世界樹の妖精-Serpent of ToK- 第3章
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場所はアメリカのフィラデルフィア。
とある施設に、仲間の助けを借りて侵入した二人の男がいた。
ハッキングに長けたガウェインと肉弾戦に長けたタイロンの二人は警備をものともせずサーバルームに侵入、データを盗み出すことに成功する。
ハイドアウトに帰還した二人は、侵入の手引きをしてくれたもう一人のハッカー、ルキウスとサポートガジェットを作ってくれたアンソニーと量子イントラネットを通じて会話する。
そこに現れた1匹の蛇。
その蛇こそが「SERPENT」と呼ばれる謎の存在で、ガウェインたちはLemon社が展開しているという「Project REGION」を阻止すべくSERPENTに呼ばれた人間であった。
SERPENTの指示を受けてLemon社の関連企業に侵入する
「EDEN」にいるという
解析の結果、そのデータは人間の脳内データではないかという疑惑が浮上する。
第3章 黒き狼の牙
――持ち帰ったデータが人間の脳内データである可能性が高い――。
それは意図したものではなかったが、「Team SERPENT」と呼ばれる集団を奮い立たせるには大きな火種だった。
人間の脳内データがサーバ上に保管されている、それはあり得ない話ではない。実際にその研究は現「EDEN」の技術最高責任者である佐倉 日和が「EDEN」サービス開始のずっと前から進められていた、と言われている。
その「脳内データを利用すればその人物の記憶を受け継いだAIが貴方の前に現れる」、というのが「EDEN」の売りであり目的である。
遺された家族が、喪った家族のAIと接することで自分と向き合い、心の整理を付けるための。
脳内データがどのように扱われているかはブラックボックスだったが、ここでそのデータが手に入ったとすれば大きな進展である。「Project REGION」がどのように進められているかを掴む手掛かりになるかもしれない。
「っても、どうやって確認するんだよ……」
健が呟く。
いくら「Team SERPENT」が所持している秘密サーバが高性能なものであっても、この脳内データと思しきデータはファイル容量が膨大でサーバのかなりの部分を圧迫している。そして、いくらサーバが高性能であったとしても「EDEN」のように無尽蔵とも言えるストレージや高密度CPUを保有しているわけでもなく、このデータに仕込まれたプログラムファイルを起動させることは難しい。
ただ、ダウンロードしたデータのいくつかから「脳内データかもしれない」という仮説が立っているだけだ。
「……まさか、
ふと、その言葉が健の口からこぼれる。
作業を再開していたアンソニーが手を止め、健を見る。
「あー、それはないない」
「なんで断言できるんだよ」
断言したアンソニーに、健が噛みつくように言う。
「タケシ、アーサーの本名言ってみろ」
「え……
どういうことだ、と健がアーサーの本名を口にすると、アンソニーは一枚のウィンドウを展開、指先で弾くようにして健に転送した。
「これ見たら分かる」
健に転送されたのはファイル一覧だった。
これで何が分かる、と訝し気に健がアンソニーを見ると、アンソニーははぁ、と大仰にため息をついて見せた。
「あんた、
「なんなんだよ」
アンソニーの言いように、健がむすぅ、としながらファイル一覧を眺める。
時間にして一分も経過しただろうか。
「――あ、」
健が声を上げる。
「なるほど、パッケージ名に持ち主の名前が設定されてんのか」
それだと同姓同名の場合に競合を起こすため、シリアルナンバーが付与されているがパッケージ名自体は明らかな人名だった。
「WilliamAnderson03242128005」と付けられたパッケージ名を見る限り、この脳内データの持ち主はウィリアムという人物らしい。日付を見るに、二一二八年三月に没した、ということだろうか。
もちろん、このパッケージ名だけで本当に「匠海ではない」と断じることはできない。プライバシーの保護など、そういった事情から別の名前を設定されている可能性も存在する。
が、健もそれはないだろう、と判断した。
それならシリアルナンバーだけで管理した方が管理しやすいし、ファイル名と本名の関連付けでトラブルが発生した際の対処が面倒なのは
このデータが匠海ではないことにいささかの安堵を覚えつつ、健はこのデータの解析はアンソニーとSERPENTに任せることにした。
健も
「分かったよ、で、SERPENT、次の仕事がなんだって?」
黙ってやり取りを聞いていたSERPENTに健が尋ねる。
『今回もタイロンと動いてもらうが、この脳内データの持ち主、ウィリアム・アンダーソンの実家に行ってほしい』
「は?」
SERPENTの言葉に思わず声を上げる健。
「どういうことだよ、いつもみたいにどっかの会社に忍び込むんじゃないのかよ」
『「Team SERPENT」をなんだと思っている』
「え、スパイ組織」
健がそう答えた瞬間、SERPENTが明らかにため息を吐いたようなモーションを起こした。
さらにその次の瞬間、健の視界にノイズが走る。
「おっと」
咄嗟に健が指を振り、コマンドを起動してSERPENTが送り込んだ
「何すんだよ!」
『いや、ここでSPAMをまともに受け取っていたら追放するところだったんだが』
そんなことを言いつつも、SERPENTは舌をちらつかせる。
『「Team SERPENT」はただのスパイ組織ではない。「Project REGION」を阻止するために結成された秘密結社だ。遊びではないんだぞ』
「わーってますよ。で、ウィリアムの実家に行きゃあいいんだな?」
健の確認に、SERPENTはああ、と頷いた。
