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Vanishing Point 第4章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 そんな折、「とある企業の開発サーバを破壊してほしい」という依頼を受けた三人は辰弥の体調とサーバの置かれる環境を考慮し日翔あきと鏡介きょうすけの二人で潜入することを決意する。
 潜入先で、サーバを破壊したものの幾重にも張り巡らされたトラップに引っかかり抗戦する二人。
 敵は強化外骨格パワードスケルトンまで持ち出し二人を追いつめるが日翔の持ち前の怪力と後方支援の辰弥による狙撃、そして前金で調達した「カグラ・コントラクター」の航空支援で脱出することに成功する。
 しかし、脱出した日翔が辰弥の回収ポイントで目にしたのは、意識を失い倒れる彼の姿であった。
 いつもより大量の輸血を受けて回復した辰弥に安堵する一同だったが、その裏では巨大複合企業メガコープの陰謀が渦巻いていることに、まだ誰も気づいていなかった……

 

第4章 「View Point -視点-」

 

 今日の夕飯はカレーにするか、と辰弥が包丁を握っている。
 雪啼は自室で大人しく遊んでおり、日翔はいつもの如くCompact Communication TerminalCCTのTVアプリでニュースを見ている。
《先日から発生している下条二田市げじょうふったしでの吸血殺人事件は、現在も犯人の行方も分からないまま発生を続けています。近くにお住まいの方は――》
 CCTのスピーカーから聞こえてくるニュースキャスターの声に、辰弥は「ほんと、物騒だな」とぼやいた。
 そのタイミングで、辰弥の電脳GNS)と日翔のCCTにグループ通話の着信が入る。
 辰弥が空中に指を走らせ応答すると、発信者は鏡介だった。
「鏡介、どうしたんだ」
 日翔が真っ先に口を開く。
 鏡介からグループ通話の回線を開いてくるということは「仕事」について何かしらの情報が入ったからだろうが、それでもちょうど今このタイミングは前回の「仕事」も終わったことで特に依頼は来ていない。
 そう考えると過去の依頼についてのことになるが、基本的に「仕事」の後は反省会デブリーフィングは行っているし事件の発覚等を考えてそれ以降話題にすることはない。
 日翔、辰弥以上にコミュ障の鏡介が雑談や遊びの相談で連絡してくるとこも考えられず、どういう用件だよと二人が思っていたら。
《ああ、この間の依頼がどうしても気になってな。少し調べていた》
 鏡介の言葉に、日翔が「はぁ?」と声を上げる。
「おい、クライアントの調査はアライアンス内でも禁忌タブーだったはずだぞ。その禁を破ったのか!?!?
 基本的に暗殺連盟アライアンスは「来るもの拒まず去る者追わず」を徹底しており、ある程度の裏取りは行うものの依頼された「仕事」は受諾する。
 もし、依頼人クライアントがあまりにも虚偽の申告をしていたり、アライアンスのメンバーを意図的に不利な状況に追い込むような依頼を出した場合は拒否することもあり得るが、それでも虚偽の申告を正しく修正された場合やプランが見直された場合は受諾する。
 また、依頼が遂行された後はクライアントを追跡するようなことを一切認めておらず、追跡が発覚した場合はアライアンスより厳罰が下される。
 その禁忌を鏡介は犯したと言う。
 ああ、と鏡介が頷く。
《どうする、今ここで俺の話を聞けばお前らは共犯者だ。どうしても共犯になりたくないなら通話を抜けろ》
(……そう言うってことは、余程の虚偽申告があったとでも?)
 辰弥が口にすることなく鏡介に確認する。
 再び頷く鏡介。
《脅す訳じゃないが、今後の俺たちの活動に関わってくるかもしれない》
 鏡介の言葉には迷いが含まれていた。
 「このままアライアンスで活動していいのか」という。
 そんなこと、決まり切っている、と辰弥は思った。
 辰弥には殺しの技術以外何もない。逆に言えば、暗殺業から足を洗ったとしても表社会で生きていく能力はない。
 たとえどのような理不尽な依頼であったとしても、それを受け入れなければ生きていけない。
 だから、
(別に今更。君一人に背負わせることはないよ。話を聞く)
 そう、辰弥は答えていた。
「そうだぜ? それにお前はそう簡単にバレるようなタマじゃないだろ。聞かせろよ」
 日翔も同じ気持ちだった。
 彼は辰弥ほどの覚悟はなかったがそれでも裏社会に身を置いている以上今更表の世界に戻る気はない。
 それに、鏡介と辰弥にだけ全てを背負わせて逃げる気などさらさらなかった。
 ありがとう、と鏡介が呟く。
《聞いて後悔するなよ、と言いたいところだがお前らのことだ、それくらい覚悟の上だろう。心して聞いてくれ》
 ああ、と日翔が頷く。
 辰弥も包丁を洗って洗い籠に納め、話を聞く体勢に入る。 
《あの依頼、あの会社の社員が不正を正したくて、とか姉崎は言ってたが真っ赤な嘘だ。巧妙に偽装されていたが、依頼人自体もあの会社の社員じゃなかった》
「……元からちょっと怪しいとは思ったが、やっぱりそうか」
 日翔の言葉にグループ通話内に「またか」という空気が流れる。
巨大複合企業メガコープ企業間紛争コンフリクトに利用されたらしい》
「マジか」
 依頼人が偽物だった時点で薄々感じてはいたが、やはりそうだったのか、と日翔も辰弥も呟く。
 メガコープ間の紛争は珍しくもなんともない。
 ニュースで社長クラスの人間が死んだと報道されれば大抵それはメガコープ間の紛争に敗北して殺されたということになる。
 メガコープはメガコープで独自の武力組織や暗殺者を抱えていることも多いのでアライアンスのようなフリーランスの集まりに依頼が来ることはそうそうなかったが、「どの企業が手を出した」か知られたくない時には利用されることもある。
「どこの企業だよ」
 鏡介のことだからそこも調査済みだろ、と日翔が聞くと鏡介がああ、と頷く。
《あのパワードスケルトンは『サイバボーン・テクノロジー』傘下企業が開発していたやつだ。それを『ワタナベ』が潰そうとした結果だな》
 は? と日翔が声を上げる。
「『サイバボーン・テクノロジー』は軍需産業の上位企業、『ワタナベ』は自動車系の上位企業だろ? 全く噛み合ってないのになんで潰しあってるんだ?」
《疑問に思って軽くワタナベのサーバに潜ってみたが、『ワタナベ』は軍需産業に参入するつもりらしいな。生物兵器バイオウェポンとかいう新兵器を開発して販売するつもりらしい》
「『ワタナベ』、まだ拡大するつもりなのかよ」
 と日翔が呟いてテーブルに突っ伏した。ふと、そのまま横を見ると、辰弥の眉間に皺が寄っていることに気づく。
「……辰弥?」
 日翔がそう声をかけると、辰弥ははっとしたように表情を緩め、首を振る。
「……いや、なんでもない。生物兵器開発とか、穏やかじゃないなって」
 生物兵器とか、人間の業の深さがよく分るよなどと呟く辰弥の表情はあまりいいものではない。
 そうだな、と頷きつつも日翔にとってはメガコープの紛争に巻き込まれたことの方が重要な案件だった。
「マジでやばいことになってんじゃねーか」
(そっちに行ったか……。まぁ、流石にこれはアライアンスに保護を求めたくなるレベルだね)
 アライアンスは反社会勢力と繋がりを持っていることでアライアンス所属メンバーに何かあった際の保護も行ってくれる。例えば上町府うえまちふなら山手組やまのてぐみだ。
 今回のようなメガコープ間の紛争に巻き込まれた場合、当然、被害者側が実行犯を特定して報復することもあり得るのでその対応として保護を求めたい、と辰弥は思ったわけである。
 メガコープはその資本からその気になれば物量で圧倒してくる。
 それにアライアンスが対抗するには、全メンバー招集もあり得る、ということだった。
 実際、他のチームが巻き込まれた際に辰弥たち「グリム・リーパー」が招集されたこともある。
 それ以来、アライアンスはメガコープからの依頼は引き受けないようにしているが、今回のようにアライアンスに気付かれないようメガコープから仕事が来ることもあると言うことだ。これまでも知らずにメガコープに手を貸していたかもしれない。
《とにかく、万一『サイバボーン』側に俺たちの存在が知られれば危険だ。場合によってはアライアンスに保護を求める》
(『ワタナベ』にも注意が必要だね。アライアンスはどのチームを派遣するとは言ってないけど特定されたら口封じで消されるかもしれない)
「めんどくせえ……」
 突っ伏したまま、日翔がぼやく。
「……だから怪しい依頼はちゃんと裏取りしてくれって頼んでるのにー」
(仕方ないよ、来るもの拒まず、だから)
 とはいえ、今回はアライアンスの裏取りの隙を突かれた依頼であり、これ以上「グリム・リーパー」がどうこうできる話ではない。
 とりあえず、暫くは警戒した方がいい、と互いに確認し、グループ通話はそこで終了した。
「……ったく、面倒なことになったな」
 通話が終了したことで食事の支度を再開した辰弥を見ながら日翔がぼやく。
 だりぃ、とテーブルに突っ伏したまま辰弥の様子を眺めていると。
「日翔、暇なら雪啼と遊んであげて」
 調理の手を止めずに辰弥が声をかける。
「えー、あいつ俺の事邪魔邪魔言うしー」
 それに今日の俺はダウナーなのー、と日翔はテーブルから動く気配がない。
 日翔がダウナーなのは珍しいな、と思いつつも辰弥は「仕方ないな」と言わんばかりの面持ちで調理の手を止め、戸棚からマグカップを二つ、手に取った。
 小鍋に牛乳を入れて沸騰しない程度に温め、湿気防止のために冷蔵庫に入れていたミルクココアの粉末をマグカップに入れて牛乳を注ぐ。
 だまができないように少量の牛乳から作ったココアを手に取り、彼は日翔の前にそっと置き、自分も向かいに座った。
「……大丈夫?」
 そう、辰弥が声をかけると日翔は少しだけ頭を上げて辰弥を見、それからマグカップに視線を落とす。
「……ココア?」
 うん、と辰弥が頷く。
「コーヒーはちょっとやめておいた方がいいかなって思って」
「……サンキュ」
 体を起こし、日翔はマグカップを手に取った。
 両手で抱えるように持ち、冷まそうと息を吹きかける。
「ダウナーって言うより、調子悪そうだけど。ご飯、お粥とか胃に優しいものにしたほうがいい?」
 どうせ今作っているのは作り置きがきくからメニュー変更大丈夫だけど、と辰弥が確認する。
「んー、大丈夫だ。胃の調子が悪いとかそんなんじゃない」
「八谷に診てもらう?」
 怪我の治療くらいならできるけど病気だったら専門家に診てもらう方がいいし、と辰弥はそう提案した。
 だが、日翔はそれも「大丈夫だ」と拒絶する。
「そもそもあいつ外科メインだしさ。大丈夫だ、ちょっと休めば治る」
「……そう、」
 心配だなあ、と辰弥はココアを飲みながら呟いた。
「最近、吸血殺人事件は下条二田市げじょうふったしメインで起こってるしね……流石に日翔が襲われることはないだろうし襲われたとしても返り討ちにはできると思うけど調子が悪い時はあまり外出しないほうがいいかも」
 辰弥がそう言うと、日翔もそうだな、と小さく頷いた。
「俺に何かあったらお前も大変だしな」
 日翔の言葉に辰弥がうん、と頷く。
 現在、日翔の保護下にいるという名目で彼の家に居候している辰弥。
 彼に何かあった場合、家を失うのは辰弥の方であるしいくら偽造の国民情報があるとはいえ住まい等を探すのは難しいかもしれない。
 できれば日翔には健康でいてもらいたい、と料理の栄養バランス等を管理している辰弥であったが、それでも体調を崩すことくらいある、ということか。
 マグカップに残ったココアを一息に飲み干し、日翔が席を立つ。
 流し台に空になったマグカップを持っていこうと手に取り、
「げ、」
 そのマグカップが日翔の手からこぼれ落ちた。
 床に落下し、ガシャン、と音を立てて砕ける陶器製のマグカップ。
「大丈夫!?!?
