縦書き
行開け

光舞う地の聖夜に駆けて 第4章

分冊版インデックス

4-1 4-2 4-3 4-4 4-5 4-6 4-7 4-8

 


 

前回のあらすじ(クリックタップで展開)

 逃亡犯イーライを追っていたタイロンはフェアバンクスでイーライの配下らしき男たちに襲撃され、撃退したもののさらに現れた連邦フィディラーツィアの生体兵器、ニェジットに襲われたことで彼と連邦フィディラーツィアのつながりを確信していた。
 情報収集のため、とある廃墟に訪れたタイロン。そこで怪しげな二人組と遭遇、交戦状態となる。
 二人を無力化し、話を聞いたところ二人はテロを察知し、それを阻止するために動いているという。
 そして、タイロンは自身が追っていたイーライこそがそのテロの首謀者であるということを知る。
 より脅威度が高そうだった男――匠海の要望により、テロの阻止に手を貸すことにしたタイロン。
 匠海とピーターは協力してオーグギアのキャリブレーションデータを保管しているサーバに侵入、イーライと、その所在地を突き止める。

 

 タイロンの車に乗り込む。
 運転席には当然だがタイロンが座り、助手席に匠海が収まる。
 後部座席にピーターが座ったが、すぐに前部座席の隙間に首を突っ込んで会話に加わる。
「おっさん、イーライを追いかけてたって言うがまさかカナダ通過してきたのか?」
 どうやらピーターはレンタカーではなく自家用車ということに気づいたらしい。
 ああ、とハンドルを握りながらタイロンが頷いた。
「二週間前に依頼を受けてから奴の足取りを追いながら来たからな。気づけばこんなところにまで」
「マジかよ……」
 そんな会話が展開され、車が走り出す。
「ところで、お前たちに作戦考えるのを頼んでたがどうなった?」
 移動中は暇になるだろうと思ったのか、匠海が尋ねる。
「ああ、それな」
「おっさんがイーライを伸してる間に俺とアーサーで発射設備をハッキング、強制的に発射停止に持ち込む」
「……おい」
 それ、作戦でもなんでもないじゃないか! と匠海が抗議する。
 ついでに言うと向こうがメンバーを集めていたのだから相手はイーライ一人ではないはず。タイロンがイーライを相手にしている間に他のメンバーに攻撃されれば自分達はひとたまりもない。
「一応、聞くがルキウス、お前SPAMスパムは?」
「一応、持ってるぜ」
 あんまり使いたくないけど、と続けつつ、ピーター。
「綺麗事は言っていられないからな、いざという時は使う覚悟をしておけ」
 Synapse PAin MomentSPAMは相手を電子的ではなく物理的に戦闘不能にさせるツール。相手に大量の無意味なサブリミナル映像とフラッシュ点滅、そして大音量ノイズを送りこむSPAMは酷くても光過敏性発作や一時的な難聴を起こすだけで致死性のものではない。だが、スポーツハッカー出身のハッカーの中には魔術師マジシャンが戦うというのは基本的にハッキングでのぶつかり合いで、リアルでダメージを与えるのはあまり好ましくない、という認識の人間も多い。
 当然、使用には相手のオーグギアに侵入する必要があるので、相手がセキュリティに十分に気を遣っていたり、早朝のピーターのように相手のハッカーが迎撃に出てきたりすれば、簡単には仕掛けることが出来ない。逆に言うと、ハッカー同士の対決になるスポーツハッキングではSPAMをはじめとするオーグギアへの干渉を防げるかどうかも、ハッカーの腕前の一つだと考えられるので、匠海や匠海の所属していたキャメロットのようにスポーツハッカーであっても特にSPAMに抵抗のないハッカーもいる。オーグギア破壊を好むガウェインなどが代表例だろう。もちろん、だからと言ってスポーツ以外でそのツールを使うことに抵抗がないかと言えば、そういうわけではないはずだが。
 ピーターの発言を考えると、彼は匠海と違いSPAM使用には否定的な考えの持ち主のようだ。
「SPAM? 缶詰がどうした?」
 腹減ったのか? 非常食で積んでるぞ、とタイロンが的外れなことを言う。
「違ぇよ。SPAMってのは魔術師御用達のハッキングツールの一つだ。もやしganglyがリアルで殴りたい時に使うんだ」
 アーサーがおっさんに使おうとしてたけど、とピーターが付け足すと、タイロンがちら、と匠海を睨む。
「おたくさん、容赦ないねえ」
「俺が使う前に止められて正解だったな。発動していたらお前、今頃気絶してたかも」
 もし、匠海の方が早ければこのようなことになっていなかったわけで、匠海もタイロンも発動する前でよかった、と本気で思っていた。
 そんな会話をするうちに、車はフェアバンクス市街地を抜け、凍結したタナナ川を渡り、ツンドラ地帯に出る。
 ここからは道なき道を移動するため自動運転からマニュアル運転に切り替える。
 永久凍土ゆえに木もほぼない雪原を、雪を巻き上げ突き進んでいくと。
 不意に、車に何かが当たる音がした。
 それも一つや二つではない。
「伏せろ!」
 ハンドルを切りながら、タイロンが叫ぶ。
 車は大きく蛇行しながら、中の乗員を激しく揺さぶる。
「なんなんだよ!」
 頭を抱えてうずくまるように座りながらピーターが叫ぶ。
 直後、リアウィンドウが砕け、破片がピーターに降り注ぐ。
やっこさん、追いかけてきやがった!」
 バックミラーを見ながらタイロンが声を上げる。
 匠海も後ろを見ると、後方から数台の車が雪煙を上げながら迫ってくるのが見えた。
銃砲が取り付けられたピックアップトラックテクニカルか」
 タイロンの言葉通り、追ってくる車はいずれもオフロード仕様の民生用ピックアップトラックにマシンガンを取り付けたタイプの車両のようだ。
「どうするんだ、タイロン!」
「どうするもこうするも、このままじゃ全滅だ! 応戦しろ!」
 どこで気づかれた、と言いつつタイロンが銃を抜く。
 窓から身を乗り出し、数発。
 ピーターもスマートガンを抜き、割れたリアウインドウから発砲しようとするが頭を出した直後に悲鳴を上げながらシートに蹲る。
「無理無理無理無理! 命がいくつあっても足りねえ!」
 匠海もシートベルトを外し、スマートガンを抜くが追手の弾幕が激しく身を乗り出すことができない。
 咄嗟にハッキングツールを展開、車をハッキングしようとするが相手は自動運転どころかネットワーク接続まで切断しているため侵入できない。いや、それどころかポートが存在しない。恐らく車両に据え付けられている量子通信機が丸ごと取り外されているようだ。
「くそ、対策してやがる!」
 そういえば相手にも凄腕の魔術師がいたな、と思い出しそいつの仕業か、と考える。
 二人がこのような状況に慣れておらず、手が出せないと判断したのか。
 タイロンが助手席の匠海を見た。
「タクミ、運転任せた!」
「は?!」
 タイロンの言葉に匠海が声を上げる。
 その間にもタイロンは無理やり匠海と座席を代わろうとしている。
 その勢いに押されて、匠海も思わず運転席に収まる。
「いやちょっと待て俺十年近く運転してないぞ!」
 和美の事故あの時以来、匠海が運転席に座ることはなかった。
 そもそも基本的には自動運転での移動だったためハンドルを握ること自体ほとんどない。
 大丈夫だ、とタイロンがリロードしながら匠海を励ます。
「んなもん、ハンドル握ってアクセル踏めばなんとかなる」
「無理だ! 俺に運転の責任押し付けるな!」
 そんなことを言っている場合ではない、とは匠海も分かっている。
 だが、あの時のトラウマが蘇りハンドルが握れない。
 ここでもし運転を誤れば。
