世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第5章
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アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという
その際に起動された爆弾から彼を救い、叱咤する謎のハッカー。
弟子入りしたいという匠音の要望を拒絶しつつもトレーニングアプリを送り付ける魔法使い。
それを起動した匠音はランキング一位にかつてスポーツハッカーだった
そんな折、メアリーが「キャメロット」の握手会に行くことになるがトラブルに巻き込まれてしまう。それを助けたもののハッキングが発覚して拘束された匠音。
メアリーの機転で厳重注意のみで済むものの、和美にはハッキングを辞めるよう強く言われる。
それでも諦められず、逆に力を付けたくて匠音は匠海のオーグギアに接続する。
接続した瞬間、再生される匠海のビデオメッセージ。
初めて聞く
手に入れた「エクスカリバー」の性能を知りたくて手近なサーバに侵入する匠音、しかし「エクスカリバー」を使いこなせず通報されかける。
それを謎の魔法使いこと
ハッキングを禁止する理由も、匠海のこともはっきりと教えてくれない和美に反抗し、匠音は家を飛び出してしまう。
家を飛び出した匠音はハッキングの腕を磨くために祖父
匠音が家を飛び出し、しばらく呆然としていた和美だったがすぐに思い直して体を起こす。
匠音のGPS情報は既にオフにされ、まだ遠くに行ってはいないと思うもののどこにいるかは分からない。
どうする、と和美は考え、それからすぐにオーグギアの回線を開いた。
暫くのコール音。
《おお、和美さんか。どうかしたか?》
通話に出たのは白狼だった。
ちょうど匠海の命日に様子を伝えるための連絡はしたばかり、こんな日を置かずに連絡することは稀なので白狼も何かあったと思ったらしい。
おじいちゃん、ごめんねと前置きして本題に入った。
「匠音が家出したの」
《匠音が。ほほう、あいつやるなあ》
和美の心配をよそに、白狼が面白そうに笑う。
「おじいちゃん、笑い事じゃないの! 探すの手伝って」
《和美さんがそう言うとはさてはGPSをオフにするくらいの知恵はあったか》
相変わらず楽しそうな白狼の声音に和美は「こっちは深刻なの」と訴えかける。
《すまんすまん。で、儂は匠音を探せばいいのか?》
「わたしを何だと思ってるの。流石にGPS切られたら特定しようがないわよ」
それに「モルガン」のことは口にしないで、と和美が続ける。
《ははは、和美さんも
「おじいちゃん!」
茶化す和美に白狼が「すまんすまん」と謝る。
《とにかく、儂は匠音を探す。なんなら暫くうちで預かってもいいが?》
和美に「何が原因で家出された」とは一切訊かず、白狼はそう提案した。
「……お願いしてもいいかしら? 多分、匠音のことだからおじいちゃんに連絡すると思うし」
匠音なら必ず白狼に連絡する。
それは匠音にとって白狼が最後の身内になるから、ではあったがもう一つ和美には確信できる理由があった。
「……おじいちゃん」
改まった声で和美が白狼を呼ぶ。
《なんじゃい》
「匠音にはオーグギアのハッキングは絶対に教えないで」
《ほほう》
和美の言葉に白狼がなるほどな、と頷く。
《和美さん、まだ匠音にハッキングはさせないつもりか》
ええ、と和美が頷く。
「あの子にこっちの世界は早すぎる。さっきも匠海の『エクスカリバー』を使い方も分からず振り回して捕まりかけてたのよ」
《ああ、そりゃ駄目だわ。あの
だから、と和美は続けた。
「おじいちゃんに『ハッキングを教えるな』と言っても約束してくれないの分かってるから。教えるならせめて魔法使い技能にして」
《ほほう?》
匠音を
まさか、と和美が呟いた。
「匠音のことだからあんなまどろっこしいハッキングなんてやってられないって数日もすれば飛び出すわよ。そこを確保するわ」
《和美さん……》
和美の言葉に、白狼が真顔になり、それから、
《お前さんもなかなかやるなあ。分かった、和美さんの言うとおりにしよう》
そう言って面白そうに笑った。
《じゃ、儂は匠音を探すとしますかね》
「居場所、分かるの?」
ああ、と白狼が頷く。
《GPS情報がオフと言っても信号自体が停止しているわけじゃないからな。実際はちゃんとサーバにデータが送信されている》
といっても位置情報なんて個人情報の塊はそう簡単に見つかる場所に送信されてないんだよと白狼が説明する。
「じゃあ、そのサーバを教えて」
わたしがハッキングして追跡するから、と言おうとした和美を白狼が制する。
《まあ、和美さんは数日休んどれ。あのこと、解決してないんだろう?》
「それは……」
白狼に指摘されて和美が言葉に詰まる。
《根を詰めてもいい結果は得られん。数日休んで、頭を冷やした方がいい》
「おじいちゃん……」
そう呟くように言ってから、和美は分かった、と頷いた。
