光舞う地の聖夜に駆けて 第6章
分冊版インデックス
匠海、ピーター、タイロンの三人はそれぞれきっかけは別だったものの同じテロ阻止のため、手を組むことにする。
数々の妨害にあったものの、三人はテロの首謀者、イーライを無力化することに成功するが、弾道ミサイルの発射カウントダウンはスタートしてしまう。
それを阻止するために発射システムをハッキングしようとするが
チェルノボグの
チェルノボグの撃退によってカウントダウンは停止できたもののイーライは次善の案としてGWT爆破を実行しようとする。
GWTがネットワークに接続した瞬間に起爆すると言われ、アラスカにいる3人にはもはや打つ手なしと思われたが……
突然の着信に、とうふが首を傾げる。
今はGWT完成式典の真っ最中、よほどの緊急事態でもなければ誰も電話をかけてくるはずはないと思っていたが。
発信者の名前を見る。
匠海は今アラスカにいるはずだ。電話をかけてくる理由など全く思いつかない。
時差を考えると向こうは現在十五時ごろだが、それを忘れたか?
完成式典とはいえ、今は立食パーティー中、障害のこともあり、とうふは座って食べたい来賓向けのテーブルに座っていた。
一瞬、拒否するかととうふは考えた。
匠海もスケジュールは分かっているはずである。それなのに電話してくるとは。
まさか、
だとしたらある意味緊急事態である。出なければ出ないで後々面倒なことになるだろう。
仕方ないな、ととうふは通話ボタンをタップした。
《――じゃ、俺は話つけてくるから――ああ、とうふ、完成式典はどうだ?》
数日ぶりに聞く匠海の声。
実際のところは聴覚にも影響が出るほどの後遺症のため、とうふの視界には通話相手との会話内容がテキストログとしてリアルタイムに表示されるようになっている。
通話の向こうから「本当にいたぁーーーー!?!?」という絶叫がログに表示され、旅先で友達でもできたのかと考える。
あいつ、仲間とも割と距離取ってるしなあ、友達できたかあ、などと少し感慨に耽りながらとうふはああ、まぁな、と返答した。
「結構めんどくさいな。今、やっと食事だがあと一時間くらいで開通だ」
ところで、誰かといるようだが? 友達できたか、俺は嬉しいぞ、ととうふが続けようとする。
すると匠海はそれを遮り切羽詰まったような声で「それどころじゃないんだ」と返してきた。
《とうふ、緊急事態だ》
「なんだ?」
匠海の声音に、とうふも真顔になる。
まさか、本当に逮捕されたのか? という不安がよぎる。
《GWTの開通は遅らせられないか?》
「……は?」
何を言っているんだお前は、と、とうふが首を傾げる。
《GWTに爆弾が仕掛けられている。
「……は?」
再び、とうふが声をあげ、それから声のトーンを落として匠海に尋ねる。
「どういうことだ、爆弾って」
《詳しくは話している暇はない。ただ、GWTに爆弾が仕掛けられていて、どうやら起爆システムが特殊なものらしい》
匠海は逮捕どころかとんでもないことに巻き込まれているようだ、と認識するとうふ。
《起爆のトリガーはGWTがネットワークに接続した瞬間。よくあるタイマー式でないと考えるとケーブルを切るだけではダメかもしれない》
「それは、厄介だな」
だが、それは本当なのか? と、とうふは素直に疑問を口にした。
匠海が冗談を言っているとも思えないが、GWTに爆弾など、到底考えられない。
たまたま、『第二層』あたりでガセネタでも掴んだんじゃないのか、ととうふが思っていると。
《こちとら核ミサイル発射阻止で死ぬ思いしてんだよ! 嘘だったらお前が骨折り損のくたびれもうけなだけで誰も不幸にはならないだろ! とにかく動け!》
――話のスケールが、やばい。
GWTに爆弾を仕掛けられているというだけでも眉唾物だったが、そこへもっての核ミサイル発射阻止、それも死ぬ思いをしたということは。
「……本当、なのか?」
《だから嘘だったら被害はお前だけで済むんだよ!》
電話の向こうで匠海が怒鳴る。
これは信じるしかない。いくら
分かった、ととうふは頷いた。
嘘であったとしても、自分一人が怒られるだけだ。そうなれば後で匠海をいじればいい。
「で、どこに仕掛けてあるとか分かってるのか?」
《基礎部分だ。システムを止めるには、おそらくお前の力が必要になる》
「……つまり、ハッキングしろということか」
ああ、と匠海が頷く。
「バカ言うな、俺は前とは違うんだぞ? ハッキングなんて」
あの時の負傷で体も思うように動かせない、あれからもうハッキング自体していない、と、とうふは思わず弱音を吐いた。
数年のブランクで腕が落ちた、ということもある。だが、それだけではなく純粋に精密な操作を必要とするハッキングができるのかという疑問が生じる。
《自分を信じろ。お前には力があるだろ》
匠海の言葉に、ハッとする。
彼がNYPDではなくわざわざ自分に連絡してきたということは、今ここで事態に対処できるのは自分しかいないと信じてのこと。
その思いを無碍にするのか、ととうふは考えた。
そもそも、匠海が来る前は誰が
分かった、ととうふは頷いた。
「仕方ないな、久々のハッキング、させてもらう」
《不安だったらGWTの運営につなげ。なんとかして開通を遅らせる》
匠海の配慮が心に染みる。
だが、とうふは、
「いや、いい。この状況で下手に話を大ごとにすれば余計めんどくさいことになる」
《……分かった。お前を、信じる》
GWTを、いや、世界をお前に託す、そう言い匠海は通話を切った。
「……やれやれ」
