世界樹の妖精-Serpent of ToK- 第2章
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場所はアメリカのフィラデルフィア。
とある施設に、仲間の助けを借りて侵入した二人の男がいた。
ハッキングに長けたガウェインと肉弾戦に長けたタイロンの二人は警備をものともせずサーバルームに侵入、データを盗み出すことに成功する。
ハイドアウトに帰還した二人は、侵入の手引きをしてくれたもう一人のハッカー、ルキウスとサポートガジェットを作ってくれたアンソニーと量子イントラネットを通じて会話する。
そこに現れた1匹の蛇。
その蛇こそが「SERPENT」と呼ばれる謎の存在で、ガウェインたちはLemon社が展開しているという「Project REGION」を阻止すべくSERPENTに呼ばれた人間であった。
第2章 かつての友なら何と言うだろうか
第一の世界樹、「ユグドラシル」サーバはカリフォルニア州、サンフランシスコに。
第二の世界樹、「イルミンスール」サーバは「ユグドラシル」と同じくカリフォルニア州、ロサンゼルスに。
第三の世界樹、「
そして、第四の世界樹、「
これらの世界樹は世界の量子ネットワークインフラを支え、数多くの
これら四基のメガサーバを有するのは
そんな世界樹やGLFNもただ平和にその歴史を刻んできたわけではない。
二一二五年にはNile社有するユグドラシルサーバが「
結果として世界樹の重要性というものはこれらの事件で再認識されることとなったが、それぞれの事件で人知れず戦った人間も存在する。
――そう、「ガウェイン」こと山上 健や「ルキウス」ことピーター・E・ジェイミーソン、そしてタイロン・D・アームストロングの三人のように。
彼らが出会ったのは冬真っ盛りのアラスカの地だった。
武者修行で世界各地を渡り歩いていた健、兄夫婦と姪っ子に会うためアラスカに来ていたピーター、そして保釈金を保釈保証業者から踏み倒して逃亡した
そのテロこそが「ランバージャック・クリスマス」であり、人類のほとんどがそのテロが解決した後に知ったというほど、極秘裏に阻止されたものだった。
アラスカで出会った三人はそのままアラスカで別れ、もう二度と会うことはないだろう、と思われていたが――。
「……なんでこうやってまた組んでるんですかねえ」
一仕事終えて「Team SERPENT」のハイドアウトに戻り、設置されていたベッドに寝転がった健がふと呟いた。
「ランバージャック・クリスマス」は彼にとって忘れられない事件の一つだった。
かつての友人が不可解な事故死を遂げ、己の非力さを呪った健は当時参加していたスポーツハッキングのチームから脱退し、世界中を回ってハッキングの腕を磨くことにした。噂で聞いた、
世界を回り、様々な人間とスポーツハッキングで対戦したり、ハッキングで犯罪を阻止したり、そんな流れの
健はふらりとアラスカの内陸部、フェアバンクスにオーロラを見るために足を運んでいた。
実家からは「年末年始くらい帰ってこい」とは言われていたが、そんな気にもなれず、たまたまニュースで見かけたオーロラに惹かれて訪れた冬のアラスカ。
そこで、面白いご当地情報がないかとアラスカ滞在時のみ侵入することができるネットワークこと
それを阻止すべく、健は行動した。
その時に同じく一人でテロを阻止しようと動いていたピーターと出会い、その後逃亡犯を追っていたタイロンとも出会った。
あろうことか、逃亡犯がテロの首謀者、イーライ・ティンバーレイクだったため、三人は協力してテロの阻止に動いた。
まさかの
全てが終わり、「もう会うことはないだろうな」と別れた三人であったが。
「ランバージャック・クリスマス」から二年が経過しようかという頃、健の目の前に一匹の
「密かに危険な計画が進められている、お前のそのハッキングスキルを貸してもらいたい」と言うSERPENTに疑問を持ちつつも、「報酬は出す」「そのハッキングが世界平和につながる」と言われ、興味本位で参加してみたらピーターとタイロンもスカウトされており、まさかの再会を果たした……という次第である。
