Vanishing Point 第2章

 

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 惑星「アカシア」桜花国上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の3人はとある依頼を受けるもののその情報はターゲットに抜けており、Rain(水城みずき 鏡介きょうすけ)の後方サポートで目的地に侵入したリーダーのBloody Blue(鎖神さがみ 辰弥たつや)と仲間のGene(天辻あまつじ 日翔あきと)が罠にかけられてしまう。
 その罠を辰弥と鏡介の機転で乗り切るものの、辰弥が倒れてしまう。
 そんな依頼を達成した後日、辰弥は買い出しの帰りに行き倒れている一人の少女を発見する。
 辰弥に抱き起された少女は彼を見て「パパ」と呼び、意識を失うのだった……

 

第2章 「Cardinal Point -基点-」

 

「おい、どうした」
 辰弥がうっかりかどうか分からないが通話の回線を開いたままでいて助かった。
 驚いているらしい彼の様子に、鏡介が状況把握のために視覚の共有申請を飛ばす。
 だが、辰弥は気が動転しているのか共有申請に気づかない様子で誰かに声をかけている。
《……パパ……》
 かすかに、そんな言葉が聞こえる。
「……は?」
 ――パパ、だと?
 本人は現在二十四歳だと言っているものの見た目年齢十代後半、そんな辰弥をパパと呼ぶ存在がいていいのか。というよりも本当に子供がいるというのか。
「おい辰弥、状況を教えろ!」
 焦ったくなり、鏡介が再度声をかける。
 それにより、辰弥もようやく共有申請に気づいたか鏡介のディスプレイに彼の視界が表示される。
 辰弥の腕の中には一人の少女が抱き抱えられていた。
 一見して、意識がなさそうだと判断する。
「どうしたんだ、その子」
《エントランスに倒れていた。衰弱がひどい》
 少女の透けるような白髪が数本、顔に張り付いている。
 微かに胸が上下しているところを見ると辰弥の言う通り衰弱しているだけで死んでいる訳ではないと分かる。
「とりあえず部屋に運べ。俺が『イヴ』を呼んでやる」
 ありがとう、と辰弥が少女を抱え、たと思ったら数歩下がって床に置いていた荷物も回収、マンションの中に入っていく。
 そこまで見届けてから、鏡介は視覚共有を解除してある人物へ通信し、終えてからふう、と息を吐いた。

 