『タイロンには家人に色々と探りを入れてもらうが、ガウェイン、お前はそのオーグギアに侵入して「EDEN」の情報収集をしてもらいたい。「EDEN」ユーザーのオーグギアなら何かしらの情報はあるはずだ』
「りょーかい」
軽いノリで返答し、健は出かける準備を始めた。
◆◇◆ ◆◇◆
「はい、ただいまー」
誰もいないハイドアウトのコンテナハウスに戻り、健がデータをアンソニーとSERPENTに送信する。
「今回の件、俺的にはクロだと思うが、お前はどう思う?」
データを受け取ったアンソニーに健がそう問いかけると、アンソニーも「そうだな」とデータに目を通し、見解をまとめる。
今回の任務で健はタイロンを連れて、前の依頼で入手したデータの身内に接触した。
「EDEN」の規約で、「EDEN」内部に関することを第三者に漏洩することは固く禁じられている。「身内を『EDEN』に入れた」程度ならある種のプロモーションとして許されているが、「EDEN」内部についての詳細は運営の発表を参照しろ、というものだ。
それを違反した場合は罰金やアカウントの削除といった措置が取られるらしいが、現時点で違反者はいない、と言われている。
だから、タイロンも身内に「EDEN」に関する情報を直接尋ねることはできなかった。データがこちらにある以上、当該人物は「EDEN」の保管期限が過ぎて、表向き削除されたことになっているだろうが「EDEN」の事情を話したということで迷惑を掛けたくない。
それに、本当にこの身内が「EDEN」の利用者であるとも確定していない。下手に「EDEN」の話題を振って怪しまれるわけにもいかない。
そのため、健がタイロンの事情聴取をダミーとして相手のオーグギアに侵入、情報を集めることとなったが、その中でいくらか興味深いデータを見つけた、という次第だ。
《はぁ、たまたま近所で強盗事件があって助かったよ。そいつを話題に時間は稼げたからな》
《その強盗も実はSERPENTが手下をけしかけて起こしたダミーじゃないのか?》
同じく別のハイドアウトに戻ったタイロンと、普段はまた別のハイドアウトを拠点としているアンソニーが口々にぼやく。
今開いている回線はSERPENTがアメリカ中に敷設した量子
《とにかく、タケシの収集データが意外とまとまってるから整理しやすい、これならすぐに解析できるよ》
そう言うアンソニーに、健はむぅ、と頬を膨らませた。
「意外とは何だ意外とは」
《だってタケシ、ハッキングに関しては基本的にバーサーカーだから》
「なにをう!」
おいこら表に出ろSPAM送るぞと、言っていることがヤンキーのそれにアンソニーが嫌だ、と即答する。
《おいお前ら真面目に仕事しろ》
通話で騒ぎ出した健とアンソニーをタイロンが止めた。
《健、お前は大人げなさすぎる。アンソニーもこんなガキみたいな大人の煽りに応じるな》
「誰がガキだよ!」
《確かに、俺も大人げなかった》
真逆の返答をする健とアンソニー。
おいおい、アンソニーの方が大人じゃねえかと思いつつも、タイロンはアンソニーに作業の続きを促す。
《健、お前はもう少し落ち着け。少なくともお前が今回的確に情報収集をしてくれたからアンソニーの作業が楽だという話だろう》
「むぅ」
タイロンにそう言われると怒っていた自分がバカらしくなってくる。
不貞腐れながらも健はベッドに寝転がり、アンソニーの解析結果を待つことにした。
しばらくの沈黙。
健も転送したデータを自分でも眺めながらぼんやりと待つ。
詳しく検証したわけではないが、健の中では今回の調査対象はクロだった。
「EDEN」と関わりがある、そんな気がする。
それはハッカーとしての勘がそう囁いているだけだったが、きっとこの家族は「EDEN」に関わった、「EDEN」の中を知っている、そう確信する。
《解析完了。タケシ、起きてるか?》
アンソニーの言葉に健が飛び起きる。
アンソニーはタイロンや他のメンバーも呼び出したようだった。
SERPENTもその姿を現し、アンソニーの解析結果を待つ。
《まず、結論から言うと――ウィリアム・アンダーソンは『EDEN』の住人だった》
その一言に、ざわり、と通話に参加していたメンバーがざわめく。
《タケシ――ガウェインが集めたデータを見る限り、彼の家族は二年前、彼の死を間近に『EDEN』と契約をしている。データの保管期限は、二年》
二年、といえばファイル名に設定された日付を見る限りちょうど保管期限が切れてある程度の期間が経過したというところ。Lemon社がデータ削除を偽装して子会社に転送していても何ら違和感はない。
やはり、と健はSERPENTを見た。
《データを見る限り、家族の面会頻度は時間を追うごとに低下、満期を迎えてセレモニーを行い、ウィリアムのデータを目の前で削除した、ということになってるな》
『だが、そのデータは削除されていなかった、ということか』
SERPENTが呟く。
『いや――「EDEN」からは削除されているな。こちらも協力者から多少の情報をリークしてもらっているが、人間の脳内データはコピーできないようになっているらしい』
「どういうことだよ」
SERPENTの言葉に、健が質問した。
『私も詳しくはまだ把握していない。しかし、報告書によると「脳内データは複製ができず、マスタデータの移動しかできないように設定されている」らしい』
つまり、健が入手し、今こちら側のサーバに格納されているウィリアムの脳内データはマスタデータということになる。
「ってことは、俺たちがこのデータを入手したことで『Project REGION』は阻止とまではいかなくとも足止めすることはできた、のか?」
脳内データがなければ「Project REGION」を進めることはできない、そう思った健がSERPENTに尋ねる。
『さぁ、どうだろうな。保管期限が切れたユーザーなど他にもいるだろうし大きな影響は出ないかもしれない。我々が削除したはずのデータを持っていると家族が知れば社会的な問題になるかもしれないが、あいにくと我々も存在を知られるわけにはいかないのでね』
