縦書き
行開け

Vanishing Point 第14

分冊版インデックス

14-1 14-2 14-3 14-4 14-5 14-6 14-7 14-8 14-9 14-10 14-11 14-12

 


 

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 その後に受けた依頼で辰弥が電脳狂人フェアリュクター後れを取り、直前に潜入先の企業を買収したカグラ・コントラクター特殊第四部隊の介入を利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 まずいところに喧嘩を売ったと思うもののそれでも依頼を断ることもできず、三人は「サイバボーン・テクノロジー」からの要人護衛の依頼を受けることになる。
 しかし、その要人とは鏡介きょうすけが幼いころに姿を消した彼の母親、真奈美まなみ
 最終日に襲撃に遭い鏡介が撃たれるものの護衛対象を守り切った三人は鏡介が内臓を義体化していたことから彼の過去を知ることになる。
 帰宅してから反省会を行い、辰弥が武器を持ち込んだことについて言及されたタイミングで、御神楽 久遠くおんが部屋に踏み込んでくる。
 「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」、その言葉に反論できない辰弥。
生物兵器LEBだった。
 確保するという久遠に対し、逃走する辰弥。
 それでも圧倒的な彼女の戦闘能力を上回ることができず、辰弥は拘束されてしまう。
 拘束された辰弥を「ノイン」として調べる特殊第四部隊トクヨン。しかし、「ノイン」を確保したにもかかわらず発生する吸血殺人事件。
 連絡を受けた久遠は改めて辰弥を調べる。
 その結果、判明したのは辰弥は「ノイン」ではなく、四年前の襲撃で逃げ延びた「第1号エルステ」であるということだった。
 「一般人に戻る道もある」と提示する久遠。しかし、日翔たちの元に戻りたい辰弥にはその選択を選ぶことはできなかった。
 辰弥が造り出された生物兵器と知った日翔と鏡介。しかし二人は辰弥をトクヨンの手から取り戻すことを決意する。
 IoLイオルに密航、辰弥が捕らえられている施設に侵入し、激しい戦闘の末奪還に成功する日翔と鏡介。
 鏡介はトクヨンの兵器「コマンドギア」を強奪し、追撃を迎撃するが久遠の攻撃とリミッター解除の負荷により右腕と左脚を失ったものの、桜花への帰還を果たす。
 しかし帰国早々聞かされたのは失踪していた雪啼が吸血殺人を繰り返していることとそれを「ワタナベ」はじめとする各メガコープが狙っていることだった。
 包囲網を突破し、雪啼を確保することに成功した辰弥と日翔。
 義体に換装した鏡介に窮地を救われたもののトクヨンが到着、四人はなすすべもなく拘束される。
 「ツリガネソウ」に収容された四人。改めて一般人になる道を提示されるもすぐに頷けない辰弥。
 そんな折、雪啼が監禁場所から脱走、「ツリガネソウ」は混乱に陥る。
 その混乱に乗じて監禁場所から逃げ出す辰弥たちだったが、久遠との取引の末一度一般人になってみる条件を飲み、雪啼の追跡に当たる。
 しかし、真っ先に雪啼と遭遇した日翔が一瞬の隙を突かれて攻撃され、人質となってしまう。
 日翔を救出すると言う特殊第四部隊に対し、自分で助けに行くという辰弥。
 議論の末、一時間という制限時間で日翔を救出することという条件で辰弥は単身雪啼の待つ廃工場へと向かう。

 

14章 「Vanishing Point -消失点-」

 

 廃工場の入り口の前で一度立ち止まり、辰弥たつやはふう、と息を吐いた。
 ここから先に踏み込めばもう後戻りはできない。
 日翔あきとを救出して、雪啼せつなも連れて帰ることができるのか。
 それとも雪啼を諦めることになるのか。
 いや、誰も助からない最悪の結末になるのか。
 全ては自分の手にかかっている。自分が助かるか、助からないかも含めて。
 一瞬、このまま引き返すか、と辰弥は考えた。
 今ここで日翔を見捨てれば自分は確実に助かる。雪啼に命を狙われることもなくなる。
 鏡介きょうすけと二人で穏やかな時間を過ごせるかもしれない。
 鏡介もこの判断を責めることはないだろう。
 それでも。
 辰弥は一歩を踏み出した。
 廃工場に足を踏み入れる。
 日翔を見捨ててはいけない。日翔は最後まで自分を信じてくれた。御神楽とは意見を違えつつも自分の幸せを考えてくれた。そんな日翔を見捨ててはいけない。
 ざり、と内部に入り込んだ砂利が足元で音を立てる。
 辰弥の視界に一時間のカウントダウンが表示される。
 もう一歩踏み込み、辰弥はエアシャワー室の手前で事切れている兵士を一瞥した。
 袖に縫い付けられた所属を示すワッペンは「ワタナベ」のもの。
 雪啼は言っていた。「兵隊さん、いっぱい」と。
 おそらくこの廃工場を拠点としていた「ワタナベ」の部隊を殲滅したのだ。日翔を抱えたまま、たった一人で。
 勝てるか、と辰弥は独りごちた。
 LEB同士で戦うのは初めてになる。
 特殊第四部隊トクヨンとしても貴重なデータサンプルとなるだろう。
 エアシャワー室に入る前に辰弥は音速輸送機内で受け取った継続輸血装置を取り出し、左腕に巻いた。
 輸血パックをセットし、起動させる。
 輸血速度は最低にして予備の二パックをポーチに入れる。
 大きく息を吐き、辰弥はエアシャワー室に踏み込んだ。
 本来なら一定時間エアシャワーを浴びなければクリーンルームには立ち入ることができないが打ち捨てられたこの工場でその必要はない。
 ロックも壊されていたため、辰弥は扉を開けて中に足を踏み入れた。
「……」
 そこは凄惨な現場となっていた。
 いくつもの「ワタナベ」の兵士「だったもの」が転がり、血溜まりとなった床は足の踏み場もない。
 打ち捨てられた検査機械がいくつか残されたクリーンルームを辰弥がゆっくりと進む。
 その奥の、一台の検査機械の上で、雪啼は待っていた。
 拘束した日翔を横に転がし、退屈そうに足をぶらぶらさせて座っている。
「雪啼、」
 辰弥が、雪啼に声をかける。
 雪啼が頭を上げ、辰弥を見る。
 その顔が嬉しそうに明るくなった。
「パパ、来てくれたんだ!」
 検査機械の上に立ち上がり、雪啼が嬉しそうに笑う。
「……辰、弥……?」
 拘束はされているものの意識は取り戻していたのか、日翔も首を動かして辰弥を見る。
「なんで……」
「……雪啼、帰ろう」
 一歩、雪啼に向かって踏み出し、辰弥が言う。
「来ないで」
 雪啼が、辰弥を制止した。
「それ以上近づたら、あきと、殺す」
「どうして」
 日翔は関係ない、話は聞くから返して、と辰弥は努めて冷静にそう言った。
 今すぐ駆け寄って雪啼を拘束して日翔を救出したい、その衝動が全身を駆け巡る。
 しかし雪啼もLEBである以上下手に動けば日翔は殺される。
 可能な限りは雪啼の要求を聞きたい。
「あきとがこっちにいれば、パパは言うこと聞くよね」
 辰弥は小さく頷いた。
 今ここで雪啼の機嫌を損ねれば日翔の命はない。
「雪啼の希望には極力応える。でも、雪啼の希望は……俺を殺すこと、だよね」
 辰弥の問いに、雪啼がうん、と答える。
ノインはね、完全になって、主任のところに戻る」
「俺を食べて、完全になれるの?」
 あきらの話が本当なら雪啼には生物の特性をコピーする能力がある。
 しかし、造血能力というあらゆる生物の基本的な能力が本当にコピーできるのかどうか。
 辰弥を捕食した場合、得られるのは「完全なコピー能力」の方が理に適っている。
「分からない。だけど、第二世代ノインたちにない力ならコピーできると思う」
 なるほど、と辰弥は頷いた。
 確かに第二世代のLEBにとっては造血能力は「特性」なのかもしれない。
 雪啼がそう思うのも無理はない。
 そうか、と辰弥は呟いた。
「でも、造血能力がなくても輸血すれば済む話だし永江ながえ博士も君がこれ以上殺人を犯すのは望んでいない。今ならまだ間に合う、一緒に帰ろう」
「やだ。ノインは完全になる」
 駄々をこねる子供のように雪啼がイヤイヤと首を振る。
「ノインは完全になるの! 完全になって主任にもっとよろこんでもらうの!」
「雪啼!」
 わがまま言わない、と辰弥は声を上げた。
 雪啼は拾った直後からわがままなところがあった。
 それが「自分好みの容姿を持ったLEBが生まれた」で甘やかした晃の責任であるということを今は理解している。
 一度これと言い始めたら絶対に曲げない、それが雪啼である。
 だが、辰弥は雪啼の「完全になりたい」というわがままは仕方ないものかもしれない、と少しは考えていた。
 輸血をすれば大丈夫とはいえ、外見五歳程度の子供に何度も頻繁に輸血を行うのは酷である。輸血の間は安静にしなければいけないし体の負担も大きい。
 そもそも雪啼が吸血殺人を繰り返したのは輸血ができなかったから。
 その問題さえクリアできれば、雪啼はもう吸血しなくていいしLEBを保護するという御神楽が、そして何よりもノインを愛している晃がこれ以上雪啼を戦わせるようなことはしないはず。
 それなら。
「……パパを食べたら、もう誰も殺さない?」
 そう、辰弥は雪啼に問いかけていた。
 雪啼が一瞬、キョトンとしたような顔をする。
「パパ、食べられてくれるの?」
 それは期待に満ちた声。
 自分の望みが叶うと知った雪啼の希望の声。
 辰弥が小さく頷く。
「君がもう誰も殺さないと言うのなら」
「辰弥!」
 辰弥の言葉に日翔が声を上げる。
