世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第8章
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アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという
その際に起動された爆弾から彼を救い、叱咤する謎のハッカー。
弟子入りしたいという匠音の要望を拒絶しつつもトレーニングアプリを送り付ける魔法使い。
それを起動した匠音はランキング一位にかつてスポーツハッカーだった
そんな折、メアリーが「キャメロット」の握手会に行くことになるがトラブルに巻き込まれてしまう。それを助けたもののハッキングが発覚して拘束され、メアリーの機転で厳重注意のみで済むものの、和美にはハッキングのことを知られ辞めるよう強く言われる。
それでも諦められず、逆に力を付けたくて匠音は匠海のオーグギアに接続し、父親のビデをメッセージを見る。
その際に手に入れた「エクスカリバー」の性能を知りたくて手近なサーバに侵入する匠音、しかし「エクスカリバー」を使いこなせず通報されかける。
それを謎の魔法使いこと
ハッキングを禁止する理由も、匠海のこともはっきりと教えてくれない和美に反抗し、匠音は家を飛び出し、祖父、
白狼からハッキングを教わりたいと懇願し、OKが出るが教えてもらえるのは
父親の事故の真相を聞きつつもそのハッキングに嫌気がさした匠音はブラウニーの姿を見つけ、追いかけてしまう。
ブラウニーが逃げ込んだ先で匠音は男に声を掛けられる。
ブラウニーについて調べてほしいという男は用意した義体にわざと不具合を起こさせ、ブラウニーを呼び出すことに成功する。
ブラウニーを追跡する匠音。しかしブラウニーが逃げ込んだ先は
イルミンスールに侵入するうちに自信の才能を開花させる匠音。
しかし、そんな彼の前にイルミンスール最強のカウンターハッカー、「ルキウス」が立ちふさがる。
匠音を追い詰める「ルキウス」。だが、その「ルキウス」のアカウントを停止させたのは匠音をイルミンスールへと誘った謎の男であった。
「分離が成功すれば俺は『ニヴルング』の住民として生きることができる。流石に俺みたいなごく普通の人間がイルミンスールの管理なんて荷が重すぎるんだよ」
いずれは全身義体のアンドロイドとしての実証実験にも付き合うかもしれない、と匠海はさらに笑う。
「父さんは――それでもいいの?」
思わず匠音の口からこぼれた疑問。
匠海が笑うのをやめ、匠音を見る。
いや、違うんだと匠音が手を振って否定する。
別に匠音は匠海といたくない訳ではない。むしろそうなってほしいと、匠海の話を聞いて痛感した。
しかし、本当にそれでいいのか。そんな疑問が脳裏をよぎる。
確かに死の間際に脳内データを抽出し、それをAIとして義体に移植すればこの世で生の続きを楽しむことができるだろう。
それでも、本当にそれでいいのか。
生物の死はそこで終わるべきものであって人の手によって続けるべきではない、と、匠音はふと思った。
だからずっと匠海の死は受け入れてきたつもりだったしビデオメッセージで声を聴けたことで自分の中で一つの区切りをつけたつもりだった。
それなのに。
目の前で、ネットワーク内だけとはいえ、こうやって対面してしまうと揺らいでしまう。
勿論、目の前の匠海が生前の彼を再現したAIであることは分かっている。
それでも、もし共に生きることができるかもしれないと言われると、揺らいでしまう。
父さんは死んだんだからそのまま眠らせてほしかった、という気持ちとAIであったとしても共に生きたいという気持ちが鬩ぎ合う。
だがそれはあくまでも匠音の主観。匠海は、実際はどう思っているのだろうか。
目の前の匠海はAIであって本人ではない。本人の本心はもう聞くことができない。
AIとしての匠海は、このことをどう思っているのだろうか。
「……正直、和美のしたことは間違っていたと思っている」
ぽつり、と語られる言葉。
えっ、と匠音が匠海を見る。
「人は死を受け入れるべきだ、と俺は思う。だが、それでも俺が和美の立場だったら同じことをしたんじゃないか、とは思っている。人間は……大切な人を失いたくないと思うものだから」
和美の行動は間違っていたかもしれない。しかし、その結果、現在匠音の目の前に匠海がいる。
その思考は人間のそれと大差なく、本当に、匠海が生きていたらそう言ったのではないかと匠音は思った。
「本来なら俺は消えるべき存在なんだと思う。だが、和美が生きてほしいと願うなら俺はその願いを叶えてやりたい」
「父さん……」
匠海自身は自分の死を受け入れているような言葉に匠音が悲痛そうな声を上げる。
自分としては現世にとどまっていてはいけない、しかし愛する和美がそれを望むなら、という覚悟に匠海の人柄を感じてしまう。
「……匠音、お前はどうしたい?」
不意に、匠海がそう問いかけた。
「え――」
「今回、お前をここに呼んだのはお前が悪意を持った人間に利用されていることに気づいたからだ。しかも、その悪意の矛先は俺に向いている」
「父さん、に……?」
ああ、と匠海が頷く。
「イルミンスールの運営は『Oberon』から分化したブラウニー――俺という自我を持ったAIを独占的に利用しようとしている。そのために……」
「俺を使って、ブラウニーを……父さんを、捕まえようとした……」
確かに独自判断でネットワークを自由に移動し、義体のコード改変というハッキングすら可能なAIを
今はイルミンスール――FaceNote社のみがその事実を知って追跡しているかもしれないが他の企業もそれを知れば手出しはしてくるだろう。
