世界樹の妖精-Serpent of ToK- 第4章
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場所はアメリカのフィラデルフィア。
とある施設に、仲間の助けを借りて侵入した二人の男がいた。
ハッキングに長けたガウェインと肉弾戦に長けたタイロンの二人は警備をものともせずサーバルームに侵入、データを盗み出すことに成功する。
ハイドアウトに帰還した二人は、侵入の手引きをしてくれたもう一人のハッカー、ルキウスとサポートガジェットを作ってくれたアンソニーと量子イントラネットを通じて会話する。
そこに現れた1匹の蛇。
その蛇こそが「SERPENT」と呼ばれる謎の存在で、ガウェインたちはLemon社が展開しているという「Project REGION」を阻止すべくSERPENTに呼ばれた人間であった。
SERPENTの指示を受けてLemon社の関連企業に侵入する
「EDEN」にいるという
解析の結果、そのデータは保管期限が切れて削除されたはずの「EDEN」ユーザーのデータ。
そこから匠海と和美のことが気になった健は独断で「EDEN」への侵入を果たす。
「EDEN」に侵入した健だが、直後、魔術師仲間内で「黒き狼」と呼ばれる魔術師に襲われる。
辛うじて逃げ出した健であったが、「Team SERPENT」を危機に晒しかねない行為を行ったということで謹慎を命じられる。
第4章 「
SERPENTに謹慎を言い渡され、数日が過ぎる。
その間、健はハイドアウトとなっているコンテナハウスで鬱々と生活を――していなかった。
「98、99……100!」
普段着のパーカーと肌着を脱ぎ捨てた上半身裸の状態で、健は筋トレをしていた。
ARハッキングは身体の動きをトラッキングしての操作が大半、長時間のハッキングとなるとそれだけ体力を消耗する。
かつて、匠海に言った「
それでも自分より数歳年上のはずのタイロンに体力で負けているのだから「元軍人やべえ」という話である。
タイロンは探偵兼バウンティハンターになる前はとある
だからあのとんでもない強さがあるのか、と健は思ったが、だからといって劣等感を持っているわけではない。タイロンにはタイロンの強さが、自分には自分の強さがあるということくらいきちんと理解している。
タイロンは「Team SERPENT」に所属する人間の中では比較的珍しい武闘派である。オーグギア連動での銃口補正機能のついた銃が普及してきたこの社会で、それに頼らず自分の目と腕だけで正確に狙いを定め、敵を撃ち抜く。それは健には到底できない芸当で、純粋にすごい、と思う。
しかし、健にはタイロンにはないハッキングスキルがある。ハッキングスキルで言えばピーターも同じくハッカーではあるが、健は特に
それだけ、個性と特技が特化したメンバーが「Team SERPENT」には集められていた。
逆に言えば、「Team SERPENT」で生き残るには何かの分野に誰よりも秀でていなければいけない。
だからこそ、健はトレーニングを欠かさず、常に自分自身を磨いていた。
「……次は……プランク三分……」
腕立て伏せ一〇〇回一セットを終えた健が体を起こす。
ぽたり、と汗が床に落ち、染みを作る。
「まだだ……まだまだ足りない……」
この程度の体力で黒き狼に勝つなんて舐めプにもほどがある。
いつか来るだろう黒き狼との再戦に向けて、健はトレーニングに余念がなかった。
しかし、ただ体力をつけるだけでは駄目だ。ハッキングも実戦あるのみ、と健は行動を起こしていた。
側に置いていたスポーツドリンクを飲み、健がふう、と息を吐く。
そのタイミングでコンテナハウスのロックが開示され、扉が開き、アンソニーが顔を出した。
「ああ、タケシお取込み中だったか」
もしかして俺、もう少し席を外してた方がいい? と上半身裸、汗だくの健を見てアンソニーが確認する。
「……俺が何やってたと思った?」
「え、あの、その、人に言えないこと」
「筋トレだよ!」
ったく、なんで昼間っからそんなことしなくちゃいけないんだよ、と毒づきながらも、アンソニーが来たことで健はトレーニングを中断することにしたらしい。
椅子に掛けていた肌着を手に取り、腕を通そうとしたところでアンソニーが「あ、」と声を上げる。
「タケシ、それ……」
「あぁ?」
アンソニーの視線を追い、健が自分の左肩を見る。
「ああこれか?」
健の左肩から二の腕にかけて刻まれた騎士と剣モチーフのタトゥー。