「バカ言うな! 俺のことなんてどうでもいいから、お前は逃げろ!」
 日翔の声に辰弥は首を横に振る。
「雪啼の帰りを待っている人がいる。雪啼を愛している人がいるなら、その人の元に返すべきだ」
「お前が死んだら俺たちはどうするんだよ! 帰りを待ってる人がいる? 愛している人がいる? 俺たちは違うって言うのかよ!」
 愛かどうかは分からない。
 しかし、日翔も鏡介も辰弥のことはかけがえのない仲間だと思っていた。
 辰弥がLEBと知ってから、実年齢が七歳と知ってからは「家族」として接しようとしていた。
 それを、辰弥は捨てると言うのか。
「なんでお前は!」
「……俺はもう充分すぎるほど受け取ったから」
 そう言って辰弥がふと笑う。
 その笑みがあまりにも寂しそうで、日翔は居た堪れずに声を上げた。
「そんなの、全然充分じゃねえ! まだまだ足りないんだよ! お前も雪啼も、これからもっと愛されるべきなんだ! 『充分』なんて言うな!」
 自分を拘束するロープを引きちぎろうと日翔がもがく。
「あきと、じゃま」
 もがく日翔に雪啼が静かに言う。
「どうするのパパ、パパがおとなしく食べられてくれるなら、ノインはあきとを返す」
「辰弥、やめろ!」
 日翔が必死に懇願する。
 俺はこうなるためにお前を保護したんじゃない、と全力で訴える。
 それでも辰弥は雪啼に向かって頷く。
「君の条件は呑む。だけど、最後に日翔と話がしたい」
「辰弥!」
 やめろ、ともう一度日翔が叫ぶ。
「いいよ」
 雪啼が頷く。
「だけど、パパもうちょっと近くに来て」
 雪啼の指示に従い、辰弥が雪啼に歩み寄る。
 雪啼がその長い白髪をトランスさせ、日翔を抱え起こし辰弥に向けて差し出した。
 雪啼と辰弥の距離はあと数歩といったところ、その間に日翔が降ろされる。
「日翔、」
 辰弥がナイフを生成し、日翔を拘束するロープを切断する。
 バランスを崩し、よろめいた日翔を受け止めようとする。
 その瞬間、雪啼の腕がトランスした。
 雪啼の腕が鋭い刃となり二人まとめて貫かんと迫り来る。
 咄嗟に辰弥は日翔を突き飛ばそうとした。
 だが、日翔は日翔で辰弥を庇おうと腕に力を込める。
 その結果、より力の強かった日翔が踏ん張った形となり、雪啼の刃は日翔だけを貫いた。
「――っぐ!」
「日翔!」
 咄嗟に辰弥が日翔を引き寄せ、全力で床を蹴る。
 人間ではあり得ない脚力で日翔を抱えたまま後方に跳び、雪啼と距離を開ける。
「日翔、しっかり!」
 腕に意識を集中、通常よりははるかに速いペースでPDWTWE P87を生成し、追撃しようとした雪啼に向けて制圧射撃を行う。
 雪啼が検査機械の裏に回り込み、飛来する銃弾を回避する。
 それによってできた隙に辰弥が日翔の服を捲り上げ、傷の位置を確認した。
 咄嗟のこととはいえ日翔も暗殺者の端くれ、貫通はしたものの致命傷となるような急所は完全に外れていることを確認して安堵の息を吐く。
 辰弥の手に医療用のスティプラーが生成され、彼はそれを日翔の腹の傷口に押し付けた。
スティプラーで素早く傷口を縫合、背中側も同じように縫合して止血を図る。
「……つまんないの」
 検査機械の向こう側で心底つまらなさそうに雪啼が呟く。
「ちょっとおなかすいたから、あきとも食べようと思ったのに」
「雪啼!」
 約束が違う、と辰弥は声を上げた。
「……辰、弥……」
 日翔が辰弥の腕を掴み、呻く。
「なんで俺を庇ったの」
 ガーゼと包帯を生成、傷の処置を行いながら辰弥が日翔を叱咤する。
「分からん、ただ、勝手に体が動いた」
 傷の痛みに顔を顰めながら日翔が答えた。
「痛み止め、要る?」
「いや、そこまでは必要ない」
 辰弥の力を借りて日翔が体を起こす。
 そう言われつつも辰弥は少し考えて鎮痛剤入りの注入機を生成、日翔の首に押しつけて注入する。
「それこそお前もどういうつもりなんだよ。本気で死ぬつもりか!?!?
 即効性の強い鎮痛剤で痛みが薄れたのか、日翔が辰弥のジャケットを掴んで声を荒らげる。
「それで俺と鏡介が納得すると思ってんのか!」
「……正直、ぎりぎりまで迷ってた。あの距離なら雪啼を無力化することも可能だったから日翔を受け取るまではどうするか迷ってた。だけど――」
 そう言って辰弥はジャケットを掴む日翔の腕を掴み、自分から引き剥がす。
 ポーチから予備のCCTを取り出して日翔に手渡し、辰弥は立ち上がった。
「先に約束を破ったのはノインだ。交渉は決裂、最初のプラン通り俺はノインを殺す」
「なっ」
 受け取ったCCTを左耳に装着しながら日翔は声を上げた。
 同時にCCTが起動し、日翔の視界に残り五十分のカウントダウンが表示される。
「うわ、視覚投影……」
 今まで旧型のホログラムディスプレイ型CCTを使っていた日翔が小さく唸る。
 その聴覚に鏡介からの声が届いた。
《日翔、無事か?》
「あ、ああ、雪啼に刺されたが辰弥が応急処置してくれた」
 日翔が頷き、傍に立つ辰弥を見上げる。
「だが、辰弥が雪啼を殺す気で――」
《そういう『依頼』だからな、辰弥本人の》
 鏡介の言葉に日翔はどういうことだよ、と声を上げる。
《一応、今回が『最後』の依頼として辰弥本人がオーダーした。お前の救出と雪啼の確保、それが不可能な場合ノインを殺すというな》
「な――」
《よし、今調整が完了した。CCTのカメラから現場の状況を確認している》
 鏡介がそう言い、回線を調整する。
《辰弥、視覚共有は却下されたが音声くらいはいいだろう。しかし、その様子だと説得は失敗したか》
「うん。まぁ説得って程のものもできなかったけど」
 P87を構えて辰弥が雪啼が隠れる検査機械を見据える。
「ノインは日翔を殺そうとした。これ以上ノインを野放しにしてはおけない」
「ちょっ、辰弥――」
 本気か、と日翔は辰弥を見る。
 その日翔を左手で制止、辰弥ははっきりと宣言した。
「日翔、危険だから下がってて。できればそのまま離脱してほしいけど、君のことだから最後まで見届ける気だろ?」
「辰弥……」
 もう無理なのか、と日翔は呟いた。
 もう、辰弥と雪啼があの日常を送ることはできないのか、と。
 辰弥も雪啼も、もうお互いを殺すつもりでいる。
 どちらか、あるいは二人とも死ぬまでこの決着はつかないのだ。
「やめてくれ、辰弥。全員で、帰ろう」
 どうしても現実を受け入れられず、日翔は懇願した。
 三人で、鏡介の元に戻ろう、と。
 しかし辰弥は首を横に振る。
「もうそういう段階は通り過ぎたの。ノインは君を殺そうとしたし俺も殺すつもりでいる。俺を見捨てるかノインを殺さない限り、君も脱出することはできない」
「くっ……」
 日翔と会話しながらも周囲の警戒は怠っていないのだろう。辰弥が注意深く周辺を窺っている。
「日翔、下がって」
 そう言うと同時、辰弥は床を蹴った。
 雪啼が隠れた検査機械とは別の検査機械にP87の銃口を向け、引鉄を引く。
 吐き出された弾丸が検査機械を穿ち、辰弥はその検査機械を飛び越えさらに発砲した。
エルステもしつこい」
 猫のように背を丸めた雪啼が全身をばねに跳躍する。
 頭上を飛び越える雪啼に視線と銃口を追従させ、辰弥はさらに発砲した。
「辰弥!」
 やめろ、と日翔が叫ぶ。
「日翔は黙ってて! あと下がって!」
 P87を連射しながらも辰弥は継続輸血装置の流量を最大に引き上げる。
 久遠の言葉が正しければ最大流量で、持ち込み分を全て輸血すれば三十分で枯渇する。実際のところこの十分は最低流量で輸血していたため今のパックはまだ余裕があるが戦闘が長引けば輸血に頼らず戦うことになる。
 撃ち切ったマガジンを引き抜き、投げ捨てたその手に新たなマガジンが生成される。
 そのマガジンを装填する隙をついて、雪啼が近くの検査機械から飛び出した。
 空中で薙ぎ払うように手を振るとその前面にいくつものスプーンが生成され、投擲用ナイフスローイングナイフのように辰弥に向かって飛翔する。
「ちっ!」
 素早くチャージングハンドルを引いて初弾を装填、辰弥が飛来するスプーンを撃ち落とす。
 だが、その隙に雪啼は辰弥の横に回り込み、腕をスリングショットパチンコにトランスさせていた。
 そのゴムに子供の握りこぶし大の金属球が生成され、射出される。
 これは撃ち落とせない、と辰弥は咄嗟に首を傾けて回避した。
 銃弾と変わりない速度で射出された金属球が辰弥の後ろの検査機械に直撃し、粉砕する。
「……な……」
 明らかにただの鉄球の威力ではない。鉄よりもはるかに大きい質量の金属――恐らくは、タングステン球。
 どうやらノインの生成能力は俺とは変わらないらしい、と考えた辰弥は雪啼の次の手を考えた。
 雪啼は猫の特性を持っている。その特性は、高い隠密性と身軽さ。
 身勝手さももちろん含まれているだろうが今はそれを考慮している場合ではない。
 ここまでの攻撃を考えると小さめの牽制を行い、その次に威力の高い攻撃を繰り出す。
 牽制からの不意打ちを得意とするのも猫ならではなのか、と思いつつも辰弥は雪啼の気配をたどり、P87を連射した。
 床を蹴った雪啼が素早く検査機械の裏に回り込み、それをよじ登って三次元的な動きを見せる。
 雪啼ほど身軽ではない辰弥はどうしても平面的にしか動けず、攻撃の範囲に死角が生じてしまう。
 その死角から、雪啼は次の攻撃を繰り出した。
 雪啼の周囲に無数の出刃包丁が出現、辰弥に向かって飛ばされる。
 辰弥もP87で応戦するがP87の弾丸では出刃包丁の質量を弾き飛ばすことができず、彼は横に跳んで回避した。
