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Vanishing Point Epilogue

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 その後に受けた依頼で辰弥が電脳狂人フェアリュクター後れを取り、直前に潜入先の企業を買収したカグラ・コントラクター特殊第四部隊の介入を利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 まずいところに喧嘩を売ったと思うもののそれでも依頼を断ることもできず、三人は「サイバボーン・テクノロジー」からの要人護衛の依頼を受けることになる。
 しかし、その要人とは鏡介きょうすけが幼いころに姿を消した彼の母親、真奈美まなみ
 最終日に襲撃に遭い鏡介が撃たれるものの護衛対象を守り切った三人は鏡介が内臓を義体化していたことから彼の過去を知ることになる。
 帰宅してから反省会を行い、辰弥が武器を持ち込んだことについて言及されたタイミングで、御神楽 久遠くおんが部屋に踏み込んでくる。
 「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」、その言葉に反論できない辰弥。
生物兵器LEBだった。
 確保するという久遠に対し、逃走する辰弥。
 それでも圧倒的な彼女の戦闘能力を上回ることができず、辰弥は拘束されてしまう。
 拘束された辰弥を「ノイン」として調べる特殊第四部隊トクヨン。しかし、「ノイン」を確保したにもかかわらず発生する吸血殺人事件。
 連絡を受けた久遠は改めて辰弥を調べる。
 その結果、判明したのは辰弥は「ノイン」ではなく、四年前の襲撃で逃げ延びた「第1号エルステ」であるということだった。
 「一般人に戻る道もある」と提示する久遠。しかし、日翔たちの元に戻りたい辰弥にはその選択を選ぶことはできなかった。
 辰弥が造り出された生物兵器と知った日翔と鏡介。しかし二人は辰弥をトクヨンの手から取り戻すことを決意する。
 IoLイオルに密航、辰弥が捕らえられている施設に侵入し、激しい戦闘の末奪還に成功する日翔と鏡介。
 鏡介はトクヨンの兵器「コマンドギア」を強奪し、追撃を迎撃するが久遠の攻撃とリミッター解除の負荷により右腕と左脚を失ったものの、桜花への帰還を果たす。
 しかし帰国早々聞かされたのは失踪していた雪啼が吸血殺人を繰り返していることとそれを「ワタナベ」はじめとする各メガコープが狙っていることだった。
 包囲網を突破し、雪啼を確保することに成功した辰弥と日翔。
 義体に換装した鏡介に窮地を救われたもののトクヨンが到着、四人はなすすべもなく拘束される。
 「ツリガネソウ」に収容された四人。改めて一般人になる道を提示されるもすぐに頷けない辰弥。
 そんな折、雪啼が監禁場所から脱走、「ツリガネソウ」は混乱に陥る。
 その混乱に乗じて監禁場所から逃げ出す辰弥たちだったが、久遠との取引の末一度一般人になってみる条件を飲み、雪啼の追跡に当たる。
 しかし、真っ先に雪啼と遭遇した日翔が一瞬の隙を突かれて攻撃され、人質となってしまう。
 日翔を救出すると言う特殊第四部隊に対し、自分で助けに行くという辰弥。
 議論の末、一時間という制限時間で日翔を救出することという条件で辰弥は単身雪啼の待つ廃工場へと向かう。
 激しい戦闘の末、日翔が辰弥によって生成された単分子ブレードで雪啼を両断することに成功する。
 しかし、とどめを刺す前に工場が崩落、雪啼によって大ダメージを受けた辰弥を救出することができずに日翔は鏡介によって工場から連れ出される。
 ナノテルミット弾によって灼かれる廃工場。戻ってこなかった辰弥のために、鏡介は小さな花束を手向けた。

 

 
 

 

Epilogue 「Re: Start Point -再出発点-」

 

 マンションの前で解放され、日翔と鏡介がエントランスを抜けてエレベーターホールに入った。
 「もしかして、解放した瞬間に『見逃しタイムはもう終わり』と拘束されるのではないか」と警戒していた特殊第四部隊トクヨンの面々も音速輸送機から降りることなくさっさと飛び去って行ってしまい、拍子抜けする。
 とりあえずは、と鏡介が日翔に続いて「天辻」の表札が掛けられた部屋に入る。
 部屋の中は辰弥が捕まった約三週間前とほとんど変わりがなかった。
 強いて言うなら辰弥が壊した窓枠は猛が修理業者を手配していたのだろう、新しいアルミサッシに交換されて外からの風を遮断している。
 いつになく静かな、そして四年前までは当たり前だった静けさに閉口しながら日翔がソファに座り、鏡介が台所に行ってコーヒーを淹れる。
「日翔、コーヒー、淹れたぞ」
 鏡介が日翔の後ろからコーヒーを差し出す。
「あ、サンキュ、辰弥」
 うっかり口をついて出たその名前に日翔が一瞬はっとして、振り返って鏡介を見る。
「悪い、鏡介」
「気にするな」
 自分のマグカップを持って鏡介が日翔の向かいに座る。
 二人が同時にマグカップに口をつける。
 時計の音だけが静かな室内に響き渡る。
「……静かだな」
 沈黙を破って呟いたのは鏡介だった。
「……ああ、」
 抱えるようにマグカップを持ち、その熱を掌に感じながら日翔が頷く。
「あいつがいないと、こんなに静かなんだ」
 しんと静まり返った室内。そこに響く時計の秒針の音。
「……俺、どこで間違えたんだろうな」
 ぽつり、と日翔が呟く。
「三週間前にあいつの本当のことを知ってさ、何としても助け出したい、幸せにしてやりたいって思ってさ。結局、素のあいつと過ごせたのって、たったの二週間じゃないか」
 日翔のその声にだんだん嗚咽が混ざっていく。
「なんで……これから、あいつが幸せになるために色々試そうって思ってたのに、こんなの……こんなことがあってたまるかよ」
 日翔の独白を、鏡介はただ黙って聞いていた。
 鏡介とて言いたいことが何もないわけではない。
 しかし、最終的に辰弥を死に追い込む決断を御神楽に下させたのは自分だという意識はまだ残っていた。
 だから自分には何も言う権利がない。
 ただ日翔の話を聞いて、彼の気が済んだら上町府うえまちふを二人で出よう、と考えていた。
 日翔が自分の胸の内を鏡介にぶちまける。
 それだけ日翔にとって辰弥は大きな存在だったのか、と改めて考えさせられる。
 そんな折、不意にインターホンが鳴った。
 鏡介がGNSで応答し、玄関に向かう。
 玄関には渚、茜、猛の三人が集まっていた。
