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Vanishing Point 第3章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 そんなある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾う。
 家族のことも何も分からないという彼女は何故か辰弥のことを「パパ」と呼び、懐いてくる
 外見の相似から血縁関係を疑われる辰弥であったが彼はそれを否定、それでも少女が彼に懐いていることから日翔あきと鏡介きょうすけを含めた三人は身元が判明するまで少女を預かることにし、「雪啼せつな」と名付けたのだった。

 

 
 

 

第3章 「Luminous Point -光点-」

 

《仕事よ》
 その言葉に、辰弥が小さくため息を吐く。
「どした?」
 オムライスを貪りながら日翔が尋ねる。
「後で話す」
 一言だけそう答え、辰弥は通話に戻った。
(ご飯時分に穏やかじゃないね。緊急?)
《ごめんね、緊急というほどではないけど急ぎらしいわ》
 茜が謝りつつもそう言ったことに、辰弥は些かの不安を覚える。
 最近の『グリム・リーパー』の稼働率は他のチームに比べてかなり高めである。それも、比較的高難易度の依頼のためメンバーの、特に辰弥の消耗が激しい。
 前回の麻薬密売メンバーの殲滅に関しても情報が筒抜けになっていたため罠が仕掛けられ、窮地は切り抜けたものの辰弥が倒れるという事態にまで陥っている。
 それを考慮すると雪啼を拾ったことも含めもう少し休養が欲しいところではあるが依頼が来た以上動かなければいけないだろう。
(来たものは仕方ないね。で、内容は?)
《詳しくはデータで確認して欲しいけど大雑把にいえばサーバ破壊よ》
 ――と、なると鏡介の出番か。
 そんなことを考えつつ、辰弥は分かった、と答えた。
 そんな彼を見上げながら雪啼が「パパ、まだー?」と声を上げる。
 それに対し「もうちょっとだけ待って」と返して頭を撫でてからデータの受信を確認する。
(後でデータ確認するよ)
《頼むわ。ところで、せっちゃんは元気?》
 唐突に茜が尋ねる。
 ん? と首を傾げつつも辰弥は「元気だけど」と返す。
《頼まれてた書類、完成したわ》
 先日、辰弥が拾った少女を「身元が判明するまで」という条件下で保護することになった『グリム・リーパー』。少女が辰弥を「パパ」と呼び懐いていることから彼が少女に「雪啼」という名前を与えていた。その際、何かあった時のため、茜に各種身分証明書の偽造を依頼していたのだが、それが完成したらしい。
 ありがとう、と辰弥が答えると、茜が「それについては」と言葉を続ける。
イヴ渚さんが届けるって言って聞かないから任せてるわ。近々、そっちに顔出すと思う》
(了解、雪啼の体調が気になるのかもね)
 現時点で目立った体調不良を見せているわけではないが渚としては医者であるが故に気になるというのか。
 いや、それとも。
 ――俺の方か。
 勘のいい彼女のことだ、前回倒れた件も含めて確認したいのかもしれない。
 通話の向こうで、茜が小さくため息を吐いたようだった。
《色々大変だと思うけど、無理しないでね》
(それはお互い様。君も府内走り回ってるって聞いてるけど)
 裏社会を一手に引き受ける暗殺連盟アライアンスのメッセンジャーの一人として活動している茜だが、情報屋としても動いている分忙しいと聞いている。
 辰弥たち『グリム・リーパー』としても彼女の情報はある意味死活問題に繋がるのでできれば倒れてもらいたくない。いくら鏡介がハッキングで情報を集めることができるとしても人の足でしか集められない重要な情報が多々あるからである。
 ありがとう、と茜が答える。
《ご飯時分にごめんね。せっちゃんによろしく伝えといて》
(雪啼も君と遊ぶのを楽しみにしているところがあるからね。でも気を付けて)
《分かってるわ、近所で殺人事件があったんでしょ? 警戒するに越したことはないわね》
 どうやら茜もあの事件を知っていたらしい。
 流石情報屋、ニュース報道よりも早く事件の情報を入手していたか。
 ただ、
《私も三件目の血を抜かれた殺人事件があったとしか知らないの。情報が少なすぎるわね》
 そう、茜は言い切った。
(三件目?)
 そういえば、前回の「仕事」の前にゲン担ぎも兼ねたニュース巡回でそのようなニュースを聞いていた記憶が蘇る。
 ちょうどその前の天空樹建設の会長を暗殺した日、同じ地区内で死体が見つかっていたが当局の発表によりその遺体からはすべての血が抜かれていたと報道されたのを皮切りに、これで三件目か。
 「仕事」の時以外は基本的にニュースの確認を行わないので二件目は把握していなかったが、これは連続殺人事件と認定していいだろう。
《とにかく、みんな気を付けて。たかが殺人犯に遅れをとるようなメンバーじゃないけど……》
 それはそうだけど、気を付けるよありがとうと言い、辰弥が通話を切る。
「お待たせ」
「パパー、おそーい!」
 何事もなかったかのようにスプーンを手に取った辰弥に、雪啼が頬を膨らませるが彼は「ごめんごめん」と謝り、再度頭を撫でる。
「んー」
 頭を撫でてくる辰弥の手にまんざらでもない、といった顔になる雪啼。
「パパ、パパのオムライスおいしい」
「それはどうも。作った甲斐があるよ」
 辰弥がそんなことを言うと雪啼がニッコリと笑ってスプーンにオムライスを乗せる。
 それを辰弥の方に向け、再びニッコリと笑う。
「パパ、あーん」
「え?」
 雪啼の顔とスプーンを見比べ、辰弥が目を丸くする。
「え、ええと……」
「あーん」
 再び、雪啼がそう言い、スプーンをさらに辰弥に近づける。
「え、あの、だから」
「あーん」
 何故か、辰弥の心臓が早鐘を打つ。
 いいのか、これを食べていいのか、とドキドキしながらちら、と日翔を見ると彼は彼でニヤニヤしながら様子を窺っている。
 ――いや流石にそれは犯罪……
 そんな考えが頭をよぎる。
 だが、せっかく雪啼が食べさせてくれるというのにそれを断るのは無粋というもの、と、辰弥は思い直し、口を開けた。
 その口に物凄い勢いでスプーンが突っ込まれる。
「うわっ!?!?
 暗殺者として培った持ち前の反射神経で仰け反る辰弥。
 そのまま椅子ごと後ろに倒れ、受け身をとって床に転がる。
「辰弥!?!?
 がたん、と立ち上がり日翔が声をかける。
「だ、大丈夫……」
 早鐘を打つ心臓を鎮めるように胸を押さえ、辰弥が身体を起こす。
「せ、雪啼……」
「んー?」
 パパ、どうしたの? と雪啼が首をかしげる。
 その顔に一瞬だけ残念そうな色が浮かんだ気がしたが、気のせいだろう。
「……雪啼」
 辰弥が無表情で雪啼に声をかける。
「あーんするときは、ゆっくり」
「ゆっくり」
 辰弥の言葉を、雪啼が繰り返す。
 そう、ゆっくり、と繰り返しながら辰弥は椅子を起こして座り直した。
 今のは危なかった。
 少しでも反応が遅れれば確実に喉どころか脳まで貫かれていただろう。
 いくら自分がいつ死んでもいいような生き方をしているとはいえ、流石にこのような死に方は嫌だった。
 ほっと胸を撫でおろす辰弥に、日翔が「なんだかんだ言ってるがこいつもまだ死にたくないってことか」などと考える。
「辰弥、大丈夫か?」
「……うん」
 スプーンを握る辰弥の手がわずかに震えているような気がするが、日翔は気付かなかったふりをして雪啼を見る。
「雪啼もまだ子供だからな。力加減分からなかったんじゃないか?」
「多分、そうだと思う」
 俺じゃなかったら死んでたかも、と呟きつつ辰弥はスプーンでオムライスをすくう。
「雪啼」
「んー?」
 雪啼を呼ぶと、こちらを見たので真剣な眼差しのまま口を開く。
「あーん」
 そう言いながら、辰弥が雪啼にスプーンを向ける。
「あーん」
 雪啼が口を開ける。
 その口に、辰弥はそっとスプーンを入れてオムライスを食べさせる。
「むぐ」
 大人用のスプーンで少し量が多かったか、雪啼が口いっぱいに入れられたオムライスをもぐもぐとする。
「あーんするときはこんな感じ、OK?」
「むぐ」
 雪啼がこくこくと頷く。
 それからオムライスを飲み込み、「わかった!」と声を上げた。
 再びスプーンにオムライスを乗せ、辰弥に向ける。
「もういっかい、あーんする」
(マジか)
 流石に二度目はないと思うが、正直なところ少し怖い。
 それでもここでリトライの機会を奪うのは雪啼のためにならないと思い、辰弥は恐る恐る口を開けた。
 今度はゆっくりと、スプーンが口の中に入れられる。
 はむ、とスプーンに乗せられたオムライスを口の中で受け取り、咀嚼する。
「パパ、おいしい?」
「うん、美味しいよ」
 ありがとう、雪啼、と辰弥が笑んでみせる。
 雪啼の顔がぱぁっと明るくなり、通話直後の少し不機嫌な状態は解消されたらしい。
 よかった、と思いつつ辰弥は今後のことを考えると雪啼のカトラリーは子供用でもただ小さいだけでなく、安全な樹脂製の物の方がいいだろうと考えた。
 二人の様子を眺めながら食事を再開していた日翔が口の中のオムライスを飲み込んでから口を開く。
「何だったんだ?」
「仕事」
 少し冷めた自分のオムライスを食べ始めながら辰弥は日翔に必要最低限の情報だけ伝える。
「詳しくは雪啼を寝かしつけてから、打ち合わせで」
「……了解」
 また仕事かー、とぼやきつつ日翔は再びオムライスを食べる手を動かしはじめた。

 

