光舞う地の聖夜に駆けて 第1章
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ぼんやりと緑色の光の筋を認め、そろそろかと期待に胸を膨らませる。
光の筋はやがて大きく広がり、天空から巨大なカーテンとなって降り注ぐ。
オーロラだ、と、
光のカーテンがそよ風に煽られるかのように揺らめき、形を変える。
『うわー、すごい!』
匠海の肩に腰掛けていた冬装束の妖精が立ち上がり、声を上げる。
AIなので本来は不要であるはずなのにいつもの服装ではなく全身モコモコの防寒装備でいるのは匠海も同じく頭にはニット帽、首にはバンダナを巻いた上でのマフラーのぐるぐる巻き、手には分厚い手袋、ズボンの下には厚手の裏起毛アンダーウェア、体も膝丈まであるダウンジャケットという完全な防寒装備でいたからか。
『
興奮した声を上げる妖精に、匠海がああ、と頷く。
「だが、これだけじゃないぞ」
『んー?』
オーロラを観察している匠海に妖精が首を傾げる。
「集まってきたな」
匠海が空の一角を指さすと、光のカーテンはその揺らめきを弱め一本の帯として収束し始めていた。
『もう終わりー? もっと見たいなー』
「気が早いぞ。これからが本番だ」
匠海の言葉に、妖精が再び空を凝視する。
ゆらり、と一本の帯となったオーロラが次の瞬間、大きく揺らめき、そして全天に広がった。
無数の光の帯が地上に向かって降り注ぐ。
『うわぁ……』
突然広がった幻想的な光景に、妖精が言葉を失う。
先程以上に広がり、激しく揺れる光の帯にそこかしこから感嘆の声が上がる。
『何これすごい、タクミ、分かってたの?』
ああ、と匠海が頷く。
「オーロラ爆発だ。一応、調べておいたからな」
そう妖精に説明する匠海は知らず、自分の胸の前で手を握りしめていた。
(
妖精の出自が事故死した匠海の恋人、和美の脳内データを元に生み出されたものとは理解している。
それでも、匠海はこの光景を和美と見たかった、と思った。
妖精と出会うまで、いや、妖精の出自を知るまでは肌身離さず着けていた自分と和美の婚約指輪を通したチェーンは今回の旅で久々に首にかけている。
その指輪がある辺りを握りしめ、匠海はただ言葉もなく天空を踊る光の帯を眺め続けていた。
ここはアメリカ最北の州、アラスカ。
その中でもオーロラベルトの直下にあり、オーロラ観測の地として名高いフェアバンクスに匠海はいた。
彼がフェアバンクスに来ることになった経緯はこうだ。
「は? クリスマス休暇!?!?」
その音に何事かと周りの仲間がこちらを見るがそれに構わず彼はとうふを睨みつける。
「とうふ、お前二十四日はGWTの完成式典に出席するって言ってたよな? そのタイミングで俺に休暇、だと?」
「休暇を通達した俺がなんで怒られるんだよ」
解せぬ、とデスクに座っているとうふが口を開く。
とうふはかつて、匠海と同じく
しかし
ユグドラシル所属カウンターハッカーの中で唯一負傷したメンバーであったが、
本来なら勤務に支障の出るレベルでの負傷であったため解雇されるところであったがカウンターハッカーとしての技量、知識、経験、そして何より数少ない
カウンターハッカーとして匠海たちと共に勤務していたため、仲間からの信頼は厚いし自身の負傷の経験から仲間の
ちなみに、とうふというスクリーンネームはハッカーでありながら少々気弱なところがあり、周りから「豆腐メンタルだよな」と言われ続けた結果付いたものである。
「
以前、匠海が過労で倒れたことを思い出し、とうふが指摘する。
「そもそも
匠海の言葉に、とうふがうっ、と言葉に詰まる。
確かに、ユグドラシルは一度サーバダウンした。
その理由がどんなものであったとしても、あの日起きた
そのため前年に完成した
「確かに、もうこれ以上ユグドラシルを落とすわけにはいかないが」
「ユグ鯖を守るためなら俺は別に」
どうせ俺は犯罪者だ、代わりくらい掃いて捨てるほどいるだろ、と匠海が反論するがそれで折れるとうふではない。
「司法取引してるんだから犯罪者じゃないだろ。それにお前ほどの
「ふざけんな! 俺は! 絶対! 休まないからな!」
一週間も休んでられるかと息巻く匠海にとうふがはぁ、とため息を吐く。
空中に指を走らせ、それからとうふは匠海の肩あたりで暇そうにしていた妖精に声をかけた。
「妖精?」
『んー?』
妖精がとうふを見てからファイルを受信する。
『とうふ、りょうかーい』
「え、お前ら何やりとりしてるの」
とうふと妖精のやりとりに一抹の不安を覚えた匠海が声を上げる。
「どうせ言っても聞かないだろうから休暇期間のログイン停止とユグ鯖入館許可取り消し処理をした」
「……はぁ!?!?」
――こいつ、強行手段に出やがった。
まさか出禁処置までやるとは、と思うが流石にハッキングして出禁処置を解除しても監視官仲間には即バレして最悪懲戒解雇になるだけである。
おそらく妖精に送ったファイルも匠海が裏工作出来なくするための命令書か何かだろう。