 辰弥も立ち上がって駆け寄り、マグカップの破片を拾おうと屈んだ日翔の前に屈み込む。
「……すまん、落とした」
「それは分かるけど、怪我ない?」
 そう言いながらちょっと手を見せてと差し出されてきた辰弥の手首を、日翔は思わず掴んだ。
「……いっ……」
 自分の手首を掴む日翔の握力が思いの外強く、辰弥が痛みに顔を歪ませる。
 彼のその様子に、日翔は慌てて手を離す。
「す、すまん」
「大丈夫」
 手首をさすりながら、辰弥は日翔の顔を見た。
 やばい、やらかしたと言わんばかりの日翔の顔。
 大丈夫だから、と辰弥は繰り返した。
「君の馬鹿力はよく分かってるよ。咄嗟のことで力加減がきかないのはよくある話だから気にしなくていい」
「……マジで、すまん」
 そこで会話は一旦止まり、二人は黙々とマグカップの破片を集める。
 目につく破片を一通り回収してから、辰弥はペーパータオルを湿らせて床を拭き、目に見えない破片を拭き取っていく。
 それを見ていた日翔はふう、と小さくため息をつき、それから、
「悪ぃ、ちょっと寝るわ」
 そう、辰弥に声をかけた。
 マグカップを取り落としたことで自分が思いの外不調だと思い知ったというところか。
「……やっぱり八谷に診てもらった方が」
 心配そうに辰弥が提案する。
 だが、日翔はそれを首を振って拒絶した。
「まぁ、やばいと思ったら診てもらう。とりあえず飯の時間になったら起こしてくれ」
 片手を上げて辰弥にヒラヒラと振り、日翔が自室に入る。
「……」
 どうしよう、胃の調子が悪いわけじゃないみたいだけど体調悪いならやっぱりお粥にした方がいいかな、でもそこまで悪いんじゃなかったらもう少しガッツリ目のメニューにした方がいいよね、と辰弥は腕を組んだ。
「うーん、病人食でも健常食でもないと考えると肉うどんか、具沢山の雑炊にした方がいいか……」
 とりあえず冷蔵庫見てみるか、と、辰弥は呟きながら冷蔵庫の扉を開けた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 鏡介から「メガコープの紛争に巻き込まれた」と報告されてからしばらくの期間が経過した。
 このところ「仕事」も落ち着いており、普段の「白雪姫スノウホワイト」勤務の日常が過ぎていく。
 懸念されていたメガコープからの刺客もなく、三人、いや、雪啼を含めた四人は珍しく穏やかで平和な日々を過ごしていた。
 体調不良を訴えていた日翔も回復したのか、今日は「ちょっと買い物行ってくる」と出かけているため辰弥はこれ幸いと家の掃除を進めていた。
 雪啼は昼寝をしており、掃除の邪魔をするものは誰もいない。
 ここ汚れてる、ここもとつい夢中になり雑巾片手に部屋を歩き回っていると。
「たーつーやー!」
 突然、後ろから日翔に声をかけられた。
 声の様子から怒っているわけではない、むしろ朗報を持ってきた感じだなと判断し、日翔を見る。
「どうしたの」
 なんか機嫌良さそうだけど、と辰弥が首を傾げると日翔は嬉しそうに手にしていた紙切れを辰弥に見せる。
「福引で当たった!」
「当たった?」
 そう言ってから、辰弥はそう言えば近くのショッピングモールで今福引きやってたな、と思い出す。
 確か特賞は電動自転車だったはずだが1等もかなりいい景品だった。
 辰弥も当てたいなとは思っていたものの対象金額の買い物をあまりしていなかったことやくじ運の悪さも相まってポケットティッシュしかもらっていない。
 その、福引で当てたということは。
「じゃーん! 1等のエターナルスタジオ桜花ESOのペアチケット!」
「おぉー」
 思わず辰弥が声を上げる。
 まさか自分も狙っていた人気アミューズメント施設のチケット1等を日翔が当てるとは。
 いいなー、と呟く辰弥。
 そんな彼に、日翔が、
「せっかく当たったんだしさ、一緒に行かねえか?」
 そう、持ちかけた。
 その瞬間、辰弥の目が輝いた。
「え、ほんと? マジ?」
 犬だったら確実に尻尾を振っているんじゃないかと思わせるようなその反応に日翔が思わず笑う。
「かわいいなあ……」
 日翔が思わずそうこぼすが、辰弥はそんなことを聞いてすらいない。
 だが、ひとしきり喜んだ後、辰弥はふと何かに気づき真顔に戻った。
「……でも、雪啼連れてった方が喜ぶよね」
「……あ」
 少し体が弱いように周りには見えていた雪啼だが、遊びたい盛りの子供である。アミューズメント施設遊園地に連れて行ったほうが喜ぶだろう。
 だが、日翔が当てた1等はペアチケット。
 せっかく誘われたところではあるが、ここは日翔が雪啼を連れて行くべきだろう。
「俺のこと誘ってくれて嬉しいけど、雪啼連れて行ってあげて」
 俺にはお土産買ってきてくれるだけでいいから、と辰弥が言うと日翔は「うーん」と腕組みをして唸った。
 そのまま、ほんの少しの沈黙が生まれ、
「……雪啼はお前に懐いてるんだしさ、チケットやるからお前が連れてけ」
「え」
 突然の日翔の申し出に、辰弥が硬直する。
「……見返りは?」
 何か裏があるんじゃないか、と辰弥の口をついて出た言葉に日翔が「信用ないなー」と言わんばかりの顔をする。
「普段から色々やってもらってるから気にすんな。たまにはゆっくり遊んでこいよ」
「……君がそう言うなら」
 運よく当てたチケット、それなのにあっさりと譲ってきた日翔に辰弥が心底申し訳なさそうな顔をする。
 その肩をポンと叩き、日翔が再び「気にすんな」と言う。
「まあどうせ行ったところで俺あんま金ないから土産とか買えねーし」
「お金ないって、『白雪姫スノウホワイト』の給料と暗殺連盟アライアンスの報酬結構入ってるのに、何使ってんの」
 日翔の言葉に、そういえば普段から「金ない」とか「金貸してくれ」とか言ってくるよなと思い出す辰弥。
 そんなに金使いが荒いようにも見えないが常に金欠な日翔に、常々疑問を持っていた。
「あー……まぁ、ちょっと色々使うことあってな……」
 そう、言葉を濁す日翔をもう少し問い詰めたかったが今チケットを譲ってくれるという話をしているのに下手に機嫌を損ねて「やっぱやめた」と言われるのも嫌で辰弥はそれ以上追及しなかった。
 何か事情があるのだろう、程度で金銭がらみの話を終わらせ、日翔からチケットを受け取る。
「本当にいいの?」
「ああ、雪啼と楽しんでこいよ」
 そう言い、日翔は屈託のない笑顔を辰弥に見せた。
「……パパー、お茶」
 二人の会話に目を覚ましたのか、雪啼が目をこすりながらトコトコと辰弥のもとに来る。
「あ、起きた?」
 辰弥が雪啼の前に屈み込み、目線を合わせる。
「お茶を飲みたいときは? パパはお茶じゃないよね?」
「むぅー」
 辰弥の言葉に、雪啼が人差し指を口元に当てて唸る。
「お茶」
「お茶じゃなくて?」
「お茶」
 ぴくり、と辰弥のこめかみが引き攣るのが見える。
「お茶しか言わない子にはお茶あげません」
「むぅー」
 頑なに「お茶」しか言わない雪啼。
 そんな彼女の様子に、日翔は「雪啼って結構甘やかされてワガママに育ったのかなぁ」とふと思った。
 甘やかされて育ったのなら子供心にも溺愛されていたと認識しているはず。
 それなのに両親の元に帰りたいと言うこともなく、雪啼はただただ辰弥に甘えている。
 親と何かあったのだろうか、そう日翔が考えながら二人を見ていると、雪啼はようやく根負けしたのだろう、
「……んーと、お茶、のみたい」
 かなり不承不承ではあるが、そう言った。
「偉い、よくできました」
 そう言って辰弥が雪啼の頭を撫でて立ち上がり、冷蔵庫に作り置きしていた麦茶を子供用のマグカップに入れて手渡す。
「パパ、ありがと!」
 マグカップを両手で受け取り、雪啼が再びトコトコと歩いてテーブルに座る。
 行儀よく麦茶を飲む雪啼に、日翔は「こいつちゃんと『子育て』してるなあ」とふと思った。
 辰弥のことを「パパ」と呼ぶがどこの誰の子供かすら全く分からない雪啼。
 彼女を保護してしばらく経つが、家族の情報も行方不明の子供の情報も全く手掛かりが見つからない。