 しかし、先に応戦を選択していたため回避が遅れ、一部の出刃包丁が辰弥の左腕と脚を傷つける。
「くそ……っ!」
 痛みに辰弥が呻くが、この程度の痛みはまだ痛みの範疇ではない。
 筋を損傷したわけでもなく、動きに問題ないと判断した辰弥はそのまま戦闘の続行を決断する。
 鎮痛剤を自分に使用するという考えは浮かばない。
 そんなものは自分に使用されたことはないし使用する必要もないと言われてきて今更使おうと思いつくはずがない。
 だが、この傷は使える
 流れる血を振り払うように辰弥は左手を振った。
 飛び散った血が床の血だまりに落ち、混ざっていく。
 雪啼が検査機械の間を三角跳びで辰弥の周りを高速移動する。
 それを追うようにP87の弾が検査機械を穿つ。
 と、雪啼の身体が空中で方向転換した。
 トランスし、伸ばした髪で検査機械の一つを掴み方向転換したことに辰弥が気付いたのは雪啼が想定外の急接近を行ってから。
 間に合わない、と辰弥は咄嗟に腕に籠手ガントレットを生成し、雪啼に叩き付けた。
 空中からの攻撃で回避ができなかった雪啼がガントレットの攻撃をまともに受け、床に叩き付けられる。
 追撃しようと、辰弥はP87の銃口を雪啼に向けた。
 上半身を起こした雪啼が泣きそうな顔で辰弥を見る。
「パパ、ひどい……」
「――っ!」
 引鉄を引こうとした辰弥に一瞬迷いが生じる。
 騙されるな、これはノインの罠だ、と自分に言い聞かせるも、雪啼を攻撃している事実は変わらない。
 あの数環で情が沸いたのか? いや、そんなはずはない、自分にそんな感情などあるはずがない、と辰弥はいつになく重く感じた引鉄を引く。
 P87の弾が雪啼がいた場所の床を穿つ。
 辰弥がほんの一瞬躊躇したその隙に雪啼は床を蹴り、再び辰弥に急接近した。
 その手に握られたカッターナイフ。辰弥もナイフを生成し、それを受け止める。
「やめ、ろ」
 知らず、そんな言葉が辰弥の口をついて出る。
「帰ろう……元の生活に」
 その辰弥の声が聞こえた日翔がはっとして目の前で戦う二人を見る。
「辰、弥……」
 辰弥とて本当は戦いたくないのかと、考える。
 雪啼と出会ってからの数環、何もなくただ寝食の場所を与えて保護していたわけではない。
 「パパ」と懐く雪啼も、それを慈しむように抱き寄せた辰弥も、少なくとも辰弥は演技ではなかったはずだ。
 本当の父子のように、この二人は接し、過ごしてきた。
 その結果がこれなのか。
 いやだ、と日翔が呟く。
 こんな二人は見たくない。
 しかし鎮痛剤が効いているとはいえ雪啼の攻撃によって受けた傷は深く、下手に動けば傷が開いて出血するのは必至である。
 自分の命など惜しくない。元々余命宣告されている身、今死んだところで予定が少々早まる程度である。
 それでも日翔は動くことができなかった。
 「今動いてはいけない」という本能の叫びにも似た何かが日翔をその場に引き留める。
 辰弥、と日翔は呟いた。
 雪啼が攻撃する以上もうやめろとも言えない。
 そんなことを言えば、日翔がそれを本気で望めば辰弥は雪啼に自分の命を差し出すくらいは普通にするだろう。
 それに、今辰弥が戦っている動機は日翔にある。
 雪啼が日翔を攻撃しないように、日翔だけは脱出できるように、辰弥は戦っている。
 その気になれば日翔は今この場を離れることができるだろう。
 この場を離脱し、鏡介の元へ戻れば。
 辰弥の目的はそれで達成される。
 その目的が達成されたら、辰弥の戦う理由がなくなる。
 それこそ思い残すことはないと雪啼に自分を差し出すかもしれない。
 今の躊躇いがその証拠だ。
 辰弥は本気では雪啼を殺そうなどとは考えていない。雪啼を、本人が望む「完全」にして永江博士の元に返そうとするかもしれない。
 だから、日翔は動けなかった。
 自分が離脱すれば辰弥は死ぬかもしれない。
 それは日翔にとってどうしても受け入れられないことだった。
 同時に、辰弥が雪啼を殺すこともまた受け入れられないことだった。
 道はないのか、と日翔は呟く。
 二人とも生き延びる道はないのかと。
 雪啼が手首を返しカッターナイフで辰弥の首を狙う。
 辰弥が振り抜いたナイフが雪啼の手首を切断し、床にカッターナイフが握られた手が落ちる。
「エルステ、ひどいことする」
 後ろに跳んだ雪啼が腕を振ると血液による生成とトランスの応用で切断された部分の手首が再生した。
「……トランスの応用による再生能力……厄介だね」
 辰弥も傷の治癒能力は常人のそれをはるかに上回るが欠損部位を再生する能力はない。
 継続輸血装置が輸血パック内の血液がなくなったことを通知、辰弥は素早くポーチから予備の輸血パックを取り出して交換する。
 ――ここで十五分か。
 ここまでで全力とは言わないがそれでもかなり速いペースで武器を生成していた。
 この調子では早く決着を付けないとまずい、と辰弥は考える。
 雪啼と違ってトランス能力を持たない辰弥は攻撃の手段は全て自分の血液任せ。
 それに対し雪啼はトランスによる自身の武器化で血液の消費は抑えられる。
 できるか、と辰弥は一度意識を集中させる。
 自分の血に問いかける。
 ざわり、と届く「血」の声。
 まだだ、まだ足りないという囁きに辰弥は手近な死体を見た。
 この死体の血を飲めば足りるか? と考える。
 それから、「いや、駄目だ」と呟いた。
 武器の生成に必要なのはあくまでも「自分の血」であってその辺にある死体の血ではない。
 輸血によって一度「自分のもの」にしているから即座に使えるのであって、吸血した場合はそこからさらに吸収という手順が発生する。
 吸血では必要な血液を即座に賄うことはできない。
 「足りない」からと言って安易に吸血してはいけない。
 そのことは雪啼は理解していないのだろう、時折床に転がっている死体から血を啜り、補充している。
 それよりももっと効率的な方法がある。
 ただ、現時点ではまだ足りないだけだ。
 それに先程負った傷は思っていたより深く、出血はまだ止まらない。
 だが、辰弥はそれでも止血しようとはしなかった。
 これでいいと戦闘続行を決断する。
 雪啼の周りに再び複数の包丁が出現する。
 それを撃ち落としたところで辰弥は漸く気が付いた。
 雪啼を保護してから、何度もあった雪啼による命の危機。
 はじめはスプーンを口に勢いよく突っ込まれるという、「子供だから力加減が分からなかったのか」という案件。
 その後も雪啼は包丁を投げたり出どころ不明のカッターナイフで切りかかったりしてきた。
 首にぶら下がって首を締めようとしたのもあれは事故ではなく、意図的なものだったのだ。
 そう考えていくと、辻褄は合ってくる。
 そういえばあのエターナルスタジオ桜花ESOへ遊びに行く際、チンピラたちと交戦したがその時に謎のタングステン球の飛来というアクシデントもあった。
 あの時は幸運に助けられた、いや、実は俺を狙ったものでは、などと考えてすぐに忘れてしまったが今なら理解できる。
 あれは雪啼が辰弥の隙を狙い、チンピラの攻撃に見せかけて殺そうとしたものだったのだ、と。
 辰弥の、P87を握る手に力が籠る。
「君は、ずっと俺を殺そうとしてたの」
 跳び回る雪啼に、辰弥が確認する。
「今ごろ気付いたの? にぶいね、エルステは」
 そう空中で答える雪啼の両手がアサルトライフルにトランスし、辰弥を狙う。
 背後に日翔の気配を感じた辰弥は咄嗟に片手を突き出した。
 辰弥の目の前に超硬合金のプレートが瞬時に生成され、銃弾を弾き返す。
「日翔、離脱して!」
 振り返り、辰弥が叫ぶ。
「俺には構うな! お前が雪啼を止めろ! そして連れて帰るんだ!」
 日翔も近くの検査機械の影に転がり込んで叫び返す。
 それに対し、辰弥は「違う」と声を上げた。
「違う、俺は、俺は――」
 雪啼の射撃が途切れた瞬間に辰弥はプレートを蹴倒し、床を蹴った。
 射線から日翔が外れるように移動し、P87を雪啼に向けて撃つ。
「これ以上、俺がLEBとして戦うのを見られたくない」
「な――」
 日翔が言葉に詰まる。
 それはまるで辰弥が「人として」の生き方を棄てると言わんばかりの言葉。
 日翔としては辰弥がどう戦おうとそれが辰弥のスタイルだと受け入れるつもりでいた。
 しかし、辰弥はそれすら見られたくない、と言う。
「それに、君も見たくないはずだ。俺が、雪啼を殺すところなんて」
「辰弥……」
 それは事実だ。
 辰弥が一時期とはいえ我が子のように可愛がった雪啼を殺すところなど、見たくないに決まっている。
 いや、辰弥は本気で雪啼を殺すつもりなのか。
 先ほどの言葉は嘘だったのか。
 違う。あの言葉も辰弥の中では真実。
 「人間父親として」の辰弥は雪啼を連れ戻すことを望んでいる。
 しかし、「LEB暗殺者として」の辰弥は殺すことを決断している。
 その中でまだ揺らいでいるのだ、と。
 だから、辰弥は見られたくないのだろう。
 父親として雪啼に殺されるところも、暗殺者として雪啼を殺すところも、そのどちらも。
 そこまで考えてから日翔は首を横に振った。
「バカ言うな! 俺がお前を見捨てて、誰がお前のことを伝えていくんだよ! 俺は最後まで残るぞ! お前の足手まといになんかならない!」
「バカ日翔! 分からず屋! 俺の気持ちは無視するの?」
 激しく雪啼と撃ち合いながら辰弥が叫ぶ。
「俺はもうこれ以上『人として』は生きていけない! LEBとして死なせてくれてもいいじゃない!」
「そんな寂しい死に方させるかよ! 俺はお前を見捨てたりなんかしない!」
 それは日翔のCCTからの映像を確認している鏡介も同じだった。