こうなってしまうと大人しく指示に従うしかない。
「とうふ……覚えてろよ……」
まるで悪役のような捨て台詞を吐いて、匠海はとうふのデスクに背を向けた。
「……ってもなぁ……」
歩きながらカレンダーアプリを呼び出し、予定を見る。
「二十一から二十七とか暇すぎて逆に死ぬぞ」
世間一般ならクリスマスは家族など大切な人とゆっくり過ごすものである。
しかし、幼少期に両親も他界し和美もいない今、家族と言えるのは
「ジジイとクリスマスは流石に、嫌だな」
何が楽しくて男二人むさ苦しくクリスマスを過ごさなきゃいけないんだ、などと思いつつ匠海はため息を吐いた。
いっそのこと
匠海が所属する
しかし、式典に潜り込むにしても各世界樹のそれなりの立場にいる人間やスポーツハッキングでの上位入賞者といった「そこそこ上位の立場の」人間に招待状が送られるものなので当然、平社員の匠海が招待状を受け取っているはずもなく久々に個人でのハッキングをやるかと考えていると。
『タクミー、どうするの?』
匠海の眼前に回り、妖精が声を掛けてくる。
「こうなったら一週間みっちり筋トレメニュー入れてやる」
どうせ魔術師は体が資本だ、と開き直る匠海に、妖精は、
『じゃぁ旅行しない?』
そう、持ちかけてきた。
「旅行? なんでまた急に」
驚いた匠海がそう問いかけると、妖精が待ってましたとばかりに匠海の視界に一本の映像を送る。
空を流れる光の帯。
それが先日のニュースで特集されたオーロラだとすぐに気づく。
「オーロラが見たいのか?」
うん、と妖精が頷く。
『タクミと一緒に本物見てみたいなーって』
そうか、と匠海は呟き、少し考えた。
旅行に行くのは悪い話ではない。
そもそも、和美が死んでからそのような浮かれたことをする権利なんてないとただ仕事に打ち込んでいた。
だが、妖精と過ごすうち自分でも楽しんでいいのではないかと思えるようになってきた。
そこへ来ての妖精からの旅行の提案である。蹴る理由がない。
それに。
――和美ができなかった分も俺が経験しないと、か。
ただ悲嘆に暮れるのではなく、前を見て。
自分に言い聞かせるように、「いつもの言葉」を心の中で唱えてから、分かった、と匠海は頷いた。
「せっかくの休暇だ、オーロラを見に行こう」
やった、と妖精がくるりと回る。
その様子にふと和美の面影を見出し、匠海は「やっぱりあいつの魂を引き継いでるんだな」と思った。
「これから二時間、自由行動とさせていただきます。チナ・ホット・スプリングスの温泉やアイス・ミュージアムのアップル・マティーニを是非ともお楽しみください。ただし、近辺には軍事施設もありますのでそちらの方向には決してカメラ等を向けないよう、お気をつけください」
ツアーガイドの声に、匠海は我に返り夢中でオーロラを眺めていたことに気づく。
それから、そっと頬を拭う。
その様子を見ていた妖精はいつもなら何かしら茶化してくるのに珍しく何も言わず、匠海の頭、ニット帽の上に収まる。
『どうする? 温泉行く?』
妖精の問いかけに、「いや、いい」と首を振り匠海はぶらぶらと歩き出した。
周りのツアー参加客は「温泉行こう」とか「氷の城だろ? 行ってみようぜ」などと各々の連れに声をかけて大半がチナ・ホット・スプリングスの方に向かっていく。
ごく少数のおひとり様参加者が爆発的な動きは終わったものの未だ揺らめくオーロラを見上げたり雪だるまを作り始めたりしている。
そんな参加者を尻目に集団から離れ、匠海が車道に出る。
人通りどころか車も通らないその道をあてもなく歩いていると、不意に光が匠海の目に入る。
車のヘッドライトだ、と気づいた匠海があわてて車道から離れる。
荒々しい運転の軍用トラックが雪を撒き散らしながら匠海の前を通り過ぎていく。
「っは、」
全身に雪を被った匠海がダウンジャケットの雪を払い落とす。
「なんなんだよ」
普通、通行人に泥とかかけたら車止めて謝罪くらいするだろ、などと毒づきながら走り去るトラックを見送る。
『あちゃー、派手にかけられたねー』
氷点下二十℃を下回る夜のフェアバンクスの雪なので泥は付いていないが、それでも全身雪まみれである。
ニット帽を脱いで雪を振るい落としながら、匠海はしっかりと現在地とトラックの走り去った方向を確認する。
「……軍用だな、てことは近くにあるとかいう施設に行ったのか」
国家間の争いが
だが、かといって国家間の軍事衝突が完全に消滅したわけではなく、抑止力としての軍隊は規模を縮小したものの存在している。また、
それを考えると今通り過ぎたトラックも
それでもあの運転はいただけない、きょうび自動運転で資材運搬するのが当たり前だが流石に軍用だとハッキングでの乗っ取りが怖くて有人運転にしているのか、だからといって通行人に雪を引っ掛けるのはひどいなと思いつつ、匠海は時計を確認し、集合場所に向かって歩き始めた。
ホテルに戻り、防寒具をハンガーに掛けた匠海は大きく伸びをしてから指を鳴らした。
『やるの?』