そうなれば、メガコープ同士での戦争も十分あり得る。
実際、メガコープが覇権を巡りそれぞれの所有軍を使った小規模な小競り合いは起こっているし時々ニュースで報道もされる。
それがもし、ブラウニーを巡るほどのぶつかり合いとなれば
「止めなきゃ! 俺、あのおっさんをなんとかしないといけない!」
円卓に手を付き、匠音が立ち上がり声を上げる。
「俺にそれを言うってことは、父さんは自分でそれを止める権限がないってことなんだよね? だったら――」
「そうだな、俺はイルミンスールをハッキングすることはできない。まぁ……その権限を書き換えればできるんだが、そんなことをすれば俺は確実に消される。和美や義父さんの身も危なくなる。だから、俺は自分の意志で権限を書き換えることはできない」
「じゃあ、俺が――」
匠海が自分の意志で権限を書き換えられないなら外部からハッキングして書き換えればいい。そう思った匠音は匠海に名乗りを上げる。
しかし、匠海はそれを首を横に振ることで却下した。
「なんで!」
「この事態を収拾できるのは俺じゃない、生きた人間だ。お前が俺の権限を書き換えたとしても、何も解決しない」
「……」
そんな、という言葉が匠音の口から洩れる。
自分にできるのは、恐らく匠海の制限を解除する程度の事だけ。
FaceNote社の思惑を、ブラウニーを捕らえるという計画を阻止するには匠音はあまりにも幼すぎる。
結局、俺は何もできないのか、と匠音が拳を握り締める。
「俺は、どうすれば……」
ここに呼んだのなら、俺だって何かできることはあるはず、と匠音は目の前の匠海を見た。
ただ、自分の息子を助けるためだけにこんなリスキーなことをする「人間」ではないはず。
匠海が小さく頷き、口を開く。
「お前は俺の存在を世間に公表しろ」
「えっ」
その提案は匠音の想定を大きく外れていた。
十五年前に死んだ匠海がAIとして生存していることを、イルミンスールの管理AIとして機能していることを、公表する?
そんなことをして黙っている企業があるはずがない。
それこそ多くのメガコープが匠海を手中に収めようとするだろうし、それに――。
「俺の存在を公表してしまえば、FaceNoteは俺を利用することはできなくなる。まぁ……俺を狙う奴らは出てくるが俺には倫理委員会の後ろ盾がある。下手に手出しはできないはずだ」
「でも……」
存在を公表するということはその全てをさらけ出すことにつながるのではないのか。
それに、FaceNoteが日和に責任を擦り付けてデータの削除を強制執行する可能性もある。
そんなことになれば、匠海という存在はこの世から完全に消されることになる。
それでいいのか、と匠音は匠海に問うた。
「父さんが、消えることになってもいいの?」
「俺は元々死んだ存在だ。『死人に口なし』、FaceNoteがデータを削除すると決めたなら俺はそれに従う」
「……だ……」
匠音の口から言葉にならない声が漏れる。
どうした、と匠海が匠音に声をかける。
「……いや、だ。父さんを、消したくない!」
「匠音……」
匠音の叫びに、匠海ははっとしたようだった。
確かに自分が消されるという可能性はゼロではないが確定でもない。
ただ、倫理委員会の後ろ盾があったとしても自分はFaceNote社の所有物、他の企業の手に渡るくらいならと全データを削除される可能性は非常に高い。
FaceNote社の決断ならそれを受け入れる覚悟はできていたが、問題はもう企業だけのものではない。
匠音という生前の自分が遺した息子も巻き込まれて、ただはいそうですかと消されるわけにはいかないのだと、匠海は気が付いた。
ちらり、と匠海の思考パターンにノイズが混ざる。
それが何かを考え、匠海は、
――ああ、匠音に対して罪悪感を抱いたのか。
そう、「理解」した。
自分の都合だけで匠音を、そして和美を悲しませるわけにはいかない。
自分が消えない道を模索しなければいけない。
匠音に「そう深く考えるな、消されるはずがない」と「嘘を吐く」こともできない。
いくら「自我」らしきものが芽生えた存在であっても匠海はAI。嘘を吐くことはできない。
AIが嘘を吐くということは人類への裏切りだから。
間違った発言はできたとしても、嘘を吐くことはAIには許されていない。
だから、「俺は消えない」と断言することはできなかった。
「……匠音、すまない」
たった一言、謝罪する。
結局俺は、父親として失格だな、と。
だが、匠音は首を振って、それから匠海を見る。
そのまっすぐな視線に匠海が一瞬たじろぐ。
その目は絶望に沈んだものではなかった。
まだ希望を棄てていない、勝利を求めた貪欲なもの。
――ああ、これだ。
これを、待っていたんだと匠海は納得する。
自分の全データのアーカイブにあったかつての自分を見たような気がして匠海は思わず笑みをこぼした。
今、目の前にいる匠音はかつて絶望的な状況でもなお和美に向けた自分と同じ顔をしているのだろう。
「絶対に負けない」、いかなる手を使っても勝利を掴み取る、という決意の顔。
そうだ、状況は絶望的になものに近いかもしれないが完全に敗北が決まったわけではない。
それに匠音には味方がいる。
匠音はまだ気づいていないだろう。だが、和美も
そこまで考えて匠海はふと気が付いた。
匠音は二人が動いていることを知らない。二人は匠音の現在地を把握していない。
それなら、と匠海は思考のバックグラウンドで一つのデータを送信する。
――これで、気付いてくれ。
今の俺にできることはこれだけだ、と祈るように思考を巡らせ、匠海は匠音に視線を投げた。
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