 深夜。
 辰弥が雪啼を寝かしつけ、寝息を確認してから自室に移動したのを皮切りに打ち合わせが始まる。
《今回の依頼はとある企業の社員からだ。自社の開発用サーバを破壊してほしい、とのことだ》
《は? 自社だったら自分で破壊すりゃいいだろ》
 鏡介が説明する依頼概要に対して日翔が一言ツッコミを入れるのもお約束である。
 概要を聞きながら鏡介が配布した資料に目を通した辰弥が確かに、と同意する。
(流石に解雇クビ覚悟ではやらないか。それとも近寄る権限がない?)
《その辺の事情は分からないが、依頼人クライアントが自分でどうにかできる状況じゃないようだな》
 それでもサーバの破壊とは穏やかではない、と思う辰弥。
 資料を見る限りではただ物理的に破壊するだけではなく、その前にサーバ内のデータも復元できないように破壊してほしいとのこと。
 それならいつものごとく侵入は自分と日翔の二人で行ってハードを破壊し、内部データは鏡介がネットワークから侵入して破壊すればいいか。
 そう考えた辰弥が二人に伝えると、鏡介が苦い顔をして首を振る。
《いや、今回は俺も出なければいけない》
《は? サーバのデータ消すくらい遠隔でできるだろ》
 日翔がそう反論するが、辰弥はなるほどと気が付いた。
(……ネットワーク未接続スタンドアロン?)
 辰弥がそう確認すると、鏡介が「半分正解だ」と答える。
《単純にスタンドアロンならポートに無線子機アダプタを付ければいいから俺が出る必要はないだろ。姉崎によると、ご丁寧にも電波暗室シールドルームに設置しているらしい》
 うげぇ、と声を上げたのは辰弥か日翔か。
《マジか。よっぽどデータを漏らしたくないんだな》
 開発用サーバということは余程機密度の高い何かを作っているのか、と日翔がぼやくが資料に目を通していた辰弥が「それはどうかな」と顎に手をやり、首をかしげる。
(クライアントの情報によれば「ヤバい取引記録が保管されている」みたいだけど?)
《開発もやっているがダミーとして使っているのかもしれないな。しかし、そんなものを消せば証拠隠滅になる気がするが》
 確かに、サーバを破壊することによって利を得るのはクライアントではなく企業側の気がする。
 もしかしたら、クライアントはデータ自体は既に抜き取っていてその改ざんなどを防ぐために破壊を依頼したのかもしれない、と三人はそれぞれ納得する。
 そもそもクライアントの事情など聞いてはいけない、ということがアライアンス内の鉄則である。推測することも褒められたことではないだろう。
《ま、相手さんの事情はどうでもいいが今回は鏡介も出張るってことでOKだな?》
(マジか……鏡介、戦闘能力皆無もやしじゃん)
 鏡介が出なければいけない、と認識した辰弥が思わずこぼす。
 その瞬間、鏡介が吼えた。
《誰がもやしだ!》
 辰弥の聴覚には聴覚フィルタリング音量調整が動作してそこまで大声が届いたわけではなかったが隣の部屋からわずかにCompact Communication TerminalCCTのスピーカーを通した鏡介の声が聞こえてくる。
 直後、「ひえっ」という日翔の声が届き、辰弥は何を大げさな、と考えた。
(いやもやしかどうかはともかくとして、何かあった場合鏡介戦えないし)
 姉崎からの資料を見る限り武装した巡回もいるみたいだけど? と辰弥が心配する。
《俺だって戦える》
(でも人は殺せないし)
 辰弥の言葉に、鏡介がうっ、と言葉に詰まる。
 その言葉は事実だった。
 鏡介は、相手を直接手に掛けたことはない。
 基本的な護身術は習得しているしナイフや銃器の扱いも暗殺に関わる人間として生きていく以上習得している。
 だが、その刃も銃も直接相手に向けられたことはない。
 いや、向けるまではできる。
 そこから踏み出すことができない。
 辰弥は『グリム・リーパー』に参加してからの四年間でそれを認識していた。
 いくら鏡介がハッカーであったとしても全ての依頼で在宅支援をしていたわけではない。
 今回の依頼のような形で現場に出ることもある。
 その際、目撃者を前にして鏡介は銃口を相手に向けたものの発砲することはできなかった。
 最終的に辰弥が手を下し、その場を乗り切ったので断言できる。
 「鏡介に、人は殺せない」と。
 ただ、その言葉には語弊がある。
 鏡介は「人を殺せない」わけではない。
 実際に何人もの人間を葬っている。
 ただし、それはGNSハッキングガイストハックによる遠隔での脳破壊であり、自分の手で直接相手を傷つけたものではない。
 だから鏡介が「戦える」と言ってもそれはイコール「殺せる」にはつながらない。
 もちろん、ハッカーである鏡介は辰弥や日翔が援護すれば周りの電子機器をハッキングして武器にすることはできるだろう。
 しかし援護できない場合、彼単独でその場を乗り切ることができるかどうか。
《だが、だからといってもやしは言いすぎだ》
 辛うじてそう言葉を絞り出すものの、鏡介はこれ以上反論できなかった。
 自分が窮地に陥った際、相手を殺してまで切り抜けられるのかと問われるとできると即答できる自信がない。
《まぁ、そこは見つからなかったら何とでもなるだろ》
 見かねた日翔がそう口添えするが、辰弥はただ「心配なんだよね」とぼやく。
(鏡介、潜入技術スニーキングはまぁそこそこできるから大丈夫だろうけど、万が一のことがあったら心配で)
 やっぱもやしだし、とうっかり口を滑らせる。
《……辰弥、お前は後で脳内保存領域ストレージのエロ画像放流する》
 地を這うような鏡介の低い声。
 鏡介の宣言直後にぎゃーやめてーご無体なー! という辰弥の叫びが続く。
(ごめん! さすがにもやしは言いすぎたから!)
《分かればよろしい》
 そんなやり取りに、「こいつら大丈夫か」と日翔が本気で心配したその時。
 不意に、辰弥と日翔にインターホン来訪者通知が入る。
《ん?》
(誰だろ)
 ちょっと待って、と打ち合わせを一時中断し、辰弥が応答する。
《あ、鎖神くーん。雪啼ちゃんの身分証明書持ってきたわよー》
 渚だった。
 何というタイミングだ、と思った辰弥だったが、相手がアライアンスの関係者ならグループ通話を閉じる必要もないだろう。
(八谷が来た。ちょっと出迎えてくる)
《うぇ、『イヴ』来たん!?!?
 日翔が変な声を上げるがその頃には辰弥は玄関に向かい、ドアを開けている。
「もしかして、取り込み中だった?」
 渚も電脳GNS導入済みなので辰弥の周りに現在の会話ステータスが視覚情報として表示されている。
「仕事の打ち合わせ中」
 とりあえず、入ったら? と辰弥がリビングに案内する。
「あーあー、『イヴ』が来るなんて……」
 そうぼやきながら日翔もリビングに出てくる。
「雪啼ちゃんは?」
「寝てるよ」
 雪啼用にあてがった部屋のドアを親指で差し、辰弥が答える。
「了解」
 一言、そう応えてから渚は鞄から書類の入った封筒を取り出し、辰弥に渡す。
「はい、お父さん。お仕事大変ね」
「茶化さないで」
 で、本題は? と辰弥がそっけなく言う。
 茜から聞いていたが、渚が他人の仕事を横取りするとは何か余程のことがあったに違いない。
 ただ雪啼に会いたいだけで来るような彼女ではない、と辰弥は認識していた。
「本題、ねぇ……」
 少し考えるようなそぶりを見せ、それから渚は辰弥を見た。
「打ち合わせ中って? わたしも混ぜなさい」
「「はぁ?」」
 辰弥と日翔の声が重なった。
「今回わたしが来たのは元々鎖神くんに用があったからだけど打ち合わせ中ならちょうどいいわ、日翔くんたちにも言いたいことがあるし」
 渚の言葉に、辰弥が一瞬狼狽える。
 まさか、彼女は自分身体のことを二人に打ち明ける気なのか。
 そんな辰弥の気がかりに気付くことなく、渚が「打ち合わせ再開しなさいよ」と促してくる。
 分かった、と二人はそれぞれの自室に戻らずリビングでミュートモードを解除し、渚をグループ通話に招待した。
《『イヴ』?》
 通話に割り込んだ渚に、鏡介が驚いたように声を上げる。
 それに対しては一言、「ハロー」と軽く答えた渚が真顔になる。
「二人にも見張れという意味合いで言っておくわ。鎖神くん、今回の依頼でピアノ線は使わないで」
「は?」
 渚の言葉に辰弥が声を上げる。
「なんでピアノ線使うなって」
「なんでもよ。少なくとも死にたくなければ今回はピアノ線なしで仕事しなさい」
 いつになく強い口調の渚。
 理由を言うこともなくピアノ線を禁じる彼女に、日翔が口を開く。
「いやどういうことだよ。ピアノ線って辰弥のメインウェポンだろ」
 確かにピアノ線なしでも辰弥は十分仕事をこなせるだろうが一体なぜ。
「メインウェポンだからよ。あれ、結構体力使ってない? 聞いたわよ、前回ピアノ線使って暴れて倒れたって」
 う、と辰弥が呻く。
 確かに、前回の仕事で窮地に陥ったところを切り抜けるために包囲の真っただ中に飛び込んで全方位攻撃の鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュを使用した直後に倒れている。
「え、でもあれは鏡介が辰弥経由でガイストハックやったからじゃ」
 鮮血の幻影発動直前、鏡介は辰弥のGNS経由で周囲数人のGNSをハッキングし、行動不能にしている。その時の負荷が予想を上回って辰弥は倒れた、というのが日翔と鏡介の認識だったが。
「まぁそれもあるけどピアノ線の制御って案外集中力と体力使うのよね。GNSに関してはどうせ鎖神くんと水城くんのことだから無茶するだろうし、だったらピアノ線はやめておいた方がいいかと」
「……むぅ。そこまで言うなら」
 そこまで言われてピアノ線を使うほど辰弥も馬鹿ではない。
 銃とナイフだけでもなんとかなるだろう、と判断し、しぶしぶ了承する。
《そういうことなら仕方ないな。どうせ見つからなければいいだけだ》
「だったら侵入メンバー減らすか? 鏡介は外せないし、後はサーバ破壊要員として俺が行けば問題ないだろ」
 三人でぞろぞろ行動すれば見つかるリスクも高くなるし、と日翔。
 それはそう、と辰弥も頷く。
「なんで俺を外す? と言いたいけど日翔の方が徒手空拳での攻撃力は高いからね、任せた」
 見た目はゴリゴリのマッチョではないのにずば抜けた怪力を持つ日翔。
 彼が本気を出せば薄めのコンクリートの壁くらい普通に素手で抜く。
 そんな彼が鏡介の護衛兼サーバの物理破壊役として現場に赴く方が効率はいい。
 しかしだからと言って辰弥も留守番はしたくなかった。が、他にやるべきことがあると判断し口を開く。
「今回俺は後方支援でいい? 後で確認するけど別のビルに待機して何かあったら狙撃で援護する」
《そうだな、その方が心強い》
 発見されなければ辰弥は留守番同然だが休息にもなるだろう。
 「体力を使うから」とピアノ線を禁止されたならこの配置がベストである。
 それに辰弥の狙撃の腕は信頼できる。
 本来、狙撃には観測手スポッターが側に控えて目標や周囲の気象情報等の状況把握及び護衛を行う必要があった。
 しかし、最近では狙撃観測用の軍用衛星も多数打ち上げられている。辰弥は鏡介からもらったプログラムを利用してハッキングすることでスポッターの不在を補い、あとは「憶えてないけど体が憶えてるし」とビル風等の細かい調整を行っていた。
 過去に辰弥が狙撃を行った依頼も何度かあったが、撃ち損じミスファイアは一度もない。つまり、何かあったとしても遠距離から対応してもらえる。
 決まりだな、と鏡介は頷いた。
《じゃあ、あとは見取り図の確認とその他細々したことか。ここまでで何か気になることはあるか?》
 鏡介が確認する。
「オーケー、鎖神くんが後方支援ならわたしは言うことないわ。あとは三人で話し合ってちょうだい」
 辰弥が後方支援と決まったことで安心したのだろう、渚が満足したように頷いて会話から抜ける。
 「それじゃ、わたしは帰るわ」と彼女が立ち上がり、
「それにしても寒いわね。隙間風入ってる?」
 ふと、そう呟いた。
「え?」
 渚に言われて、辰弥も初めてそより、とした空気の流れを感じる。
「窓開いてるのかな? 雪啼、寒くないかな」
 気になって立ち上がり、辰弥は雪啼の部屋に歩み寄る。
 そっとドアを開け、中を確認するが別に窓が開いている、ということもなく雪啼の寝息が聞こえてくるだけ。
「……気のせいみたい」
 ドアを閉めて振り返り、辰弥は渚にそう言った。
 とは言いつつ、先程感じた空気の流れは無くなっていることに気づく。まさか先ほどまで窓が開いていて、ドアを開ける直前に閉じられたのか?
 まさかね、と辰弥は自分の考えを否定した。先ほど見た雪啼の寝室に人影はなかった。あの部屋の窓は小さく、それこそ雪啼くらいの子供でなければ出入りすることは出来ないはず。何よりこの部屋は高層階とまではいかずとも五階に位置する。壁に張り付けるようなヒロイックコミックの主人公でもない限り出入りしたとしても地上に降りる術がない。したがって不審者が侵入してきた可能性はないだろう。
 そこまで考えて、隙間風を感じた事自体が何かの気のせいだったのだろう、と辰弥は最終的に結論付けた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 依頼の決行当日深夜。
 対象のビルに潜入するためにスタート地点に向かっている日翔と鏡介の連絡を待ちながら、辰弥は現場から約一キロメートル離れたビルの屋上ヘリポートで待機していた。
 その間、いつものゲン担ぎでニュース配信チャンネルを開く。
《――先日発見された変死体についての続報が入ってきました。当局の発表によると、この遺体も血液が全て抜かれていたとのことで、連続殺人事件として――》
 ――またか。
 茜の話が本当ならこれで四件目。
 気になって鏡介にも情報収集をしてもらったところ、一件目は報道では言及されていなかったが先日辰弥が斥候ポイントマンを務め日翔が暗殺を実行した天空樹建設の会長殺害の際に排除した巡回の警備員だった。
 彼を殺害したのは確かに辰弥である。だが、血を抜くという行為には及んでいない。
 実はあの現場に他に侵入者がいて、遺体から血を抜いたというのだろうか。
 二件目はその数日後、一件目とは別の地区で浮浪者が被害に遭ったという。
 これに関しては被害者は何故か全裸になっており、一件目と三件目との関連性は疑問視されている。
 三件目は辰弥の家の近所で起きた事件。この事件のことを茜から聞いたことで辰弥は三件目ということを知り、連続殺人事件なのか模倣犯なのかたまたま同じような猟奇殺人が行われただけなのか気になり鏡介に調査を依頼した次第だった。
 そして今回の報道で四件目と確定した一連の事件。
 四件目の初報は今回の依頼に関しての打ち合わせの翌日だった。
 辰弥の家の近所というほど近くではないがそれでも歩いて行けるくらいの場所で被害者は発生している。
 最初、ニュースではただ変死体が発見されたと報道されただけだったが流石に血液を抜くという異常な行為に最近はマスメディアも連続殺人事件のニュースとして取り扱うことにしたようだ。
(嫌な予感がするな)
 夜風に前髪を揺らしながら辰弥は目標のビルの方向に視線を投げ、それから足元のハードケースを開ける。
 そこに入っていたのは輸送のために分解されたスナイパーライフルT200 Arbitration
 ケースから取り出し、慣れた手つきで組み立て、スコープのカバーを開ける。
 銃身をチェックして問題がないことを確認し辰弥は改めてスコープ越しに対象のビルを見た。
 窓ガラスは防弾ガラスでもない限り普通に破れるだろう。
 位置取りの都合もあり、何かあった際は極力窓側に誘導しろと打ち合わせてある。
 鏡介によって機密度の高い軍事衛星の類まで追跡可能なレベルに改造された人工衛星追跡アプリを起動、現時点で目標の観測に最適な狙撃用観測衛星をサーチする。
(……ここからだとIoLイオルDead-Hawk EyeDHEか……)
 いつでもハッキングして利用可能となるように準備だけ行い、配置に付く。
 そのタイミングで、
辰弥Bloody Blue、配置に付いた》
 鏡介から通信が入った。
(了解)
 辰弥の視界の、邪魔にならない部分にビルの見取り図が表示され、日翔と鏡介の現在地が光点として表示される。
(GPSの感度良好。観測衛星DHEのハッキング準備もできてる)
 そう報告すると、鏡介から「大丈夫だ」と返事が来た。
《侵入は任せろ。日翔Gene、援護頼むぞ》
《そりゃ勿論》
 鏡介の護身術程度の実力では万一発見された場合、足手まといとなる。
 発見されないに越したことはないが排除した巡回が発見された、またはサーバーの破壊が察知された等で侵入が発覚すれば不利になるのは日翔たちの方である。
 いくら辰弥が狙撃で援護するといっても限度がある。
 今回はかなり危険な仕事になるな、と辰弥は小さくため息を吐いた。
 やはり俺も行くべきだったか? と考えるものの渚にピアノ線を禁止された以上万一囲まれても鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュで一掃ができず、逆に大人数での侵入で察知される危険性が高まるだけだろう。
 これが最適解であるとは理解しているが、それでも胸を締め付ける不安は一体何だろうか。
 いや、こんな不安に負けていては何かあった時に致命的なミスを犯す。
 いつでも狙撃の態勢に入れるようにT200を抱え、辰弥はヘリポートの縁に腰を下ろした。