妖精の問いかけにああ、と一言だけ答えてオーグギアの隠しストレージに格納したハッキングツールを展開する。
流石にあのトラックには腹が立ったので匿名で苦情を言ってやろうと思ったのだ。
トラックのナンバープレートは記憶しているがそれだけでは施設側に誤魔化されかねないので運転手の
しかし、今回の旅行ではハッキングはしないでおこうと思っていたので
ハッキングツールは世界樹で働く上で必須なのでオーグギア内に格納しているがブースター無しでのハッキングは実に何年ぶりだろうか。
もしかして、『キャメロット』参加直後以来じゃないか、と思いつつも手を動かしトラックが向かった施設を特定、ゲートのセキュリティにアクセスする。
ハッキングの手順としてよくあるのは
しかし上位の魔術師はそのようなまどろっこしい手順を踏むことはあまりない。
時間の無駄であるし、万一ローセキュリティエリアで何かトラブルがあった場合、ハイセキュリティエリアはすぐに閉鎖されるためである。
そのため、匠海も例に漏れず初手からゲートのセキュリティに直接アクセスした。
かつて、和美のオーグギアに侵入するために使用したものからさらに洗練され、より細かいデータの網を潜り抜けることが可能になった情報糸状虫が情報の隙間を駆け抜ける。
数分も掛けずセキュリティを突破、ストレージに到達する。
ゲートの通行ログを検索、匠海がトラックと遭遇した時間直後の通過者IDを洗い出す。
トラックの運転手と同乗者の名前と所属、階級を見て、違和感。
なんだろう、この胸のざわつきは。
魔術師としての勘が、今すぐ引き返せと警鐘を鳴らす。
ブースター無しとはいえこの程度で発見されるほど匠海の腕は悪くない。ユグドラシル最強の魔術師と言われたりもするが彼は
見つかることはあり得ない。だが、嫌な予感がする。
ゲートへのアクセスはそのままに、匠海は回線を分岐させた。
ブースターがないので通信が若干不安定になるがそれを優先度の配分で調整し、
流石にオーグギアの演算能力を分散させているため、いきなりの中央突破には時間がかかりすぎる。巡回システムのタイミングを考慮してデータベースに近い人間のオーグギアに侵入、踏み台にする。
(ん、ドーナツ食いながら中央にアクセスしてんじゃねーよ)
システムは強固でもそこにアクセスする人間がザルだとせっかくのセキュリティも台無しである。
最初の踏み台から次の踏み台へと飛び移り、目的のデータベースに取り付く。
発見されれば問答無用で終身刑でも言い渡されかねない行為だがバレなければどうということはない。
施設のセキュリティとは比べ物にならない防壁ではあったがかつて挑んだユグドラシルの中枢ほどではないなと判断、先ほど洗い出したIDを検索する。
「……」
匠海の直感は正しかった。
正規のデータベースに、該当のIDの軍人は、存在しない。
(おい、なんかヤバくないか?)
心臓が早鐘のように打ち始める。
データベースの不備も考慮してもう一人のIDも検索する。
該当無し。
念のために、数人のデータを呼び出し、確認する。
IDの法則性を洗い出し、違和感の正体に気づく。
――
つまり、この二人は偽物の軍人。
おい待てゲートはこいつら通したのかよなんてザル警備なんだと米軍データベースから離脱、メイン回線を施設に戻しゲートからさらに奥の
施設内の監視カメラを掌握、施設内を確認するもののトラックはもう出発してしまったのか見当たらない。
施設に通報するか、と匠海は一度手を止め考えた。
偽造IDの軍人はまんまとゲートを通過し、そして何かを持ち出したはず。
それが重要なものであった場合、テロ以外の何物でもない。
ただ、通報するにしても問題はある。
IDが偽造であるということを知っているのは犯人を除き現在は匠海のみ。
たとえ匿名であったとしても国防総省のサーバに不正アクセスしたことは明るみに出るのは確実で、万一荷物が重要なものでなかった場合テロリストよりも先に匠海の追跡が始まるかもしれない。
厄介なことになった、と匠海はちら、と妖精を見た。
『ヤバいことになったねー』
わたしとしては面白そうなんだけどとまるで他人事である。
仕方ない、と匠海は再び手を動かした。
通報するにしてもまず自分の安全を確保してから。
まずは積み荷の特定から始めよう。
ちら、と時計を見る。
この施設のメインフレームは三十分に一度、セキュリティの暗号化がリセットされる。
前回のリセットは二十分前、次のリセットまではあと十分。
じっくりデータの閲覧をするなら十分以内に一度離脱し、再度暗号化された防壁を突破する必要がある。だが。
――十分あれば充分だ。
匠海の指が空中を走る。
まずはゲートに提示された電子命令書を閲覧、この命令書も偽造であることを確認する。
命令書の内容はミサイル格納庫に格納されている弾頭をアンカレッジのエルメンドルフ・リチャードソン統合基地に輸送するというもの。
エルメンドルフの記載はあるが、行先も偽装されているはず。
現時点での行先は特定できていない。
