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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第1章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 その昔、遊び場でもあったメタバースSNS「ニヴルング」で「俺」はハッキングの被害に遭った。
 それを助けてくれたのはメガサーバ世界樹「イルミンスール」のカウンターハッカー、「ルキウス」だった。
 「ルキウス」の活躍を見て、「俺」は正義の魔術師ホワイトハッカーになろうと誓った。

 

  第1章 「『Silberkreuz銀十字』と名乗る少年」

「おっちゃん悪ぃ、遅くなった!」
 遅刻遅刻と一人の少年がスクールバスに駆け込み乗車する。
「大丈夫だよ、まだ来てねえ奴もいるしな――お前さんの彼女みたいに」
「はぁ?!?! メアリーはカノジョじゃねぇっての!」
 運転手の言葉に顔を赤くしながら反論する少年。
「はははそうかぁ? お前さんたち、お似合いだと思うがなあ……」
 ったくもう、と言いながらも運転手に茶化された、周りの生徒とは見た目が違う少年――明らかに黒髪の日系人である――が先に乗っていた何人かの友人とハイタッチしながら通路を進んでいく。
 中学校ミドルスクールから高校ハイスクールに上がってまだ半月も経っていないが、中高一貫のPrep School私立なのでバスのメンバーは見慣れた友人ばかり。
 スクールバスは誰がどのあたりに座るかだいたい決まっている。
 彼もいつもの座席に座り、窓の縁に頬杖をついていると、
「ねえねえ聞いて!」
 後ろの座席で女子が会話する声が聞こえてきた。
 大半の授業はオンラインになったものの週に一度ある登校日、乗り慣れたスクールバスはいつものルートを走り、生徒をハイスクールへと連れて行く。
 まだ乗っていない生徒もいるということで発車はまだだったが、女子のそんな声に「女子ってほんと噂話が好きだなぁ」と少年――永瀬ながせ 匠音しおんは呟いた。
「昨日、『ニヴルング』で変な人に絡まれたんだけどね、あの人が助けてくれたの!」
「あの人って?」
「ほら、あの人よ! 最近噂の『Silberkreuzシルバークルツ』様!」
 「シルバークルツ」の名前が聞こえた瞬間、匠音は思わず後ろの席に振り返ろうとし――それをぐっとこらえて耳をそばだて始めた。
「『ニヴルング』で困ってる人を助けるっていう『シルバークルツ』様?!?! やっぱり、イケメン?」
「勿論! アバターだからイケメンに決まってるけど、『シルバークルツ』様のことだもの、きっと中身もイケメンよ!」
 きゃー! と女子の黄色い叫び声が車内に響く。
「イケメンかぁ……」
 浮かんでくるにやけた笑みに気付かず、匠音は窓の外を見た。
 バスは少々遅れてきた最後の生徒を乗せ終わったのか、電気自動車故にその車体を大きく震わせることなく滑るように動き始める。
 朝から気持ちがいいな、と匠音が相変わらずにやけ顔で窓の外を見ていると、不意に頭を雑誌ではたかれた。
「ってえな! なにすんだよ!」
 せっかく人がいい気分に浸っていると、と匠音が通路側を見ると、ちょうど一人の女子生徒が隣に座ったところだった。
「朝からなにニヤニヤしてるのよ匠音、気持ち悪いわね」
 少し癖がかかった赤毛レディシュの、頬にそばかすが少し残っている少女。
 最後に乗ってきたのはこいつだったか、などと思いながら匠音は口を開いた。
「なんだ、メアリーか。おはよ」
 お前が遅れてくるとか珍しいよな、と幼馴染の少女――メアリー・ルチア・ペレスに声を掛ける。
「ごめんごめん、この間のスポーツハッキングのドキュメンタリーシリーズのアーカイブ見てたらうっかり全話見ちゃって」
「マジかよ、お前、ほんとスポーツハッキング好きだよな」
 そう、返事しながらも匠音は後ろの女子の会話を聞き漏らさないように耳をそばだてている。