 情報早いんだよ、と思いながら鏡介が三人を部屋の中に迎え入れる。
「おかえり、日翔くん、水城くん」
 部屋に踏み込んで真っ先に口を開いたのは渚だった。
 目を真っ赤に泣き腫らした日翔が渚を見る。
「『イヴ』、俺……約束、守れなかった」
「……そのようね。鎖神くんも、せっちゃんも、戻ってこなかった」
 淡々と、渚が確認するかのようにそう呟く。
「だけど、あなたは戻ってきたでしょ、日翔くん」
「俺と鏡介だけが戻っても仕方ないんだよ! 辰弥も、雪啼も、結局、俺が……」
 見殺しにした、と日翔が唇を噛む。
「違うわ」
 渚が即答する。
「わたしは現場がどういう状況だったかは分からない。だけど、日翔くんがそう簡単に見捨てるような人じゃないというのは分かってる。そうせざるを得なかったからそうした。そうでしょ? 水城くん」
 渚の言葉に鏡介が頷く。
「雪啼が逃げ込んだ廃工場を焼き払えと言ったのは俺だ。これは言い訳にしかならないが――辰弥なら全てに決着をつけて脱出できると信じていた」
 想定外が大きすぎた、と鏡介は続ける。
「でも、鎖神君が頑張ったから天辻君は助かったわけ……だよね?」
 ふと、茜が口を挟む。
 結果的にはそうなるな、と鏡介が再び頷く。
「一歩間違えたらここに戻ってきたのって水城君一人だった可能性もあったなら、そこに天辻君も戻ってこれた時点で金星……じゃないかな」
 情報屋の情報網舐めないでよ、せっちゃんが吸血殺人の犯人で、天辻君を人質に取って鎖神君がたった一人で乗り込んだんでしょ、と渚より状況を把握していた茜が確認する。
「姉崎、お前よくそこまで調べたな」
 情報屋の情報網、恐るべし、と鏡介が唸る。
「勿論、鎖神君が亡くなったと聞いてびっくりしたし今も信じられないわよ。だけどあの状況で助かる道なんて全く見えないし……本当、なのよね」
 日翔と鏡介を交互に見比べ、それから茜は目を伏せた。
「……一応、私も持てるネットワーク全て使って鎖神君の行方は追ったわよ。だけど、鎖神君らしき人を見たって連絡は入ってないし……やっぱり……」
「……そもそも脱出できるような状況じゃなかった。脱出できるとしたら、俺たちがあのがれきをどかすしかなかった」
 鏡介が素直に状況を説明する。
「俺は、辰弥が助からないと判断して自分と日翔の命を優先させた。見殺しにしたのは、俺の方だ」
「水城君……」
「最終的な判断を出したのは俺だ。日翔にも言ったが、恨むなら俺を恨め。結局、俺は自分の命を最優先にするような最低な人間だ」
 そう考えると辰弥の方がまだ「人間らしかった」のかもしれないと鏡介が呟く。
「水城くん、」
 鏡介と茜のやり取りを黙っていた渚が口を開く。
「自己犠牲はただのバカがすることよ。自分を最優先にして何が悪いの。そして、それが『人間』よ」
「『イヴ』……」
 渚の言葉に鏡介が呆然としたように彼女の通り名を呼ぶ。
 にっこりと笑い、渚は鏡介の肩を叩いた。
「そんなに自分を責めないで。鎖神くんもそんなこと望んでないでしょ」
「そう……だな」
 鏡介が小さく頷く。
「……とにかく、これで上町府での吸血殺人事件は解決、ということでいいでしょうか。結果は残念ですが、『カタストロフ』にも協力してもらった手前報告する必要がありますからね」
 鏡介と渚の会話が一区切りついたと判断したか、猛がそう声をかけてくる。
「そうだな。もう、吸血殺人は起きないはずだ」
「あとは今回の件で『カタストロフ』には大きな借りを作ってしまいましたからね。返済、できるんですか」
 猛の声にあっと顔を見合わせる日翔と鏡介。
 「カタストロフ」も慈善事業をしているわけではない。数多くのPMCやレジスタンスまで巻き込んで、全てロハということはあり得ない。
 それとも、当初の予定では何かしらの返済のあてがあったのだろうか。
「……暗殺連盟アライアンスの報酬一生分でも支払いきれないだろう」
 この様子だと一生アライアンスの狗か、それとも「カタストロフ」移籍もあり得るのか、いや、「カタストロフ」は精鋭揃い、自分のようなしがないフリーランスなど必要ないはず、そう考えながら鏡介はため息交じりに答える。
「いや、それがですね。請求費用としては貴方たちに渡した武装分とIoLイオルまでの輸送費用だけでいいって言ってるんですよね。使用したミサイル一発でその辺全て賄ってる感じなんですけどねえ……」
 猛の元にも使用した兵器等の内訳は届いているのだろう。「貴方たち、派手にやりましたね」と言わんばかりの顔で猛は二人を見る。
「……『カタストロフ』に何かメリットがあったのか?」
 億単位の費用が動いた今回の辰弥救出作戦で、「カタストロフ」にそれくらい払ってやると言わせるほどのメリットなど何も思いつかない。
 ……いや。
「……雪啼を引き渡すつもりだったのか」
 ふと、気が付いて鏡介は猛に尋ねた。
「いえ、そんな条件は提示されませんでした。しかし、LEBレブの情報は『カタストロフ』にとって有益だったのかもしれませんね。そんな生物兵器が存在したという事実はもしかすると『カタストロフ』も開発を検討している……と?」
 なるほどと鏡介は頷いた。
 確かに御神楽は「一度潰した研究を永江博士が復活させた」と言っていた。
 研究データ自体は消したつもりでも、実はまだどこかに御神楽が把握していない研究データが残っているのかもしれない。
「確かに、裏社会この世界では情報が一番の通貨だからな。まぁ、『カタストロフ』がLEBを再開発しようとしても俺たちには関係ない」
 分かった、と鏡介は自分の口座を確認、これくらいなら支払えると即座に猛に入金する。
「早いですね。確かに、受け取りました」
 入金を確認した猛が鏡介を見る。
「それと……二人とも、上町府を出るのでしょう」
 猛に言おうとしていたことを先に言われ、鏡介が一瞬呆気にとられるがすぐに頷く。
「御神楽に目を付けられたからな……武陽都ぶようとにでも行こうかと」
「それなら武陽都のアライアンスに連絡入れましょうか? それとも……もう、足を洗いますか?」
 今ならまだ抜けることができますよ、と猛が提案してくる。
 鏡介はちら、と日翔を見た。
 日翔の強化内骨格インナースケルトンの支払いは終わっていない。
 依頼の数で換算すればあと数回程度、真っ当に働けば数年程度で完済することができるだろう。
 しかし、日翔に真っ当に働くほどの時間は残されていない。
 それに暗殺稼業に慣れてきた身としては今更真っ当に働くという選択肢はなかった。
「すまない、武陽都のアライアンスに引継ぎしてくれるとありがたい。あとは日翔の方だな」