 

 通用口の電子ロックをハッキングで解除し、日翔と鏡介がビルに侵入する。
 目的地はシールドルーム、踏み込んだ時点でサーバを破壊して出るまで辰弥との通信は途絶する。
 GNSもCCTも通信自体は普通の電波通信である。しかし、それなりの規模の企業となるとより大量の情報が高速処理できる量子コンピュータが設置され、量子コンピュータ同士で量子通信が行われるようになっている。そのため量子通信の傍受も巨大複合企業メガコープの間では重要な課題になっている。とはいえ量子通信に使われる量子もつれエンタングルメントを意図的に阻害する技術が開発され、サービス開始された頃には通信途絶はないと言われていた量子通信も現在はAnti Entanglement PulseAEPによって妨害されることもある。
 とはいえ、量子コンピュータの設置までは想定内であったとしてもAEPを持続的に発生させ通信途絶させる設備が一介の企業ビルに導入されているとは驚きである。
 これは余程ヤバいものを扱っているな、武装した警備がいるという情報も納得できると思いつつ鏡介はカスタムされたマップアプリを呼び出した。
 視界に展開した見取り図フロアガイド――勿論、辰弥が見ているものと同期している――を確認、ルートを算出する。
「地下だから短波通信も届かないな。まぁシールドルームがただエンタングルを阻害するだけではないだろうし電波妨害ECMも想定しておいた方がいいな」
「……鏡介Rainが何言ってるかさっぱり分かんねえ……」
 鏡介の呟きに日翔がぼやく。
 それでもいつまでも考えていては仕事に集中できないため、すぐに頭を切り替える。
「行くぞRain。地下だったな?」
 愛用のハンドガンネリ39Rを握り、日翔は歩き出した。
「ナビ頼む」
拡張端末ヘッドセットにナビデータはもう送ってある」
 普段と変わらない鏡介のサポートに、日翔がやるなあ、と考える。
 普段なら自宅のハイスペックPCを使って様々な演算を行っているだろう、と考えると現場に出た今は自前のGNSがメインとなるはず。
 勿論、ウィザード級ハッカーの鏡介のことだからGNSはPCと連携しているだろうが遠隔操作は何かと不便とは聞いている。
 戦闘能力がないことだけが欠点だが、現場に出てもそのスペックを落とさない鏡介に日翔は「その点俺は……」と思わざるを得なかった。
 エレベーターを使わず階段で移動、鏡介のフォローで早期に巡回の移動ルートを把握、排除して先に進む。
 シールドルームの前には二人の見張り。
 流石に一人で二人殺るのはキツイな、と思った日翔がちら、と鏡介を見る。
《二人ともGNS導入している。焼くか?》
「流石にGNSハッカーゲシュペンストの存在を知られるのはまずいだろ。HASHハッシュで止めてくれれば俺が殺る」
 別にGNSをハッキングする存在がこの世界に認知されていないわけではない。むしろGNSハックガイストハックが問題視されているくらいなのでここでハッキングする脳を焼くことでゲシュペンストが明るみになったとしても「世間にとっては」微々たるものだろう。
 だが、このビルを武装してまで守っている企業にその存在が知られるのはまずい。ごく稀に腕っ節の立つ武闘派ハッカーも存在するが大抵は頭脳派のもやしである。鏡介もその例に漏れず、下手に彼の介在が明るみになれば苦戦は必至。
 今回の依頼がサーバの物理破壊だけでなくデータの不可逆破壊ということはおそらく想定されていない、と信じればサーバが破壊された時点で侵入者は破壊者日翔のみと思わせることができる。つまり、うまくいけば鏡介くらいなら安全に離脱させることはできるかもしれない。
 しかし、ゲシュペンストが介入していると知られてしまえば包囲は厳しいものとなるだろう。鏡介を離脱させる方が難しくなる。
 そのため、日翔は「脳を焼く」のではなく「情報酔いHASH」を提示した。
 HArdship Subliminal HangHASHも確かにガイストハックの一環ではあるが、直接の死因にはつながらず特定に時間がかかる。
 そもそもHASHとは豚肉を加工して作られた缶詰ランチョンミートを指した商品名であったが、ピュトンというコメディアンがネタにしたことで迷惑メールの代名詞として使われるようになってしまった。それがそのまま相手のGNSにめちゃくちゃなデータを送りつける攻撃方法の名称として定着してしまったというわけだ。
 日翔の言葉に、鏡介は「OK」と返す。
《十秒待ってくれ。BB経由じゃないからそれで十分だ》
 鏡介が空中に指を走らせ、自分の視界に浮かび上がるウィンドウを操作する。
 対象のGNSが接続しているサーバを特定、ハッキングが察知されないように回線を切断、同時に大量の無意味なデータを送信する。
 意味不明な文字列、光過敏性発作を誘発する光刺激の明滅に加えて一般には見ることができないようなおぞましい映像のサブリミナルや大音量の不快な音声。
 それら全てを一度にGNS内で発生させるため、大抵の対象は一撃で行動不能となる。
 シールドルームを守っていた二人も例に漏れず頭を押さえてその場に蹲る。
 それを見逃さず、日翔が物陰から飛び出し発砲、二人の頭を撃ち抜く。
 二人の絶命を確認し、日翔は鏡介を手招きした。
 鏡介がコンソールを閉じ、シールドルームの前に立った日翔の横に並ぶ。
 ちら、とドアの横の認証システムを見てから再びコンソールを展開、空中に指を走らせる。
「……セキュリティは結構頑張ってるな……だがこの程度で俺を止められるわけがない」
 止めたければ有人の集中管理システムでも用意するんだな、などと呟いている間にロックが解除され扉が開く。
 それ、俺頼みですよねぇなどと心の中でぼやきながら日翔が鏡介に続いてシールドルームに足を踏み込むと。
「Gene、それ以上入るな。システムを欺瞞して閉まったままと認識させているから下手に閉めると出られなくなる」
 先にサーバラックの前に立った鏡介に釘を刺される。
 あいよ、と返事をして日翔がドアが閉まらないようにもたれかかり銃を構える。
「どれくらいでできる?」
「ん、三分もあればいけるだろう」
 うなじのGNS制御ボードが逆ハッキングを受けても回避できるようダミー端末を接続し、そこからサーバのポートに有線接続した鏡介が真剣な眼差しで答える。
 ざっと見た感じの防壁、通称Intrusion Countermeasure ElectronicsI.C.E.は強固ではあるがウィザード級相手には物足りないレベル。
 いざという時は即席で回避システムを組むことも想定していた彼にとってはいささか拍子抜けするレベルである。
 あっという間にI.C.E.を突破、不可逆的にデータを破壊するウィルスを送り込みサーバ全体に感染させる。
 その前にサーバのデータを軽く舐めてみるが一番重要そうなデータは暗号圧縮が掛けられており、データが破壊される前に閲覧するのは難しそうだった。
 クライアントへの深入り行為にもなり、また万一情報が抜けた場合のトラブルも考慮してデータのコピーは行うつもりはなかったが、いささかの不安を覚え、念のために圧縮されていない取引データを確認する。
(……何かを密輸して反社勢力に売却しているようだが……麻薬ヤクの類ではなさそうだな。なんかもっと物騒な……武器か?)
 武器弾薬の密輸や闇取引は日常茶飯事の出来事である。実際、日翔や辰弥が調達する弾薬もアライアンス経由ではあるがその取引の一環で行われている。
 だが、何だろう。いくらクライアントが正義に燃えた人間であったとしても武器の闇取引記録ごときでここまでの依頼を行うとは考えられず、また、この取引のデータ自体がAEPまで装備されたシールドルームに保管されるはずがない。
 これはきっとただの武器ではないな、と判断し、鏡介はサーバから離脱する。
 ポートから端子を引き抜き、ダミー端末を外してから日翔を見る。
「こっちはひとまず終わった。あとはお前の出番だ」
 そう言いながら出入り口の前に立ち、ドアが閉まらないように日翔と代わる。
「あいよ……ところで、アレ、使ってもいいと思うか?」
 シールドルーム内に足を踏み込み、周りを見た日翔が何かを見つけたらしく、指差して鏡介に確認する。
 鏡介がその方向に視線を投げると、それは緊急時にドアなどを破壊して脱出できるように設置された万能斧レスキューアッキスのケース。映画ではドアを破壊するだけではなくPC等を破壊することにもしばしば使用されている。
「なんだよお前なら素手でできるだろ」
 普通にコンクリートの壁を打ち抜ける日翔の腕力ならこんなものを使わずともサーバの破壊くらいできるだろう。
 不思議に思った鏡介だったが、日翔の返答はそれなりにまともなものだった。
「いや、よくよく考えなくてもサーバって電子機器だよな? んなモン素手でぶん殴って感電したらどうすんだよ。それにあるもの使った方が手っ取り早いだろ」
「確かに」
 日翔の言い分も一理ある。
 ただ、このケースに何かしらの非常連絡手段が搭載されていた場合、面倒である。
「分かったからちょっと待て。そいつの防災システムを落とす」
 空中に指を走らせ、ケースに施されている防災システムを確認する。
 確認できたすべてのシステムを欺瞞させ、鏡介は「いいぞ」と声をかけた。