アンソニーには刺激が強かったか? などと思いつつ健はアンソニーがよく見えるように左肩を見せる。
「『キャメロット』にいた時に入れた奴だな。今思えば若気の至りだったよ」
そう言いながらも、健の顔はまんざらでもない。
「これを入れた時は『スポーツハッキングで世界一になってやる!』って意気込んでたよ。まぁ――上には上がいたがな」
「……アーサーのこと?」
アンソニーは
健の言う「上には上」はアーサーのことだったんだろうな、と思いつつアンソニーは訊いたわけだが、健はそれに対しては「まー、それもあるがな」と呟いて頭を掻いた。
「いや、マジで上には上がいるぞ。ルキウスだって単純なランキングで言えば俺より上だし」
だから、ぶっちゃけ俺よりも「Team SERPENT」にふさわしい魔術師はそれなりにいると思うぜ、と健が続ける。
「……なんで、俺なんだろうな」
「まぁ、確かにタケシは『Team SERPENT』の中でもバーサーカーだと思うよ」
そう、アンソニーが率直な所感を告げると、健は「お前ぇ」と声を上げた。
「お前、もうちょっと年上に対する敬意ってもんをだな」
「ごめんごめん。タケシってなんかあんまりおじさんって感じしないからさ」
クラスメイトの方がもっと大人っぽい奴いるぞ、とアンソニーに言われ、タケシががっくりと肩を落とす。
そんなにも俺って大人げないのか……と思いつつも、これが自分のスタイルだから変える気はない。
いや、考えようによってはアンソニーは俺を友人として見てくれているのか、などとポジティブに考え、健はアンソニーを見た。
アンソニーはというと、デスクの横にバックパックを置き、中から作りかけのガジェットを取り出し始める。
「タケシ、確かにあんたはバーサーカーかもしれないけどさ、だからこそSERPENTに認められたんじゃないのか? ピーターは精密なハッキングと情報解析能力は高いけど、あんたは精密でありながらも大胆なハッキングが得意だろ? ピーターよりは体力あるからタイロンと組んで現場に入れば敵なしだし、そういうところを買われてんじゃないの?」
「そうかなぁ……」
いまいち実感ないわー、と言いつつ健が肌着とパーカーを身に着ける。
「で、お前がここに来たのは工作のためか?」
そうは尋ねたものの、アンソニーはアンソニーで拠点としているハイドアウトがある。そこの方が電子工作のための資材は揃っているだろうに、どうしてわざわざこのハイドアウトに。
「あー、あんたの監視だよ。いくら謹慎と言われててもまた『EDEN』に侵入されたらたまったもんじゃないから」
「うへぇ、信用ねえなあ」
謹慎と言われたら謹慎くらいしーまーすー、と健が抗議する。
「あれだけSERPENTやピーターにやめとけって言われたのにそれを無視して突っ走ったら信用くらいなくすって」
もうちょっと自覚しろよこのバーサーカー、と言われ、健は「へぇい」と頷いた。
「まぁ、監視ってのはあくまでも建前で、本音としては色々聞きたいことがあったからだけどね」
「具体的には」
改まったアンソニーに、健も改まった顔になり、ベッドに腰かける。
「『EDEN』のことか? あれはピーターにもデータは共有したが、何か分かったのか?」
健の言葉に、アンソニーがああ、と小さく頷く。
「まず、あんたが『EDEN』で見た二人組はタクミ・ナガセとカズミ・ナガセで間違いないようだな。オーグギアのログにあった映像で二一二〇年の二人の写真に検証して一〇〇%一致という判定が出た。『EDEN』の性質上、住人の
「やっぱり、あの二人は『EDEN』にいるのは確定か」
確かに、データの集合体である
それに、ほんの数言だったが言葉を交わして健は確信していた。
「この二人は本物だ」と。
だから、アンソニーが行った検証は意味のないものではあったが、それでも自分以外の人間からお墨付きをもらうほど心強いものはない。
「続いて、黒き狼との交戦記録を検証した」
そう言い、アンソニーがウィンドウを開き、健に共有する。
健の視界にアンソニーが検証した黒き狼のデータが表示される。
「攻撃パターンとか、データが残っているスポーツハッカーと比較したんだけど、該当する戦闘スタイルの魔術師は見つからなかった。もう、根っからの
「いや待て、曲がりなりにも
今回、ToKを攻めたのがこちら側だから、ToKからすればクラッカーは健の方、黒き狼はLemon社に雇われた
いや、重要なのはそこではない。
スポーツハッカーの出ではない。
それとも、パターンが一致しないと出るほどスタイルを変えた元スポーツハッカーなのか。
