世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第2章
分冊版インデックス
アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
そんなある登校日、幼馴染のメアリーと登校した匠音は教師から性的な嫌がらせをされた女子と遭遇、教師のオーグギアをハッキングすることで制裁を行う。
その数日後、買い出しに出た匠音は目の前で義体装着者が倒れるというアクシデントに遭遇する。
緊急車両が間に合うかどうかも分からない中、コード書き換えを試みようとする匠音。
その時、何処からともなく現れた
都市伝説と言われていたブラウニーの存在。その実在に、匠音は驚きを隠せないでいた。
買い物から帰った
ある日の放課後、メアリーに誘われて匠音は「ニヴルング」でウィンドウショッピングを楽しむ。
しかし、匠音はふと違和感を覚え、メアリーから離れて違和感を覚えた方向へと向かう。
通常は進入禁止のエリアで一人の男が「ニヴルング」を攻撃しようとしていた。
その男を奇襲で通報した匠音だったが、男が取り出したデータが起爆してしまう。
ぶわり、とまるで遮光カーテンを頭から被せられたような感覚を覚え、その次の瞬間、彼は数本離れた横道に転送されていた。
「……え?」
何が起こったのか理解できず、周りを見る匠音。
その視界に、「ニヴルング」の一部でデータ破損が起きたため近隣のエリアにいるユーザーはログアウトするように、というアナウンスが表示される。
どうやら彼の予想通り、あの爆弾らしきものは本当にデータを破壊する爆弾だったらしい。
【!WARNING! LOGOUT IMMEDIATELY】
視界に赤く大きく表示される警告の向こうに、一つの影が見える。
漆黒のローブに身を包み、フードを目深に被った、いかにも「ファンタジー世界の魔法使い」のような人物。
フードから覗かせる顔は禍々しい仮面に覆われており、素顔は分からない。
いずれにせよ、ここに立っているのはアバターであり生身ではないのでこのアバターの持ち主がどのような人間なのかは全く想像ができない。
「……ホームエリアを設定していない偽装アバターがダメージを受ければ、
先に言葉を発したのは魔法使いの方だった。
声のトーンと口調から、アバターの持ち主は女性なのか、と匠音は一瞬思った。
尤も声のトーンなんてものはアプリ側でいくらでも変えられるし、口調もただ女性っぽい口調に寄せているだけで実際は男性ということも十分にあり得るが。
「厨二病まっしぐらなアバター、正義感だけで空回るバーサーカー、貴方が最近『ニヴルング』を守ろうとしている『自称』ホワイトハッカー様のシルバークルツ」
「あんた、俺のこと――」
掠れた声で匠音が呟く。
流石にバーサーカーは言い過ぎだろうと思ったが魔法使いの言葉は概ね合っている。
魔法使いは小さく頷いた。
「『第二層』でもかなり噂になっているから。大した実力もなく、違反者に突っかかっては強引にIDを抜いて通報している偽善者って」
「偽善者……」
それは言い過ぎだろう、と匠音が反論しようとする。
しかし、魔法使いは彼の言葉を遮った。
「自分より実力がない、ハッキングをかじった程度の一般人を通報してそんなに楽しい? 貴方のやっていることはただの弱い者いじめよ」
「な――」
確かに、匠音が今まで相手にした魔術師は簡単にIDを抜き取り、通報することができた。
自分の実力が他人より秀でているという過剰な自信はなかったが、それでも「ハッキングで『ニヴルング』を護ることができている、と匠音は思っていた。
だが、実際はどうだろうか。
「そんなわけあるかよ! 俺は、他の奴らに迷惑かけてる奴を、」
「でも、知らないでしょ。『本物の』ハッキングを」
反論しようとする匠音に魔法使いが畳みかけるように言う。
「確かに、さっきの
別に貴方なんて放っておいてもよかったのだけど、「いいこと」をして悦に入っているところでアバター
それに対して匠音はかなりヒートアップしていた。
――俺が手を出さずとも運営がなんとかした? ロストがかわいそうだったから助けた?