 その間わずか一分もかかっただろうか。
 あいよ、と日翔がケースを破り斧を取り出す。
「んじゃ、いっちょ暴れますか」
 そう言ってから、ちら、と鏡介を見る。
「で、通報システムは全部切ってるんだろうな?」
「ああ、解除した」
 いくらサーバがスタンドアロンであったとしても中央管理施設あたりで機材の監視は行っているだろう。
 そこへつながる回路パスは全て解除しており、物理的に破壊してもすぐには察知されないはず。
 鏡介が日翔に頷く。
 日翔が斧を振りかざす。
「うぉりゃー!」
 斧がサーバに叩き込まれる。
(南無……)
 結構高価なパーツ使ってたんだよなあ、ちょっとちょろまかしてもよかったかなあ、などと思いつつ鏡介が心の中で手を合わせる。
 派手な音を立ててサーバラックが砕け、中のサーバも破壊されていく。
 火花が散り、サーバが煙を上げて停止する。
「っしゃ!」
 ガッツポーズをとる日翔。
 だが、次の瞬間二人は身構えることになった。
 鳴り響く警報、点灯する赤灯。
「は!?!?
 日翔が鏡介を見る。
「おま、解除したって言ってたよな!?!?
 ああ、と鏡介が頷く。
 確かにシステムの稼働を検知するウォッチドッグタイマーWDTの類は全て解除している。
 中央管理施設にはサーバの停止は一切通知されないはずである。
 ただ、一つの例外を除いて。
 きり、と鏡介の奥歯が鳴る。
 「その可能性」は考慮していなかった。
 そもそも、AEP搭載のシールドルームを実装しているくらいである、こうなることは予測するべきだった。
 企業側が、侵入しての物理的サーバ破壊を想定していたのであればこれくらいは実装するだろう。
「……アナログ的な手法デッドマンスイッチまで搭載してやがる」
 本来のデッドマンスイッチは「操縦者に何かしらの異常が発生し操縦できなくなったときに発動する安全機構」のことである。
 だが、鏡介はそのアナログ的構造から機械が物理的に動作しなくなった場合に発動する安全機構全体を指してデッドマンスイッチと呼ぶことがある。
 とにかく、日翔が物理破壊を行ったことで何かしらの機構が発動し警報が作動したようだ。
「とにかくここを離れるぞ、すぐに警備が駆けつける」
 それに辰弥BBに援護を頼みたい、と日翔を手招きし、二人でシールドルームを出る。
 鏡介がマップを展開、周囲の温度サーモグラフィで警備の展開を確認する。
「こっちだ!」
 一番警備の手薄そうな非常階段を選び、階段を駆け上る。
 そのタイミングでAEPと電波妨害の効果範囲を抜け、鏡介は即座に辰弥に通信を入れた。
「BB、まずった!」
《はぁ!?!?
 通信が回復しての第一声がそれ!?!? と辰弥から罵声が飛んでくる。
《なにやったの!》
「ターゲットの監視網が想定以上だった。サーバは破壊したがアナログで対処されてたら俺でも無理だ!」
 マジか、と辰弥がぼやく。
《ってことは一階の出入り口は全封鎖されてんじゃないの? どうすんの》
「どうするも何もるしかないだろ! BB、援護頼む!」
 通信に日翔も割り込み、辰弥に指示を出す。
《それはいいけど、仮にビルから脱出できたとしても逃げきれないんじゃない? こっちから姉崎にコンタクトして運び屋ポーター手配する》
 頼む、と日翔が言い、それから振り返って発砲する。
 階段を上って追いかけてくるフル装備の警備が銃弾を受け、他の警備を巻き込んで転がり落ちていく。
「Rain、大丈夫か?」
「俺は大丈夫だ、とにかく離脱優先だ!」
 鏡介は鏡介で走りながら全館の監視システムに干渉しているのだろう、声をかけない方がよさそうだが生存確認だけはした方がいい。
 鏡介のダメージがほぼないことを確認し、日翔が走りながら通路の前後を警戒する。
 ガシャン、ガシャン、と重々しい足音が前方から聞こえる。
 その音に嫌な予感を覚えるが今来た通路を戻ることはできない。
 そのまま前進し、
「うそおぉぉぉぉぉ!?
 鏡介を壁にたたきつけ、日翔はその勢いで反対側の壁に張り付いた。
 二人の間、通路の真ん中をロケット弾が通り過ぎ、後ろからの追っ手を吹き飛ばす。
「った……何すんだGene!」
 壁にぶつけたのだろう、後頭部をさすりながらRainが抗議する。
「すまん! だがこうしないと死んでた!」
 鏡介に視線を投げることもなく、前方を見据えた日翔が両の拳を握る。
強化外骨格パワードスケルトンかよ……」
 二人の目の前に、禍々しいシルエットが立ちふさがっている。
 身体のパーツを機械に置き換える義体とは違い、装着することで身体機能を向上させる強化外骨格を全身に纏った人物が目の前に、一人。
「避けやがって……こちとら大事な売り物を使う羽目にあってんだ、大人しく降伏しやがれ!」
 強化外骨格を身に着けた人物が吼える。
「やだよ! 誰が捕まるかバーカ!」
「Gene、煽るな!」
 このままでは中指を立てて挑発しかねない、と判断した鏡介が日翔を止める。
 うるせえ、と日翔が銃をホルスターに収め、メリケンサックを両手に装備する。
「お、おいGene……?」
 まさか生身であの強化外骨格に立ち向かうつもりなのか。
 ちら、と日翔が鏡介を見る。
「ごちゃごちゃうるせぇ、殺るか殺られるかなんだよ!」
《動き止まってるけど、どういう状況? 窓側に寄せてくれないと援護できない》
 辰弥から通信が入る。
 マズい状況だ、と鏡介が応答した。
(パワードスケルトンだ)
《は?》
 ちょっと待って今聞き捨てならない単語聞こえたけど? と辰弥が聞き返す。
(だからターゲットが取引してたのはパワードスケルトンだ。これが闇市場に流れるとかなりヤバいことになる)
《……それと戦ってるの?》
 ああ、と鏡介が頷く。
(少なくともGeneは戦る気だ)
 マジか、と辰弥が呟く声が聞こえる。
《とにかくなんとか窓側に寄せて! パワードスケルトンだと俺のT200じゃ心もとないけど注意を引くくらいは》
(お前も戦る気か!)
 辰弥が使用するT200は最長射程が2キロメートルを超えるだけあってある意味対物ライフルに近い扱いをされることもある。
 だがあくまでも超長距離狙撃向けなので少し距離が近ければ威力が高いという程度で強化外骨格の装甲を抜けるとは到底思えない。
《とりあえずなんとか凌いで。作戦は今から考える》
(……了解)
 進行方向に立ちふさがるというのであれば戦うしかない、そう鏡介も腹をくくりハッキング用のコンソールを開く。
 が、すぐにため息を吐き、
「Gene、お前にかかっているからな」
 開いていたコンソールを閉じ、鏡介がそう宣言した。
「Rain?」
制御システムコアブロックに侵入しようと思ったがこいつ戦術データリンクリンク切ってる上に通信ポート全部閉じてやがる」
 有線しない限りハッキングは不可能だ、と付け加え鏡介は「すまない」と謝罪した。
「俺は足手まといにしかならん。増援来たら、なんとか対処してくれ」
「まぁ、あいつらも隠し玉パワードスケルトンに巻き込まれたくないから増援は送らんだろ。が、一応気を付ける」
 そう言い、日翔は拳を握り床を蹴った。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
 自分に向かって振り下ろされる強化外骨格の腕を左腕一本で振り払い、右手の拳を叩き込む。
「がっ!」
 ダメージを強化外骨格だけで軽減できなかった装着者が呻き、後ろに跳ぶ。
「な、なんだこいつ……義体か?」
 一見しただけではもう一人に比べて筋肉の付きがいい生身の人間であるが実はとんでもない出力軍用レベルの義体を装着しているというのか。
 日翔が痛みを払うかのように右手を軽く振り、拳を握り直す。
「生身相手にパワードスケルトンとか大人げないだろ!」
「……は? 生身?」
 生身で強化外骨格で強化された一撃をいなし、こちらに一撃浴びせたというのか。
「化け物か、お前」
「はん、俺は人間だよ!」
 てめーのような外付け頼りもやしに負けてたまるか、と日翔が息巻く。
「「もやし!?!?」」
 強化外骨格装着者だけでなく鏡介まで声を上げる。
「てめぇ……舐め腐りやがって!」
 余裕そうな日翔を前に、装着者が吼える。
「そこまで言うならぶっ殺してやる!」
「てめぇにできるんならな!」
 再び日翔が床を蹴る。
 装着者もGNSで動きを予測するが日翔の動きはそれよりも迅い。
 腕を掴んで動きを封じようとする装着者をかわし、日翔が背後から装着者に取り付く。
「なっ!」
 装着者が日翔を捕まえようとするが、それよりも迅く日翔は強化外骨格のヘルメットを掴む。
「うぉりゃーーーーー!!!!
 豪快に、素手でヘルメットをもぎ取る。
 簡単に外されないように厳重なロックで装着されていたヘルメットをもぎ取られ、装着者が驚愕の面持ちで日翔を見る。
 その日翔はホルスターから銃を抜き、銃口を装着者の頭に向けていた。
「あばよ」
 躊躇いのない一発。
 強化外骨格が動きを止め、力なく崩れ落ちる。
「Gene!」
 床に降りた日翔に鏡介が声をかける。
「案外、なんとかなるもんだな」
 日翔の言葉に「こいつ本当にパワーバカだ」と思いつつ、鏡介はとりあえず移動しよう、と提案した。
「長居はしたくない、とにかく安全な場所に行こう」
「ああ、そうだな」
 日翔も同意し、二人は走り出した。