「お前は! 何を拾ってきたかと思えば女の子、だと?!」
 ソファに寝かせた少女を見るや否や、日翔が思わず叫ぶ。
「猫じゃないんだぞ? 元の場所に返してきなさいとか言えねーじゃねーか! いや猫でもダメだけど!」
「いやこのマンション事故物件にしたくないし」
 よりによって言うことそれかよと辰弥の言い分に日翔が溜息を吐く。
「なんで拾ってくるんだよ、俺たちどういう立場か分かってんのか? 警察沙汰になったら一発アウトだぞ?」
 そう捲し立てるものの、日翔は決してこの少女を今すぐつまみ出そうとかそんなことは考えていなかった。
 ただ、毎回こんなことがあるといつかは足がつく、と辰弥に警告しているのだ。
 だが。
「俺を拾ったのは誰だよ」
「……う、」
 日翔はこの時思った。
 特大ブーメランを投げてしまった、と。
 確かに四年前辰弥を拾って面倒を見たのは自分だ。鏡介もかつてのリーダーもそんな自分に呆れ果てていたのではなかったか。
 放って置けなかったんだ仕方なかったんだよとはあの時日翔は思ったが、辰弥も同じなのだろうか。
「とにかく、どうするんだよ」
「ある程度回復するのを待ってから親を探す。どうせ暗殺連盟アライアンスの範疇だ」
 『暗殺連盟』と銘打ってはいるものの、アライアンスの受注範囲は多岐にわたる。猫探しから要人暗殺まで報酬さえ積まれれば警察や探偵でも取り扱わないような訳アリ案件を何でもこなす。
 行方不明、それも病院から抜け出してきたような子供の親探しもその例から洩れることはない。
 辰弥としては親を見つけ出して報酬を要求するつもりなのか、と少し思った日翔であったがそれにしては違和感を覚える。
 辰弥の、少女を見る目つきが違う。
 別に変質者のそれというわけではない。逆に、ターゲットを目の当たりにしたような警戒心丸出しの眼差し。
 この少女相手に緊張しているのか、と日翔が声をかけようとした時、インターホンが鳴った。
 そのチャイムに辰弥が視線を逸らし、GNSで応答する。
「……ロックは解除したから」
 そう言いながら、辰弥が玄関に向かう。
 意識を失ったままの少女と二人きりになり、ばつが悪そうに日翔が少女を見る。
 透けるような白い髪の少女。ぱっと見には痩せ細っており、健康そうには見えない。
 先天性色素欠乏症アルビノか? と少女を眺めながら日翔が呟く。
 そうしていると玄関から数人の足音が響き、辰弥を先頭に鏡介ともう一人、女性が入ってきた。
「はいはーい、患者クランケはどこー?」
 グラマラスな体型で、その体型の魅力を余すことなく匂わせる衣装を身に纏った女性が医療器具の入ったカバンを手に日翔に挨拶する。
「うげ、『イヴ』……」
 少し、いや、かなり引いた様子で日翔が女性を見る。
 そんな日翔を視認し、『イヴ』と呼ばれた女性は悪戯を思いついた子供のようにニッコリ笑った。
「あらー、日翔くんじゃないー、今日はどうしたの? 撃たれた? 斬られた? それともふ・く・ど・く?」
「患者は俺じゃねえ!」
 『イヴ』の言葉に思わず絶叫する日翔。
 その絶叫に、『イヴ』はありがとうございまーす! と声高らかに宣言した。
「日翔くんの絶叫いただきましたー! ご馳走様でーす」
「……て、テンション高ぇ……」
 流石の日翔も『イヴ』の対応に疲れ、肩を落とす。
「八谷、頼むから本題に入らせてくれ」
 いつまでも日翔にちょっかいをかける『イヴ』に、辰弥が少々げんなりしたように声をかけた。
 「えー」と言いつつ、八谷と呼ばれた女性――『イヴ』こと八谷 渚は真顔に戻った。
「分かってるわよ、鎖神くん。そこの女の子でしょう?」
 ソファに視線を投げ、渚は頷いてみせる。
「わたしに任せて頂戴。ちゃんと治療するから」
 この八谷 渚という女性は外見だけでなく言動も「オトナのオンナ」という武器を前面に出しているが、実際は医者としても優秀な存在である。しかも、一般的な医者ではなく辰弥たちが所属する上町府のアライアンスに加入した、裏社会の人間専門の医者である。
 身元不明者である辰弥はもちろんのこと、日翔や鏡介も『夜の仕事』で負った傷は一般の病院で治療できないためどうしても渚に頼ることになる。
 そのため、辰弥との視界共有で少女が訳アリそうだと判断した鏡介は彼女を呼んだ。
 その鏡介も少女のことが気になったのか、この家に押し掛けてきた次第ではあるが。
 渚が、ソファの横に鞄を置いて中から聴診器を取り出し首にかける。
 ソファに横たわる少女を軽く触り、それから一度振り返る。
 そして、周りで心配そうに覗き込む三人に対し、一言。
「あんたたち、小児性愛者ペドフィリア?」
 地を這うような渚の声。
 その瞬間、三人――いや、日翔と鏡介の二人はすくみ上った。
「い、いや俺はそんなことない!」
「た、退散するから注射はやめてくれ!」
 そそくさと退散する日翔と鏡介。
 辰弥だけが、キョトンとして渚を眺めている。
「……どういうこと?」
 状況を理解していないように見える辰弥に、渚が盛大にため息を吐く。
「……鎖神くん? 今から、この子の服を脱がせて診察するけど、覗く気?」
 うん、と辰弥が頷く。
「心配だし」
 ひくり、と渚のこめかみがひきつる。
 少女の前からすっと立ち上がり、彼女は辰弥の前に仁王立ちになった。
 女性にしては長身な渚が男性にしては小柄な辰弥と視線が合う構図が出来上がる。
「出てけっつってんのよ!」
 げし、と渚が辰弥を部屋から蹴り出す。
 隣の部屋でびくびくしながら様子を窺っていた日翔と鏡介の前に蹴り出され、そこで漸く彼は事態を察したらしい。
「……なるほど……流石に言い訳としては弱かったか」
「なるほどじゃねーよこの命知らず!」
 なんでこの状況で生きてんのお前、と日翔が声を震わせながら言う。
「『イヴ』と何年の付き合いだよお前いい加減学習しろよ」
 渚は患者以外には容赦がない。いや、それも語弊がある。
 とにかく容赦のない人間である。
 自分の邪魔になると判断した相手は容赦なく痛めつける殺す、それゆえに表社会では生きていけず裏社会の闇医者として彼女は存在している。
 医者であるゆえに人体の構造を把握しきっており、効率よく、または効率悪く人体を破壊できる。
 そんな彼女を怒らせて生きている方がおかしいのである。
 なるほど、と辰弥が再び呟く。
「つまり、指示に従わないと八谷に殺される、と」
「……お前、本当にあいつの怖さ分かってないのか?」
 もう四年だろ、と言いつつ日翔はそういえばこいつはこんな奴だった、と思い出す。
 辰弥はとにかく命知らずである。逆に言うと、自分の命を軽視しすぎている。
 先ほどの渚に対しても「命にかかわりそうな攻撃は避けられる」から彼女に対して恐怖心を抱かない。