(……このまま、引き取る気じゃないだろうな)
 ふと、そんなことを考え日翔は自分が不安に思っていることに気が付いた。
 父親役を務める辰弥もまた身元不詳の存在である。こんなまやかしの「家族ごっこ」がいつかは破綻するものだと、自分は薄々感づいているとでもいうのか。
 雪啼はきちんと家族のもとに戻すべきだし辰弥も自分の出自を取り戻す必要がある。
 いつまでも誰も何も知らない生活など、続けられない。
(……それは、俺も)
 思わず拳を握り、日翔が目を伏せる。
 辰弥は自分を拾った日翔のことを何も知ろうとしていない。
 それに甘えて何も言っていなかったが日翔とて秘密がないわけではない。
 周りに甘いようでいて、辰弥には「暗殺者に向いてない」と言われることもある。しかし、それでいて時には辰弥以上の冷酷さで殺しができる日翔に何もないはずがない。
 それでも辰弥は何も聞こうとしなかった。
 単に興味がないだけなのか、それとも実は話したくない何かがあるから聞こうとしていないのかは分からない。
 それでも、辰弥が「何も聞かない」ことで日翔自身も救われているのは事実だった。
(ああだめだだめだ、こんなこと考えてる場合じゃねえ)
 首を振り、日翔が目を上げてにこやかに話す辰弥と雪啼を見る
 今はこれでいいじゃないか、そう、自分にいい聞かせる。
「……パパ、ほんと?」
 雪啼が目を輝かせて辰弥を見上げている。
「ああ、次の休みに遊びに行こう」
 どうやらもらったESOのチケットのことを話したのだろう、雪啼が嬉しそうにはしゃいでいる。
「日翔にちゃんとお礼言うんだよ」
「うん!」
 雪啼が大きく頷き、椅子からぴょん、と飛び降りる。
 そのままトコトコと日翔の前に駆け寄り、
「あきと、ありがと。あと、じゃま」
 ――え、それ言うの。
 前半はいい。どうして今このタイミングで「邪魔」と言った。
「あ、こら雪啼、邪魔はだめ!」
 辰弥の慌てたような声が聞こえる。
 こんなことでチケット返せとは言わねーよ、と思いつつ、日翔は、
「流石に邪魔は傷つくなあ……」
 そう、呟いた。
 その頃には雪啼はもう日翔の前から去り、自室に向かって歩き出している。
「……五歳児って、ほんと、フリーダムだなあ……」
 親になった経験、年下の兄弟がいた経験がないため、率直に、そう思った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 その日はとても天気が良く、行楽日和だった。
「パパー、早く早く!」
 玄関で雪啼が辰弥の袖を引っ張っている。
「ちょっと待ってってば、靴が、履けない」
 そう言いながらも靴紐を結び終え、辰弥が立ち上がる。
「じゃ、日翔、留守番よろしく」
「ああ、楽しんできな」
 そう言って手を振ろうとした日翔がふと、何かに気づいたように辰弥を見る。
「……?」
「お前、ちょっと腕上げろ」
 日翔がそう言った瞬間、辰弥が「やばっ」といった顔をする。
 それには構わず、日翔は強引に辰弥の両腕を上げさせ、腕を起点として全身をくまなく検査ボディサーチする。
 その手が腰のあたりで止まり、日翔は辰弥の上着をめくって腰に差していたハンドガンTWE Two-tWo-threEを取り出した。
「辰弥! お前なあ!」
「げ」
 見つかった、と呟く辰弥に日翔がさらに確認、ナイフなども見つけ出す。
「……言い訳は?」
「……だって、何かあった時の護身くらい」
 辰弥の言い訳に、「アホかお前」と日翔は心底あきれたように言う。
「あのな、今日の行き先はESO。武器なんて見つかってみろどうなる?」
「……強制退場」
 はい、よくできました、と日翔が頷く。
 近年は桜花も拳銃程度は持ち歩くことが出来る。だが、私有地では武器の持ち込みが禁止されるケースもあり、ESOでは武器を持ち込んでいる事がバレれば強制的に退場させられる。強制退場だけならまだマシだが、発覚の原因がトラブルだったりした場合、出禁になったり、ESO社からの圧力で日常を生き辛くされる可能性さえある。
「だから今日は武器の持ち歩き禁止。どうせ雪啼の前で殺しなんてできないだろ」
「……ま、まぁそれは」
 このあたりの会話は雪啼に聞かれないよう、小声で行われている。
 そのため、雪啼が「んー?」と首をかしげながら辰弥を見上げている。
「パパー、早く行こ」
「あ、ごめんごめんすぐ行く」
 雪啼に急かされ、辰弥が分かったと頷く。
「まぁ、考えすぎだよね。丸腰で行く」
 そうは言ったが、実は右袖の内側に仕込んでいたバタフライナイフだけは日翔に気づかれていなかった。
 心許ないがいざという時はこれだけでなんとか切り抜けるか、と辰弥は心の中で呟いた。
 それに、いくらこの街の治安が悪くともこんな昼間から吸血殺人の犯人と遭遇することはないだろうし表通りを歩けばゴロツキの類に遭遇することもないだろう。
 辰弥が素直に「丸腰で行く」と言った言葉を信じたのか、日翔が「偉いぞ」と子供扱いするかのように辰弥に言う。
「子供扱いしないでって」
 俺、君より歳上だよ? と辰弥が抗議するもそれを意に介する日翔ではない。
「気にすんな。それよりも気を付けて行ってきな。くれぐれも騒ぎとか起こすんじゃねーぞ」
 日翔がそう言って手を振ると辰弥は少々不満げな顔をしつつも雪啼に手を引かれて外に出ていった。
「……」
 パタン、とドアが閉まり、日翔がふぅ、と息を吐く。
「……行ったか」
 概ね、予定通りにことは進んでいる。
「よし、今日中に終わらせよう」
 雪啼が来てからバタバタしてできなかった用事が色々ある。
 そう考えるとESOのチケットの当選を装えと言ってきた暗殺連盟アライアンスのまとめ役である山崎やまざき たけるのアドバイスは正しかったのだろう。
 辰弥の性格を考えれば絶対に雪啼を連れて行けと言うことを見越してのESOチケット。
 思惑通り、辰弥は雪啼を連れて行けと言ったしそれに合わせてチケットを譲る、という展開に持ち込むことができた。
 CCTのホログラムディスプレイを展開し、鏡介に通信を繋げる。
《上手く行ったか?》
 鏡介の言葉に日翔がああ、と頷く。
「上手く行き過ぎて逆に怖えよ」
 とりあえず、辰弥に何か動きがあったら教えてくれ、と鏡介に伝え、日翔は通信を切った。
「あー……まずは山手組周りか……」
 メモアプリを呼び出し、スケジュールを確認する。
「ま、夕方まで帰ってこないだろうしさっさと終わらせて昼寝でもするか」
 そう呟き、日翔は肩を回し、それから少し痛そうに顔をしかめた。

 

 雪啼と手を繋いではぐれないようにしながら、辰弥は駅に向かって歩いていた。
 途中のコンビニで飲み物などを買いたかったがESOは飲食物持ち込み禁止のため、道中は我慢するか、と考える。
 そんな彼の手を、雪啼がちょいちょい、と引っ張る。
「どうしたの?」
 喉乾いた? できれば我慢してほしいなと辰弥が声をかけると雪啼はううん、と首を振った。
「近道しよ? いつも、パパ近道してるよね?」
 雪啼の言葉にうわあ、バレてたと思う辰弥。
 この近辺は辰弥にとっては庭のようなもの、裏道や路地裏などどのルートを通れば目的地に最短距離で移動できるかは把握している。
 しかし、路地裏などはゴロツキや闇取引の温床となっており、五歳児の雪啼を連れて歩いていい場所ではない。
 だから今回は正規のルート表通りを通って駅まで向かおうと思っていたが、まさか雪啼にあんなことを言われるとは。
「ダメだ雪啼、危ないよ」
「でも、駅まで歩くのだるいー」
 そう言いながらも雪啼は辰弥の手を引き、近道になる裏路地に入ろうとする。
 この子、どこで近道のルートを覚えたんだろう、と思いながらも辰弥は仕方ないな、と裏路地に足を踏み入れた。
 警戒を怠らず、駅に向かって歩いていると。
「――っ!」
 咄嗟に、辰弥が首を横に傾ける。
 同時に銃声が響き、彼の耳元を銃弾がかすめていく。
「誰!?!?