「別に知られてもよくね? むしろ有名になった方が資金稼ぎもやりやすいだろ」
SERPENTの目的が「Project REGION」の阻止であるならこの情報の暴露はプロジェクトの阻止への強力な一手となるはず。
そう思い、健は提案したがSERPENTはそれを首を振って否定する。
『駄目だ。今の我々の力ではLemon社に揉み消されるのがオチだ。それにデータを違法に入手したことで我々が罪に問われ、壊滅する』
「ぐ……」
『今は待て。確実に傷を負わせる一手でなければ意味はない』
SERPENTの言い分は正しい。今の健たちには何の力もない。
悔しかったが、SERPENTの言う通り、今は待つしかなかった。
「……わーったよ」
不貞腐れて、健はベッドに寝転がった。
今回の調査結果をどう動かすかは他の担当に任せればいい。
健はあくまでも現地でデータを収集するための工作員でしか過ぎない。
分かったならいい、とSERPENTが姿を消す。
《タケシ、あんたがなんで焦るのかは俺には分からないけどさ――今はSERPENTの言う通りだと思う、時期を待つしかない》
「……ああ」
アンソニーに諭され、健は心ここにあらずといった様子で頷いた。
《とにかく、俺はこの後授業あるから抜けるけど無茶すんなよ》
そう言い残し、アンソニーが退室、タイロンや他のメンバーも退室していく。
通話ルームが自分以外誰もいなくなったところで健も退室し、はぁ、とため息を吐いた。
ベッドの上で、ふと思う。
前回の任務で入手した死者の脳内データらしきもの。
解析の結果、仕込まれたプログラムファイルはAIとしてのコアファイルで間違いないだろう、という結論が出ている。
つまり、このパッケージそのものがコンピュータ上で一つの人格を持ったAIということ。
「魂のデジタルコピー、か……」
コンテナハウスの天井を見上げ、健が呟く。
「EDEN」にはこのようなパッケージングされたAIが幾つも存在する、ということか。
恐らくは七年前に死んだ
そこまで考えて、健は「いや待てよ」と考え直した。
「EDEN」のプロモーション、いや、公表された料金プランを思い出す。
死者と過ごせる
料金プランに応じてその保管期限が定められている。
その理由が、「EDEN」は「遺族が死者と向き合い、心の整理を行うための場所」として用意した物だとLemon社が公表しているからである。
死者を永遠に「EDEN」に保管してその意志を後世に伝えるべきではない、という主張に多少の反発はあるもののそれが正論であるとは多くの人間が納得していた。
デジタルデータとなった魂はサーバが物理的に破損したりデータを削除しない限り永久に残り続ける。「EDEN」は死者の親族しか入ることができないメタバースである。死者のデータを永久に保管し続ければその子孫が依存し、思考が停止する。
いつまでも先人の言葉に縋っていてはいけないのだ、とLemon社はデータの保管期限を定め、「遺族が心の整理を付けて笑顔で送り出す」ための場所としての「EDEN」を提供した。
それだけ聞けば立派な取り組みだと思うかもしれない。
しかし、そこに大きな落とし穴がある。
保管期限の切れた、または遺族が早期に心の整理を付けて送り出す決断を行ったデータはどうなるのか。
Lemon社は遺族の前でセレモニーを行い、データを削除すると公表している。
それが本当に行われているのか。
「EDEN」サービス開始から四年、保管期限切れで削除されたデータは他にもあるはずだ。
だが、もしそのデータが「削除した」風を装って残されていたら?
今回、ウィリアムのデータが実は削除されていなかった、ということでその疑問は確信に変わった。
SERPENTはLemon社が「Project REGION」を密かに遂行していることを察知し、それを良しとせず「Team SERPENT」を結成した。
SERPENTに「EDEN」住人のモデルケースが匠海と和美だと聞かされ、そして「Project REGION」がデジタルコピーされた魂の兵器転用と聞かされ、参加を決めた。
「Project REGION」の話を聞いて、「EDEN」にいる、二人の友人のデータが、もしかすると兵器転用されるかもしれないと考えたからだ。
「Project REGION」が実際に人間の脳内データを、魂をデジタルコピーして兵器を制御するためのAIにするものだとしたら、それこそ「EDEN」の住人は格好の研究素材だろう。
もちろん、「EDEN」のユーザー登録にはかなりの年会費が必要となり、身内を住人にすることができるのはそれなりの富裕層に限られる。相手が富裕層だけにそのデータを兵器転用します、などということになれば訴訟待ったなしではある。そう考えると貧困層の人間のデータを幾許かの報酬と引き換えに抽出し、AIのためのデータにする方がトラブルは少ないかもしれない。
しかし、健にはLemon社がそれを行っていないという確信があった。
貧困層は貧困層なりのネットワークがある。「死に瀕した身内の脳内データを提供すれば口止め料がもらえる」という情報はあっという間に貧困層の間に広まるだろう。いくら口止め料を積んだとしても情報はすぐ洩れるし、口止め料が高ければ高いほどそれを受け取った遺族は豪遊し、怪しまれる。
いくら「生命保険が下りた」と誤魔化したところで、貧困層が豪遊できるほどの保険金を受け取れるほどの掛け金を捻出することは難しいのだ。
それを考えると、Lemon社は貧困層を使った実験を行っていない。「脳内データを抽出して研究に使う」という噂が全く流れていないからだ。
「脳内データの抽出」という話は「EDEN」のプロモーションでしか広まっていない。そこに、真実の抜け道がある。
がばり、と健が身体を起こす。