 

 時間は少し遡り。
 ――こちらの想定を上回っていたか。
 鏡介からの連絡に、辰弥がT200にマガジンをセット、ボルトを引いて初弾を装填する。
 現場から約1キロメートル離れているが、地形の都合からエントランスや通用口は確認することができた。
 連絡を皮切りに、辰弥がいる場所から見える全ての出入り口が警備によって封鎖される。
 それもただの警備ではなく、かなりの重武装兵に見えるため仮にここを突破できても現場に行くために使った車では逃げきれないだろうと判断する。
 防弾性能が高い装甲車が必要だ、と判断、辰弥は茜への回線を開く。
《あら、さが……いや、今はBloody Blueと呼んだ方がいいかしら? どうしたの?》
(マズいことになった。今回の依頼、こちらの想定を上回るセキュリティで対策してたからGeneとRainが交戦中だ)
 マジで、と茜が呟く。
《どうすればいい? 増援申請? それとも》
(ポーターの手配を頼む。できれば装甲車で)
 辰弥の要請に、茜が「正気?」と声を上げる。
《市街地でドンパチやるつもり!?!? 流石のアライアンスも山手組やまのてぐみも揉み消せないわよ?》
(二人を見殺しにしろっていうの!?!? いいから手配して!)
 ニュースになれば自分たちの存在も明るみに出るかもしれない、それを理解していての辰弥の言葉だった。
 全てを闇に葬るために二人を見殺しにするくらいなら、明るみに出てもいい、という。
(なんだかんだいって、あいつらは、仲間なんだ。見殺しにしたくない)
 そっちが拒否するなら俺一人でも、と辰弥がT200を下に置き立ち上がる。
 渚は「ピアノ線を使うな」とは言っていたが、ピアノ線を使えば階段等を使わずともビルの外壁を伝って地上に降り、現場に向かうことができるだろう。
 だが、立ち上がった瞬間猛烈な眩暈に襲われ、ヘリポートに膝をつく。
「――っく、」
 貧血? こんな時に? と思うがアライアンスが動かないなら自分が行くしかない。
 しかも、そのタイミングで辰弥は日翔と鏡介がとあるポイントから移動できていないことに気づいた。
 まさか、という思いが胸をよぎるがそれならそれで通信途絶するはずである。
 ちょっと待って、と茜に断ってから回線を切り替え、二人につなぐ。
(動き止まってるけど、どういう状況? 窓側に寄せてくれないと援護できない)
 そう、確認すると辰弥の想定を遥かに上回る展開になっていた。
《パワードスケルトンだ》
 は? と辰弥が声を上げる。
 ちょっと待って今聞き捨てならない単語聞こえたけど? と聞き返すと鏡介から日翔がそれと交戦中だと返ってくる。
 T200で対応できるか? と自問し、それから辰弥は分かった、と呟いた。
 とりあえず牽制になるだろうと判断し、なるべく窓側に寄せるよう指示を出し回線を茜に戻す。
 下に置いたT200を拾い上げ、射撃体勢に戻る。
 手振れを抑えるために伏せ撃ちの態勢に入ると眩暈はかなり改善されたようだった。
 ――作戦、ねえ……
 「作戦は今から考える」と伝えたものの、大体の構図は彼の頭の中に浮かび上がっていた。
 多少無茶をすることにはなるだろうが、強化外骨格は無力化できるはず。
(……で、姉崎、ポーターは手配できるのできないの?)
 通信先の茜が、ため息を吐く。
《誰もその要請を却下するって言ってないわよ。地上からじゃなくて航空支援使いなさいよ、その方が離脱もスムーズにできるし大事になりにくいわよ》
 ――いや、その方が、十分、大事。
 そうは思ったものの辰弥は茜の言葉で自分の早とちりに気付いたようだ。
(航空支援って……今からヘリの要請するの? 装甲車ならアライアンス秘蔵のがあると思ったから早いと思ったんだけど)
《もっとイ・イ・モ・ノよ》
 含みを持たせた茜の言葉。
 ヘリよりいいもの? 離脱するのに? と辰弥が考える。
《カグラ・コントラクターの航空支援サービスを手配するわ。大丈夫、山崎さんもOK出してる》
「……はぁ!?!?
 思わず辰弥が声を上げた。
カグラ・コントラクターカグコン!?!? 正気!?!?
 カグラ・コントラクターはアカシア内でも最強の民間軍事会社PMCである。
 元々はアカシアの大気圏のさらに外側にある微惑星帯バギーラ・リングからの隕石を減らすために活動した御神楽みかぐら宇宙開発を前身として拡大を続けた巨大複合企業メガコープ「御神楽財閥」が、軍事産業にまでその手を広げた結果設立されたもの。
 桜花国を拠点として様々な軍事衝突に介入していたが、富裕層の護衛や特別な輸送、桜花の警察機能を代替しているため一般人にもかなり身近なPMCとして知られている。
 まさか、そのカグラ・コントラクターを手配するとは。
《言っておくけど、今回の依頼に関してはクライアントがあまりはっきり言わなかったけどかなりヤバそうなものを扱っている雰囲気はあったからね、山崎さんが念のために手配できるようにしとけって言ってたのよ》
(そこまで想定してるならなんでこっちに言ってくれないの)
 抗議じみた辰弥の言葉。
 そこまで想定しているなら初めから手配してくれても、と辰弥は続けたが茜はそれは、と反論する。
《カグラ・コントラクターも慈善事業じゃないのよ? 料金きっちり請求されるのに使うか使わないか分からないもの手配できるわけないじゃない》
 それはそうだ。
 二人がうまく事を運び離脱していればカグラ・コントラクターの手配は無駄になる。
 それなら有事の際に多少の割増料金は取られたとしても緊急要請すればいい。
(……今回の収支マイナスかあ……)
 装甲車はアライアンス所属の特殊運搬チームが所有しているため比較的安価に依頼できたがカグラ・コントラクターの航空支援サービスを手配するとなるとかなりの費用となる。
 基本的に依頼人からの依頼料から弾薬調達等の費用をまかなうことになっているため今回は赤字も赤字、受け損である。
 辰弥のそのぼやきに茜は、「大丈夫よ」と即答する。
《その心配はないわ。このクライアント、やけに金払いが良くて、経費としてかなりのお金を前払いしてくれてるのよ。それこそ、カグラ・コントラクターを雇っても大丈夫なくらいね。じゃなきゃ流石にカグコンなんて使えないわよ》
 今回の依頼主は、それほどの大金を? と辰弥は少し違和感を覚えたが、現状必要になった事を考えれば無理からぬことかもしれない。
 いずれにしても、これで状況はこちらにかなり有利に傾いた。
 懸念事項がいくつかクリアされる。
 茜との回線を閉じ、辰弥は鏡介に回線を開き直した。
(状況は?)
《Geneが素手でパワードスケルトンを殺りやがった》
 とりあえず今手薄そうな出口を探してる、という鏡介の返答に辰弥は「俺の必要性、あるかなあ」とふと思った。
 だが、いくら日翔が素手でパワードスケルトンを撃破できたとしても限界はあるだろう。
 複数に囲まれたりすれば勝ち目はない。
 マップで二人の位置を確認し、辰弥は先ほどの茜とのやり取りの結果を伝える。
(とりあえず屋上へ行って。姉崎が航空支援を手配してくれた)
《航空支援だと? パワードスケルトンが一体だけとは思えないし、そんなもの使えば墜とされるだろ》
 まぁ、そうなるよね、と辰弥が続ける。
(大丈夫、カグコンの航空支援サービス手配するって)
《……は?》
 一瞬の沈黙の後、鏡介は辰弥の予想通りの反応を見せた。
《カグコンって、あの、カグコン?》
(どのカグコンがあると思うの? とにかくカグコンの装備なら簡単には墜ちないと思うし)
 カグラ・コントラクターはその資金力故に他のPMCにはないような装備や兵器も運用している。
 成層圏に数隻の空中母艦を飛ばしているだけでなく、宇宙戦艦まで運用して適切な支払いさえあればタングステン運動エネルギー弾オービットボマーですら投下する。
 そんなカグラ・コントラクターを相手にして無傷で済むと思うほど相手は馬鹿ではないだろう。
 分かった、と鏡介が頷き、日翔に「屋上へ行く」と指示を出す。
 何かあったら連絡を、こちらからも連絡すると伝え、辰弥は一旦回線を閉じる。
 ふう、と息を吐いて体を起こし、T200からマガジンを外し、もう一度ボルトを引いて装填した弾を排莢する。
(……通常弾だとパワードスケルトンは抜けない)
 と、考えると炸裂弾あたりが必要だろう。
 航空支援が望めるとなると懸念していた「窓ガラスで炸裂して不発に終わる」はクリアできる。
 二人には無理をさせるが屋上に出てもらえばカグラ・コントラクターの輸送機が到着するまで支援することができるだろう。
 しかし、今手元に炸裂弾はない。それならどうするか。
 目を閉じ、辰弥は右手で虚空を握る。
 ふう、と息を整え、手を開く。
 その手に握りしめられていた三発の銃弾に、「ないよりはマシ、か」と低く呟く。
 くらり、と再び眩暈を覚えるが首を振ってそれを払い、外したマガジンの弾を入れ替え、T200にセット、装填する。
 射撃体勢に戻り、スコープを覗いて屋上を確認する。
 それから、ハッキングツールを起動、事前にチェックしておいた狙撃観測衛星DHEにアクセスする。
 アクセスした瞬間、辰弥の視界に現在地と目標ビルの風向き、風量をはじめとする気象情報や目標までの距離、スコープ越しの視界に着弾予想ポイントなどが表示される。
 腕を義体化していればそれだけでなく射撃管制もサポートされるが生身の彼は各種情報取得だけにとどめている。
 遥か上空から現場を俯瞰しているような感覚が全身を巡り、T200とも不思議な一体感を覚える。
 準備はできた。いつでも撃てる。
 ふう、と息を一つ吐き、辰弥は二人が屋上に到達するのを待った。