「え? 俺特別に引き継ぐことあったっけ」
 急に話を振られた日翔が頭にクエスチョンマークを浮かべながら鏡介を見る。
「バカか、お前は病気のことがあるだろ。『イヴ』からカルテを引き継いでもらわなければいけないだろうが」
「あー……」
 思い出したように日翔が頭を掻く。
 自分の病気のことを忘れていたわけではないが、何故か渚も一緒だと思い込んでいた。
 よく考えなくても渚は上町府のアライアンス所属の闇医者である。日翔の主治医とはいえ上町府を去る日翔たちについてくる理由がない。
 そう考えるとどっと寂しさが押し寄せてくる。
「そういえば、『イヴ』ともこれでお別れなのか」
 そう言いつつもつい強がって、いや待て逆に清々するのでは? と日翔が呟くと渚が「んー?」と声を上げた。
「あらぁ、日翔くん、そんなにわたしと別れるの寂しいの?」
「……そうだな」
 少し考えて、日翔がボソリと呟いた。
「なんだかんだ言って『イヴ』には世話になったからな。そりゃ寂しくないと言えば嘘になるぜ」
「……そう、」
 そう言って渚は少しだけ笑んで見せた。
 渚としても治療不可能な病とはいえこれ以上何をすることもできないという事実は悔しいのだろう。
「ごめんね、日翔くん。治してあげられなくて」
 そう、柄にもなく謝ってしまった。
 日翔が一瞬、呆気にとられるがすぐに苦笑する。
「『イヴ』にも無理な話だろ。気にすんな」
 もしかして、「イヴ」は俺を看取りたかったのだろうか、と日翔はふと考えた。
 渚はその特性上多くの患者や怪我人を看取ってきたはずだ。
 日翔もそのうちの不特定多数の一人ではあったはずだが、日翔がアライアンスに加入してからの五年、彼女は何度彼を診て世話をしてきただろうか。
 それを考えると国指定の難病であったとはいえ、治癒させることができなかったことに何らかの感情はあったのではないか、と考えてしまう。
 そんなことを考えながら日翔が渚を見る。
 その様子を鏡介と話し合いながら窺っていた猛が話に日翔を巻き込んでくる。
「では、武陽都のアライアンスに連絡しておきましょう。どうせ引っ越しの手配もアライアンスを使うのでしょう?」
 寂しくなりますね、と猛が二人を見る。
「そうは言っても俺の支払いは山崎さんへの振込だから連絡はするがな」
 日翔がそう言ってマグカップに残ったコーヒーを飲み干し、日翔は立ち上がった。
「山崎さんも、姉崎も、世話になった。元気でいてくれよ」
「それは勿論」
 日翔の言葉に猛が頷き、茜を見る。
「それでは、私たちは行きましょうか。『イヴ』はまだ後始末があるようなのでもうしばらく残るようですが私たちの用件はこれまでですので」
 用は済んだ、と猛が踵を返す。
 それに続いて茜も踵を返す。
 二人が玄関を出る直前、一度振り返る。
「武陽都でも頑張ってくださいね」
「ああ、山崎さんも元気で」
 日翔と鏡介が二人を見送り、それから改めて渚を見た。
「後始末?」
 ええ、と渚が頷く。
「鎖神君に卸していた輸血パックとか回収しなくちゃだし。流石に三週間前のものだから消費期限切れちゃってるのよねえ……」
 今更病院に持っていくわけにもいかないし、回収して医療廃棄物にするしかないかしら、などと呟きながら渚が辰弥の部屋に入り明かりを付ける。
「……前々から思ってたけど、鎖神君の部屋って何もないわね」
 壁にポスターを貼ることもなく、部屋に置いてあるのもベッドと机と椅子だけ。
 机の上には数冊のレシピ本が整頓されて並べられていたが、それだけだ。
 渚がクローゼットを開けるとこれまたわずかな着替えが収納された棚とガンロッカー、そして輸血パックを保管していた保冷保管庫が置かれている程度。
「……ほんと、何も知らなかったのね」
 そう言いながら、渚が机の上に目を留める。
「……あら?」
 机の上にはレシピ本だけかと思ったら、それだけではなかった。
 小さなフォトフレームが一つ、置かれている。
 渚がフォトフレームを手に取り、眺める。
 それは以前、辰弥が雪啼とエターナルスタジオ桜花ESOへ出かけた時の写真だった。
 記念撮影オプション付きのコース料理を注文した時に撮影されたもの、ビーバーのキャラクター、キャスターウッズの着ぐるみと雪啼と並んで撮影した辰弥の顔は緊張しつつも笑顔でいた。
「ふふ、楽しんでたのね」
 渚が思わず笑みをこぼす。
「案外、幸せだったんじゃない?」
「そう……かな」
 日翔が不安げに呟く。
「……だって俺、辰弥に家事も何もかも任せっきりだったんだぞ? もっと好きなことやらせればよかったなって」
「それはそう」
「何も知ろうとしなくて、辛かったこととか全然気づいてなくて、思い出したくないことだっただろうに『思い出せればいいな』って軽く言ってさ」
「そこは気楽に言いすぎ」
「……本当に、辰弥は……幸せだったのかな……」
「幸せだったよ?」
 日翔の言葉の一つ一つに冷静なツッコミが入れられる。
「幸せだった、か……え?」
 ちょっと待て鏡介何勝手に返事するんだよ! と日翔が鏡介を見る。
「いや、俺は何も言っていないが」
「でも、返事、したよな?」
 ここにいるのは日翔と鏡介と渚の三人だけである。
 それなのに、返事が聞こえた。
 いや、この声はどう聞いても鏡介の声ではない。辰弥の声だ。
「……辰弥……?」
「うん?」
 確かに後ろから返事が聞こえる。
 三人が同時に振り返る。
 しかし、視線の先には誰もいな――
「もうちょっと視線下げて」
 いた。
 十歳前後の見覚えのある少年。
 黒髪で、ぶかぶかのジャケットとジーンズを身にまとい、三人を見上げている。
 その眼は見慣れた深紅ではなく――黄金の眼。
 それでも、眼の色が違って少年の姿をしている以外の特徴は辰弥と一致する。
「え……辰……弥……?」
 日翔がかすれた声でそう呼び掛ける。
「うん」
 少年が、小さく頷いた。
「嘘、だろ……?」
 鏡介も信じられない、といった面持ちで少年を眺める。
「まさか、幽霊……?」
「そんなバカな、オカルトに走らないでよ」
 鏡介の言葉に渚が気持ち悪そうに言う。
 こんなところに辰弥がいるはずがない。
 しかし、目の前にいる少年は眼の色こそ違えどそれ以外は辰弥そっくりで一体どのような関係なのかと考えてしまう。
 辰弥に子供はいないと聞いていたが、実際は子供がいたのか? いや、そもそもこの少年はLEBの別の個体なのか? そんな考えが三人の中でぐるぐると回る。
 いずれにせよ、日翔の「辰弥?」という問いかけに「うん」と少年は答えている。
 つまり、この少年は本当に――辰弥?