ただし、不安はそれだけではない。
弾頭の輸送、ということは当然、その弾頭は弾道ミサイルに搭載されるものだろう。
そして基本的に弾頭にはより効率的に生命を奪うための大量破壊兵器を搭載するものである。
『戦争』という概念が消えた今、そんなものは全て廃棄されたと報道されていたが未だに保管されていたのか。
持ち出した人間は戦争を再びこの地上に呼び覚まそうというのか。
弾頭を持ち出したということは恐らく弾道ミサイル本体も既に入手済み、どこにそんなものが、とかそんなものを調達する資金が、そしてどこから発射するつもりなのか、と考えてしまうが弾道ミサイルは
トラックから射出できる移動式のものもあることを考えるとこのアラスカのどこかに簡易的な基地を設営しているに違いない。
さらにハッキングを続け、持ち出された弾頭を特定しようとする。
しかし、保管自体がそれなりの期間であったことと極秘情報は基本的にテキストデータとして残されないことが重なり、書類の
ここから探し出すのは骨が折れるな、と思いつつ片端から
オーグギアがフル稼働し、ほんのりと発熱している。
こうなるならブースターも持ってこればよかった、と思いつつ、匠海はOCRで解析された文字列と命令書に記載されていた弾頭をマッチさせる。
その間にもう一度回線を分岐、優先度を低めにして気象衛星に侵入、その衛星写真用カメラからトラックを探し出す。
フェアバンクス近郊を走るトラックを探しつつ、命令書のマッチングも行い、数分が経過する。
「ビンゴ!」
匠海が声を上げ、書類と命令書をダウンロード、即座に施設のメインフレームから離脱する。
回線を統合、アクセスする気象衛星を一機から五機に増やしてトラック追跡のための網を張る。
視界に五つのカメラ映像が表示され、さらにダウンロードした書類の画像も表示させる。
書類を読む匠海の眉が寄せられる。
ごくり、と匠海の喉が鳴る。
「嘘だろ……」
そう呟いた匠海の声はかすれていた。
「戦争を、復活させる気か……?」
そして、匠海は悟る。
「これは通報できない」と。
確かに通報案件だろう。核弾頭が何者かによって持ち出された今、この世界は核汚染の危機に迫られていると言ってもいいだろう。
すぐに通報して各国の軍に動いてもらうべきである。
だが、通報しても匠海の安全は保障されない。
むしろ廃棄されたはずの核弾頭の存在を公にしてしまったということで拘束は確実、下手をすれば消されてしまう。
もちろん、自分の身を案ずるあまり世界を危機にさらすという愚は行ってはいけない。
同時に、「通報したところで何が変わるか」という不安もある。
たとえ軍が動いたとしても『戦争』が存在しない今、弾道ミサイルの迎撃システムも完璧にその手順が踏める確証はない。
――発射そのものを、阻止するしかない。
目を閉じ、一瞬考える。
無意識に、首にかけた指輪のチェーンを握り締める。
――できるのか、俺に。
対処できる人間は限られている。今の軍では不安要素が大きすぎる。
現時点で、この事態に対応できる人間は自分しかいない。
通報せず、
それでも、自分一人には荷が重すぎる、と匠海は思った。
万が一の事態を想定し、協力してくれる人間が欲しい。
そう考えて、匠海はたった一人、心当たりに思いついた。
衛星での探索はそのままに通信回線を開く。
数度のコール音の後、相手が通話に出る。
《何じゃ匠海、アラスカを楽しんでるんじゃないのか?》
通話画面の向こうに映し出されたのは匠海の祖父にして凄腕魔術師、『
「ジジイ、まずいことになった。力を貸してほしい」
単刀直入に言う。
匠海のその言葉に白狼がほう、という顔をするが、すぐに真顔になり首を振る。
《すまん、力を貸せん》
「どういうことだよ!」
思わず匠海が声を荒げる。
クリスマス前だから女のケツを追いかけるのに忙しいのか、と。
だが、その言葉にも白狼は首を振る。
《ちょっと厄介なテロを発見してな。対処しているが規模が大きすぎてお前の手も借りたいほどだ》
「それ、どんな事件だ? もしかして――」
もしかして白狼は既にこのテロをキャッチしていたのでは、匠海は期待を込めて聞こうとする。
《特定の条件を満たした人間を一人残らず殺すって代物でな。経済圏すら越えた世界規模で動かしてやがる。で、手を貸せるのか?》
「こっちも無理だ。世界がかかってる」
特定の人間を個別に、しかも経済圏を越えて、となると、こちらの事件との関連性はなさそうだ。匠海はかぶりを振りながら、断りの言葉を返す。
マジか、と白狼が眉を寄せる。
《なんじゃ、テロリストはクリスマスにテロをブチかますのが趣味なのか? 悪いが、儂は手を貸せそうにない》
「……分かった。しかし互いに何かしらのテロに出くわしたのは不運すぎるだろ……」
《自信を持て、
「その名」を呼ばれた瞬間、匠海ははっとして画面の向こうの白狼を見る。
「ジジイ……」
《お前には力がある。自分を信じろ》
そこまで言ってから、白狼はちら、と別の画面に目を走らせる。