再会から約一年。三人はアンソニーも交えてチーム内でグループを作り、フィラデルフィアを拠点に様々な活動を行った。
「Team SERPENT」と呼ばれるこの秘密組織は「SERPENT」と呼ばれる存在がメンバーに指示を出し、情報収集などを行う。
SERPENT曰く、「Team SERPENT」に所属するメンバーは誰もが何かしらの能力に秀でている、という。単にハッキングに強い人間がスカウトされるというわけではなく、タイロンのような四丁拳銃を操る武闘派やアンソニーのような機械工学の天才、他にも一般的には犯罪行為と言われるスキルに長けたメンバーもいるらしい。
そのなかでも健たち四人は「選抜メンバー」としてSERPENTに抜擢されていた。
SERPENTが言うところの「危険な計画」こと「
そのToKのお膝元、フィラデルフィアを拠点に四人は活動していた。
とはいえ、ピーターだけは本職がイルミンスールのカウンターハッカーなのでロサンゼルスからの遠隔援護ではあったが。
基本的に根無し草の健は「SERPENT」が用意したハイドアウトを転々としていたが、フィラデルフィアでの活動がメインになってからは今いるこのハイドアウトで寝起きしている。
今もハイドアウトとして利用しているコンテナハウスに戻ってきて、一休みしよう、というところだった。
今回もSERPENTの指示でとある企業に侵入し、
ああそうだ、と健が一旦起き上がってアンソニーを呼び出し、入手したデータを転送する。
《相変わらず大変だな》
そんなことを言いながらアンソニーがデータを受け取り、解析を始める。
再びベッドに寝転がり、猛はつい先ほどの侵入を思い出した。
◆◇◆ ◆◇◆
『今回はLemon社の子会社に侵入してもらう』
SERPENTのその言葉に健も、他のメンバーも「またか」という思いが隠せないでいた。
先日、とある脳科学研究所に侵入して「Project REGION」に関わる裏金の帳簿を盗んだばかりである。
それなのに次は一体何を。
グループチャットにいるタイロンが話の続きを促すと、SERPENTは「簡単なことだ」と説明を始めた。
『Lemon社の子会社に怪しい動きがあった。この子会社は以前からAI開発をメインで行っており、今回、Lemon社から何かを受注したらしい』
そんな情報、どこから仕入れてくるんだよと健は思ったが、口にしたところではぐらかされるだけだと言わないでおく。
『「EDEN」を運営しているLemon社からAI開発をメインで行っている子会社への発注、「Project REGION」に関わっている可能性は十分にある』
「Project REGION」に関わっている可能性、と聞いて、健が思わず姿勢を正す。
「まさか、『EDEN』の住人データが――」
『それはまだ断定できない。しかし、時期的にそういうことがあってもおかしくないだろう』
健の言葉を、SERPENTが即座に否定する。
『確かに、可能性そのものを否定することはできない。しかし、今それを調査するのが我々の成すべきことだと思っている』
Lemon社が「Project REGION」を進めていることを突き止め、計画そのものを阻止するためには綿密な調査が必要となる。
そしてそれはLemon社には決して知られてはいけないこと。
「Team SERPENT」の存在が明るみに出た時点で計画の阻止は失敗する。
現時点ではLemon社も産業スパイが嗅ぎまわっている程度の認識だろうが流石に今回の侵入は失敗すればかなりの打撃を受けるだろう。
分かった、と健は腰かけていたベッドから立ち上がる。
「
《ああ、セキュリティは確認済みだ、任せとけ》
ピーターからも連絡が入り、健は両手をパン、と合わせた。
「じゃ、行きますかね……おっさん、疲れてないだろうな」
《だからおっさんと言うなと》
タイロンが苦笑しながら返答し、健もあはは、と楽しそうに笑う。
実際のところ、SERPENTからの依頼は大変なものも多いが楽しかった。