 これではいつか痛い目に遭うぞと思いつつも日翔はため息を吐いた。
「とにかく辰弥、もう少し命は大切にしろ」
「どういうこと」
 日翔の言葉が理解できなかったか、首をかしげる辰弥。
 再びため息を吐き、日翔が説明する。
「いやまぁ診察の邪魔して『イヴ』を怒らせるなってのもあるんだがな。それで殺された奴一応知ってるし。……それよりも、だ。無断で身元不明の人間と接触すんな」
「なんで」
 日翔の指摘に辰弥が腑に落ちないといった面持ちで首をかしげる。
 四年前、君だって俺を拾ったじゃないと言いたげな辰弥のその顔に日翔は分かってる、俺も反省してると前置きしてから続けた。
「お前はあの子が庇護すべき対象だと認識したんだろうが、もしそれは見せかけで実はお前や俺たちを狙った暗殺者キラーだったらどうするつもりだったんだ。あの時鏡介と連絡ついてたんだろ、だったらせめて先に視覚共有してから、いや、俺のバックアップを確保してから対応しろよ」
 日翔が万が一の事態について説明するがそれでも辰弥は納得した様子を見せなかった。
 むしろ、あんな痩せ細った子にそんなのあり得る? とさえ思っているように見える。
「でも、今にも死にそうだと思ったし、それに」
 言い訳がましいかな、と、思いつつも辰弥が反論する。
 それに? と言葉の続きを促す日翔。
「それに殺されるならその時はその時だよ。俺に運がなかっただけだ」
 普段殺してる側の立場だし、仕方ないね、と死を恐れていないような、またはそれが自分の運命だと諦めているかのような発言が日翔に飛ばされる。
 辰弥のその言葉に日翔は一瞬言葉に詰まるもののすぐに口を開く。
「運がないとか言うなよ。他人の命を奪っているからこそ、せめて自分の命くらいは大切にしろと」
 日翔のその言葉に、辰弥がわずかに目を伏せる。
「……それは」
 できない相談だ、という言葉を飲み込み、唇を噛む。
 理解しているのだ、そのことくらいは。
 それでも、辰弥は、自分の命を大切にすることはできなかった。
 死にたいわけではない。どちらかと言えば、一秒でも長く生きていたい。
 だからといって、自分が生き続けていい存在ではないと、分かっていた。
 自分以外の命を手に掛けることでしか自分の生存を確認できないような存在が生きていていいはずがない。
 それなら、と刹那的に生きるのが今の彼の生きざまであった。
 それを日翔も理解してはいたが。
 それでも、もっと自分を大切にしてくれ、と思っていた。
 口を閉ざした辰弥に追加で声をかけようとした日翔の肩に鏡介が手を置く。
「鏡介……」
「それ以上言うな」
 それ以上はただの追い打ちだ、と。
 鏡介は言葉にしなかったが、日翔にはそう伝わった。
 きり、と日翔が歯ぎしりする。
「なんで……」
 絞り出すような日翔の声に鏡介が慌てて彼の手に掛ける手に力を入れるが間に合わない。
 日翔が辰弥に手を伸ばす。
「なんでお前は!」
 両手で辰弥の胸倉を掴み、壁に叩き付ける。
「おい日翔やめろ!」
「人が下手に出てたら!」
 鏡介の制止も聞かずに日翔が声を荒げるが、辰弥はそれに動じない。
 ただ、いつもなら何かしら反論する彼が何も言わない。
「お前はそんなに死にたいのか!」
「だから日翔やめろ!」
 沈黙を続ける辰弥から日翔を引きはがそうと鏡介が介入しようとするが振り払われて取り付く島もない。
 このままではまずい、と鏡介は判断したが体力では日翔に勝てないうえに電脳化もされていないためGNSロックによる無力化も図れない。
 何とかして二人を引きはがしたいがそれすら叶わず鏡介は己の無力さという現実を叩き付けられる。
 それでも日翔を止めようと再び手を伸ばしたとき、辰弥が口を開いた。
「……そりゃあ、死にたくは、ない」
 その言葉に、一瞬怯んだような表情を見せる日翔。
 だがすぐにその表情は消える。
「だったらなんで!」
「分かってる、俺には、人として生きる権利なんてない」
「な――」
 日翔が絶句する。
 人として生きる権利そんなもの、自分にもないことくらい理解している。
 人を殺してしか生きていけないような人間が人として生きることができるものか、と。
 それでも人として足搔くことこそが自分たちのような人間の在り方ではないのか。
 それとも、人として足搔くことが間違っているというのか。
「辰弥……」
 日翔の、辰弥の胸倉を掴んでいた手が離れる。
 次の瞬間、日翔は辰弥に向けて拳を振り上げた。
「日翔!」
 鏡介が止めようと手を伸ばすが間に合わない。
 日翔が辰弥に向けて拳を振り下ろす。
 確実に、日翔は辰弥を殴る、と鏡介はその様子をスローモーション再生を見ているかのように感じた。
 鈍い音が響き、日翔の拳が壁に食い込む。
「日……翔……?」
 信じられないといった面持ちで鏡介が二人を見る。
 日翔も同じく何が起こったのか理解できない顔でいる。
 ただ一人、辰弥だけが落ち着いた様子で日翔の腕から手を放す。
「流石にそれは冗談じゃ済まないけど」
 前髪の下の深紅の瞳が日翔を見据える。
 日翔が拳を振り下ろした瞬間、辰弥は首をわずかに倒すと同時に右手で日翔の腕を掴み、軌道をずらした。
 その結果、日翔の拳は辰弥に命中することなくその横の壁に着弾した。
 ほんの一瞬の判断と最小限の動作でそこまでできる辰弥は確かに暗殺者としてはよくできた存在だろう。
 だから、それ故に、その運命に抗ってもらいたいのだ、と日翔は思った。
 仕事の時以外はごく普通の人間として生きてほしい、と。
 その思いは届かないのか。
「……確かに、俺に非があるのは認める。だけど君の考えを押し付けないで」
 やや伏し目がちに辰弥が呟く。
 いつもなら喧嘩になったとき辰弥はピアノ線を飛ばすか銃を抜く。
 それなのにそれすらなく、日翔は拍子抜けした。
 それほどこの話題は辰弥にとって禁忌だったのかとすら思わせる。
「……辰弥」
「俺は、俺が生きたいように生きる。そこに人らしくとかいのちだいじにとかなんて要らない」
 まるで宣言のようだ、と日翔は思った。
 それはある意味決別のようで、「君と同じ道は歩けない」とはっきり言ったも同然だった。
 辰弥がそこまで言うならこれ以上この話題で追及するわけにはいかないだろう。
「……そうか」
 そう呟き、日翔が溜息一つ。
 少し寂しさを覚えつつも、これ以上の深入りはしてはいけないと自戒する。
「落ち着いたか?」
 二人の様子に、鏡介が恐る恐る声をかける。
「……ああ、すまん」
「ごめん」
 二人が鏡介に謝ったタイミングでドアが開く。
「あなたたちねえ、治療中くらい静かにしなさいよ」
 渚が、呆れ果てたようにそう言った。