《すまん、これ以上話している余裕はない。クリスマス後に遊びに来い!》
「……ああ、世界が無事だったらな!」
白狼に励まされ、匠海が力強く頷いて通信を切る。
パン、と両手で頬を叩き、匠海は妖精を見た。
「妖精、余裕あるか?」
『ったく、オーグギアフルに使って余裕あると思うの?』
ハッキングの邪魔にならないようにエコモードでスタンバイしてたんだけど、と妖精が姿を現して返答する。
「一旦お前との接続を切り離す。
そう言いながら妖精にスリープ解除のためのパスコードを格納した
『え、あれ使っていいの?』
妖精が驚いたように声を上げる。
匠海の自宅に置かれている
それを開放するということは余程のことね、と思いつつ妖精はもう一度匠海に確認する。
「いいからやってくれ。オーグギアの演算だけじゃ間に合わない」
『了解。三分待って』
妖精のその言葉を聞き、匠海はオーグギアから妖精との接続を切り離す。
妖精の姿がふっと掻き消えるが自宅に向かったと信じて衛星の画像を監視する。
きっちり三分、匠海の視界に妖精が再び姿を現した。
『ただいまー。接続するね』
巨大なコネクタを抱えた妖精が匠海にそれを突き刺す。
その瞬間、匠海の視界に映る各種UIが拡張された。
オーグギア単体での演算にブーストがかかり、処理に時間がかかっていた五枚の衛星映像がクリアになる。
その時点で妖精と再接続、妖精にもクラウド経由で情報を収集してもらう。
PCに演算の一部を託したことで妖精からの報告もスムーズに解析できるようになり、数分のうちに、
「見つけた!」
目的のトラックを発見する。
しかし、トラックに
どうする、と考え、匠海はテロの決行を遅らせ時間を稼ぐためにトラックの移動を妨害することにした。
「妖精! レンタカーを手配してくれ! 自動運転でここまで配車できるか?」
『余裕よ、任せて!』
情報収集から一部リソースを割き、妖精がレンタカー会社に車の手配を行う。
作戦としては、信号等道路網のシステムを乗っ取りトラックを誘導してからの搭乗員無力化。
衛星からの映像を追いながらキャリーバッグを漁り、
最近の銃は昔のようにID認識でトリガーが引けなくなったりするような
オーグギアと連動して接続できていなければ撃てないし実弾による
しかも、匠海が手にしているものはNile社が社員に支給してる最新モデル。
といっても、犯罪者枠の一般社員である匠海に許されているのは脅威排除モードと非殺傷制圧モードの二つのみだが。
まさか、こいつを使うことになるなんてな、と思いつつも匠海は心の奥でとうふに感謝した。
「治安がいいとは限らないから念のために持って行け」と旅行することを報告した際にとうふが忠告し、本来社内保管すべきところのそれに持ち出し許可を出してくれたためだ。
銃をズボンのベルトに差し込み、匠海は立ち上がった。
妖精が「車来たよー」と声をかけてくる。
フロントに鍵を預けて外に出て車に乗り込む。
一瞬、かつてのトラウマが蘇り吐き気を覚えるが首を振って振り払い、
トラック誘導の予定ポイントを妖精に転送、イレギュラー発生時の運転の制御を任せる。
『オッケー! 任せて!』
妖精の返事に小さく頷き、匠海はアラスカの交通網を制御するサーバに
いくらハイエンドPCでブーストしていると言っても本来のブースターの処理能力に比べれば落ちるため衛星との接続を切断、すべてのリソースでトラックの向かう方向を妨害しようとする。
サーバ内の交通網イメージマップに
妖精のアシストでトラックと自分の位置がアイコンで表示される。
到着予定地点からルートを算出、まずは、と手近な信号にアクセスする。
誘導のために赤信号を青に変更する。
が。
「……なっ」
匠海が信号を青にした直後に赤に切り替わる。
次の信号でも同じ。
切り替えられた信号をさらに切り替えるが、その時点で匠海はすぐに気づいた。
――俺以外にハッキングしている奴がいる。
信号の動きを見る限り、「もう一人」のハッカーも同じトラックに対してアクションを起こしている。
ことごとく匠海の意図と意見が合わないことを考えると相手はトラック側の味方なのか。
埒が明かず、匠海は
二つの反応が返ってくる。
――一つはダミーか。
過去の経験上、それなりに腕の立つ魔術師はダミーのアバターを投入して反応を増やす。
今回も追跡を攪乱させるためにダミーを展開しているのだろう。
――どっちだ。
ダミーを攻撃すればその間に本体が離脱してしまう。
二点に同時攻撃を仕掛けてその反応をうかがうことも考えたが攻撃を受けて離脱、別のルートから再侵入された場合こちらが不利になる。
再侵入されればこちらは相手の位置が分からないまま一方的に攻撃されるだろう。
魔術師同士の戦いで、自分の位置を知られずに相手の位置を特定することは大きなアドバンテージとなる。
そのため索敵はとても重要な要素であったが匠海は
――それなら。
トラックの進行方向を確認、その先の信号機に匠海は目を付けた。
ウェポンパレットから追跡型の