 嘘だろ、と呟いたのは日翔か鏡介か。
「いや、そんな……あり得ないだろ……」
 鏡介と違い、一部始終を見ていた日翔はあの光景をはっきりと覚えている。
 雪啼に叩き潰され、動くことすらできなかった上に落ちてきたがれきに埋もれて脱出することもできなかったはず。
 それなのに、どうして。
 目の前の「辰弥」と名乗る少年に自体が飲み込めず、混乱する。
 まじまじと少年を観察する。
 眼の色、そして十歳くらいの見た目であること以外は辰弥の特徴はちゃんと捉えている。
 辰弥は元から小柄だったが十歳くらいということでさらに小柄になっている。
 よく見ると左腕は欠損しているのかジャケットの左の袖がぶらぶらと揺れている。
 と、目の前の少年は突然その場に膝をついた。
「おい、大丈夫か!?!?
 日翔が少年に駆け寄り、手を差し出す。
 少年が日翔を見上げ、それからおずおずと差し出された手を取る。
 二人の手が触れた瞬間、日翔の脳裏に一つの映像が蘇る。
 あれは梅雨の中でも特に雨が強い日だった。
 路地裏に蹲っていた自分の名前も知らないと言った青年に手を差し伸べたあの時を思い出す。
 あの時の青年――後に辰弥と名付けた彼もおずおずと手を伸ばし、日翔の手を取った。
 目の前の少年の動きがまさにあの時の辰弥で、まさか、と日翔が呟く。
「本当に……辰弥、なのか……?」
「だからそう言ってるって」
 そう言って、少年――辰弥は立ち上がった。
「ごめん、貧血。八谷がいるならちょうどいい、輸血して」
 立ち上がったもののふらつくため日翔に支えてもらいながら辰弥が言う。
「え、ちょっと、本当に鎖神くんなの!?!?
 いまだに信じられない渚がしつこく確認する。
 ついでに懐から注射器を取り出したのは採血して確認したい、ということなのか。
「ちょっと待って今血を抜かれたらやばい」
「……辰弥くんだわ……」
 辰弥の反応に、「本物だ」と認識した渚。
「でも確認するまで信じられないから検査はするわ」
 そう言って、問答無用に注射針を刺して採血。
「あ、やば……」
 血を抜かれ、辰弥がふらりとよろめく。
 手早く採血した渚が持ち歩いている鞄から携帯用の血液検査機械を取り出し、検査を始める。
 よろめいた辰弥を抱きかかえ、日翔は「本当に?」と声をかけた。
「……信じられないかもしれないけど、俺だよ」
「生きてたの? どうやって」
「それだよ! なんで生きてるんだ!?!?
 日翔も漸くそのその疑問に到達したらしい。
 鏡介も頷き、不思議そうに辰弥を眺めている。
「……輸血したら説明するよ。今はちょっと、限界……」
 そう言う辰弥はかなり辛そうで、日翔に縋るような形で立っている。
「まだパック残ってるよね? それでいいから輸血して」
「消費期限切れてるわよ」
「腐ってなければ影響ないから、それでいい」
 辰弥に言われ、「そう言うなら」と渚が保管庫から輸血パックを取り出す。
 ジャケットを脱いだ辰弥をベッドに寝かせ、渚は慣れた手つきで辰弥の腕に輸血用の針を刺す。
「とりあえず四単位入れとく?」
 うん、と辰弥が頷く。
「最速で入れていいよ。早く戻りたいし」
 分かったわ、と渚が流量を最大に調整する。
 そんなことをしている間に検査機械が結果を吐き出す。
 GNSに結果を転送した渚が驚いたように辰弥を見る。
「鎖神くん……? いや、結果は合ってるの。鎖神くんで間違いないの。でも、これ――」
 吐き出した検査結果は確かに目の前の少年が辰弥だと示している。しかし細かいところで差異は生じている。
 誤差ともいえる差異ではあったが、それでも渚は何かが違う、と直感で感じ取っていた。
「……バージョン2ってことにでもしてよ」
「どういうことだ」
 もしかして、お前が生きていることと何か関係があるのか、と鏡介が訊ねる。
 そうだね、と辰弥が頷いて天井を見上げた。
「……ノインの血を吸った」
「は?」「え?」
 鏡介と渚が同時に声を上げる。
 雪啼ノインの血を吸った? それが、辰弥の生存と何の関係が。
 そう考え、鏡介は一つの可能性に気が付いた。
「まさか――第二世代LEBの特性の、コピー……」
「ちょっと待ってどういうこと」
 鏡介の言葉の意味が理解できず、渚が困惑したように鏡介を見る。
 鏡介がああ、と頷いた。
「『イヴ』は聞いてないから知ってるはずがないな。辰弥は――第一号エルステには他のLEBには持ちえない特性がある」
「ちょっ、鏡介!」
 鏡介が辰弥を「エルステ」呼びしたことに日翔が言葉を遮ろうとする。
「いや、いいよ。ここではその呼び方じゃないと説明ができない」
 辰弥が日翔を制止する。
 辰弥が拒絶しなかったことで、鏡介は改めて口を開いた。
「永江 晃が言っていた。『エルステにのみ他の生物の特性をコピーする能力があった』と。その特性を不完全に再現したのがノインだ、とも」
「他の生物の特性を、コピー……」
 信じられないという面持ちで渚が辰弥を見る。
「……ノインの血を吸って、トランス能力をコピーした。まぁ……厳密にはノインの血を吸ったのはもっと前なんだ。その時はまさか雪啼がLEBであるとは思ってなかったし自分にそんな能力がコピーされてたなんて気づかなかったんだけどね」
「トランス……雪啼の、腕とか武器にするやつか」
 日翔の確認に辰弥が小さく頷く。
「……ノインの血を吸っていたことを思い出した俺は液体にトランス、床のひび割れから地下に逃れてナノテルミット弾を回避した」
「全身を別物質に変えることができるのか……」
 鏡介が唸るが、それなら理解できる。
 日翔から聞いて辰弥のダメージの状況は知っている。
 だが、今目の前にいる辰弥は左腕こそ欠損しているものの他に傷があるようでもない。