 あの時のように誰かが命を失う事故が起きてしまうことが、純粋に怖い。
「アーサー、お前しかいねーんだよ!」
 なんとか応戦しようとするピーターが叫ぶ。
 そうだ、自分しかいない、と匠海が自分に言い聞かせる。
 思わず、匠海は胸元にぶら下がる指輪を握りしめた。
 目を閉じ、深く息を吐く。
 ――和美、力を貸してくれ。
『もう、仕方ないなー』
 不意に、妖精の言葉が匠海の耳に届く。
『使えるものならなんでも使いなさいよー、わたしがいるでしょ』
「妖精……」
 匠海が目を開けた、その先で妖精がハンドルに取り付いている。
 自分の声が和美妖精に届いたのか、と思うが今はそんなことはどうでもいい。
 一瞬躊躇し、それから匠海は、
「頼む、連中の攻撃を回避しながら指定ポイントまで運転してくれ」
『はいなー!』
 妖精がくるり、と一回転、F1ドライバーのようなレーシングスーツに衣装替えフォームチェンジする。
「そこで無駄にリソース使うな!」
「え、サポートAIに運転させんの?!?! この状況で?!?!
 匠海と妖精のやりとりを眺めていたピーターが声を上げる。
 確かにピーターもサポートAIミシェルに自動運転の制御部分に干渉した運転を任せたことはある。だがサポートAIの運転はあくまでも自動運転の延長線で、多少の状況変更に応じたコース変更は行うがこのような状況カーチェイスで適切な運転ができるとは思えない。
 大丈夫だ、と匠海がピーターを見て言う。
「少なくとも俺の運転よりは信用できる」
「おたくさんより? AIごときがそんな精密運転できるかよ」
「できる」
 不信感丸出しのタイロンに、匠海が断言する。
 そんな二人のやり取りを気にすることなく妖精が自動運転の基幹システムに侵入、車の制御を掌握する。
『いっくよー! 舌噛まないでね!』
 次の瞬間、エンジンが唸りを上げ、車が急加速する。
 飛来する無数の銃弾を車が走行不能にならない程度のダメージになるように蛇行して回避、目的地に向かって突き進む。
 その蛇行もAI運転特有の規則的なものではなく、まるで人間が運転しているかのような臨機応変なもので、中の三人が激しく揺さぶられる。
『ヒャッハー!』
「ちょ、ようせ、ノリが、やば……!」
 シートにしがみつきながら匠海が声を上げる。
『何言ってんの、最低限の被害かつ最速で向かってるじゃない!』
 確かに、被害は最低限かもしれない。だが運転があまりにも荒すぎる。
 そういえば和美もハンドルを握ると性格変わったような……などと思いつつ、匠海は「すまん、二人とも」と心の中でピーターとタイロンに謝った。
 ピーターはというと妖精の運転に若干目を回しつつもミシェルの制御とは全く違う、と実感していた。
 匠海が並みの魔術師マジシャンではないことはよく分かっている。伊達にユグドラシル最強の男と言われていないと言うことも理解している。
 そんな魔術師がサポートAIを手に入れると、ここまでカスタマイズできるのか、というよりもサポートAI自体に手を加えてより人間に近くしているのか、などと思ってしまう。
 噂で聞く開発者マギウスなのかと、ピーターは呟いた。
 よくは分からないが、開発者ならそれくらい朝飯前にできそうなイメージがある。
 実際のところ、匠海が使っている独自ツールの数々は一般的な魔術師のツール合成とは違い、開発者が行うようなプログラミングコード生成で作られているが、ピーターは匠海が魔法使いウィザードであることを知らない。
 とにかく、天才魔術師というものはここまでできるものなのか、オレもミシェルを改造してみようかな、できるかなとピーターはふと思った。
 雪煙を上げながらタイロンの車が爆走、それを追いかけ数台の車がアクセルを全開にする。
「どうすんだよ、このままじゃジリ貧だぞ!」
 カーチェイスに少し慣れてきたのか、ピーターが時々応戦しながら叫ぶ。
「妙だな、マシンガン以外を使ってくる気配がない。助手席からも応射があってもおかしくないはずだが……」
 その言葉を聞き、閃いた匠海がオーグギアを操作して周囲を飛ぶ電波を拾い始める。
「やっぱりか、電波でローカルネットワークが形成されてる。量子ネットワークに接続してないはずだ……」
 そう言いながら、匠海は電波で形成されたローカルネットワークにPINGを飛ばす。
「チッ、遠隔操作だ! あの車、誰も乗ってないぞ。くそ、複雑に暗号化されてる、時間をかければ復号デコードできると思うが、その前にやられるぞ……」
「いや、充分だ。誰も乗っていない……。つまり、あのテクニカルを壊しても誰にも被害はないわけだな」
 助手席の窓から身を乗り出して応戦していたタイロンがニヤリと笑って、シートに戻りリロードを行う。
 それから、シートの間を強引に乗り越え、ピーターの隣に移動した。
「おっさん?」
 タイロンの行動にピーターが首を傾げる。
 それには構わず、タイロンは左手の銃をホルスターに戻した。
 右手の銃を両手で構え、モードチェンジする。
「モードチェンジ。電磁実弾レールガンモードスタンバイ」
「れっ……!」
 レールガン!?!? とピーターが声を上げる。レールガンはその危険性から一般に流通しておらず、当然、レールガンモードを持つヴァリアブルハンドガンなど、ピーターは聞いたことがない。
 タイロンの音声認識でモードチェンジした銃の銃身バレルが延長され、キャパシタに電流がチャージされる。
 タイロンがその銃口を先頭の車に向ける。
「二人とも、耳を塞げ」
「え? あ、ああ」
「ええい、分かったよ、おっさん!」
 咄嗟に匠海とピーターが耳を塞ぎ、直後、
『ちょ、タクミ、オーグギアもミュート……うにゃあああああああああああ!!!!』
 トンネル微気圧波トンネルドンによって発生した轟音と共に、弾丸が射出される。
 妖精の絶叫がその音をかき消すかと思ったが聴覚情報にのみ反映される妖精の声は耳をふさいだ手を通り抜け鼓膜を震わせる轟音をかき消すことができない。
 火薬実弾ガンパウダーモードの時と比べ物にならないほどの超高速で打ち出された弾丸が大気を切り裂き、衝撃波ソニックウェーブを放ちながら先頭の車両のエンジン部に突き刺さる。
 弾丸の運動エネルギーがダイレクトにエンジンに伝わり、相殺しきれなかった分のエネルギーが車を吹き飛ばす。
 吹き飛ばされた車が空中で一回転し、後続の車両に落下する。
 そのタイミングでエンジンが爆発、その爆発に巻き込まれて落下してきた車の直撃を受けた車も爆発、それに巻き込まれて他の車も次々に横転、爆発していく。
「「……」」
 ほんの数秒の出来事のはずだが、何分もスローモーションで眺めているような錯覚を覚えた匠海とピーターが絶句する。
 まさかこんな隠し球があったとは。
 これは、タイロンが発射台を撃ち抜けば終わるんじゃないか、などと思いつつ匠海はこれで安心と銃を火薬実弾モードに切り替えるタイロンを見た。
「で、タクミ、本当に無人だったんだろうな」
 いくら正当防衛とはいえこの状況で人がいた場合生きてはいまい。
「多分な。少なくとも、オーグギアの反応はなかった」
 戻ってきたタイロンに運転席を譲り、匠海は妖精に声をかけた。
「もういいぞ。運転を戻せ」
『えー、今一番いいとこなのに! どうせ疲れてるでしょ、到着まで任せてよ!』
 ノリノリでアクセルを全開にする妖精に拒絶された。
「え、こいつ所有者マスターの命令無視すんの?!?!
 妖精の返答にピーターが目を丸くする。
「……すまん、こいつはこんな奴だ……」
 再びヒャッハー! と叫びだす妖精に、匠海は「もう妖精に運転を任せるのはやめよう」と固く心に誓うのだった。