 

 とりあえず、と渚が口を開く。
「わたしにできることは全部やったわ。と言っても単純に空腹と脱水で行き倒れただけみたいだし外傷もなかったからかるーく末梢静脈栄養PPTやってる程度だけどね。起きたらご飯食べさせてあげて」
 今は落ち着いて寝てるわ、と続けてから、渚は少し顔を曇らせた。
「……ただ、五歳にしては成長遅い気がするし痩せてるけどちょっと触った感じ体幹の深層筋インナーマッスルの付きは結構すごいわね。バレエとかやってたのかしら……まぁ、そんな心配することはないと思う、けど入院してるっぽいしそうなると精密検査でもして確認したいところだけど……」
「『そこまでする義理はない』、か?」
 日翔が口を閉ざした渚の言葉を代弁する。
 ええ、と渚は頷いた。
「それに、少なくともうちの設備じゃ無理よ? どこかの病院から抜け出してきたとは思うけどその辺、水城くんなら調べられるでしょ」
「入院患者のデータベースか? できるが、病院はあまりハックしたくないんだよな」
 渋る鏡介。
 まぁ、やるがと鏡介が応える。
 悪意のあるハッカークラッカーではあったが、病院やライフラインを左右する施設にはハッキングしたくない、というのが鏡介のポリシーである。自分のハッキングが辰弥や日翔をサポートするということは分かっているし、それによって自分が間接的に人を殺しているということも理解している。だが、それと病院やライフライン施設を攻撃するのは別だ。
 今回はただデータベースを漁るだけでいいが、電源設備や中央管理施設を攻撃しろと言われたらいくらそれが仕事であっても断るだろう。
 直接的に、不特定多数を殺したくない。
 それこそがRainとしての矜持だった。
 だから思わず渋ってしまったが、今回は施設を攻撃するわけではなく、情報を集めるだけ。
 それなら仕方ないと同意した鏡介は渚を見る。
「病院だけでは弱いな。警察も調べた方がいいか?」
「そうね、お願いできる?」
 あとは親が警察などに言えなくてSNSで情報提供を呼び掛けているパターンもあるからそこも当たった方がいいわねと続け、渚はソファの上の少女を見た。
「一応、目を覚ますまではわたしもいるわ。だから……鎖神くん?」
「ん」
 渚に呼ばれ、少女を見ていた辰弥が視線を上げる。
「ちょっと二人で話がしたいんだけど」
 その言葉に、ああ、と辰弥が頷く。
「んー?」
 二人の様子に日翔が首をかしげるがすぐに納得したように手を打つ。
「ああ、そういうことか。ごゆっくり」
「「何か勘違いしてない?」」
 辰弥と渚の言葉がかぶる。
 え? と日翔が再び首をかしげる。
「そりゃー男と女が二人っきりで話をしたいっていうことはつまり、アレだろ?」
「日翔!」
 ごん、と鏡介が日翔の後頭部に拳を落とす。
「そういうことは口に出さない!」
「いやだから違う! そうじゃない!」
 辰弥が思わず否定するが口ぶりはどう聞いても肯定のそれである。
 実際には本当に何もなく、渚は純粋に話がしたかっただけであるが辰弥がこのような口ぶりで否定したことにより日翔と鏡介に余計に誤解を招いてしまったのでは、と彼女は、
 ――いや、完全に、誤解されている。
 と、額に手を当てた。
「……なんで……」
「なんだよ違うのかよ。てっきり二人はそういう仲かと」
 日翔の不服そうな言葉に、渚は辰弥を見た。
 辰弥はというと自分の発言が余計に誤解を招いたことを認識したのだろう、握りしめた拳がわなわなと震えている。
「ねえ、鎖神くん? 落ち着いて?」
「流石にその発言は、ちょっと……」
 そう言った辰弥のこめかみが若干ひくついているように見えたのは気のせいだろうか。
 日翔は本能的に「あ、これヤバいやつだ」と認識した。
 このような状況は前にも経験がある。
 ここは先手を打って、と日翔は両手を挙げた。
「ちょ、た、タンマ! 落ち着け、落ち着いて話し合おう!」
「ふざけんな俺は熟女趣味じゃない!」
 その瞬間、その場の空気が凍った。
 ――え、そっち?
 フリーズした思考の中で日翔は辛うじてそれだけ考える。
 鏡介も同じく「怒るところそこ?」と言わんばかりの顔をしているし渚に至っては一瞬「わたしを年増扱いするの?」と言いたそうな顔をしたもののすぐに考え直したかのように辰弥に悪戯を思いついたような笑みを浮かべる。
 辰弥だけ、今にもピアノ線を飛ばしかねない雰囲気を漂わせている。
 彼としては「渚と関係を持っていた」と誤解されたことより「年上趣味だと思われた」ことが耐えがたいものだったらしい。
 彼の発言から推測したことではあったが、どうして年上は嫌なんだよ年上は年上でオトナの魅力あるんじゃねーのか、などと思う日翔であった。
 いや、今はそれを考えている場合ではない。このままでは鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュが飛んでくるかもしれない、そうなればこの場の全員挽肉だ、なんとしてもそれは阻止しないとと日翔は考え直す。
 さっきの「いのちだいじに」案件はそこまで怒りを見せなかったのにどうして「年上趣味」にだけこんなに怒るんだよ普通逆だろと思いつつも必死に辰弥を止める算段を考える。
 そんな日翔を尻目に、渚がしなを作り辰弥に身を寄せる。
 人差し指で彼の胸に触れ、すっ、と指を滑らせる。
「あらー、年上は趣味じゃない? オトナのイイコト教えてあげても、い・い・の・よ?」
「ぎゃー! 煽んな!!」
 日翔が絶叫する。
 確実に死んだ、全滅した、アライアンスありがとうでもせめて死ぬ前に辰弥の手料理腹一杯食いたかったですあいつ食事の量少な目だから物足りなくて、などという走馬燈なるものがあればこのように回るのかといった思考が覚悟を決めて目を閉じた日翔の脳裏をぐるぐる回る。
 だが、いつまで経っても何も起こらない。
 恐る恐る目を開けると同じく覚悟を決めていたらしい鏡介と目が合う。
 目を合わせてから、二人は恐る恐る辰弥を見た。
「……興味ない」
 ボソッと、辰弥が渚の言葉を一蹴した。
「「「……」」」
 日翔、鏡介、渚の三人が沈黙する。
「た、た、辰弥流石にそれは」
 渚はオンナを武器に振りかざす人物である。それが一蹴されるなど、あってはならないことである。
 それを辰弥はやってのけてしまった。
 南無、と鏡介が手を合わせる。
 「だからさっきいのちだいじにって言ったのに」と日翔が憐みの目で辰弥を見る。
 これは絶対渚がキレる。辰弥に比べて彼女と付き合いの長い日翔と鏡介はそう確信した。
 そう、確信したのだが、
「あら~、おねえさんに興味ない? ざんねーん」
 二人の予想に反し、渚は心底つまらなさそうにそう言った。
「それじゃ仕方ないわね、でも気になったらいつでもカモンよー」
 辰弥から離れ、渚は真顔に戻る。
 辰弥はというと渚のアプローチに毒気を抜かれたのか先ほどの殺気が消え失せている。
 これはこれで助かったかもしれない、とほっとする日翔の視線の先で辰弥は、
「……もういいから、八谷、行こう」
 と、渚を呼び踵を返した。
 渚もちら、と日翔を一瞥してから辰弥に続く。
 その瞬間、彼女が自分に向けてウィンクしたのを日翔は見逃さなかった。
 一歩間違えれば最悪の事態になりかねない動きだったが、あれはあれで彼女なりに考えた結果だったのだろう。
 二人の姿が辰弥の部屋のドアの向こうに消える。
 ふぅ、と日翔が息を吐いた。
「死ぬかと思った」
「余計なこと言うからだ、日翔」
 鏡介の言葉に、「お前だって同じこと考えてたじゃんかー」と釈然としない日翔であった。

 