SERPENTは回線を閉じたのか、ハイドアウト内にはいなかった。
それなら都合がいい、とストレージを開き、
と、そのタイミングで通信が入ってきた。
「なんだよ」
ぶつくさ言いながら発信者を見ると、ロサンゼルスにいる
流石にピーターからの通信を無視するわけにはいかず、健は回線を開いた。
《ああ出た出た、タケシ、突っ走ってないだろうな?》
開口一番、ピーターは健の思惑などお見通しだと言わんばかりの発言をぶつけてきた。
「なんなんだよ、お前今仕事中だろ」
《時差舐めんな、こっちは出勤前だっつの》
ピーターに言われて時計を確認する。
現在十一時を過ぎたところ。ロサンゼルスとは三時間差なので向こうは八時過ぎと言ったところか。
あれ、そうなるともしかして起き抜け? などと思いつつも健は用件はなんだ、と尋ねた。
《SERPENTから、お前が暴走しそうだから止めろと言われたんだよ。おかげでこっちは朝のコーヒー飲みっぱぐれたっつの》
あ、これピーターかなり怒ってるやつ、と健は悟る。
コーヒーの飲みっぱぐれは恐らくSERPENTに俺が暴走しそうだと言われて吹き出したんだろうな、と妙に冷えた頭で考え、健は知らんがな、と返した。
《で、どうなんだ、『EDEN』にハッキングしようとか考えてないだろうな》
「うっ」
ズバリ、ドンピシャのことを言われ、健が思わず呻く。
そうだ、健は「EDEN」にハッキングしようとしていた。
しばらく前にSERPENTに「やめておけ」とは言われたが、それでも「EDEN」にいるらしい匠海と和美のことを考えたら居ても立っても居られなくなった。
もしかしたら、もう兵器転用されているのかという不安。いや、まだ「EDEN」にいるかもしれないという希望。それを確かめるためにも、そして本当に「EDEN」に二人がいるのであれば、問いただしたい、と。
「お前たちは本当にAIとして蘇ったのか」と。
そもそも、「EDEN」の規約上脳内データを使ったAIを永久保存をすることはあり得ない。
しかし、二人が「EDEN」の住人モデルケースであるというのならその限りではない、とも考えられる。技術最高責任者の佐倉 日和が運営元であるLemon社と何らかの交渉を行って削除を免れている可能性もある。
それも含めて、健は知りたいと思った。
それをSERPENTも察知したのだろう、だが健に直接言っても従わないと判断し、ピーターをけしかけたといったところか。
実際のところ、健はピーターに頭が上がらない部分がある。
それは二人がスポーツハッカーだったころ、とある大会の決勝戦で対戦したことにある。
当時最強の
攻撃した電子機器にウィルスを送り込み、高負荷をかける、果てはバッテリーに急激な高負荷をかけて爆破するという健の「
「ルキウスの凍てつきは太陽すら蝕む」とネットニュースにもなったほどで、健はピーターに完膚なきまでに叩きのめされた。
だからこそ健はピーターに頭が上がらなかった。
今でこそ対等の立場で「Team SERPENT」に所属しているが、それでも健が何かしようとしたときの首輪役としてピーターは動員される。
健とてピーターに負けてばかりではない。
通話の向こうでピーターがため息を吐いたのが聞こえる。
《SERPENTにやめろと言われているんだろ、やめとけやめとけ》
「なんでだよ! 『黒き狼』がなんだ、やってやるよ!」
健の剣幕に、ピーターは「これはまずい」と判断する。
健は「EDEN」に侵入する気だ。
何としても止めなければ、健が喰われる。
「EDEN」を守護する凄腕の魔術師、黒き狼の存在はピーターも知っていた。
「黒き狼」は魔術師としての通り名ではない。噂で、狼のように襲い掛かり侵入者を喰らいつくすという動きに「黒き狼」と呼ばれているだけだ。
一部では
やめろ、とピーターがもう一度言う。
今、健が捕まるようなことになれば「Team SERPENT」も危険にさらされる。
仲間に迷惑をかけるかもしれないということを、健は理解しているのか。
《おい、やめろ! 周りの迷惑を考えろ!》
ピーターの声に、健が反発する。
「誰にも迷惑かけねえよ! お前にサポートしろとも言ってないし、俺の勝手だろ!」
《お前がきっかけで『Team SERPENT』が知られたらどうするんだ!》
ピーターが必死に説得するが、健はそれを全く聞き入れようとしない。
「うっせーな、こっちは親友のデータが悪用されるかもしれないって状況なんだぞ!」
いや、もうされてるかもしれない、だから確認する、と一歩も引かない健。
健の口から「親友」という言葉が出た瞬間、ピーターは思わず怯んだ。
《お前……》
匠海と和美が健にとっての親友だというのは分からない話ではない。
だが、もう死んだ人間に対して、まだそこまで執着できるのか、とピーターが唸る。
「とにかく、誰にも迷惑はかけねえよ!」
それでもやめろ、と言うピーターの言葉を無視し、健が回線を閉じる。
恐らくはピーターからSERPENTに連絡が行くだろうが、それを待ちたくない。
ハッキングツールを取り出し、健は「EDEN」へ、「EDEN」有するToKへの侵入を開始した。
スポーツハッキングチームに所属していたころに比べれば健のハッキングの腕は格段に向上している。
それに、
それを考えると、いくら最高峰のセキュリティを誇る
ToKの表層に取り付き、侵入する。
一見、完璧なセキュリティに見えるToKであったとしてもそのセキュリティを作ったのが人間である限り、必ず綻びは存在する。
いや、AIがプログラムしたセキュリティであっても綻びはある。
そのはるか源流に人の手が加わっているのであれば、それは人が作ったものだ。
セキュリティに取り付き、制作者の意図を探る。
どのような意図でこのセキュリティは作られたのか、その意図から想定される綻びはどれだ、と慎重に探りを入れていく。
――見つけた!