ただハッキングするだけではなく、施設への潜入など、まるでスパイのようだ、という思いが健にはあった。
「Team SERPENT」という秘密の組織で、秘密裏の活動を行う。
武者修行の旅も楽しかったが、今、こうやって仲間と共に危険な計画を阻止しようと動くのは楽しかった。
もし、「Project REGION」を阻止したら俺たちはどうなるんだろう、と不意にそんな考えが健の脳裏をよぎる。
目的が完遂されれば自分たちはもう用なしである。チームは解散されるだろう。
まさか口封じで殺されるということはないだろうが、全てが終わった後どうするかはノープランだった。
「……ま、でもこの経験を元に正義の味方をするってのも悪くないかな」
《ん? なんか言ったか?》
ピーターの言葉に健は自分の思考が音声になっていたことに気付く。
「あーいや、なんでもない」
照れ臭そうに笑い、健はハイドアウトになっているコンテナハウスの扉を開けた。
◆◇◆ ◆◇◆
照明がほとんど落とされた廊下を、健とタイロンが並んで歩く。
侵入と言えば警備が比較的薄くなる夜間がお約束となっている。
館内を巡回する警備員が懐中電灯さえ使えば苦労なく巡回できるほどの光量に設定された廊下、アンソニーの蜘蛛型ガジェットに搭載された投光器で足元を照らしながら二人は奥へと進んでいく。
「
突然、タイロンが健を制止し、そう囁く。
「あいよ」
健が周囲に
周囲の索敵に特化したPINGは、逆に
元々、健はPINGを「自分の居場所も知られるからあまり使いたくない」と敬遠していたが、アーサーと出会い、彼がPINGを効率よく、的確に使う姿を見て影響され、愛用している。
飛ばしたPINGが少し先の角を曲がったところに一人いる、と伝えてくる。
よし、と健は
素早く相手のオーグギアと
角の先で「ぎゃあ」という叫び声が聞こえ、それを合図にタイロンが床を蹴って警備を視認できる位置に移動し、愛用のヴァリアブルハンドガンの
気絶した警備を棄て置き、二人はさらに奥へと進んでいく。
その間、健はふと、かつての友人のことを思い出していた。
「彼」と出会ったのはロサンゼルスの、スポーツハッキングチームの拠点で、だった。
チームのまとめ役――健が「マーリン」と呼んでいた女性、
それから数日して、彼は拠点に姿を現した。
と言っても拠点のある雑居ビルまでは来たものの日和ったのか、尻尾を巻いて逃げようとしていたところを健が拠点の中に引きずり込んだ。
初めて見た彼――
聞くと、祖父がアメリカの永住権を獲得してから生まれた日系三世だという。
同じ日本人の血を引いていながら普段の言語も文化も違う彼の第一印象は「ぱっとしない」だった。
こんな奴のどこがアーサー候補なんだ、とも思ったものだ。
そんな出会いではあったが、その後の彼の成長は目覚ましく、あっという間に健の実力を追い抜くほどの力を身に着けた。
健もそれを妬むことなく、自分にふさわしい
その「報せ」を聞いたのは九月も後半、「Nileチャンピオンズトーナメント」が終了して暫くしてのことだった。
「アーサーとマーリンが事故に遭った」という報せは当時所属していたチームだけでなくスポーツハッキング界全体を揺るがした。
何故、という声が多数上がる中、健はその事故に納得していないものの納得せざるを得なかった。
報復を受けたのだと。
健も同じ穴の狢だからよく分かっていた。アーサーもマーリンも「正義のハッカー」としてネットワークの奥深くで活動していたことを。
その活動がどこかで知られ、事故に見せかけて襲われたのだ、と。
助かってほしい、と健は祈った。
たとえ、ハッキングが二度とできなくなるような体になったとしても、生きてさえいてくれれば、と。
だが、その願いは叶わなかった。
事故から数日後、二人がほぼ同時に息を引き取ったという連絡を受け、健は大きなショックを受けた。
良き友で、ハッキング以外でもよくつるんで、これからも仲良くやっていくんだ、と思っていた、親友とも呼べる友人二人の死は健を絶望させるには十分だった。
同時に、彼は思った。
「この事故の真相を突き止める」と。
