縦書き
行開け
マーカー

世界樹の妖精-Serpent of ToK- 第11

 

分冊版インデックス

11-1 11-2 11-3 11-4

 


 

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 場所はアメリカのフィラデルフィア。
 とある施設に、仲間の助けを借りて侵入した二人の男がいた。
 ハッキングに長けたガウェインと肉弾戦に長けたタイロンの二人は警備をものともせずサーバルームに侵入、データを盗み出すことに成功する。
 ハイドアウトに帰還した二人は、侵入の手引きをしてくれたもう一人のハッカー、ルキウスとサポートガジェットを作ってくれたアンソニーと量子イントラネットを通じて会話する。
 そこに現れた1匹の蛇。
 その蛇こそが「SERPENT」と呼ばれる謎の存在で、ガウェインたちはLemon社が展開しているという「Project REGION」を阻止すべくSERPENTに呼ばれた人間であった。
 SERPENTの指示を受けてLemon社の関連企業に侵入するたけし(ガウェイン)とタイロン。
 「EDEN」にいるという匠海たくみ和美かずみが気がかりで気もそぞろになる健だったが、無事データを回収する。
 解析の結果、そのデータは保管期限が切れて削除されたはずの「EDEN」ユーザーのデータ。
 そこから匠海と和美のことが気になった健は独断で「EDEN」への侵入を果たす。
 「EDEN」に侵入した健だが、直後、魔術師仲間内で「黒き狼」と呼ばれる魔術師に襲われる。
 辛うじて逃げ出した健であったが、「Team SERPENT」を危機に晒しかねない行為を行ったということで謹慎を命じられる。
 謹慎中、トレーニングをしているところで健は「Team SERPENT」に亡霊ゴースト魔術師マジシャンである「白き狩人ヴァイサー・イェーガー」が在籍していないことに疑問を持つ。
 「ヴァイサー・イェーガーはチームへの所属を希望しなかった」という事実に不信感を持つ健だったが、そんな折、Lemon社が新型AI「ADAM」と「EVE」を発表する。
 この二つのAIは匠海と和美だ、と主張する健。
 二人は大丈夫なのか、と心配になった健はもう一度「EDEN」に侵入することを決意する。
 止めようとするアンソニーだったが、そこにピーターとタイロンも到着し、健と共に「EDEN」をダイレクトアタックすると宣言する。
 ToKのサーバルームに侵入し、ダイレクトアタックを敢行する健たち。
 「EDEN」に侵入し、匠海と会話をはじめた直後、予想通り黒き狼に襲われる健だったが、自分のアバターに一つのアプリケーションが添付されていることに気付く。
 「魔導士の種ソーサラーズシード」と名付けられたアプリケーションを起動する健。それはオーグギア上からでもオールドハックができるものだった。
 オールドハックを駆使し、黒き狼を撃退に成功するが、健たちの侵入もToKに知られており、健たちはToKから離脱する。
 黒き狼は白き狩人ヴァイサー・イェーガーであり、彼は匠海の祖父、白狼であると主張する健。
 だとすれば匠海と和美を守りたい一心で「Project REGION」に参画しているはずだ、という健にまずはその事実の確定をしなければいけないとタイロンが指摘する。
 しかし、健が匠海の祖父の名が「白狼」であることを告げた瞬間、タイロンとピーターは「確定だ」と判断する。
 それならDeityを抑え、黒き狼を説得すれば助けてもらえるかもしれない。
 そう判断した三人はタイロンのハイドアウトからまたもToKをハッキング、Deityと黒き狼の捕獲に向かう。
 SERPENTが作った綻びを利用し、再度「EDEN」に侵入する健とピーター。  黒き狼が現れるが激闘の末説得に成功、その協力を得て匠海と和美を「ニヴルング」へと転送、ピーターもDeiryを抑え、データの入手に成功する。
 任務完了と現実世界に戻る二人、しかしどこで突き止められたかLemon社の私兵がタイロンのハイドアウトに乗り込んできて、三人は拘束されてしまう。
 Lemon社の収容施設に収容される三人。
 脱走もできない状況だったが、そこへ日和が現れ、白狼の手を借りて三人を脱獄させる。
 その脱走劇の最中、収容施設を十二機のロボットが襲撃する。
 それはアンソニーが「Team SERPENT」の面々に呼び掛けて集結した「蛇小隊サーペント・スクワッド」だった。
 FaceNote子会社で白狼と顔を合わせた健たち。
 ここで「Project REGION」を完全に阻止すべく、一同は最後の攻撃を仕掛けることを決意する。