小指の爪の先が僅かに引っかかる程度の綻び。
ほんのわずかにでも綻びが見えたのなら、それはもう出入口以外の何物でもない。
ツールを展開、綻びからToK内部へと侵入する。
今後に備え、バックドアを仕掛け、奥へと進む。
ToK内部のデータに興味はない。目的はただ一つ、「EDEN」そのもの。
奥へ進みながら、健は先程入手していたウィリアムの家族のログイン認証データからパターンを洗い出し、認証データを偽造する。
「……」
誰の身内としてログインするかを設定しようとして、健はほんの一瞬迷った後、匠海の名前を入力する。
どうせ健が知っている「EDEN」の住人は匠海と和美の二人だけだ、考えるまでもない。
ダミーの認証データを作成し、健は「EDEN」に取り付いた。
認証システムを確認。
「うん、これなら手持ちの組み合わせで行けるな……」
最近のログイン認証には様々な手法がとられている。しかし「EDEN」のそれは最高峰のセキュリティを誇るものだったが一部の魔術師の中では既に回避方法が確立されているものだった。
そもそもアカウントの作成が普通にオンラインで行えるものではない。だからbotによる不正アカウント取得及びログインはあり得ない、が「EDEN」としての見解だった。
だが、実際はアカウントさえ作ってしまえばそのアカウントを装ったbotのログインは可能。ロボット認証は一応あるもののそれは健が自分で操作して回避、ダミーのアカウントで「EDEN」内にログインする。
ログインしたら即座にVRビューに変更、
「これが……『EDEN』……」
見た目はごく普通の街並み、住人やその遺族が不便なく歩き回れるように、という配慮だろうか。
街の中でちらほら見かける複数の
匠海の姿を求めて健が街を歩く。
ダミーのアカウントを使用している以上、いつ巡回のセキュリティシステム、もしくはカウンターハッカーに捕捉されるか分からない。
こういうものはログインした時点で対象に通知が行ったりするもんじゃないのかね、と思いつつ健が歩いていると、少し先の通路を歩く二人の男女が見えた。
「あ――」
声がかすれる。
その姿は、十年前に死んだ匠海と和美のものだった。
流石に仮想空間上では十年の時間再現はできないのだろう、見覚えのある服装の二人の後ろ姿に、健が一歩踏み出す。
「アー……」
アーサー、と呼ぼうとして声が止まる。
今更どう声を掛ければいい。
まさか忘れ去られた、ということはないだろうが、それでも今声をかけて、話をして、本当に二人のためになるというか。
いや、二人がここにいるというだけで安心した。二人は「Project REGION」の被検体にはされていない。
とはいえ「EDEN」サービス開始から既に四年、いつ削除されてもおかしくない。
それならせめて削除される前に、声をかけてみたい。
意を決し、健はもう一歩足を踏み出した。
「アーサー、」と声を絞り出す。
目の前を歩く男女のうち、男の方が健の声に反応して振り返る。
「ガウェ――」
男が健の姿を認め、思わず彼のスクリーンネームを口にしかける。
「どうしたの、匠海」
女も振り返り、健を見る。
「あら、ガウェインじゃない」
「マーリン……」
女の声に、健が彼女のスクリーンネームを口にする。
「本当に、お前らなのか……?」
「ああ、久しぶりだな、ガウェイン」
男が、今度ははっきりと健のスクリーンネームを口にした。
「お前ら、本当に『EDEN』に……」
言いたいことはたくさんあるはずなのに言葉にならない。
ほんの少し、それどころか名前を呼び合っただけだが、何となく確信できる。
これはプリセットされたコミュニケーションAIにただ人格データを乗せただけではない、本当に脳内データをAIとして加工されたものである、と。
そうでなければこのような反応をするものか。もっとスマートに、最初の段階で「ガウェイン、久しぶり」とでも言うだろう。それに汎用的な返答の仕方ではない、明らかに意思を持った返答。
そして同時に思ったのが「二人が無事でよかった」というもの。
「Project REGION」がもし「EDEN」の住人のうち、保管期限が切れた脳内データを転用しているものであれば匠海と和美もその被害に遭っていた可能性があった。
だが、ここにいるということはまだそうなっていない、ということ。
SERPENTの言葉が正しければ「脳内データをコピーすることはできない」、その言葉が正しいならここにいる二人のデータはマスタデータ。
よかった、と内心、胸をなでおろす。
「なあ、アーサー……お前……」
ずっとここにいたのか、と健が言おうとしたその時、ざわり、と空間が揺らいだ。
健の視界が塗り替えられる。
ごく普通の街並みから、闇の中を蒼白い光のラインが走りデータ片が舞い散る空間に。
足元の地面の感覚もなくなり、浮遊感が健を包む。
――侵入がバレた!?!?
それにしても見つかるのが早すぎる。
今いるこの空間は恐らくは「EDEN」を担当するカウンターハッカーが侵入者を捕獲するために展開した隔離空間だろう。
隔離空間に放り込まれるのは
それよりも、「EDEN」担当のカウンターハッカーの腕の良さに舌打ちする。健が「EDEN」内に侵入してわずか数分である。よほど精度の高い検知ツールでも使っているのか、と考える。
ウィリアムの家族が持つ認証情報を元に作り出した偽造の認証情報は完璧だったはずだ。
「
どこにいる、と周囲に警戒を払う。
PINGを使うか? いや、相手も自分を隔離したばかりで正確な位置は特定できていないはず、と健が考える。
対魔術師戦のハッキングはいかに相手に悟られず先手を取るかにかかっている。
いかに
PINGは索敵に使うとしては優秀なツールだ。だが、大きなデメリットとして「相手に所在地を知られる可能性がある」というところがある。
PINGは潜水艦で言うところのアクティブソナー、自分から探査電波を飛ばすことでその反響から敵の位置を探り、特定する。つまり、自分が飛ばした探査電波に相手が気付けばそこから逆探知して居場所を知られてしまう。
それをうまく使いこなしていたのが
PINGを飛ばされたと気付いても、その発生源を特定する前に大抵は沈められてしまう。
その手際の鮮やかさに、スポーツハッキング界は大いに沸いたものだ。
あそこまでPINGを使いこなせるのはアーサーくらいのものだ、とも言われ、健もPINGを使うようになったがアーサーほどではない。
だから今ここでPINGを使うべきかの判断は健にはできなかった。
アーサーならどうする、あいつならきっとPINGを撃って、それからどうする、と自問する。
自分はアーサーではない、だからアーサーと同じ戦法は使えない。それなら自分らしい戦い方をするべきではあるが、今のこの状況で「自分らしい」戦い方とは一体何なんだ。
敵がいれば戦うだけだが、その敵の姿が見つからない。
闇の中で、ガラティーンを構えた健がぐるりと回りを見る。
アバターを切り替えている暇はない。そんなことをしていたら、恐らく喰われる。
周囲には木のようなオブジェが乱立しており、身を隠すには都合がいい。
素早く手近なオブジェの影に身を潜め、健はさらに周りの様子を窺った。
と、ぞわり、と全身が総毛立つような悪寒を覚える。
咄嗟に、健はオブジェから離れた。
次の瞬間、オブジェが砕け散る。
「っぶね……!」
ガラティーンを構えて、健が砕けたオブジェを見る。
――どこからだ?