 発射位置は特定できている。
 辰弥は銃弾が飛来してきた場所を見据え声を上げた。
 同時に、雪啼が辰弥の手を振りほどいて近くにあったエアコンの室外機の陰に駆け込む。
 一瞬、「逃げ足が速いな」と思った辰弥であったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 いわゆる追剥ぎの類に遭遇したか、それとも意図的に「グリム・リーパー自分」を狙った連中なのか。
 雪啼の側に注意を払いながら、辰弥は裏路地の奥をその深紅の瞳で睨みつける。
「なんだよ、バレてんのかよ」
 そんな声が響き、裏路地の奥やさらにその横の細い通路から数人の人影が現れる。
 その腕やら脚やらが少々旧式の義体に置き換えられており、最近ニュースで取り沙汰されている吸血殺人の犯人ではなく、警察や自治体が頭を悩ませているストリート・ギャングの類であると推測する。
 厄介な奴らに絡まれた、と辰弥が歯ぎしりする。
「てめえだろ? この間オレたちに卸される予定だったスケルトンぶっ壊したって奴」
 先頭の、両腕を義体化しその手に銃を握る人物が辰弥に声をかける。
 その言葉に、辰弥の眉が寄る。
 「サイバボーン・テクノロジー」がこのようなチンピラ風情に軍用のパワードスケルトンを卸すとは考えられない。恐らくは、安物のスケルトンを卸す予定だった相手に「壊された」と嘘をついて雇ったのだろう。
「何のことかさっぱり」
 実際、辰弥はあの会社に侵入していない。侵入し、破壊したのは日翔と鏡介の二人である。
 そのため、嘘ではなかったがそんなことが通用する相手ではない。
「んなことどうでもいいんだよ、前々からてめえはこの辺うろついて目障りだったからぶっ殺すいい口実が来ただけだ!」
「……はぁ」
 ため息を吐き、辰弥が身を落として身構えた。
「殺る気?」
 念のため、確認すると「たりめーだろ!」と即答される。
 周りを見ると取り巻きもそれぞれ銃を構えているがどうやら資金不足なのだろう、ちゃんとしたメーカーによって販売されている正規品ではなく様々な銃のジャンクパーツを寄せ集めて作られた安価な粗悪銃サタデーナイトスペシャルのようだった。
 それなら勝ち目はある、と辰弥が手首を振ると袖の中からバタフライナイフが飛び出し、彼の手に収まる。
 まさか念の為で持ってきたバタフライナイフこいつが早速役に立つなんて、とため息を吐きつつ辰弥はナイフを展開して身構えた。
「そっちがその気ならこっちも容赦しない」
「んだとぉ!」
 先頭のチンピラが叫び、それを引鉄に取り巻きも一斉に発砲する。
 同時に辰弥も地を蹴り、射線から外れる。
 その時点で彼は手近なチンピラをターゲットと決め、その懐に飛び込んだ。
 バタフライナイフを構え、頸動脈を狙って振り抜く。
 頸動脈を掻き切ったことにより、身体の一部を義体化していたが故に血液から置き換えられた人工循環液ホワイトブラッドが吹き上がるが、辰弥はそれを浴びないように即座に次のターゲットへと跳躍していた。
 それに遅れて、他のチンピラが発砲した銃弾が首を切られたチンピラに突き刺さる。
「一人!」
「てめぇ!」
 激昂したチンピラが一言吠え、腕を辰弥に向けて突き出すとその手首が機械栓フリップトップのように外れ、大口径の銃口が現れる。
「やば……っ!」
 次のターゲットに向かおうとしていた辰弥が咄嗟に横に飛ぶ。
 ドン、と低い音とともに対人カノン砲がその砲弾を発射する。
「マジかよ!」
 砲弾は辰弥の横を通り過ぎ、建物の壁に突き刺さった。
「避けんじゃねえよ!」
 対人カノン砲を撃ったチンピラが吠えるが、だからといって立ち止まる辰弥ではない。
 ――銃は安価な粗悪品なのに、身体は義体化してる上に、軍用義体か。こいつら、企業間紛争で鉄砲玉として使われて捨てられたクチ?
 自分達はこうはなるまいと思いつつ、次弾を装填しようとするそのチンピラに向け、辰弥が手にしていたバタフライナイフを投げる。
「二人!」
 ナイフは狙いたがわず対人カノン砲持ちのチンピラの眉間に突き刺さり、絶命させる。
 その様子を見届けることなく辰弥は次のターゲットに肉薄、その眉間に銃を突き付けていた。
「て、てめえ……」
 どこに隠し持っていた、とチンピラが唸る。
「いや、その辺から適当に」
「いや、そんな形の銃は誰も持ってねえ」
 自分たちで用意してるからわかんだよ、とチンピラが反論するがそれには構わず、
「どうでもいいよ。消えて」
 そう言いながら、辰弥が発砲。
「三人、で、まだやる?」
 残りのチンピラの誰でも即座に狙えるように構えた辰弥の銃はチンピラたちが持つものと同じような粗悪品。
 いつ奪った、と最初に辰弥を狙ったリーダー格のチンピラが低く呻くがよく見ると確かに今しがた撃たれたチンピラが言うように自分たちで組み立てた銃とは形が違う。
「君たち、隙が多すぎ。巨大複合企業メガコープの鉄砲玉にしちゃショボすぎるよ」
 挑発するつもりではなかったが、辰弥は思わずそう言い放っていた。
 普段の「仕事」は暗殺メインとはいえ、時には戦闘もある。
 それを考えるとこのチンピラたちは統率もとれておらず辰弥一人で十分対処できる。
「んだとぉ!」
 チンピラの一人が吠え、辰弥に向かって発砲する。
 それを難なく躱し、辰弥も発砲するが手にしている銃は本当に粗悪品で、本来なら撃ち損じることのない彼の一撃は関係ない方向へ飛んでいく。
「ちっ、だから粗悪品サタデーナイトスペシャルは!」
 そう毒吐きながらも辰弥は銃から手を放さずチンピラに突進、離れていて当たらないならと至近距離で発砲する。
「四人!」
「っそ!」
 辰弥と目が合ったリーダー格のチンピラが叫ぶ。
 次はこいつだ、と辰弥は地面を蹴った。
 だが、リーダーの動きは他のチンピラに比べて素早く、簡単に捉えられない。
「ちょこまかして……っ!」
 相手を捕えようと、辰弥が手を伸ばす。
 その後ろを、別のチンピラの影がよぎった。
「しまっ――!」
 リーダーを捕えることを優先し、もう一人の存在を失念していた。
 チンピラが無言でいるが、恐らくはリーダーとGNSで連携をとっているのだろう。
 ここだけ統率が取れている、もしかして鉄砲玉時代はバディでも組んでいたのか? と一瞬のうちに思考が回るがこの状況はサブ腕搭載の義体でもない限り対応しきれない。
 振り返ろうとする辰弥の後頭部に、チンピラが持つ銃口が向けられる。
 ここまでか、そう、諦めの色が辰弥の目に浮かびかける。
 しかし。
 チンピラが発砲することはなかった。
 その代わりに、チンピラの頭がはじけ飛ぶ。
「……え……?」
 はじけた頭から飛び散った脳漿が辰弥の頬に付着し、同時に何か脳漿にまみれた塊が彼の横を通り過ぎ、リーダーの肩に当たる。
「がぁっ!」
 人間の頭を吹き飛ばしたほどの威力のある物体である。
 リーダーが飛来した「何か」に肩を砕かれ、絶叫を上げる。
 それを見逃さず、辰弥はリーダーを地面にたたきつけ、頭に銃口を突き付けた。
「てこずらせて……ラスト!」
 そう言いながら、発砲。
 頭を撃ち抜かれ、最後の一人となったリーダーが動かなくなる。
「……ふぅ……」
 手にしていた銃を動かなくなったリーダーに握らせ、辰弥は息を吐いた。
 それから、頬に付いたチンピラの脳漿を親指で拭い、舐め取る。
 それにしても危なかった。
 普段は日翔の援護があるため、後方への注意が少しおろそかになっていた。
 一人の時でもこんなことにならないようにちゃんと全方向を警戒しなければ、と反省するもののそれでも気になることはある。
 あの、チンピラの頭を吹き飛ばし、リーダーの肩を砕いた「何か」。
 地面に落ちたそれを見つけ、辰弥は屈み込んで手に取った。
「……重っ」
 単なる金属の塊だと思っていたが、密度が鉄のそれではない。
 もっと比重の高い――そう、金やタングステンのような、そんな高密度の金属であるように感じる。
 こんなものがかなりの速度で飛来したのだ、頭くらい普通に吹き飛ぶだろうしそれで威力を削がれたとしても肩を砕くくらいはできるだろう。
 子供の握りこぶしくらいあるそれに、一体どうやって飛ばしたのだと考える。
 普通に投げるには重すぎる。それこそ、スリングショットパチンコでも使わなければまともに飛ばすことすらできないだろう。
 そんな重量物を、何者かは正確に射出してチンピラの頭を吹き飛ばした。
 ――いや。
 ふと思いついた可能性に、辰弥はぶるりと身を震わせた。
 実は、この玉はチンピラの頭を吹き飛ばすためではなく、自分を狙ったのではないだろうか。
 あのチンピラがいなかった場合、辰弥は後方の注意がかなり削がれていた状態だった。
 それこそ、音もなく飛来する物に対しては手も足も出なかっただろう。
 もしあれが自分を狙っていたのだとすれば、死んでいたのは自分の方だった。
 そう考えるとチンピラに助けられた、とも考えられる。
 実際はチンピラを狙ったのか辰弥を狙ったのか真相は闇の中だが。
 念のため、近くにまだとどまっていないかと玉が飛んできた方向の気配を探るが人の気配は室外機の陰に隠れている雪啼のもの以外ない。
 辰弥ではなくチンピラに当ててしまったことで失敗を悟ったのか、それとも――
