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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第3章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
 ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの永瀬ながせ 匠音しおんは駆け出しのホワイトハッカーとして巨大仮想空間メタバースSNS「ニヴルング」で密かに活動していた。
 通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという小人妖精ブラウニーを目の当たりにしたり、ホワイトハッカーとして校内のトラブルを解決していた匠音はある日、幼馴染のメアリーの「ニヴルング」での買い物に付き合っていた際、怪しげな動きをするアバターを発見する。
 怪しげなアバターは通報したものの彼が起動させた破壊プログラムは起爆、アバターを消失ロストするかと思われた匠音は別のハッカーに助けられる。
 謎のハッカーに厳しく叱咤されたものの弟子入りしたいと懇願した匠音。
 それを拒絶した謎のハッカーだったが、姿を消す際に匠音に古いスポーツハッキングのトレーニングアプリを送り付ける。
 トレーニングアプリを起動した匠音は、そこに残されていたランキング一位にかつてスポーツハッカーだった和美母親のスクリーンネームを見つけ、このランキングを塗り替えるとともに謎のハッカーと再会することを誓うのだった。

 

 匠音しおんが生まれる前に命を落とした父親、匠海たくみの命日。
 墓前に供えるからと唐揚げを揚げていた和美かずみは匠音に墓参りに来るかどうか確認する。

 

 授業中、匠音を放課後開催される「ユグドラシル」でのイベントの護衛に誘うメアリー。
 放課後、メアリーと「ニヴルング」内の「ユグドラシル」エリアに赴いた匠音はかつてとあるテロを阻止したルキウスに思いを馳せる。

 

 
 

 