 

 
 

 

    11章 「黎明を告げる蛇」

 

「それじゃ、二人を儂のイントラネットに招待する。そこからならお前らの特定までの時間を稼げるし、仮に逆探知が始まっても撒くくらいの余裕はできるはずだ」
 白狼の言葉に、健とピーターが応、と頷く。
 今までも正念場だと思ったことは何度もあるが、今回は真の意味で正念場だと二人とも思っていた。
 GLFNグリフィン各社が有する世界樹を攻めることに比べれば難易度は低いかもしれない。合衆国ステイツ経済圏各国政府のホットラインにデータのコピーを送るのは、まず一般市民に秘匿されているホットラインを探し出すという時点で難易度は高いが、侵入してしまえばどうということはない。気をつけることがあるとすればセキュリティを監視しているAIやカウンターハッカーに気取られないようにすることだけだ。
 世界樹の侵入検知は精度が非常に高いことで知られている。いくら痕跡を残さないよう侵入してもほぼ確実に侵入だけは感知されるので感知されないように侵入する、という考えは捨てた方がいい。むしろ「感知されても自分だと発覚しないよう」立ち回る必要がある。
 その一点で、健たちはあの拘束で致命的なミスを気づかず犯してしまったと言える。いくら察知されても「誰が」が分からない限り追跡はできない。だが、あの時は何故か追跡されてしまった。
 ピーターは自分が追跡された、と確信していた。その主な理由が「Deityに接触した」である。恐らくDeityにはピーターの預かり知れない検知システムがあり、それによってピーターであると特定されたのだ、と。
 とはいえ、「Team SERPENT」がToKに対して行うべきことは全て終わった。よほどのことがない限りToKに侵入する必要はないし、その基幹システムを担うDeityにアクセスすることもない。
 結局何に捕捉されたんだ、という疑問は残しつつもピーターは健と共に白狼ヴァイサー・イェーガーのイントラネットにアクセス、指示を受けながらデータの拡散準備を始めた。
 ピーターの担当は各放送局が有する放送ラインの掌握。
 合衆国ステイツ経済圏にある大小全ての放送局を洗い出し、まとめてトラッカーを付けていく。一つ一つに電波ジャック用のウィルスを送り込んでもいいが、一斉に発火させて同時ジャックするならまずは枝を付けてその後一括で送信した方が効率がいい。
 健は各国のホットラインを洗い出し、政府にデータを送りつける準備を進めている。こちらも特に問題なく進んでいるようで、時折健が「うお、こんなところにルートがあったのか」と呟いている以外静かなものである。
 そして、この作戦の主軸を担う白狼は二人が様々な場所へアクセスするためのルート調整を行いつつ最大の仕事――ToKへのアクセスを行っていた。
「ジジイ、ToKにはもうアクセスする理由なんて――」
 白狼がToKにアクセスしていると気づいた健が声を上げる。
「いや、ToKにはもう一度だけアクセスする必要がある」
 そう言い、二人の視界にToKのセキュリティマップを表示する。
「GLFN各社は放送の優先権を握っている。競合した場合は総資産の上位が優先される仕組みにもなっとる。つまり、イルミンスールを起点として電波ジャックを行なってもLemon社の方が総資産は上だから簡単に封じることができる」
「マジか」
 放送の優先権については健には預かり知れないものだった。白狼の言い分が正しければ各放送局が都合の悪い報道を行えばGLFN四社が揉み消せる、という話である。仮にFaceNote社が放送局に圧をかけてLemon社の不祥事を報道させたとしても、四社の中で最高額の総資産を保有しているLemon社はそれを封じることができる、ということだ。
 そう考えると白狼の動きは間違っていない。ToKはLemon社の心臓でもあるため、それを事前に抑えておけばいざ電波ジャックを行なってもLemon社は手も足も出せなくなる。
「しかし爺さん、Deityにはヤバい探知システムがあるぞ? それに引っ掛かったらこの場所も、FaceNoteも……」
 心配そうにピーターも声を上げる。
 だが、白狼はそれを笑いで吹き飛ばした。
「儂がどれだけToKの隠しカウンターハッカーとして動いてたか知らんのか。Deiryの裏口バックドアくらい作っとるわ」
「うわこわ」
 ピーターの口から思わずそんな声が出る。
 白狼は白狼でいつか反旗を翻せるよう準備していたということか。
 ただ、これができたならもっと早く「Project REGION」を、それも白狼一人で阻止できただろうに、とピーターも健も思ったが、それは不可能だった、とすぐに思い直す。