「……考えていても仕方ないな」
 そう呟き、辰弥は雪啼が隠れている室外機に歩み寄った。
「……大丈夫?」
 そう声をかけながら室外機の裏をのぞき込む。
 そこで頭を抱えて震えている雪啼の姿を認め、辰弥はほっと息を吐いた。
 それから、念のため身の回りを見て返り血を浴びていないことを確認する。
「雪啼、もう大丈夫だよ」
 辰弥がそう言うと、雪啼はそろそろと頭を上げて彼を見上げた。
「パパ!」
 そう嬉しそうに声を上げて、辰弥に抱き着く。
 雪啼を抱き上げ、辰弥は少しだけ笑んでみせた。
 その様子に先ほどまでチンピラたちと命のやり取り、いや、一方的な殺戮を行っていた雰囲気はない。
 ごくごく普通の一般的な父親の雰囲気で、辰弥は雪啼をあやしている。
「ちょっと危ないからな、やっぱり近道はやめよう」
「……うん、そうだね」
 素直に、雪啼が小さく頷く。
 そこにほんのわずかに残念そうな様子が見えたような気がしたが、辰弥は「気のせいだろう」と自分に言い聞かせ、雪啼を地面に下ろして手を握ろうとした。
 だが、雪啼は辰弥のその手ではなく手首を掴んだ。
「……パパ、けがしてる?」
 ぽたり、と紅い雫が地面に落ちる。
「……」
 バツが悪そうに、辰弥は自分の手を見た。
 その手のひらに一筋、ナイフで切り裂かれたかのような傷がある。
「……ごめん、ちょっと怪我したみたい」
 辰弥が慌ててウェストポーチから応急セットを取り出し、応急処置をして傷全体を隠すようにテープを貼る。
 それを見届けた雪啼がようやく辰弥の手を握る。
「じゃ、行こうか。早く行かないと並ぶことになる」
「うん!」
 ごくごく普通の親子のように、二人は裏路地を離れ、表通りに戻った。
 そのまま駅に向かい、電車に乗る。
 電車を乗り継ぎ、佐久夜区さくやくのエターナルスタジオ駅で二人は下車した。
「うわー!」
 エターナルスタジオ駅からESOまではほぼ直通である。
 改札を抜ける前から聞こえてくる歓声に雪啼が目を輝かせ、それから辰弥の手を引く。
「パパ、早くいこ!」
 うん、と辰弥も歩き出す。
 エントランスでチケットを見せてスタジオパスを受け取り、園内に入る。
「すごーい!」
 園内の様々なアトラクションに、雪啼が大はしゃぎで周りを見る。
 彼女が手を振りほどいて迷子にならないようにしっかりと手をつなぎ、二人で園内をまわる。
 雪啼がまだ五歳児で、身長も百センチあまりということで絶叫系やVR系のアトラクションは無理だが、メリーゴーラウンドやティーカップといった子供向けの定番アトラクション、他にも様々な映画のワンシーンを模したスタジオアトラクションの一部は入場できるだろう。
「雪啼、どれに乗りたい?」
 雪啼の手を引き、辰弥が尋ねる。
「んー、お馬さん!」
 煌びやかな装飾のメリーゴーラウンドを指差し、雪啼が辰弥の手を引っ張る。
「オーケー、それじゃメリーゴーラウンドから乗ろう」
「楽しみ!」
 そんな会話をしながら、二人はメリーゴーラウンドを楽しみ、それからいくつかのアトラクションを楽しむ。
 昼食は園内レストランの少し高めのファミリー向けコース料理を頼み、ESOで扱っている映画のキャラクターの着ぐるみと記念撮影を行う。
「はーい、パパさんも笑って笑って!」
 映画のキャラクターのコスチュームを身に纏ったスタッフキャストがカメラを向けたことに若干警戒してしまうがそれでも笑顔を取り繕い、写真を撮ってもらう。
「プリントアウトしたものは後ほど、カウンターでお渡しいたします。データは今お送りいたしますね」
 キャストの言葉と共に、アドホック通信で写真データが転送されてくる。
 転送された写真データをGNSの写真フォルダに保護設定を付与した上で保存し、辰弥は嬉しそうに自分を見上げる雪啼を見た。
「よかったね、キャスターウッズと写真撮れて」
 ヨタヨタと立ち去るビーバーの着ぐるみを見送りながら辰弥が雪啼に声をかける。
「キャスターウッズ、もふもふ」
 雪啼が満足そうに着ぐるみからもらったぬいぐるみを抱き抱えて顔を埋める。
 桜花国でも人気のIoLイオル発祥のコミック、そしてアニメ映画にもされたキャラクターであるキャスターウッズ。ESOでの遭遇難易度は高く、余程運がなければ一緒に写真を撮ることは難しいと事前の下調べで知っていたがまさかこうもあっさり遭遇してしまうとは。
 やはり記念撮影オプションの付いたコースにしてよかったと思いつつ食事を済ませる。
(来れて、よかった)
 本当のところ、辰弥もESOに来るのは初めてだった。
 アトラクションがとてもいいと聞いて興味は持っていたが日翔や鏡介、男三人で来る場所でもないしそもそもこのような場所とは無縁の生活を送っていた。
 それが、雪啼を保護したことによって、身長制限はあるもののこうやってアトラクションを楽しむことができるとは。
 自分が楽しみすぎて雪啼を迷子にするわけにはいかないが、それでも辰弥はESOを楽しんでいた。
 過去の自分がどのようなものであれ、今この瞬間を楽しむことができるのならそれでいいじゃないか、と。
 楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。
 いくつかのアトラクションをファストパスを利用したり並びつつも回っていると、園内で昼の部のパレードがもう直ぐ始まるというアナウンスが流れてくる。
「パレードだって! パパ、行こ!」
 様々な映画のキャラクター扮したエンターテイナーが練り歩くパレード、CM等でチラッと見ているだけに二人とも興味はあった。
 それじゃ、いい場所取らなきゃね、と辰弥が雪啼の手を引く。
 パレードのルートは分かっているのでその中でもより見やすいと言われているポイントに向かって歩いていく。
 所々にキャラクターの着ぐるみやキャラクターに扮したキャストが現れては来園者と写真撮影を行ったりノベルティを配布していたりする。
「……あ! バギーラガール!」
 突然、雪啼が通路の一角を指差して叫ぶ。
 そこには蜘蛛の巣を模したコスチュームを身に纏った女性が来園者に向けてストリングスプレー蜘蛛の糸を吹き付けている。
 空を見上げればいつでも見ることができるアカシアこの惑星を取り巻く微惑星帯、バギーラ・リングの名の由来はアカシアの木の芽を主食とする蜘蛛がバギーラと呼ばれているところにある。そのバギーラ・リングから離れアカシアに落下した微小な隕石のエネルギーを受けた蜘蛛がとある女性に噛みついたというエピソードから始まる映画『バギーラガール』はIoLの中でもかなり人気のあるヒロイックコミックで、これまた映画シリーズにもなっている。
 辰弥はこの手の映画にはそれほど詳しくなかったが日翔が『バギーラガール』をはじめとするヒーローものアクション映画が好きで、大画面で見たいと時々サブスクリプションの動画サービスをTVで見ているため雪啼もそれなりに詳しくなったらしい。
 そんなバギーラガールが周りに飛ばしているストリングスプレーに興味を持ったのだろう、雪啼が突然辰弥の手を振り解いて走り出した。
「あ、雪啼!」
 咄嗟に辰弥が叫び、手を伸ばす。
 だがその手は空を切り、雪啼はそのままバギーラガールに向けて駆け出す。
 そのタイミングでバギーラガールも次の場所に移動し始めていた。
 まずい、と辰弥が走り出す。
 いくら雪啼が素早くとも子供である。辰弥が追いかければ振り切ることはできない。
 だが、走り出した辰弥の足が止まる。
「く――」
 唐突に自分を襲った眩暈に、辰弥がよろめく。
(このタイミングで貧血!?!?
 心当たりはある。あのチンピラとの戦闘だ。
 あれで予定外の血が流れた。
 霞む視界から雪啼の姿が消えていく。
「雪啼!」
 もう一度叫び、辰弥が貧血を吹き飛ばすかのように首を振り、一歩踏み出す。
 眩暈は一過性のもので、すぐに視界がクリアに戻る。
 しかし、その頃にはすでに雪啼の姿はどこにもなく、パレードを見るために集まった来園者を整理するためのキャストがロープを手にルートを作り始めていた。
「……雪啼……」
 はぐれた、と認識するのにそう時間はかからなかった。
 まずい、探さないと、と辰弥がGNSのアプリから位置情報を呼び出す。
 万一はぐれた時のためにGPS発信機は雪啼に持たせていたため場所はすぐに特定できた。
 ところが、間の悪いことに目の前はパレードのためのルートが作られてしまい、最短距離で追いかけることができない。
 迂回して探さないと、と辰弥はマップと周りを見てルートを算出した。
 雪啼の移動ルートを考えれば、あの通路を通れば追いつける、そう自分に言い聞かせ走り出す。
 人通りのあまりない通路を駆け抜け、雪啼の姿を探す。
 ……と、唐突に辰弥はなんとも言えない衝動に襲われた。
 それは欲情するような感覚にも、耐え難い空腹にも近く、何かを身体が求めているのだとすぐに気づく。
 ――今は、それどころじゃない!
 この衝動は初めてではない
 何度も経験しているが、ここ暫くは落ち着いていると思っていた。
 それなのに、どうして突然。
 そより、と空気が流れる。
 その空気が澱み、ある種の生臭さを孕んでいることに気づく。
 ――血の匂い?