「それならおじいちゃんに任せるわ。匠音をよろしく」
《おう、任せとけ》
そこで通信を切り、和美は小さく息を吐いた。
正直なところ、匠音にはハッキングの道には進んでもらいたくない。
しかし、ここまでホワイトハッカーにこだわるのならそれを阻んでしまうのもよくない、と思っていた。
できれば何度も失敗を経験して、それで諦めてくれればと思っていたが、それでも匠音は諦めなかった。
それどころか、現在和美が抱えている問題で久々に「モルガン」のアバターをまとったとき、匠音は彼女の前に姿を現した。
本人は和美=「モルガン」とは気付いていない。
和美も「第二層」の噂で聞いていた自称ホワイトハッカーの「シルバークルツ」がまさか匠音とは思っていなかった。
それが、「ニヴルング」でのあの爆発騒ぎで出会い、あまりにも粗削りなそのハッキングに思わずかつて自分が使っていたトレーニングアプリを手渡してしまった。
それから「第二層」での「掲示板」にアクセスの痕跡を残していたことから心配になって現場を見に行ってみたらの二度目の遭遇。
トレーニングアプリで多少は腕を上げていたものの、それでも彼は
幸い、IDが完全に暴かれる前に助けることはできたが彼が手にしていた「エクスカリバー」に驚きを隠せなかった。
まさか、匠音が? と思ったのはその時だ。
そこで初めて和美は「シルバークルツ」の中身に手を伸ばした。
匠音であってほしくない、ただハッキングに興味を持っただけの見知らぬ他人であってほしいと思っての行為だったが、結局は「シルバークルツ」が匠音だと確定してしまうだけの結果となった。
その時点で、和美はこれ以上匠音を止めることはできない、と痛感した。
もう、好きにさせるしかないのかと。
それでも諦めきれなくて、和美は匠音にもう一度懇願した。
その結果が
匠音が家を飛び出しなのなら身を寄せる先は白狼だろうと踏んで和美は連絡した。
本当は匠音に「中途半端なハッキングをしないように徹底的に叩き込んで」と言おうかとも思ったがそれはそれで彼に「家出されたから帰ってほしくて手のひらを返したのか」と思われそうで言えなかった。
それに、やはりハッキングは諦めてほしいので考えた苦肉の策が「匠音に
匠音がオールドハックを覚えて魔法使いになれば「エクスカリバー」も使いこなせるようになる。それに、基本的に魔法使いは魔術師の上を行く。
それで匠音が魔法使いへの道を選べば白狼の手ほどきもあって中途半端なハッキングは行わないだろうしオールドハックが嫌だと逃げ出せばそれを理由に諦めさせることもできるかもしれない。
いや、諦めさせることができなかったとしても別の方向からきっかけを作ることができるかもしれない。
どう転んでも最終的には匠音が目指す道に正しく導けるような布陣を和美は敷いていた。
――匠海ならどうする?
項垂れつつも首に掛けた匠海の結婚指輪を握り締め、和美が問いかける。
――やっぱり、匠音がやりたいことをさせたほうがいい?
それはその通りだろう。
匠海が匠音にビデオメッセージで何を伝えたかは分からない。
それでも、彼は匠音に託したのだ。
自分の
あのツールは和美も託されていたから分かる。
匠海は、自分も含めてハッキングの道に進む人間を正義に導きたいのだと。
それならホワイトハッカーを目指す匠音には大きな道標となる。
――そうだ和美。匠音の好きにさせるといい。
ふと、そんな声が聞こえた気がして和美は頭を上げた。
「……匠……海?」
いやそんなはずがあるわけがない。
匠海は今ここにいない。
声が聞こえるはずなんてない。
そこにいるの、と和美が思わず周りを見回す。
その視界の隅に何かがちらりと掠めるように消えていく。
見失いたくなくて、さらに視線を巡らせるとそこに一人の
「……ブラウニー……?」
そんなはずがない。ブラウニーがここにいるはずがない。
ここに義体の人間など一人もいない。
そしてなにより……。
ブラウニーと目が合う。
ブラウニーが小さく頷いたように見える。
が、次の瞬間、ブラウニーはくるりと一回転してその場から姿を掻き消してしまう。
「どういうこと」
まるでブラウニーが自分を励ましてくれたようで。
和美は呆然とその場に立ち尽くしていた。
ふと意識を取り戻し、然るべきログを確認するが、やはりブラウニーは和美の元へ来てはいない。
「願いすぎて、幻覚を見たのかしら」
白狼の言う通り、しばらく休んだ方がいいのかもしれない。
自分を落ち着かせるように和美は冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのボトルを手にし、一気に喉に流し込んだ。
喉を流れる冷たい水にまとまらなかった考えがまとまってくる。
大丈夫、と和美は呟いた。
――必ず、助けるから。
そう、自分に言い聞かせ、和美はもう一本ミネラルウォーターのボトルを取り出し、自室に戻っていった。
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