 トランスを利用した治癒か、と鏡介は納得した。
 しかし左腕が欠損したままということは欠損部位は再生できないということか、と考える。
「左腕が欠損しているのは再生自体はできないということなのか?」
「いや? 再生できるよ。ただ、血が足りなかっただけ」
 だから今輸血してもらってる、と鏡介の問いに辰弥が答える。
「でも、最低限の輸血はできたから」
 そう言って辰弥は上半身を起こした。
 上腕部分で欠損した左腕を前に突き出すようにすると、そこから肉塊が湧き出し、次の瞬間には傷一つない左腕として再生される。
「「……」」
 日翔と鏡介が息を飲む。
 確かに辰弥がLEBという生物兵器という時点で充分な脅威であるがそこにトランス、そしてそれを利用した再生能力まで身に着けてしまえばそれはもう完全に「人間」としての範疇を超えてしまっている。
 今までと同じ扱いでいいのか、という迷いが二人に生じる。
 辰弥はそれを理解しているのか。
 あれだけ「人間」であることに固執しようとしていた辰弥だったのに、これではまるで――。
「……ごめん」
 不意に、辰弥が謝罪した。
「何を」
「生き残りたい一心で、俺は『人間』としての在り方を棄てた。ただ日翔と鏡介の元に戻りたいだけで、一緒に生きていたいと願って、俺はLEBとしての自分を受け入れた。でも二人が俺を拒絶するならそれは受け入れる。二人が望むのが『人間』である俺だというのなら、俺は……出ていくから」
 辰弥もまた、気にしていたことだった。
 あの時、辰弥は「死にたくない」と願ってしまった。
 その時に聞こえた自分の内なる声。
 「トランスしろ」、声は確かにそう辰弥に囁きかけた。
 ノイン雪啼のトランス能力は既にコピーされている、それを使え、と。
 辰弥も最初は拒んだ。死にたくないが、そんなことをするわけにはいかないと。
 日翔も鏡介も望んでいるのは「人間」としての辰弥自分である。「生物兵器」としてのエルステ自分ではない。
 だから、死にたくないという気持ちを殺して死を受け入れるつもりだった。
 それでも声は囁いた。
 「自分の気持ちを殺す必要はない」と。
 「生きたいと願うのなら、生きろ」と。
 その声に辰弥は抗えなかった。
 とはいえ、トランスの方法など分からない。トランスしようと自分の肉体に語り掛けても何も変化は起こらない。
 しかし、視界のカウントダウンが0になり、ナノテルミット弾の発射を悟ったことで命の危機を感じた。
 「死にたくない」、それは辰弥が初めて心の底から願った思い。それが引き金となって辰弥はトランスの方法を閃き、初めてのトランスを行った。
 そうやって床の亀裂から地下へ、下水道へと逃れ、肉体を再構築した。
 肉体を完全に再構築するほどの血液はなかった、ということと御神楽の目を逃れるために以前より小柄な少年の姿を構築し、眼の色も変えた。
 それでも左腕は構築しきれず、とりあえず帰宅して補充すればいい、と帰宅した。
 それが日翔たちが脱出してからの顛末。
 しかしよく考えれば本当にこれでよかったのか。
 あれだけ「人間でありたい」と思っていた辰弥はこの時点で「人間であること」を完全に棄てた。
 再生の瞬間を日翔と鏡介に見せたのはその確認。
 もう、この二人には隠し事をしたくないから、と辰弥は敢えて二人に見せた。
 それで二人が自分を拒むのならそれでいい。
 二人に「自分は生きている」と伝えられただけでいい。
 ふう、と、日翔がため息を吐く。
 それから、辰弥にそっと手を伸ばした。
「日翔……?」
 日翔が辰弥を抱き寄せる。
「……おかえり、辰弥」
「日翔……」
「ああ、よく帰ってきた、辰弥」
 鏡介も微笑んで辰弥に左手を伸ばし、頬に触れる。
「辛かったな」
「……鏡介……」
 困惑した面持ちで辰弥が二人を見る。
 拒絶されたら二人の前から去るつもりではあったが、これは……受け入れられた、と考えていいのだろうか。
 いいの? と思わず辰弥が訊く。
 人間であることを辞めたのに、本当にいいの? と。
「何言ってんだ、お前は『人間』だよ」
 そう言って日翔が辰弥の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ああ、そうやって生きることを望んだ時点でお前は『人間』だ。御神楽 久遠トクヨンの狂気だって『人語を解していたら人間』だという判断だっただろう。俺はそこに『誰かのために生きたい』という感情があれば間違いなく人間だと思う」
 そう言って鏡介が辰弥の頬を摘まむ。
「むぅ」
「お前は俺たちと生きたいと願った。それでいいんだよ。その気持ちだけで、俺たちは報われる」
 ひとしきり辰弥の頬を摘まんだ鏡介が手を放し、日翔に混ざって頭を撫で始める。
「子供扱い――」
「見た目完全子供だろ。ついでだ、引っ越ししたら学校行くか?」
 ちょうどいい、もうその見た目でいろよと言う日翔に辰弥が抗議の眼差しを投げる。
「やだ、元の姿に戻る!」
「いや、御神楽の目を欺くのにもちょうどいいからそのままでいろ」
 鏡介にも言われ、辰弥は「むぅ、」と頬を膨らませた。
「みんな寄ってたかって俺を子供扱いする」
「実年齢七歳なら仕方ないでしょ。実際は小学生よ? 学校くらい行きなさい」
 渚にも言われ、辰弥は「えぇ~」と声を上げた。
「やだ、ガキに紛れてるくらいなら家で自習する」
「ガキがガキ言ってんじゃねえ、仕事は回してやるから、普段は学校行け」
 そう言って日翔は鼻を啜った。
「……日翔?」
 不貞腐れていた辰弥が日翔を見上げる。
「辰弥ァ~!!!!
 不意に、日翔が辰弥を抱きしめてわんわん泣き始めた。
「本当によかった~!!!!
