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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第1章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 その昔、遊び場でもあったメタバースSNS「ニヴルング」で「俺」はハッキングの被害に遭った。
 それを助けてくれたのはメガサーバ世界樹「イルミンスール」のカウンターハッカー、「ルキウス」だった。
 「ルキウス」の活躍を見て、「俺」は正義の魔術師ホワイトハッカーになろうと誓った。

 

 永瀬ながせ 匠音しおんはスクールバスの中でホワイトハッカー「シルバークルツ」の噂を耳にする。
 「シルバークルツ」として活動する匠音は他にも義体の不具合時に現れるという小人の妖精ブラウニーの都市伝説も耳にする。

 

 登校した匠音と幼馴染のメアリー。
 しかし、廊下で泣いているメアリーの友人、ミカを見つけ、何やら不穏な空気を感じる。

 

 昼休み、匠音はメアリーからミカが教師によって性的被害に遭ったらしいと聞かされる。
 「トリスタン様がハッキングで助けてくれたらいいのに」と考えるメアリーに、匠音は「シルバークルツなら動くかもしれない」と提案する。

 

 
 

 

 スクールバスの時間の都合で、ハイスクールの授業は午後も早いうちに全て終了する。
 体育が終わったメアリーと合流し、帰りのバスに乗っていると隣に座る彼女の汗のにおいがふと匠音の鼻孔をくすぐる。
 一瞬、ドキリとして彼女を見た匠音だったが、隣の彼女の顔は険しい。
「どうしたんだメアリー、機嫌悪そうだな」
 そう、声をかけるとメアリーは鼻息荒く匠音を睨みつけ、それからすぐに真顔に戻った。
「ごめん、ちょっとね」
「何かあったのか?」
 まあね、とメアリーが頷いた。
「ほら、ジョンソン先生って体育の担当じゃない。ミカのことがあったからついイラっとしちゃってね……なんかあの話を聞いたら先生のこっちを見る目がいやらしいものに見えて」
 その気持ちは分からないでもない。
 だが、何故かぞっとする。
 もしかして、ジョンソンは次にメアリーを狙っているのではないのか、と。
「やばいってメアリー、やっぱり他の大人に言った方が」
 匠音のその言葉に、メアリーは首を横に振る。
「ダメよ、ミカが余計にひどい目に遭っちゃう」
「じゃあどうすれば」
 このままジョンソンを野放しにしておいてはいいことがない、と、確かに匠音は感じ取っていた。
 次に狙われるのはメアリーかもしれない、ということはただの思い過ごしかもしれない。しかしジョンソンが今までにも他の女子に手を出していたかもしれないと考えるとメアリーを含めて誰かが被害に遭う。
 時間はないかもしれない。
 覚悟を決めろ、と匠音は自分を叱咤した。
 バスは朝、匠音たちが乗った場所に到着、近隣の生徒たちがバスから降りていく。
「匠音はこの後どうするの? 『ニヴルング』に来る?」
 家が同じアパートメントの隣同士のため、匠音と一緒にエレベーターに乗り込んだメアリーがそう誘ってくる。
 ちょうど新しい試合のアーカイブが見られるようになったはずよ、と彼女が聞くが、匠音はちょうどジョンソンへの制裁方法を考えて上の空になっていた。
「ちょっと匠音?」
 上昇するエレベーターの中でメアリーが訊ねる。
 びくり、と身を震わせ、匠音は彼女を見た。
「何考えてたのよ」
 凄むメアリーの顔が目の前に迫る。
「え、いや、あの、メアリーのこと考えてた」
 しどろもどろになって匠音が思わずそう口走る。
 一瞬、気まずい空気がエレベーター内を満たす。
 そのタイミングでエレベーターは目的の階に到着し、メアリーは、
「匠音のばかー!」
 そう叫んでエレベーターを飛び出した。
 廊下を走り、自分の家の前に立ち、
「匠音のばかー!」
 もう一度叫び、家の中に入っていった。
「……」
 エレベーターに一人取り残された匠音が首をかしげながら廊下に出る。
 自分の家の前で一回振り返ってメアリーの家のドアを眺め、それから、