「お前らのおかげだよ」
 手を止めずに、白狼が呟く。
「だろー? もっと崇めてくれていいんだぜ?」
「おいガウェイン調子に乗るな!」
 調子に乗った健をピーターが止める。
 そうだ、健とピーターが一時的にもDeityを止め、匠海と和美のデータをサルベージしたからこそ白狼は今自由に動くことができる。いつかは反旗を翻そうと準備はしていても、「Team SERPENT」が動くまで機は熟していなかったのだ。
「まさか、ニヴルングに転送するとは思っていなかったぞ。とはいえ、儂の動きにも限度があったからDeityに察知されず転送することはできなかった。お前たちが来てくれたからできたことだよ」
「なのに散々ボコしてくれてよー……」
 健のぼやきにピーターもそれはそう、と心の中で同意する。
 いくら匠海と和美のデータが人質に取られていたとしても白狼がもっと早く協力してくれればLemon社に拘束されることもなかったかもしれないのである。
「まあそうぼやくな。お前らにとっては必要な試練だったんだよ」
「言ってくれるなあ……」
 そう言いながらも三人は手を止めない。
 放送局の放送ネットワークが、各国のホットラインが、そしてToKの主要機能が三人の手によって侵食されていく。
「ジジイ、各国ホットライン捕捉完了!」
「こっちも放送ネットワーク掌握完了した」
 健とピーターが同時に声を上げる。
「よし、こっちもToKの通報システム周りを全て抑えた」
 白狼も準備完了と声を上げる。
 しかし、白狼は自分が進めた作業の全容を二人には告げていなかった。
 ToKの通報周りを押さえたのは事実だ。だが、それだけはない。
 ――匠海、和美さん、お前らの願いは受け継いだ。
 白狼が最後の仕上げを済ませてエンターキーを叩く。
 それはToKにある「Project REGION」に関する全データの削除。コピーは健とピーターが持っている。これから各国政府にも送られる。だからこのプロジェクトが完全に消失するかと言われるとそうはならない。ただ、Lemon社が独断で進めることができなくなるだけだ。
 データは削除したが、削除されたという発覚を遅らせるためデータは全て出鱈目な文字の羅列にしている。いざアクセスしたらデータが破損していてそこで初めて発覚する仕組みだ。
 もう、Lemon社に対して思うことも「Project REGION」に関わることもない。今ここで、全てを終わらせる。
「いいか、二人とも」
 白狼が二人に声をかける。
「ああ、大丈夫だぜ」
「問題ない」
 健とピーターも力強く頷く。
「それなら――「Team SERPENT」毒蛇の一噛み、これで決着をつける!」
 三人が同時にそれぞれのコードを起動させる。
 ――三人がそれぞれに送り込んだコードが発火し、毒蛇が熟れたレモンに噛み付いた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 街のサイネージやTV、オーグギアで視覚投影されるニュース――その全てが同じ映像を繰り返し放映する。
『Lemon社は「EDEN」のユーザーデータを使用し、人間の魂を複製、AIとして利用する「Project REGION」を立ち上げていました。このプロジェクトには「EDEN」の最高技術責任者、佐倉 日和博士の参画しており――』
 放映された映像に、Lemon社内部は大混乱に陥っていた。
「早く映像を止めさせろ!」
 報せを受けたLemon社CEOが秘書に叫び、秘書もそれをToKの連絡網に流す。
「だめです、ToKの通報システムが全てジャックされているそうです!」
 秘書の報告に、CEOがバカな、と声を上げる。
「ToKの通報システムを全て抑えるだと!? そんなこと――」
 できるはずがない、と言おうとしてCEOは気づく。
 CEOはハッキングについての知識があるわけではなかったが、それでもToKのセキュリティ関係に関しては普通の魔術師マジシャンでは突破できないように何重にも設定が施されているとは聞いている。それなのにそれを突破する魔術師マジシャンがいるというのはにわかには信じられないものの、その常識を打ち破るのもまた魔術師マジシャンであるということはうっすらとだが理解していた。
 ToKのセキュリティを潜り抜けるほどの腕の立った魔術師マジシャン――そういえば少し前にDeityにアクセスしたらしい魔術師マジシャンが拘束され、すぐ脱獄したと聞いている。GPSのデータが寸断され、追跡できないという報告を受けていたが、一度拘束された魔術師マジシャンが再度アクセス、その末に通報システムを掌握してしまうなど、普通は考えられないし考えたくもない。