《そうだ、俺たちは最後まで見届ける。お前の決断を、お前の行動全てを》
「鏡介まで!」
《それに、お前が決断した結果の責任を取る大人も必要だろう。お前一人で抱え込むな》
 鏡介の言葉に辰弥が黙る。
《お前がどうあろうと、『グリム・リーパー』はお前含めてのチームだ。それを忘れるな》
 そう言い、鏡介は勝手に辰弥の視界にマップデータを転送した。
「これは……」
《お前の感覚データ全てを使ってその室内のマップを再現した。雪啼が隠れられそうなポイントも網羅している》
 何をしてでも辰弥をサポートする、その鏡介の強い意志に辰弥が揺らぐ。
「でも――」
《今戦えるのはお前だけだ、Bloody BlueBB、俺たちは全力でお前をサポートする。だから――》
 鏡介の言葉を最後まで聞かず、辰弥は床を蹴った。
 マガジンを素早く交換し、雪啼に急接近する。
 生成したスローイングナイフを投げて牽制し、逃げ道をふさいだところでさらにP87を連射。
 回避できない、と雪啼が腕を髪を盾にトランスして銃弾を受け止める。
 ――必ず、帰ってこい――。
 鏡介のその言葉が辰弥に重くのしかかる。
 帰ることができるはずなんてない。
 今はこうやって雪啼と互角に戦えているようには見えるかもしれないが実際のところはかなりギリギリの戦いを強いられている。
 雪啼の方がトランス能力を持っている分、有利。
 二本目の輸血パックが空になったという通知が視界に表示される。最後の輸血パックをセットする。
 ――二十五分……これでラスト。
 徐々に増えていく傷から流れる血が床の血だまりに落ちてその量を増やしていく。
 辰弥は少しずつ自分が「押されている」ことを理解しつつも雪啼の攻撃を回避、または盾の生成で防御していく。
 実際はもっと大型の武器を生成して反撃したい。
 しかし、今はまだ「その時」ではない。
 雪啼は軽い身のこなしで辰弥の攻撃を回避し、兵士の死体から血を吸っては次の攻撃を繰り出してくる。
 辰弥もその攻撃を回避、それを待っていたかのように彼の想定外の死角から雪啼は辰弥に向けて突撃した。
 懐に飛び込むように雪啼がものすごい勢いで突進する。
 死角からの突撃に、辰弥の反応が一瞬遅れる。
 それでも辰弥は雪啼の両手首を掴んだ。
 しかし、雪啼の突進の勢いを相殺しきれず血だらけの床に二人で倒れ込む。
 雪啼の手首から先が刃にトランスし、辰弥の首を刎ねようとする。
 それを雪啼の腕を折る勢いで跳ね上げる。
「いた……!」
 雪啼が呻くがそれに構わず辰弥は手首を掴んだまま身体を横転させ、雪啼を組み伏せた。
 両手を掴まれた雪啼が髪を棘のようにトランスさせ、辰弥を貫こうとする。
 棘の一本が辰弥の肩を貫く。
 他の棘が全身を貫く前に辰弥は後ろに跳んだ。
 その辰弥の視界に雪啼の動作予測がオーバーレイされる。
《日翔のカメラ映像からa.n.g.e.l.エンジェルに雪啼の動きを予測させた。参考にしてくれ》
 雪啼が動作予測の通りに後ろに跳ね、検査機械の裏に隠れる。
 攻撃を待っていては埒が開かない、と辰弥は雪啼が隠れた検査機械の裏に回った。
 さらに動作予測で雪啼の移動経路に向けて発砲する。
 放たれた銃弾は、それでも辰弥にわずかに迷いを残していたのか致命の一撃とはならずに雪啼の脚を穿ち、転倒させる。
「パパのバカー!」
 雪啼が叫ぶ。「パパ」という言葉に辰弥が一瞬動きを止める。
 雪啼が辰弥を「パパ」と呼ぶのは油断を誘うためだともう理解しているのに、それでもほんの一瞬期待してしまう。
 一瞬動きを止めた辰弥の隙を逃さず、雪啼が腕と髪を棘状にトランスし、辰弥を串刺しにしようとする。
 避けきれず、数箇所まともに受けてしまう辰弥。
「ぐ――っ!」
 抜かれた棘が赤く染まっている。
 ぼたり、と傷から溢れた血が床の血溜まりに落ちる。
 あまりの激痛に、辰弥はたまらず膝をついた。
「辰弥!」
 日翔が叫ぶ。
「大……丈夫」
 呻きつつも辰弥は返事をして、すぐに立ち上がる。
 傷はそこまで重傷ではないし急所は全て外している。出血して痛いがそれだけだ。
 それに――。
 ――これでいい
 今の段階では出血は多ければ多いほどいい
 もちろん、自分の継戦能力にダイレクトに響くのは分かっている。血を武器に生成する上で出血は致命的だ。
 しかし、今はこれでいい。
 ざわり、と自分の血が囁きかけてくる。
 「もう少しだ」と。
 それに、雪啼も死体から吸血しているが吸収に時間がかかっているのだろう。
 先ほどまでのように刃物を生成して飛ばしてこない。
 この数分の攻撃は専らトランスによる自身を武器にしてのもの。
 吸血ではなく輸血で継戦能力を維持している辰弥の方に分は傾きつつある。
 それでも辰弥もまた大量に血を消費しているのは事実だった。
 最後の輸血パックの残量も半分ほど。これを使い切ればあとは自分の体内の血のみで戦わなければいけない。
 視界のカウントダウンが残り三十分を知らせてくる。
 遅くともあと二十分で決着をつけなければ脱出すらままならない。
 マガジンをもう一つ生成、交換して辰弥はP87の銃口を雪啼に向ける。
 雪啼が素早く横に跳んで検査機械に隠れる。
「逃げても無駄だよ!」
 鏡介のアシストによる動作予測で辰弥がP87を発砲する。
 しかし、その先に雪啼は現れなかった。
 予測が外れたことに驚愕し、辰弥が周りを見る。
「辰弥! 上だ!」
 日翔が叫ぶ。
 ほとんど反射的に辰弥はP87を頭上に向けて引鉄を引いた。
 空中で雪啼が身を捻りながら腕を槍状にトランスし突っ込んでくる。
 辰弥がP87で強引に槍を払い、雪啼を床に叩き付ける。
 槍に叩き付けた衝撃でP87が破損し、辰弥はそれを投げ捨てつつも床に叩き付けた雪啼に追撃しようとした。
 雪啼はというと猫のように軽い身のこなしで床に叩き付けられることなく着地、後ろに下がり再び辰弥に突進する。
 辰弥も床を蹴り雪啼に突進する。
 雪啼の腕が刃にトランスしたのを見た瞬間、辰弥は身を落とした。
 スライディングの体勢に入り、ぎりぎりのところで振り下ろされた刃を回避、雪啼に足払いをかける。
 五歳児体形で体重も平均より軽かった雪啼があっさりと転倒する。
 辰弥は血で滑る床で強引に体にブレーキをかけて反転、先程生成し、投げ捨てていたナイフを拾って雪啼に切りかかる。
「パパ!」
 雪啼が叫ぶ。
 この言葉を口にすれば辰弥は一瞬でも止まる、そう判断した雪啼の声。
 だが、今度は辰弥も止まらなかった。
「同じ手は!」
 辰弥のナイフが雪啼に迫る。
「エルステ、ずるい!」
 雪啼が咄嗟に腕を刃にトランスさせて辰弥のナイフを受け止める。
 五歳児とは思えない腕力で押し返され、辰弥が低く唸る。
「ノイン! いい加減にしろ!」
「エルステこそ、さっさと死んじゃえ!」
 伸し掛かって体重差で圧倒しようとする辰弥を腕力だけで振り切り、雪啼は後ろに跳んだ。
 辰弥も追撃したいところではあったがP87は壊れて使い物にならず、今新たに銃を生成するにも血は温存しておきたい。
 それでも攻撃のチャンスは無駄にしたくなくて辰弥はハンドガンTWE Two-tWo-threEを生成し、発砲した。
 銃弾が雪啼の頬を掠める。
 雪啼がその血からスローイングナイフを生成して辰弥に投げる。
 それを撃ち落とし、辰弥はさらに雪啼に向けて発砲した。
 腕や脚を撃ったとしても回復が早い上に雪啼は再生能力がある。決定打にするには心臓か脳を破壊しなければいけない。
 しかし、辰弥の正確な狙いも雪啼の身軽さが上回り、決定打とならない。
 せめて、再生能力さえ封じることができれば。
 いや、それは可能だ。
 今辰弥が準備しているものが整えば決定打に近づけることができる。
 ――あと少し
 そのタイミングで、継続輸血装置にセットした最後の輸血パックが空になった通知が届く。
 ――このタイミングで!
 カウントダウンを見る。残り二十五分。
 あと十五分で決着をつけなければ日翔を脱出させることができない。
 ただのオブジェと化した継続輸血装置を取り外して投げ捨てる。
 久遠が見たら「もったいないことをするな」と怒りそうだがそんなことに構ってはいられない。
 身軽になり、辰弥は腕を振った。
 飛び散った血が血溜まりに落ちる。
 辰弥も雪啼も全身に大小様々な傷を負い、これ以上の出血は継戦能力に影響するところまで来ている。
 いや、そうではない。
 雪啼は吸血した血が少しずつチャージされている。辰弥は今まで輸血していた分余裕がある。
 それでも大技を繰り出すことはできない、そう思っていた。
 少なくとも、雪啼は。
「エルステもう打ち止め?」
 煽るように雪啼が声をかけてくる。
「さあ、どうかな」
 わずかに余裕を残した状態で辰弥が答える。
「でももうエルステは輸血できない。ノインはまだ兵隊さんの血がある」
「それは――どうかな」
 再び腕を振り、辰弥が意味ありげに笑う。
「辰弥……」
 物陰から二人の戦闘を見ていた日翔が低く呟く。
「何か手があるのか……?」
 日翔は辰弥が何を企んでいるのか全く想像もつかない。
 一応、鏡介から「何か策があるらしい」ということは聞かされていたが鏡介もまたそれが何かを分かっていない。
 辰弥がもう一度腕を振る。傷から流れた血があたりに飛び散る。
 その瞬間、辰弥はここに来て初めて不敵な笑みをその顔に浮かべた。
「辰弥……?」
 日翔が怪訝そうな声を上げる。
「見せてあげるよ、これが本気を出したLEBの戦い方だ!」
 ――今だ!