 

 トラック爆破炎上の現場を後にして約一時間。
 三人は匠海とピーターで突き止めたイーライが控える現場から〇.六マイル(約一キロメートル)離れた場所に到着していた。
「ここからは歩きだ。おたくさんら、大丈夫か?」
 それなりにボロボロになった車から降り、タイロンが自分の装備を確認する。
 周囲には何もないツンドラ地帯、しかももうすぐ正午で辺りは明るく、これ以上車で近づくのは危険すぎる。
「だが、歩きだと逆に的にならねーか?」
 歩くと言われたピーターが不安そうにタイロンに尋ねる。
 確かに車よりは的が小さくなるが、その反面移動速度は格段に落ちる。
 遠くから発見された場合、狙撃の格好の的になるだろう。
 しかもここは極寒のツンドラ地帯、今は夜間に比べて気温も上がり始めているがそれでも温度計を見ればマイナス二十度、体感温度に至ってはマイナス二十七度という表示が出ている。
 幸い、というか不運にも天気は良好で吹雪による遭難はなさそうだが発見される可能性は高い。
 それでも、タイロン一人だったらまだある程度切り抜けることはできたかもしれない。だが、今ここには危険な局面に慣れていない人間もやしが二人もいる。
 やはり、車で突撃した方が確実か? と考えたタイロンが匠海を見る。
 その匠海はというと空中に指を走らせており、オーグギアで何かを調べているようだ。
「タクミ、何をやってる?」
「ああ、ちょっと索敵を。今お前らのレーダーに映す」
 匠海がすっ、と空中をスワイプ、するとピーターとタイロンの視界に簡略化された見取り図マップと現場をうろつくメンバー、そしてその向きが表示される。
「アーサー、この短時間で?」
「ああ、軍事衛星の写真からマップを作って、あとはオーグギアの短波通信から位置を割り出した。もう少し時間とリソースがあればアクセスポイントから割り出した緯度経度位置情報を表示できたが、悪いな」
 いやそれでも充分すごいんですけど、とピーターがぼやく。
「ルキウス、このマップ処理の権限をお前に渡していいか?」
 結局ブースターを買う時間がなかったからこの処理続けてるとリソースが心配で、と匠海が打診する。
「いいぜ、いざという時はお前が頼りだしな」
 ピーターが快く応じ、匠海からツールと各種権限を受け取る。
「だが、相手の状況が分かったとはいえどうやって移動するんだ? そこは解決してないだろ?」
「大丈夫だ、問題ない」
 ピーターの疑問に即答した匠海だったが、答えた直後に何かに気づいて小さく舌打ちをする。
「すまん、言い直す。それは対処済みだ」
「どうして言い直した」
 タイロンが不思議そうに首を傾げる。
 ピーターも首を傾げたが、すぐに「お前ー!」と声を上げる。
「フラグ建てんじゃねえ!」
 旧時代も旧時代、超古典的ゲームの、しかも負けイベント直前の台詞だと思い出したのだ。
「お、ルキウスお前もあのゲーム知ってるのか」
「根強く残ってるネットミームだろ。元ネタは、一応調べた」
 まぁそれはいいんだが、とピーターが続ける。
「で、どうやって対処したんだ」
「短波通信で連中の視界にフィルタリングをかけた。リソースが不安で、こっちから常にハッキングしなくてもいいように即席でウィルスを作って送り込んだからもう作用しているはずだ。流石に現地では役に立たないがある程度の距離までは見つからずに接近できると思う」
「俺には訳の分からねえ芸当だなあおい」
 ピーターと匠海の会話についていけないタイロンが頭を掻きながらぼやく。
「で、それは信用していいんだな?」
 ああ、と匠海が頷く。
 この短時間でここまでやるのかよ、と思ったピーターがふと思った疑問を口にする。
「なあアーサー……お前ってもしかして、開発者マギウスだったりするのか?」
「仕事にはしてないから厳密には違うだろ。まぁ、それに近いものかもしれんが」
 それだけでもピーターにとっては驚きである。昨今のハッキングツールは既存のハッキングツールを組み合わせたものが主流、既存のものがベースということは攻略方法もある程度開示されているようなものなのでいかにその攻略方法を他のツールでカバーするか、が課題となる。
 それに対し、開発者が作り出すツールは魔術師にとっては初見未知との遭遇となるため、攻略方法を見つけ出すところから始めなければならない。
 もっとも、攻略方法が見つけ出されれば既存ツールとして流通していくことになるのだが。
 そう考えると、匠海が即席でウィルスを作ったのなら相手が凄腕の魔術師であったとしても解析、解除に時間がかかるはず。三人が現地に到着するまで三十分を見積もってもまだお釣りがくるだろう。
 それなら大丈夫か、とピーターが軽く体を伸ばす。
「それじゃ、行きますか」
「ああ」
 ピーターの言葉に匠海も頷き、三人は歩き出した。

 

