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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第1章

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  序

 ――その日、俺は「騎士」を見た。

 

 いつものことだが、俺はその日も喧嘩をした。
 なんてことはない、いつもの日常。
 俺の遊び場、世界中から人が集まり思い思いに過ごす巨大仮想空間メタバースSNS「ニヴルング」で、俺は大人に突っかかった。
 そいつは雑に作ったゴミデータをゴミ箱に入れる事なく放置した。
 俺は自分の遊び場をエラー落ちされ汚されたくなくてそいつにゴミを叩き返した。
 この空間は管理されてるとは言え、どんなデータがどんなエラーを起こすか分からない。
 でも、子供心に「不要なデータはきちんとゴミ箱で削除しなきゃいけない」と思っていた。
 それと、俺は正義のヒーローに憧れてたんだ。
 周りにはヤンチャな悪ガキと言われてたけど、俺は正しいと思ったことをずっとやってた。
 ただ、それが行きすぎて悪ガキだと言われてたと気づいたのはもっと後のことだがな。
 正義のヒーローは悪を許さない、だから俺は無鉄砲にもゴミを捨てた大人に突っかかった。
 いつもなら、それで終わったはずだ。
 「ニヴルング」で暴力沙汰を起こせば即運営にBANされる。だから、いくらマナーの悪い奴でも他のユーザーに危害を加えることができず、そのままログアウトするか良心のある奴はちゃんとゴミを処理してくれる。
 それなのに、今回の「悪い大人」はそのどちらでもなかった。
 いきなりナイフを抜いて俺のニヴルングでの肉体アバターに突き刺した。
 視界にノイズが走ると同時にあの時感じた痛みは忘れない。
 刺されたのはアバターだし、そもそもニヴルングはフルダイブ型のメタバースSNSだが痛覚はオフに設定されている。
 それなのに、俺は確かに激痛を感じた。
 声を出したくても出せなくて、身動きもできなくて、それで俺は気づいたんだ。
 「こいつは、魔術師ハッカーだ」って。
 ARウェアラブルデバイスオーグギアは気軽にハッキングができる。ゲーム感覚でできるし実際、eスポーツの一種としてスポーツハッキングがある。何年か前に母さんと観戦して「俺もやってみたい」と駄々を捏ねて困らせたこともある。
 でも母さんは何故か俺がハッキングに興味を持つことに反対して、それ以来は試合を見せてくれなかったっけ。
 とにかく、ハッキングが気軽にできる今、悪意さえあれば簡単に社会に迷惑をかけることができる。
 目の前の奴も、そんなハッカーだった。
 初めて見た悪意あるハッカーに、俺は何もできなかった。
 ナイフで刺されたところから「何か」が侵入してくるのが分かる。
 あの時は何か分からなかったが、今思えばあれは自律行動ウイルスワームの一種だったのだろう。それは俺のアバターを侵食して、さらにオーグギアまで侵入しようとしてきた。
 侵入検知のアラートが表示されるが、生身現実の自分が何をやっても反応すらしない。
 このままじゃオーグギア内の個人情報を抜かれるのはなんとなく分かった。
 個人情報を抜かれた結果のことまでは分からなかったが、あの時はただなんとなく友達ダチや母さんが現実世界で襲撃リアルアタックに巻き込まれるんじゃないかって思った。
 俺のせいで周りに迷惑かける、って確かに思ったが、あの時の俺はもうどうすることもできなかった。
 でも、その時俺は見たんだ。
 白銀の光が煌めいて飛んできたのを。
 直後、俺はハッカーの叫び声と共に硬直が解けて侵食から解放されて尻餅をついた。
 見上げると、ハッカーの右の肘から先が無くなって、凍結を始めていた。
 ハッカーが叫びながらこっちを見る、が、見てるのは俺じゃなかった。
 そっちに視線を投げると、まず、冷気を纏った白銀の剣先が見えて、それから豪奢な装飾の鎧を身に纏った騎士が見えた。
 ハッカーがなおも叫びながら残った左腕を突き出して棘のような何かを射出したが、騎士はあっさりとそれを切り払う。
 棘が凍結して、「ニヴルング」の床に落ちて、砕けたのを見て俺はこの騎士もハッカーなんだ、と思った。
 ハッカーが、別のハッカーに襲われた俺を助けてくれた。
 ハッカーなんて自分を邪魔する他人以外には興味ないと思っていた。
 それなのに、この騎士は俺を助けてくれた。
 騎士がもう一度剣を振り、俺を刺したハッカーの首を落とす。
 ハッカーのアバターが完全に凍結して、砕けて、そして、多分通報される。
 その時の俺は尻餅をついたままただ黙って見ているしかできなかった。
 この騎士が振るった剣が凍てつく皇帝の剣フロレントという名前だと知ったのはしばらく後のことだ。
 斬るだけでなく、斬撃波を飛ばすことで相手を凍結させる、最強の独自ツールユニークの一つで名高い独自ツール騎士殺し
 優秀なハッカー――界隈では魔術師マジシャンと呼ばれている――は自分で自分だけのハッキングツールを編み出すという。
 それが独自ツールで、その魔術師のアバターに次ぐシンボルであり誇りだ。
 そんな、最強の剣を持った騎士が俺に声をかけてきた。
「大丈夫か? ったく、子供ガキが考えなしに大人に突っかかるもんじゃねえよ。どんな悪意で反撃してくるか分かんねえからな」
 その声で思い出した。
 あの、母さんと初めて見たスポーツハッキングの大会決勝戦で優勝したスポーツハッカー、「ルキウス」。表彰時のインタビューで聞いた声を思い出して、俺はこの騎士があのルキウスなんだと気が付いた。
 ルキウスの独自ツールがどんなものかあの時、いやこの時も分からなかったが、この事件の後母さんの目を盗んでニュースや雑誌のバックナンバーを見て俺はルキウスがあの大会後すぐにヘッドハントされてスポーツハッキング界を引退、現在はこの「ニヴルング」有する世界樹メガサーバの一本、「イルミンスール」の最強の監視官カウンターハッカーとして働いていることを知った。
 とにかく、俺は傍らに立つ白銀の剣を持った騎士ルキウスを見上げて決めたんだ。
 ――俺もハッカーになる。
 凛々しく、堂々とした姿でハッカーを打ち倒すハッカーに。
 ルキウスこの人のような、正しくまっすぐな、最強のハッカーに、と。

 

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