世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第3章
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アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという
怪しげなアバターは通報したものの彼が起動させた破壊プログラムは起爆、アバターを
謎のハッカーに厳しく叱咤されたものの弟子入りしたいと懇願した匠音。
それを拒絶した謎のハッカーだったが、姿を消す際に匠音に古いスポーツハッキングのトレーニングアプリを送り付ける。
トレーニングアプリを起動した匠音は、そこに残されていたランキング一位にかつてスポーツハッカーだった
墓前に供えるからと唐揚げを揚げていた
「ニヴルング」でのオンライン授業中。
代数学の授業、匠音が教師から転送された資料を見て課題を解いていると、不意に個別チャットの通知が入る。
(ん?)
クラスメイトや
個別チャットは教師にも内容を見られないプライベートなものだが、下手にウィンドウを開けば見つかってしまう。
こっそりと課題のウィンドウの隅に隠すようにウィンドウを開き、匠音はチャットの文面を見た。
《今日の放課後、『ニヴルング』に用事があるんだけど来る?》
これ、今言うことかと匠音が内心呟く。
ちら、とメアリーの席に視線を投げると彼女もこちらを見ていて、にこりと笑う。
その笑顔が何故か眩しく、匠音は思わず目を逸らした。
それから、返事を入力する。
『まぁ、今日は母さん出かけてるし暇だけど』
匠音が返事を送信するとすぐにステータスに「入力中」と表示され、返信が届く。
《オッケー、じゃあ放課後、ユグドラシル広場で合流しよ?》
いつもなら
ユグドラシル広場、アメリカに四本存在するメガサーバのうちの一本、ユグドラシルサーバのビルの前に用意された広場。
二一一五年にサンフランシスコに建造され、全世界のオーグギアの通信網を一手に引き受けていたユグドラシルだが二一二四年、ロサンゼルスにイルミンスールが建造、それに追従するかのように二一二六年に
これら四本のメガサーバは北欧神話で「世界樹」を意味するユグドラシルに倣い世界樹にちなんだ愛称を設定され、四本まとめて「世界樹」と呼ばれている。
そんな「最初」の世界樹ことユグドラシル前の広場があるエリアで集合とは。
最初はどうして、と思っていた匠音だったが、すぐに察する。
『あー、何かイベントあるのか?』
《『キャメロット』の握手会があるの! 頑張ってトリスタン様のチケット取ったわよ!》
やっぱり、と匠音が呟く。
『だったら一人で行けよ』
《いくら『ニヴルング』でも一人で歩き回ってトラブルに巻き込まれたくないわよ。匠音はボディガード、ご・え・い》
『アッ、ハイ』
どうせそういうことだろう、とは匠音も確かに思っていた。
正直なところ面倒だし「親と行けよ」と思うところでもあったのだがメアリーが付いてきてほしいというのであればついていかない手はない。
目的があのトリスタンであったとしても彼女と「ニヴルング」を歩けるのは匠音にとって楽しみの一つである。
「分かった」と返し、匠音は個別チャットを閉じた。
と、そのタイミングで
「じゃあこの問題を……匠音、答えてもらえますか」
答え合わせに入っていた教師に指名された。
「う……」
やばい、と匠音が唸る。
チャットに集中していたためどの問題で指されたのかが全く分からない。
一瞬、まごついた匠音の前にある課題の陰にチャット画面が開く。
《問5の2問目》
「えっ、あっ、2問目……えっと、これか。y = 10x + 1500……だと思います」
しどろもどろに匠音が回答する。
匠音の回答に、教師が「オーケー」と頷く。
「正解です。よく解けましたね」
教師に褒められ、ほっとしつつほんの少しだけ照れくさそうにする匠音。
ちら、と課題の陰のチャットウィンドウを見ると差出人はメアリー。
チャットしつつちゃんと問題把握してるとかすごいなと思いつつ匠音がちらりと見るとメアリーが意味ありげにウィンクをしてくる。
――あ、これ逃げられないやつだ。
これはきっと「貸しを作ったから返してね」という意思表示だと判断し、ついていかないという選択肢が完全に失われたことを悟る。
確かにメアリーと「ニヴルング」を歩くのは楽しい。しかし匠音とて最近特にメアリーが気になってきたお年頃、それなのに当の彼女はトリスタンガチ恋勢で取り付く島もない。
教師が他のクラスメイトを当てて答え合わせをしていく様子を眺めながら、匠音は小さくため息を吐いた。
放課後、いつものごとくホームエリアからサンフランシスコ・ユグドラシルエリアに移動した匠音はユグドラシル広場の待ち合わせスポットで猫頭のアバターを身にまとったメアリーを視認し、駆け寄った。
「メアリーごめん、待たせた?」
「んー、ついさっき来たばっかり」
そんなやり取りをしてから、メアリーが「行こ」と匠音の手を引っ張る。
どきりとしつつも匠音はメアリーについて歩きだした。
「握手会までまだ時間あるから、ちょっと見て回ろ」
ユグドラシルエリアに来ることって滅多にないし、とメアリーが匠音の手を引いてユグドラシルのエントランスホールに足を踏み込む。