「日翔……」
「脱出してから、日翔はずっと悔やんでいたからな。ほっとしたんだろうよ」
 そういう鏡介の声も震えている。
「本当に、よく戻ってきた。そして、すまなかったな」
「何を」
 鏡介が謝ることはない、と辰弥は笑う。
「あの時の鏡介のあの判断があったから俺は日翔を助けることができたし、最終的に生き残ったんだから謝ることないよ」
 とにかく、と辰弥は二人を見る。
「仕事は回すって?」
「ああ、この二人足洗うチャンスあったのに棒に振ったのよ」
 ため息交じりに渚が説明する。
「仕方ないだろ、今更真っ当に生きられるか」
 日翔が反論し、鏡介も頷く。
「だから、俺たちは武陽都に行く。そこのアライアンスにも話を付けてもらってる」
「そこに、俺もついていっていいの?」
 当たり前だ、と鏡介が頷いた。
「戦力として期待してるぞ」
 その言葉に辰弥が嬉しそうに頷く。
 ただ受け入れてもらえたからではない。
 今後も同じ生活をしていいのだと。それを認められたのが、純粋に嬉しい。
 確かに自分は他の生活を知らない。もっと楽しいことがあるのかもしれない。
 それでも、日翔と鏡介と一緒ならどれだけ辛いことでも乗り越えていける。
 だから、一緒に生きていくのだ、と辰弥は思った。
 血まみれの道でもいい。自分のことを受け入れてくれた、大切な二人と一緒に生きることができるのなら。
「……じゃ、輸血が終わったら引っ越しの準備だ。お前は荷物が少ないんだから日翔の手伝いしてやれよ」
 それはもちろん、と辰弥が頷く。
「あと、GNS入れ直せよ。それから――山崎さんには黙っておくか」
 鏡介がふと呟く。
 辰弥が生きていたことに関しては報告しない方がいい、と鏡介のハッカーとしての勘がそう告げている。
 それに、まだ何かが引っかかる。
 何か、重要なことを忘れているような。
 そうは思ったが辰弥が戻ってきたことが純粋に嬉しくて、それ以上考えるのはやめようと思ってしまう。
 いつか思い出すだろう、そう思い、鏡介は自分の荷物をまとめるために一旦自分の部屋へ戻ることにした。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 辰弥から「日翔が段ボールを片っ端から潰して困る」という泣き言がGNS経由で届く。
「なんだ、最近力の制御利かないのか?」
《なんか、俺が帰ってきて気合入りすぎてる。おかげで俺が日翔の荷物の大半詰めてるよ》
 GNSを導入し直した辰弥からの通話、話したいことは色々あったがアライアンスが手配した夜逃げ業者の時間の都合もあり、話自体は引っ越しが終わってからじっくりするかと一旦通話を切る。
 PCを梱包しながら、鏡介はふと思い立って自分のGNS内のa.n.g.e.l.エンジェルに声をかけた。
《どうしましたか、黒騎士シュバルツ・リッター
「いや、この三週間バタバタしていてお前のことを詳しく調べていなかったからな。今のうちに色々確認しておこうと思って」
 IoLから桜花への船旅に二週間あり、その間に自分のGNSにa.n.g.e.l.を導入したとはいえ大半をリハビリで過ごしていた以上詳しくは調べられていない。
 辰弥が戻ってきて落ち着いた今、詳しく調べる必要がある。
 それに万一a.n.g.e.l.がまだ特殊第四部隊トクヨンとつながっていた場合、辰弥の生存や新たな所在地が筒抜けになってしまう。
 それに関しては現時点でトクヨンがここに乗り込んできていないのでこのa.n.g.e.l.とトクヨンとのつながりは切れていると判断していいだろうが確認は必要だろう。
《私を導入してから何も聞かれなかったのでそのあたりは納得したものかと》
「忙しかったんだよ。で、トクヨンとのリンクはちゃんと切れてるのか?」
《それはもちろん、黒騎士が特殊第四部隊とは関わりたくないと判断したのでリンクは完全に切断しています。お望みでしたらニューラルネットワークを利用してアクセスはしますが》
 a.n.g.e.l.がそう答え、再接続するかと確認してくる。
「いや、いい。トクヨンの情報は俺が必要になったら自分で探す」
 そんなことを言いながら、鏡介はいくつかの質問を投げかけ、a.n.g.e.l.から回答をもらう。
 そもそも今回の引っ越し先の選定もa.n.g.e.l.の協力で行っていたが実際こうやって質問してみるとa.n.g.e.l.の回答の的確さには目を見張るものがある。
 時々、敢えて通常のAIなら引っかかるような質問も投げ、それに対しても正確な返答が返ってくることも確認する。
 そんな質問を繰り返すうちに、ふと鏡介はa.n.g.e.l.このAIに対する興味が湧いた。
 開発者は誰なのか。
 以前、「何者か」と訊いたときには「千年王国ミレニアム製の随行支援用AI」という返答を得ていた。
 ミレニアムとやらも気になるが、そこにここまで高度なAIを構築する開発者がいるというのか。
 一体誰なんだ、俺が知っている賢者開発者がいたら面白いだろうなと思い、鏡介は新たな質問を投げた。
「a.n.g.e.l.、お前を開発したのは誰なんだ。相当な天才だと見受けられるが」
 鏡介の質問に、a.n.g.e.l.が一瞬沈黙した――ような感覚を覚える。
 AIが回答を渋ることはあり得ないから気のせいだろうと思いつつ、鏡介はa.n.g.e.l.の回答を聞く。
《開発者は我らミレニアムが王国評議会最中枢四大天使。神に似たものミカエル様、神の人ガブリエル様、神の癒しラファエル様、神の炎ウリエル様です》
 「ミレニアム」自体は前にも聞いたがやはり知らない名前。それ以外にも聞いたことがない名前が列挙される。
 ――ヨンダイテンシ? テンシとはなんだ?
 鏡介が首をかしげる。
 その後に列挙された「ミカエル」「ガブリエル」「ラファエル」「ウリエル」も聞いたことがない。
 いや。
 一つだけ、鏡介は聞き覚えがあった。
 ――ラファエル? 「ラファエル・ウィンド」の――?
 それは宇都宮うつのみやが狙撃されて生死不明となった後、日翔が勝手に「グリム・リーパー」と名づけた自分たちのチームの「前の名前」。
 鏡介が宇都宮に拾われ、チーム入りした際に「チーム『ラファエル・ウィンド』へようこそ」と言われたからはっきりと覚えている。
 聞いたこともない単語に「どういう意味だ」と鏡介は宇都宮に訊ね、宇都宮は「偉大なテンシの名前だよ」と答えていたことを思い出す。
 あの時は詳しく調べようとも思わず、そのまま受け入れていたが今ここでその名を耳にすることになるとは。
 テンシとは何かの役職か? そう考えるとこの四つの名前は人名なのか、と鏡介は考える。
 しかし、ラファエルなんて名前は聞いたことがない。
 ふと思い立ってブラウザを開き、世界の命名辞典を呼び出して検索してみても該当するものはない。
 世界でも使われていない名前を、宇都宮は使っていた。
 そしてa.n.g.e.l.の回答にもこの名前が出てきた。
 ――もしかして、宇都宮は何か知っているのか……?
 a.n.g.e.l.と宇都宮に、何かしらのつながりはあるというのか?