 嗅ぎ慣れた匂いだから分かる。これは、血の匂いだ。
 まさか、この匂いに当てられたというのか。
 いや、それ以前にこんな場所で血の匂いなど、するはずがない。
 気のせいだ、「この衝動」に襲われたから血の匂いがすると錯覚しているだけだ。こんなところに血を流した死体などあるわけがない
 周りを見ても、あるのはゴミ箱だけで死体など影も形もない。
 とにかく、雪啼を見つけないと、と辰弥は自分を叱咤し通路を抜けようとした。
 その瞬間、背筋をぞっとするような感覚が走り抜ける。
 殺気だ、と認識する前に辰弥は振り返り、背後を見る。
 日翔に隠して持ってきたバタフライナイフはあのチンピラとのやり取りで手放してしまい、今は完全な丸腰。
 先手を取って一気に肉薄し、主導権イニシアチブを取るしかない。
 殺気が飛んできた方向の物陰、人の気配がするその場所に駆け出し、遮蔽物を軽業で乗り越える。
 が、そこにいたのは先程戦ったチンピラではなく、それ以上の戦闘員でさえなく、見覚えのある白い髪の少女だった。
「……雪啼」
「わ、パパ」
 ほっとしたように、辰弥が全身の力を抜く。
 そこにいたのは雪啼だった。
 キャスターウッズの着ぐるみからもらったぬいぐるみを手に、辰弥を見ている。
 一瞬、辰弥の心臓が高鳴り、先程から感じている衝動が一際強く全身を駆け巡るがそれを振り切り、彼は雪啼に駆け寄った。
 雪啼の方は、驚きの表情よりも残念そうな表情が勝って見えるのは、何か驚かすつもりだったのだろうか。
 そうするとさっきの殺気は何かの勘違いか? 勘が鈍ったかな、と首を傾げる辰弥。しかしそれ以上に思考が発展するより早く。
「パパ!」
 雪啼が辰弥に飛びつく。
 その瞬間、ふわりと嗅ぎ慣れた匂いを感じた気がしたが辰弥はそれよりも雪啼を見つけたことに安堵してすぐに忘れてしまう。
 軽く雪啼の全身を見て怪我などがないことを確認し、辰弥は深く息をついた。
「雪啼、急に走ったらダメじゃないか」
 探したんだから、と咎めると雪啼は「んー?」と首を傾げた。
「でも、パパもせつなもここにいるよ?」
「それはそうだけど……」
 それでも何かあった場合、本当の家族が見つかった時に申し訳が立たない。
「勝手に手を離して走っちゃダメ、いい?」
「走っちゃダメ」
 雪啼がそう繰り返し、辰弥が小さく頷く。
「怖い人に連れて行かれるかもしれないからね、勝手にどこか行っちゃダメだよ」
「……うん」
 雪啼も反省したのか、少しだけしゅん、としている。
「よし、じゃあ約束だよ」
「うん、かってに走らない」
 偉いね、と雪啼の頭を撫で、辰弥は彼女の手を握った。
「じゃ、時間あるからもうちょっと遊ぼう」
 気を取り直して辰弥がそう言うと、雪啼も嬉しそうに大きく頷いて彼の手をぎゅっと握……。
「あ、なんかナイフ投げしてる」
 ることなく、どこかに歩き出した。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 再び電車を乗り継ぎ、地元に戻ってくる。
 絶対にはぐれさせない、と雪啼の手をしっかり握った辰弥が商店街を歩いていると。
「あ、パパあきと!」
 突然雪啼が声を上げて商店街の一角を指差す。
 日翔が? と辰弥が雪啼の指の先を見ると、確かにそこに日翔がいた。
「……八谷?」
 日翔は一人ではなかった。
 彼の目の前に一人の女性――渚がいる。
 二人は親しげに会話をしているようだったが、日翔の手には見覚えのある紙袋が握られている。
 あの紙袋、処方薬の袋じゃん、と辰弥はすぐに気がついた。
 自分も渚から鉄分サプリメント鉄剤を処方されているから分かる。
 だが、日翔が手にしている袋は辰弥が渚から受け取っている袋より遥かに大きく、薬の処方量がかなり多いことを示している。
(……なんであんなに。栄養補助食品サプリメントの類でもなさそうだし)
 そう思いながら観察していると二人は話が終わったのか互いに手を振り、それぞれの方向に歩いていく。
 追いかけるか、と辰弥は迷った。
 どういうことかと問いただしたい。だが、今ここには雪啼がいる。
 雪啼は一日遊んだことで疲れているのか少しぐずりそうな様子を見せており、このまま連れ回すのは得策ではない。
 仕方ない、一回帰るかと辰弥は雪啼の手を引き、自宅に向かって歩き出した。

 

 辰弥と雪啼が帰宅した時、日翔はまだ帰宅していなかった。
 雪啼が眠たそうにしていたため寝かしつけ、寝息を確認してから冷蔵庫のホワイトボードに「買い出しに行くから雪啼をよろしく」と書き置きを残す。
 外に出て、辰弥は一瞬「なんでこんなことを」と考えた。
 日翔が渚から大量の薬を受け取っているからといって自分に何か影響はあるのか? 自分に何か不具合はあるのか?
 そんなものは存在しない。自分は自分、日翔は日翔である。
 だがそれでも気になってしまうのは何故だろうか。
 基本的に辰弥は他人の人生には不干渉である。
 それは自分の人生、どのようなものであったか分からずとも踏み込まれたくないという理由からである。
 他人の人生に踏み込むということは同時に自分の人生に踏み込まれる覚悟をしなければいけないのに何故か日翔のことが気になる。
 日翔は何かしらの病気を抱えているというのか。それともあの馬鹿力を維持するために医師が処方しなければいけないほどのサプリメントが必要だというのか。
 辰弥の足は自然と渚が経営する診療所に向かっていた。
 診療時間外ではあったが玄関は開いており、そのまま中に入る。
「あらー鎖神くん、どうしたの?」
 辰弥が診察室に入ると、渚がビーカーに入れたコーヒーを手に笑んでみせた。
 相変わらず、コーヒーはビーカーで飲むのかと思いつつも、辰弥は無言で患者用の椅子に座る。
「どうしたの? お腹壊した?」
「……いや、」
 歯切れ悪く、辰弥が呟く。
「……さっき、あんたが日翔と一緒にいるのを見た」
 辰弥がそう言った瞬間、渚の顔から笑みが消える。
 真顔に戻った渚がビーカーをデスクに置く。
「あら、見てたのね」
 うん、と辰弥が頷く。
「……日翔、薬の袋を持ってたけど、何か飲んでるの?」
 ええ、と渚が頷いた。
「そりゃあ処方された薬があれば飲むでしょ」
「なんの薬?」
 思わず、辰弥はそう尋ねていた。
 日翔は何らかの薬を処方されている、それだけで十分のはずだ。
 だが、それでも辰弥は尋ねていた。
 ちくり、と彼の胸の奥が痛む。
 嫌な予感が彼を支配する。
 辰弥の質問に、渚は首を横に振った。
「それは答えられないわ。守秘義務があるもの」
 想定できた答え。
 医者が家族以外に、いや、家族であったとしても患者のことをペラペラ話すはずがない。
 どうして渚が答えてくれると思ったのだ、と辰弥は自分を恨んだ。
 聞くなら日翔本人にだろう、と。
 ――いや、日翔も答えない。
 日翔に秘密の一つや二つあることくらい分かっている。
 いくら辰弥が家族同然の付き合いであったとしても言いたくないことは言わないだろう。
 だから、もしかすると渚が教えてくれるのではと期待したのではなかったのか。
「……俺だって、知る権利くらいある」
「ないわよ」
 渚が即答する。
「勘違いしないで。わたしと鎖神くんの関係でも、日翔くんの個人情報は教えられない。それに――」
 そこまで言ってから、渚が組んでいた脚を組み直す。
「わたしは鎖神くんのことを二人には伝えていない。それと同じことよ。日翔くんのことを鎖神くんに伝えることはできない。どうしても知りたいというのなら、日翔くん本人の口から聞きなさい」
「厳しいな」
 辰弥が思わずそうこぼすと、渚は「そりゃそうでしょう」と答える。
「個人情報保護法なめちゃダメよ。それにアライアンスは特に個人情報にはうるさいわよ、メンバーのことをペラペラ喋れるわけないじゃない」
 それはそうだ、と辰弥も同意した。
 アライアンスのメンバーはそれぞれにそれぞれの秘密がある。それを垂れ流しにして幸せになる人間がいるはずがない。
 ごめん、と辰弥は謝罪した。
「いいのよ。そりゃ見た目あんな日翔くんが薬処方されてるとか知ったら気にならない方がおかしいもの。でもごめんね、わたしの口からは言えない」
「……そうだよね。でも、これだけも聞いちゃダメかな……。日翔は病気なの?」
 せめて、これだけでも情報が欲しいとばかりに辰弥が尋ねる。
 だが、その質問に対しても渚は、
「それも日翔くん本人に聞きなさい」
 と突っぱねた。
「……分かった、日翔に聞く」
 そう言い、辰弥は立ち上がり、診療所を後にした。

 

「日翔、話がある」
 夕食後、雪啼が「一人で遊ぶ」と自室に戻ったことで辰弥はチャンスとばかりに日翔に声をかけた。
「ん? どうしたんだ?」
 改まった様子の辰弥に、日翔が首を傾げながら辰弥の向かいに座る。
「……日翔、俺に隠してることない?」
 ほぼ、単刀直入の質問。
 日翔は「あちゃー」と言いたげな顔で辰弥を見た。
「そりゃー隠し事してないと言えば嘘になるが」
「何隠してんの」
 辰弥の質問に、日翔は「こいつ、マジだ」と震え上がった。
 この質問の方法だと、辰弥がどの秘密について把握しているかが把握できない。
 下手に白状すれば「そんなことまで隠してたの?」と詰められることは必至である。
 こいつ、尋問もうまいもんなあと思いつつ日翔は何を話すべきかと考え始めた。
 無難なところで逃げるか、だが別の案件だった場合追及は激しくなる。
 そう、考え込んでいると辰弥が小さくため息をついた。
「そんなにも隠してるの? ちなみにベッド下のエロ本については秘密とか言わないでほしい」
「うへぇ」
 ――それ、バレてんですか。
 いやまぁそこまで隠すほどのものじゃないとは思ってたがと思いつつも日翔は暫く考え、それから両手を上げた。
「すまん、俺も言えることと言えないことがある。具体的に何について聞きたいか聞いてくれた方がありがたい」
「……」
 日翔の発言に辰弥の眉が寄る。
 言うべきか言わざるべきか、そう考えているだろう辰弥に日翔はどんな爆弾が投下されるのかと固唾を飲んで見守る。
「……さっき、君が八谷と喋ってるのを見た」
「うげぇ」
 あれ、見られてたの? と日翔が呟く。
 が、すぐに気を取り直して小さく頷く。