今、どこから攻撃が飛んできたかは特定できなかった。大抵の攻撃は飛んできた方向くらいはすぐに特定できるのに、だ。
ざわり、とフィールドの空気が揺れる。ぞっとするほどの殺気が辺りを支配する。
「そこか!」
健がガラティーンを振る。ガラティーンに何かがぶつかり、パーティクルを散らせる。
「く――!」
――重い!
受けただけで分かる。この攻撃はとんでもない情報密度で構築されたものだ。
何かが一度健から離れ、ゆらりと身構える。
「……大抵の奴はこの一撃で致命傷だがな」
ボイスチェンジャーで変声したような枯れた声があたりに響く。
「儂の一撃を凌ぐとは、対した奴だ」
「お前――『黒き狼』か!?!?」
噂に聞く「黒き狼」。
あくまでも通称で、本来のスクリーンネームは不明の
SERPENTに、「Deityの手下だ」という事前情報は貰っていたが、健の侵入を早々と察知して攻撃してくる手際の良さには舌を巻かざるを得ない。
勝てない、と健の本能が叫ぶ。
逃げろ、逃げなければ喰われる。
だが、どこに逃げればいいのだ。
隔離空間を破れば離脱することはできるが一瞬でできるような生ぬるいものではない。抜け出そうと隙を見せれば、その間に喰われる。
戦うしかない、と健はガラティーンを握り直した。
VRビューで、生身ではないはずなのに冷や汗が背を伝うような感覚を覚える。
「ほう――儂を前にして、逃げぬというか」
「どうせ逃げようとしたら後ろから殺るだろ! だったら逃げるチャンスを作るまでだ!」
そうか、と姿を見せないまま黒き狼が動く。
健の周りを回るように動く黒き狼に、「確かに『黒き狼』という名前は伊達じゃない」と思う。
「っ!」
殺気を感じ、ガラティーンを振るう。
ガラティーンが健に向けられて飛ばされた攻撃を受け、それを弾き返す。
――くっそ、SPAMだけじゃなくてAHOも混ぜてんのか!?!?
オーグギアを
確かに、黒き狼に遭遇した
俺もそうなるのか、いや、そうなってたまるものか、と健が飛んでくる攻撃を撃ち落とす。
黒き狼の攻撃は基本的には飛び道具、だがそれではワンパターンになると判断したか時々近接攻撃を仕掛けてくる、というところまでは判別できた。
名前の通り漆黒の狼のように健の周りを駆ける不定の黒き狼の攻撃を健が巧みな剣捌きでいなしていく。
しかし凌げるのも時間の問題、いずれは健の
「あの二人に触らせはせん」
攻撃の合間に、黒き狼がそう宣言する。
その言葉に一瞬、違和感を覚えるものの直後に繰り出された噛みつきのような攻撃をガラティーンで受け止め、健は呻いた。
――まずい、押し切られる――!
ガラティーンに噛みついた牙がそれをへし折らんとばかりに力を込める。
それを全力で振り払い、健は後ろに跳んだ。
――こいつ、ガラティーンが効かない――?
ガラティーンは「斬った対象が関わる電子機器に過負荷を与える」
黒き狼自体が超高密度のデータの集まりであるがゆえに影響を与えるほどのダメージを与えられていないのか、と思いつつ健は舌打ちをした。
勝てない。
力の差は歴然である。圧倒的な攻撃力、素早さ、何もかもがチートではないかと思えるほどである。
いや、実際チートだろう。魔術師とはそういうものだ。
考えうるチートを使いこなし、黒き狼は健に牙を剥いている。
「儂の攻撃をここまで凌ぐとは、大した奴だな」
健の前で足を止めた黒き狼が低く唸る。
「だが、あの二人に手を出すというのなら、生かしてはおかん!」
その瞬間、黒き狼の全身から漆黒の棘上の触手が解き放たれた。
それは地を這うように健に襲い掛かり、全方向から健を捕らえようと展開される。
「く――!」
ガラティーンを振るって触手を切断しようとする。
触手を切断さえすればそこからガラティーンの機能で相手のオーグギアを攻撃できるはず。
だが、数本の触手を切断することに成功したものの、無数に襲い掛かってきた触手に、健の手からガラティーンが弾き飛ばされた。
「くそっ!」
ガラティーンが手から離れた瞬間、咄嗟にガラティーンの格納操作を行う。
健の手から完全に離れる直前、ガラティーンが光の粒子となって消失する。
手から離れてしまえばそれは一つのオブジェクトだ。下手をすれば黒き狼に拾われて解析されるか、ガラティーンでこちらが殺られる。
いや、それだけで済めばいい方だ。解析されれば最悪の場合、健の身元がバレてしまい、そのまま「Team SERPENT」の発覚にまでつながるかもしれない。
そうなる前に格納処理を行えた時点で、健の判断力は恐るべきものだった。
ほう、と黒き狼が感心したような声を上げる。
「流石に
ゆらり、と影が揺らめく。
健はというと、ガラティーンを格納すると同時に僅かに開いていた上へと跳んで触手を回避、後方に下がっていた。
本来の生身では決してできない跳躍だが、VRビューかつ筋力増加のチートを使えば造作もない。
どうする、と健が自問する。
ガラティーンは効かない。いや、他の攻撃ツールであっても黒き狼には傷一つ付けることは叶わないだろう。
そうなると、何とかしてこの隔離空間から抜け出して回線を切断すること。
隔離空間を抜け出し、他のエリアへ跳べば、恐らくは安全にログアウトできる。
しかし、問題は「どうやって隔離空間を抜けるための隙を作る」か、である。
黒き狼の攻撃は絶え間ない。今は様子を見ているようだが、健が隔離空間を抜けようとした瞬間に攻撃してくるだろう。
どうする、と考え、健は
「まだやる気か!」
案の定、黒き狼が地を蹴って攻撃を仕掛けてくる。
――かかった!