 世界でも使われていない名前といえば、「宇都宮」という姓もそうだ。桜花の姓データベースにも、桜花の国語辞典にも「宇都宮」という言葉は存在しない。
 とはいえ宇都宮は生死不明、問いただすことは叶わない。
 「ラファエルとは一体何なんだ」と訊こうとして、鏡介は口を閉ざした。
 聞いたところで理解できない説明が返ってくる可能性が高い、そんな気がする。
 先ほどまでの質問からa.n.g.e.l.がでたらめな返事をすることがないと判断しているため正確な情報だろうとは思うが、それでも自分の理解が及ばない何かがあることは事実である。
 結局a.n.g.e.l.とは何なんだ、そう思いつつも鏡介は荷物を一つ段ボールに詰め、それから次の質問を投げかけた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 マンションのエントランスからエコバッグを持った辰弥が出てくる。
「え、お腹すいた? バカじゃないの!」
 GNS通話にもかかわらず思わず声を上げた辰弥がぷりぷりと怒りながら近所のスーパーへと歩いていく。
 少年の背中が雑踏の中へと掻き消えていき、何事もなかったかのように人々は通り過ぎていく。
「……なるほど」
 物陰から、そんなことを呟きながら一人の男が姿を現す。
 GNSに着信が入ったか、男が空中をタップし辰弥が消えて行った方向を見据える。
「……はい、生存を確認しました」
 そう応える男の口調は淡々としている。
「暫く警戒していましたが、御神楽はこの事実を把握していないようです。実際、姿も変えていますし御神楽が把握する可能性は低いでしょう」
 どうやら山崎さんアライアンスも把握していないようですね、と男が続け、雑踏の中へと足を踏み出す。
 ぐるりと周囲を警戒するように歩き、それから辰弥が消えて行った方向へと足を進める。
「……ノインは入手しそびれましたからね……エルステが生存しているのなら引き込みたい。しかし、賭けはわたしの勝ちだったようですね」
 実際、生きていて、のこのこと帰ってきたのですから、と男が続ける。
「よほど仲間のことが大切だったのでしょう。人間の真似事をして、本人――本LEBが満足しているのならそれでいいということですかね……」
 皮肉気にそう言い、男が正面を見据える。
 ちょうど買い出しを終えてスーパーから出てきた少年辰弥の姿が見える。
 視線を悟られないように、男はスーパーに向かって歩き出した。
 総菜が詰まったエコバッグを手にした辰弥も帰路に就く。
「LEBならエルステでも構わない、まあそうなりますね。我々に必要なのはノインではなく、LEBそのものなのですから」
 男と辰弥の距離が縮まる。
「『どんな手を使ってでも懐柔しろ』? 大丈夫ですよ、彼の扱いには心得がありますから」
 男と辰弥がすれ違う。
 すれ違う瞬間、男がちらり、と辰弥を見る。
「大丈夫ですよ。必ず、エルステを『カタストロフ』に引き込んでみましょう」
《その言葉、信じていますよ。お前の描いた青写真なんですからね。なんだったらお前の秘蔵のエージェントも使いなさい――宇都宮》
 男の聴覚にその言葉が届き、通話がそこで途切れる。
 立ち止まって振り返り、男――宇都宮 すばるはマンションへと入っていく辰弥の後ろ姿を見送った。
 その口元が薄く吊り上がり、笑みを浮かべる。
「勿論、私の目的のためにはLEBだろうが『カタストロフ』だろうが利用させていただきますよ」
 そう呟いた昴の姿が雑踏へと消えていく。
 日常の喧騒だけが、街を満たしていく。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 にゃー、と傷だらけの白い猫が路地裏をとぼとぼと歩いている。
 出血は止まっているのか、傷だらけなだけで通り過ぎてきた場所に血が落ちているということはないが、猫は今にも倒れそうな様子で歩いている。
 ふと立ち止まり、猫は再びにゃー、と鳴いた。
 ――パパ、痛いよ……。どうしてこんなことするの……。
 猫の感情など、人間が知る由もない。
 人通りは少ないが、それでも路地裏ならではの寝転ぶホームレスやガラの悪そうな男たちの怪しげな取引を尻目に猫は再び歩き出す。
 ――エルステ、許さない……。
 猫はノインだった。
 日翔によって身体を分断されたため、脱出はできたものの元の姿へと再生することができずに猫の姿になって今こうして路地裏をさまよっている。
 傷だらけなのはここへ来るまでに様々なトラブルに巻き込まれたからだが、今はその傷を再生するほどの血も残っていない。
 放置していても高い治癒能力で治癒はするが、それでも早く治したいものは直したい。
 再び歩き出し、ノインはどうしようかと考える。
 エルステが生きていることは知っている。
 あの第一世代旧世代のエルステがオリジナルのコピー能力を持っているのは知っていたがまさか自分の血を吸ってトランス能力を身に着けるとは思っていなかった。
 しかし、エルステが生きているのならまだチャンスはある。
 いつか必ずエルステを捕食し、完全になって主任の元に帰る。
 ノインはそう固く心に誓い、路地裏を歩く。
 と、不意にそのノインを抱き上げる腕が。
「猫ちゃん! 大丈夫? 怪我してるよ?」
 近くのスラムに住んでいるのだろうか、少し薄汚れた少女がノインを抱き抱える。
 にゃー、とノインが声を上げる。
「大丈夫、ママも猫ちゃん大好きだから、きっと助けてくれる」
 そう言って笑いかけてくる少女をノインが見上げる。
 ――この子を食べよう。
 今は早く元の姿に戻りたい。
 そのためには血肉が必要。
 しかし、以前は生肉がまずいと捨てていたため吸血殺人事件として大事になってしまった。
 ――今度は、うまくやらないと。
 別にノインは血液しか摂取できないわけではない。人肉ぐらい食べられる。
 エルステに「肉は炙れば美味しい」と教えてもらった後は、炙って食べてみたこともある。
 そうでなければ「対象の肉体を捕食して能力をコピーする」というあのエルステよりは劣化したコピー能力が役に立たない。
 流石に骨は食べるのに苦労するため、衣服と共に隠す必要はあるが今度はうまくやればいい。
 この街はいくら御神楽が治安を守っているとしてもまだまだ行方不明事件は多い。行方不明として処理されてしまえばそれっきりである。
 この少女を食べて、バレないように隠して、そして――。
 ――エルステ、待ってて。