世界樹と呼ばれる四本のメガサーバをはじめとして、ある程度の資金力のある企業はハッカーによる情報漏洩や破壊工作を阻止するためにハッカーにハッキングで対抗するカウンターハッカーを雇っている。
その登用パターンは大きく分けて二つ。
一つはスポーツハッキングの大会で名声を上げ、スカウトされる一般枠。
もう一つはその企業のサーバをハッキングし、敢えて捕まり司法取引で登用される犯罪者枠。
この二つのパターンは魔術師が企業に認知されるための足掛かりである。
勿論、それ以外にも登用される方法はあるだろうが、アンソニーの話を聞く限り、黒き狼はこのどちらの方法でもLemon社に登用されていない。
一体どういった伝手でLemon社入りしたのかは分からないが、
そこで、ふと思い出す。
亡霊級魔術師と言えば存在するともしないとも、あるいはネットワークの澱が生み出したAIではないかとさえ囁かれる都市伝説のような存在だが、健は二人の亡霊級魔術師の存在を認識していた。とはいえ、一人は「確実に存在する」と認識しているだけでそのリアルを特定していないし、もう一人は死んでしまったが。
死んでしまった一人は健もよく知る人物、どころかあの和美だった。和美が亡霊級魔術師、それも魔術師間で存在が確定していなかった、通称「
健も「
何かしらのきっかけでリアルが割れ、
しかし、健が旅に出て腕を磨き、一つずつ真相に近づくにつれて和美が普段のスクリーンネーム、マーリンで活動していたのではなく、存在するともしないとも言われていたモルガンだと知り、彼女の技量の高さを思い知った。
同時に思ったものだ。「惜しい魔術師を亡くした」と。
真実を知るまでは噂で伝え聞いた程度だったが、健はいつかはモルガンに追いつきたいと思って日々トレーニングに明け暮れていた。そのモルガンが実は身近な人物で、そしてもういないと知った時は大きなショックを受けた。
そこで健が知ったもう一人の亡霊級魔術師が「
事故の真相を追う中、ちらほらその気配を匂わせた亡霊級魔術師。
こちらは誰かは知らないものの、その片鱗を残していたから存在すると健は確信していた。
モルガンの方が実力は上、とは決して言えない。その存在を明かすか明かさないだけで二人の実力は拮抗している、少なくとも健はそう感じていた。
世界を飛び回り、アメリカに戻ってきた健がSERPENTにスカウトされた際、期待したものだ。
「もしかしたらヴァイサー・イェーガーに会えるかもしれない」と。
だが、「Team SERPENT」にヴァイサー・イェーガーの存在はなく、代わりにピーターと再会して驚いたものだ。
ピーターなら仲間として、
それは勿論SERPENTに問いかけた。
その時のSERPENTの答えが、「ヴァイサー・イェーガーとコンタクトを取ることはできなかった」というものだった。
それが嘘なのは健にはすぐに分かった。
モルガンならまだしも、ヴァイサー・イェーガーは真に困った人間に自分から接触する。
そうでなかったとしても「Project REGION」ほどの計画なら察知して、それに対抗する「Team SERPENT」の存在ですら認識しているはずだ。
それなのにSERPENTがヴァイサー・イェーガーと接触できていない、というのは何故なのか。
ヴァイサー・イェーガーは「Project REGION」を良しと思っているのか。
人の魂と言えるものを踏みにじりかねないその計画を。
「……やっぱ、納得いかねえ」
「何が」
思わず呟きを漏らした健に、アンソニーが尋ねる。
「あ、声に出してたか、すまん」
「いいって。で、何が納得いかないの」
聞いてしまったからには詳細を聞かないと気になってしまうのだろう、アンソニーの問いかけに、健がああ、と頷く。
「お前、ヴァイサー・イェーガーって知ってるか?」
「いや、俺は魔術師じゃないから知らない。有名人なのか?」
アンソニーの回答に、健がなるほど、と頷く。
確かに、ヴァイサー・イェーガーは「第二層」を歩く魔術師の中では凄腕のハッカーとして有名だが、一般人が知っているかどうかは別問題だ。むしろ、「第二層」に踏み込んだこともないのにヴァイサー・イェーガーを知っていたらそれはよほどの
「ヴァイサー・イェーガーは『第二層』を歩く魔術師なら知らない奴はほとんどいない、超有名な
「へえ、そんなすごい魔術師がいるんだ」
アンソニーが興味深そうに声を上げる。
「そうだな――。少なくとも、俺やピーターよりずっと強いのは確かだぜ」
「へぇ」