 

「BBから伝言。『屋上へ行け』ってことだ」
 物陰で手薄な場所のスキャンを行っていた鏡介が日翔に伝える。
「屋上? なんでまた」
 袋のネズミになるだろ? と日翔が首をかしげるが鏡介が面倒そうに辰弥からの連絡内容を伝える。
「アライアンスがカグラ・コントラクターの航空支援を手配したようだ」
「は? 御神楽の支援借りるのかよ!」
 御神楽の力を借りるのは真っ平ごめんなんだが、などとぼやきつつ日翔は銃を構え直した。
「だったら早く屋上に向かった方がいいな。Rain、動けるか?」
 ああ、と鏡介が頷く。
「ビルのセキュリティは全て落とした。あとは周りの連中だけだ」
 足音に耳を澄ませながら、鏡介はマップから手薄そうな階段を特定する。
「屋上直通ではいけないがある程度上層まで行ければなんとかなるだろう、行くぞ」
 了解、と日翔が物陰から身を乗り出す。
「大丈夫だ、行ける」
 大半の人間は二人が地上の出口から離脱しようと考えているのだろう、階段の入口は手薄になっていた。
 数人、二人を探していた武装兵を見かけるが鏡介のハッキングのサポートで日翔が無力化する。
 階段を駆け上り、途中のフロアで屋上に通じる別の階段に向かう。
「いたぞ!」
 不意に、二人の後ろで声が響く。
「見つかった!?!?
 向こうも二人が屋上に向かう可能性を多少は考慮していたということか。
 すぐに先ほど聞いた重い足音が響き、強化外骨格を身に纏った警備が数人現れる。
「げ、何人いるんだよ!」
 流石に一人で鏡介を守りつつ全員相手できないぞ、と日翔が叫ぶ。
「Gene、走れ!」
 今は屋上に出ることだけ考えろ、と叱咤し、階段室に飛び込む。
 後ろから容赦のない銃弾の雨が浴びせられるがそれを階段を利用することで回避、屋上に向かう。
 しかし強化外骨格によって強化された脚はいともたやすく階段を駆け上る二人との距離を詰めてくる。
 屋上まで間に合うか、と鏡介を先行させつつ時折振り返って牽制のように発砲する日翔は考えた。
 仮に屋上にたどり着けたとしてもカグラ・コントラクターが到着するまで凌ぐことができるのか。
 辰弥には何かしらの策があるのだろうが、本当に大丈夫なのだろうか。
 それでも今は辰弥を信じて階段を駆け上るしかできなかった。
 全力で階段を上り、最上階に到達する。
 屋上に続くドアの鍵に発砲して破壊、屋上に飛び出す。
「……はぁ……っ……」
 よろよろと屋上の端、欄干に縋りついて鏡介が荒い息を吐く。
 日翔も肩で息を整えながら銃を構え出入り口を睨む。
 重々しい足音とともに強化外骨格をまとった警備兵が次々と屋上に現れる。
「手間取らせやがって……たかが侵入者二人に全機稼働とかどう責任取ってくれる」
「はっ……ふざけんな、んなモン、流通させて、たまるかっての」
 カグラ・コントラクターの航空支援はまだ到着していない。
 鏡介は元々戦えない上に今の全力疾走で力尽きている。
 日翔自身も鏡介を庇いつつ強化外骨格を複数相手に戦えるほど器用ではない。
 絶体絶命の状況。
 だが、こちらにはまだ切り札がある。
 尤も、その切り札が本当に切り札だとすれば、だが、
(……BB、どうする)
 牽制で一発、日翔が発砲する。
 その瞬間、彼の耳元を何かが掠め、
 次の瞬間、
 先頭の強化外骨格装着者の上半身が破裂した。
 砕けた強化外骨格の外装と装着者の肉片が飛び散り、血飛沫が上がる。
「なんだ!?!?
 後ろに控えていた別の強化外骨格装着者が顔を見合わせる。
「なんだその銃は! パワードスケルトンを吹き飛ばすだと?」
「え、いやそれは――」
 一瞬、何が起こったのか理解できなかった日翔だったがすぐに察する。
 ――BBが撃った。
 日翔と鏡介、二人が立つ屋上から約1キロメートル、辰弥がボルトを引いて排莢、次弾を装填する。
(ひとつ!)
 ボルトアクションライフルの利点はその精度にある。
 DHEのサポートも受け、辰弥は即座に次の標的ターゲットに照準を合わせる。
(Gene、一歩左へ!)
 右目で覗いているスコープはターゲットの中心を捉えたまま、左目の視界に現場の拡大映像を表示させ屋上全体の状況を確認し、辰弥が指示を飛ばす。
 日翔が指示通り一歩左に避けるのと同時に引鉄を引く。
 スコープ越しに、二人目の強化外骨格が弾ける。
(ふたつ!)
 ここで、向こうは漸く狙撃手スナイパーの存在に気づいたのか、射線を避けるような動きを見せるがどこから狙撃されているのか特定できないため、何の意味も成していない。
 ボルトを操作しながら次の優先すべき標的HVTを見定め、辰弥は現場に近づくカグラ・コントラクターの音速輸送機ティルトジェットを目視する。
 残りの炸裂弾はあと一発、二人が乗り込む際の援護で使うべきだろう。
(炸裂弾は残り一つ、君たちが乗り込む際の援護に使うからあとは頑張って!)
 屋上に向かって降下しつつある音速輸送機を一瞥してから、辰弥は次の狙撃に集中した。

 