感染すれば相手のサーバとその先のオーグギアの
ダミーのアバターが能動的に動けるはずがなく、信号機を操作するなら本体が動く。
本体が信号機に接触した瞬間、ウィルス感染し、特定したオーグギアを乗っ取ることで無力化を図ったのだ。
ただし、相手に集中しすぎてトラックを見落とせば元も子もない。
妖精も車の制御にリソースを割いているので援護は望めない。
そう思っているうちにトラックが信号に差し掛かり――
光点が動いた。
片方の光点が信号に接触、その瞬間にウィルスが発動する――かと思われたが、ウィルスの反応が消失する。
まさか、気付いたのかと床を蹴り、
時間がない。
相手が
相手は回線を切断しなかった。
切断はしないが、匠海の侵入を防止するための
閉じつつある防壁の隙間をスライディングで通過、直後、後ろで防壁が閉じられる。
――これを辿れば相手に届く。
相手は「自分につながる」パスに防壁を展開していた。
つまり、展開されつつある防壁を突破していけば相手を特定できる。
相手が回線を切断していないため、交通網の状況はまだ確認できる。
サブウィンドウに交通網のイメージマップを投影したまま匠海はさらに防壁を通過、相手のアクセスポイントも突破する。
防壁が閉じられているため退路は断たれたも同然だが相手を無力化すればこちら側から解除できるので今は気にしない。
ここまで来たらフィールドは相手のオーグギアの領域。
それと同時にぞわり、と背筋に悪寒が走り、咄嗟に身をひねる。
匠海のすぐ横を衝撃波が奔り、後ろにあったオブジェを凍結させる。
「っぶな……!」
辛うじて回避したが、ただの衝撃波ではない。
(……後ろのオブジェが凍結している……奴の
そんなことを考えながらエクスカリバーを構える。
独自ツールは上位の魔術師が独自に既存のツールを結合させた独自の名前と形状を持つツールである。
匠海の
光の向こうにぼんやりと人影が揺らめく。
そこか、と匠海は人影の方向にエクスカリバーを向けた。
人影が何か――剣らしきもの――を振り上げ、振り下ろす。
それによって発生した衝撃波が匠海に襲い掛かる。
それをエクスカリバーで受け流そうとし、次の瞬間、匠海は横に跳んだ。
鎧から伸びるマントを衝撃波が掠め、マントの端が凍結する。
そこからさらに冷気が伸び、マントの凍結範囲が広がっていく。
「……ちっ!」
舌打ちをしてエクスカリバーで凍結部分を切り離す。
切り離すと同時にエクスカリバーの改変能力でコードを書き換え、破損したアバターデータの整合性を図る。
(まずい、エクスカリバーで受けても相殺できない)
エクスカリバーは「斬った対象のデータを可逆的に破壊、自分に有利なように書き換える」改変型である。だが、その改変にはコード入力が必要であり、いくら匠海が
それに対して相手の攻撃はコードそのものを不活性化させる凍結型。
しかも今の攻撃で触れた瞬間に凍結が発生することを確認している。
時間のかかるエクスカリバーでは改変が終わる前に凍結される。
エクスカリバーを一振り、一旦ウェポンパレットに戻し、攻撃特化に構築した
見た目はエクスカリバーとほぼ同じで、一見、エクスカリバーを再展開したようにしか見えない。
同時に、匠海はオーグギアのリソースを分割して四基の
ドローンが人影に向かって飛翔する。
だが、それを、
「甘い!」
人影が剣らしきものを振ることで撃墜する。
(……こいつ、やる!)
匠海の額を汗が流れる。
今、確かに見えた。
人影が振るった剣らしきもの、いや、剣から衝撃波のような斬撃波が放たれドローンを凍結させたのを。
離れていては勝てない、と匠海は判断した。
剣を持っているとはいえ斬撃波を飛ばすということはどちらかというと遠距離攻撃に強いはず。逆に言うと近接戦闘に持ち込めば斬撃波が放てずエクスカリバーの間合いに入る。
サブウィンドウのトラックを確認しつつ、匠海はどうする、と考えた。
考えている間にも相手は斬撃波を飛ばし攻撃してくる。
それを回避しながら、匠海はさらに四基のドローンを展開、射出する。
相手がそれを撃ち落とすタイミングでさらに二基、タイミングをずらして四基展開。
先の二基がシールドを展開しつつ相手に向けて指向性の攻性プログラムを発射、相手がそれに対応した隙を突いて後の四基にDDoS攻撃を行わせてオーグギアの回線を圧迫させる。
それを見逃さず、匠海は相手に急接近した。
相手が動きを鈍らせつつも全てのドローンを破壊、回線を回復させる。
だが、匠海の剣はまだ届かない。
急接近したことで相手のアバターがはっきりと可視化される。
豪奢な装飾が施された鎧を身に纏った騎士、いや、皇帝。
その手に握られた
皇帝が匠海に向けて剣を振り下ろす。
斬撃が匠海に迫りくる。
それを、匠海はカリバーンで斬り払った。
厳密には、斬撃を受けた瞬間カリバーンは凍結されその機能を失っている。
それでも匠海は足を止めたり回避したりしなかった。
凍結されたカリバーンを手放し、そのまま皇帝に迫る。
――届いた!