それが彼に対する健なりの弔いだったかどうかは今はどうでもいい。
元から正義のハッカーとしても密かに活動していた健は警察やトラック運航会社の自動運転ログなどを調査し、事故の真相を突き止めようとした。
しかし、そこで大きな壁が立ちふさがった。
今の時代、ハッカーには大きく分けて二つの種類がある。
一つはオーグギアを使用した、ARハッキングを主とする
もう一つは旧世代コンピュータを使用した、
調査の結果、この事故には魔法使いが関与している、と健は気付いたのだ。
基本的に、後発のハッカーである魔術師は古の技術の粋を集めた魔法使いに勝つことはできない。
魔術師である健に、この見知らぬ魔法使いを打ち破り、警察に真実を突き付けることは不可能だった。
そこで健は魔法使いの技能であるオールドハックの腕を磨くべく、スポーツハッキングを引退して旅に出た――のだが。
(
廊下をタイロンと共に駆け抜けながら健が考える。
長い旅を経て、健はオールドハック技能を習得し、事故を起こした張本人を見つけ、警察に突き出した。
それであの事故は終わったのだ、これであの二人も浮かばれる、と思っていたのに。
健に「やりつくした」と感慨に浸る時間はあまりなかった。
数年という時間は経過したが、事故の真相を突き止めた健はその後も世界中を旅していた。
――SERPENTが現れ、「EDEN」と「Project REGION」につながりがあると告げるまでは。
《おい、ガウェイン、集中しろ》
ピーターの声に、健が我に返る。
「あ、悪ぃ」
《またアーサーのことを考えていたのか?》
少々苛立ったようなピーターの声。
バレてたか、と健は小さく頷いた。
《考えるのは暇なときにしやがれってんだ。仕事中に考え事をして捕まりましたとなっても俺は知らんぞ》
「すまん」
謝罪しながらタイロンに追従し、同じように角に身を隠す。
「で、なんだ?」
《さっきお前がSPAM送った奴な、あれで侵入が発覚したようだぜ》
「え」
健が絶句する。
SPAMで侵入が発覚した? そんなことがあるのか?
いくら相手がデータリンクで情報共有していてもそれを回避する手段は当然取っている。
それなのに侵入が発覚したとは。
《軍用クラスの戦術データリンクで対策してやがったな。あれは単純に回線を切断しただけではリンクが切れない。量子通信と短波通信の二重の通信でリンクの切断を防いでいるからな》
「マジかよ……」
いくら相手が世界に名だたる
一企業が軍用クラスの戦術データリンクを使ってまで守りたい情報とはいったい何なのか。
ぎり、と健が奥歯を噛み締める。
侵入が発覚したということは館内全体に警戒網が敷かれているわけで、進むも戻るも困難になるだろう。
ピーターの口ぶりで彼のセキュリティ侵入の方は発覚していないと判断できるが、それもいつまで続くのか。
《まぁ、お前らの侵入がバレたなら俺の侵入も遅かれ早かれバレるわな。俺が抑えている間にとっとと要件を済ませてこい》
どうしてもヤバくなったら全館システムダウンくらいしてやる、という後押しに、健は応、と頷いた。
「悪ぃおっさん、急ごう」
ピーターとのやり取りに移動速度を落としていたタイロンに声をかける。
「ああ、考え事は終わったか?」
「大丈夫だ、もう余計なことは考えない」
そう言いながら、再び走り出したタイロンに追従する。
《館内での警戒レベルが上がっている。さっきのやつがいた場所を中心に警戒網が広がっているようだが――OK、お前らは探索範囲から抜けてるな。ただ、サーバルーム周りも警戒が集中しているようだから気を付けろ》
警備のデータリンクにも侵入したのだろう、ピーターの指示が飛んでくる。
了解、と二人が警備が薄くなっている場所の最短距離でサーバルームに向かう。
そのサーバルームの前に数人の警備が構えていることを確認し、健はリュックサックから蜘蛛型ガジェットを一つ、取り出した。
以前、警備を電撃で昏倒させた攻撃タイプとは違う。
今回取り出したものは陽動用の使い捨てガジェット。
その証拠に、ガジェットには
オールドハックをする都合で