 やばいやばいとメアリーと匠音がユグドラシルの公開エリアを走り抜ける。
 しかし、公開エリアとはいえかなりの広さを誇っており、正規のルートではかなり時間がかかるだろう。
 とはいえユグドラシルエリアも他のエリア同様一般ユーザー侵入不可の横道ネットワークは存在し、それを利用すれば近道できるかと匠音が考える。
 魔術師ご用達の横道ネットワーク、ハッキングを知らない人間なら知ることのないその通路を利用するということはメアリーに自分がハッキングのできる人間だと知られることになってしまう。
 どうする、と考えていたら通路の一つで一人の男性が手招きしているのが見えた。
「握手会、お急ぎの方はこちらが近道ですよ!」
 そんな声が聞こえる。
「匠音! 近道だって、急ご!」
 メアリーが匠音の手を強く引く。
「待て! 行っちゃダメだ!」
 得体の知れない不安に駆られた匠音が叫ぶ。
 しかし、「近道」と聞いたメアリーがその制止を聞くはずもなく、男に近づく。
 まずい、と匠音がブレーキをかけようとするがメアリーは男に駆け寄り――
 ずるり、と引きずり込まれた。
「な――!」
 メアリーの、匠音を掴む手が離れる。
 咄嗟にそれを握り直し、匠音は周りを見る。
 一見、何の問題もない細い通路。
 何も知らない人間が見ればそれはユグドラシル内の普通の通路に見えただろう。
 だが、匠音は感じ取っていた。
 この通路は正規の通路ではない。魔術師によって侵入権限を偽装された横道ネットワーク。
 まずい、メアリーが巻き込まれた、と匠音は思った。
 薄暗い通路に引き込まれたメアリーが不安そうに匠音を見ている。
「大丈夫だメアリー、すぐにここを出よう」
 メアリーの手を引き、横道から正規の通路に戻ろうとする。
 しかし、メアリーが小さく悲鳴を上げ、オーグギアの操作を行おうとしたことで事態を察する。
 ――メアリーのオーグギアが?!?!
 状況が知りたくて、匠音は咄嗟に隠しストレージを開いた。
 ハッキングツールを展開、普段のメアリーとのパスから彼女のオーグギアに接続、視界の状況を確認する。
 メアリーの視界の片隅、財布ウォレットの残金が減っていくのが見える。
 ――デジタルカツアゲかよ!
 今のご時世、大半の人間が現金を持ち歩かず口座から任意の額をウォレットアプリに入金して使用している。
 ただし、設定によっては残高が減った際に自動引き出しオートチャージが機能するため気を付けなければ使いすぎるということもある。
 ある意味子供でもクレジットカードが持てるようになったような世の中ではあるが、クレジット機能は高額商品の買い物や分割支払いと言った場合に使われるため根強く残っている。
 メアリーのウォレットアプリの金額が小刻みに減っていくのは恐らく少額ずつのオートチャージが働いているのだろう。
 このままでは口座の貯金が全て引き出されてしまう。
 そして、メアリーは横道ネットワークからの離脱方法など知らない。
 今、対応できるのは匠音のみ。
 匠音が通路の奥を睨むと、そこに一人の男が立っているのが見えた。
 ――あいつか!
 匠音の指先が素早く動き、ツールを選定する。
 ――今ならまだ間に合う!
 自分が「シルバークルツ」のアバターに切り替えていない事にも気づかず、匠音はそのままアプリを起動した。
 見知らぬ相手とのパスを構築するための吸血アプリモスキートを通路の奥のアバターに向けて飛ばす。
 小さな羽虫の姿をしたbotが目標に接触、匠音とのパスを構築する。
 匠音がさらにハッキングツールを展開する。
 そこで相手も匠音の侵入に気が付いたのだろう、通路の奥から姿を現しこちらを睨みつけてくる。
「メアリーの金を返せよ!」
 そう怒鳴りながら匠音が相手のウォレットアプリを展開する。
「若造だと思ったが、案外やるな!」
 怒りを隠さずに歩み寄ってきたのはごく普通の会社員サラリーマン風のアバターを身にまとった男。
 男もツールを展開、匠音に対応しようとする。
 だが、匠音は既に男のウォレットアプリの利用履歴から別のオーグギアからの入金ログを特定していた。
 確認する限り、メアリーから巻き上げた金額は入金確定として登録されていない。
 入金が確定してしまえば取り戻すことはそれこそブロックチェーンを破るレベルでのハッキングになって不可能になってしまうが、入金確定は不正な入金を阻止するために一時的にサーバに保留してからの登録となるためチャンスは残っている。
 それなら今の入金は操作ミスとして登録すればいい、と匠音が男のストレージを操作する。
 しかし、匠音の視界にノイズが走り、男が何かしらのツールを侵入させてきたことに気づく。
 この際、自分が男に打ちのめされるのはいい。だが、メアリーの所持金だけは彼女に返したい。
 自分への侵入を手動ではなくアプリによる自動抵抗オートレジストで遅らせながら匠音は男のウォレットアプリを操作する。
「な、お前、自分はどうなってもいいのか?」
 男が匠音の動きの意図を悟り、声を上げる。
「子供の小遣い巻き上げるとか恥ずかしくないのかよ!」
 匠音の視界で、自動抵抗によって展開された防壁が一枚突破されたというアラートが表示される。
 それでも匠音は男のウォレットアプリを操作し、小刻みに行われたメアリーからの入金操作をキャンセルしていく。
