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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第3章

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  第3章 「その抜け殻アバターの名は、『アーサー』」

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
 ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの永瀬ながせ 匠音しおんは駆け出しのホワイトハッカーとして巨大仮想空間メタバースSNS「ニヴルング」で密かに活動していた。
 通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという小人妖精ブラウニーを目の当たりにしたり、ホワイトハッカーとして校内のトラブルを解決していた匠音はある日、幼馴染のメアリーの「ニヴルング」での買い物に付き合っていた際、怪しげな動きをするアバターを発見する。
 怪しげなアバターは通報したものの彼が起動させた破壊プログラムは起爆、アバターを消失ロストするかと思われた匠音は別のハッカーに助けられる。
 謎のハッカーに厳しく叱咤されたものの弟子入りしたいと懇願した匠音。
 それを拒絶した謎のハッカーだったが、姿を消す際に匠音に古いスポーツハッキングのトレーニングアプリを送り付ける。
 トレーニングアプリを起動した匠音は、そこに残されていたランキング一位にかつてスポーツハッカーだった和美母親のスクリーンネームを見つけ、このランキングを塗り替えるとともに謎のハッカーと再会することを誓うのだった。

 

「母さん、おはよー」
 眠い目を擦りながら匠音しおんが自室を出てキッチンに立つ和美かずみを見る。
 ジュワジュワと油が踊る音とフライパンの横に置かれた網の上の茶色い物体に、彼の目が一気に覚める。
「唐揚げ!」
 目を輝かせ、匠音がコンロの前に突撃する。
 手を伸ばし、一つ掴もうとして――
「ダメ、匠音!」
 和美が手にした菜箸で思いっきりその手を引っ叩かれた。
「ってぇ!」
 匠音が手を引っ込める。
「何すんだよ母さん!」
「まだ二度揚げしてない! 食中毒舐めてるの?」
 カンピロバクター知ってる? と凄む和美に、匠音が「ヤバい、マジだ」と内心で思う。
 匠音は和美の作る唐揚げが大好きだった。
 食卓に並ぼうものならあっという間にかなりの量を平らげてしまうほどであったが、和美は匠音に頼まれても滅多に作ろうとしない。
 そんな和美が自分から、それも朝から唐揚げを作っているとは。
「――あ」
 事態を察し、匠音が声を上げる。
 ――「今日」なんだ。
 念のため、オーグギアのカレンダーアプリを見る。
 二一三五年九月二十三日。
 やっぱり、と匠音は呟いた。
「匠音、今日出かけるけどついて来る?」
 不意に、和美が匠音に問いかける。
 えー、と匠音が不満げに声を上げた。
 今日は金曜日だし祝日でもない。一応はオンラインで授業がある。
 それに。
「……いや、俺は行かない」
 少しだけ声のトーンを落とし、匠音が答えた。
 そう、と呟く和美の声が少しだけ寂しそうに聞こえる。
「たまには顔見せてもいいと思うけど」
「だって俺が生まれる前に死んだ人だろ、何も分からないのに行ったところで」
 十五年前の今日。
 和美にとってはかけがえのない存在、匠音にとってはついぞ見ることのできなかった人物がこの世を去った。
 和美の夫であり、匠音の父親であった匠海たくみ
 この日の二日前に事故に遭い、治療の甲斐なく亡くなったとだけ、匠音は聞かされていた。
 それでも匠音は匠海に対してはどうしても「父親だけど知らない人」という認識になっている。
 和美が匠海のことを何一つ語ろうとしなかったこともあるが、結局は生まれる前に死んだ人間のことをとやかく言ったところで何かが起こるわけではない。
 ただ、和美は毎年命日になると必ず唐揚げを作った。
 それを、墓前に供えるのだ、と。
 一度だけ、匠音は聞いたことがある。「どうして唐揚げを供えるのか」と。
 その時の和美は寂しそうに笑い、一言だけ匠音に告げた。
「約束だから」と。
 そんな、命日に唐揚げを供えてくれとかどんだけ食い意地張ってんだよ父さんはと匠音は思ったものの確かに和美の作る唐揚げは美味しい。
 最終的に残った分は夕食の一品となるため、匠音にとっては父親の命日は複雑な感情が湧くもののほんの少しだけ楽しみな日だった。
 テーブルに用意されたシリアルに牛乳をかけて朝食とし、匠音はタッパーウェアに唐揚げを詰める和美を見た。
 別に和美母親は匠音を蔑ろにしているわけではない。きちんと愛情を持って接してくれていることは分かる。
 それでも、いつまでも匠海父親の影に縛られて生きていくのはただ虚しいだけではないのか、という思いが時々過ぎる。
 もっと自分を見てくれとは言わない。でも前を見て歩いて欲しい。
 先日謎の魔法使いからもらった古いスポーツハッキングのトレーニングアプリのランキングを思い出す。
 十五年前の夏からアプリが切り替わるまでランキング一位を保持し続けた和美マーリン
 スポーツハッキングのプレイヤーとして活動していたことは知っている。
 だが、ランカーであったことは知らなかった。
 あのアプリのランキングを見なければ決して知ることのできなかった事実。
 なぜ、和美がスポーツハッキングを引退したのかは分からない。
 ランカーであるのなら今エンジニアとして働かずとも大会の賞金だけで十分生活、それも今よりもいい生活を送ることができただろう。
 それなのに和美はスポーツハッキングから手を引いた。
 匠音にはその理由が分からない。
 自分だったら引退するなんて考えられない。
 何か、よほどの事情があったのだと考えても勿体無い、としか思えない。
 しかし、匠音には「なぜ引退したのか」を聞くことができなかった。
 和美がランカーであるのを知ったのはあのアプリを見たから。
 そして匠音は和美からスポーツハッキングを、いや、ハッキング自体を禁止されている。
 匠音がランカーのことを口にすれば確実に厳しい追求が始まるだろうし、それであの魔法使いのことを口にすればハッキングのことも知られてしまう。
 だから、黙っているしかない。
 本当は、はっきりと聞きたかった。
 和美が引退した理由も、匠音がハッキングをしてはいけない理由も、匠海の事故の詳細も。
 その上で、ハッキングを、スポーツハッキングをしたいということを認めてもらいたかった。
「……ねえ、母さん……」
 思わず、そう和美に声をかける。
「ん? どうしたの匠音」
 振り返ることなく和美がそう答える。
 ――俺もハッキングやりたい。
 その言葉が匠音の喉元にまでこみ上げる。
 ――母さんみたいに強く、ルキウスみたいに正しい正義のハッカーになりたい。
 何度もその言葉を口にしようと口をパクパクさせ、そして、
「……いや、何でもない」
 そう、匠音は黙ってしまった。
「いいの?」
 和美がそう確認する。
「うん。何でもない。俺はもうすぐ授業始まるから」
 出かけるなら気を付けろよ、とだけ言い、匠音は自室に向かった。
 その背に、和美が、
「ごめんね」
 そう声をかけたが匠音の耳には届いていない。
「……匠海お父さんはね……」
 ――いつか、必ず会えるから。
 それまでは、ごめんねと。
 和美はそう呟き、タッパーウェアの蓋を閉じた。

 

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