 不思議そうに視線を投げてくる雪啼をよそに、辰弥はその場に身を沈めた。
 いや、腰を落とし血まみれの床に手を付ける。
「俺の知識、舐めないでよね!」
 辰弥が床に手を付けた瞬間、ざわりと空間がそよいだ。
 いや、空気が揺らいだのではない。
 揺らいだのは血だ。
 このクリーンルーム内に流れ、血の海を構成していた血液が全て辰弥に呼応するように揺らぎ、波紋を起こす。
 それは全て意思を持って辰弥に集まるように流れ、彼の後ろで何かを構築し始める。
「な――」
 日翔が声を上げる。
 自分の目の前で構築されていくものが何かはよく分からない。しかし大掛かりな機械であることは確かだった。
 こんなものも作れるのか、と日翔が驚愕する。
 構築された機械が唸りを上げて起動する。
「……ジェネレーター……? エルステ、なんでそんなもの」
 辰弥の後ろに構築されたのは二基の大型ジェネレーター。
 ただし、そんなものを作ったところでジェネレーター自体に攻撃能力など存在しない。
 しかし雪啼は本能的に「これは危険なものだ」と察知した。
 辰弥よりジェネレーターの破壊を優先しようと、両腕を、そして髪を大型のハンマーにトランスさせる。
「させない!」
 流石にこの規模の構造物の生成には時間がかかる。
 起動はし始めているが必要なエネルギーが出力されるまでの時間を考えると今ここで雪啼を足止めしなければ全てが無駄に終わる。
 ジェネレーターに向けて突撃しようする雪啼に向かって辰弥も床を蹴った。
 彼の両腕が鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ発動のモーションに入る。
「何するつもりなの!?!?
 辰弥のモーションに、危険を察知した雪啼が後ろに跳ぶ。
 そのまま、辰弥は鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュを発動した。
 無数のピアノ線がクリーンルーム内に張り巡らされる。
「それ、もう見た」
 一度見た技なら見切れると、雪啼が猫のような身のこなしでほんのわずかにしか存在しないピアノ線とピアノ線の間隙を見切って回避し、ダメージを受けることはない。
「なんでジェネレーターを? 無駄に血を使ってどうするの? そんなのでノインを止められると思った?」
 ジェネレーターは気になるものの生成した意図が見えない。
「もしかして、ジェネレーターを爆破してこの部屋もろともノインを吹き飛ばすつもり? そんなことしたらエルステもあきとも無事じゃないよ?」
 雪啼が続ける。
 しかし、辰弥はそれには構わない。
「止められると思ったし、全部想定の範囲内だ!」
 辰弥が大きく後ろに跳ぶ。
 着地後、今度は上空に跳び上がる。
 ――作り出せ!
 全身に命令を飛ばす。
 両手だけではない、全身に負った傷まで使い、その命令を展開させる。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 辰弥が吠えた。
 ただでさえ「血溜まりの血に自分の血液を混ぜて自分のものにする」という離れ業をやってのけた上にその血を使って大型ジェネレーターを二基生成した。
 その時点では血液の消費量コストは「血溜まりの血を制御下に置く」ためにわざと流したものだけとはいえ集中という意味での体力は使う。
 大掛かりな生成命令に辰弥の全身が悲鳴を上げる。
 LEBとしての限界を超える生成に意識が持っていかれそうになる。
それでも、辰弥は自分の周囲に複数の戦術高エネルギーレーザー砲MTHELを生成した。
 同時にケーブルをジェネレーターに直結、エネルギーを充填させる。
「! させない!」
 雪啼が辰弥に向かって跳躍する。
 しかし、辰弥がレーザーを発射するほうが早かった。
 幾条ものレーザーが放たれる。
 しかし、それは照準合わせがうまく行っていなかったのか雪啼の服をわずかに灼くだけで逸れていく――と思われたが、次の瞬間、レーザーは複雑に反射して雪啼を切り刻まんとするかのように襲いかかった。
「――!」
 雪啼が咄嗟に空中で身を捻る。
 その視界にチカリ、と何がが反射して見える。
「鏡!?!?
 クリーンルームのあちこちに設置された鏡がレーザーを反射し、そのレーザーがさらに別の鏡に反射して複雑な軌道を描いている。
 それはさながら「レーザーによる鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ」のよう。
 超高出力のレーザーはそのまま室内の天井や壁、それらを支える柱、打ち捨てられた検査機械までもを灼き、その一部を崩していく。
「まさか、さっきの――」
 先程回避した辰弥の鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ
 あれは自分を牽制するために発動したものだと思ったのに、と雪啼は唸った。
 牽制は囮で、本命はピアノ線の先に生成した鏡の設置。
 エルステの方が一枚上手だったのかと、雪啼は辰弥を見る。
 雪啼が空中で身を捻ったのを見て辰弥がもう一枚鏡を生成して投げる。
 その鏡に反射したレーザーが雪啼の左腕を切断する。
「――っ!!!!
 レーザー照射が終わると同時に雪啼は床に落ちた。
 服はボロボロに焼け焦げ、体も数箇所超高出力レーザーを受け灼かれた上に左腕を失ったがその目に絶望の色はない。
「こんな怪我!」
 そう言いつつも雪啼が切断された左腕をトランスで再生しようとする。
 しかしレーザーによって切断された傷口は完全に灼かれており、出血しないため生成からのトランスが機能しない。
「やっぱり灼けば再生できないか」
 床に降り、辰弥が呟く。
《BB、お前――》
 辰弥の聴覚に鏡介の驚愕の声が届く。
 確かに辰弥はここへ来る直前、久遠からMTHELの設計図を見せてもらっていた。
 これが何かしらの作戦に役立つのかと鏡介は思っていたが、まさかこんな方法でジェネレーターを生成してしまうとは。
《BB、今のうちに!》
 雪啼が動きを止めた今ならチャンスだ。
 早く仕留めろ、と鏡介が指示を出す。
 辰弥が銃を手に雪啼に一歩歩み寄る。
 そこで辰弥は激しい貧血に襲われ、その場に膝をついた。
「――っ、」
 ――血を、使いすぎた。
 全身が、心臓が血液を求めて急速にその拍動を早めている。
 急速に暗転する視界に耐え、床に両手をつく。
 体を起こせ、と自分を叱咤する。
 雪啼も大きなダメージを受けている。再生もできないなら今が最初で最後のチャンス。
 片手で胸の辺りを掴み、辰弥は喘いだ。
 あと少し、あと少し、動いてくれれば。
「辰弥!」
 すぐ近くにいるはずなのに日翔の声がとても遠くに聞こえる。
「辰弥、避けろ!」
 日翔の叫びがかすかに聞こえる。
 辰弥が視線を上げると、そこに右腕をハンマーにトランスさせ、振り上げた雪啼の姿が見えた。
 雪啼の右腕のハンマーが振り下ろされる。
 重い衝撃を受け、辰弥はその場に叩き伏せられた。
「――ぐっ、」
 辰弥が低く呻く。
 雪啼がもう一度ハンマーを振り上げ、振り下ろす。
 肉が叩き潰される音、そして骨が砕ける音があたりに響く。
「辰弥!」
 日翔がもう一度叫ぶ。
 嘘だ。辰弥が負けるはずなんてない。
 目の前の光景は夢なのだと自分に言い聞かせる。
 あの時、辰弥は確かに雪啼の動きを止めた。
 あの状態なら殺すこともなく捕獲できたはずだ。
 それなのに、どうして。
「まさか、ここで……」
 血を使い切ったのか、と日翔が呟く。
 ジェネレーターの生成はよく分からなかったが周りの血を使った、ということはなんとなく理解できた。
 しかしその後の複数のMTHEL同時生成は相当な負担と血液の消費があったはずだ。
 つまり、あの時とどめを刺せなかった辰弥の敗北は確定。
「嫌、だ……」
 日翔が呟く。
「立てよ……立ってくれよ!」
 あのダメージではそんなことを望めないと分かっていても日翔が声を上げる。
「エルステ、ひどい、ひどいよ!」
 雪啼が何度もハンマーを振り上げ、辰弥に向けて叩き付ける。
 頭部を潰さずにいるのは苦痛を長引かせようとしているからか。
 もう意識がないのか、辰弥は動くこともなくただされるがままになっている。
雪啼のハンマーが赤く染まっているが、辰弥はすでにかなりの血液を消費していたのか血が飛び散るほどの凄惨な場面にはなっていない。
「辰弥!」
 これだけダメージを受ければいくらLEBとはいえ致命傷だろう。
 再生能力があればまだ助かる道はあるかもしれないが辰弥にその能力はない。
「雪啼、やめろ! もうやめてくれ!」
 日翔が叫ぶが、雪啼は辰弥を痛めつけるのに夢中で聞いてすらいない。
「エルステはじっくり殺す! 殺してから、全部食べる!」
 雪啼のハンマーが辰弥に叩きつけられる。ぐちゃり、という音が生々しく響く。
《くそ、ここまでか……》
 鏡介の言葉が日翔に届く。
《日翔……クソッ、今のうちに離脱しろ! 今ならまだお前だけでも逃げられる!》
 そう指示を出す鏡介の言葉も苦しいものだった。
「なんで! 辰弥を見捨てるのかよ!」
 思わず日翔が抗議する。
 日翔も理解はしていた。あれでは辰弥は助からないと。
 雪啼が辰弥を夢中で攻撃している今なら安全に離脱できると。
 それでも日翔は動けなかった。
《辰弥の意思を無駄にする気か!》
 鏡介が怒鳴る。その声があまりにも大きすぎて聴覚フィルタリングされ、ボリュームが強制的に下げられる。
「だが……!」
 辰弥をこのままにしては逃げられない、と日翔が唸る。
 いや、せめて雪啼を止めてから――。
 鏡介の制止を聞かず、日翔が思わず手を伸ばす。
 その時、日翔のCCTに割り込みで通信が入った。
「――っ!」
 発信者は辰弥。
 まだ意識はあったのか、と日翔が回線を開く。
《……日、翔》
 頭部は潰されていないものの、GNSの制御ボードには多少のダメージが入っているのかノイズ混じりで辰弥の声が日翔に届く。
「辰弥!」
 日翔が飛び出そうとする。
 それを、
《待って……まだ、その時じゃ……ない》
「何を、」
 今行かなければお前を助けられない、と飛び出しかけつつも、日翔は辰弥の指示に従う。
《……君に、選択を……任せる……》
 辰弥の指示は日翔の予測から大きく外れているものだった。
 これが「一人で逃げろ」だったら迷わず飛び出して辰弥を助けようとしただろう。
 だが、「選択を任せる」とは。
《……君が……ノインを、殺して》
「……え……っ」
 もしかしたら来るかもしれないとは思っていた言葉。
 辰弥は雪啼ノインを殺すつもりでいた。
 その結果、二人は激しくぶつかり合ったしこのような展開になった。
 今回の「依頼」が辰弥オーダーの「ノインを殺す」であることも理解している。
 しかし、それでも。
「俺が、雪啼を……」
《ノインを、止められるのは……君しか……いない……。無理にとは……言わない……》
 日翔が辰弥を、そしてハンマーを振り回す雪啼を見る。
《選んで……。自分か、雪啼を》
 その言葉に日翔がはっとする。
 もう、ここまで来たら「全員で帰る」などという欲張った答えを出すことはできない。
 辰弥は助からない。
 その時点で出てくる選択肢は日翔じぶんか雪啼。
 早く決めなければ、雪啼は日翔も殺すだろう。
 放置すれば雪啼は辰弥も日翔も殺し、そしてナノテルミット弾に灼かれる。
 そうなれば、最悪の結末ゲームオーバー
 日翔が拳を握りしめる。
「……俺に、何ができる」
 苦しげに唸る日翔。
 辰弥がちら、と、こちらを見た気がした。
《武器は、俺が……》
 あと一つくらいなら作れる、と辰弥が答える。
《……君だけが、頼り……なんだ……》
《日翔急げ! BBももうもたない!》
 日翔の視界に鏡介から辰弥のバイタルが転送される。
 今にも途絶えそうな脈拍は辰弥が意地でもたせているだけなのか。
「く――っ、」
 日翔が拳を握り締める。
 ――俺が代わりに雪啼を殺せ、だと――?