「俺はbotまで使ったのにチケット取れなかったんだぞ! それなのにこの小娘は……! チケット取れるくらいなら金くらいいくらでも持ってるだろ!」
「あんたバカかよ、botは対策されるだろーが!」
 きょうびチケットの取得は公平を期すためbotの類は対策されている。
 うまくやればその対策の網をすり抜けてチケット購入ができるのだろうが、それでも許されるような行為ではない。
 絶対全部キャンセルする、と匠音が次々と入金のキャンセル操作を行っていく。
 同時に防壁がもう一枚突破されるがそれには構わない。
 キャンセルすべき入金処理はあと三件。
 男がそれを阻止しようと侵入を一時停止して匠音に手を伸ばす。
 だが、匠音のキャンセル操作の方が早い。
 匠音の手が最後の入金キャンセルコマンドを入力する。
 全ての入金処理がキャンセルされたというメッセージが表示される。
「あ、戻ってきた!」
 メアリー側でも入金キャンセルによる返金が行われたのだろう、彼女が声を上げて匠音を見る。
「貴様ァ!」
 巻き上げた金を奪い返された男が吠えて匠音の腕を掴む。
「悪いのはあんただろ! 大人しく通報されやがれ!」
 匠音と男が取っ組み合いの体勢になるが、如何せん匠音もアバターもまだ成長しきっていない少年体形、成人しているだろう男とそのアバターに力比べで勝てるはずもなく。
 あっと言う間に匠音はフロアの床に組み伏せられてしまった。
「このガキがぁ!」
 激高した男が匠音の顔面に向けて拳を振り下ろそうとする。
 「ニヴルング」内は感覚転送型フルダイブSNSとはいえ痛覚だけは安全のために強力な痛覚緩和システムアブゾーバーが設定されている。
 それでも、匠音はかつて魔術師に刺されたときのことを思い出して硬直した。
 魔術師ならアブゾーバーを一時的に無効化することくらいできる。
 刺された時の激痛を思い出した匠音が身をすくめる。
「匠音!」
 メアリーが叫ぶ。
 ――こんなところで!
 メアリーの声に自分を奮い立たせ、匠音は思いっきり男を蹴り上げた。
 その渾身の一撃は、男のアバターの一番弱い部分に直撃する。
「――っ!」
 男が声にならない声を上げて股間を押さえる。
 そもそもアブソーバーが設定されているのだから痛覚などないのだが、「一撃を受けた」という事実だけで大抵の男は精神的に大きなダメージを受けてしまう。
「ぅ……」
 体を起こした匠音も股間を押さえて身震いする。
 いくら咄嗟のこととはいえ男の尊厳に関わる攻撃をしたのである。その痛みが分かっているからこそ匠音も股間を押さえざるをえなかった。
「き、貴様ァ……!」
 悶絶しながらも男が匠音を見る。
 だが、匠音としては目的は達成されたのである。
 あとは離脱するだけだ、と匠音はメアリーの腕を掴んだ。
「メアリー、逃げるぞ!」
「う、うん!」
 匠音に手を引かれ、メアリーが走り出す。
 通路の出口で匠音は侵入権限を書き換え、そして二人は通常の通路に飛び出した。
「……よかった……」
 はぁ、と匠音が心底ほっとしたように声を上げる。
 メアリーもほっとしたような面持ちで一度、先ほど出てきた通路を見て、それから真顔になって匠音を見る。
「匠音、あんた……ハッキングできたの?」
「げ」
 止むを得なかったとはいえ、匠音は魔術師以外の人間、そして身近な人間の目の前でハッキングを行ってしまった。メアリーが驚くのも当然である。
「……え、あ、ま、まぁ……」
 歯切れ悪く匠音が頷く。
「ごめんメアリー、このこと、母さんには黙っててもらえないかな?」
 もし和美がハッキングこのことを知れば黙っていないだろう。
 なるべく知られないようにしておきたかったが。
「……匠音、それは難しそう……」
 周りを見ながらメアリーがそう言った。
 えっと匠音も周りを見ると、そこには数体の警備ロボットの姿をしたbotが現れ、二人を取り囲んでいる。
『規約違反を検知しました。シオン・ナガセ、貴方を一時拘束します』
 ロボットの一体がそう機械的な音声を出し、回りのロボットが一斉に匠音に拘束用のケーブルを伸ばす。
 それはメアリーには伸ばされていなかったため、匠音は彼女に向かって声を上げた。
「メアリー、俺のことはいいから早く握手会行けよ! せっかくチケット取ったんだろ、無駄にすんな!」
「え、で、でも……」
 匠音はあたしを助けてくれたのに、とメアリーが反論するが匠音は首を横に振り、
「いいから行けって! 俺には構うな!」
 ロボットから伸ばされたケーブルが匠音を拘束する。
「匠音!」
「俺は大丈夫だから! お前が行ってくれないと俺が助けた意味ないだろ!」
 拘束が完了したのだろう、ロボットたちと匠音が別の場所へと転送され、その姿が掻き消える。
「匠音……!」
 そう、声を上げたもののメアリーにはどうすることもできない。
 いや、一つだけ手はあるのではないだろうか。
 少し考え、メアリーは「うん」と一つ頷いた。
「匠音待ってて。もしかしたら、何とかなるかもしれないから!」
 それだけ言い、メアリーも走り出した。
 匠音に言われた通り、握手会会場に向かうために。

 

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