「猫ちゃん、一緒におうちに帰ろう。その怪我も手当てしてあげるね」
 そう言いながら少女がノインを抱きしめる。
 にゃー、とノインが声を上げる。
 ――いただきます
 そう、口を開けるノインの顔は、少女には見えていない。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 武陽都、佐々木野市ささきのし
 都市部に程近い、交通の便が比較的いい立地のマンションの一角。
「はい、これで全てです」
 アライアンス所属の夜逃げ屋チームのメンバーが確認書類を転送、鏡介がそれにサインして転送し返す。
「それじゃ、失礼します。……ああそうそう、山崎さんから『無理しないで下さいよ』という伝言預かってます」
「……直に言えよあのジジイ……」
 鏡介の隣で日翔がぼやく。
「……っても、山崎さんからすりゃ『死ぬ前に完済しろ』ってことだもんな」
「それを踏まえてのアライアンス残留だろう、お前は」
 そんなことを言いながら、二人は夜逃げ屋チームのトラックを見送る。
「……おい、辰弥もういいぞ」
 トラックの姿が完全に見えなくなってから、日翔が段ボールの山に声をかけた。
 段ボールの一つがもぞもぞと動き、天面を突き破って辰弥が顔をのぞかせる。
「……窒息して死ぬかと思った」
「しゃーねーだろ、上町府のアライアンスではお前は死んだことになってんだぞ、一緒にトラックに乗るわけにはいかんだろうが」
 娑婆の空気だー、と深呼吸する辰弥を日翔がなだめる。
「いや俺だけ電車リニア移動でもよかったんじゃ」
 別行動すればよかったじゃん、一人旅したかったー、と抗議する辰弥。
 いや待てと日翔が止める。
「十歳のガキが上町から武陽まで一人旅できるほど安全な国じゃないっつの。下手したら悪い人に攫われるぞ」
「だから元のサイズに戻って――」
「上町府を出るまでアライアンスを欺くためにその姿でいると言ったのはお前だろう。それだったら段ボールに紛れて輸送した方が安全だ」
 いそいそと段ボールから出てくる辰弥に鏡介も説得し、辰弥がえぇー、と唸る。
「一人旅したかったー」
「はいはいそれはまた今度な。今はとりあえず荷物を解体するところからだ」
 鏡介が両手をパンパンと叩き二人に指示を出す。
「辰弥、お前はまず台所周りを片付けて使い勝手を確認しろ。日翔、お前は段ボールを持ち主の部屋に運ぶところからだ。あ、俺の荷物は絶対に触るなよ」
 自分の荷物は自分で運ぶ、と鏡介が日翔に釘を刺す。
 おうよ、と日翔が運び込まれた段ボールの山に歩み寄り、肩を回す。
「台所用品はもう集めてもらってるから開けるだけで大丈夫かな……」
 辰弥が手近な段ボールを開けて食器を確認し始める。
 それを見て鏡介も自分用の部屋に運び込まれた段ボールを見た。
 鏡介の荷物としては大半が精密機械のため、日翔には絶対触らせたくない。
 がさつで時々馬鹿力を制御できない日翔にPC関連を運ばれて壊されたら浮かばれない。
 几帳面な字で書かれた内訳を確認しながら、鏡介は「さてどこに何を置くか」と考え始めた。
 そんな、台所に引っ込んだ辰弥と自室に入った鏡介を見送った日翔が「それじゃ、」と軽く両手を叩く。
 まずは上から、と積まれた段ボールの山の一番上の箱を手に取る。
 よいしょ、と下ろして一度床に置き、箱を持ち直そうとする。
 そのタイミングで、日翔は違和感を覚えた。
 いつもなら普通に持てる段ボールのはずなのに持ちにくい。
 いや、指先に力が入らない。
「……あれ?」
 おかしいな、と段ボールから手を放し、手を握ったり開いたりしてみる。
「日翔、何か言った?」
 日翔の声を聞いたのか、辰弥が台所から顔を出す。
「え、いや、なんかおかし――」
 そこまで言った日翔の身体がぐらりと傾ぐ。
「日翔!?!?
 辰弥が日翔に駆け寄る。
「なんか、力が……」
 全身に力が入らず、いや、力は入れているがその力がうまく伝達していない。
 立っていることができず、日翔がその場に膝をついた。
「日翔、しっかり!」
 辰弥が日翔を支えるが、それでも日翔は自分を支えきれずにその場に倒れる。
「え、日翔、何が……」
「何だろ、力が入らん」
 狼狽える辰弥に状況を説明するが、辰弥はかぶりを振って日翔を見る。
「ごめん、何言ってるか、分からない」
「え――」
 自分はちゃんと話しているぞ、と日翔が怪訝そうに辰弥を見るが辰弥は険しい顔をしてもう一度かぶりを振る。
「……まさか、ALSが進行してる……?」
 ALSの症状の一つに思うように話せない構音障害があるとは知識で知っている。
 まさか、その症状が出始めたのか?
 日翔を床に寝かせ、辰弥が鏡介を呼ぶ。
 辰弥に呼ばれた鏡介も日翔に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?!?
 鏡介に声をかけられ、日翔が「大丈夫だ」と上半身を起こす。
 全身の力が抜けたのは一過性のものだったらしく、すぐに身体は起こせた。しかし辰弥に促されて指を動かしてみると思うように動かせない。
「……まずい、かなり進行してる」
「いや、だから大丈夫だって」
 心配をかけまい、と日翔がそう言うが、その時点で彼も漸く違和感に気づいた。
 自分の舌が回っていない。
「……嘘……だろ……」
 こんなに急激に症状が悪化するのか? と呆然とする。
「鏡介、医者呼んで。こっち来て早々医者の世話になるのも大変だけどどうせ近々カルテ引き継ぐつもりだったしちょうどいいよ」
「ああ、連絡先は聞いている、ちょっと待ってろ」
 鏡介が一度離れ、回線を開く。
「日翔……」
 辰弥が心配そうに日翔の顔を覗き込む。
 何も言わず、日翔は辰弥の頭に手を置いた。
 大丈夫だ、引っ越しで疲れて一時的に症状が悪化しただけだ、すぐに戻る、そう自分に言い聞かせる。
 まだ借金は完済していない、こんなところで動けなくなって二人に迷惑をかけるわけにはいかない。
 そう思いながらも、日翔は心のどこかで「やっぱり御神楽の医者が言う通り本当にもう長くないんだな」と考えていた。

 

To the next stage "Vanishing Point Re: Birth".

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おまけ
第一部完結記念イラスト

 


 

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