 二人目の上半身が弾ける。
 その時になって漸く日翔は辰弥が狙撃に通常弾ではなく炸裂弾を使っていることに気づく。
(あいつ、炸裂弾なんて持ち歩いていたっけ)
 炸裂弾は文字通り着弾時に炸裂し、大きな損害を与える特殊弾頭である。
 T200は専用の弾を使用するため銃本体の流通は少ないが、弾頭はいくつかのバリエーションがあるというのか。
 ただ、それでも辰弥が通常弾以外を携行することは、ましてや相手がパワードスケルトンを持ち出すという事態を想定せずしてこの状況に最適な炸裂弾を持ち歩くとは考えにくい。
 だが、現にこうして炸裂弾による援護を行ってくれることを考えると万が一の保険として持ち歩いていたのだろう。
 そう思ったものの、辰弥の援護は一旦ここで途切れることになる。
 炸裂弾の残りが一発ということで二人が音速輸送機に乗り込むタイミングまで温存するという連絡が入る。
 しかし、音速輸送機は降下準備に入っているとはいえ脅威が完全に取り除かれたわけではない。
 二人に向けて、武装集団が引鉄を引く。
 それをスコープ越しに眺めていた辰弥だが、今ここで残りの炸裂弾を使っても効果がない、と引鉄にかけた指が躊躇してしまう。
 放たれた銃弾が二人を襲う。
 だが、その銃弾は二人には届かなかった。
 二人の前に幾何学模様を描く青い光の壁が出現、銃弾はそれを突き破ろうと突き刺さるが光の壁に触れた瞬間その推力を失い、屋上に落ちる。
「「反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリア!?!?」」
 日翔と強化外骨格装着者の一人が同時に声を上げる。
 反作用によって対象の運動エネルギーを奪い、攻撃を無効化するホログラフィックバリア、こんなものを民間用にも装備できるのは資金力が豊富なカグラ・コントラクターくらいである。
 カグラ・コントラクターだと、と屋上に集まった武装集団が顔を見合わせてざわめく。
 そのタイミングで日翔と鏡介の足元に「!CAUTION!」の文字が浮かび上がり、推力偏向ノズルを搭載した音速輸送機が二人の前に扉を開けた状態で降下する。
「Rain、乗れ!」
 そう叫びながら日翔が鏡介の首根っこを掴み、音速輸送機に放り込む。
 強化外骨格の集団は音速輸送機を撃墜しようとそれぞれ武器を構えるが、相手がカグラ・コントラクターを利用していることを知ってか攻撃に躊躇している。
 だが、その中の一人が肩に装備した戦術高エネルギーレーザー砲MTHELを音速輸送機に向ける。
「げ、撃つ気かよ!」
 鏡介に続いて音速輸送機に乗り込もうとした日翔が声を上げる。
 ホログラフィックバリアはあくまでも運動エネルギーを相殺するもの、光学兵器であるレーザー砲なんてものを撃たれれば相殺すらできずに貫通する。
 こちとらカグコンだぞ? マジで殺る気? ていうかなんて物騒なもの実装してるの? と日翔の思考がぐるぐる回るが次の瞬間、その強化外骨格は辰弥の狙撃によって弾け飛ぶ。
「……打ち止めだな」
 日翔がそう呟く間に音速輸送機の扉が閉まり、上昇を始める。
「この度はカグラ・コントラクターの航空支援サービスをご利用いただき、誠にありがとうございます」
 音速輸送機のパイロットが慣れた口調で声をかけてくる。
「助かった……が、ヤバくないか?」
 日翔が窓から先ほどまで自分たちがいた屋上を見下ろすと強化外骨格の残りと、追いついた他の武装メンバーが音速輸送機を射程に捉えている。
 こちらはホログラフィックバリアがあるとはいえ、先ほどのようなレーザー砲を持ち出されてはひとたまりもない。
「武装はないのか?」
 反撃しなければ墜とされるのはこちらである。
 そう、パイロットに尋ねると返答が来る。
「オプションでガトリング砲も搭載しておりますのでご自由にご利用ください。画像認識で武装の有無を判断し、トリガーのロックを解除しますので丸腰の民間人は攻撃できないようになっております。ご了承ください」
「……至れり尽くせりだな」
 そう言いながらも、日翔は少々テンション高くガトリング砲の銃座に着く。
「やられた分は倍返ししないとな!」
 ヒャッハー! と、そんな叫び声を上げるのではないか、というテンションで日翔はガトリング砲の引鉄を引いた。
 音速輸送機もそんな日翔を応援するがごとくビルの上空に滞空する。
 ガトリング砲から放たれた20ミリ弾が残りの強化外骨格と武装集団を殲滅する。
 殲滅を確認し、音速輸送機がビルから離脱した。
《終わったようだね》
 辰弥から通信が入る。
「ああ、助かったぜ」
 鏡介に「怪我はないか?」と確認しながら日翔が返答する。
《だったらついでに俺も回収してくれ》
「あいよ」
 日翔が頷き、パイロットに経由地を指示する。
「かしこまりました。到着まで、快適な空の旅をお楽しみください」
 淀みない返答に、日翔は「こいつ、本当に慣れてるなあ……」と考えながらシートに腰を下ろした。

 

 日翔が鏡介を音速輸送機に放り込む様子を確認した辰弥は強化外骨格の一人が戦術高エネルギーレーザー砲を撃とうとしていることに気づき、迷わず最後の炸裂弾を撃ち込む。
 これで打ち止め、一応通常弾での牽制もできないことはないがその頃には日翔も音速輸送機に乗り込み、機体が上昇を始める。
 それを見届けた辰弥は自分ができることは終わったと体を起こした。
 遠目にビルの上空で撃ち合いが起こっているのが見えたがそれもすぐに収まる。
 ふう、と息を吐き、辰弥が回線を開いた。
 ここから一人で帰宅するのが面倒で、日翔に自分も回収してもらうように指示を出す。
 音速輸送機がここに到着するのにそんなに時間はかからない。
 それでも後片付けはしないと、と辰弥は立ち上がり、
「――ぅ……」
 本日最大の眩暈に襲われた。
 ――無茶したか。
 何とか踏ん張ろうとするが、脚に力が入らない。
 ――やばい。
 今ここで倒れるわけにはいかない。
 視界が急激に暗く、狭くなる。
 ぐらり、と自分の身体が傾くのを感じる。
 次の瞬間、全身に冷たいコンクリートの感触が広がる。
「……駄目、ここでは……」
 爪を立て、体を起こそうとする。
 しかし身体は言うことを聞かず、意識も闇から伸びる手に掴まれ、引きずり込まれる。
 抗うことすらできずに、辰弥の意識は闇の中に墜ちていった。

 