 そんなにも彼らは、と考え、CEOははた、と気がついた。
「……そうか、『Team SERPENT』なら――」
 智慧の木ToKに棲み着いていたSERPENTは「Project REGION」のことを嗅ぎ回っていた。それを見つけ出し、SERPENTのデータ自体は破壊した。しかしただのAIがただプロジェクトについて調べることは考えられず、その裏に人の手が絡んでいることは分かっていた。あの拘束した魔術師マジシャンもどうやら「Team SERPENT」の一員らしい、ということは収容施設を襲撃し、脱獄を手引きしたロボットに蛇のエンブレムがあったことから推測されている。
 そう考えると、「Project REGION」の告発を行なっているのは「Team SERPENT」。
 蛇は頭を落としても死ななかったのか、とCEOはほぞを噛んだ。
 この事態を唯一止められる可能性のあった亡霊ゴースト魔術師マジシャンである白き狩人ヴァイサー・イェーガーは気がつけば姿をくらまし、「Project REGION」のキーパーソンとなる佐倉 日和も拘束した魔術師マジシャンと共に行方不明。
 それならば二人を手元に置くために預かっていた永瀬 匠海と永瀬 和美の二人のデータを削除しようとしてもそのデータはすでにどこかへ転送された後。
 全ての切り札を無効化され、Lemon社にはもう切るべき手札は残されていなかった。
「くそ……。ここまでか」
 心底悔しそうにCEOが呻く。
 映像では日和がプロジェクトに加担していたがそれは自分の意思ではなく「EDEN」初期ユーザーとして登録された家族のデータを人質に強要されていたことや「Project REGION」の全データは合衆国ステイツ経済圏各国に送られていること、それを利用するならさらに全ての経済圏へ転送するということまで言及されている。この意味を理解しているならこのデータを利用することなく保管、または削除することを推奨するとまで言われてLemon社は完全に動きを封じられた。
「ここまでです、CEO」
 悔しさの滲み出る秘書の言葉に、CEOも頷くしかできなかった。
 ここで無理に動いたところで世論はLemon社に反発するだけ。現時点ですでに株価も暴落し始めている。流石にLemon社がこれで倒れることはないだろうが、それでもGLFN四社のパワーバランスに変動が起こるのは免れない。
「……あと少しで、GLFNと呼ばせずにLemon社我が社一強の世界が作れると思ったのに」
 取るに足らないはずの魔術師マジシャンにゲーム盤をひっくり返されたCEOは忌々しげに呟いた。
 そのタイミングで扉が乱暴に開け放たれ、中に数人の武装兵が突入してくる。
 その肩につけられた企業エンブレムは一つだけではなかった。
 色相環を思わせる「G」、青地に白抜きの「F」、そして川に見立てた「N」。
 Lemon社自社を除く三社が手を組んだのか、とCEOが歯軋りする。
「『魂』の研究利用は重大な倫理違反だとGLFN間で取り決めたはずです」
 武装兵の後ろから悠々と入ってきた一人の男がそう宣言する。
「Lemon社CEOクリフトン・アンダーソン。あなたを倫理違反および四社協定違反の疑いで拘束させていただきます」
 CEOクリフトンにとっては死刑宣告も同然の言葉。
 抵抗することもできず、クリフトンは両手に手錠をかけられることになった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「はー……終わったー!」
 電波ジャックによる告発から数時間後、Lemon社CEOクリフトン・アンダーソンの逮捕の報道が緊急速報として流され、そこで一同はようやく肩の力を抜いた。
「長かったぜ……」
 健がだらりとしたことでピーターも脱力した声で呟き、椅子に身を預ける。
 健はまだフリーだったが、ピーターはイルミンスールのカウンターハッカーを続けながら密かに「Team SERPENT」のメンバーとして活動していたので全て終わったことによる脱力は健の比ではない。
 それでも「Team SERPENT」の一員としてライバル企業の野望を密かに打ち砕くことができたという事実に誇らしさを覚えていた。FaceNote本社には後から色々追求されそうな気がするし、下手をすれば懲戒解雇もあり得るが、なぜかそれに対する恐れはない。むしろ清々しい気持ちで全てを終わらせた余韻に浸っていた。
「皆、ありがとう」
 健たちを前に日和が頭を下げる。
「君たちのおかげで私は道を踏み外し切らずに済んだ。死者の尊厳もこれで守られる」