 しかし、女子の話題はすぐに切り替わるもので、話の内容は既にシルバークルツの物ではなく次の話題へと移り変わっていた。
「そういえば、最近小人妖精ブラウニーが出るって噂聞かない?」
「あー、聞いた聞いた!」
 後ろの席の女子二人の会話が弾んでいる。
 ちぇ、話題変えるの早いっての、と匠音が毒づく。
 せっかくシルバークルツ自分の評判聞けると思ったのに、そもそもメアリーが邪魔してくるから最後なんて言ってるか聞きそびれたし、と恨めしそうにメアリーを見ると、彼女は相変わらず「だから男子は」と言いたげな顔で匠音を見ていた。
「なによニヤニヤしたりムスっとしたり気持ち悪いわね」
 何も知らないメアリーがそう言うが、匠音にとってシルバークルツの話題は重要である。
 最近、巨大仮想空間メタバースSNS「ニヴルング」で困っているユーザーを手助けするという謎の魔術師マジシャン、シルバークルツ。
 「銀十字」の名を冠したその魔術師ハッカーは「ニヴルング」内でトラブルに巻き込まれるとどこからともなく現れ、そしてトラブルを解決して姿を消すと言われている。
 そのシルバークルツの正体こそ匠音であったが、彼を知る者は誰も彼がハッキングを行っているとは夢にも思っていないしそもそも「ニヴルング」内でのハッキングはご法度である。バレれば未成年であるがゆえに確実に親に連絡が飛ぶ。
 それでも、匠音はシルバークルツとしての活動をやめようとはしなかった。
 ――あの時、誓ったから。
 以前、匠音がシルバークルツとして活動する以前のことだ。
 彼は一人の魔術師に知らずとはいえ喧嘩を売り、返り討ちに遭った。
 その際あわや個人情報を抜かれるところで彼を救ったのが、
 ――「ルキウス」……俺は、近づけてるんだろうか。
 「ニヴルング」有する「二本目」の世界樹、「イルミンスール」の守護者カウンターハッカー、「ルキウス」だった。
 豪奢な鎧をまとった騎士は己の武器ユニーク一本で匠音を襲った魔術師を撃退した。
 それを見て、匠音は思ったのだ。
 「ルキウスこの人のような、正しくまっすぐな、最強のハッカーになる」と。
 そこから匠音の魔術師としての道は始まったわけだが、こうやって噂されるほど名を上げたかと思うとにやつきが止まらない。
 それも話題が変わってしまったために終わってしまったが。
 舗装があまり良くないのかガタゴトと揺れるバスの中で、後席の女子の会話も弾んでいる。
「なんか最新の義肢義体でトラブルが発生するとブラウニーが出てきて応急処置してくれるって話でしょ? ほんとにそんなことあるの?」
 なんだ義体の話かと匠音がじゃあいいかとメアリーとの会話に戻ろうとする。
 しかし、メアリーもこの話が耳に入っていたようで、「分かる分かる」と首を縦に振っていた。
「何だよメアリー、気持ち悪いな」
 匠音が思わずそう言うと、メアリーは「いやだって分かるし」と反論する。
「あたしは見てないから本当かどうか分からないけど、こうやって耳に入ってくると嘘じゃないかもって思うじゃない」
「だから何が」
 そう、匠音が尋ねるとメアリーは一瞬周りを見まわし、それから少し声のトーンを落とした。
「義体のトラブル時に現れるブラウニーの話よ。あたしの伯父さん、事故で片腕無くしたって知ってるでしょ?」
「あ、ああ」
「その伯父さんが見たって言うのよ」
 ブラウニーを? と匠音も声のトーンを落とす。
「うん、伯父さんって車を運転するのが趣味でそれで事故って腕無くしてるのにそれでもまだ自分で運転しててさ、その時に義体が不具合起こしたのよ」
「やばいな、それ」
 でしょ? とメアリー。
「生身の腕だけじゃ暴走した義体を止めることができなくてあわや事故、って時にブラウニーが出てきて応急処置してくれたって。結局、また軽い事故起こしちゃって伯母さんに『もう運転しないで!』って言われたんだけどブラウニーが応急処置して暴走を止めてくれなきゃ伯父さん今頃死んでたかもって」
 へえ、と匠音が頷いた。
 先ほどは自分の話題を邪魔されてムカつきもしたが、メアリーの話はこれはこれで興味がある。