以前使った攻撃タイプはそれなりに値段の張るパーツが使われていたが、今回はそうでもないことが見ただけで分かる。
侵入者の身元を極限まで隠蔽できるように工夫されたその蜘蛛型ガジェットから手を離し、健は操作パネルを展開し、ガジェットを起動した。
カメラアイに仕込まれたLEDが一瞬光り、蜘蛛型ガジェットがカサカサと移動を開始する。
だが、その方向はサーバールームと反対側で、暗がりに紛れてあっという間に姿が見えなくなる。
「ガウェイン、いいのか?」
不良品か? と尋ねるタイロンに、健が「大丈夫」と答える。
「ちょっと遠回りだが俺たちから連中を引き離すのに最適な場所へ移動したんだよ。ちょっと待ってな、すぐに分かる」
ニヤリ、と健が通路の角からサーバールーム前に立つ警備を見る。
数分も経過しただろうか。
突然、警備から少し離れた場所、健とタイロンが立っている場所とは全く関係のない場所で物音が響いた。
同時に、「ってえな、何すんだよ!」「うるさい黙れ」という声が響く。
「そこか!?!?」
警備たちが口々に声が響いた方へと走っていく。
「……え」
そんな初歩的な手に引っかかるの、と若干、いや、かなり引きつつ健はタイロンに合図した。
「今のうちだぜ」
「いくら軍用のデータリンクを使っていると言っても使っている人間が無能だとこうなるんだな」
ため息交じりにタイロンが床を蹴る。
それに続いて健も床を蹴り、サーバルームへと向かった。
あろうことか警備は全て健が放ったガジェットを追いかけてしまい、サーバルームはもぬけの殻となっている。
流石にドアはロックが掛けられていたが魔術師である健にそんなものは関係ない。
あっと言う間にロックを解除、健とタイロンがサーバルームに侵入する。
普段ならタイロンは出入り口で警戒に当たっていたが、警備を攪乱したことを考えるとサーバルームに姿を隠してやり過ごした方が賢明だと判断したらしい。
最奥の集中端末にアクセスした健を近くのサーバラックから見守りながら、タイロンは小声で、
「急げ、連中が戻って来るまでにやれるか?」
そう確認した。
それに対して健は集中端末に指を走らせ、そうだな、と頷く。
「俺のストレージに抜く時間を考えると
そう呟きリュックサックから小さなケースを取り出し、中に入っていた小指の先ほどの通信子機を集中端末の中でも目立たない場所にあるポートに差す。
通信子機に格納されたウィルスが即座に発火、全体のシステムを掌握し、
しかし、ウィルスによって欺瞞されているため、データの流出は検出されない。
元のサーバがスタンドアロンであるために一度は物理的に接触しなければいけないという制約は存在するが、この通信子機は
ある意味スパイ御用達の道具ではあるが、今健たちが行っているのもSERPENTによるスパイ活動だろう。
通信子機を接続し、動作を確認した健はタイロンに頷いて見せた。
「行こう、あいつらもいつまでも騙されてはくれないだろ」
タイロンも頷き、サーバルームを出る。
最初にサーバルームにいた警備は仲間にもデータリンクで「侵入者を発見した」と共有したのだろう、ピーターも「軍用クラスの戦術データリンク使ってんのに警備ザルすぎだろ……」とぼやきつつ人気のないルートを確認してナビゲートを行ってくれる。
意外なほどあっさりと、二人は施設外へと離脱した。
「……よかったのか、これ……」
視界に投影される、サーバルームからのデータ転送を確認しながら健は呟いた。
サーバルームに保管されていたデータの密度は高く、転送にもうしばらくかかりそうだった。
とりあえず警戒したまま帰るか、気付かれたら通知は来るし即座に通信子機を破棄すればいい。
タイロンと別れ、健は人ごみの中へと紛れて行った。
◆◇◆ ◆◇◆
「ただいまー」
誰もいないだろうと思いながら戻ってきたハイドアウトには珍しくアンソニーも来訪していた。
「ああ、ガウェインおかえり」
「仕事中じゃなければ健でもいいって」
そんなことを言いながらリュックサックを放り出し、備え付けのベッドに身を投げ出す。