 匠海の言葉通り、現地に到着するまで三人は発見されることもなく堂々と移動することができた。
 現地に到着し、いくつか設置されているテントの一つの影に身を潜める。
 ピーターが匠海から移譲されたマップシステムは正常に動作しており、何人かが移動するのが視界とマップ両方にリンクして見える。
「……やっぱり思ってたより人いるな」
 地図の光点で分かっていたこととはいえ、周囲をうろつく人間がそれなりにいる。
 どうする、とピーターが匠海を見ると、匠海は既にウィンドウを展開して何かを準備しているようだった。
「時間があまりない、短期決戦で行く」
 発射時刻まで残り四時間、ピーターが記憶のページをめくり、かつてハイスクールの歴史の授業で聞き、興味を持って調べた弾道ミサイルのスペックを思い出す。
 あくまでも授業で聞いた弾道ミサイルの詳細を調べただけであって、最新のものがどんなものか、そもそも現在も製造されているものかは分かっていないが、それでも参考にはなるだろう。
 ――確か、固形燃料を使っているから発射の準備には三十分もあればよかったはず。
 液体燃料を使う弾道ミサイルも聞いたことがあるが保管や管理、発射前の燃料充填の手間を考えると固形燃料が主流となっていたはず。
 見たところ輸送車兼用起立式レーダー装備発射機TELARは既に起立状態に入っており、発射シークエンスの一部は完了しているとみられる。
 目標も決まっているので恐らくは各種諸元も入力されているだろう。
 もしかすると、自分たちの侵入が察知されれば時間を繰り上げて発射するんじゃないか、とピーターは考えた。
《アーサー、おっさん、連中、かなり準備を進めてる感じがする。下手に見つかったら時間になるまでに発射するかもしれないぞ》
 グループチャットを開き、ピーターが文字を送る。
《……だろうな。仕様は分からないが雰囲気でそんな気はする》
 匠海もチャットで返し、タイロンを見る。
《タイロン、俺とルキウスで連中にSPAMを送り込む。それでニェジット以外は無力化できるはずだ》
《俺はどうすればいい?》
 そうだな、と匠海が少し考え、
《ニェジットだけはタイロンに頼むしかない。だが、テロリストが無力化できていないうちに動くと見つかるしな……》
 流石の匠海もニェジット戦闘兵器との戦闘経験はない。
 リアルでの戦闘はタイロンに任せるしかないだろう。
《アーサー、俺たちだって殺傷エリミネイトにすればニェジットくらい》
 ピーターがさらりととんでもないことを言う。
 そんなピーターに、匠海は「こいつ、肝が据わってきたな」とふと思った。
 確かに、エリミネイトモードなら確実に頭を吹き飛ばせるだろう。
 しかし。
《すまんルキウス、俺は犯罪者枠ということでエリミネイトがロックされている》
《マジかよ》
 元犯罪者が罪を重ねないようにという配慮なのか罪を犯さないという信用がないからかは分からない。匠海のスマートガンは通常操作でエリミネイトモードが起動できないようにセッティングされている。
 どうする、と匠海は考えた。
 スマートガンのシステムをハッキングしてエリミネイトモードを解除することは簡単にできる。
 ただ、それをしてしまうと匠海のNile社本社からの信用は地に墜ちる。
 いくら非常事態とはいえ、それをしてしまっていいのかどうか。
 そう、考えたがすぐに匠海は首を振った。
 自分の立場を気にして作戦が失敗しては元も子もない。
 分かった、三分待ってくれ、と匠海は二人に告げ、視界にスマートガンのシステムコンソールを呼び出した。
 いともたやすくシステムを掌握、エリミネイトモードのロックを解除する。
《待たせた。ロックは解除した》
《マジかよ》
 二回目のピーターの「マジかよ」は一回目の「これだから犯罪者は……」という響きではなく「こいつ本当にやりやがった」という呆れが含まれている。
《これで、俺たちも一応は戦える。どちらかというと先手必勝しかできないが》
《通常の奴なら気付かれる前に頭を撃てばなんとかなるだろうが、無茶するなおたくさんら》
 タイロンがフェアバンクスで戦ったというニェジットは装甲型だったらしいが、そんな重装備の奴が何体も配置されていると思いたくない。
 連中が配置しているニェジットの種類が分かれば、と匠海がオーグギアを操作し、音波探知動体探知を行う。
 三人のマップに足音の推移による大まかな位置情報が表示される。
《足音の感じからすると重装備ゴツいのはいないようだな。流石に音波だから向きまでは特定できないが無いよりマシだろ》
 はじめのマップと同じくリソース節約のために管理権限をピーターに委譲しながら匠海がタイロンを見る。
《お前としては首謀者イーライの真意が知りたいんじゃないか? だったら奴だけはSPAMで仕留めない、お前が直に捕まえてくれ》
 この場にいるニェジットを撃破した上でテロリスト全員をSPAMで無力化してしまえば話は簡単だろう。
 だが、匠海としてはイーライの真意が気になった。
 勿論、あの募集要項にあった「GLFNの支配からの脱却」は分からないでもない。
 それでも、本当にそれだけで四本の世界樹に核攻撃を仕掛けるほどの動機になるのかが気になる。
 それはタイロンも同じで、相手がニェジットを持ち出してきた時点で連邦フィディラーツィアが裏で手を引いているということは推測できた。
 それが事実なのか、何故そんなことをしたのか、イーライの口から聞きたい。
 一介のバウンティハンターが首を突っ込んでいい話ではないだろうがここまで追いかける羽目に遭ったのだ、それくらい聞いても罰は当たらないだろう。
 オーケー、とタイロンが頷く。
 それを確認し、匠海はピーターに質問を送った。
《ルキウス、一度に何人仕掛けられる?》
《は?!?! 何言ってんだ一度に一人だろ!》
 そう返信しつつ、ピーターは驚きを隠せない顔で匠海を見た。
 普通、オーグギアの侵入は一対一、もしくは多対一で行う。
 オーグギアのセキュリティの都合もあるが、同時に複数人のオーグギアをハッキングするなど、ピーターには考えられなかった。
《アーサーはできるのか?》
《流石にSPAMとなると一度に十人が限度ってところだな。ブースターがあれば全員出来たかもしれないが》
匠海がさらりととんでもないことを言ってのける。
《準備時間は少しかかるが、分岐して一人ずつ侵入、全員侵入したところで一括送信すれば大丈夫だ》
 多分一人一人に送り込むよりは最終的な時短になる、と匠海。
 無茶言うなよ、とピーターは思った。
 つくづく、このタクミという奴はただものじゃない、と。
 そして思い出す。
 そういえばこいつ、この施設の全員に短波通信でウィルスを送り込んでいたと。
 量子通信に比べて短波通信は比較的リソースの消費が少ない。
 大容量のデータを一気に送ることができる量子通信だが、その分オーグギアの処理は複雑なものになる。しかし、短波通信は一度に送ることができるデータが限られているためオーグギアを熟知している魔術師同士は互いが近くにいる場合は短波通信を使うことが多い。
 半径数キロ程度なら短波通信の効果範囲のため、先ほどの匠海はそれを利用して必要最低限の機能だけを持たせたウィルスを展開、感染させている。
 しかし、SPAM程の攻撃ツールとなると短波通信のキャパシティを超えてしまう。
 そうなると量子通信を使わざるを得ないが、電波のように無差別にデータを送らず個別に直接データを送る量子通信だとオーグギアの性能上、十人が限度、ということなのだろう。
《分かった、アーサーがそう言うならオレもやる。その方法なら多分オレでもできる》
 マップの光点を確認すると、メンバーは十五人。
 そのうちの一点がイーライを表すアイコンになっており、それを除いてここにいるテロリストは十四人。
《アーサー、七人ずつで行こう。ターゲットは……今分ける》
 そう発言しながら、ピーターが十四の光点を二色に色分けする。
《分かった、ルキウスは赤、俺は青を狙う》
 オーケー、とルキウスが頷く。
《お二人さん、時間合わせするぞ》
 話がまとまったのを見て、タイロンがそう発言する。
 全員を一度に無力化するにはタイミングを合わせる必要がある。
 本来の時間合わせタイムハックは一人の時計に他のメンバーが時間を合わせることになるが、電波受信で時間を合わせるオーグギアにその必要はない。
 ただ、それでも全員が時間を確認、作戦に合わせた行動ができるようにとタイロンはそう二人に声をかけていた。
 全員が時計を確認し、互いに頷きあう。
《六百秒後に一斉にSPAMを送る。それ以上は侵入状態を維持できないからな。ルキウス、遅れるなよ》
 匠海の発言に、ピーターがタイマーをセットする。
 十分とはきついなとは思ったが、匠海にできることが自分にはできないということが癪で分かった、と答える。
 ふう、と深呼吸を一つ。
 ――大丈夫だ、オレはできる。
 スポーツハッカー時代の、試合前を思い出しピーターは自分に気合を入れた。
 相手は素人、セキュリティ対策はデフォルトザル
 行動開始まで十秒を切る。
 匠海もピーターも秒を刻む時計を睨みつける。
 タイロンだけは自分の出番が十分間ないと分かっているため銃を手に警戒だけ行っている。
 ハッキングが始まれば恐らく二人は身動きが取れない。
 万一発見された場合はタイロンが対処するしかない。
 銃のモードは既に非殺傷スタン。即座に撃てるよう、チャージも終わっている。
 ――さあて、お手並み拝見と行きますか。
 十分後、二人は本当に全員を無力化できるのか。
 タイロンが見守る中、カウントダウンが〇になる。
 ――行くぞ!
 匠海とピーターが同時に動いた。
 二人が空中に指を走らせ、ハッキングを開始する。
 ――硬っ。
 一人目のオーグギアに侵入したピーターが真っ先に思ったのが「硬い」だった。
 セキュリティ防壁が強化されている。デフォルトのものではない。