相変わらずの巻き込まれ体質だ、と呟いたとうふの言葉は匠海に向けたものなのか、はたまた自分に向けたものなのか。
時計を見ると、十九時二十分を指したところ。
机に立てかけていた杖を手に取り、とうふはよいしょ、と立ち上がった。
通話を切り、匠海がふう、と息を吐く。
「なんとかなりそうか?」
タイロンの問いに、匠海がああ、と頷く。
「少なくとも、ユグドラシルでは俺の次に腕の確かな奴だ、やってくれるはず」
匠海のその言葉に、ピーターは
あの匠海が自分の次に、と言うのである。そこに超えられない壁があったとしても相当な技量だろう。
そう考えると彼が「上司」と言っていたのも本当に実力があってのことなのか。
単に実力主義で役職が決まるなら匠海がその立場にいてもおかしくないはず。だがそうでないことを考えるとやはり犯罪者枠には一定の枷があるということだろう。
「まぁ、ブランクはあるが俺はとうふを信じる」
ブランクがある、ということにいささかの不安を覚えないこともないが、匠海がそこまで信じているのなら大丈夫だろう、とピーターも信じることにする。
しかし、スクリーンネームが「とうふ」とは。
「
思わず、ピーターが尋ねる。
それに対し「知らんがな」と言いたげな顔で匠海は口を開いた。
「ピーター、
「アーサー……」
今、匠海は初めてピーターのことをスクリーンネームではなく本名で呼んだ。
同時に思う。
匠海のことも初対面時はいけ好かない日系人のおっさんだと思っていたが、今はどうかと。
あのアーサーのハッキングを目の当たりにし、人種など関係なく純粋に凄いと思ったのではないのか。
日系人だから、白人じゃないからと嫌悪するのは愚の骨頂である。
そう考えると、とうふの生まれを勘繰ったのは間違いだった。
どのような人間であれ、実力があるなら認める、それが世界である。
「……オレが悪かった、タクミ。あ、でも親がそうだったから、とかじゃないからな!」
思わず余計な一言をつけてしまったが、ピーターは素直に謝った。
同じ人間を、安易に分けてはいけない、と。
「……謝れて、偉いな」
匠海が手を伸ばし、ピーターの頭をわしゃわしゃとする。
「アーサー、やめろよ」
まさか褒められると思っていなかったのか、ピーターが照れくさそうにする。
「ま、とにかくこちらで打てる手は打った。あとはとうふの報告を待とう」
俺は疲れた、暫く休む、と匠海は悔しそうに顔を歪めるイーライを一瞥し、それから地面に座り込んだ。
念のため、同席していたユグドラシルの最高責任者に匠海とのやり取りを伝えようかと思ったとうふであったが、本来ならGWTに通報すればいいことをわざわざ自分にだけ伝えたことを考えるとそれはいけない、と考え直す。
それに、匠海がここまで自分を信頼しているのだ、それを無碍にするわけにはいかない。
パーティー会場を抜け、トイレに行くふりをしてそっと地下への階段に入る。
杖がカツン、カツンと音を立て、階段室に響くがここにはとうふ以外の人の気配はない。
「基礎は確かに警備が甘いな。こっそり何かを仕掛けた可能性はあり得る。しかし、こんな急なキャットウォークの階段を降りろとは……」
後遺症で身体の自由が利かなくなり、リハビリはあれども積極的に運動をするわけではないので数階分階段を下りるだけでも息が切れる。
とうふの脚が階段を踏み外しかけ、慌てて壁に縋り付く。
「……ふぅ」
危ない、と一瞬上がった心拍を整え、さらに地下に降りる。
やがて、基礎ブロックに到着し、そこでとうふは大きく息を吐いた。
照明を探し、点灯させる。
「……」
基礎杭に、爆薬が仕掛けられているのが見える。それも、大量に。
これだけ仕掛けてあれば爆発した時、GWTは無事では済まないだろう。
その爆薬に、起爆装置と思しき箱を見つけ、とうふは歩み寄った。
これか、ととうふは箱の蓋を開ける。
「……確かに、複雑そうだな」
映画でよく見るような時限爆弾ではない。
複雑な基板に様々なパーツを組み込んだ、旧世代PCを思わせる外見に「確かに
物理的に破壊すれば簡単に止められそうだが、この手のシステムは通電が止まった瞬間に別ルートの起爆装置が働いて爆発するのがお約束だろう、ととうふは考える。
箱の蓋を横に置き、とうふは起爆装置と自分のオーグギアのコンソールを展開した。
「……さて、久々の
そう、低く呟くとうふの口元が歪む。
あの
それに、ブランクがあるとは言っていたが。
「
自分のコンソールを操作、とうふがそう声をかける。
『はいはーい、ご主人が呼ぶって珍しいアルね!』
際どいスリットが入ったチャイナ服を身に纏ったサポートAIが姿を現す。
「今からこの起爆装置を解体する。お前は俺の動きのサポートを頼む」
『アイヨー、ご主人の動きをトレース、拡張して起爆装置に入力すればいいアルか』
そうだ、ととうふが空中に指を走らせる。
後遺症で手元が震えるが、辣子鶏と呼ばれたサポートAIがそれを補完し、オーグギアの操作に反映させる。
確かに、あの負傷でとうふは一度は
だが、誰かが放流したサポートAIのコアプログラムを入手し、その可能性に一筋の光を見出した。
その可能性を教えてくれたサポートAIこそ、最終的に匠海が保護したローカパーラというハッキング用のサポートAIだ。
彼女が始まりだったかのように、多くの魔術師がサポートAIをハッキングに利用するようになり、
そして、とうふは思ったのだ。サポートAIをカスタムして利用すれば、再びハッキングできるのではないかと。