「じゃあ、タケシ……。今、データは解析中だ。転送はあんたが戻って来る少し前に終わったよ」
「ああ、それ、こっちも通知が来たからアダプタは破棄しておいた。物理的にショートさせたから復元も無理だろ」
そう言いながら、健はアンソニーがリュックサックからガジェットを取り出し、充電ドックに送り込む様子を眺めていた。
「なんか、凄い情報密度のデータで、解析には時間がかかりそうだ。結果が出るまで休んでたら?」
アンソニーの言葉に健が「そうさせてもらう」とブランケットを被り寝返りを打つ。
今回のSERPENTの依頼は「Lemon社の子会社がLemon社から何かを受注したらしい」ということで、その詳細を突き止めることではあったがLemon社からの発注データは膨大なもの、かつ情報密度が高いもので、「とんでもないものを拾ってしまったのではないか」という不安がちくりと胸を刺す。
SERPENT曰く、Lemon社が進めているという「Project REGION」は人間の魂をデジタルコピーし、それをAIとして兵器に搭載する、というものらしい。従来のAIと違い、人間の脳内データ、魂と呼べるものをデジタルコピーし、AIにすることでよりファジーな自律思考を持ち、人間と変わらぬ判断で敵を認識、殲滅するという。
それが実現可能だとは健は信じていなかった。
しかし、「魂のデジタルコピー」が既存技術で、この膨大な高密度データを目の当たりにすると「もしかして」という思いが浮かび上がってくる。
もしかして、これがその「デジタルコピーされた魂」のデータなのか、と。
解析結果を見なければ何も言うことはできないが、仮に、このデータが「デジタルコピーされた魂」であった場合、それがどうしてこんな子会社のサーバに格納されているのか。
魂のデータは全て「
「死に瀕した人間の脳内データを抽出してメタバース上にアバターを構築して再現、遺族が心の整理を付けるための時間を用意する」ために用意された
この「EDEN」に再現された死者こそが「魂のデジタルコピー」が現実のものとなっている証左であるとSERPENTは説明していた。
それに対しても健はまだ完全に信じていない。確かに脳内データを抽出し、アバターに人格を再現することは可能かもしれないが、それは既存のコミュニケーションAIに抽出した脳内データを学習用のアセットとして登録しているだけではないのか、と。
「EDEN」に立ち入ることが許されているのは脳内データを抽出された死者とその遺族のみである。だから「EDEN」内の死者が遺族にどのような立ち居振る舞いを見せるのかは健には分からない。しかし「EDEN」の人気は高く、口コミやレビューを見る限りでは死者を再現したAIはよほどの精度があると言えよう。
(……アーサー、お前はどうなんだ)
コンテナハウスの天井を見上げて健はかつての友人に思いをはせた。
あの事故から十年。事故に見せかけられていた事件は解決し、健も「自分にできることは終わった」と思っていたが。
四年前の「EDEN」のサービス開始によってその思いは揺らいだ。
ToKの完成と共にサービスが開始された「EDEN」。その住人モデルケースとして一つの公式発表が「EDEN」運営から行われていた。
それが、「『EDEN』のサービス開始に当たって、先行して住人となったのは技術最高責任者の娘とその夫だ」というもの。
「EDEN」技術最高責任者こと
しかし、ニュースというものは移ろうもので、人々はすぐに別のニュースに興味を持ち、この二人の死というニュースはあっという間に風化していった。
それが再度話題になったのが二一二六年、ToKの量子ネットワーク開通と同時にサービス開始された「EDEN」に二人の住人が存在する、というリリースだった。
本当に、「EDEN」にはアーサーがいるのか。
どうなんだ、と健は再び呟いた。
自分より後に「キャメロット」に加入したにもかかわらずあっという間に自分を追い抜いて行った天才
聞いてみたい、と、ふと思う。
「お前が今いる『EDEN』の技術が兵器転用されようとしているぞ」と。
実際はどうか分からない。