別に健やピーターが「並の」魔術師に比べて頭一つ飛び出ている程度の魔術師というわけではない。
少なくともスポーツハッキングの世界ランクは二人とも一桁台に到達したことはあるし、ピーターに至ってはイルミンスールにスカウトされてカウンターハッカーとなったくらいにはエリートである。
それでも、ヴァイサー・イェーガーは、少なくとも健の認識ではそれよりもはるかに上を行く魔術師だった。
「で、そのヴァイサー・イェーガーがどうしたんだ?」
ヴァイサー・イェーガーに興味を持ったのか、アンソニーが身を乗り出して健を見る。
「『Team SERPENT』は何かしらの能力に優れた人間がスカウトされてる、だったよな」
「そうだね。現にピーターもタケシもそれぞれ個性のあるハッキングをするからスカウトされたわけだし」
「じゃあ、なんでヴァイサー・イェーガーはスカウトされてないんだ?」
「え」
健に言われて、アンソニーも気が付いた。
健は言っていた。「少なくとも、俺やピーターよりもずっと強い」と。
そこまでの魔術師であるなら、SERPENTならスカウトするはずである。
だが、「Team SERPENT」にヴァイサー・イェーガーというスクリーンネームの魔術師は在籍していない。
何か意図があるのか、と思い、アンソニーが健に話の続きを促す。
「実は、前にSERPENTに訊いたんだよ。ヴァイサー・イェーガーがいないのはなんでだって」
「うん」
「SERPENTはヴァイサー・イェーガーとコンタクトが取れなかった、と答えたんだ」
その説明に、アンソニーもちくり、と何かが胸を刺したのを感じ取った。
ほんのわずかだが、確かに感じ取った違和感。
何かがおかしい、と本能に囁かれた気がして、アンソニーは健の顔を見た。
「ちょっと待って、SERPENTが特定の人物とコンタクトが取れない、ってことあり得るか? 実際のところ、根無し草だったあんただって見つけ出したんだろ? それともヴァイサー・イェーガーは絶対に姿を見せない魔術師なのか?」
「いや、俺は会ったことがないがそれでも亡霊級魔術師にしては人前に出る方だと思う。実際に困ってるやつが噂でヴァイサー・イェーガーの存在を知って連絡すれば姿を現すとか言われてるぞ」
あくまでもこれは噂で伝え聞いた話ではあるが、「第二層」でヴァイサー・イェーガーの活躍を知らないと言うとモグリ扱いされるレベルである。そこまで有名人なのに「Team SERPENT」にいないということ自体が既に異常事態なのである。
「うーん、実はコンタクトを取ったけど参加を断られたとかは?」
「SERPENTがそんな間抜けなことするかよ。俺なんて『
「……確かに、俺も趣味で作ったガジェットで逃走中の泥棒の車吹っ飛ばした件を警察にバラすって言われたわ……」
実際のところ、大きな善を成すための小さな悪ではあるが、その小さな悪を徹底的に嫌う層も存在する。そして、そういった層を敵に回したときの面倒さは「親切な隣人」として活動している際に身をもって経験している。
つまり、SERPENTはかなり嫌らしい奴なのだ。スカウトする人間の全てを丸裸にした上で弱みに付け込んでくる。
まるでエデンの園でアダムとイヴを言葉巧みに唆して智慧の実を食べさせた蛇だよ、と思いつつ、健とアンソニーは同時にため息を吐いた。
「まぁ、それだけ用意周到なSERPENTが断られるようなへまをするかって話だ。少なくとも俺はSERPENTにヴァイサー・イェーガーをスカウトできない理由がある、と思っている」
『なんだ、暇に任せて探偵ごっこか? やめておけ、探偵ポジションはタイロンだけで十分だ』
健が自分の考えをぶちまけていると、不意にSERPENTの声が響き、二人の前に見慣れたSERPENTの姿が出現する。
「げ、噂をすれば」
SERPENTの姿を認め、健が露骨に嫌そうな顔をする。
『何を言うか。各ハイドアウトを直結した量子
「マジかよ」
こいつ、マジでやべえ奴だな、何者なんだよと思いつつも健がSERPENTに問いかける。
「じゃあ、さっきの
健の目が、す、とSERPENTを見据える。
獲物を前にした狩人の目だ、とアンソニーがふと思った。
健は本気だ。本気で、ヴァイサー・イェーガーのことを突き止めようとしている。
SERPENTがはぁ、とため息交じりに返答する。
『前にも言っただろう、コンタクトが取れなかった、と』