それに、とうふは脳内に注入したナノマシンのバッテリー暴走で重傷は負ったものの、その後の治療でバッテリー依存ではなく体内電流をエネルギーとして活動する最新のナノマシンを注入しており、それによる数々の操作補助も受けている。
リハビリも含めて数年かかったが、彼はスポーツハッキングで、ある程度の難易度のサーバになら侵入できるほどに回復していた。
ただ、誰にもそれを伝えていない。
恐らく、匠海も気づいてはいない。
単純に、かつてのとうふの腕を買って頼んできただけだ。
それなら見せてやろう、ととうふは匠海に回線を開いた。
《とうふ? 終わったのか?》
早すぎるだろ、と匠海が声を上げる。
「残念だな、今からだ。この足で基礎部分まで降りる苦労を想像しろってんだ」
なるほど、と匠海が頷く。
《回線を繋いだ、ということは実況する気か?》
「お前も見たいだろ? 俺のハッキング」
流石にそう言われて断るような匠海ではない。
むしろ興味津々の顔つきで、尻尾があれば振っているのではないかという様子で妖精に何やら指示を出している。なにせ、久しぶりのハッカーモードのとうふだ、その証拠にとうふの口調が、普段の温厚なものから少々ガラの悪いものへと変わっている。
匠海としてはとうふができると信じていたが、まさかここまでの自信を取り戻すとは。
お前のおかげだよ、と匠海には聞こえないように呟き、とうふは辣子鶏に指示を出した。
《お前もサポートAI導入してたのか》
「ハッキングサポートに特化させた。辣子鶏、挨拶してやれ」
『辣子鶏アルヨー! ヨロシクなのネ!』
とうふに言われて辣子鶏が映り込む。
《なんだよその言語設定》
「うるさい、俺は元々華僑の流れなんだよ」
サポートAIくらい好きにしていいだろと言いつつもとうふと辣子鶏は手を動かしている。
《お前の生まれなんて興味ない。とにかく、そっちがなんとかなるまでは休憩がてら見物させてもらう》
匠海がそう言いながらスクリーンを同行者に共有したのだろう、ルキウスとタイロン、二人の名前が追加される。
スポーツハッカー時代を思い出すな、と思いつつとうふは一つ息を吐き、
「行くぞ辣子鶏、まずはコンソールパネルの解体だ」
『アイヨー!』
とうふがアバターの代わりに、辣子鶏を起爆装置に侵入させる。
起爆装置のシステムに侵入した辣子鶏がコンソールパネルを前に自分用のウェポンパレットを展開する。
『ご主人、パネルの基礎は
そう言いながら辣子鶏がOSに合わせた侵入ツールを選択、とうふの指示を待つ。
分かった、ととうふが大振りに手を動かすとその動きに辣子鶏が同期する。ただし、その動作には補正がかかり辣子鶏はとうふの動きから精細な動作を行いツールを表示させる。
ポン、と辣子鶏の手に小ぶりの
「辣子鶏、脆弱部分から
辣子鶏から送られてくるコンソールパネルの
辣子鶏が「アイヨー」と返答し、蒸籠から現れた龍をパネルの脆弱な部分に送り込む。
とうふが「小龍」呼んだこのツールは匠海が愛用している
解体操作は精密な操作が必要なため侵入までをとうふが行い、そこから先は音声認識と辣子鶏の動作補正、辣子鶏自身の判断で進めていく。
あっという間にパネルが内部から解体され、その中の制御システム自体が姿を現す。
《さすがとうふだな、動きに迷いがない》
ブランクがあるとは思えん、と匠海が声を上げる。
「ナノマシンと辣子鶏のおかげだ」
ゆるゆると手を動かしながらとうふが答える。
ナノマシンによって死にかけた自分が、まさかナノマシンで復活することになるとは。
医療技術の発展は凄いな、と思いつつもとうふが辣子鶏を制御システムに取り付かせる。
「辣子鶏、構築階層を教えろ」
制御システムを
ハッキング先の可視化には魔術師によって癖が見られるが、とうふはシステムを多層構造で可視化させ、順を追って侵入する手段をとっている。
匠海の平面マップによる可視化に比べて侵入難易度は高くなるが階層によって特定パターンの攻略となるため、状況に応じて即座にツールを切り替えることができないとうふには適切な可視化方法となっている。
『四層あるネ! トラップ層、セキュリティ層、
トラップ層は他にも色々あるけど一番危険なのはテイクオーバーネ、と続けた辣子鶏がとうふの指示を待つ。
「オーケー、トラップ層は
『ラジャー!』
辣子鶏がウェポンパレットを操作、小龍はそのままに別の龍を呼び出す。
小龍とは比べ物にならない大きさのその龍はデータ空間上でくるりと輪を描き、それから可視化された
『行くアルねー!』
龍が大きく口を開き、火炎放射器のように
炎を受けたトラップが無意味なデータ片となり、そして初めからなかったかのように消滅していく。
《なるほど、階層式の可視化はまとめて吹き飛ばせるから楽なのか》
「ルキウス」と名前が表示された通信参加メンバーが声を上げる。
その声の若さからまだまだ経験が浅そうだと思ったのか、とうふがふと笑みをこぼす。
「坊主、階層式は全体構造の緻密な解析が必要だぞ。生半可な解析じゃトラップとセキュリティが混在して平面マップよりややこしくなるからな」
《とうふ……だっけか? おっさん、凄いな》
「おっ……」
こいつ、大人に対する礼儀がなってないのかと憤るが今はそれにかまけている暇はない。
《すまんとうふ! ルキウスには俺から言っておく!》
匠海が口をふさいだのか、通話の向こう側でモゴモゴというくぐもった声が聞こえてくる。
気を取り直し、とうふは
展開されているセキュリティは既存のセキュリティツールを組み合わせたもの、難易度はそこまで高くなさそうだが下手に反応されると即起爆につながりかねない。また、難易度は高くないとはいえそれを回避するにはより細かい操作が必要となり、とうふが少しでもオーバーな動きをしてしまえば接触してしまう。