「EDEN」は単に死者の記憶などを元に既存AIに学習させただけかもしれない。そう思いたいが、今までSERPENTの指示で調査を進めてきて、「そうではないかもしれない」と思い始めている自分がいることも確かだった。
本当に、人間の脳内データを抽出してAIとして動かすことができるのか。
人間の脳が微弱な電気信号で成り立っていることは分かっている。その信号が解析できたのなら不可能ではないだろう、ということも分かっている。
それでも、信じたくなかった。
大切な友人たちが、死してなおその脳内のデータをもとに生き永らえさせられていると考えるのはあまりにも悍ましい。
悍ましいが、もう一度会って話をしたい、スポーツハッキングで対戦したい、と思ってしまう。
アーサー、俺はあれから腕を磨いたんだぞ、もう一度対戦してくれよ、と。
「……タケシ、またあんたの友人のこと考えてんのか?」
デスクで何やら新しいガジェットでも組み立てているのだろう、健の方を見ずにアンソニーが声をかける。
「……ん……? 俺、何か言ってたか?」
思わず体を起こし、健がアンソニーを見る。
「ああ、『アーサー。俺はあれから腕を磨いたんだぞ』って。アーサーってあれだろ? あんたの友人で、今『EDEN』にいると言われる最初の住人だろ?」
どうやら無意識のうちに言葉にしていたらしい。
健がはは、と力なく笑って頭を掻いた。
「ルキウスもタイロンも言ってるぞ、『最近のガウェインは心ここにあらずな時が多い』って」
「そんなに?」
流石にそれはまずい。もう少し気を引き締めないと、と自分を戒めつつ、健はそれでもアーサーのことを考えずにはいられなかった。
「……なあタケシ……」
視線は手元に向けたまま、アンソニーが健に言う。
「そんなにも気になるなら『EDEN』に侵入して確認すればいいじゃないか」
どうせあんたは世界一位のスポーツハッキングチームのナンバーツーだったんだろ? と続けるアンソニーに健は再び頭を掻く。
「うーん、ナンバーツー、あれは若気の至りというか、自称なもんで……」
「え、なに実際はポンコツだったの?」
「ポンコツ言うなし!」
いやポンコツではなかったぞと反論する健に、アンソニーは手を止めてじとー、と視線を送った。
「信じないのかよ!」
「……『
「うっ……」
こいつ、言う時ははっきり言うなあと健が唸る。
「……とはいえ、『キャメロット』にそんな破壊ツール一本で在席できるほど甘くないのは知ってるよ。それに普段のあんたのハッキングは見た目によらず的確で繊細だ。でなきゃ『Team SERPENT』にもスカウトされない、だろ?」
「『見た目によらず』が余計なんだよぉ……」
そうは言いつつも、健はアンソニーの言葉を脳内で繰り返していた。
「EDEN」に侵入する。
その考えに至らなかった。
そうだよな、気になるなら「EDEN」に侵入して実際に話を聞くのが手っ取り早い。
どうして気付かなかったのだろう、と考え、健は一つ大きな伸びをした。
「……やってみる価値はありそうだな」
そう呟き、オーグギアのストレージからハッキングツールのフォルダを開く。
「今ここでやるのかよ」
「『思い立ったが吉日』って言うだろ」
「
空中で指を動かす健を、呆れ半分興味半分で見ながらアンソニーは手にしていた作りかけのガジェットをデスクに置いた。
しかし、健がツールを起動する直前に着信が入り、応答を待つこともなく回線が開かれる。
『やめておけ』
健とアンソニー、二人の間に
「SERPENTか、なんだよ」
突然の割り込みに、健が邪魔するな、と威嚇する。
『邪魔も何も、「EDEN」に侵入するのはやめろと言っている』
「なんでだよ」
急に現れたと思ったら「EDEN」の侵入はやめろ、と言うSERPENT。
健が手を止めてはいるもののいつでも再開しようとしている様子に、SERPENTは威嚇するように鎌首をもたげて彼を見据えた。
『ガウェイン、お前は「EDEN」がどこに設置されているのか分かっているのか』
「どこって、そりゃあ、ToK……」
そこまで答えてから、健ははっとした。