「あー……俺はただ匠海と和美を助けたかっただけだし」
 ソファでだらだらしながら健がだらけた声を上げる。
「しかし、匠海と和美の奴、ニヴルングのアカウントちゃんと取れたかな……」
「……まずはそこからだったな」
 巨大仮想空間メタバースSNSである「ニヴルング」は本名登録と国民情報IDの提示が必須となる。死者である二人はまずIDの時点で登録が難しいはず、ということに気づいた白狼がさてどうする、と呟いた。
「まぁ、IDもデジタルデータだからな、偽造はいくらでも――」
『ジジイ、それはもう済んでるぞ』
 不意に、その場にいた全員の聴覚に同じ声が届いた。
 えっ、と全員が目を上げると、空間が揺れるエフェクトと共に匠海と和美が姿を現す。
「え、匠海……」
『ARアバターだ。お前らはもう何度も見てるだろうが』
 ARウェアラブルデバイスオーグギア越しに視覚投影される匠海と和美は一見、リアルでそこに存在しているように感じる。しかし、触れてもすり抜けるのはSERPENTで経験済み。
『ジジイやらお前らに何もかも任せるのは申し訳ないからな、一旦NPCとしてニヴルングに潜り込んで、それからIDを偽造してアカウントを作った』
「おま、死んでもハッキングできるのかよ!」
 匠海の言いように思わずツッコミを入れる健。
 匠海は「できますが何か?」と言わんばかりのしたり顔で健を見ている。
『俺を誰だと思ってんだ。魔術師マジシャンとしての腕は落ちてない』
「……ってか、AIの倫理コード的にハッキングは許されるのか……」
 ピーターも思わずぼやいてしまう。
 かつてアイザック・アシモフが提唱したロボットが従うべきとして示された三つの原則――「ロボット三原則」というものがあったようにAIにも「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を目的とした倫理コードはあったはずである。AIが人間に反旗を翻さないよう、そして自分で自分を破壊しないよう、命令されても絶対に実行できないコードがあるはずだが。
 実際に、AI倫理に関する原則はいくつかある。国防総省ペンタゴンが採択した五つの原則は「責任、公平性、追跡可能性、信頼性、統治可能性」である。結果に対して人間が責任を持ち、人間に危害を加えることのないよう意図しないバイアスを回避させ、運用方法を適切に理解し、システムの安全性を保証し、意図しない混乱を回避しつつ意図した機能を果たさなければいけない――これは人間に対しての戒めではあるが、同時に「AIとして求められる動作」でもある。そう考えるとAIである匠海がIDを偽造するほどのハッキングを行なった、と言うことは「意図しない混乱」を引き起こす引き金になりかねないのでは――そんな疑問すら生まれる。
 元々は人間であったとしても、今は電子制御で生きるAI――本当にそれは、「人間が作り出した大規模言語モデルLLM」なのか、それとも一人の人間として「意志ある存在」なのか。
 匠海という元人間のAIが行ったハッキングはそれほどの疑問を健たちにもたらした。
 AIの倫理として、それは本当に許されるのか――。
 だが、ここにいるのは。
「ま、いいんじゃね? AIかもしれないが匠海は普通に人間だろ」
 健の気楽な声が室内に響き渡った。
 途端に、張りつめかけていた部屋の空気が緩んでいく。
「そうだった、こいつそういう奴だった……」
 ピーターが頭を抱えて呟く。
「実際のところ、人間の脳内ネットワークニューラルネットワークを完全再現したものだからよくあるLLMとは全く違うよ。そう考えるとただAIとひとくくりにするわけにもいかない」
 日和の発言に、健が一瞬「そんなモノみたいに」と反論しかけるが口を閉ざす。
 日和は匠海と和美をAIとして蘇らせている。その手法に関してドライに説明したからと言って彼が二人をただのAIと思っているはずがない。少なくともただのAIとして認識しているのなら「Project REGION」に反発しなかったはずだ。むしろAIの新たな可能性として積極的に参加したはずである。
「匠海……」
 白狼がそっと手を伸ばし、匠海の肩辺りで止めて呟く。
「もう、大丈夫なんだな?」
『ああ、拠点をニヴルングに設定したが、マスタデータは誰にも到達できない場所に保管している。もう誰にも俺たちを消すことはできない』
「そうか……」
 よかった、と白狼がほっと息をついた。
『おじいちゃん、』
 和美も白狼に声をかける。
『ごめんなさい、おじいちゃん。わたしたちのせいで辛い思いさせちゃって』
「いや、いいんだよ、和美さん」