 パタン、とドアが閉まり、辰弥と渚が二人だけになる。
 ため息を一つ吐き、渚は「迂闊だった」と呟いた。
「あの二人の前で『話がしたい』は禁句ね」
 普段なら二人の前で辰弥に「話がある」とは言わなかった。
 それなのに、今日に限ってこんなことをしてしまうとは。
 そうだね、と頷いた辰弥がベッドに腰掛ける。
「ごめん、最近ひどくて」
「大丈夫?」
 辰弥が長時間立っているのが辛そうだったため先に用事を済ませてしまおうと思っていた渚は先に声をかけたことで誤解を招いてしまった。
 しかし彼のこの様子を見る限り誤解は招いたが声をかけて正解だったかもしれない。
 こめかみの辺りに手を当てた辰弥が大丈夫、と答える。
「流石に、ちょっと貧血気味だったからね。止めてくれてありがとう」
「無茶するからよ。ほら、」
 渚が鞄から錠剤のシートを手渡す。
「水は?」
「あるからいい」
 辰弥が受け取ったシートから薬を取り出し、枕元に置いていたペットボトルの水で飲む。
「ほんと、あなた最近貧血がひどいわよ。それ以上の鉄分サプリメント鉄剤ないしどうするの」
 そう言いながらも渚はさらに鞄を漁り、保冷ケースを取り出す。
「ほら、輸血パック今回の分。最近余裕なさすぎでしょ」
 うん、と辰弥が小さく頷く。
「……二人は気付いてるの?」
 ふと、気になって渚が尋ねた。
 それに対して、辰弥はいいや、と首を振る。
「二人には伝えてない」
「……時間の問題よ。まぁ、本当のことを知れば二人はあなたをチームから外すと思うけど」
 分かってる、と頷く辰弥。
 自分のこの状態本当のことを二人に知られれば二人は確実に自分をチームから外すだろう。
 だが、辰弥にとってそれだけは嫌なことだった。
 自分にできることは殺しだけだから、と。それ以外は何もできないから、と。
 それを理解しているから渚も二人には伝えていない。
 それでも辰弥の貧血がここまでひどい以上いずれは二人も知ることとなるだろう。
 いつまで隠し通すことができるのか。
 辰弥が保冷ケースを受け取り、クローゼット奥の冷蔵保管庫に中身を移す。
「……やっぱ、言った方がいいかな」
 ふと、辰弥が呟く。
 それに対して、渚は思わず、
「それはダメよ」
 そう、反対していた。
「あなたのその身体のことは教えたところでどうもなるわけじゃないしそもそもあなたは今の生活が終わることを望んでるの? 最期までは自分らしく生きていたいから黙っていてくれって言ったのはあなたじゃない」
 それはそうだと辰弥は思った。
 自分が渚に頼んだのだ。「何があっても誰にも教えないでくれ」と。
 薄々感じているのは自分はそう長くは生きられないだろうということ。
 だから、せめて最期の一瞬までは自分らしくありたい。
 そう、辰弥は願っていた。
 それを分かっているからこその渚のサポート。
 その彼女の厚意を無碍にしてはいけない。
 ごめん、と辰弥が呟く。
「ちょっと弱気になりすぎた。大丈夫だから」
「それならいいけど」
 そう言い、渚が辰弥のデスクから椅子を引っ張り彼の前に座る。
 きわどい動作で脚を組み、彼を見る。
「……で、あの子何なの」
「何、って、エントランスに落ちてた」
 辰弥の率直な言葉に渚の眉がわずかに寄る。
「水城くんが言ってたわよ? あなたのことを『パパ』って呼んでたって」
 その瞬間、今度は辰弥が眉を寄せる。
 それね、と辰弥が口を開く。
「心当たりは、ない」
「……そう、」
 何か思うところはあったのだろうが、渚が口を閉じる。
 少し考えて、彼女は再び口を開いた。
「あの子の親が鎖神くん似ということは?」
「そんな、あり得ない」
 思わず、辰弥が即答する。
 それに対して渚は「どうして」と尋ねることもなく、
「そう、」
 そう呟いて顎に手をやった。
「……本当に、病院から抜け出してきたのかしら」
 だとすれば、何のために。
 どうしてこのマンションのエントランスで倒れていたのか。
 何故、辰弥を見て「パパ」と言ったのか。
 医者の目から見て渚は少女の状態をある程度把握していた。
 白髪で深紅の瞳、先天性色素欠乏症アルビノであることはほぼ間違いない。一つ気になるのは例えアルビノであったとしても人間の瞳が赤くなることは極めてまれなケースなことである。動物個体にはよく見られるものではあるが、人間の場合大抵は淡い色彩の瞳となる。
 そこまで考えてから、渚は辰弥を見据えた。
 厳密には、辰弥の眼を。
 彼もすぐに察したのだろう、それは、と呟く。
「心当たりはないって言ったよね? 血縁関係があるわけ」
「人間にしては珍しい色の瞳をしていたら遺伝くらい疑うわよ」
 そう、辰弥の瞳も深紅。渚が血縁関係を疑うのも無理はない。
 だが、それでも辰弥はそれを否定した。
「……記憶がはっきりしていなくても子供はいないと断言できるのね」
「そもそも俺何歳だと思ってんの。若気の至りで子供作ってたって言いたいわけ? 第一、俺は……」
 流石に辰弥もイラっとしたのだろう、渚に対する言葉に棘が混ざる。
「いや、皆まで言わなくても良いわ、それもそうだったわね」
 そこまで言われて渚も納得したのだろう。
「そりゃー十代で孕ます駄犬は今までたくさん見てきたけどあなたがその一人とは思いたくないわよ」
「駄犬……」
 言うねえ、と辰弥が感心したように呟く。
「まぁ、血縁関係についてはそこまで否定するなら違うって思うことにするわ。それよりも、あの子筋肉周りはしっかりしていても油断できないわよ」
 少なくとも日中紫外線が強い外には連れ出さない方がいいわね、と渚が説明する。
 アルビノはメラニン色素が欠乏しているため皮膚が紫外線を遮断できない。視力に関しては辰弥の眼を考えれば網膜等の色素欠乏でないと判断できないこともないので測定してみないと正確なことは分からないが問題はないかもしれない。
 ただ、それを差し置いても「入院している」事が気になる。
 どのような病気を抱えているのかはちゃんとした病院で精密検査を受けなければ判断できないが、病院を抜け出すなど何か余程の事情があるとは考えられる。