 もう「連れて帰る」などという段階を通り過ぎていることは理解している。辰弥も助からないことは理解している。
 ここで雪啼を殺せば御神楽の手を離れたLEBは全ていなくなるという事実も把握している。しかし――。
「俺には……」
 ――ノイン雪啼を殺すことなんて、できない。
 その思いがどうしても脳裏をよぎる。
 まだどこかで雪啼だけでも助けられないかと考えてしまう。
 まだ、雪啼が辰弥を殺そうとしているという事実が受け入れられない。
 夢なら覚めてくれ、と日翔は願った。
 しかしそんな甘い願いが叶うほどこの世界は甘くない。
 何度もハンマーを辰弥に叩き付けた雪啼が大きく息を吐く。
「……飽きた。もういい、エルステ、殺してあげる」
 その雪啼の言葉が日翔の耳に入る。
 日翔が雪啼を見ると、彼女は髪をトランス、分離させて一振りの大鎌を生成していた。
「あきとのうわぎでみた。かっこいい武器。エルステを刈り取るのに向いてる」
 血に塗れた黒いロリータ服に、背丈をはるかに超える黒い大鎌を持った雪啼はまさに死神だと日翔は思った。
 辰弥の命を刈り取らんとする漆黒の死神。
 雪啼がゆっくりと辰弥の周りを回り、見定めるように見下ろす。
 日翔の目に大鎌を持った雪啼の背が、そしてその向こう側に倒れる辰弥が映る。
「細かく刻んだ方が食べやすいかな、それとも一息に殺してほしい?」
「……」
 雪啼の声に反応し、辰弥の指先がぴくりと動く。
 それを見た雪啼があはは、と無邪気に笑う。
「まだ動けるんだ?」
「……」
 辰弥が雪啼に視線を投げる。
 その目に光がまだ宿っていることに気づき、雪啼は大鎌の切っ先をその目の前に突きつける。
「でも、もう戦えないよね? だったら――」
 そう言って雪啼は振り返り、日翔を見た。
「先にあきと、殺そっか? そしたら、エルステ、絶望してくれる?」
「……日翔は……殺させ……ない、」
 息も絶え絶えに辰弥が言う。
 それから弱々しく咳き込んで気道に上がってきた血を吐き出す。
「何言ってるのエルステ、もう何もできないのに強がってるの? それとも、だれかが助けに来てくれるのを待ってる?」
 余裕そうな雪啼の声。
「……君……は、必ず……殺す……」
「あはは、無理言わないでエルステ。もしかしてあきとがノインを殺すって期待してる? 無理だよ、あきと、武器持ってない。インナースケルトンだかなんだか知らないけど、ノインが硬くトランスしたらあきとなんて怖くない」
 雪啼は左腕を切断され、体のあちこちを灼かれて相当なダメージのはずなのにまだ平然と立っている。
 日翔、雪啼を殺してくれ、と辰弥は日翔に願った。
 この事態を収拾できるのは日翔しか残っていない。
 さもなければ、逃げてくれ、と。
 しかし霞む視界の先にいる日翔はまだ迷っているのか逃げることも立ち向かうこともせずまだその場に佇んでいる。
 早く、と辰弥はGNSを通じて日翔に懇願した。
 何もかもが手遅れになる前に。
 くるり、と雪啼が辰弥に向き直る。
「でも、エルステを殺してからでいいかな。あきと殺してる間にパパ、死んじゃいそうだし」
 そう言い、雪啼は大鎌を振りかぶった。
「さよならパパ。せつなの一部になってね」
 ――日翔!
 辰弥が心の中で叫ぶ。
 そして、最後の力を振り絞って上半身を起こし、左手を雪啼に向けて振った。
 血液を殆ど失った辰弥の左腕が刃となり、雪啼を掠めて投擲される。
 「あれ? まだ抵抗できるの? でも残念、外れちゃったね」
 血液の代わりに肉体を素材として刃を生成したのか、辰弥の左腕がジャケットの袖だけとなり床に落ちる。
「もう打つ手、なくなっちゃったね」
 文字通り手がなくなった辰弥に雪啼が笑う。
 しかし、辰弥はまだ諦めていなかった。
《日翔、動くなら今だ!》
 GNS経由で辰弥の声が日翔に届く。
 その声に、日翔は床を蹴った。
 全力でのダッシュに先程縫合された傷が開くがそれには構わず辰弥が投擲した刃に手を伸ばす。
「うおおおおおおお!!!!」
 日翔の叫びに雪啼はもう一度振り返った。
 日翔が床に落ちた刃を拾い、下段に構えて雪啼に突進する。
「あきと!?!?
 そう声を上げつつも雪啼は日翔に向けて大鎌を振るう。
 その刃が届くよりも迅く日翔は雪啼の懐に飛び込み、彼は逆袈裟斬りに刃を振り上げた。
 リーチの違う大鎌では捌けない、と雪啼が体の表面を硬質化させる。
 いくら日翔の力でも硬質化してしまえばナイフなど怖くもない。
 しかし、日翔が振り上げた刃は硬質化したなど関係ないと言うように易々と雪啼の胴体に食い込み、両断した。
 まさか、単分子ブレード? と雪啼の唇が動く。
 どのような刃物であっても硬質化した体には傷一つ付けられないはず。
 たった一つ、単分子ブレードを除いて。
 その単分子ブレードを、辰弥エルステは自分の左腕と引き換えに生成したというのか。
 切り裂かれた雪啼の上半身が宙を舞って床に落ち、下半身が辰弥の側に倒れる。
《ノインの頭を……。残したら、再生する……》
 辰弥の言葉に日翔が床に落ちた雪啼の上半身を視認する。
 辰弥の指示通りにとどめを刺そうと足を踏み出し――
 その目の前、日翔と辰弥、そして雪啼を分断するかのように天井が崩落した。
「な――!」
 どうして崩れた、と日翔は一瞬呆然とする。
 しかしすぐに思い出す。
 あの、雪啼に対して放った複数のMTHELと鏡による攻撃。
 超高出力のレーザーにこの室内も、天井を支える柱ですらも灼かれていたことに。
 ただでさえ廃墟となっていたこの工場、MTHELによってダメージを受けた柱は限界だったのかもしれない。
「辰弥!」
 日翔が叫んで崩れたがれきに駆け寄る。
「待ってろ、今助ける!」
 開いた傷から溢れる血が床を濡らすが日翔は構わずがれきに手をかけた。
 インナースケルトンの出力で強引にがれきを持ち上げ、横にどけようとする。
《……日翔……離脱して……》
 弱々しい辰弥の声が日翔に届く。
「何言ってんだ! 戻るなら、お前も一緒だ!」
 そう言いながら日翔が次のがれきをどける。
《……もう、助からない……のに……》
「諦めるな! 俺は、お前を連れて帰る!」
 さらに次のがれきに手をかける。
《日翔、何やってる、離脱しろ!》
 鏡介からの声も届く。
《あと十分ほどでナノテルミット弾が発射される! お前も逃げられなくなるぞ!》
《鏡介の……言う通り、だから……》
 早く逃げて、と辰弥も言う。
 しかし、日翔は激しく首を横に振った。
「嫌だ!」
《お前はガキか! お前まで巻き込まれたら辰弥がどう思うか考えろ!》
「辰弥を見捨てたくない!」
 辰弥はまだ、生きなきゃいけないんだと日翔が叫ぶ。
 四年前に研究所から逃げ出して、自分たちと出会って、血に塗れた生活だったがそれでも幸せだったのだと思いたい。
 それをこんなところで終わらせたくない。
 もっと、もっと自由に、幸せになってもらいたい。
 確かにLEBとしての宿命からは逃れられないだろう。それでも、「人間」として、生きてほしい。
 もう助からないなんて嘘だ、だから助ける、と日翔は瓦礫に手をかける。
《……もう、いいから……》
 早く離脱してと辰弥が懇願する。
《俺はもう……充分生きたから……》
「たった七年でか!?!? ふざけんな、人生もっと楽しいことがあるってまだ何も教えてないんだぞ!」
 日翔が叫ぶ。
「だから生きろよ!」
 日翔の視界のカウントダウンも残り十分を切ろうとしている。
《日、翔……》
 辰弥が日翔の名を呼ぶ。
「なんだ、もう少しだから、待ってろ!」
 倒れた柱に力をかけながら日翔が呼びかける。
《……ありが、とう……》
 たった一言、辰弥はそう言った。
 GNSの回線が途絶える。
「……辰弥……?」
 日翔が辰弥の名を呼ぶ。
 しかし視界には【Disconnect】の表示が映されるだけ。
「辰弥!」
 傷口が広がるのも構わず、日翔は柱をどけた。
 それでも瓦礫はまだ残っている。
 次の瓦礫に手をかけようとした時、日翔は後ろから肩を掴まれた。
「日翔!」
 状況が良くないと駆け付けた鏡介が日翔を掴んで引き止める。
「離脱するぞ!」
「だが、辰弥が!」
 辰弥も連れて帰る、と日翔が叫ぶ。
「もう手遅れだ! 辰弥は、辰弥は――」
 それ以上鏡介も言葉が出ない。
 実際のところ、バイタルはまだ途絶えていない。
 瓦礫を取り除けば助け出せるかもしれない。
 しかし、そんなことをすれば間に合わない。
 辰弥が命をかけて日翔を守ったのにここで離脱しなければ何のための行動だったのかが分からない。
「すまん、日翔!」
 鏡介が右手の拳を固める。
日翔が抵抗しようとするが、鏡介は問答無用で日翔の鳩尾に拳を叩き込んだ。
 前の鏡介の拳ならこの程度なんということはなかっただろう。
 だが、義体となった鏡介の拳は以前よりもはるかに重かった。
 鳩尾に思い一撃を受け、日翔の体が崩れ落ちる。
 それを抱き抱え、鏡介は離脱を試みた。
 部屋を出る直前、一度振り返って瓦礫を、その向こうにいるだろう辰弥を見る。
「辰弥……」
 たった一言そう呟き、鏡介は頭を振って部屋を出た。

 

 鏡介の声の後、去っていく足音がかすかに聞こえて辰弥はほっと息を吐いた。
 ――これで、いい。
 途切れそうになる意識を何故か手放せずに、そう思う。
 雪啼にとどめを刺すことはできなかったが分断された上半身は瓦礫の下、下半身は目の前にあるが脳がなければ再生することは叶わない。