 そう言い、白狼はすまない、と謝罪した。
「儂がもっと明確に正義を貫けていれば『Project REGION』は止められたかもしれん。だが、儂はそれよりも和美さんたちが大切だった。和美さんたちを守るためなら、儂は……」
「ま、結果として誰も消えずに阻止できたんだからいいんじゃねーの?」
 不意に、健が会話に割り込んできた。
「ジジイ、ああだこうだ悔やんでも仕方ないんじゃね? 正義のハッカーホワイトハッカーだとしてもその正義が貫けないことだってあるだろーが。俺だって匠海が人質だったら殺してまで正義を貫くとかできねえよ」
「ガウェイン……」
 健の口調は軽いものだったが、白狼の胸に確かに響いた。
 健は白狼を全く責めていない。白狼があれだけ黒き狼として健を痛めつけたにもかかわらず、それを仕方のないものとして終わりにしてしまっている。自分も同じ立場だったら同じことをしていたと言う。
 それだけで、白狼は正義の味方としては道を踏み外したかもしれないが人間として間違ったことをしたわけではないと感じることができた。もし「Team SERPENT」が「Project REGION」を阻止しなければ白狼は人間としては間違わなかったかもしれないが一生後悔したかもしれない。
「ありがとう、匠海たちだけでなく儂らも救ってくれて」
 白狼が感謝の言葉を口にする。と、健は途端に慌てたように手を振った。
「いや俺はマジで匠海たちを助けたかっただけだって! まぁ、その結果『Project REGION』も阻止できたが――そういえば、SERPENTはもういないんだったな」
 健が瞬時に真顔になって呟くと、ピーターもタイロンもそうだな、と小さく頷いた。
「SERPENTがいてくれたおかげで俺たちは正義を成すことができた。が、そのSERPENTがいないとなんか締まらないな」
「ああ、結局ハイドアウト爆破してそのままシグナルロストしてるからな……もう復元もできないんじゃないか?」
 タイロンとピーターも呟く。
 SERPENTは「Team SERPENT」にはなくてならない存在だった。結局正体も何も分からず、ただToKに潜んでいたAIだったことだけは分かったが、AIであるなら開発者がいるはずなのにそれが誰かも分からない。それとも、SERPENTはToKに宿った電子のおりだったのだろうか。世の中には正体不明の凄腕魔術師マジシャンも存在する。ネットワークの世界でのみ生きる亡霊ゴースト、その一つとして奇跡的に生まれたAIだったのだろうか。
 SERPENTの真相は闇の中。その場にいた誰もがそう思った時。
『なんだ、SERPENTに会いたいのか?』
 不意に、匠海がそう声を上げた。
「え――」
 匠海の言葉に健が硬直する。
「え、匠海アーサー、あんたSERPENTを知ってるのか?」
 ピーターも信じられない、と声を上げる。
 二人の声に、匠海はああ、と力強く頷いた。
『知ってるも何も――』
『わたしと匠海で作り出したのがSERPENTだから』
 そう言いながら匠海と和美が手を重ね合わせる。
 二人の周りをプログラムコードを模した薄緑色のエフェクトが渦巻き、巨大な卵を形作っていく。
 二人が合わせた手を前に突き出す。巨大な卵が床に落ちる。
 卵は二度、三度震え、派手なエフェクトと共に孵化した。
「あ――」「な――」
 健とピーターの声が重なる。
 金属質の鱗。電子回路を思わせるライン。
 鋭く光る瞳を持つそれは、SERPENTだった。
 ちろちろと舌を動かし健たちを見るSERPENTはどこからどう見ても「Team SERPENT」のシンボルであり導き手であったあの蛇。
 データは全て失われたはず、復元することも叶わないはずなのに、ここにいるということは――。
『皆、よくやったな』
 聞きなれた合成音声が健たちの聴覚に届く。
「SERPENT、お前――」
 本当に復元されたのか、と健がかすれた声で尋ねる。
 それと同時に健たちに着信が入り、アンソニーが会話に割り込んできた。
《SERPENTが俺の前にいるんだけど!?》
 今まではアメリカ全土に展開された「Team SERPENT」の量子イントラネットが接続されたハイドアウトでしか姿を見ることができなかったSERPENTが姿を見せている。
 健たちの元に次々と着信が入り、各地の「Team SERPENT」メンバーが割り込んでくる。
 SERPENTが戻ってきた、「Project REGION」が阻止された、そんな歓声が次々飛び込んでくる中、健は目の前のSERPENTを見た。
「SERPENT、お前――」
『わたしがそう簡単にくたばると思うのか?』