どうする、ととうふが呟く。
先ほどと同じように消去してしまえばいいかもしれないが、相手がもし警戒心の高い魔術師なら確実にデータの消去を判定して即起爆させる、自分ならそうするだろう。
トラップは侵入者を絡めて、今回の場合は乗っ取ってセキュリティ層に引っ掛けるだけなのでこちらから消したとしてもそれに反応するプログラムを仕掛けるのは難しい。そのため、容赦なく消去したがセキュリティ層は。
だが、とうふはあまり長く考え込まなかった。
すぐに辣子鶏にハッキングツールの使用権限を移譲する。
「辣子鶏、細かい部分のハッキングはお前の判断に任せる。俺も多少は干渉するが移動系は全てお前に任せた」
『分かったアル! ワタシに任せるネ!』
そう答えるなり、辣子鶏がセキュリティ層に突撃する。
辣子鶏が近寄ると、侵入者がいないか探知するための触手がうねうねと不規則に蠢いているのが視認できる。
その触手が蠢く谷間を、辣子鶏は全速力で駆け抜けた。
触れれば即、絡め取られてセキュリティが発動する触手を辣子鶏は速度を落とすことなく、即座に回避する。
「辣子鶏、一時方向十ポイント先に
とうふが辣子鶏のナビゲーションを行いながらさらに次の触手の行動予測を行う。
本来ならこういった状況は魔術師のアバターが駆け抜け、サポートAIが行動予測を行い、ナビゲーションする。
だが、自由に
よほどサポートAIの性能が高くないと、いや、サポートAIを信用していないとできない芸当。
それでも、とうふは辣子鶏をハッキングサポート特化でカスタマイズしているため、万全の信頼を寄せることができていた。
辣子鶏は市販のサポートAIをカスタマイズしたものではない。ネットワークに放流された
それを信頼せずにどうする、ととうふは触手の行動予測を行った。
不規則に動いているように見えるが、自由に行動するように見えるサポートAIですら規則性があるのにこんなセキュリティに完全ランダム行動が行えるはずがない。
そのとうふの考え通り、触手には決まったパターンが存在した。
パターンを瞬時に解析し、とうふが次々指示を送りナビゲーションする。
辣子鶏が触手の谷を駆け抜ける。
谷を抜けた直後、今度は規則的に動く赤外線レーザーの網のようなセキュリティが展開される。
その網の向こう側には、さらにその先の
「そのセキュリティは任せた!」
『アイヨー!』
そう返事しつつも、辣子鶏のスピードは緩まない。
そのまま、網に突撃する。
《そのまま突っ込んだぞ!》
ピーターが叫ぶ。
それに対し、とうふは何も言わない。
『花火の中に突っ込むアルねー!』
辣子鶏がそう叫びながらツールを展開する。
目の前に網が展開される。
それに触れる、と思われた瞬間、辣子鶏の体が消失、次の瞬間、網の向こうに出現する。
《なっ……》
何が起きたんだ、とピーターが声を上げる。
今のサポートAIの動きは見たことがない。まるで、短距離をテレポーテーションしたような。
「
ピーターの声に、とうふが再現のための情報転送はあれくらいの網なら引っかかることなくできる、と解説する。
《ビットジャンプ、開発できてたのか! もうそれお前の
興奮したように匠海が叫ぶ。
とうふが負傷する前から開発していたツール。元々はハッキング用のbotをテレポートさせるための物であったが、セキュリティの網を突破することができずに開発が進まず、とうふが負傷して開発も止まってしまったと思っていたが。
その幻のツールが目の前で展開されたことで、匠海はとうふの復活を確信していた。
今後は課長としてだけでなく、何かあった場合の援護としても期待できるかもしれない。元々とうふは現場畑の人間だった。負傷が理由で課長に収まったが、本来は現場でハッキングを続けたかったはず。
少なくとも匠海はそう思っていたが、その思いはどうやら正しかったかもしれない。
そうでなければ辣子鶏をハッキングサポート特化にするはずがなく、また、ビットジャンプの開発も再開しなかったはずだ。
そんな思いが、匠海をさらに興奮させる。
ここまで興奮するアーサーは初めて見た、と呟くピーターの声がとうふの通話ログに表示される。
「いや、まだ情報転送が引っかかる状態では跳躍できないからな。目指すは完全に隔壁の向こうへジャンプさせることだ」
すごいなお前、と画面の向こうで匠海がとうふを賞賛する。
そんな会話が展開される中、辣子鶏がビットジャンプを繰り返し網のエリアを突破、攻性I.C.E.層へと突入する。
しかし、突入した瞬間辣子鶏が動きを止める。
『アイヤー、これは思ってたより危険アルね』
本来、
しかし、攻性I.C.E.となると話は違う。
突破を少しでも察知されると積極的に侵入者を排除しようと動き、パターンによってはセキュリティより面倒なことになる。
例えば、脱出不可能な迷路を作り出して侵入者を閉じ込め、押し潰してしまうような。
しかもパターンは多岐に渡り、識別を間違えると対処に手間取り排除される。
パターンさえ識別できれば適切な対処方法で突破できるが、「これは危険」と言った辣子鶏は一体何を見たというのか。
とうふが空中に指を走らせ、攻性I.C.E.の特定に当たる。
「……確かに、まずいな」
設置されていた攻性I.C.E.は最初の見立て通り追跡、捕食型ではあったが、精度が高すぎる。
しかし、
壁に穴を開ける時点で気づかれれば即座に追尾され、捕食される。