「それが嘘だって言ってんだよ。困ってるやつを前にしたヴァイサー・イェーガーが姿を現さないはずがない。ましてやヴァイサー・イェーガーほどの魔術師なら『Project REGION』のことも把握してるだろ。お前の呼びかけに応えないはずがない」
健が自分の中でまとめた考えを、SERPENTに叩きつける。
だが、SERPENTは平然として健を見返す。
『ヴァイサー・イェーガーがいないことに何か問題があるか? 確かに、「コンタクトが取れなかった」は正確な話ではないな。だが――ヴァイサー・イェーガーが「Team SERPENT」に参加することを望まなかったのは事実だ』
「な――」
ヴァイサー・イェーガーが「Team SERPENT」に参加することを望まなかった。
「コンタクトが取れなかった」と嘘をついていたのはこの際詰める必要はないだろう。「協力を得られなかった」のが事実で、その理由付けとして当時信用が築けていなかった健にそこまで言う必要性はない。
とはいえ、ヴァイサー・イェーガーが「Team SERPENT」に参加することを望まなかった、というのは何故だろうか。
ヴァイサー・イェーガーは「Project REGION」を把握している、という確信めいたものが健にはあった。あれほどの亡霊級魔術師がこのプロジェクトを認識していないはずがない、そんな気がする。
それほど、ヴァイサー・イェーガーが社会の情勢に通じた魔術師であるということではあるが、人の魂を弄ぶようなプロジェクトを立ち上げるLemon社に対して反感は抱かなかった、ということだろうか。
それとも、「Project REGION」自体をヴァイサー・イェーガーは良しと考えているのだろうか。
実際のところ、健たちも「Project REGION」の正確な情報は全て把握しているわけではない。人間の脳内データをAIにして、それを利用した様々な機械の開発とは聞いているし、その機械に「兵器」が含まれるだろう、とはSERPENTに言われている。
だが、それがもし虚偽であれば?
人間の脳内データをAIにするのは事実であったとしてもそれを悪用することをLemon社は本当に考えているのか。
実はヴァイサー・イェーガーは自分たちが知るよりも正確に「Project REGION」を把握していて、その内容が全く問題のない、今後の世界の発展に必要なものだと思ったのか。
「なあSERPENT、『Project REGION』は本当にお前が言うような悪しきものなのか?」
『何が言いたい』
健の中で一つの疑念が浮かぶ。
「『Project REGION』は実は社会の発展のために必要な技術の開発で、お前、そして俺達はそれを阻止しようというテロリストなんじゃないのか?」
正義を貫く魔術師であるヴァイサー・イェーガーが力を貸さないというなら、そう言うことだ。
知らず、自分はテロに加担していたのか、とその思いが浮上して一気にSERPENTに対する不信感が浮き上がる。
「ん? 俺は別に構わないぜ。だってLemon社嫌いだし」
デスクに置いたガジェットの調整を行いながらアンソニーが横槍を刺してくる。
「お前がそのつもりなら別に止めないが、俺は『Project REGION』の真実次第では降りるぞ。テロには加担したくねえ」
『はぁ……お前、本当に単純だな』
SERPENTが目に見えてため息を吐いたようなモーションを見せる。
なんだよ悪いかと息巻く健に、SERPENTはそれなら、と「可能性」を提示する。
『ヴァイサー・イェーガーが闇堕ちした可能性は考慮しないのか』
「な――」
健にとっては青天の霹靂となる発言だった。
ヴァイサー・イェーガーが闇堕ちする――つまり、「Project REGION」はSERPENTの言う通りの計画であるにもかかわらず、それに賛同していると言う可能性。
そんなことがあるわけ、と反論しようとして、健はふと、とあることに気が付いた。
――最近、ヴァイサー・イェーガーの噂は聞かないよな。
健が旅をしていたころは比較的よく「第二層」の話題に上っていたヴァイサー・イェーガー。
よくよく考えれば、健が「Team SERPENT」入りする少し前からその話題を耳にしなくなり、一部では「リアルアタックを受けて死んだか?」という死亡説まで浮上していたことを思い出す。
それを考慮すると、ヴァイサー・イェーガーが闇堕ちした――SERPENTが言った通りの「Project REGION」に賛同したと言う可能性は辻褄が合う。
「……なあSERPENT」
「ヴァイサー・イェーガーが闇堕ちした可能性」を考えて、不安になった健がSERPENTに問う。