 きょうび車は自動運転が当たり前だというのに未だに自動運転を信用しない、または自分で運転してこその車だと主張する人間もそれなりにいる。
 流石にメアリーの伯父はもう運転させてもらえないだろうが、それでも実際にブラウニーが現れて応急処置するとは興味深い。
 義体はここ十年ほどで急激に普及した義肢ではあるが、その基本制御は量子通信を行うARウェアラブルデバイスオーグギアによって行われている。勿論、義体自体にもOS自体は組み込まれているがそれを外部から制御するのにオーグギアが使用されている、という寸法である。
 そのため外部の人間が義体装着者のオーグギア、または義体のOSそのものをハッキングして不具合を起こさせる犯罪も時折起きるがそのうち数件は大事になる前に解決しているという。
 それもブラウニーの仕業かもしれないな、と匠音はふと思った。
 人知れず現れて、大事件が起きる前に解決させて去っていく。
 これはまさしく匠音が目指す「正義の魔術師」像だった。
 そのためにはまだまだ知識も実力も足りない。
 「ニヴルング」内でのトラブル――喧嘩やナンパといった迷惑行為や決済システムの隙を付いたデジタルカツアゲ程度なら阻止できるが、あの時、ルキウスと出会った時のような他人のオーグギア奥深くに侵入するようなトラブルにはまだ対処できない。それでも 、いつかは。
 しかし、疑問も残る。
 メアリーの噂話でも「ブラウニー」という単語が出てきたがそれはただ義体のOS自体にエラーの自動修復機能があって、それがただブラウニーの形をしたインターフェースとして見た目に修復したと分かるようになっているだけではないか、というもの。
 この義体の制御OSは開発元から「Oberonオベロン」と紹介されている。
 ちなみにこの「Oberonオベロン」開発の立役者こそ匠音の母方の祖父である佐倉さくら 日和ひよりであり、匠音も会ったこともある。
 それはそれとして、オベロンと言えばかのシェイクスピアの古典「真夏の夜の夢」に登場する妖精王である。
 妖精というからには姿も小人のように小さいだろう、というイメージを持っている匠音は「ブラウニー」はOberonそのものではないか、と考えた。
 この十年で義体は普及し、その間に様々なアップデートも行われてきたはず。トラブル時に装着者の不安を少しでも取り除くために自己修復機能が妖精王の姿をして対応しているだけだ。
 システムの基本かもしれないが、それでも匠音が目指しているものに近い。
 ――結局、正義の魔術師ってそういうものなんだよな。
 そう、匠音が思っていると。
「そう考えるとシルバークルツとか何なのよ。ハッキングでいやがらせ行為ナンパとか止めてくれてるみたいだけどなんかいかにも『オレはできるんだぜ』ってアピールしてる感じで、それなら義体の不具合を直してくれるブラウニーの方がよっぽど謙虚で好感持てるわ」
「なにをう!」
 思わず立ち上がり、匠音が声を荒げる。
 と、同時にバスが大きめの石を踏んだかひときわ大きく揺れて彼は座席に尻もちをついた。
「おい、匠音の奴何やってんだよ」
 周りからそんなヤジが飛んでくるが匠音はそれに構ってなどいられなかった。
「流石にそれは言いすぎだろ!」
「あら何よ、シルバークルツの肩持つの?」
 飄々としたメアリーの物言いに、匠音はぐっと言葉に詰まる。
 自分がシルバークルツ本人であること、いや、ハッキングを行っていることを誰にも知られてはいけない――特に母親に。
 ――匠音、貴方はハッキングの世界に踏み込んじゃダメ。
 ――どうして!
 ――どうしてもよ。
 かつての母親とのやり取りを思い出す。
 そして、そのたびにその時の母親の悲し気な眼を思い出す。
 だからと言ってハッキングをやめることは匠音にはできなかった。
 いくら母親に反対されようとも、あの日のあの誓いだけは捨てたくなかったから――。
 反論できず、匠音が唇を噛み締め拳を握った時、バスは正門前に到着した。

 

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