「ああ、買い出ししてたらばったりと」
「嘘つかないで」
 即座に釘を刺され、日翔が内心悲鳴を上げる。
 ――やばい、これは状況次第では殺される。
 というよりも、とうとう話す時が来たのか、と覚悟を決める。
「八谷から大量に薬を処方されてるみたいだけど、」
「……あ、ああ」
 これは素直に頷くしかない。
 日翔が頷くと、辰弥は少しだけ沈黙し、それから再び口を開く。
「単刀直入に聞くよ。日翔、病気なの? それも大量の薬が必要なほどの難病」
「……」
 単刀直入にも程があるぞと日翔は心の中で両手を上げた。
 覚悟を決めたつもりだが、こうもズバリと言われると決心が揺らぐ。
 だが、だからといって病気じゃないと嘘をつくこともできず、全てを話すしかないと改めて自分に気合を入れる。
 辰弥に打ち明けなければ、そう口を開きかけるものの、日翔はどう切り出していいか分からず何度も口をパクパクさせた。
 そのまま、沈黙が二人の間を満たす。
 辰弥も催促することなく、日翔が話し出すのを待っていた。
 その途中で一度席を立ち、ココアを淹れる。
 そのココアを一口飲み、日翔は大きく息を吐き、それから思い切ったように口を開いた。
「お前の推測通りだ。国の指定難病に指定されているやつだ」
「……」
 日翔の言葉に、辰弥が一瞬天井に視線を投げ、それから息を吐く。
 ――否定して欲しかった。
 いや、病気であることは認めてもらいたかったが、国の指定難病までは聞きたくなかった。
 ただ、一過性のもので、治療すればすぐに治ると聞きたかった。
 だがここまで聞いた以上、より詳しく聞く必要がある。
「国の指定難病って……何なの」
 指定難病にも複数の種類がある。
 日常生活を送ることができているからそこまで厄介なものではないだろう、そんな淡い期待を寄せつつも辰弥はそう尋ねた。
筋萎縮性側索硬化症ALSだ」
「……え、」
 辰弥が絶句する。
 嘘だ、という言葉が脳内を駆け回る。
 そんなはずがない。
 ALSは運動ニューロンが障害を受け、筋肉に信号が伝達しない、つまり体を思うように動かせなくなる病気である。
 いくらその診断を受けていたとしても、診断を受けるころにはある程度症状が進んでいるわけで、健常者と同じように活動ができるはずがない。
 今の日翔は、人並みどころか人並み以上の動き、常人にない怪力で「仕事」をこなしている。
 そんな彼がALSであるはずがない。
 確かに、昔に比べて症状の進行を遅らせる薬は次々開発されており昔は診断を受けてからの生存は二~五年と言われていたが今では十年近く生きることができると言われている。
 それでも完治は見込めず、生存するためには全身を義体化するしか方法はない。
 ということは日翔は義体? と辰弥は一瞬考えたがすぐに否定する。
 そもそも義体化していたのなら服薬の必要はなく、通信もCCTではなくGNSを使っているはずである。
 そう考えると日翔は本人の申告通り生身。
 今の動きを考えると、診断はごく最近ということか。
「……いつ発症したの」
 そう、尋ねる辰弥の声がわずかに震えている。
「あー……俺が十五の時だからもう六年前か」
「……嘘……だよねそれ」
 思わず辰弥がそう呟く。
 日翔の言葉が信じられない。
 発症から六年だと、服薬していたとしてもかなり進行しているはずである。
 人工呼吸器が必要になるレベルではないにせよ、日常生活にかなりの支障が出るはずだが。
「……なんで、普通に生活できるの」
「いやー……最近結構辛いぞ?」
 日翔の言葉に先日のダウナーだと言っていた彼を思い出す。
 あれは気分が落ち込んでいたというのではなくて、症状が進行したが故の不調だったのか。
 それでも、普段の生活と馬鹿力だけはどうしても説明がつかない。
 どういうこと、と辰弥はさらに追及した。
「本当のことを教えて。百歩譲ってALSが本当だとしても、どうして普通に生活できてるの」
「……」
 そこで、日翔が沈黙した。
 言わなければいけない、だがどう説明すればいい、と迷っているのが辰弥にも感じ取ることができた。
 暫く沈黙していた日翔が息を吐く。
「……俺な、強化内骨格インナースケルトン導入者なんだ」
「な、」
 今度は辰弥が沈黙する。
 インナースケルトンは聞いたことがある。
 初期の義体が開発された頃と同時期に使用されていた、体外に装着する強化外骨格ではなく体内に埋め込むタイプのスケルトンが存在した、と。
 ただし、インナースケルトンは現在一般的に使用されていない。いや、規制されてかなりの期間が経過している。それも数年という単位ではない。
 だが、同時に納得もする。
 インナースケルトンは強化外骨格スケルトンと同様、出力を調整すればかなりの怪力を発揮することができる。しかも見た目は生身と変わらない。
 今までの日翔の怪力は全てインナースケルトンによるものだったのだ、と辰弥は理解した。
 元々はALSの進行を服薬で抑えつつ運動ニューロンの障害をインナースケルトンで補助し健常者と変わらない動きができるようにしていた、というところだろう。
 だが疑問も残る。
 インナースケルトンは何十年も前、日翔がALSを発症するよりもかなり前、それどころか生まれる前に規制されている。
 その理由が血液やリンパ、果ては免疫細胞の攻撃により体内に埋め込んだスケルトンを構築する金属が溶け出し重篤な健康被害を引き起こすからである。
 見た目は生身のままで普通に生活できる補助装具として注目されていたインナースケルトンだったがこの問題により規制された。また、その頃にはGNS制御の新型義体も流通を始めており、インナースケルトンの需要は無くなっていたはずだ。
 それなのに、日翔は規制されているインナースケルトンを導入しているという。
「……義体化すれば何も問題はないはずなのに、って思ってるだろ」
 沈黙してしまった辰弥に、日翔が自嘲気味に笑いながら呟く。
「それは、まあ」
 どうせ義体にできなかった理由があるんだろう、と思いつつも辰弥が頷くと。
天辻家うち、反ホワイトブラッド派なんだ」
 なるほど、と辰弥が頷く。
 生身を捨てて義体に置き換えると、全身の血液は人工循環液ホワイトブラッドに置き換わる。
 一部の人間はこのホワイトブラッドが許容できずにいかなる理由があっても義体化しない反ホワイトブラッド派となっている。
 日翔の家も、そうだったというのか。
 そして、反ホワイトブラッドゆえにALS克服のための義体化を行うことができず、規制されているインナースケルトンを密かに導入したのか。
 規制されているとはいえ、インナースケルトンは外見を変えずに自身を強化することができるという利点がある。
 また、インナースケルトンは義体扱いにならないため、義体お断りの施設にも出入りできるという次第である。
 そのため、インナースケルトンは闇市場で密かに出回り、専用の技師も裏社会の人間として存在する。
「……君の親、案外キナ臭いことやったんだね」
「そうだな」
 日翔が素直に認める。
「まぁ、その結果闇金に多額の借金して、返済できずに西京湾せいきょうわんに沈められたがな」
「……え」
 そうだ。
 いくら日翔が裏社会の人間によってインナースケルトンを導入したとしても裏社会で生きる理由にはならない。
 本来ならインナースケルトンを導入しただけの一般人として生きていたはずなのになぜ暗殺者になったかと聞く前に答えが返ってきた。
「親が借金返せずに西京湾に沈められて、俺も借金のカタとして炭鉱にでも売られるはずだったんだがな。それは嫌だと闇金を仕切っていた山手組の連中をぶち殺して逃げた結果がこれだ」
「山手組って、」
 山手組は上町府のアライアンスと深く結びついている。
 ということは山手組は分かっていて日翔を野放しにしているということなのか。
「ああ、もちろん山手組も身内を殺されたんだ、アライアンスに俺を消すよう依頼してな」
「じゃあどうして生きてんの」
 身内を殺された山手組がアライアンスに日翔の殺害を依頼したのなら、今ここで彼が生きている理由が分からない。
 いや、薄々予想はできるが確証が持てない、と辰弥は思った。
 山手組にもアライアンスにとっても日翔の存在が有用だと証明されたからだろうが、その結論に至った理由を知りたい。
 それな、と日翔が答える。
宇都宮うつのみやに拾われたよ。っていうか、山手組から依頼を受けたのが宇都宮で、俺はあいつに追い詰められた。だが、あいつは俺を殺すより生かした方が山手組にもアライアンスにもメリットがあると言ってな」
「……インナースケルトン」
 そうだ、と日翔が頷く。
「インナースケルトンは義体チェックに引っかからない。それを利用すれば義体では侵入できない施設に入れるしインナースケルトンの出力が義体並みだから素手でも暗殺できる」
「なるほど」
「だから、宇都宮は山手組とアライアンスと交渉した。俺の借金をアライアンスが立て替えて、俺は暗殺の報酬から天引きでアライアンスに立て替えてもらった分を返済する。まぁ宇都宮に追い詰められてた俺に拒否権はなかったがな」
 だから普段から「金がない」とぼやいていたのか、と辰弥はようやく理解した。
 多額の借金を肩代わりしてもらっているのならその返済も毎回かなりの金額になるだろう。それもギリギリ日常生活が送れる程度の報酬だけ受け取っての天引き。
「全然お金使ってるように見えないのにしょっちゅう金貸してくれ、だもんね。納得したよ」
 「グリム・リーパー」の面々が勤める「白雪姫スノウホワイト」もアライアンスが用意した隠れ蓑だからその給料も天引き、もしくはこちらが生活費で報酬は全額返済なのか、と考えつつ、辰弥はふと自分の貯金を考えた。
 辰弥は辰弥で渚から輸血パック等を融通してもらっているものの貯金がないわけではない。かといって大きな買い物をすることもほとんどなく、それなりの金額は口座にあるだろう。
「……日翔、もしよければ……」
「皆まで言うな」
 おずおずと口を開いた辰弥を日翔が制止する。
「お前の貯金なんていらねーよ。お前はお前で必要な時あるだろ、その時まで取っとけ」
 先回りされた。
 日翔としては金銭関係の話が出た時点で想定されたことだったのだろう、何の躊躇いもなく拒否をした。
 いや、日翔としても少しは揺らいだのだ。