「本当に、『Project REGION』は人の魂を踏みにじる計画なんだろうか」
『私が認識しているのはざっくりまとめると「魂のデジタルコピーを量産し、兵器転用する」というものだ。少なくとも、「複製できない」はずの魂の量産は人類にとって危険すぎるし、ましてやそれを兵器転用するのは許せない』
「それはお前の個人的な感情か?」
いつになく感情論で健に詰め寄るSERPENTに、言い返す。
『感情……か。私にそんなものがあると思うか?』
「そもそも『中の人』がいる可能性とかは考えてるよ。だが、俺としてはどっちかというとお前って誰かの意思を代弁するAIじゃないかって思ってんだよなあ……」
健の言葉にSERPENTが「ふむ」と呟く。
『まぁ、そもそもの「Project REGION」を反対する存在の言葉を代弁しているのは事実だからな、私は。だがそれがAIかそうでないかは特に重要だとは思わないが』
「結局、お前って何者なんだよ。誰かの指示を受けて動いている人間なのか、それともその誰かの考えをまとめて代弁するAIなのか、それくらいは教えてくれてもいいだろ」
SERPENTは健たちに自分の正体を開示していない。バックにどのような人物が付いているのかも教えてくれない。
それも踏まえるとどうしても不信感というものは募ってしまう。
以前から気になることは幾つもあったが、ここにきてその不満が一気に噴出した形となった。
『私が何者かを知れはお前は満足するのか?』
「正体次第では『Team SERPENT』を降りることも検討する」
SERPENTと健の視線が真っ向からぶつかる。
睨み合いの末に、先に言葉を発したのはSERPENTだった。
『私は託されただけだ。「Project REGION」の詳細を突き止め、阻止してほしい、と』
「誰に」
『それは開示できない。私の権限をもってしても依頼人の開示を行うことはできない』
SERPENTの言葉に、何故か背筋が凍るような冷たさを覚える。
SERPENTの言う依頼人とやらを暴いてはいけない、直感めいたものが健を過る。
だが、ここで引き下がっていいのか。
そう、思ったところで健は、
「そうか」
と、あっさり引き下がった。
『とにかく、ヴァイサー・イェーガーには何かしらの思惑があって「Team SERPENT」には参加していない。時期が来たら手を貸してくれるかもしれないし、敵対するかもしれない。それは考慮しておいてくれ』
「……黒き狼の件もあるのにヴァイサー・イェーガーとは敵対したくねえな」
流石にヴァイサー・イェーガーまで敵に回すと手に負えない。黒き狼の実力はあの時思い知ったし、ヴァイサー・イェーガーとは実際に対立したことはないが確実に自分よりも腕が上だということは健は思っていた。
もし、この二人を相手取ることになったら、と考え、健が身震いする。
勝ち目はない。まだ黒き狼だけなら対応はできるかもしれない。前回、見逃してもらったことで戦闘データは取得できたしそこから対策を練ることはできる。
だが、ヴァイサー・イェーガーを相手にするとなると話は別だ。相手の能力は完全に未知数、勝ち筋が見えない。
と、考えたところで健は「待てよ」と考えた。
健が「Team SERPENT」入りすることになったスキルの一つに「
旧世代PCを使ってのハッキング、このハッキングは手持ちのツールのシナジーや合成に頼るARハッキングと違い、コード入力、浸食による「相手のツールですら無効化する可能性がある」ものである。いくら亡霊級とはいえ相手は
「……相手が魔術師なら、勝てないこともないか」
ふと、健が呟く。アンソニーとSERPENTが健を見る。
『オールドハックのことか? 確かに、お前ほどの腕なら多少腕の立つ魔術師の敵ではないな』
SERPENTが納得したように頷く。
『だが、あくまでも可能性の話だが相手が魔法使いだった場合、お前は勝てるのか?』
「あ――」
その可能性を失念していた。
いくらオールドハックが今ではほぼ廃れた技術で、このハッキングを行える人間はそうそういないと言われても黒き狼やヴァイサー・イェーガーがオールドハックを使えない、という証左にはならない。
もし、この二人がオールドハックもできたなら――。
「もう『Team SERPENT』全滅じゃね? 流石の俺も二人がかりでオールドハック使われたら手も足もでねえな……せめてピーターもオールドハックできれば……」
「タケシ、無茶言うなよ」
健のぼやきにアンソニーが反応する。