 それだけでなく、例の敵対している魔術師が巡回しているのか、警備達のオーグギア間をボロボロの黒いフード付きのローブを被ったアバターが移動しているのが見える。本気で敵が来るとは思っていないのか、注意は散漫なようだが、時間をかければ発見されるかもしれない。
 こんなところまで対策済みかよ、と毒づくもののピーターが砕けない防壁ではない。
 これよりも遥かに硬い魔術師の防壁を何度も破ってきたピーターである、こんなところで後れを取るわけにはいかない。
 防壁の種類を特定、それに合わせた侵入用ツールを選定する。
 ちら、とピーターが匠海を見ると彼は涼しげな顔をしてツールを展開している。
 視界のマップの光点、匠海が担当する青の光点が一つ、ハッキング済みを表す紫に変化する。
 ――早ぇよ!
 ハッキングを開始してから一分も経っていない。
 そう心の中で毒づきながらもピーターが一人目の防壁を突破し、二人目に取り掛かる。
 匠海はというと、涼しげな顔をしてはいたが予想よりも硬い防壁にテロリスト側の魔術師の手際の良さに舌を巻いていた。
 この程度の硬さなら特に苦労することはなかったが、魔術師側の妨害も考えられる。
 魔術師からの反撃を警戒しながら、ハッキングを進める。
 ……と、ふと匠海は思った。
 ――タイロンのオーグギアのハッキング対策、何もしていない。
 まずい、と匠海は慌てて回線を分岐、タイロンのオーグギアに侵入する。
 今のメンバーで、タイロンは唯一戦闘ができる人物。その反面、機械に弱く魔術師から攻撃されれば真っ先に無力化される。
 その対策のためにタイロンのオーグギアに自分の防壁アプリを転送、インストールさせておく。
 ついでにミラーリングアプリも入れてタイロン側に何かあった場合すぐに対応できるように保険をかけておく。
 念のためにチェックも行うが、侵入の形跡も改ざんの形跡もない。
 ほっとしつつタイロンへの回線を切断、匠海は自分に割り当てられたテロリストのハッキングに戻った。
 一人、また一人と侵入し、枝を伸ばしていく。
 タイロンのセキュリティ対策に一度手を止めたとはいえ、五分経過する頃には匠海は七人目のハッキングに着手していた。
 ちらり、と匠海がマップを確認する。
 ピーターが担当する赤い光点はまだ四つ残っている。
「ルキウス、遅れているぞ!」
 手を動かしながら匠海がピーターを叱咤する。
「アーサーが早ぇんだよ!」
 そう言いいながらピーターが一人のハッキングを完了、赤い光点が残り三つになる。
 その時点で残り百八十秒。
 一人一分で突破できるか、とピーターは自問した。
 匠海アーサーに手伝ってもらうべきか。
「ルキウス、手伝おうか?」
 七人目のハッキングを終了し、全員待機状態にした匠海がピーターに声をかける。
「アーサーは相手の魔術師監視してろよ。間に合わせる」
 思わず、ピーターは拒絶した。
 これくらい間に合わせる、イルミンスールで「アーサー」と呼ばれている自分がこんなことをクリアできなくては、仲間に合わせる顔がない。
 必ず、間に合わせる、集中力を途切れさせることなく、ピーターの指の動きが早まる。
 流石にほぼ同じ防壁を何人も突破していれば一人当たりの時間は短縮されていく。
 一人、また一人。
 残り九十秒を残して、最後の一人になる。
 それに対し、匠海は「間に合うか?」とは聞いてこなかった。
 それどころか、「余裕をもっておきたい」とピーターを手伝うこともなかった。
 それが匠海からの信頼の証なのだと、ピーターは痛感した。
 「お前ならできる」という無言の信頼。
 その信頼に応える、と、ピーターが指を走らせる。
 魔術師によって強化された防壁のわずかな隙間を潜り、ピーターのツールが電子の迷路を駆け抜ける。
 残り四十秒、最後のターゲットのオーグギアのコアに、ピーターが取り付いた。
「アーサー、捕まえた!」
「よくやった!」
 匠海が宙に指を走らせ、全体のハッキング状態を確認する。
「SPAMスタンバイしろ!」
 二人が既にいつでも送信可能状態となっているSPAMを確認する。
 指定したタイマーが〇に近づく。
 ピーターが余裕を持ってスタンバイしたことが、匠海は嬉しかった。
 ――さすが、俺に一泡吹かせた奴だ。
 これほどのレベルの魔術師がいるのだ、イルミンスールも安泰だろう。
 そんなことを考えているうちに、タイマーのカウントが一桁になり、そして〇を刻む。
 その瞬間、現場にいるテロリストに向けてSPAMが解き放たれた。
 二人が展開した枝を駆け巡り、強烈な攻撃信号がテロリストのオーグギアに届けられる。
 悲鳴を上げたテロリスト達がバタバタと倒れていく。
 テントの隙間からそれを見届けたタイロンが飛び出し、銃のモードを火薬実弾ガンパウダーに切り替える。
 まず、目についたニェジットの頭を撃ち抜く。
 チラ、とタイロンが振り返ると、匠海とピーターがテロリストから回線を切断して銃を構える。
「おっさん、行け!」
 三人の姿を認め、こちらに向かってくるニェジットにスマートガンを向け、ピーターが叫ぶ。
 匠海もニェジットに向けスマートガンを撃ちながらタイロンに向かって頷く。
 分かった、とタイロンが地を蹴った。
 そんなに広い現場ではなく、テントなどの配置を考えるとイーライの居場所は大体予想がつく。
「イーライ!」
 四台並んだTELARに銃を向け、タイロンが叫ぶ。
 その影からゆらり、と姿を現したのは紛れもなくイーライ・ティンバーレイクだった。
 一見、善良な市民に見えるがその内にとてつもない悪意の炎を秘めた悪魔のような男。
 まるで近所の子供を諭すかのような顔で、イーライはタイロンを見ていた。
「おたくさんの仲間はもういない、抵抗するな」
 真っ直ぐイーライに銃を向け、タイロンが警告する。
 だが、銃を向けられているにもかかわらずイーライは怯えるそぶりも見せず、佇んでいる。
「タイロン。やはり君か」
 ふん、とイーライが鼻で笑う。
「君が来ることは分かっていたよ。一度は俺を逮捕した男だもんなあ、そりゃ君を送り込むことくらい予想できるよ」
「だったら大人しくお縄に付け」
 銃を向けたまま、タイロン。
 それでも、イーライは怯まない。
「撃てよ、臆病者。俺を殺してみろ」
「くっ……」
 タイロンが呻く。
 撃てない。撃ってはいけない。
 バウンティハンターは逃亡者の殺害を固く禁じられている。その禁を破れば資格はく奪、そしてこちらが逮捕されてしまう。
 だが。
 一瞬は躊躇したものの、タイロンは容赦なく引鉄を引いた。
 銃弾が、イーライを襲う。
 しかしそれはイーライの横を通り過ぎ、TELARに当たる。
「……」
 タイロンが眉を顰める。
 今、確かにタイロンはイーライの腕を狙った。
 腕や脚など命にかかわらない場所を撃ち抜けば無力化できる。
 イーライの捕縛条件に手足の有無は明言されていない。
 だから、言われた通り撃った。
 銃の腕には自信がある。
 それなのに、外れるとは。
 イーライが両手を広げる。
「相変わらず単調なんだよ、君は。君がどこを狙うかくらいすぐに分かる」
「何を!」
 再びタイロンが発砲、だがそれも簡単に躱される。
「そんな悠長なことをしていていいのか?」
 ちら、とイーライが視線を横に投げる。
 つられてタイロンもその方向に視線を投げると匠海とピーターが群がるニェジットと交戦している様子が見て取れた。
 二人とも、かなり疲労している上に身体の数カ所から血が滲んでいる。
「タクミ! ピーター!」
 思わずタイロンが叫ぶ。
 ――巻き込んでしまった。
 あの時、場所だけ聞いて自分一人がここに向かっていれば。
 匠海が、ちら、とタイロンに視線を投げる。
「こっちはいい、お前はイーライを止めろ!」
 そう言いながら、匠海はさらに発砲、ニェジットの頭を吹き飛ばす。
「イーライ!」
 イーライの方に向き直り、タイロンが怒鳴る。
「どうしてこんなことをする! 世界樹が崩壊すれば、世界は!」
「だからなのだよ!」
 まるで舞台上の俳優のように、イーライが声を上げる。
「この世界は一度リセットするべきなんだ、GLFNグリフィンは巨大になりすぎた、だから壊すのだよ!」
「ふざけるな! お前のその欲望だけで世界中の人間を苦しめるのか!」
 タイロンがそう怒鳴りながら、発砲。
 だがそれも、特に感情に流された一撃も難なく躱される。
「無駄だタイロン! 君は、君たちはこの世界がリセットされるのを見届けるんだ!」
 そう、高らかに叫びながら、イーライが指を鳴らす。
 その瞬間、TELARの側にあったテントの一つが爆発、いや、破裂した。
 その中から大型の戦闘車両程もある巨大なヤドカリ――ヤドカリのような姿をしたニェジットが姿を現す。
「「「はぁ?!?!」」」
 イーライを除く三人が思わず声を上げる。
 ヤドカリのヤドに付いていたハッチらしきものが開き、そこからぞろぞろと通常タイプのニェジットが湧き出てくる。
「あいつ、生産、輸送タイプか?!?!
 どうしてそんなものまで?!?! とタイロンがイーライを見る。
 イーライと連邦フィディラーツィアのつながりはそんなにも強いものだというのか。だが同時に納得もできた。この基地にいるニェジットの数は二人の人間がスマートガンを駆使しても捌ききれないほど多い。これほどの数を連邦フィディラーツィアが秘密裏に密輸出来るほど、合衆国ステイツの監視は甘くない。だが密輸したのがこのヤドカリニェジットだけで、後はこのニェジットが生産したものだとしたら、全て説明がつく。
 湧き出たニェジットは匠海とピーターに向かって歩みを進めていく。
「さあどうする。こいつを倒さなければあの二人は助からないだろう」
 そう言いながらイーライはTELARの隣に据えられたテント、その中に集約させた機材に歩み寄る。
「発射は十六時の予定だったが君たちの乱入があったからね、前倒しさせてもらう」
「やめろ!」
「だったら殺せよ、臆病者!」