 音速輸送機が辰弥が控えるヘリポートに接近する。
 辰弥を迎え入れるために扉を開けようとした日翔が、その前に窓からヘリポートを見る。
 そのヘリポートの片隅に、
「辰弥!?!?
 意識を失って倒れている辰弥の姿を認めた。
 慌てて日翔が扉を開ける。
「ちょ、日翔!?!?
 まだ高度があるぞ、と鏡介が止める間もなく日翔が音速輸送機から飛び降りる。
 受け身ロールで衝撃を分散させ、即座に体を起こして辰弥に駆け寄る。
「辰弥!」
 辰弥を抱き起し、軽く揺さぶるが反応はない。
 その顔は蒼白で、一瞬、死んでいるかと不安になるが胸が上下に動いていることを確認しほっと息を吐く。
「現場にいた俺たちより重症じゃねーか……なんで……」
 日翔の背後に音速輸送機が梯子を下げ、それを伝って降りた鏡介も駆け寄ってくる。
「鏡介、T200の回収頼む」
 その指示に鏡介が頷き、T200とハードケースを回収、音速輸送機に乗り込む。
 日翔も起重機ホイストを使って辰弥を音速輸送機に乗せてから乗り込み、パイロットに最終地点を指示、それから渚に回線を開いた。
《あらー日翔くん、どうしたの?》
「『イヴ』、三十分後に俺の家に来てくれ。辰弥が倒れた」
 日翔がそう言うと、渚は驚いたようだった。
《倒れた? 鎖神くんが?》
 その声色に「やっぱり」という響きが含まれていたが、日翔はそれどころではなかった。
「厳密にはいつ倒れたか分からん。が、最後の通信からそんなに時間がたってないはずだ」
《了解、すぐに向かうわ。他に怪我人はいないの?》
 渚に聞かれ、日翔はちら、と鏡介を見た。
 擦り傷等はありそうだが大がかりな治療が必要そうな傷は見当たらない。
「いや、俺たちは問題ない、ツバ付けてりゃ治る」
 そう、と渚が答える。
《分かったわ。水城くんに鎖神くんのバイタル送るように伝えて》
 そっちへ行く間にざっくり確認しておくから、と言われ、日翔が鏡介に指示を伝える。
 了解、と鏡介が辰弥のバイタルを呼び出し、渚に転送する。
「しかし、なんで倒れたんだ?」
 打ち合わせの時も渚に「ピアノ線は使うな」と言われていた。
 今回はピアノ線を使うような事態は起きていないはずだし辰弥は後方支援、まさか狙撃だけで倒れるほど消耗していたとでもいうのか。
 分からん、と日翔の問いに鏡介が呟く。
「『イヴ』の診断を聞いた方が確実だ。俺たちでは素人判断になる」
 そう言いながら鏡介は自分のコートを脱ぎ、意識のない辰弥に掛ける。
「あっ、ちょ、ずるい!」
 それ、俺がやりたかったー! と日翔が抗議する。
 そんな騒ぎを尻目に音速輸送機のパイロットは目的地へと機体を向けていた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 遠くで声が聞こえる。
 何やら誰かを怒っているような、そんな怒声が遠くからだんだん近づいてくる。
 ――嫌だ、お仕置きは嫌だ。
 上から投げかけられる罵声と体罰を予測し、身をすくめる。
 自分にはそのいずれもを跳ね除ける力はあるのに、「どうせそんなことをしても無駄だ」と身体が動かない。
 それが学習性無力感から来ているものだとは理解している。
 理解しているが、動けない。
 もう嫌だ。こんな生活は嫌だ。
 声とは反対の方向に逃げようとする。
 だが、身体は動かない。
 ――嫌だ、もう言うことを聞くから。
 そう口にしたくても声すら出ない。
 怒声は徐々に近づき――。
「……」
 目を開ける。
 暗闇が辺りを閉ざしており、何も見えない。
 ここはどこだ、と考えるうち、目は徐々に闇に慣れ、自室のベッドに寝かされていることに辰弥は気づいた。
「……夢、か……」
 嫌な夢を見た。
 それは、まるでかつての自分が経験したかのような――。
 ――なんで今更。
 ぶんぶんと首を振り、ホームアシスタントウィンドウを開き、照明を点ける。
 急な光に驚かないように配慮された照明が徐々に明るさを取り戻していく。
 それからいつものUIを展開、時間を確認する。
八時間丸一日寝てたのか……)
 その時になって漸く辰弥は自分の腕に輸血用のチューブが刺されており、カーテンレールに輸血パックがぶら下げられていることに気が付いた。
 そのパックもほぼ空になっており、視線をゴミ箱に投げると空になったパックが三つ、捨てられている。
(……四本……)
 相当な貧血だったのか、と体を起こし、腕からチューブを抜く。
 眩暈はなく、むしろ仕事前の数日より体は軽い。
「だから鎖神くんに無茶させすぎなのよ! あなたたち、鎖神くんを殺す気!?!?
 隣の部屋リビングから渚の罵声が聞こえる。
 夢で聞こえた声はこれだったのかと納得し、辰弥はベッドから降り、ドアを開けた。
「いやこっちだって知りたいよ! 後方支援で三発撃っただけだぞ? それでなんで倒れるんだよ?」
 こめかみに青筋を浮かべている渚に反論していた日翔が辰弥に気づく。
「あ、辰弥起きた?」
「……ん?」
 日翔に続いて渚が首を回して辰弥を見る。
「あら、起きた?」
「あ、うん、ごめん」
 お腹すいたよね、ご飯作る、と何事もなかったかのように辰弥がキッチンに向かおうとする。
 それを、
「さーがーみーくん? ちょーっといいかしら?」
 渚が呼び止めた。
「え、何」
「『え、何』じゃないわよね? また無茶したわね?」
 やば、と辰弥が後ずさる。
ピアノ線は使ってないけど無茶して! 死ぬ気?」
 そこまで言ってから、渚ははっとしたような表情を一瞬見せ、再び眉を寄せる。
「愚問だったわ。鎖神くんの希死念慮のこと忘れてた」
「希死念慮?」
 渚の言葉に日翔がどういうことだと辰弥に詰め寄る。
「死にたいっていうのかよ!」
「ちょ、日翔、近い」
 辰弥が再び後ずさる。
「日翔、そのくらいにしておけ」
 日翔と渚の背後、ソファでコーヒーを飲んでいた鏡介が口を開く。
「辰弥は元々そういう奴だろう? 何を今更」
「鏡介まで!」
 日翔が声を荒らげるが誰も同意する人間はいない。
「死にたいと思うくらい自由だろう。思考まで制限するな、自殺してないんだから問題ないだろう」
「だが、」
 鏡介の言い分が気に食わないのだろう、日翔が尚も食い下がろうとする。
 埒が明かない、と思ったこともあり、当事者である辰弥も口を開いた。
「死ななきゃどう思ってても構わないだろ。いちいち君は過干渉過ぎる」
 む、と日翔が不満げに唸る。
「とにかく、俺はもう大丈夫。心配かけてごめん」
「過労だそうだな。まったく、お前という奴は無理をしすぎだ」
 倒れていたのを発見した時に比べて顔色もいいな、と鏡介が続ける。
「だが、暫く休んだほうがいい。また俺が出ることになってこんな展開になるのはごめんだからな」
「そうね、わたしからもアライアンスに伝えておくわ」
 ん、と辰弥が頷いた。
 ――二人には、過労ということで通したのか。
 実際は四本輸血するほどの貧血である。二人が知れば一体どういう反応を見せるのか。
 だが、それはそうとして辰弥は一つ気がかりなことがあることに気が付いた。
「……ところで、雪啼は?」
 辰弥の言葉に、三人が顔を見合わせる。
「ああ、自分の部屋で遊んでるぜ」
 日翔が雪啼の部屋を指差して答える。
「俺が倒れてる間、何もなかった?」
「いや、特に」
 分かった、ありがとう、と辰弥は頷き、雪啼の部屋の前に移動した。
「雪啼、入るよ?」
 ドアをノックし、「パパ!」という返事を聞いてから中に入る。
「いっけー、のっかーまん! びーるすせいじんをやっつけろー!」
「……」
「どーん! ぐわー、やーらーれーたー!」
 部屋の中に綿が飛び散っていた。
 クマのぬいぐるみを手にした雪啼がはしゃいでいる。
 その向かいにはずたずたに引き裂かれたトカゲのぬいぐるみが。
「……雪啼?」
「あ、パパ起きたー?」
 ぬいぐるみを床に置き、雪啼が辰弥に飛びつく。
「あ、うん、そうだけど……雪啼?」
「んー?」
「流石に、ぬいぐるみでブンドドはどうかと思うな」
 いや、やるのはいいんだけど、ぬいぐるみをボロボロにするのはかわいそうじゃないかな? と続けて辰弥が雪啼に視線を投げる。
また派手にやったなー……ここまで激しくブンドドするならソフビ人形の方がいいか?」
 辰弥の後ろから部屋を覗き込んだ日翔も呆れたように呟く。
 そうだね、と同意し、辰弥はしゃがんで雪啼に目線を合わせた。
「お腹すいたよね? ご飯作るよ」
「わーい!」
 嬉しそうに雪啼が辰弥に抱き着く。
 雪啼を抱えたまま辰弥がリビングに戻ると、渚は「もう帰るわ」と玄関に向かって歩き出し、鏡介は暇そうにTVのニュース番組にチャンネルを合わせたところだった。
《――先日、テロ組織『クマガリ』に拘束されていた遺伝子工学博士の永江ながえ あきらさんがこの度永江博士を保護したカグラ・コントラクターを有する御神楽財閥の遺伝子工学部門の客員研究員として生体義体の研究、開発に携わるとの声明を出しました。永江博士は若くして遺伝子工学の第一人者として注目されており、様々な最先端技術を担う御神楽財閥は永江博士の参入によって――》
「ほーん、『クマガリ』に拘束されてたのか」
 名前だけは聞いたことあるぞ、っていうかこいつが開発した唐辛子を使ったとかいう最強の催涙スプレートウガラシキラー喰らったら何もできんからな、と日翔がTVに映し出された博士の顔写真を見ながら呟く。
《――永江博士と回線がつながっています。永江博士、今回、御神楽財閥で研究をされるということですが、潤沢な資金提供がありますし、素晴らしい生体義体が開発できそうですね》
《そうですね。でも私としては生体義体もいいですが唐辛子料理が大好きなので時間のある時は唐辛子の研究もさせてもらえるよう交渉しましたよははは》
 冗談めかした博士の言葉に、スタジオから笑い声が聞こえてくる。
「……キナ臭いな」
 カグラ・コントラクターに保護された恩だったとしても御神楽財閥の下で働くという時点で怪しさしか感じない、と日翔が呟く。
「辰弥はどう思う? 本当に生体義体の研究すると思うか?」
 そう言って辰弥を見ると、辰弥は一瞬、「ん?」という反応を見せ、それから、
「日翔が御神楽を嫌っているのは知ってるけど、個人的には御神楽にはお世話になってるからね。そんなことより、唐辛子に限らずいろんな野菜の研究をしてもらって、より野菜が安くなると嬉しいかな」
 辰弥の趣味である料理は比較的安価に生鮮食品を提供してくれている御神楽系列のスーパーマーケット「カグラ・マート」に救われている部分が多分にある。そうでなくても御神楽が世界平和のために活動しており、多くの慈善事業を手掛けていることは多くの人間の知るところである。
 無論、御神楽が一点の曇りもない組織だとは微塵も思わないが、少なくともこの時点で御神楽を疑う発想はなかった。
「そうかぁ? 生体義体の研究って言っとけば世間をごまかせると思ってんじゃないかって気がするけどなぁ」
 辰弥が同志にならぬのが納得いかん、と日翔がぼやく。
「まぁ確実にカグラ・コントラクターのために軍事転用はされるだろうし、そこから流出もあり得るだろうから、俺たちにも無関係の話題、とまでは思わないけどね」
 それじゃ、ご飯作るから雪啼見てて、と辰弥は雪啼を降ろそうとする。
「……ん? TVが気になるの?」
 雪啼が辰弥に抱き着いたまま、TVを凝視している。
 辰弥に声をかけられ、雪啼がはっとしたように彼を見上げる。
「パパ」
「どうした?」
「えっと……あのおじさん、とうがらし好きなの?」
 その言葉に、辰弥が「映像では二十代前半に見えるけどな」と思いつつ「そうみたいだね」と答えた。
「せつな、からいのきらーい」
 そう言って、雪啼はするりと辰弥から降りる。
「きょうすけー、あそんでー」
「はいはい、レディ」
 雪啼にせがまれ、鏡介がソファから立ち上がる。
《――臨時ニュースです。先ほど、下条二田市げじょうふったしで血を抜かれた変死体が発見されたと当局から発表がありました。近頃、下条二田市では同様の事件が数件発生しており、当局は情報の提供と、単身での移動を控えるよう――》
 永江博士のニュースから一転、臨時ニュースが入り、ニュースキャスターが緊張した面持ちで原稿を読み上げる。
「またかよ」
 市内だと俺たちも動きづらくなるんだよなあ、と呟きつつ日翔が鏡介を見る。
「どうして俺を見る」
「いやー、辰弥に頼まれて調べてるんだろ?」
 日翔の質問に、どこから取り出したか猫じゃらしを雪啼の目の前で振りながら鏡介が「まあな」と頷く。
 雪啼が猫のように猫じゃらしに飛びついて遊んでいる。
「なんで猫じゃらし」
 辰弥が不思議そうに尋ねると、鏡介が「知らん」と答える。
「何故か分からないが、猫じゃらしが一番反応いいんだよ」
「……そういうものなの……」
 そう呟いたものの、特におかしいと思うことなく辰弥はエプロンを手に取り、キッチンの奥へと歩いて行った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 とある巨大複合企業メガコープの社長室。煌びやかな装飾の施された間接照明のみで照らされた薄暗い室内。
 広い窓から見える景色はこの部屋が摩天楼を俯瞰できるほどの高層にあることを示していて、訪れた人間は社長でなかったとしてもあたかも自分が選ばれた人間だと錯覚してしまうほどのものだった。
 この広い室内にはデスクに座る社長とそのそばには控える、何らかのコンテストで賞を総なめしたかのような美女の秘書、そして出入り口の前に立つコテコテの軍用義体で身を固めた屈強そうなボディガードが二人。
 そんな室内で社長が、デスクで何者かと通信している。
 今のご時世、やれ健康だ環境だと騒がれ電子操作による紛い物が主流になっているにも関わらずこの社長は本物の葉でできた煙草、それも高価な太い葉巻を手にしている。
 ふわり、と男の口から吐き出された煙が室内に広がり、消えていく。
 窓からの光と間接照明で部屋はそこまで暗いとはいえないが、この光量では社長の表情は分からない。
《……パワードスケルトンの取引記録、顧客データ、輸送ルート等全て潰しました。パワードスケルトンの戦闘データも取れましたし、脆弱性を告発することも可能です》
 その報告を受け、男がくつくつと嗤う。
殺し屋集団アライアンスもなかなかいい仕事をしてくれる。これで我らの新兵器の販路開拓がスムーズになるはずだ。筋力増強作用高出力と装甲だけが取り柄のパワードスケルトンに新兵器が後れを取るとは思わんが、念のために、な」
 今回、ライバル企業が密かに進めていたパワードスケルトンの取引、取り扱いを全て潰すように仕向けたのは彼の企業が開発中の新兵器に対抗馬が現れるのを恐れたから。
 現在開発中の新兵器がパワードスケルトンこのようなものに後れをとるとは到底思えないが、懸念の芽は摘んでおくに越したことはないだろう。
「ご苦労だった。後の指示は追って出す。通常業務に戻れ」
 そう言い、社長は通信を切る。
 それから、他に通信リクエストが入っていないかを確認するが着信はない。
「……まだか」
 思わず、そう呟く。
 今回、自社をこのパワーゲームの中で勝ち抜くために様々なカードを切ってきた。
 そのカード、最後の一枚が、まだ手札に来ない。
「あとはノインさえ手に入れればこちらのものだが」
 深くため息を吐き、男はデスクに肘を置き両手を組んだ。
「……どこにいる、ノイン」
 今は耐えるしかない。
 そう呟き、社長は葉巻を灰皿に押し付けて立ち上がり、窓に歩み寄る。
 騒然とした眠らない街摩天楼の夜景が、ただ密やかに社長の、いや、街全体に飛び交う様々な陰謀を抱き抱えていた。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第3章 「ひよこ☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第3章」のあとがきを
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