 ――これで、終わったんだよね。
 あとはトクヨンがナノテルミット弾を放てば全てが終わる。
 自分も、ノインもここで消える。
 これでよかったのだと、辰弥はもう一度呟いた。
 日翔に拾われてからの四年間が走馬灯のように蘇る。
 人間じゃないけど走馬灯って回るんだ、と辰弥は弱々しく自嘲した。
 それから目を閉じて小さく息を吐く。
「……だけど……もう少し……生きていたかったな……」
 もし叶うのなら、日翔と鏡介ともっと生きていたい、と辰弥は思った。
 辛いことも多いかもしれないが、それでもあの二人となら乗り越えて行けただろうに、と。
 初めて心の底から思った「死にたくない」という気持ち。
 生きたい、という願い。
 叶わないことは分かっている。
 雪啼によって受けた傷は致命傷だということも分かっている。
 いくら脳と心臓を潰されなかったとしてもここまでダメージを受けて、もう逃げることも叶わない。
 それでも。
「日翔……鏡介……」
 二人の名を呼ぶ。
「……死にたく、ない……」
 ざわりと辰弥の内で何かが弾ける。
「……死にたく、ないよ……」
 ざわりざわりと、何がが辰弥に訴えかけるが、辰弥は弱々しく首を振った。

 

 鏡介が日翔を連れて廃工場を離脱し、待機していた音速輸送機の元に到着したタイミングでカウントダウンが〇を指す。
「時間だ」
 音速輸送機で待機していたウォーラスが低く呟く。
 そのわずか後に、空中から無数のナノテルミット弾が飛来、あっという間に廃工場を炎に包む。
「う……」
 日翔が目を開け、それから音速輸送機の窓に張り付く。
「辰弥!」
 燃え盛る廃工場に日翔が叫ぶ。
「まだ辰弥が中に! 鏡介、どうして!」
「辰弥の……願いだったから……」
 悔しそうに鏡介が呟く。
 日翔がCCTを操作し、辰弥のGNSを呼び出そうとする。
「辰弥、応えてくれ!」
 しかし、何度コールしても視界に表示されるのは【通信先が見つかりません】の文字列。
「無駄だ、やめろ」
 鏡介が日翔の腕を掴む。
 日翔が離せと鏡介を睨む。
「だが!」
「俺ももう試した。俺が使える全ての回線を試したが、もう……GNS自体残っていない」
「そん、な……」
 絶望の面持ちで日翔がもう一度窓に張り付く。
「辰弥……」
 信じたくない。
 辰弥が死ぬなどあってはいけない。
 あいつはまだ何も知らないんだぞと日翔が唸る。
 それでも視界目の前に突きつけられた事実は変えられない。
 鏡介から共有されていた辰弥のバイタル。
 その全てがもうフラットになっていることを見せつけられても信じることができない。
「嫌、だ……」
 そう呟く日翔の声に嗚咽が混ざる。
「俺、あいつに、まだ何も、教えてない! あいつにはもっと笑ってほしかった! なのに、なのに……!」
 窓に拳を打ちつけて日翔が叫ぶ。
「嫌だ! あいつを、助けてくれよ!」
「日翔……」
 鏡介が日翔の肩に手を置いて首を振る。
「もう、終わったんだ……辰弥は、死んだんだ……」
「嘘だ、そんなこと、あるはずがない! だってあいつはLEBなんだろ? 俺たちよりずっと強いんだろ? どうして死ぬなんて……」
「……だが、これが、現実だ」
 淡々と鏡介が説得する。
 しかしその声が震えていることに日翔は気がついた。
 振り返り、鏡介を見ようとするも彼は涙を隠すかのように顔を背けてしまう。
「……俺だって、認めたくないさ」
 ポツリと鏡介が呟く。
「正直なところ、俺だってどうするのが正解だったかは分からん。だが、辰弥の意思は尊重すべきだと思った」
「辰弥の、意思……」
 鏡介が小さく頷く。
「辰弥はお前に生きてほしいと願ったから、俺はそれに応えた。恨むなら俺を恨め」
「鏡介……」
「俺だってあいつを見捨てたくなかった! だが、あいつがそう望むなら……それを尊重するしかなかったんだ!」
 鏡介が隣の座席に拳を落とす。
「辰弥……クソッ……」
「……愛されていたのね」
 ぽつりと、二人の様子を伺っていた久遠が呟く。
「とりあえず帰投しましょう。詳しいことは戻ってから、それから捜索隊を派遣して」
 久遠のその言葉と共に音速輸送機が転回し、「ツリガネソウ」へと帰投を始める。
 遠ざかる廃工場が視界から外れていくのを、日翔はただ嗚咽しながら眺めるしかできなかった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 現場に張り付かせていた偵察隊の報告でカグラ・コントラクターがナノテルミット弾を使用し、廃工場を焼き払ったという報告を受け、「ワタナベ」傘下企業の社長の手から葉巻が落ちる。
「ノインは!」
 ノインが「ツリガネソウ」から脱走したという報せは早くに受けていた。
 しかも都合がいいことに部隊を待機させていた廃工場に逃げ込んだという報告も入ってきていた。
 そのノインに部隊は殲滅されたが確保する手段はいくらでもある。
 特殊第四部隊が廃工場を包囲したが突入したのはたった一人という報告を受けて社長はほくそ笑んでいた。
 突入したのが一人だけならトクヨンの包囲網さえ突破できればノインは確保できる。
 そう聞いて、部隊を編成し直し突入させようとしていた矢先の報告。
 ノインは無事なのか、という社長の問いかけに報告を伝えた秘書は首を横に振る。
「突入したという一人も脱出していません。現場から出てきたのはナノテルミット弾着弾直前に突入した別の人間と人質らしい人間の二人のみです」
「じゃ、じゃあノインは……」
 社長がそう呟いた瞬間、突然、執務机背後の窓ガラスが砕けた。
 社長室内にいた警備兵が銃を構え、窓に向ける。
 窓ガラスを割り、転がり込んできた人影はたった一つ。
 社長が咄嗟に壁際に駆け寄り、侵入者を見る。
「誰だ!」
「あぁ? 誰、っていうか、隊長に言われてあんたを逮捕しに来たしがない兵卒の一人だよ」
 ゆらり、と立ち上がり侵入者は社長を見る。
 その深紅の瞳が社長を見据える。
「お前は、ノインと、同じ――?」
「あぁ? ノイン知ってんのか。そりゃそうか、主任に言われて探してたんだもんな」
 そう言って侵入者――特殊第四部隊、LEB小隊所属のゼクスが豪快に笑う。
「今のうちに投降した方がいいぜ。今回の戦略兵器使用と主任との裏取引の件で隊長がキレてる。隊長の鉄拳は怖いぞ?」
「何を! 撃て、排除しろ!」
 ゼクスの言葉に構わず、社長が叫ぶ。
 警備兵がゼクスに向けて一斉に発砲する。
 しかし、ゼクスはそれを両腕を硬化するだけで受け止めた。
「おおいてて」
 そんな軽口を叩きながらゼクスはあっと言う間に警備兵たちに突進、持ち前のゴリラの腕力で全員叩き伏せる。
「で、俺はあんたを逮捕するように言われて来たんだが」
 警備兵を叩き伏せたゼクスが振り返り、社長を見る。
 社長も銃を抜いてゼクスに向けるも、それで怯むようなゼクスではない。
「撃ってもいいぜ? 無駄だと思うが」
「くそ、貴様ごときに――」
 悔し気に唸る社長。GNS経由で秘書に生体兵器部隊の突入を指示させようとするが、その直前に「ワタナベ」本社からのホットラインが着信を知らせてくる。
「な、本社から……?」
「ん? いいぜ、出ろよ」
 執務机の椅子にどっかりと座り、ゼクスがくるくると回って遊び始める。
 くそ、と歯ぎしりしながら社長が着信に応答する。
《今回は色々やらかしてくれたな》
 ホットラインで通信をしてきたのだ、通話の相手は当然、「ワタナベ」のCEO。
「し、CEO、な、なぜ……、CEOは今……」
 その言葉だけで社長は震えあがる。CEOから電話など来るはずがない。
《未知の病気で床に伏せているはず、か?》
「そ、それは――」
《君の私兵が護衛という名目で包囲してくれていた我が邸宅も、トクヨンのツヴァイテ君とやらに解放してもらったよ。特効薬も受け取った。まったく、元々我々『人々を足回りで幸せに』を提唱していたのだ、軍事など不要、何度もそう言ってきただろうに》
 何を、と社長が声を上げるがそれを聞き入れる「ワタナベ」CEOではない。
《おかげで、我が社の株価は大暴落だよ。よって、軍事部門『ワタナベ・アームズ』は全て解体、君もその役から解任する。いい大人なら責任はきちんと負うことだな》
 そう、一方的に告げてCEOが通信を切る。
「あ……あぁ……」
 一方的な解任通知に社長、いや、元社長が力なくその場に崩れ落ちる。
「話は終わったか? その様子だとツヴァイテはうまくやったみてーだな」
 なんだ、つまんねーと呟くゼクス。
「まぁいいや、大人しくお縄についてくれや」
「いや……待て、私と手を組まないか?」
 立ち上がり、歩み寄るゼクスに元社長がそう持ち掛ける。
「あぁ?」
「手を組まないか? 手を組めば、お前も好きに暴れられるぞ? アカシアこの世界を牛耳ることだって――」
「あー、つまんね、俺、そういうの興味ねーんだわ」
 あっさりと断るゼクス。
「隊長の鉄拳は怖いが俺、今の生活気に入ってるんでね。その生活捨ててあんたと一緒に世界征服とか興味ないわー」
 あっさりと断るゼクス。
 がくり、と元社長がその場に両手をつく。
「くそ……私の、夢が……」
「ってわけなんで逮捕するわー。逃げようとしても無駄だぞ」
 素早く元社長に手錠をかけ、ゼクスは軽々と担ぎ上げた。
「んじゃ、帰投しますかー」
 そう言いながらゼクスは平然と割れた窓に歩み寄っていく。
「え、ちょ、待て、何をする気だ!?!?