「……女子ってよく分からん」
 そう呟きながら玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
 そう言いながらリビングに入り、棚の上に置かれた写真を見る。
「ただいま、父さん」
 写真に写った男性にそう声をかけると、
《あ、匠音帰ったの?》
 匠音のオーグギアに着信が入り、母親がそう声をかけてくる。
「うん、母さんはまだ仕事?」
 今のご時世、一部の職種以外はほとんど在宅で勤務することができるようになっている。
 匠音の母親もその一人で、部屋から出ずに通信で声をかけてきたということは仕事が忙しいのだろう。
《ごめんね匠音、今手が離せないの。ちゃんと宿題と予習するのよ?》
「分かってるよ、母さんも仕事頑張って」
 じゃあ、切るからと匠音が通信を切り、改めて棚の上の写真を見る。
 棚の上に数枚並ぶ写真。
 その中の、タキシード姿の自分によく似た男性とウェディングドレス姿の母親の写真を手に取る。
 裏返すとフレームの裏側に「二一二〇年八月匠海たくみ和美かずみ」とメモ書きがされている。
「……父さん、」
 写真を再び裏返して男性父親を見た匠音が低く呟く。
 匠音の家は母子家庭だった。
 匠音の父親、匠海は彼が生まれる前に事故で亡くなったと、母親和美から聞かされている。
 事故の詳細は当然、聞かされておらず、匠音もまた現時点で知りたいとは思っていなかった。
 それでも、生きていたらどんな会話をしたのだろう、とかどんなことをしていたのだろう、といったことは考える。
 それはある種の寂しさでもあったが、それでも匠音は不幸だとは思っていない。
 もちろん、父親がいないことを同級生にからかわれることもある。
 それには当然腹を立てるがだからといってそこで何かしたところで父親が生き返るわけでもなく、仕方のないことだと、受け入れていた。
 しかし、母親は。
 匠音は知っている。
 時折、夜中に母親が声を押し殺して泣いていることを。
 それだけ大切な人だったんだ、と思いつつも匠音は何もできずにいた。
 戸籍上では祖父だが血縁上は曽祖父の白狼しろうがサポートはしてくれるが、それで母親の心に開いた穴は埋められない、ということだろう。
 ――どんな人だったんだろう。
 写真でしか姿を知らない、声も性格も知らない父親。
 自分にはたった一文字、名前にその痕跡を残した父親匠海
 ふと、そう考えてから、匠音は首を振った。
 写真を棚に戻し、リュックを肩にかけ直し、机の上のクッキーを手に取り自室に入る。
 ベッドにリュックを下ろしてから、匠音は両手の指をポキポキと鳴らした。
「……さて、やりますか」
 母さんが仕事中なら好都合だ。暫くは入ってくることもないだろう。
 そう考えながら、クッキーを一枚頬張り、オーグギアの隠しストレージを展開、ハッキング用のツールを呼び出す。
 視界に侵入先を可視化ヴィジュアライズするためのマップウィンドウとコンソールウェポンパレットが表示される。
 そのまま空中に指を走らせ、ジョンソンのオーグギアまでの侵入経路パスを構築する。
 初対面の相手ならまずはオーグギアが接続しているアクセスポイントやオーグギアそのものの特定から入らなければいけない。が、授業の連絡などをオーグギアで行っているため、ジョンソンとのネットワークは既に構築されている。
 特定の手順はかなりショートカットすることができ、匠音はすぐにジョンソンのオーグギアに取り付いた。
 実際には、魔術師が自分のプライベートに使っている縁を使って侵入ハッキングを仕掛けるなど、してはならない事だ。何故ならそれは、万一失敗した時、すぐに辿られてしまうことを意味する。
 故に、例え最高の実力を持っていると自負するハッカーでさえ、普通はいくつかの踏み台プロキシを通してハッキングする。
 しかし、独学バリバリの素人である匠音にはまだそんな知識はない。自覚もなく発覚との薄氷の上を歩んでいる侵入者ハッカー、それが彼だった。

 

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