黒き狼が遠隔攻撃を行うか近接攻撃を仕掛けてくるかは賭けだった。
だが、遠隔攻撃はコストや制限が多いというデメリットがある。勿論、チートでそれを無効化することができるがそこにリソースと時間を割くくらいなら近接攻撃を仕掛けた方が確実性は高い。
それが健の狙い目だった。
黒き狼の目の前で何かが炸裂し、辺り一面をパーティクルが煌めく
「な――」
黒き狼の動きが一瞬止まる。
健に対して完全に隙を見せる形となったが、黒き狼には勝算があった。
侵入者の手持ちではまともなダメージを自分に与えることはできない、という。
何度か受け流して把握している。相手の
だが、その破壊機能がまともに自分のアバターを傷つけることができないことを黒き狼は把握していた。それほどの
流石に「
それなら勝ちだ、と黒き狼は腕を健がいた方向に振り下ろした。
アバターの腕が、その先に展開された鋭い爪が、そのまま破壊ツールの破壊機能を発動し、健に叩き込まれる――。
はずだった。
「!?!?」
咄嗟に黒き狼が後ろに跳ぶ。
視界を奪うフォグが効果時間の終了とともに晴れていく。
「――っ」
そこに、誰もいなかった。
まるでテレポーテーションしたかのように、侵入者の姿は影も形もなくなっていた。
「……逃げたか」
黒き狼が低く呟く。
「……まぁ、儂はお前さんを潰したくはなかったからな」
逃げたのなら深追いするまでもない。
ゆらり、と揺らめき、黒き狼の姿が掻き消える。
同時に、不要となった隔離空間にひびが入り、パーティクルと共に消えていく。
隔離空間はデジタル世界においてはどこにでも存在し、どこにも存在しない空間。
「EDEN」で展開したとしても、その空間は全く別の場所にある。
だから、匠海も和美も健の姿が消えたことでログアウトしたか隔離されたという認識はできたがそれ以上深追いすることもできなかった。
ただ、何事もなかったかのようにデジタル空間はそこに存在し、データ片が世界を構築していた。
「あっ……ぶねぇ……」
隔離空間を抜けて咄嗟に手近なエリアに逃げ込んだ健はふぅ、と大きく息を吐いた。
とはいえ、いつまでもこのエリアにいるわけにもいかず、すぐに自分の居場所を特定する。
「……ToKの公開エリアか……無難な場所に出たな」
逃げ込む先の座標を指定する時間はなかった。
ただ、SERPENTから受け取っていた「緊急時の離脱に使え」と言われていた
イジェクタ―を使った瞬間に座標入力画面は出るに出たが、緊急離脱だけあって離脱座標は自動で入力される。それを信じて離脱したらここに飛ばされた、というわけだ。
それはそうと、黒き狼が近接攻撃を仕掛けてくれて助かった。
遠隔攻撃であったとしても同じ手で逃げられただろうが、近接攻撃で直に目くらましするよりはリスクがある。
「黒き狼……マジでやべぇな……」
自分の中に、傲りがあったことを思い知らされる。
「EDEN」に侵入した時の健は「黒き狼なんて何とでもなる」と思っていた。
結果として何とかなったが、現実は大敗だ。
黒き狼に対して、健はダメージらしいダメージを与えることはできなかったし、危うく自分の身元が、「Team SERPENT」が知られるところだった。
「周りの迷惑を考えろ」と言ったピーターの言葉を思い出す。
あと少しで、「Team SERPENT」に迷惑をかけるところだった。
自分一人の身勝手な行動で。
「……だが、何となく分かった」
黒き狼を前にして生還し、再戦の機会を窺えるのであれば金星とも言えよう。
SERPENTに怒られるのは確実だろうな、と思いつつも、健はウィンドウを展開し、ToKから離脱、現実世界へと帰還した。
『……だから「EDEN」に行くなと言っただろう』
現実に戻った健は、いつの間にか出現していたSERPENTに睨まれており、文字通り蛇に睨まれた蛙となっていた。
『何故、私の忠告を無視して「EDEN」に侵入した』
「それは、匠海と和美が気になって……」
っていうか、なんで状況把握してんのこいつ、と思いながら床に正座させられた健がしどろもどろに言い訳する。
『言い訳無用。以前からお前は一人で突っ走る奴だとは思っていたが、まさかここまでとは……』
SERPENTはこれが生身の人間だったら青筋を立てているだろう、という様子で健を睨みつけている。AR体だからか音声に抑揚はないが、言葉の端々に怒りの感情が見え隠れしている。
「……申し訳ない」
『本当に反省しているのか? お前は、「Team SERPENT」自体を危険にさらしかねないことをしたんだぞ』
まずい、SERPENTは本気で怒っている。
これは「Team SERPENT」追放もあり得るか? と健はSERPENTを見上げた。
そろそろ足が痺れてきて解放されたいところだが、そんなわがままを言えるほど今の健に立場はない。
「だが、最終的に身元を特定されることなく黒き狼から逃げ切ったぞ」
『それだ。まさか、黒き狼がお前を見逃すとはな』
SERPENTの言い分に、健の眉が寄る。
黒き狼が俺を見逃した? そんなはずはない、俺は確かに黒き狼の攻撃を振り切って逃げたぞと健が言おうとするが、SERPENTに一睨みされて口を閉じる。
『黒き狼を見くびるな。あいつは
まるで黒き狼を知っているかのようなSERPENTの言葉。