触れたのがアバターであれば即座にユーザーのオーグギアまで逆ハッキングを仕掛けてオーグギアを破壊するほどの脅威は例えるならAIのカウンターハッカーだ。
今アクセスしているのはサポートAIの辣子鶏。即座にオーグギアが破壊される可能性は低いが、捕食されれば恐らく
壁に穴を開けず、正規の出入り口の認証をハッキングでクリアしてしまえば問題なく突破できるが、今辣子鶏の目の前に展開されている攻性I.C.E.は初めから認証を前提としていないのだろう、扉が存在しない。
それはそうだろう、GWTを爆破するためだけに作られた起爆システムだ。止めることなど想定していない。
第一階層、第二階層はあくまでも前座、本命はここだったのかととうふは確信した。
あの二階層はそれなりに腕の立つ魔術師なら突破できる。NYPDのようなハッキングに特化していない爆弾解体班では解体できないレベルに設定されているので第三階層は本当に超が付くほどの一流魔術師が来た場合を想定しての防壁なのだろう。
この起爆システムを作った人間は相当な腕の持ち主だな、と思いつつ、どうする、ととうふは自問した。
ここで諦めることができないのは決まりきったことである。残り
いや、匠海たちが見ている前で逃げるわけにはいかない。
たとえ辣子鶏をロストすることになったとしても、この起爆装置だけは停止させなければいけない。
《とうふ……》
匠海の声が聞こえる。
一度目を閉じて一つ大きく息を吐き、それからとうふは攻性I.C.E.の前の辣子鶏に指示を出す。
「今からその防壁を破る。お前は回避に専念しろ」
『ご主人、無茶するアルか!?!?』
辣子鶏を回避に専念させるということは、回避以外の制御は全て
ご主人は自分をロストする覚悟だ、と辣子鶏も認識した。
だがそれに対してとうふを恨む気は全くない。
GWTの命運がかかっているのなら、自分がロストするのは別に問題ない。
それに必ずロストするとは限らないし、ロストしてもとうふのことだからまた新しい
了解アル、と辣子鶏はとうふの
『それがご主人の選択なら、ついていくアル』
「……悪いな、辣子鶏。俺の我儘に付き合わせて」
《おい待てとうふ、お前辣子鶏を……》
とうふの決断に、匠海がそれを止めようとしてか声を出す。
だがそれには構わず、とうふは辣子鶏に指示を出した。
「行け!」
『アイヨー!』
辣子鶏が攻性I.C.E.に向かって突撃する。
とうふが
時間はあまりない。これだけの硬さの防壁を知られずに突破するのはそもそも不可能。
そのため、とうふは隠密を捨てて攻撃と回避に全てを割り振った。
その瞬間、攻性I.C.E.が展開、複数の触手を辣子鶏に向けて解き放った。
触手が到達する前に辣子鶏が空中に上がり、触手を回避する。
「……硬いな」
とうふが呟く。
彼の手持ちの中では最大威力を持つ破壊ツール、それも防壁突破に特化した地龍で体当たりしたにも関わらず、防壁は崩れていない。
今の一撃で三分の一くらいは削っただろうが、あと二撃与えるには攻性I.C.E.の追跡が激しすぎる。
辣子鶏に何本もの触手が迫る。
ギリギリでそれを回避し、辣子鶏が攻撃のタイミングを伺うが密に展開された触手が次から次へと襲い掛かる。
『キツいアルよ! 避けきれなかったらごめんアルよ!』
辣子鶏がそう叫びつつ触手を回避。
だが、その回避コースに次の触手が回り込んでいた。
「辣子鶏!」
とうふが叫ぶ。
とうふも回避コースを算出していたが、計算を誤ったか。
それとも、触手の動きの方が上手だったか。
触手が辣子鶏との接触コースに入る。
間に合わない。
再びとうふが叫ぶ。
その時だった。
ポロン、と弦を爪弾く音が辺りに響く。
直後、まるでエレキギターを弾いているような、激しい旋律が辺りを支配する。
辣子鶏を捕らえようとしていた触手の動きが止まる。
それと同時に辣子鶏が回避軌道に乗り、触手を回避する。
動きを止めた触手が再び動き出す。
しかし、その軌道は辣子鶏を追いかけるのではなく、何もない、明後日の方向。
「何が……」
呆然としてとうふが呟く。
辺りに響くエレキギターの音が触手の動きを狂わせているのはすぐに理解した。
だが、一体何が――。
「お困りのようでしたので、つい」
とうふの後ろから声がかけられる。
振り返るとうふ。
そこに、背が高い長髪の男が立っていた。
細めた目が、鋭くとうふを捉えている。
「お前は――」
《とうふ、どうした!?!?》
何か想定もしていなかった事態が発生したと認識した匠海がとうふに声をかける。
ポロン、と男が手にしていたエレキギター――エレキギター型の外部入力デバイス――を爪弾く。
それだけで男はとうふと匠海の回線への割り込みを完了させる。
「何か通信をされていたようですので、私も参加を。ところで、何やら物騒なことをされているようですね」
「それは――」
とうふが言葉に詰まる。
爆弾を解体していました、と言いたいが爆弾を前に色々行っているのだ、信じてはもらえまい。
そのとうふの考えを読んだのか。
「
まさか、と呟く匠海の声がとうふの通話ログに上がる。
《その声、トリスタンか!?!?》
通話の向こうで、匠海が叫ぶ。
それに対して向こう側では「知り合いなのか?」「トリスタンって『キャメロット』のあのホームズ野郎か」などと聞こえてくる。
「推測が当たったようですね」
男――トリスタンが破顔する。
「お久しぶりですね。貴方、今一体どちらに」
こうやって通信しているということはこの方に爆弾解体を依頼しているようですが、とトリスタンが尋ねると匠海はああ、と頷きつつ、