 それを説明すると、辰弥は両手を組んで少しうなだれる。
「……早く、親元に返した方がいいよね」
「そうね。それとも、『拾うんじゃなかったー』とか『親元に返したくないー』とか思ってる?」
 渚としては辰弥が「まさか」という展開を想定しての冗談交じりの質問。
 だが、辰弥は彼女が思っていた言葉を口にしなかった。
「……分からない」
 その言葉に、渚が言葉に詰まる。
「分からない、って」
「……本当に返していいのか、そもそもあの子に帰るところがあるのか、その辺りで嫌な予感がする」
 そう言われて、渚も「確かに」と頷いた。
 真っ当な親の元で生きる子供ならそもそも病院を抜け出すことも、ましてや辰弥を見て「パパ」と呼ぶこともないだろう。
 辰弥は早い段階でその可能性に気づいていたのだ。
 だから保護したのか、と渚は納得する。
 裏社会で生きている人間は基本的に表社会の面倒を忌避する。行き倒れている人間を見つけても余程のことがない限り匿名で救急車だけ呼ぶかスルーするだろう。
 それを家に連れ帰ったのだ、その時は特に意識していなかったとしても深層意識で何かを感じ取っていたに違いない。
 面倒なことになるかもしれないわね、渚がため息交じりにそう呟いたとき、部屋のドアがノックされた。
「おーい、起きたぞー」
 ドアの向こうで、日翔がそう声をかけてきた。
 起きたか、と辰弥がベッドから立ち上がる。
 渚も立ち上がり、小さく頷く。
 とりあえず話を聞こう、と二人はドアを開け、部屋を出た。
「そっちの話は終わったのか?」
 少女の様子を見ていたのだろう、鏡介が二人の姿を認めて確認する。
「終わった」
 辰弥の返事にそうか、と鏡介はソファから離れ場所を譲る。
 辰弥が少女の前に移動し、それからしゃがみこんでソファに座る少女と視線を合わせる。
「大丈夫?」
 こくん、と小さく頷く少女。
「名前は、言えるかな?」
 大丈夫というのなら質問してもいいかなと判断し、辰弥が質問を続ける。
 だが、その質問に対しては少女は小さく首を振った。
「わかんない」
 辰弥の背後で日翔と鏡介が顔を見合わせる。
 辰弥は辰弥でむむぅ、と顎に手を置いた。
「おとうさんとおかあさんにはなんて呼ばれてたの?」
 質問を変える。
 だが、少女はそれにも首を振ることで答えとした。
「……名前、呼ばれてないのか……?」
 辰弥の後ろで日翔が呟く。
 少女が日翔に視線を投げる。
「んー……?」
 首をかしげる少女。
 何を言っているのか分からない、と言いたげなその様子に少女を除くその場の四人は少し硬直した。
「……お、おい辰弥……」
 ヤバいぞこれ、と日翔が呟くが辰弥は敢えてそれをスルーする。
 少し考え、辰弥は次の質問を口にした。
「おとうさんとおかあさんは?」
 少女が少し首を傾げ、四人を見回し、それから改めて辰弥を見る。
 一瞬、嫌な予感を覚える辰弥。
 少女がするりとソファから降り、辰弥の前に立つ。
 直後、少女は辰弥に抱き着いた。
「パパ……」
「ちょ、俺は……」
 動揺を隠せず、辰弥が硬直したまま声を上げる。
「俺は、君のパパじゃ……」
「パパ、会いたかった」
 辰弥の否定もむなしく、少女は「パパ」と繰り返す。
「辰弥、お前……」
 日翔の声が掠れている。
 違う、と辰弥が振り返り否定する。
「違う、俺に子供なんて、いない」
「じゃあどう説明するんだよ。この子は完全にお前のことを父親だと認識しているぞ」
 頑なに否定する辰弥にそう言う日翔の言葉に少々非難が混じっているのは鏡介も渚も気づいていた。
 ここまで言われて否定するのかと、日翔が辰弥に詰め寄る。
「……できるはずが、ない」
 絞り出すように辰弥が呟く。
「なんでそこまで」
 納得できないのだろう、日翔はさらに追求しようとする。
 その肩を鏡介が掴んで制止する。
「やめろ。お前はいつも踏み込みすぎる」
 そう言われ、日翔は鏡介を睨みつけた。
「だが」
「辰弥の記憶がはっきりしていないから記憶にない子供がいてもおかしくないだろうがそれ以上追及しても何も出てこない」
「なんで」
 お前も辰弥の肩を持つのかと喰いつこうとした日翔に、鏡介が首を振る。
「中立な立場で言わせてもらうと、辰弥は嘘を吐いていない」
「「「な――」」」
 少女を除く三人が言葉に詰まる。
「そ、その根拠は」
 たじろぎながらも日翔が尋ねる。
 鏡介が空中に指を走らせGNSのコンソールを操作して日翔のCCTにデータを送る。
「辰弥、すまない。GNSをハックガイストハックした」
 やっぱり、と辰弥が頷く。
「流石に思考トレースするには俺のGNS今の手持ちだけでは力不足だから簡易的にバイタル変動で知っているかどうか確認ポリグラフ検査しただけだが、嘘を吐いている反応はない」
「んなもん、職業柄誤魔化せるだろ」
 どうしても信じられない日翔が反論する。
 それに対して鏡介は、今回に限ってそれはあり得ないと断言する。
「じゃあ日翔、お前は抜き打ちで、しかも知らない間にポリグラフ検査されても嘘を吐きとおせると断言できるか?」
「それは……」
 無理だ、と日翔が答える。
 その通りだ、と鏡介は頷いた。
「仮に常日頃意識してポリグラフ検査に引っかからないようにしていたとしてもだ。今の辰弥は明らかに動揺している。そんな状態で知っていることを知らないと言う嘘を吐くことができるはずがない」
「……じゃあ、この子は本当に、」
 再び鏡介が頷く。
「現時点で辰弥の子供だともそうでないとも断言することはできない」
 少なくとも辰弥の記憶がはっきりするまでは判断できることではない、と鏡介は言い切った。
 辰弥の深層意識が少女について何かしらの記憶があったとしても今ポリグラフ検査に引っかからないことを考えればその深層意識ですら認識できないほど彼の記憶は破綻しているともいえるだろう。
 だから彼が全てを思い出すまでにこの少女の親だ違うという議論は不毛すぎる。
「流石ね」
 鏡介の判断に渚が感心したように声を上げる。
「でも、どうするのよ。この子は完全に鎖神くんをパパだと認識してるしこの調子じゃどこから来たかなんて」