「俺にToKを攻める実力が無いってのかよ!」
『ああ、ないな』
即座にSERPENTが肯定する。
『確かに、ただToKを攻めるだけならお前の力でもできるかもしれない。だが――「EDEN」のセキュリティはお前が思っているほどぬるくはないぞ』
「何を!」
立ち上がり、健がSERPENTに詰め寄り、掴もうとする。
だが、AR体であるSERPENTは健の手をすり抜け、ふっと揺らめきつつも彼を見据えている。
『「EDEN」にはDeityの手先「黒き狼」がいる。奴は化け物だ。誰にも突破する事は出来ない』
「そんなの分かんねーだろ!」
健が反論しようとするが、SERPENTは落ち着き払った口調で断言する。
『今までに興味本位で「EDEN」に侵入しようとした愚か者を見てきたがな――。中にはスカウトしてもいいほどの見どころのある奴もいたが、そのいずれもが「黒き狼」に喰われて終わったよ』
「な……」
「黒き狼」の噂は健も小耳に挟んだことがある。
「黒き狼」という名も通称で、実際の
実際に遭遇した魔術師は軒並み魔術師生命を絶たれているとも噂されるその名がSERPENTの口から出て、「どうしてそんな奴が」と健は呟いた。
だが、同時に思う。
「黒き狼」ほどの魔術師ならSERPENTがスカウトしないはずもない。SERPENTほどの情報収集能力なら「黒き狼」の正体くらい把握しているだろうし、自分がSERPENTの立場ならスカウトする、と健は考えた。
SERPENTが「黒き狼」を仲間に引き入れないのには何か理由がある。いや、SERPENTが言っていたではないか。「Deityの手先である」と。
DeityとはToKの管理プログラムであり、「EDEN」を管理しているのもまた、Deityだと言う。「神」を意味する管理プログラムに、「
それをまとめると「黒き狼」はLemon社に雇われた、いや、ToKのカウンターハッカーの一人。特に「EDEN」の防衛に特化した魔術師なのだろう。
SERPENTとしては今ここで健が「黒き狼」に消されるのを良しと思っていない、ということか。
「……ここまで来て俺はあいつらに近づけないのかよ」
『力を付けろ、ガウェイン。お前にはまだ伸びしろがある』
うなだれ、拳を握り締める健にSERPENTが言う。
『お前にはチームの誰にも持ちえない力があるだろう。それを伸ばせ』
「それって――」
なんだ、と訊こうとしてすぐに気づく。
『「
「……分かった」
ようやく落ち着いたか、健が頷く。
「悪かったな、熱くなって」
『謝れて、偉いな』
「やめろよ、気持ち悪い」
珍しく褒めてきたSERPENTに、ほんの少し照れながら健が答える。
だが、SERPENTのその言葉に何故か匠海の面影を見出してしまい真顔に戻る。
――なんでここであいつを思い出すんだよ。
そういえば、あいつも人を褒める時は「○○できて、偉いな」と言っていたっけと思いつつ、いやいやただの偶然だと思い直す。
とにかく、今はまだその時ではない。
そう思い直し、健はSERPENTに改めて用件を問いただした。
「で、ここに来たのはなんだ? ただ俺を止めるだけか?」
『まぁ、タイミング的にはそうなったが――。仕事だ』
「また?」
SERPENTの言葉に、健ではなくアンソニーが声を上げる。
「最近立て続けじゃないか、大丈夫なのか?」
こんなに活発に活動していたら警戒されるだろ、と反論するアンソニーに、健がいいや、と首を振る。
「今だからこそ、かもしれない。SERPENTが何の考えもなく仕事を押し付けてくるとは思えねえ、そうだろ?」
何か思惑があるんだろう、と健がSERPENTを見ると、SERPENTも小さく頷き、口を開いた。
『解析中だから断言はできないが――。ガウェイン、お前が持ち帰ったデータは、人間の脳内データである可能性が高い』
このデータがはっきりすればもっと忙しくなるぞ、と、SERPENTは舌をちらつかせながらそう言った。
To Be Continued…
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