《訳あってアラスカにいる。話せば長くなるから省略するが、色々あってGWTの量子ネットワーク接続のタイミングで爆弾が起爆すると知ってな。あ、そこで爆弾解体してる奴は俺の上司、とうふだ》
しかしなんでお前がGWTに? と疑問を浮かべる匠海。
トリスタンが再び「
「マーリン、アーサー、ガウェインが抜けた今、『キャメロット』代表は私でして。昨年の
《マジか……》
こんな偶然があってたまるものか。
だが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
《トリスタン、渡りに船だ、協力してくれ!》
匠海がトリスタンにそう持ちかける。
それに対し、トリスタンは、
「ええ、初めからそのつもりでしたので」
ご迷惑でなければ、とトリスタンがとうふに言う。
「ああ、助かる」
とうふもそれを受け入れ、トリスタンは頷いてエレキギターを持ち直す。
《ところでトリスタン、何か
エレキギターの音が気になったのだろう、匠海が尋ねる。
オーグギアによるハッキングはオーグギアと腕や指を使ってのジェスチャーのみで行えるが、外部デバイスをオーグギアにペアリングし、外部デバイスの物理的なボタンなどを用いて様々なコマンドをショートカット登録して使う方法を用いる魔術師もいる。
自分が『キャメロット』にいた頃、トリスタンはそんなものは使っていなかったはずだ。ましてエレキギターなんて。
ええ、とトリスタンが頷く。
「やはり私は吟遊詩人ポジだと他のメンバーに言われまして。せっかくなので使ってみようかと」
そう言いつつ、ポロンと一音。
それに反応し、触手が動く。
《ま、まぁそれは分かった……が、吟遊詩人なら竪琴だろ普通》
聞こえる音が竪琴のそれではなく、どう聞いてもエレキギターであるため思わず匠海がツッコむ。
「いえ、竪琴だと音の信号変換が難しいので比較的親和性の高いエレキを一つ」
《……お前はそれでいいのか……》
「これはこれで便利なものですよ。音の種類が無数にありますから、音一つ一つ、コード一つ一つにコマンドを紐づけるだけで、このデバイス一つでほとんどすべての操作を網羅出来ます」
もう吟遊詩人じゃなくてただのロッカーじゃないかと匠海は思ったが、それ以上は何も言わない。
トリスタンがとうふを見て指示を出す。
「私があの追跡プログラムを操りますので、その間に貴方は防壁の破壊を」
ああ、ととうふが頷く。
「辣子鶏、援軍が来た。お前は防壁の破壊に専念しろ」
『形勢逆転アルね! 俄然やる気が湧いたアルよ!』
辣子鶏が再び地龍を召喚する。
地龍はがら空きになった防壁に再び体当たり、より大きく損傷させる。
『あと一発!』
再び触手が大量に現れるが、その全てがトリスタンのエレキギターによるコード共鳴ハッキングでコントロールを奪われ、あらぬ方向へ雪崩れるように消えていく。
それを見届け、辣子鶏がもう一度地龍を防壁に突撃させる。
派手なエフェクトを巻き上げ、触手含めた防壁が消失する。
その向こうには、丸裸になったコアが。
『ご主人! やったアルよ!』
辣子鶏が嬉しそうに声を上げる。
「ああ、辣子鶏よくやった!」
とうふが辣子鶏を労い、それからトリスタンを見る。
「助かった。お前がいなかったら今頃どうなっていたか」
とうふのその言葉に、トリスタンがかぶりを振る。
「いいえ、まだです。最後のコアが残っていますので」
油断禁物ですよ、とトリスタンがエレキギターを爪弾く。
「アーサーの前で、だというのに横槍を入れて申し訳ない。しかし、せっかくですので最後までお付き合いさせていただきます」
「大丈夫だ、俺一人でなんとかなると思っていたのが間違いだった」
かつてはユグドラシル最強と言われて驕っていたのか。
障害があっても一人で行けると思っていたが、頼れる人間がいるのなら、頼った方がいい。
これは普段の仕事でも言えることだな、これからはもっと
「それは勿論。しかし、託されたのは貴方ですので私はあくまでもサポートということで」
あくまでもとうふに華を持たせるつもりだ、と匠海は思った。
今のトリスタンの腕はとうふに匹敵するくらいはあるだろう。だが、それでも出しゃ張ることなくサポートに回るという。
元からトリスタンはサポート向けだったしな、と思いつつ匠海は続きを見守ることにした。
「ではとうふ、最後の仕上げにかかりましょう」
トリスタンの言葉に、とうふがああ、と頷く。
トリスタンはまたもエレキギターをポロンと鳴らし、
「ところで、好きな曲を一つ教えていただけないでしょうか?」
「は?」
いきなり何を、ととうふが首を傾げる。
「いえ、貴方と貴方のサポートAIに
《……『キャメロット』のトリスタンって言えばとんでもない
スポーツハッカー時代に『キャメロット』と対戦経験のあったピーターがぼやく。
あの時はガウェインにこそ勝てたが最終的にうちのチームは負けたんだよなあ……などと記憶が蘇る。
ピーターがそんなことを思っている間にとうふは曲を一つリクエスト、トリスタンが何度か爪弾いてチューニングした後頷いてみせる。
「それでは征きましょう、私ととうふのセッション、とくとご覧あれ」
トリスタンがリクエストされた曲を奏で始める。
それに合わせ、とうふは空中に指を走らせた。
辣子鶏が丸裸になったコアに接触、内部に入り込む。
全てのセキュリティが打ち破られた今、起爆システムを守るものは何もない。
情報の格子を潜り抜け、辣子鶏が起爆システムの設定を確認する。
「残り一分」
トリスタンがエレキギターを掻き鳴らしながら時間を確認する。
――間に合うか?