「世界樹」と呼ばれるほどのメガサーバ、ユグドラシルではあるが現実の建物も一部は観光スポットとして解放されており、「ニヴルング」内でも同じ部分と、現実では立ち入り禁止の部分も世界樹の歴史等の展示エリアとして開放されている。
課外授業で見学したことはあったが、じっくり見る機会はあまりなかったため、匠音は興味津々でAR表示の様々な資料に目を通した。
曰く、量子ネットワークの拡大によりその情報を一手に引き受けるメガサーバを構築するため最初にユグドラシルが建造されたのだと。
しかし、重要な生活インフラの管理サーバもユグドラシルに集約されたため、二一二五年の大規模サーバダウン、通称「
その四本の世界樹も一度は「
そんな資料を見ながら匠音は「ランバージャック・クリスマス」を阻止した
あの、「ニヴルング」で自分を助けてくれたルキウスがその数年前に世界樹を、いや、場合によっては世界を救っていたとは。
やっぱりルキウスは正義のハッカーなんだ、俺も早く追いつきたい、そんなことを考える。
「匠音、どうしたの?」
不意に、匠音の隣に立っていたメアリーが声をかけてくる。
「あ、いや、別に」
匠音が夢中になって記録を読んでいると思ったのだろう、メアリーが「どれどれ」と覗き込んできた。
「あー、『ランバージャック・クリスマス』。あたしたちが
そういえばそうだった、と匠音が思い出す。
メアリーの言う通り、大々的な報道はされなかった。
しかし、世界樹にかかわる事件ということで小規模ながらニュースとして報道されていたしそれ以来各世界樹の警備は強化された。
そんな世界樹の歴史を振り返りつつも匠音はイルミンスールをメインサーバとして展開されている「ニヴルング」のことも考えた。
イルミンスールは匠音たちが住むロサンゼルスに建造されている。
何度か和美に連れられて見学ツアーにも参加したことがあるため内部の公開エリアは知っているが、やはり今匠音たちが見学しているユグドラシルの方が古いだけあって内部構造に若干の歴史を感じるものがある。
各世界樹とも市民の理解を深めるためにと今日のユグドラシルのようなイベントを時々開催しているが、世界樹によって特色があり見ていて飽きない。
ユグドラシルはスポーツハッキング系の交流イベントが多く、イルミンスールはチャリティーイベントが多い、といったように時には市民の憩いのイベントとなっている。
今日開催されるユグドラシルのイベントは前年度「
「キャメロット」と言えばメアリー最推しのスポーツハッカー、トリスタンが指揮を執る最強と言われてもおかしくないチームである。
今日は「キャメロット」の面々がユグドラシルエリアにログインし、参加者はチケットさえあればメンバーと握手することができる。
そのチケットは発売直後に完売したレベルで人気が高く、匠音は「メアリーよく争奪戦に勝てたな……」と思っていた。
「そういえばメアリー、チケットは準備できてるんだろうな?」
ふと、思い出してしまったため匠音がメアリーにそう確認する。
「ん、ちゃんとすぐ出せるようにストレージに入れてるわよ。見る?」
もう、匠音ってば心配症なんだからー、とメアリーがストレージを操作する。
「あ、別に出さなくていいって!」
ちゃんとすぐに出せるように準備しているなら問題ない。
以前匠音が和美と出かけたイベントでチケットをすぐに取り出せるストレージに保管しておかなかったために手間取ったことを思い出して確認しただけなので、別に見せてもらう必要はなかった。
現在、チケットはすべてデジタルになっている。
偽造や転売防止のためかつては金融機関でよく使われていたブロックチェーン技術を利用しており、不正を働こうにもすぐにログが不整合を起こしチケットは無効化されてしまう。
余程の
それでも、どこで何があるか分からないため不用心にチケットを取り出すのは良くない。
だから匠音も慌ててメアリーを制止したのだったが、彼女は「もうすぐトリスタン様に会える」という興奮からか不用心にもチケットを展開する。
二人の目の前に浮かび上がるチケット。
「いいからすぐにしまえって!」
「何言ってんの匠音、チケットはオーグギアのIDに結びついてるのよ、強盗したところで使えないわよ」
慌てたような匠音に対して余裕たっぷりのメアリー。
彼女の言う通り、チケットは強盗したところでIDが一致しないため使用できない。
それでもメアリーがチケットを持っていることでそれを妬んだ人物に邪魔をされる可能性も考えられる。チケットを見せびらかすのはあまりにも危険だ。
匠音のあまりの剣幕に、メアリーが「分かったわよ」とチケットをタップし、ストレージに格納する。
それにほっとしたものの匠音は念のため回りを見て誰も見ていないことを確認、それから、
「おい、時間大丈夫か?」
時間を確認してメアリーにそう訊ねた。
「いっけない! もうこんな時間?」
メアリーも時計を確認し、慌てたように匠音を見る。
「匠音、急ご?!?!」
「お、おう」
メアリーが時間に遅れたら可哀想だと思った匠音は頷き、彼女と共に走り出した。
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