SERPENTも「それはそうだ」と頷き、健を見る。
『確かに、オールドハックもできるメンバーがお前しかいないというのも考え物だが、実際魔法使いの数自体は魔術師に比べてはるかに少ない。絶対に魔法使いでないとは断言できないが、油断さえしなければ対処くらいはできるだろう』
「だといいがな」
そうは言ったものの、不安がぬぐわれたわけではない。
依然として厄介な事態であることには変わりはなく、黒き狼とヴァイサー・イェーガー両方が敵であるという可能性もある。
そんなことになってほしくないな、と思いつつ、健は話はもう終わったとばかりにベッドに寝転がった。
「……もうちょっとトレーニングするつもりだったが、なんか今日はもういいや」
アンソニーとSERPENTが健を見る。
『元々はちゃんと謹慎しているか見に来ただけだったからな。大人しくしているなら私も帰ろう』
アンソニー、お前がいるならガウェインも余計なことはしないだろう、任せたぞと言い残してSERPENTがその姿を消す。
「まぁ、思うところは色々あるんだろうけどさ、協力を得られなかったなら仕方ないよ。っても、敵に回ったら厄介だろうな……」
「それな」
健が嘆息交じりに頷く。
実際のところ、ヴァイサー・イェーガーが「Team SERPENT」に参加しないと言った理由が分かればもう少し気は楽だったかもしれない。
SERPENTの主張が気に食わないから、「Project REGION」は正しいと思ったから、Lemon社に与すると決めたから、どの理由であっても納得できるし、それならそれで「Team SERPENT」とは不干渉という条約を取り決めることもできたかもしれない。
だが、その全ては闇の中。
SERPENTに対する疑念は相変わらず残っているが、現時点で「Team SERPENT」が悪い意味でのテロリストと断ずることもできない。何も分からないままチームを抜けるのは得策ではない。
もうしばらくは付き合ってやるか……などと思いつつ、健は暇つぶしに、と空中に指を走らせ、ニュースチャンネルを呼び出した。
魔術師、それも正義の魔術師として活動する人間にとってニュースチャンネルは世の中の情勢を知る基本的な手段である。
社会情勢を大きく揺るがすようなニュースは勿論、何気ない当たり前の日常も確認し、常にアンテナを張り巡らせる。
いくつかのニュースが終わり、次のトピックスに移り変わる。
「!?!?」
がばり、と健が身体を起こす。
「ん? どうした?」
アンソニーが不思議そうに健を見る。
「ニュースを開け! 今すぐに!」
そう大声を上げながら、健はアンソニーにニュースチャンネルのアドレスを転送する。
アドレスを受け取ったアンソニーが怪訝そうにニュースを開き――そして目を見開いた。
「ちょ、タケシ、これって――」
ニュースの見出しが大きく目立つもので構築されており、特に重要な話題であることをうかがわせる。
そのニュースのテロップは――。
「Lemon社が新型AI『ADAM』と『EVE』を開発!?!?」
ニュースを開いたアンソニーが声を上げる。
嘘だろう、と健もニュースを凝視する。
《――Lemon社が発表した新型AI、『ADAM』と『EVE』は人間と同等の自律思考を持ち、独自に状況を判断、状況に応じた行動を行うことができると発表されており、既存のAIにないファジーさを持ち合わせている、とのことです――》
アナウンサーの言葉に、健もアンソニーも言葉を失う。
このタイミングで発表された新型AI、「ADAM」と「EVE」ということは、と考えて健が口元を覆う。
何かがこみ上げてくる感覚。
あまりの悍ましさに、Lemon社に対する苛立ちすら覚える。
「匠海……」
映像がいったん切り替わり、Lemon社CEOによるプレゼンテーションが放映される。
《『ADAM』と『EVE』は、既に当社が保有する
「やっぱり『EDEN』は新型AIを開発するための、土壌……?」
今まで、健が持ち帰ったデータの解析を行っていたアンソニーが納得したように呟く。
そこで二人に通知が入り、ピーターが回線をつないでくる。
二人がそれに応じると、ピーターもニュースを見ていたのか興奮したような声で二人に「ニュース見たか!?!?」と尋ねてくる。
「ちょうど今見てたよ。お前も見てたのか」
《ちょっと休憩中だったからな》
そう言うピーターの顔は険しい。
《この間お前が脳内データを持ち帰ったことでLemon社も発表せざるを得なくなったんじゃないか?》
「どういうことだよ」