 イーライがタイロンを挑発する。
 もう一発、撃とうとして踏みとどまる。
 イーライはタイロンが罪を犯すことを望んでいる。
 自分が殺されることでタイロンに復讐しようとしている。
 咄嗟に、タイロンは音声認識ではなく銃の切り替えスイッチでモードを非殺傷に切り替えた。
 キャパシタに電流がチャージされ、発砲。
 だが、レーザーがイーライに届く前に躱され、不発。
 足止めしたい。
 だが、それにはイーライにSPAMを送り付けるのが確実だろう。
 タイロンが匠海とピーターを見る。
 二人はニェジットに包囲されつつあった。
 重傷は負っていないが、ボロボロの状態で、それでも背中合わせに銃を迫りくるニェジットに向け続けている。
「……さすがに、きついな」
 肩で息をしながらピーターが呟く。
 匠海も、ピーターほどではなかったが息を切らしながら頷いた。
「あのヤドカリが生み出してるならあいつを止めるしかないが……」
 今、タイロンはイーライと対峙している。
 イーライは弾道ミサイル発射用の制御端末の前に立っており、タイロンが銃を向けていることで漸く発射操作を妨害できている状態。
 匠海はタイロンの銃の腕は信じていたが、どうやらイーライはそれすら躱せる動体視力の持ち主らしい。イーライがタイロンを注視している限り、射撃で無力化することはできない。
 そのため、あのヤドカリを無力化するには人手が足りない。
 第一、仮に匠海かピーターのどちらかが手すきでも止めることはできないだろう。
 ヒト型ニェジットの頭を吹き飛ばせるほどの威力を持つスマートガンではあるが、流石にあの甲殻を撃ち抜くことはできない。
 万事休すか、と匠海が呟く。
 タイロンがヤドカリの排除に当たればその隙にイーライは弾道ミサイルを発射する。
 しかし、ヤドカリを排除しなければ匠海とピーターはニェジットの餌食になる。
 イーライさえ無力化できれば集中してヤドカリを排除できるのに、とタイロンが歯ぎしりする。
 それには二人の力が必要だが、二人の力を借りることができない。
「おっさん、まだか!」
 このままでは耐えられない、とピーターが叫ぶ。
「オレもアーサーももう限界だ!」
 アーサーも何か言えよ、とピーターが匠海に声をかける。
 声をかけられた匠海はというと、群がりくるニェジットたちを撃ちつつも、何か考えている――いや、左手を動かしていた。
「アーサー?」
 ピーターが怪訝な顔をする。
 ――まさか、ハッキングしている? イーライに?
 そうか、とピーターが察する。
 配置としては背中合わせの匠海とピーター、どちらかというと匠海の方がタイロンとイーライの様子を見ることができる位置にいた。
 それで、気付いたのだろう。
 イーライがタイロンの銃弾を避けることができることに。
 それなら、魔術師ハッカーができることは一つ。
 ――イーライを止める。
 匠海は諦めていなかった。
 いや、一度は諦めかけた。
 無数のニェジットに囲まれ、頼みのタイロンもイーライの発射操作を牽制するだけで手一杯、こんな状況で生き残れるわけがないと。
 正直なところ、匠海は「それでもいい」と思いかけていた。
 和美の分も生きる、和美が見ることができなかったものを見る、そう自分に言い聞かせ続けていたがそれでも死ねば彼女の許へ逝けるのだからいつ死んでも構わない、と。
 ピーターには申し訳なかったが、匠海はここが自分の死に場所になるのだ、と覚悟を決めようとしていた。
 だが、それでも。
『タクミ、諦めないで』
 スマートガンの射撃システムのサポートを行っていた妖精が匠海に声をかけたことで彼は踏みとどまった。
 妖精がそう言うのなら、もう少しだけ。
 そう思い直したことで、周囲の状況がはっきりと見えた。
 イーライを一瞬でも足止めできれば、タイロンは彼を無力化できる。
 それが分かった匠海の行動は早かった。
 右手で銃を構えたまま左手でスクリーンを展開、ハッキングを開始する。
 元々イーライの居場所を知るためにアクセスポイントまで突き止めている。あとはオーグギア内部に侵入するだけ、時間はさほどかからない。
 だが、敵もその動きを予測出来ないほど愚かではなかったらしい。黒いボロボロのローブを被ったアバターが、アクセスポイントとオーグギアの間を飛び抜けようとした匠海アーサーの前に立ち塞がり、黒い防壁を展開する。
 ――即席の防壁か。即席でこの強度、かなり腕の立つ魔術師だな。だが……。
 どれだけの強度を誇ろうと、それが単なる防壁であれば、エクスカリバーの敵ではない。
 アーサーは止まることなく、走り続け、防壁にエクスカリバーを振るい、防壁を改変、アーサーの侵入権限を許可させて、防壁をすり抜ける。
 コンソールに表示された防壁のソースコードが目に入る。それはキリル文字のコードだった。
 ――魔術師も連邦フィディラーツィアからの支援か! ついでだ、このままこいつも……。
 エクスカリバーを構え直し、そのまま黒いボロボロのローブを被ったアバターに向けて突進する。
 だが相手の魔術師の判断は早かった。防壁の解除の素早さから、敵わないと判断したのだろう、即座に回線を切断したようで、アバターがかき消える。
 テロのリーダーを見捨てるのか? 所詮金で雇われた魔術師ということか? などと考えながら、イーライのオーグギアのコアに侵入、そこで匠海は叫んだ。
「タイロン、撃て!」
 同時にSPAMを転送。
 電子の導管を駆け抜け、イーライのオーグギアにSPAMが送り込まれる。
 タイロンも、匠海の言葉を受けると同時に引鉄を引いていた。
 即席のパーティーでありながらの完璧なコンビネーション。
「が――っ!」
 オーグギアに送り込まれたSPAMが起爆し、イーライの視覚と聴覚に一時的な混乱を生じさせる。
 それと同時に放たれたレーザーがイーライに届き、
「く、そ、チェルノボグの奴、しくじった、か……!」
 タイロンが撃った電撃は導電性レーザー誘起プラズマチャンネルLIPCを駆け抜け、彼に手を伸ばしたイーライに突き刺さった。
 その場に倒れ伏したイーライに駆け寄り、タイロンが両手両足に手錠を掛け動きを封じる。
「タクミ、ピーター、待たせた!」
 火薬実弾モードに切り替え、タイロンがニェジットの群れに数発発砲し、頭を吹き飛ばす。
「おっさん、遅ぇよ!」
 ほっとしたようにピーターが怒鳴る。
「すまんな、今援護する」
「いや、タイロンはあのクソでかいヤドカリをなんとかしてくれ。あいつを倒さない限り戦力は圧倒的に向こうが上だ」
 それまではなんとか耐える、とピーターを見ながら匠海が指示し、タイロンが頷く。
「それなら、いっちょやらせていただくか……」
 二人から離れ、タイロンがヤドカリに対峙する。
 目の前に立ったタイロンを認識し、ヤドカリが威嚇するように両手のハサミを振り上げる。
 それが振り下ろされ、
「うわっ!?」
 咄嗟にタイロンは横に跳んだ。
 直後、タイロンがいた場所を高圧水流が通り過ぎ、その後ろにあったテントに直撃した。
 水圧に耐え切れず、破裂するテント。
「やべぇな……」
 ただニェジットを生産するだけでなく、自身も攻撃能力を持っているとは。
 あのハサミは高圧水流を放出するだけでなく、近づけば挟んで拘束することもできるだろう。
 そう考えると、できることは限られている。
「モードチェンジ。電磁実弾レールガンモードスタンバイ」
 左手の銃をホルスターに収め、右手の銃のレールガンモードを開放する。
 四丁ある銃のうち、この銃だけレールガンモードを搭載した特別製。
 色々な経緯があり、現在はタイロンの相棒となっているこの銃で何度窮地を乗り切ってきたか。
 キャパシタにチャージ、狙いをヤドカリの口元に定める。
 電流によって発生した磁場が超高速の弾丸を射出する。
 射出された弾丸は狙い違わずヤドカリの口に着弾、勢いをほとんど殺すことなく胴体を突き抜ける。
 しかし、昼にトラックを吹き飛ばしたほどの威力を持った必殺の一撃もヤドカリには決定打とならなかった。
 汚水のような体液をまき散らしながら、ヤドカリが怒ったかのようにハサミを振り回す。
「効かねえのかよ!」
 そう、悪態をつきながらタイロンは再びチャージを行おうとする。
 だが、視界に映り込む警告ウィンドウに舌打ちをした。
 連続発射ができない。
 レールガンモード使用直前のガンパウダーモードでの発砲やスタンモードの連続使用で銃身に負荷がかかりすぎている。
 この過熱状態でさらに発砲すれば暴発しかねない。
 冷却完了まで六分。
 ヤドカリが再びハサミを振り上げ、下ろすと同時に高圧水流を放ってくる。
「っそ!」
 早くヤドカリこいつを止めなければ、匠海とピーターがもたない。
 だが、レールガンを連射できない以上どうすることもできない。
「マズいぞアーサー、おっさんのレールガン虎の子、連射できないぞ」
 応戦しつつもタイロンの様子を窺っていたピーターが匠海に報告する。
 こちらの弾丸も残り少ない。このままでは押し切られてしまう。
 何か、打開策が欲しい。
 何か、手がかりになるようなものがあれば。
「妖精」
 不意に、匠海が妖精に呼びかけた。
『どうしたの?』
 匠海がロックオン対象に迷わないように、と脅威度の高さを判定、優先的にロックオンさせていた妖精が彼を見る。
「サポートはもういい、お前はあのヤドカリを調べてくれ。俺のオーグギアの各種センサー使用権限を与える」
『タクミ……了解!』
 匠海の指示に一瞬迷ったものの、妖精はすぐに頷いてロックオン制御をスマートガンに戻し、彼から離れる。
「……ルキウス、いけるか?」
「いけるもいけないも、耐えるしかないだろ! 妖精に任せた!」
 歯を食いしばり、ピーターがさらに発砲。
「こうなったら行けるところまで行ってやるよ! 地獄まで道案内しやがれってんだ!」
 そう、ピーターが吼え、匠海も指輪のチェーンがある胸元で一度左の拳を握り、頷いた。