起爆システムの設定次第。
もしここに映画でよく見る時限爆弾の「赤か青か」があれば運任せとなる。
辣子鶏が起爆装置のコアの設定を解除する度、コアが玉ねぎの皮を剥くかのように一枚一枚剥がれていく。
今頃上の会場ではGougle社CEOが登壇し、ボタンを押す前の演説でもしていることだろう。
だが、地下深くのここにその熱は伝わってこない。
しかし、その会場以上の熱が、この解体現場に広がっていた。
匠海も、そして匠海と共にいる二人も固唾をのんでとうふと辣子鶏のコンビネーションを見守っている。
トリスタンも全力でエレキギターを掻き鳴らし、その共鳴コードで辣子鶏の演算処理をブーストする。
『これが最後の設定アルね!』
辣子鶏が最後の設定をオフにする。
コアの最後の一層が剥がれ落ちていく。
しかし。
「「――っ!」」
とうふとトリスタンが息を呑む。
最後の設定、それが剥がれ落ちた後に残っていたのは赤と青のスイッチだった。
どちらかを押せば、恐らくは止まる。
逆に言えば、どちらかを押せば、起爆する。
「どっちだ……」
額に汗を浮かべながらとうふが呟く。
システムで作られている以上、勘に任せて押さずとも解析すれば正解は出る。
だが残り三十秒を切った今、解析にかける時間はない。
『ご主人、どっちにするアル?』
辣子鶏がとうふに指示を仰ぐ。
「……」
駄目だ、選べない。
魔術師が、調べれば答えが分かるものを勘で答えるわけにはいかない。
調べろ。
答えを探せ。
今まで攻略してきた全てから、制作者の意図を導き出せ。
だが、そうやって考えている間にも時間は過ぎていく。
「……辣子鶏」
絞り出すように、とうふが辣子鶏に声をかける。
『どうしたアルか?』
とうふが空中に指を走らせ、オーグギアを操作する。
その演算の全権限が辣子鶏に移譲される。
「お前の全演算能力を以てボタンを解析しろ。間に合わない場合は、お前の判断に委ねる」
とうふの宣言に、誰も声をあげなかった。
あのピーターですら、そうか、と納得したように頷いている。
『ご主人……』
「トリスタンと言ったな、お前は全力で辣子鶏の支援を。お前ができる最大の演算バフをかけてくれ」
「……分かりました」
それがとうふの決断なら、とトリスタンがより激しくエレキギターを掻き鳴らす。
《とうふ……》
通話の向こう、遥か彼方の匠海も向こう側で何かを操作する。
直後、とうふのオーグギアの演算速度が上がり、それがそのまま辣子鶏に移譲される。
《俺のオーグギアの演算もそっちに託した。ブースターなしで心許ないが足しにしてくれ》
《そ、それならオレも! オレはブースターがあるから、それも使ってくれ!》
ピーターも匠海に倣い自分のオーグギアの演算をとうふに託す。
《なら俺は無駄かもしれんが、イーライを締め上げる》
今まで黙って見守っていた「もう一人」、タイロンが口を開き、一度通信から外れる。
『ご主人、みんな……分かったアル!』
場を見守る全ての
辣子鶏の周りに幾重もの電子的模様の魔法陣が展開し、演算を開始する。
タイマーだけが、静かに時を刻んでいく。
(辣子鶏……)
――お前を、信じる。
全員が、辣子鶏の演算を黙って見守る。
タイマーが十五秒を切る。
匠海の横でピーターが十字を切り、祈るように目を閉じる。
普段はやかましい妖精も、エコモードになっていることもあるが
タイマーが十秒を切る。
切羽詰まった声でタイロンがイーライを怒鳴りつける。イーライが愉快そうに笑う。
タイマーが五秒を切る。
それでも、とうふは何も言わず、焦りからボタンを押すこともなかった。
『解けたアル!』
辣子鶏が叫ぶ。
叫んだ直後、両手を上げ――。
カウントダウンが停止した。
その僅か数秒後、GWT全体が低く唸りを上げその機能を開放する。
GWTの量子ネットワーク接続のダイアログがとうふとトリスタンの視界に表示される。
《間に、合ったぁ~……》
ピーターが安心しきった声を上げ、その場にへなへなと座り込む。
《やったな、とうふ》
匠海もほっとしたようにとうふを労う。
しかし、とうふはというと、
「労うのは俺じゃなくて辣子鶏とトリスタンにしてくれ。俺はあくまでも辣子鶏のサポートをしただけだ」
そう、謙遜した。
それから、辣子鶏を見る。
辣子鶏の両手は、二つのボタンを同時に押していた。
「……まさか、両方を同時に押すのが正解とは」
エレキギターから手を離し、トリスタンが呟く。
『片方の信号が止まったら一秒以内にもう片方も押さないと起爆する仕組みになってたネ! でもみんなの演算移譲がなかったらこの答え出るの間に合わなかったネ!』
スイッチの目の前にある時計は十九時五十九分五十八秒で止まっていた。
本当にギリギリの解除で、とうふもトリスタンもそこで漸く安心し、その場に座り込む。
「……アーサー、帰ってきたら詳しく聞かせてもらうぞ」
そう、低く呟き、とうふは目を閉じた。
外では、ついにGougle社CEOによりボタンが押され、GWTが起動し、世界樹を模したARビューがGWTの建物を覆う。
それは今日この日のクリスマスを祝うように頂点でベツレヘムの星が輝き、枝々には鮮やかなイルミネーションが煌めく。
CEOが「メリークリスマス!」と叫び、参列者たちも「メリークリスマス」と返す。その喧騒は大きく、地下にいたとうふたちにも聞こえてくるほどだった。
