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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第1章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 その昔、遊び場でもあったメタバースSNS「ニヴルング」で「俺」はハッキングの被害に遭った。
 それを助けてくれたのはメガサーバ世界樹「イルミンスール」のカウンターハッカー、「ルキウス」だった。
 「ルキウス」の活躍を見て、「俺」は正義の魔術師ホワイトハッカーになろうと誓った。

 

 永瀬ながせ 匠音しおんはスクールバスの中でホワイトハッカー「シルバークルツ」の噂を耳にする。
 「シルバークルツ」として活動する匠音は他にも義体の不具合時に現れるという小人の妖精ブラウニーの都市伝説も耳にする。

 

 登校した匠音と幼馴染のメアリー。
 しかし、廊下で泣いているメアリーの友人、ミカを見つけ、何やら不穏な空気を感じる。

 

 
 

 

 登校日ならではの全校集会の後、それぞれが自分のカリキュラムに合わせて選択した授業の教室に移動する。
 午前中はメアリーと同じ社会科学の授業でそれぞれが調べてきた事に対してディスカッションを行い、それから小テストを受ける。
 ディスカッションだけなら「ニヴルング」内の専用教室クラスで行うことができたが、週に一回の小テストだけはカンニング防止のために必ず登校して筆記することになっている。
 匠音としては小テストもオンラインにしてくれればハッキングして問題くすねることができるんだけどなあ、と思うところであったがそれは学校側もとうの昔に経験したことで対策は完全であった。
 いくつかの議題に関してのディスカッションの後の小テスト、それが終われば昼休みランチタイムとなる。
 流石に学食カフェテリアのメニューは栄養バランスが偏る、と匠音もメアリーも家からサンドイッチを持たされていた。
 校庭のベンチにメアリーと並んで腰かけ、匠音が母親お手製のサンドイッチを貪っていると。
「……ミカ、大丈夫かな」
 ふと、メアリーがぽつりと呟いた。
 その言葉に、匠音の脳裏に朝泣いていたミカの姿がよぎっていく。
「何があったんだ? まぁ、ちょっとは聞こえてたから推測になるけどジョンソンがミカに何かしたのか?」
 そう、匠音が聞いてしまったのは単純に興味本位であったから、とも言える。
 勿論、会話を聞いてのジョンソンに対する怒りもあったがそれ以上に何があったのかが気になる。
 一体ミカとジョンソンの間に何があったのか。
 メアリーが小さくため息を吐き、「そうね」と呟いた。
「あんたも一応あの場にいたもの、完全に部外者じゃないよね。だから伝えるけど、誰にも教えちゃダメよ。ミカのことだもの」
「あ、ああ」
 匠音が頷いた。
 何があったのかは何となく分かっている。何を言われても驚かない覚悟はしている。
 それでも、
「ミカ、ジョンソン先生にいたずらされたみたい」
「いたずらって? 部屋に入った瞬間クラッカー鳴らされたとか?」
 メアリーの言う「いたずら」の意味が分からず、匠音は思わずそう訊ねてしまう。
 「バカなのあんた」と、メアリーが即答した。
「あんた男だから分かんないかなあ……普通、大人の男が女の子にいたずらする、って言うのはね……その……あれ、ちょっと、いや、かなりいやらしいことよ」
「えっ」
 メアリーの口調から内容は理解した。だが、思考がついていかない。
 ジョンソンが、ミカにいたずらをした。
 その「いたずら」とは、つまり――性的ないやがらせ……?
「はぁ!?!? 変態のすることじゃねーか!」
「匠音、声が大きい!」
 思わず立ち上がって声を荒らげた匠音をメアリーがなだめる。
「あ、ご、ごめん」
 慌ててベンチに座り直し、匠音が声のトーンを落とす。
「マジかよ、ジョンソンの奴、そんなこと……」
「前々から噂はあったのよ。女子更衣室に盗撮用のカメラが仕掛けられていたとか何人かの生徒がジョンソン先生に声を掛けられてたとか。でも証拠が全然なくて、野放し状態なの」
 それはひどい、と匠音は思った。
 ミカはメアリーにとって親友同然の友人だが、匠音にとっても仲のいい女子だった。
 ひどい目に遭ったというのなら、なんとかして手助けをしてあげたい。
 どうする、と匠音は呟いた。
 ――俺には、力があるだろ。
 ハッキングという力が。
 今までに被害に遭った女子がいて、話が公になっていないというのなら恐らくは固く口止めしているのだろう――何か、脅しているとか。
 この場合、脅しに利用するのは何だろうか。成績? 学校での立場?
 いや、違う。そう匠音は理解した。
 もっといいものがあるじゃないか。被害者自身という恫喝の材料が。
 恐らく、ジョンソンは自分の行為を、その被害者の映像か何かを残している。
 以前聞いたことがある。
 女性が被害者となった性犯罪が表に出ない原因の多くが、加害者が被害者の映像を残し、口外すればそれをネットワークに拡散すると脅しているからだ、と。
 だからメアリーは匠音に「誰にも教えるな」と言った。
 下手に匠音が口を割れば、ミカの恥ずかしい映像は瞬く間に拡散する。
 人間の無意識の悪意とは恐ろしいもので、一度拡散したデータは興味本位でコピーされ、そこからネズミが繁殖するがごとく拡散していく。
 そのため、一度ネットワークに上がったデータは基本的にすべて回収することはできない、と言われている。