 

 ――何としてもあのヤドカリの弱点を見つける。
 妖精がヤドカリの周りを飛翔し、データを集める。
 その様子はタイロンの視界にも映っており、匠海が何かしらの策を求めて妖精を送り込んだのだと理解する。
「……気付くのが遅ぇんだよ……」
 もっと早くにこうしてくれればよかったのに、と呟きつつタイロンがリロードを行う。
 クールダウンまであと三百秒。
 妖精がヤドカリの周りをぐるぐると飛んでいる。
 ヤドカリにはデータ体の妖精の姿が見えていないのだろう、狙いをタイロンに定めたままでいる。
 ヤドカリがニェジットを排出しつつもタイロンに攻撃を続けているのを横目で見ながら妖精は周囲にPINGを飛ばす。
(……ん?)
 不思議な引っかかりを覚える。
 このヤドカリから通信電波が飛んでいる。
 その糸を辿ると、イーライのオーグギアにつながっている。
 ――こいつ、オーグギアで制御できる……?
 即座に妖精はヤドカリの中に潜り込んだ。
 うへえ、などと思いつつも電波の糸を手繰り、
 ――見つけた!
 ヤドカリに埋め込まれていた制御機構ブラックボックスを発見する。
 妖精がブラックボックスをつつくとコンソールが浮かび上がる。
 ただ、操作するには管理者権限が必要で、適当に触ってなんとかなるような代物ではない。
 匠海から各種センサー類の使用許可は得ているものの、ハッキング許可は下りていないので妖精はとりあえずこれがどういうものなのかを調べ始めた。
 操作のために管理者権限は必要なものの、各種項目の確認程度なら権限は特に必要ないらしい。
 コンソールをスワイプすると次のページの項目が表示される。
『うへぇ、キリル文字』
 流石の妖精も言語設定が違うため、読めない。
 めんどくさいなぁ、もう、と毒づきつつ妖精はWebにアクセスして翻訳サービスを開く。
 翻訳しながら各項目を眺め。
 このブラックボックスでニェジットの生産を制御していることを突き止める。
『タクミ! 見つけた! なんか機械があって、それでニェジットの生産を制御してるみたい! で、こいつ、イーライのオーグギアで制御されてる!』
 ブラックボックスを前にしたまま、妖精が匠海に報告する。
《ということは止められる?》
『多分! 今のところ、イーライは操作してないし、ハッキングして制御権を乗っ取れば、ニェジットの生産を止められると思う』
 そう言い、妖精はブラックボックスを睨みつけた。
《生産を止めればこっちは何とかなるかもしれないが……次のタイロンのレールガンで殺れる確実性がない。もう一手欲しいな……》
 ヤドカリがただニェジットを生産するだけならまだよかった。
 しかし、ヤドカリは単独でも戦闘能力を持ち、ハサミもさることながら高圧水流は喰らえばひとたまりもない。
 一人で考えていても埒が明かない、と思ったのか。
 匠海が回線をピーターとタイロンにもつなげる。
《ルキウス、あのヤドカリ、機械が埋め込まれていてハッキングすれば生産機能を乗っ取れるらしい。そうした場合、何か取れそうな手はあると思うか?》
《んなことができるなら味方のニェジット作って突撃させればいいだろうが! 考える余裕もねえ、考えさせるな!》
 やけくそになってピーターが叫んでいる。
 それに対し比較的冷静な匠海が妖精に確認する。
《妖精、どうだ?》
 匠海のその問いに、妖精がコンソールを確認する。
 管理者権限なしで見ることができる部分を全て閲覧するが、その中にニェジットの行動パターンを制御できそうな項目はない。
『ダメみたい、生産システムをこれで上書きして任意のニェジットを生み出せるようにしてるだけでニェジットへの命令変更は別みたい』
《だろうな。おたくさんらは知らんだろうがニェジットは命令合言葉コマンドワード刷り込みインプリンティングで指示するからな。そこを書き換えない限り行動制御を上書きすることはできねえ》
 タイロンが話に加わり、そう解説する。
 なるほど、と匠海が感心する。
 確かに、このシステムなら敵の手によって命令を書き換えられ、ニェジットに自軍が攻撃されるというリスクは減らせる。
 ニェジットに関しては匠海もピーターも『第二層』でも度々見かけていたがこのような仕様だったとは、いや、「足で稼ぐ」タイロンがここまで情報を得るとはアナログも侮りがたいな、と考える。
 だが、ニェジットの行動を変更できないとなるとやはり生産を止めるのが最善手なのか。
 ――いや、待てよ。
 そう、思ったのはタイロンだった。
 このヤドカリがニェジットを生産しているのは分かった。それも、任意のもので、固定というわけではない。
 今匠海たちに群がっているのは通常型だが、タイロンがはじめに遭遇したのは装甲型だった。
 と、いうことは。
《妖精、そいつに榴弾型ボマー生産能力はあるのか?》
 タイロンの言葉に、妖精がリストを確認する。
『できるよ。でも、どうするの?』
《そいつに榴弾型を生産させろ。ハッチを閉じてロックしてしまえば出られない、そこを俺がレールガンで撃つ》
《レールガンで中の榴弾を爆破するのか! 頭いいな、タイロン!》
 それは盲点だった、と匠海。
《だが、俺もルキウスもハッキングしてる余裕はないぞ》
 匠海はピーターとニェジットに押し切られないように防衛するだけで精一杯。
 先ほどイーライのオーグギアをハッキングできたのは妖精がロックオンをサポートしていた上に彼が既に枝を付けていたからで、今からこのニェジットをハッキングするには余裕がない。
 しかもオーグギアのハッキングではなく、素人には中の構造が全く分からないブラックボックス。
 匠海が今の状況でハッキングするには荷が重すぎる。
 そう判断した妖精の決断は早かった。
『タクミ、わたしがハッキングする!』
 そう、宣言し匠海のオーグギアからハッキング用のツールを引き出す。
《妖精!?!? 勝手な真似を……だが任せた!》
 俺が許可出す前に動くなよと文句を言いながらも、匠海が許可を出す。
《だが二百四十秒で突破しろ!》
『その根拠は?』
 匠海が出した二百四十秒という数字に疑問を覚え、妖精が尋ねる。
《タイロンのレールガンの冷却完了まであと二百四十秒、完了と同時に撃たせる》
 そう妖精に根拠を提示した匠海はまさか万が一のために張った保険がこんなところで役に立つとは思っていなかった。
 匠海がそんなことを思っていることをつゆ知らず、妖精がハッキングツールを展開する。
『分かった、百二十秒でやる。百二十秒あれば生産ライン整うでしょ?』
 二百四十秒きっかりで完了させてしまうとヤドカリが榴弾型ニェジットを生産しはじめるところでタイロンが発砲することになる。
 今までのニェジットの排出頻度を考えると百二十秒あればちょうどヤドカリの内部で生産が完了するタイミングと重なる。
 百二十秒で突破、さらに百二十秒で生産、その完了タイミングで撃てば最短時間、最大効率での攻撃ができる。
《分かった、任せる》
『タクミも無理しないで!』
 妖精がハッキングを開始する。
 匠海が使っているツールは基本的に使うことができる。
 ただし、エクスカリバーだけは匠海と違いコード記述ができない妖精には扱えない。
 今回は時間を優先、多少のセキュリティはトラップが発動する前に『巨人の右腕ヴァーミリオン・パンチ』で叩き潰す。
 今回、このブラックボックスに接続しているのはイーライだけで、彼がハッキングに対抗できるとは思えない。
 彼が魔術師でないから、ということもあるが両手両足を拘束された状態で精密にハッキングの抵抗ができるはずがない。
 あっという間にセキュリティを全滅させ、妖精はコアシステムを丸裸にした。
 今までの匠海たちの会話や行動からテロリスト側の魔術師妨害者の存在は認識している。
 当然、何かしらの妨害があると想定していたしそれに合わせて巨人の右腕も大盤振る舞いしていたが何もなく、拍子抜けする。
 コンソールウィンドウを展開、妖精は生産ニェジットを通常型から榴弾型に変更させた。
 ヤドカリの胎内がうねり、即座に榴弾型の生産体制に入る。
 予想排出時間は匠海が指定した時間の約十秒後。
 ハッチを閉じてロックをかけ、ヤドカリから離脱した妖精が匠海の隣に戻る。
『やってきたよ!』
「よくやった、妖精! タイロン、レールガンの冷却が終わると同時にヤドカリを撃て! そのタイミングでヤドカリの準備が終わるようにした!」
「分かった!」
 タイロンに指示を飛ばし、それから匠海はヤドカリを見た。
 ヤドのせいでよく分からないが、それでも内部で何かしらの処理の変更が加わったのかヤドカリの攻撃が鈍っている。
 その攻撃を躱しながら、タイロンは自分とヤドカリの位置取りを計算していた。
 時間が来たからとむやみに撃てば弾道ミサイルや最悪の場合匠海たちに被害が出てしまう。
 弾道ミサイルを巻き込まず、なおかつ匠海たちが射線に入らない場所に位置取りを行い――
 冷却終了のアイコンがタイロンの視界に表示される。
 それと同時に、彼はチャージを開始した。
 銃口をヤドカリに向ける。
 ヤドカリも高圧水流を放つ予備動作に入る。
 だが、タイロンの銃のチャージ完了の方が早かった。
 再び超高速で放たれる銃弾。
 銃弾はヤドを貫き、ハッチがロックされているがゆえに外に出られない榴弾型のニェジットもまとめて貫通し――
 ヤドカリが大爆発を起こした。
 爆風が、匠海たちに向かっていた、あるいは包囲していたニェジットの一部を吹き飛ばす。
 爆風によりニェジットの包囲が途切れ、匠海は咄嗟にピーターの腕を掴んだ。
「ルキウス、走れ!」
 そう叫びながら息も絶え絶えなピーターを引きずり、包囲を抜け、タイロンの許に走る。
「はぁ……っ、あ、アーサー……お前、なんで、そんなに、体力あんだよ……」
 タイロンの隣に到着したピーターが座り込み、ゼイゼイと荒い息を吐く。
「お前、カウンターハッカーならもう少し鍛えておけ。魔術師ハッカーだからと言って体力が要らないわけじゃない」
 むしろ体力が資本だ、と匠海が答える。
「……ここまで、体力使うこと、普通は、ねーよ……」
「タクミ、おたくさん案外体力あるねえ」
 銃をガンパウダーモードに戻し、さらにホルスターに戻していた銃も抜いてタイロンが呟く。
 そう呟きながらも銃口は先ほど匠海たちを包囲し、爆風にも巻き込まれなかったニェジットを捉えるように向けている。
「一応、鍛えているからな」
 座り込んだピーターを庇うように前に立ち、匠海もスマートガンを構える……が。
「すまんタイロン、打ち止めだ」
 視界に映る【empty】の文字に、匠海が溜息を吐いた。
 マガジンももう残っていない。
 逆に考えるとよくここまでもったな、と思い匠海も後をタイロンに託す。
「任せとけ、おたくさんらはしばらく休んでな」
 タイロンが二人の前に立ち、両手の銃を構えた。
 数はまだ多いが二人を庇った状態のタイロンでも充分対応できるレベル。
「いくぞ!」
 自分に気合いを入れるように声を上げ、タイロンは引鉄を引いた。