そう言いつつも、健も何となくだが確信していた。
脳内データ、それも「EDEN」住人としてAI化したデータを持ち出したのだ。Lemon社側からすれば重大な情報流出インシデント、ここで他社による流出技術の発表というリスクを考えれば今このタイミングで発表するしかなかったのだろう。
《お前も分かってんじゃないのか?》
「まあな、俺が持ち出したデータを封じるためだろ」
ああ、とピーターが頷く。
《とにかく、厄介な状況になったのは事実だろう。ところでそこにSERPENTはいるのか?》
ピーターの言葉に、そう言えばと健が周りを見る。
Lemon社が動いたとなればSERPENTも黙っていないはず。
それなのに、いつもなら呼んでもいないのに現れるはずのSERPENTはどこにもいなかった。
「SERPENTに何かあったのか……?」
呟く健。分からないと首を振るアンソニー。
《――『ADAM』や『EVE』を始めとした新型AIシステムは医療や生産現場を大きく変えるでしょう。AIの新たなフェーズの始まりとなるのです》
Lemon社のプレゼンは続いている。
「好き勝手言いやがって……」
医療や生産現場? ふざけるな、と健が歯ぎしりする。
技術の発展とは、同時に軍需産業の発展と言われている。
軍事のために開発されてきた技術が、時代の流れと共に民間へと広がり、一般的なものへとなっていく。
そう、オーグギアの量子通信だって最初は「軍事機密をより安全、確実に送信する」ために利用されたしその前身となるインターネット通信だって元々は軍事用のものだった。
いずれも、世界の情勢の変化と共に一般化していっただけだ。
だから、この新型AIも同じ道をたどるはず、と健は考えていた。
まずは兵器に搭載しての自律行動をテストし、それが普及しきってから初めて医療や生産現場に広がっていく――。
阻止しなければ、と健がそう思い、アンソニーを見るとアンソニーも同じ気持ちだったらしく、健に頷いて見せる。
《この期に及んでSERPENTが出てこないのはいささか気になるが、ここで動かないわけにはいかない。俺たちだけででも、『Project REGION』を止めるぞ》
ピーターも同じ気持ちだった。
ピーターの宣言に健とアンソニーも応、と頷き、拳をぶつける。
「ってもどうするか……」
そう、呟いてみたものの健には一つの考えがもう浮かんでいた。
《お前の中ではもう答えが出てるんだろ、言ってみろよ》
伊達にお前と「
それに背を押され、健はああ、と頷いた。
「もう一度『EDEN』に侵入して、
「でも、黒き狼が……」
健の言葉に、アンソニーが不安そうに呟く。
黒き狼の脅威は取り除かれていない。再び「EDEN」に侵入したところで黒き狼に捕捉されて終わりだ。
それでも、行かなければいけない。たとえ誰かが黒き狼と刺し違えたとしても、「Project REGION」は阻止しなければいけない。
「黒き狼がなんだ、それに『正義は勝つ』んだろ、やってやろうじゃねえか」
「Team SERPENT」こそが正義なのだと。
そう思い、健は固く拳を握り締めた。
To Be Continued…
「世界樹の妖精-Serpent of ToK- 第4章」のあとがきを
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クロスフォリオ
AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
もしAWsの世界に興味を持っていただけたなら、他の作品にも触れてみてください。そうすることでこの作品への理解もより深まるかもしれません。
ここではこの作品を読んだあなたにお勧めの作品を紹介しておきます。
世界樹の妖精-Fairy of Yggdrasill-
アメリカに4本建立されたメガサーバ「世界樹」の最初の1本、「ユグドラシル」サーバの物語。
今作では事故死しているらしい匠海が主人公で、ユグドラシルサーバで働いています。
謎のAI「妖精」と出会いますが、その妖精とは一体。
光舞う地の聖夜に駆けて
ガウェイン、ルキウス、タイロンが解決したという「ランバージャック・クリスマス」。
三人が関わった始まりの事件……の、少し違う軸で描かれた物語です。
そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。
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