダッシュしながら匠音は
「『ニヴルング』を、荒してんじゃねえー!!!!」
そう叫びながら、アプリを起動。
まさか目撃者がいると思っていなかった男は慌てたように振り返り、対抗しようとするがそれよりも匠音が起動したアプリの方が早い。
匠音から放たれた電撃が男に直撃、アバターが電撃を模した停止コードに動きを止める。
「なん、だ、貴様は……!」
動きを止めた男が声を上げる。
それには構わず匠音はさらに
「うるさい、あんたは通報する!」
「ニヴルング」で暴力沙汰はご法度である。
先ほどのパラライザーも何も考えずに使えばすぐに運営に察知されてしまう。
幸い、今いる場所が侵入権限を偽装した横道であること――そしてこれがこの何か悪意ある行動をしようとしていたさらなる証拠になる――とツール起動の際に
しかし、あまり長時間アバターを拘束していればいずれは偽装がバレるため早急な通報が必要となる。
ただし、普通に通報すればアバターの持ち主のIDが停止させられてしまうため乗っ取った魔術師を野放しにしてしまう。
そのため、匠音はさらにウェポンパレットを操作して
男に向けて撃ち込み、そこから魔術師の乗っ取り経路を特定する。
匠音によって特定された
「クソッ、不意打ちからの特定とは、卑怯な!」
魔術師がそう毒づくが、魔術師同士の戦いとは基本的に騙し討ちである。
「卑怯も何も、あんたがヤバいことやろうとしてるからだろ!」
匠音も負けじと怒鳴り、ワームの侵入速度を上げる。
そもそも、後方に注意を払わず背を向けて何かをしていた相手が悪い。
それを理解して魔術師は踏み台のアバターから離脱しようとするが鎖の拘束は強固で簡単には破れない。
腕の立つ魔術師ならこれくらいすぐに解除するしそもそもパラライザーを受けたとしても鎖までは受け取らない。
そう考えるとこの魔術師は二流にも届かない三流。
魔術師側もワームの侵入に抵抗するが、匠音に先手を打たれたため分が悪い。
ワームは既に相手のオーグギアに侵入を始めており、除去しなければ本来のIDが通報されるだろう。
「くそ、こんな若造に……! そうか、貴様が! あのホワイトハッカー気取りの『シルバークルツ』……!」
ワームの侵入に抵抗しながらも魔術師は匠音の
――お、こいつ俺のこと知ってんの。
俺も有名になってきたなあ、などと感慨に耽りながらも匠音はワームの侵入度合いを確認、通報の準備に入る。
だが、匠音の視界の隅で何かが動いた。
「――っ?!?!」
一瞬だが、見えた。
拘束されているにも関わらず相手の指が動いた、その瞬間を。
地面に落ちていた「何か」が点滅する。
それは、まるで導火線に火のついた爆弾のように、カウントダウンするかのように。
まずい、と匠音は思った。
起動準備が終わっていたかどうか確認せずに魔術師を通報しようとだけしていたことに腹が立つ。
ここで、この爆弾らしきものが起動すれば、恐らく。
起動した「何か」が何であるかを調べる余裕はない。
今すぐ離脱しなければこれは起爆するだろうし、この局面で魔術師が起爆を選択したということは範囲的に「ニヴルング」に影響を及ぼす物である可能性が高い。
当然、魔術師も巻き込まれるだろうがそこは死なば諸共、いや、踏み台を切り捨てれば被害はこの踏み台だけで済むということか。
「卑怯だぞ! 今すぐ止めろ!」
「止めろと言われてはい分かりましたと止めるバカがどこにいる! せめて貴様のアバターくらいは吹き飛ばしてやる!」
アバターのダメージは「ニヴルング」のホームエリアに
とはいえ、相手の言葉が正しければ今起動されたものは「ニヴルング」の構築データを破損させるもの。恐らく自身のアバターデータも無事では済まない。
いや、自分の被害は大したことないが、
魔術師が嗤う。匠音がワームの侵入速度をさらに上げる。
ワームが魔術師のオーグギア最奥部に到達、本来のIDが匠音に転送される。
点滅スピードが上がっている爆弾らしきものを横目で睨みながら、匠音は通報フォームを開いた。
必要情報を入力、送信。
補足として踏み台にされた人物のIDも添付したため、一度は停止処理が行われたとしてもすぐに解除されるだろう。
だが、このフォーム入力で匠音が離脱する時間はもう残されていなかった。
どうせダメージを受けてもホームエリアに転送されるだけで済むし、と思っての行動だったが、よくよく考えれば今の彼は偽造IDかつ、ホームエリアを設定していないアバター。
ダメージを受けた場合、どうなるのだろうと、ふと思うがもう遅い。
爆弾らしきものが一際赤く輝く。
と、その瞬間、匠音の視界が闇に包まれた。
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