 

 時間にして十分も掛からなかっただろう。
 最後のニェジットが頭を撃ち抜かれ、消滅する。
「ふう……」
 やっと終わった、とタイロンが銃を下ろす。
「……すげえな、おっさん」
 漸く呼吸が落ち着いたのだろう、ピーターが呟く。
 同じカウンターハッカーである匠海の体力にも驚いたが、タイロンのそれは匠海の比ではない。
 このメンバーでオレが一番ガリヒョロganglyなのか、やっぱり鍛えた方がいいのかな、などと思いつつピーターはタイロンを見上げた。
 そのタイロンはというと息を上げることもなく慣れた様子で銃をリロード、チラ、と地面に転がるイーライを見る。
「ふっ……ふふふ……」
 イーライは嗤っていた。
「何がおかしい」
 スタンモードに切り替えた銃をイーライに向け、タイロンが尋ねる。
 匠海とピーターもイーライに視線を投げる。
「まだだ……まだ終わってない!」
「イーライ!」
 イーライの言葉に、タイロンが思わず声を上げる。
 ――こいつは、一体何を言っている?
 タイロンが問い詰めようとしたその時、
「まずいぞ、カウントダウンが始まってる!」
 匠海が叫んだ。
 ピーターも慌てて、制御端末に視線を投げる。
 そこには、発射カウントダウンのウィンドウが浮かび上がっていた。
「やはり、発射準備自体は完了していたか」
 匠海が制御端末に駆け寄り、カウントダウンを停止させようとウィンドウを展開する。
 ピーターもそれに追従し、匠海のサポートを始める。
「惜しかったなあ、タイロン! 歪んだこの世界はリセットされるべきなんだよ!」
「イーライ!」
 お前にはカウントダウン開始ができなかったはずだ、とタイロンが問い詰める。
「手足を封じてしまえばできないと? そんなわけあるか、チェルノボグに最終コンソールはオーグギアでも操作できるようにハッキングしてもらっている」
 押せるんだよ、とイーライが高らかに宣言する。
「俺は! 今ここに! 新たな時代の幕開けを宣言する!」
 そこの二人に止められるものか、とイーライは勝ち誇ったようにそう言った。
「俺たちなめんな! この程度のハッキング……っ?!?!
 カウントダウンを止めようとコンソールウェポンパレットを開き、匠海アーサーピータールキウスが管制システムに侵入しようとする。
 その二人の前に、突然、巨大な壁が出現した。
 壁というより城壁、破城槌を使っても破壊できそうにないほどの強度を持ったそれに二人の動きが止まる。
「な――」
 ピーターが息を呑む。
 こんな防壁、イルミンスールでも見たことがない。
 それは匠海も同じで、先ほどイーライを特定するために侵入したキャリブレーションデータのサーバの防壁を思い出す。
 あれは正面突破しなかったもののまだ扉があった。だが、この城壁にはそれがない。
 また、城壁の表面は禍々しく蠢いており、触れたものに何かしようと待ち構えている。
「マズいぞ……」
 匠海が呟く。
 そしてエクスカリバーを抜き、城壁に斬りつける。
 エクスカリバーが城壁に触れた瞬間、表面で蠢いていた「何か」がエクスカリバーに絡みつく。
「っ!」
 咄嗟に、匠海はエクスカリバーの改変ではなく破壊機能で「何か」を吹き飛ばし、後ろに跳んだ。
 改変しようにも侵食が早く、解析もコード入力も間に合わない。
 可逆的破壊のため、「何か」が即座に再生しながら元の配置に戻る。
「なんだ、今の……」
 ピーターが掠れた声で呟く。
「……多分、吸収型だ。触れた対象の機能を吸収して、自分のデータの素材にしている」
 匠海のエクスカリバーは可逆的破壊とコード入力による改変機能を持っている。破壊は文字通りデータを意味のないものに砕くが、後者はコード入力、あるいはプリセット入力で相手のコードを自分に有利なように書き換える。
 だが、その改変スピードを、城壁の侵食は上回っていた。
「……まさかあいつ……」
 匠海が呟く。
「イーライのオーグギアに侵入するときに一度妨害してきて、その後何もしてこないと思ったらこれを用意していたのか……?」
 イーライを見限ったのかと思っていたが、こんなものを準備するために息を潜めていたのか、と歯軋りする。
「アーサー……」
 ――こんな防壁、突破できるわけがない。
 エクスカリバーですら対応しきれない防壁にピーターが絶望したように呟く。
 その城壁の上に、ボロボロのローブを纏った黒い死神魔術師がゆらりと姿を現した。
「漸く相見えたな世界樹のカウンターハッカー。この防壁、私の最高傑作、赤の城塞クレムリンを攻略してみろ」
 死神の声が聞こえる。
「お前が……」
 死神を見上げ、匠海が呟く。
 だが、その言葉と視線に弱さも、絶望の色さえもない。
 あの、喉笛に噛み付かんとする眼にピーターは「この状況でなお諦めないのか?」と驚いた。
 ニェジットに囲まれた時だけは一度諦めかけた匠海だったが、その時と状況が違うのか、と彼を見て思う。
 それはピーターが匠海の事情を知らないが故の思考だった。それでも、匠海が今この瞬間はこれまで見せたことのない闘争心でここに立っていることを理解する。
 そんな匠海の絶対に諦めない、必ず突破するという意志にピーターも両手で自分の頬を叩く。
「……やってやろうじゃねーか」
 ――ここでオレが勝手に折れるわけにはいかない。
 ピーターが両手を組んで指を鳴らす。
 そして匠海と同じように死神を見上げる。
「アーサー、あんな奴ボコボコにしてやろうぜ」
「ああ、ルキウス」
 死神を見上げたまま二人は互いを激励する。
 自分たちなら負けない、必ず突破してカウントダウンを止める、そう二人は自分に言い聞かせる。
「ふん、無駄だと思うがな。だが、そうだな……せめて貴様らが目の前にしている敵の名前くらいは教えてやる。私の名はチェルノボグ……連邦フィディラーツィア最高位の魔術師フォークスニク
 死神――チェルノボグが名乗り、「私の最高傑作クレムリンに攻略の余地があるものか」と自信に満ちた宣言を行う。
「せいぜい足掻くことだな。GLFNの狗め」
 そう言い残し、城壁の上の死神はその姿をふっ、と掻き消した。

 

to be continued……

第5章へ

第4章の登場人物

Topへ戻る

 


 

「いいね」と思ったらtweet! そのままのツイートでもするとしないでは作者のやる気に大きな差が出ます。

 マシュマロで感想を送る