「いや一応聞くけど」
 辰弥がそう反応し、少女の方を掴んで一度身体を放す。
 少女の目を見て、彼は意を決して最後の質問を投げかけた。
「どこから来たか、言える?」
 その質問に、少女は少しだけ考えて、
「……遠いところ」
 たった一言、そう言った。
「遠いところ、かあ……」
 漠然としすぎていて分からねえ、と日翔が呟く。
「どうすんだよ。多分訳ありだから警察にも保護してもらえねえぞ」
 日翔の言葉に、一同が沈黙する。
「……流石にアライアンスに託児所なんてないわよ」
 アライアンスは裏社会の何でも屋ではあるが流石に迷子をある程度の期間保護するような事態は想定していない。
 もちろん、訳あり迷子の親探しの実績がないわけではないがそのようなケースは大抵依頼を受諾したフリーランスメンバーが責任をもって預かっている。
 そう考えるとこの少女も全てがはっきりするまでは「グリム・リーパー」の三人で面倒を見る、ということが当然の流れだろう、しかしその日数は数日とかそういうレベルのものではないだろう、と日翔も鏡介もそう思っていた。
「面倒なことになったな」
「だよな」
 日翔の言葉に一言そう言ってから、鏡介は言い忘れていたがと言葉を続けた。
「辰弥と『イヴ』が話をしている間にざっくりと確認したが少なくとも市内の病院には患者の脱走の話も捜索願が届けられたという話も上がっていない」
「てことは、市外から?」
 渚が鏡介を見て確認する。
 確定情報ではないが、と前置きして鏡介は自分の見解を告げる。
「五歳くらいの子供が市外からここまで歩いてくるのも考えにくいが可能性はゼロだとは言えない。むしろ親が捜索願を出してないとかそもそも入院すらしていない、親が病院経営者という線も出てくるから今の時点ではこうじゃないかという結論は出せない」
「結局、『何も分からない』ってことか」
 手詰まりだな、と日翔が呟く。
 それから、辰弥に抱き着こうとしてもぞもぞしている少女を見た。
「ま、慣例上「グリム・リーパーうち」で面倒見るしかないだろ」
「不本意だがそうするしかないな」
 日翔と鏡介が少々覚悟を決めたように呟く。
 その言葉に「なんてことしてくれたんだ」という響きが混ざっているのを辰弥は感じ取っていた。
「……ごめん」
 それは分かっていたはずなんだけど、と辰弥が呟く。
 この少女を保護すれば確実に面倒な事態になる、と辰弥も理解していた。
 だがそれでも嫌な予感が離れず、つい保護してしまった。
 その結果が、予想通りの面倒な事態である。それも、少女が自分を「パパ」と呼ぶオプション付きで。
 日翔と鏡介が「面倒を見る」と言ったことで辰弥も漸く腹をくくることにした。
 本当の親が見つかるまで、または入院先が見つかるまでは面倒を見よう、そう思ってから「パパと呼ぶなら親子ごっこも悪くないかもしれない」とふと思う。
「分かった、色々はっきりするまで俺たちで面倒を見よう」
「決まりだな」
 パン、と手を叩いて日翔は少女を見た。
 そういえば、結局この子の名前は分からないままだよな、とふと思う。
 そうなると便宜上何かしらの名前を付けて呼ぶべきだとは思ったが何故か自分や鏡介が勝手に名付けるのもよくないよな、などと考えてしまう。
 そう思って鏡介を見ると、彼も同じことを思ったのか日翔に向かって小さく頷き、それから辰弥に声をかけた。
「おい辰弥」
「何、」
 声をかけられた辰弥が鏡介を見る。
「お前がその子の名付け親になれ」
「……は?」
 なんで、と言わんばかりの顔をする辰弥に鏡介が肩をすくめて見せる。
「その子の名前が分からないんじゃ呼びようがない。見た目五歳児に『おい』とか『お前』とか呼ぶ気か」
「でもなんで俺が」
 そんなの別に誰でもいいんじゃ、と辰弥が反論するがそれに対しては渚が横槍を入れる。
「その子、鎖神くんパパに懐いてるじゃない。ここはやっぱりパパが名付け親になるべきよねー」
「だから俺は父親じゃないと」
 どうしても自分は父親ではないと主張する辰弥。
 それに対しては「んなモン関係ねえ」と日翔が一喝した。
「その子だって不安なんだよ。たとえお前が本当の父親じゃなかったとしてもパパだと思って安心できる人間から何かしら名前を呼ばれたら安心するだろそれくらい考えろバーカ」
「煽るな」
 ポコン、と日翔の頭を鏡介がはたく。
「いいこと言ってんのに台無しにするな」
 鏡介にはたかれて「えー」などと文句たらたらな日翔であったが、それでも彼の言葉は辰弥にとっては納得とある種の覚悟を決めさせるのに十分だったらしい。
「……分かった」
 一言だけそう言い、辰弥は少女の顔を見た。
 透けるような純白の髪、自分と同じ血のような深紅の瞳。
 そうだ、この子の名前は――
「……パパ?」
 少女が不安げに声を上げる。
雪啼せつな
 辰弥がそう言い、少女の頭を撫でた。
「……君の名前は、雪啼、だ」
「……せつ……な?」
 雪啼、と呼ばれた少女が首をかしげ、それから満面の笑みをその顔に浮かべた。
「パパ! せつなは、せつなでいいの?」
 そう言って少女は再び辰弥に抱き着いた。
 今度はその身体を抱きしめ、辰弥が頷く。
「……ああ、本当の家族が見つかるまでは、俺が、パパだ」
 そう応える辰弥の声が少々震えていたことに日翔も鏡介も気づいていたが敢えて何も言わず二人は渚を見る。
「あらー、それは茜ちゃんの仕事じゃない?」
「何も言ってないだろ」
「あらそう? 『今後のために身分証明書作ってくれないか』って言いたそうだけどー?」
 渚の言う通り、二人は彼女に「雪啼の身分証どうする?」と相談するつもりだった。
 だがそれを彼女に先回りされた形となりそれはそうだな、『イヴ』に頼りすぎた、と反省する。
「分かった、姉崎にはこっちから手配してもらう」
「そうしてくれると助かるわー」
 それじゃ、用も済んだと思うしわたしは帰るわー、と渚は手を振った。
「ああ、助かった」
 鏡介が「玄関まで送る」と踵を返した渚に追従する。
 玄関で、渚はちらり、と鏡介を見た。
「水城くん?」