 これが大昔の、紙に別の紙の情報を転写するコピーであればコピーを繰り返すうちにコピー先のデータがノイズに汚染され、最終的にマスタデータと数世代分のコピーデータを処分してしまえば拡散しても無害なものになっていただろう。
 しかしデジタルデータはそうはいかない。
 コピーのミスでデータにノイズが入ることもあるがそれは稀で、基本的にはマスタデータとほぼ変わりないデータが延々とコピーされ続ける。
 そうなると全てのデータを同時に削除しない限り拡散は続く。
 いくら凄腕のハッカーが頑張っても全ての同時削除は不可能だろう。一つでもデータが残ればそこから瞬く間に再度拡散してしまう。
 だから、もしジョンソンにアクションを起こすなら決して知られてはいけない。
 誰から情報を得たということすら知られてはいけない。
 やるか、と匠音は考えた。
 同時に、「俺にできるのか」という迷いが浮かぶ。
 確かに「ニヴルング」内で他人のアバターオーグギアに干渉してトラブルを解決したという実績は既にある。ジョンソンも侵入できない相手ではないだろう。
 だが、下手に察知されればミカや他の被害者のプライバシーが危ない。
 これは警察に任せた方がいいんじゃないか、そう、心が揺らぐ。
「……もし、ジョンソン先生の噂が本当ならハッキングすれば先生の悪事を暴けるのかな」
 不意に、メアリーが呟く。
「お、おいメアリー」
 まさかお前、と匠音が声をかけるが、その声がかすれていたことに気づき彼が顔をしかめる。
「ジョンソンのストレージをハッキングする気か? やめとけ、バレたらミカもお前もやばい」
「やらないわよ、っていうかできないわよ。あたし、スポーツハッキングの観戦大好きだしいつかはプロスポーツハッカープロプレイヤーになりたいとは思ってるけどお父さんダディお母さんマミーもハイスクール卒業までスポーツハッキングしちゃだめって言うのよ? あのガウェインですらハイスクール時代にはもう『キャメロット』に参加して大暴れしてたって言うのに!」
 憮然とした様子で言うメアリーに、匠音は「じゃあどうするんだよ」と訊ねた。
 それは、と言葉に詰まるメアリー。
「……あのトリスタン様が実は正義の魔術師ホワイトハッカーで、どこかでジョンソン先生の噂聞いてハッキングしてくれたらいいのに」
「無茶言うなよ……」
 一人の魔術師ハッカーとして「第二層ディープウェブ」の表層を少しだけ歩いた匠音は知っている。
 魔術師は大きく三つに分けることができる。
 悪意を持った悪の魔術師クラッカー、善意を持った正義の魔術師ホワイトハッカー、そして純粋にスポーツハッキングだけを楽しむ競技魔術師スポーツマン
 スポーツハッカーは仮想空間に構築された疑似サーバを攻撃することを許されているが、現実の、企業などのサーバを攻撃したことが発覚するとスポーツハッカーとしての資格を剥奪される。
 それでも、多くのスポーツハッカーが悪意、または善意をもって現実のサーバを、人によっては「世界樹」までをも攻撃する。
 現在、頭文字からGLFNグリフィンと称される世界最大規模の巨大複合企業メガコープがそれぞれ所有しており、アメリカに四本存在する世界樹は世界最高峰のセキュリティ強度を持ち、腕に自信のある魔術師たちの最終的な目標となっている。
 もちろん、世界樹以上のセキュリティ強度を誇るサーバも存在するが世界樹が特に好まれてハッキングを行うには理由がある。
 それは、各世界樹の運営に認められれば世界樹のセキュリティ要員として登用されるから。
 世界樹をハッキングし、認められたうえで逮捕されれば運営が司法取引を持ち掛け、入社するよう取引してくる。企業は表立って認めていないが、公然の秘密だ。
 それに応じれば大手を振ってゲームではない、リアルでハッキングによる「戦い」を繰り広げることができる。
 だから、匠音も理解していた。
 スポーツハッカーもまた、ただゲームを楽しむだけの人間ではないと。
 しかし、メアリーの言葉はあまりにも楽観的過ぎる。
 トリスタンがホワイトハッカーである可能性はあるだろう。だが、基本的にホワイトハッカーというものは「第二層」で助けを求める声を聴いて行動する。
 勿論、偶然出くわした悪事には対応するかもしれない。匠音シルバークルツのような野良ホワイトハッカーもいないわけではないだろうから。
 それでもトリスタンほどの実力者が、この学校の一つの悪事を見つけ出すとは到底思えない。
 それなら、まぁ自分で行動を起こした方が解決する可能性は高い。
「……シルバークルツなら、動いてくれるかもよ?」
 思わず、匠音はそう口走っていた。
 シルバークルツが? とメアリーが目を見開く。
「何でそう思うのよ」
「いや、何となく。だって割と身近なトラブル解決してるしさ」
 まあ、確かにとメアリーが頷く。
「でも、シルバークルツにはあまり期待してないわよ。やっぱりトリスタン様がなんとかしてくれないかな」
 流石に、メアリーのその言葉には匠音もムッとした。
 だが、自分がシルバークルツだと知られるわけにはいかず、こうなったら俺一人でこっそり解決してやる、と意気込む。
「まあ、最終的に解決すりゃいいんだろ。今の俺たちにはどうすることもできねえし」
「それはそうね。トリスタン様……」
 結局トリスタン頼みかよ、と匠音が思った時、昼休み終了のベルが響き渡った。
「やっば、次の授業お前体育だろ? 急げよ」
 残りのサンドイッチを口に押し込み、匠音は慌てて立ち上がった。

 

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