「なんだよ、お前は黒き狼を知ってるのかよ!」
思わず、健はそう言い放っていた。
SERPENTが一瞬揺らめき、そして改めて健を睨む。
『私が独自で調査した限りの知識しかないが、あいつはお前が思っているよりはるかに危険な魔術師だ。そうだな――
「は!?!?」
SERPENTの言葉に健が思わず声を上げる。
「亡霊級って、それほとんど都市伝説の魔術師じゃねえか!」
ネットワークの澱が生み出した、実在するともしないとも噂される亡霊級魔術師。
誰よりもARハックに優れ、その存在を匂わせがするが実在を確定させない凄腕の魔術師がToKに、いや、「EDEN」にいるというのか。
そういえば離脱したときもToKからは離脱できていなかったのに黒き狼は追いかけてこなかった。
ToKのカウンターハッカーであるならイジェクターの離脱軌跡を遡ることは可能だろうし、ましてや亡霊級魔術師であるならその探知もほぼノータイムだろう。
それなのに黒き狼が追いかけてこなかったことを考えると、やはりSERPENTの言う通り健は黒き狼に見逃されたのかもしれない。
何故だ、どうして俺を見逃した? 見逃すことで黒き狼にメリットがあるとでもいうのか?
そんな疑問が健の脳裏を過る。
『ガウェイン、聞いているのか』
SERPENTの鋭い言葉が健に投げかけられる。
『とにかく、見逃されたとはいえ黒き狼相手に生還したのだ、それだけは褒めてやる。だが、「Team SERPENT」を危険にさらした事実は変わらん。暫く謹慎してもらう』
「えぇ……」
『いずれにせよこちらも調査に時間がかかる、休暇と思って大人しくしていろ』
それだけを言い残し、SERPENTの姿がふっと掻き消える。
「……うー……」
すっかり痺れた足を投げ出し、健ははぁ、と息を吐いた。
そのタイミングでピーターから通信が入る。
「なんだよ」
《SERPENTからお前の謹慎を聞かされてな》
「情報はっや!」
SERPENTの奴、早速連絡して回ったのかよ、と毒づきながら健があぁ、と頷いた。
《だから『EDEN』の侵入はやめとけって言ったんだよ、ったくお前って本当に話聞かねえバーサーカーだな》
「るせえ、身元バレずに生還したんだからいいだろ」
《黒き狼に見逃された、だろ。気まぐれかなんか知らんがお前はそれに助けられたってわけだ》
そう言ってから、ピーターはそれで、と声を潜める。
《どうだった、黒き狼と戦って》
「どうって」
ピーターの言葉の意図が分からず、健が首をかしげる。
《攻略の余地はありそうかって聞いてんだ。黒き狼と戦って無傷で生還した初の
「あ……」
まさか、と健が呟く。
「お前、まさか――」
《いや、お前の弔い合戦なんてする気ねえよ》
「そもそも死んでねえ!」
ピーターの言葉に思わずツッコミを入れるが、ピーターはそれに介さず言葉を続ける。
《SERPENT曰く、『黒き狼との戦いは避けられない、ガウェインが生還したなら黒き狼側に何かしらの弱点があるかもしれない。それを探し出していつか来るLemon社との戦いに備えろ』とのことだ》
「な――」
健が絶句する。
黒き狼との戦いは避けられない。
そうだ、「Team SERPENT」は「Project REGION」を阻止するために動いているが、それは同時にLemon社を相手に戦争を仕掛けることになる。そして、その戦争には必ず黒き狼が投入されるだろう。
黒き狼への対策を講じなければ「Team SERPENT」の敗北は必至。「Project REGION」を阻止できないどころか自分たち「Team SERPENT」のメンバーは全員排除される。
その点では、健は独断専行して「EDEN」に侵入したとはいえ無傷で生還したのは大きかった。
どこかに黒き狼の弱点がある、それを見つけ出して、いずれ来る全面戦争に備える。
分かった、と健は頷いた。
「まぁ、俺も悪かったとは思うが黒き狼に対して何かしらデータが取れたのならそれは生かしてくれ。一応俺のオーグギアに戦闘データは残ってるからお前にも転送する」
《そうしてくれ。あいつと戦えるのは俺とお前しかいない。情報は多い方がいいからな》
そう言って、ピーターがふっと笑う。
「なんだよ」
《お前、気に入られてるな》
「何に」
言葉足らずのピーターに、健が口を尖らせる。
《SERPENTに、だよ》
「え」
気に入られてる? 俺が? と健が首をかしげる。
《それが分かってないようじゃあ、お前もまだまだだな。……それじゃ、俺は仕事に戻りますか。お前はちゃんと謹慎してろよ》
どうやらカウンターハッカーとしての仕事の休憩中に連絡してきたらしい。
健がああ、と頷き、回線を閉じる。
「……SERPENTに気に入られてる、かぁ……」
コンテナハウスのベッドに身を投げ出し、健がぼそりと呟いた。
自覚は全くない。SERPENTに気に入られるようなことをした記憶も全くない。
ピーターの気のせいだろう、と自分に言い聞かせ、健はとりあえず眠ることにした。
To Be Continued…
「世界樹の妖精-Serpent of ToK- 第3章」のあとがきを
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