 そう言うSERPENTの目が笑っているように見える。
「でも、お前あの時Lemon社に消されたんじゃ」
 あの時、ボロボロになったSERPENTは本体がLemon社――ToKにあるということが分かっていた。ToKにいたからこそ情報を集めることが、「Project REGION」を察知することができたが、それは同時に敵に身を晒すこととなった。
 だから攻撃され、削除されたのに、どうして。
 いや、匠海と和美が作り出した――?
「どういうことだよ」
 健が匠海と和美に視線を投げ、尋ねる。
『俺たちは「Project REGION」のことを知っていた』
『わたしたちは「Project REGION」を進めさせてはいけないと思っていた』
 匠海と和美が交互に答える。
『だが、俺たちが行動を起こせばDeityに察知される』
『パパとおじいちゃんが危険にさらされる』
 その言葉に、健ははっとした。
 白狼や日和が二人を案じていたように、二人もまた案じていたのだと。
 しかし、データの集合体である二人が下手に動いてログを残せばDeityが察知するところとなる。下手をすればDeityが二人を危険なデータとして削除する可能性もあったし、Lemon社が日和たちを人質に二人の演算能力を利用することを考えたかもしれない。
 だから、二人は――。
『俺たちはDeiryのログに残らない範囲でSERPENTを作り出した』
『わたしたちの代わりに「Project REGION」を告発できる人を見つけるために』
「匠海、和美……」
 二人の言葉に、健がはは、と笑う。
「そっか……お前たちも……」
 戦っていたのか、と言いたかったが声にならなかった。
 発覚すれば消されたかもしれないのにリスクを冒してSERPENTを生み出し、Lemon社に抵抗した。
 二人が生前正義のハッカーホワイトハッカーとして裏で活動していたからその正義感は理解できる。もし白狼と日和という人質がいなければ自分たちが消されるのも厭わずにもっと大々的に活動しただろう。二人が事故に遭った理由が正義のハッカーホワイトハッカーの活動による報復だったのは健が一番よく知っている。だから、二人がSERPENTを作ったということも納得できてしまった。
「無茶しやがって……」
 再びSERPENTに視線を投げながら健が呟く。
「だが、このSERPENTは復元されたものっぽいがSERPENTのデータは消されたはずだ。バックアップなんて取ってる暇もなかっただろうに」
 一番の疑問点はそこにある。
 ToKにあるSERPENTのデータは削除されたし、本体データもログも膨大なものだったはずだ。匠海と和美がログに残らないよう細心の注意を払ってもこれだけのデータのバックアップを常時用意することは不可能だったはずだ。
 だが、健の言葉に匠海は笑いで返す。
『俺をなんだと思ってるんだ。バックアップくらいちゃんととってたさ――NWSユグドラシルに』
「……は?」
 一歩遅れた健の声。
 今、こいつは何を言った? としか言葉が出ない。
「ユグ鯖にバックアップ取ってたって、え、なに、どゆこと」
 そんなことをすればログが確実に残るはずだ。まだToK内でバックアップを取るなら多少の誤魔化しは効くだろうが別企業のサーバ世界樹となるとそう簡単に誤魔化しが効くものではない。
 少なくとも健はそう思っていたが、匠海にはそれができたというのか。
『ああ、簡単な話だ。いくら企業間の対立があったとしても各サーバ間でもデータ通信は行われている。その通信に紛れ込ませて暗号化したログデータを全てユグ鯖に送ってたんだよ』
『マジか』
 健とピーターの声が重なる。
 同時に、匠海ほどの魔術師マジシャン――いや、魔法使いウィザードならそれくらい容易いことなのだと納得してしまう。
「やっぱアーサーには勝てねえな」
 もうアーサーがいれば解決しない問題なんてないんじゃ……と呟くピーター。
 実際、「Project REGION」は匠海がこれを良しとせず動いたことで阻止された。匠海がSERPENTを作らなければ健もピーターも、いや、タイロンやアンソニーといった主要メンバーもそれを支えたもっと多くの仲間も集まらなかった。
 その時点で、全ては匠海の手の平の上で進められた計画。
 その匠海が稀代の魔法使いウィザードで、ネットワークの海を自由に泳げる存在となった今、ディープウェブ「第二層」で正義を目指す魔術師マジシャンが活動せずともあらゆる問題を解決することが可能。
 ホワイトハッカー俺たちももうお役御免か、そう健とピーターが考えていると、匠海はいいや、と首を振った。
『俺たちを休ませろ』