エクスカリバーを展開、皇帝の首筋に突き付ける。
「チェックメイト!」
「はん、それはどうかな!」
突き付けられたエクスカリバーに怯まず、皇帝が勝ち誇ったように言う。
チリッ、と匠海の周囲で信号が舞う。
「な――」
視界を走るノイズに、匠海はやられた、と悟った。
オーグギアの負荷が高すぎる。ハイエンドPCと接続していたとは言え、ブースターなしオーグギアで四基を越えるbotの分割処理は無理があったか。
エクスカリバーは消えこそしていないものの、最大の持ち味であるデータ改変を行えるほどのリソースが残っていない。
匠海の首筋に、冷気を纏った剣が突き付けられる。
「魔術師でありながらブースター使ってないとかなめてんのか? 何か小細工しているようだが概ね想定通りだ」
その言葉に、匠海の喉が鳴る。
「……気付いていたのか」
匠海がリソースを考えずに多段攻撃を仕掛けてくると見越しての最低限の反撃。
「やれよ。その剣は飾りか? メインの性能を出せずとも
ま、やってもお前の首も落ちるがな、と挑発する皇帝。
勿論、匠海ができないのを見越しての発言。
相討ったとしても自分にはデメリットはない、そう宣言しているのだ。
「ったく、『ランバージャック・クリスマス』だかなんだか分からんがお前らの思い通りにはさせない」
「『ランバージャック・クリスマス』?」
思わず、匠海は聞き返した。
同時に、考える。
こいつはトラックを援護するように見えたが――。
はぁ? と皇帝が声を荒げる。
「何とぼけてんだよ! オレがトラックの妨害しようとしてるのを邪魔しやがって、お前、あいつらの仲間なんだろ!」
「ちょっと待て。俺があいつらの仲間だって?」
いや違う、断じてそれはない、と匠海が否定する。
匠海の言葉に皇帝が再び「はぁ?」と声を上げる。
「じゃあなんなんだよ! オレがハッキングしてるの見て止めようとしたホワイトハッカー様ってか?」
「違う、俺もトラックを妨害しようと思っていた。厳密には誘導して運転手を無力化するつもりだった」
三度「はぁ?」と声を上げる皇帝。
「正気か? どう考えてもお前はテロリストの進路を確保しようとしていただろ」
「それはこっちの台詞だ。ダミーまで用意して」
「は? オレはダミーなんて……」
そんなやり取りをしていると、妖精から通信が入る。
《タクミ、何やってんの! トラックがコース変えてる!》
なんだと、と匠海が声を上げる。
《信号のハッキングがバレたみたい。あ、ダメ、衛星の監視網からも外れる!》
直後、匠海の視界からもトラックの光点が消失する。
「クソッ、逃がしたか!」
再度衛星に接続したいが皇帝と睨み合っている今、そんなことをする余裕はどこにもない。
だが、それは皇帝も同じだったようで匠海の首筋から剣が下ろされる。
「ったく、取り逃がしたじゃねーか! 俺の職場潰す気かよ」
「職場?」
どういうことだ、と匠海もエクスカリバーを下ろして尋ねる。
はぁ、とため息をついて皇帝は口を開いた。
「どれとは言わんが、オレは世界樹で働いている」
「な、」
皇帝の言葉に匠海が驚きの声を上げるが同時に納得する。
匠海がブースターを使用していないことを見抜き、さらにリソース配分まで計算した冷静さ。並の魔術師にできる芸当ではない。
「お前もカウンターハッカーだったのか」
どのサーバに所属しているのかが気になる。
現時点で運用されているのはユグドラシル、イルミンスール、ToKの三本。GWTは二十四日の完成式典で運用が開始されるがカウンターハッカー自体はもう配属しているだろう。
それでも皇帝の戦闘を目の当たりにして、それなりに場数は踏んでいるだろうからGWTの線は薄いなと判断する。
そして、匠海はこの皇帝のアバターを知らないし声も聞き覚えのないものだったため
「その口ぶり、お前もか?」
そう言われ、隠す必要もないだろうと匠海が頷く。
「ああ」
「どこの企業かと思ったがあの動きを考えるとお前も世界樹か」
「……ああ」
カウンターハッカー自体は資金力さえあればごくごく普通の企業でも雇うことがある。
だがその腕が世界樹のカウンターハッカーに届くかというと遠く及ばない。
皇帝は自分に剣を突きつけたことを考慮し、匠海もどこかの世界樹所属だと判断したらしい。
「だったらマズいぞ。このままではお前の職場も消滅だ」
「どういうことだ」
皇帝の声に嫌な予感を覚える。
「テロリストは弾道ミサイルを使って四本の世界樹を破壊する気だ」
「世界樹を?」
まさかのターゲットに、匠海が思わず聞き返す。
「それは本当か?」
「ああ、テロリストの募集要項で見た。
世界樹が折れたらどうなるか分かってんのか、ネットワークインフラの断絶だぞ? と言う皇帝の言葉に、匠海はいや、と否定した。
「確かに世界樹が折れたらネットワークインフラは断絶するが、奴らの狙いはそれだけじゃない」
「なんだと?」
お前、何を知っている、と相手が訪ねてくる。
一瞬、匠海は皇帝を信用していいかどうか自問した。
確かに、皇帝の言葉が本当なら相手は四本の世界樹破壊を阻止するためにあのトラックを妨害しようとした。
いや、待てよと匠海が違和感に気づく。
皇帝は、トラックを妨害しようとした。
匠海もそれは同じ。
それなのに、二人の目から相手はトラックを誘導しようとしているように見えた。
まさか。
「マズいぞ」
「なんだよ」
匠海の呟きに皇帝が首をかしげる。
いや、違和感があったんだと匠海は口を開いた。
「もう一人いる」