ふざけんな、と匠音が怒鳴る。
「だったらなんで運営は動かなかったんだよ! 運営が動かなかったから、俺は」
「そもそもここは運営の監視の目が及ばない場所よ。不審なIDの動きがなければ運営も動けない」
「だったら――」
だったら、運営が動く前に通報するのは正しいじゃないか、と匠音が反論する。
それに対して魔女は「バカね」と呟いた。
「自分のIDがバレるリスクを冒す必要がないのよ。『ニヴルング』のデータは密度が高い、あれが起爆したところで被害を受けるのは近くにいたアバターとスキンデータだけよ。そこからあいつが侵入したところであの程度の腕ならすぐに
それとも、自分のアバターを犠牲にしてまであの人を助けたかった? と魔法使いは挑発的に言う。
それは、と匠音が言葉に詰まる。
そこまでしてあの被害者を助けたかったかというと、どうしても揺らぐ。
せっかく小遣いを貯めて課金したお気に入りのアバターのロストは辛い。
「その程度の覚悟だったのか」と問われればそれまでだったが、ホームエリアを設定していないアバターがダメージを受けた結果がロストと知ってなお、先ほどの行動はできたという自信がなかった。
「貴方は本物のハッキングを知らない。一般人ができないことをちょっとできるからと言って調子に乗らないで」
「何を! 俺だってやるときはやる!」
「じゃあ――わたしに勝ってみなさい」
その瞬間、二人の周りの風景が変わった。
いや、横道にいるのは変わりない。
だが、テクスチャが凍り付いたかのようにすべて停止し、色褪せ、冷たい空気がその場を支配する。少なくとも、アバターからフィードバックされる感覚はそうだった。
くそ、と匠音がウェポンパレットを開き、
しかし、
「遅い」
魔法使いの動きは、いや、ツールの展開はさらに早かった。
匠音の手から放たれようとしていた電撃が霧散し、不発に終わる。
「な――」
目の前に【
魔法使いは指先一つ動かしていなかった。
それでも、魔法使いの前にはウェポンパレットが展開しており、何かしらの妨害行動を取ったことが窺い知れる。
「
魔法使いが
それでも現に魔法使いはウェポンパレットを、そして無効化のツールを先に起動している。
「なんで、なんで発動前に無効化できるんだよ!」
動揺を隠せずに匠音が叫ぶ。
匠音は相手から反撃らしい反撃を受けたことがなかった。
それは先手を打ってアバターを無力化していたからではあったが、そもそも本当に腕のいい魔術師はその先手ですら予見して回避することができるということを知らなかった。
匠音は知らないのだ。
本当に実力のある魔術師との戦いを。
独学で基本的なハッキング技能は身に着けたとはいえ、「第二層」を一人で自在に渡り歩くこともできない彼が「本物の」戦いを知るはずがない。
目の前の魔法使いが流れるような動きでウェポンパレットを操り、ツールを選択する。
咄嗟に匠音も
「く――っ、」
拘束された匠音が鎖をほどこうともがくが締め付けはきつくなるばかりで緩む気配はない。
その匠音の目の前に魔法使いが立つ。
「ほんっと、呆れる。その程度の腕でホワイトハッカー名乗ってるって」
こっちまで恥ずかしくなる、と魔法使いが吐き捨てる。
「これくらい、喰らう前に無効化しなさいよ。せめて喰らうと分かってるなら対策するとか」
拘束の無効化は魔術師としては基本中の基本よ、と魔法使いが続ける。
「今までは相手が良すぎたのね。真っ当な魔術師相手でも今の貴方なら即返り討ちよ」
「そん、な……」
これが、「本物の」魔術師の戦いなのかと匠音が呟く。
本当に、今まで出会ってきた違反者は一般人や、一般人に毛が生えた程度の魔術師だったのか、と愕然とする。
今、目の前の魔法使いの攻撃――いや、魔法使いにとっては攻撃ですらなかったのかもしれない――を受け、匠音はようやく理解した。
自分がいかに井の中の蛙であったのかと。
「ニヴルング」には、いや、世界には自分が思っていたよりはるかに強い魔術師がいるということを。
実際、匠音は認知できていなかったのだ。
腕のいい魔術師の取引自体を。
ちゃんとした魔術師なら、匠音程度の
彼が今まで見てきたのは、アマチュアの
魔法使いが指を振り、拘束ツールによる拘束を解除する。
匠音に絡みついていた鎖が光の粒子と共に消失し、直前までもがいていた彼はバランスを崩して地面に膝をつく。
同時に、凍り付いていた景色に色が戻る。
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