「え、なに言ってんだよ。お前がいたらもう世の中のトラブルなんて」
 お前はネットワークの守護者だろ、と健が反論すると匠海がバカか、と答える。
『世の中を変えられるのは生きた人間だけだ。俺たちはあくまでそれを支えるだけの存在だ。そもそもお前たちがいなければ「Project REGION」は阻止できなかった』
 その言葉にその場にいた全員がハッとする。
 確かに、「Project REGION」を知ったきっかけはSERPENT匠海かもしれない。しかし実際に手を動かして腐敗したToK智慧の樹を伐り倒したのは自分たちだ。これはデータの集合体である匠海たちには不可能な話。
『だから、俺たちは世界の悪を見つけることはできるがそれを打ち破るのはお前たちの仕事だと思っている』
「つまり――」
 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。
 ああ、と匠海が力強く頷いた。
『「Team SERPENT」はこれで解散じゃない。むしろこれが始まりだ』
「始まり……」
『今日より、「Team SERPENT」はあらゆる悪に立ち向かい、人々の希望に寄り添う活動を開始する』
《うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!》
 匠海の宣言に、SERPENTを通じて話を聞いていた全ての「Team SERPNET」のメンバーは一斉に湧き上がった。
『タケシ、ピーター、タイロン、』
 SERPENTがその場にいたメンバーの名を呼ぶ。
 アンソニーや他のメンバーも通信の向こうで返事をしたことを見るとそれぞれの前にいるSERPENTは目の前にいたメンバーの名を呼んだらしい。
「なんだ」
 健が応えると、SERPENTは相変わらず舌をちろちろさせながら体を揺らす。
『お前たちはこれからも人知れず世の悪と戦うことになるが――その覚悟はあるか?』
 SERPENTのその質問は愚問だった。
 健、ピーター、タイロンの三人が顔を見合わせ、すぐに大きく頷く。
「たりめーだろ! 俺は正義の味方としてこれからも戦う!」
「って言ってる奴がバーサーカーだからついていくしかないだろ」
「ああ、もやし二人に任せておけない」
『なにをう!?』
 タイロンの言葉に健とピーターが反論すると、タイロンははははと笑って二人の肩を叩く。
「お前らはまず体を鍛えろ。いつまでも俺に守られっぱなしじゃ立場ないだろ」
「そ、それは……」
 健はそうではなかったが、ピーターは心当たりがありすぎて頷くしかできない。
「ま、俺もいつまでもお前らに守られっぱなしというわけにもいかないから基本的なハッキングを教えろ。そうしたらお前たちに護身術の基礎くらいは叩き込んでやる」
「乗った!」
「オレも乗るぞ!」
 タイロンが護身術を教えてくれるならそれ以上に心強いものはない。
 頼むぞと意気込む健たちにタイロンが任せろ、と力強く頷く。
 それを眺めながら、匠海と和美は手を取り合ったまま嬉しそうな笑みをその口元に浮かべていた。

 

To Be Continued…

エピローグへ

Topへ戻る

 


 

 AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
 もしAWsの世界に興味を持っていただけたなら、他の作品にも触れてみてください。そうすることでこの作品への理解もより深まるかもしれません。
 ここではこの作品を読んだあなたにお勧めの作品を紹介しておきます。

 

   世界樹の妖精-Fairy of Yggdrasill-
 アメリカに4本建立されたメガサーバ「世界樹」の最初の1本、「ユグドラシル」サーバの物語。
 今作では事故死しているらしい匠海が主人公で、ユグドラシルサーバで働いています。
 謎のAI「妖精」と出会いますが、その妖精とは一体。

 

   光舞う地の聖夜に駆けて
 ガウェイン、ルキウス、タイロンが解決したという「ランバージャック・クリスマス」。
 三人が関わった始まりの事件……の、少し違う軸で描かれた物語です。

 

 そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
 是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。

 


 

「いいね」と思ったらtweet! そのままのツイートでもするとしないでは作者のやる気に大きな差が出ます。

 マシュマロで感想を送る この作品に投げ銭する