 囁くように、渚が鏡介に声をかける。
「なんだ?」
 同じように声を潜めて鏡介が聞き返す。
「鎖神くんを守ってあげて」
「……は?」
 渚の言葉の意図が読めず鏡介が怪訝そうな顔をする。
「自分の記憶も定かじゃない人がいきなりパパと呼ばれて不安がないと思う? 日翔くんはちょっと無神経に突っ走っちゃうから、あなたにストッパーとして機能してもらいたいの」
 今まで何の不安も見せていなかった辰弥だったが、だからといって不安がないとは確かに言えない。その内に想像もつかないほどの不安を抱えていて、その状態で雪啼の保護を決意したのだと考えればいつまでも強がってはいられないだろう。
 実際、雪啼に対して「俺がパパだ」と宣言した辰弥の声は震えていた。
 そう考えると彼も限界なのではないか、とさえ思える。
 渚にそう言われて鏡介も納得したように頷いた。
「それなら俺が適任だな。分かった、気を付けておく」
 ありがと、と片目を瞑り、渚は玄関を出た。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 辰弥が雪啼を保護して数日が経過する。
 最初は日翔や鏡介に対して怯えたような様子を見せていた雪啼であったが、二人とも無害だと認識したらしくすぐに落ち着き、普段は辰弥にべったりなものの、時々は一緒に遊ぶようになっていた。
 とはいえ渚の言う通り紫外線には弱く、病院から抜け出してきていることを考えると下手に外で遊ぶことはできない。
 そんな雪啼が気になるのだろうか、今までは余程のことがなければ往診することがなかった渚が足しげく来訪しては「せっちゃんを診察する」と言いつつ雪啼に様々な衣服を着せ替えて楽しんでいる。
 また、日翔は元々のお人好しな性格からなんだかんだと五歳の少女が喜ぶようなものを見つけてきてはちょっかいをかけている。
「あきと、じゃま」
 そんなことを言われて少々凹むこともある日翔だったがそれでもめげず、今日も雪啼にぬいぐるみ片手に突撃している。
 一刻前に渚も来訪したため、今の雪啼の衣装はフリフリレースのいわゆる「ロリータ服」と呼ばれるものである。白髪、色白の雪啼がそれを身に纏うと外国の人形のような雰囲気すら漂ってくる。
 そんな雪啼にちょっかいをかける日翔だが、例によって彼女に「じゃま」と言われていた。
「めげないねえ……」
 そんなことを言いながらテーブルにオムライスを運ぶのは辰弥。
「二人とも、ご飯できたよ」
「パパ!」
 辰弥の言葉に頭を上げる雪啼。
 その頭がぬいぐるみを手に彼女を頭上から見下ろしていた日翔の顎に直撃する。
「「~~~~!!!!」」
 雪啼が頭を、日翔が顎を押さえて悶絶する。
「……何やってんの……」
 悶絶する二人を見て辰弥がぼやく。
「……でも、これが『家族』ってものなのかな」
 一時的にとはいえ図らずしも父親となることになった辰弥。
 過ごしてきたこの数日間はとても穏やかで、こんな日が続いてもいいのかな、とさえ思えてしまう。
 そう思ってから、いや、違うと辰弥は首を振る。
 自分がこのような「人間らしい」生活を送っていいわけがない、と。
 血なまぐさい現場に身を置いてこその自分だろうに、何を思っているんだと彼は内心自分を叱咤する。
 それでも。せめて今このひと時だけは。
 視界の先で、日翔と雪啼が漸く痛みから解放されたのか立ち上がる。
「辰弥ー、腹減ったー」
「せつな、パパのオムライス、からくないからすき」
 そんなことを言いながら席に着く二人。
 辛いオムライス? と首をかしげながら辰弥も席に着く。
「じゃ、食べようか」
 おう、と頷きつつも日翔がCCTをテーブルに置き、ニュース番組を見ようとホログラムディスプレイを展開する。
「ちょっと日翔、行儀悪い」
 辰弥が注意するが日翔はそれに構わずニュース映像を流す。
《――本日、上町府うえまちふ下条二田市げじょうふったし の路上で遺体が発見されました。警察によると遺体は血液が全て抜かれた状態だったということで、この事件を殺人事件と断定し身元の特定を急いでいます。警察の調べでは現場からは凶器となるものも発見されておらず――》
「日翔!」
 テーブルに手をついて立ち上がり、辰弥が強めの声を上げる。
「雪啼の前だよ、そんなニュースすぐ消して」
「あ、あぁ、そうだな」
 ニュース映像を茫然と眺めていた日翔が慌てて映像を閉じる。
 だが、ニュースで流された報道ヘリからの映像が気になり、つい言葉を続けてしまう。
「……うちの近所だぞ」
「え、」
 座り直そうとした辰弥の動きが止まる。
 そういえば、先ほど買い出しに出かけた時も普段ならあまり見ない警察車両や警察官を多めに見かけたな、と思い出す。
 何かあったのだろうとは思っていたが、まさかニュースで大々的に報道されるような事件が起こっていたとは。
「……パパ?」
 辰弥の隣に座っていた雪啼が彼を見上げ、首をかしげる。
 それを見て辰弥は思考を切り替え、大丈夫、と答えた。
 大丈夫だ、普段は暗殺者として動いている身ではあるが今回の事件には何も関りはない、そう自分に言い聞かせる。
 聞き込みくらいは来るだろうがアライアンスの取り決め通りの対応で躱せるはずだ、と自分を落ち着かせる。
「ごめんな、ご飯、食べよう」
 そう言った辰弥だったが、そのタイミングでGNSに着信が入る。
 む、と二人に先に食べるよう指示を出して応答する辰弥。
 発信者は茜だった。
《仕事よ、鎖神君》
 開口一番、彼女はそう言った。

 

to be continued……

第3章へ

第2章の登場人物

 


 

おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第2章 「おとな☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第2章」のあとがきを
こちらで楽しむ(有料)ことができます。

 


 

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