「やったなアーサー! やっぱユグドラシルの奴らは全然違う」
とうふの起爆装置解除から数分、漸く脱力から回復したピーターが興奮したように匠海に声をかける。
ああ、と匠海が頷きピーターに視線を投げる。
「イルミンスールよりは歴史が長いからな。修羅場くらい何度でも」
流石にここまでの修羅場は初めてだったが、と呟きつつすっかり暗くなった空を見上げる。
もしかすると、オーロラが見えるかもしれないな、と匠海が考えているとゆらり、と光が揺らめき、控えめながらも光の帯が空に現れる。
「……はは……」
まるで労われているような錯覚を覚え、匠海が思わず笑う。
それから、胸元で拳を握り締めた。
「和美……」
――結局、生き延びてしまった。
お前としては、「まだ来るな」ということなのか、と。
聞きなれない名前を耳にしたピーターが匠海の横で首をかしげている。
タイロンも探偵という職業病からだろうか、興味深そうに匠海の様子を見るがそれ以上の情報を得ることもできず諦めてイーライを見る。
「……流石に、もう手は残ってないだろ。GWTは量子ネットワークに接続した。おたくさんの陰謀はもうお終いだ」
「ま、まだだ。チェルノボグ!! チェルノボグはどうした!」
「あの
匠海の言葉に、なんだと……と、イーライが愕然とする。
「くそ……君さえ、君たちさえいなければ……!」
悔しそうにイーライが呪詛の言葉を口にする。
ああ、そうだな、とタイロンが頷く。
「この中の誰一人欠けててもおたくさんの陰謀は止められなかったよ。それだけとんでもないことをやらかそうとしたんだ、一生牢の中で罪を償うんだな」
そう言ってから、タイロンは匠海とピーターを見た。
「……それじゃ、フェアバンクスに戻りますか」
「そうだな」
そう言い、匠海が立ち上がり、それに続いてピーターも立ち上がる。
「そういえば、今夜オレの兄夫婦がクリスマスパーティー開くんだ。せっかくだからお前らも来いよ」
「え、いやだがそれは」
匠海が思わず辞退しようとするがピーターはそんな彼の肩に腕を回し、「遠慮すんなよー」としつこく誘う。
「……そ、それなら……」
これは断り切れないと諦めた匠海が誘いを受ける。
その一方でタイロンは、
「あー俺は遠慮しとく。
流石に車に残したままパーティーに参加するわけにはいかん、とピーターの申し出を断る。
「あー……おっさんは、確かにそいつをなんとかしなきゃらなないもんな……仕方ないか。でも、そいつと一緒に一週間車の旅か?」
流石に一週間の移動は大変じゃね? とピーターが疑問を口にするとタイロンは「大丈夫だ」と笑う。
「流石にまた逃げられたりするとシャレにならんからな。依頼人から旅費もらって
「
めっちゃ高いけど、とぼやくピーターに匠海がニヤリと笑う。
「帰りに乗ってみるか? 払ってやるよ」
「マジかよ! アーサー、貯金どんだけあんだよ!」
匠海の申し出にピーターが食いつきかけるがすぐに思い直す。
いや待てこれは絶対何か企んでやがる、と警戒する。
「何も企んでねえよ。頑張ったご褒美くらいあってもいいだろうが」
「……し、信用できねえ……」
ピーターが一歩後ずさる。
「お二人さん、そろそろ行くぞ」
一応、軍には匿名で通報しておいたとタイロンが二人を急かす。
そうだな、と匠海も頷き、ピーターに「置いていくぞ」と声をかける。
「なあおっさん、アー……タクミは絶対何か企んでるよな?」
「あぁ? んなもん、貰えるもんだけ貰って逃げればいいだろうが」
何の解決にもならない台詞を吐き、タイロンが拘束したイーライを担ぎ上げる。
「家までは送ってやるよ」
タイロンがそう言うと、ピーターは「助かるぜ」と嬉しそうに笑う。
その様子を確認したタイロンが、匠海の方に向き直る。
「そういえば、おたくさん、レディを
「え、レディって、……チェルノボグのことか?」
匠海の言葉にあぁ、とタイロンが頷く。
「
ハッカーなのに知らなかったのか? とタイロン。
「ぐ……ぐるぅ」
そんな大物だったのか。アメリカ以外の魔術師については全然詳しくないな、視野を広げる事も検討した方がいいのか、と思案する匠海。
「そういえば、パーティってのは、今夜っていうが厳密には何時からなんだ?」
大体こういうのは開始時間決まってるものだろ、とタイロンがピーターに尋ねる。
「え? ああそういえば兄貴は十八時からって言ってたっけ……」
そう言いながらピーターが時計を確認する。
現在時刻は十六時十分を指すところ。
暗がりでよく分からないが、ピーターの顔がみるみるうちに青ざめていくのが二人に伝わる。
「……やばい……」
震え声でピーターが呟く。
「……遅刻したら、ヤバい、ていうか、遅刻、確定……」
時間に間に合わなかったら
匠海とタイロンが顔を見合わせる。
「「「……」」」
無言で三人は顔を合わせ、
「「「走れーーーー!!!!」」」
タイロンはイーライを抱えたまま、匠海とピーターも疲れ切った自身の身体に鞭打って走り出した。
徐々に光を増す夜空の帯の下を、三人と一人はひたすら車に向かって走り続けた。
to be continued……
「いいね」と思ったらtweet! そのままのツイートでもするとしないでは作者のやる気に大きな差が出ます。