 辰弥の性格なら「俺の貯金を返済の足しにして」と言うことくらい想像がつく。
 他人の人生には興味ありません、俺は俺で生きていきますを地で行っているような辰弥だが、それでも困っている人間に手を差し伸べることがある。
 それは気まぐれのようでそうではなく、純粋な相手に対する同情で行動している。
 雪啼を拾った時もそうだ。
 どこかで、同情してしまったのだと日翔は勘づいていた。
 今回も貯金の話を切り出そうとしたのはALS患者という日翔の境遇に同情したからだろう。
 だから、日翔は拒否した。
 同情されたくないからではない。同情したいなら勝手にしろ、が彼の考えである。
 ただ、辰弥の善意に甘えたくなかっただけだ。
 辰弥を居候させていることを理由に受け取ることもできる。だが、それは日翔自身の心が許さない。
 暗殺者という裏社会の人間ではあったが、人間としての誇りは捨てていない。他者を利用するほど狡い人間でもない。
 それにこの借金は自分の病気が招いたこと、自分で終わらせなければいけない。
「……返済できるの?」
 残された時間がどれだけあるかは分からない。
 その時間で返済できるのかと辰弥は尋ねた。
「……返せんじゃね? あと少しだし」
「だったら尚更俺の貯金使って返済終わらせて君は自由になったほうがいい」
 自由だと? と日翔が聞き返す。
 辰弥が小さく頷く。
「君は、裏社会この世界にいていい人間じゃない。表の世界に戻るべきだ」
 その、辰弥の言い分に思わず言葉に詰まる。
 大抵の発言には反論する心算こころづもりはできていたが、まさかそんなことを言われるとは。
「君のことをどれだけ理解したかは分からない。だけど、やっぱり思うんだ。君はこっちにいてはいけないって」
「辰弥……」
 辰弥なりの考え、いや、配慮なのだろう。
 最期くらいは自由に迎えてもらいたいという。
 そう考えてから、日翔はくすり、と笑った。
「バカ言うな、別に嫌々『グリム・リーパー』やってねえよ」
「でも」
「辰弥、」
 真顔に戻り、日翔が辰弥の目を見る。
「これは俺が決めたことだ。誰にも強制されたわけじゃない。拒否権はなかったが、だからといって無理強いされてるわけじゃない」
「それは強制されてるってことじゃない」
 辰弥の言葉に、日翔はいや、と強く否定する。
「嫌だったらとうの昔に死んでるよ。嫌じゃなかったから、今こうやって生きてる」
 インナースケルトンを導入した時に出力調整されてなくて馬鹿力が身に付いてしまった。それが理由で山手組の身内を殺害してしまったが故のアライアンス入りであったが、日翔に後悔はなかった。
 それに、と日翔は屈託のない笑顔を辰弥に向けた。
「俺は、自分の選択が間違ってたとは思ってない。それに、この選択をしたから今お前と話ができている」
「日翔……」
 悲痛な面持ちで、辰弥は日翔を見た。
 どうしてそこで笑える、と尋ねようとして、口を閉ざす。
「ちなみに、薬の内訳はALSの進行を遅らせるやつだけじゃなくて鎮痛剤と抗金属汚染剤だな。成長期の途中にインナースケルトン導入したから今の体格にちょっと合ってなくて痛むのと、インナースケルトンの金属汚染を遅らせるためのやつだ」
 そう言ってから、日翔は立ち上がって空になったマグカップに水を入れて戻ってくる。
「鏡介は、知ってるの?」
 ふと、気になって辰弥が尋ねた。
 ああ、と日翔が頷く。
「だってあいつ、俺より前に宇都宮と組んでるんだぞ? 宇都宮が俺を追い詰められたのも鏡介の援護あってこそだ」
 そう、と辰弥が呟く。
「うーん、これで俺が言えることは全部言ったと思うぜ」
 そう言ってから、日翔はおもむろに上着を脱いだ。
 下にTシャツは着込んでいたものの、今まで決して脱ごうとしなかった長袖を脱いだことによってその腕が露わになる。
「というわけでこんな感じなんだよな」
 日翔の腕に刻まれた複数の縫合痕。
「見てて気持ちのいいものじゃないから普段は長袖で通してたんだが」
 あ、もちろん脚とかもこんな感じだぞ、と日翔が続ける。
「君としてはこのままでいいの?」
 突然の辰弥の質問。
 質問の意図が読めずに日翔が首を傾げる。
「このままでいいってどういうことだよ」
「ALSは義体化しない限り治療方法がないし、インナースケルトンの金属汚染だってひどくなる一方だよね。今この瞬間も進行しているって考えたら日翔は……そんなに長く生きられない。それなのにこんな生活でいいの?」
 辰弥の問いかけに、日翔は「痛いところを突いてくるなあ」と呟いた。
 もちろん、自分の余命くらい把握している。分かっていて、今の生活を続けている。
 両親が、いや、自分も反ホワイトブラッドである以上義体化は考えていない。
 「その時」が来たら受け入れるだけだ、とここ数年で覚悟を決めていた。
 それでも。
「……お前がどこの誰か、はっきりするまでは死にたくないな」
 思わず、そう呟いていた。
「どういうこと」
 どうしてそこで俺のことになるの、と辰弥が尋ねる。
「そりゃあ、一応は俺、お前の保護者だし。俺が先に死んだらお前路頭に迷うだろ」
「……」
 別に、そこまで心配されるほどのことじゃない、と辰弥が心の中で呟く。
 それよりも自分のことを考えろよ、と本気で思う。
「……やっぱり、君は暗殺者向き、じゃない」
「そうか? 案外気に入ってるぞこの生活」
 両親が借金を返済できていれば日翔は裏社会この世界に身を置くことはなかった。そして、日翔はこんな世界にいていい人間ではない。
 もっと、普通に生きて、人を殺す感覚も、銃を撃つ技術も覚えずに生きて欲しかった。
 何故か、辰弥はそう思った。
 自分とは違う、日翔はこの世界に来るべきではなかった、と。
 どうして日翔がALSを患ってしまったのか、とさえ思う。
 病気のことさえなければ、日翔は何も知らずに生きていけたのに。
 そう考える辰弥を、日翔は優しい目で眺め、それから手を伸ばした。
 辰弥の頭に手を置き、ポンポンと軽く叩く。
「バカだな、お前」
「何を」
 子供扱いしないで、俺の方が年上なんだから、と辰弥が抗議する。
「なんだよ見た目は俺より年下じゃねーか。っていうか、お前、別に俺の病気のこと背負う必要ないんだぞ? お前はお前で背負うモンあるだろうに」
「日翔……」
 そう、日翔の名を呼ぶ辰弥がほんの少しだけ涙目になっているような気がして日翔はふっと笑った。
「そんな、今日明日に死ぬってわけじゃないからそんなお通夜モードに入るなよ。流石に余命は答えたくないから絶対に言わないがその時が来たらその時は笑って見送ってくれ」
「無茶言わないで」
 辰弥に即答され、日翔は再び笑って辰弥の頭をポンポンと叩く。
「だから子供扱いしないでって」
「ありがとな、辰弥」
 ――だが、お前はお前で好きに生きろよ。
 こんな病人の業を背負う必要はないと。
 それが辰弥に通じたかどうかは分からない。
 それでも、辰弥も気持ちを切り替えたらしい。
 少しだけ目を閉じて何かを考え、改めて日翔を見る。
「そういえば、ESOのチケットが当たったのって、ほんと?」
 ぎく、と日翔が肩をすくめる。
 それを答えと判断し、辰弥はため息を吐いた。
「日翔の話を聞いてたらさ、なんかESOのチケットの件がよくできすぎた話に思えてきて。そしたら本当に偽装だったなんて」
「……すまん」
 日翔が素直に謝る。
「だが、こうでもしないとお前に黙ったまま山手組周りや診察とか無理だと思ったからな」
「四年も隠し通せてたのに何で急に」
 ここまで隠し通せてきたのなら今回も隠し通せたはずだ。
 それなのになぜ今回に限ってESOのチケット当選を偽装したのか。
 それは、と日翔が答える。
「雪啼がうちにきてから、気付かれずに診察を受けるタイミングがなくてな」
「なるほど」
 確かに雪啼を保護してから家には常に誰かがいるし下手に出かけることもできない。
 そのため、敢えて二人ともが出かける口実を作って追い出したということか。
「ま、仕方ないか。俺が日翔の立場でもそうするよ」
「すまん」
 再び日翔が謝り、口を開く。
「だがお前に知られたんだ、もう隠す必要もないから」
「……ん」
 小さく頷き、辰弥が席を立とうとする。
 その動きに日翔が話は終わりだ、とばかりにTVの電源を入れる。
 たまたま開いたチャンネルは臨時ニュースを流していた。
《先程入ったニュースです。佐久夜区のエターナルスタジオ桜花のゴミ箱から遺体が発見されました。被害者は西映社せいえいしゃのスーツアクターとして有名な、桜井さくらい 美佳みかさん、二十六歳、桜井さんは桜花版『バギーラガール』でバギーラガールのスーツアクターを務めていた人気のアクターで、イベントのためにエターナルスタジオ桜花を訪れていたということです。なお、遺体からは血液が全て抜かれており、警察当局は最近上町府で頻発している吸血殺人事件と関連があるものとして調査を――》
「な――」
 ガタン、と辰弥が立ち上がってTVを凝視する。
 ESOは今日、雪啼と行ったばかりである。さらに、バギーラガールといえば雪啼が辰弥とはぐれるきっかけになったキャラクター。
「……まさか、雪啼、犯人とニアミスしていた……?」
 可能性はゼロではない。
 下手をすれば雪啼が被害に遭っていた可能性もある。
 自分たちに何もなくてよかった、と思うが犯人が近くにいたのかと考えると冷や汗が浮かんでくる。
 警察は何をしている、犯人を見つけられないのかと思うが普段暗殺業を生業としている辰弥たちもまた警察に拘束されたためしがないのでその程度の能力しかないのだろう。
 だが、こうも事件が頻発していてはどこでアライアンスが巻き添えを食うか分からない。
「……嫌なことになってるね」
 辰弥がそう呟くと、日翔も「そうだな」と小さく頷いた。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第4章 「おでかけ☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第4章」のあとがきを
こちらで楽しむ(有料)ことができます。

 


 

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