「なんだって!?!?」
どういうことだ、と言いかけ、それから皇帝はなるほどと呟く。
「相手の妨害に見せかけてトラックを誘導した奴がいるってことか」
「ああ、テロリストの中にかなりの腕の魔術師がいる」
マジか、と皇帝が額に手を当てる。
それから、思い出したように話を戻す。
「今はそいつのことは置いておこう。お前は奴らの狙いを知ってるのか?」
ああ、と匠海は頷いた。
それから先ほど施設からダウンロードした命令書と画像ファイルになっている書類を開く。
「あのトラックの積み荷だ。中身は、核弾頭」
「……は!?!?」
ワンテンポ遅れて皇帝が声を上げる。
「核、弾頭? 核って、あの
再び頷く匠海。
「お前が突き止めたテロ計画に使われる弾道ミサイルにこの核弾頭が搭載されてみろ、被害は世界樹だけじゃすまないぞ」
なんてこったと呟く皇帝。
「……トラック、
このままでは核ミサイルが発射されてしまう。
どうする、と匠海は考え、
「そういえば募集要項を見たと言ってたな。日程とかは分かるのか?」
「ああ、十二月二十四日、
そう言われて時計を見る。
今の時刻は十二月二十四日午前四時。十二時間しかない。
アラームをその時間にセット、匠海はため息を吐いた。
「ちなみに、その募集要項どこで見たんだ? 『第二層』か?」
自分もその募集要項を確認したい、そう思っての発言だったが、皇帝は違うと首を振る。
「アラスカの
全世界に量子通信のネットワークが構築された今ではあるが、一般的なネットワークの他にアンダーグラウンドな『第二層』が存在する。他にも特定の地域の人間のみアクセスできるローカルネットワークも各地に存在し、その中でも『第二層』に相当する特殊な領域は『
そして皇帝は「アラスカのローカルディープ」と言った。
先ほど信号機を巡って争ったことを考えるとどうやら皇帝も匠海と同じことを考え、行動していたらしい。それなら。
「アラスカ……いや、フェアバンクスにいるようだし一度会えないか? 俺もフェアバンクスにいるからリアルで顔を合わせて情報交換したい」
テロリストに相当な腕前の魔術師がいるならどこで聞かれているか分からない。
今自分たちがいる場所は皇帝が防壁を展開しているため盗聴される危険性はないが如何せん匠海のオーグギアの処理能力が限界を迎えている、いつ落ちてもおかしくない。
分かった、と皇帝が承諾する。
「よく分かったなと言いたいがお前もオレと同じことをしようとしていたようだしな。分かった、どこで待ち合わせる?」
「ウエストマーク フェアバンクス ホテルに泊まってるからそこに来てくれ」
「オーケー、ウエストマークのロビーで落ち合おう」
そう言って皇帝は防壁を解除する。
助かる、それじゃ後で、と匠海は皇帝のオーグギアから離脱した。
匠海がホテルのロビーに戻ると『皇帝』は既に到着しており、コーヒーを飲んで待っていた。
接触する前にざっと相手を観察する。
左肩の辺りに
見たところ二十代半ばで、何故か自分がスポーツハッカーになった時のことを思い出す。
あの頃の俺も二十代半ばだったなあ、と感傷に浸りながら匠海はコーヒーを飲む人物に歩み寄った。
「お前か、さっきのは」
ああ、と答えて相手はコーヒーカップをソーサーに戻し、それから匠海を見て、
露骨に嫌そうな顔をした。
「
「あ、俺国籍アメリカなんで」
生まれも育ちも
「てっきり就労ビザ取って世界樹来てるのかと思ったぜ」
こいつ、そこまで強くはないがそれなりの
「そんなことはどうでもいい、現時点でテロに対抗できるのは俺たちだけだ。情報交換したい」
匠海がそう言うと、相手は若干嫌そうな顔をしているもののそうだな、と頷く。
「分かった、だが呼び方が分からんと色々とめんどくさい。オレはピーター・ジェイミーソン。スクリーンネームは……『ルキウス』」
名乗るまでに間があったことが気になったが、というか
「タクミ・ナガセだ。スクリーンネームは『アーサー』」
『アーサー』の名を聞いた瞬間、相手――ピーターはがたん、と立ち上がり、
「てめえかーーーー!!!! お前のおかげでオレは『ルキウス』なのに『イルミンスールのアーサー』って呼ばれてんだぞ!!!! っていうか勝手にセキュリティパッチ当てやがって、後で整合性チェックするの大変だったんだぞ!!!! 天才だかなんだか知らんが勝手なことすんな!」
匠海の胸倉を掴みそう叫んだ。
「落ち着け。ってか、お前、イルミンスールにいるのか」
アメリカに存在する四本の世界樹のうち、二番目に建設された『イルミンスール』。FaceNote社の所有でその膨大なストレージとSNS技術を利用して大規模な
サービス開始時に匠海も何度か
匠海に諭され、ピーターが手を離す。
「まさかユグドラシル最強のカウンターハッカーが……こんな日系人のおっさんだったなんて……」
そう、ブツブツと呟いているところを見るとどうやら彼の幻想を打ち砕いてしまったらしい。
悪かったな、こんなおっさんでと思いつつも匠海はウィンドウを開きピーターと共有した。
「早速だが話を始めよう。お前はどこまで把握している?」
ウィンドウを共有されたことでピーターも気持ちを切り替え、手持ちのデータを表示させる。
「分かった。オレが把握しているのは……」
そう口を開き、ピーターは自分が持つ情報を匠海に話し始めた。
to be continued……
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