「んぁ? 帰るんだが?」
 そう言いながらゼクスが元社長を抱えたまま窓から外に躍り出た。
 元社長の絶叫が響くが、すぐにゼクスと元社長を収容した音速輸送機が上空へと舞い上がっていく。
 それを呆然と見送った秘書と叩き伏せられた警備兵たちは「どうすればいい?」と顔を見合わせた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 「とりあえず休みなさい」と久遠にあてがわれた部屋で、日翔と鏡介はそれぞれのベッドに腰掛けていた。
 二人とも何も言わない。
 日翔の側から時々鼻を啜る音が聞こえてくるのはまだ涙が止まっていないからなのか。
 戻って数日、日翔は傷の手当てと事情聴取のため、鏡介もそれに付き合ってまだ「ツリガネソウ」に残っていた。
 不意にインターホンが鳴り、二人の返答を待たずに久遠が部屋に入ってくる。
「捜索隊が戻ってきたわ」
 開口一番、久遠がそう言う。
 弾かれたように日翔が頭を上げ、久遠を見る。
「辰弥は!」
 まだ諦めきれない日翔が縋るようにそう問いかける。
 それに対し、久遠は無言で首を横に振った。
「ナノテルミット弾で焼いたのよ? 骨だって残らないわよ。でも……」
 そう言って久遠は日翔の前に歩み寄る。
 その目の前に何かを差し出す。
 日翔がのろのろとした動作でそれを受け取った。
「あ……あぁ……」
 日翔の口から声にならない声が漏れる。
「瓦礫に埋まってたからそれだけ焼け残ったようね。遺品になってしまったけど……貴方に渡しておくわ」
 日翔が受け取ったのは辰弥が肌身離さず首に掛けていた認識票ドッグタグ
 単純に本人の好みで近くのミリタリーショップで作ってもらったという、ただそれだけのものだったが辰弥は気に入っていたのかいつもそれを首にかけていた。
 ナノテルミット弾の高熱で変形し、文字もほぼ読めなかったが打刻された「Tatsuya Sagami」の文字だけはかろうじて読み取れる。
 ドッグタグを握り締め、日翔が肩を震わせる。
「……辰弥……」
「そこまで悼んでもらえたなら辰弥君も幸せなんじゃないかしら。いい仲間を持ってたのね」
 久遠としてもそれは喜ばしいことだった。
 四年前、ナノテルミット弾で灼いたとはいえ生き残っていたらという希望はどこかにあった。
 それでもたった一人、誰の手助けも借りることができずに孤独に生きていたらという不安もあった。
 だがその不安はただの懸念だった。
 エルステは辰弥という名前をもらい、仲間を得て、懸命に生きていた。
 それだけに今回の結末はあまりにも痛ましい。
 それでも辰弥との約束があったため、久遠は二人に問いかけた。
「辰弥君との約束があるからもうここではっきりさせましょう。貴方たち、今後どうするの」
「約束……?」
 鏡介が久遠を見上げ、尋ねる。
「ええ、辰弥君との約束は貴方たちにも生きてるから。一般人として生きるか、トクヨンに入るか」
 元々は辰弥を「救済」するために与えた選択肢。
 そこに日翔と鏡介もという辰弥の願いはあった。
 辰弥がいない今、その選択肢は無効なのかもしれない。
 桜花の警察業務も請け負うカグラ・コントラクターだから今まで数々の犯罪行為に走った二人を立件することもできる。
 しかし、久遠は二人にも選択肢を与えた。
 辰弥が大切にし、最期まで守ろうとした二人をここで雑に扱ってはいけない。
 それならせめて辰弥が選ぶことができなかった選択肢を二人に委ねよう、と。
「俺、は……」
 鏡介が戸惑いがちに口を開く。
 これは辰弥が選択すべき選択肢だった。
 一応は「一旦一般人になる」という話で結論は出ていたが、本当にそれでいいのかという迷いが鏡介に浮かぶ。
 辰弥を犠牲にしてまで、自分たちは一般人として生きていいのかと。
 鏡介が日翔を見る。
 肩を震わせていた日翔が頭を上げて久遠を睨む。
「辰弥を見捨てておいて、俺たちも管理下に置きたいってか! ふざけんな! 御神楽なんて信じねえ!!!!
「やめろ、日翔。御神楽はむしろ辰弥を危険に晒すのを最後まで渋っていた。それを辰弥の意志を尊重するために最悪見捨てろと提案したのは、俺だ。だから、もう一度言う、恨むなら俺を恨め」
「鏡介!」
 違う、と日翔が叫ぶ。
「御神楽ほどの組織ならそれでもなんとかすることできただろ! 最終的に見捨てたのには変わりねえ!」
「やめろ、日翔。それは御神楽の作戦を拒否した辰弥の意志を冒涜する発言だ」
 その鏡介の言葉で日翔も思わず黙り、沈黙が訪れる。
「……まあ、それは否定しないわ。どれだけ後悔しても遅いけれど、提案を受け入れず、私達の戦力で状況を解決すべきだった」
 沈黙の中、やや悲痛そうな面持ちで久遠が答える。
「だから御神楽私たちを恨んでくれて構わない。必ず助けると言って助けられなかった責任は私たちにある」
 そう言ってから、久遠は二人を見た。
「それで、どうするの? 辰弥君との約束を守れなかった分、貴方たちの意思は尊重するわ」
「……」
 なおも久遠に噛みつこうとした日翔が口を閉じる。
 自分の発言が八つ当たりであることは分かっている。
 しかしそれでも辰弥を喪ったという喪失感から逃げたくて、御神楽のせいだと主張したくなる。
「俺は……」
 迷いながら日翔が口を開く。
「やっぱり、御神楽は信用できねえ。辰弥だって『自由に生きたい』って言ってたし、だったら俺もその分自由に生きたい。まぁ……俺はもう長くないけどさ」
 傷の手当ついでに診察された筋萎縮性側索硬化症ALSの最新の診断結果。
 思いの外進行が早く、なぎさが日翔に伝えていたよりもかなり短めの余命宣告。
 その際に「今なら義体化すればまだ間に合う」と説得されたが、日翔は頑なにそれを拒絶した。
 人工循環液ホワイトブラッドを入れることなんてできねえ、鏡介は入れてるかもしれないか俺は絶対に入れねえと啖呵を切り、余命なんて知るかと吐き捨てた。
 だから、「辰弥の代わりに生きる」のは鏡介の役割かもしれない。
 鏡介が御神楽の下で生きるというのであればそれを止めるつもりはなかったが、鏡介なら、とほんの少しだけ期待を持って日翔が彼を見る。
 日翔と目が合い、鏡介は苦笑した。
「ったく、俺に何もかも背負わせる気か、日翔は」
 そう言って鏡介が久遠を見る。
「俺は辰弥の分も生きる義務があるからな。あいつが見ることができなかった景色を、見て回りたい」
 それには御神楽の干渉は邪魔になるだけだ、と鏡介は続け、
「というわけで俺たちは御神楽の庇護下にもトクヨンにも入らない。今までと同じ生活に戻る」
 そう、宣言した。
「私の提案を蹴るってこと?」
 久遠の確認に頷く二人。
 分かったわ、と久遠も頷いた。
「そもそも、辰弥君とは約束してたしね。『最初の一回は見逃す』って」
 ため息交じりにそう言い、久遠は改めて二人を見る。
「だから今回は黙って見逃すわ。けれど忘れないで、あなた達は御神楽私達が差し伸べた手を振り解いた。どういうことか分かるわよね?」
「ああ、次会った時は敵、だな」
 鏡介の言葉に久遠が頷く。
「貴方たちが真っ当な一般人として生きているならむしろ善良な一般市民の味方として動くけど今までと同じ生活を送るなら容赦はしない。逮捕になればラッキーだけど、戦場で出会えば手加減する理由もないわ」
 そう言って、念のために最後の確認をする。
「本当に、一般人になる気はないのね?」
 再び頷く二人。
 その意思の固さに久遠は「二人そろって頑固だから」と呟いた。
「それじゃ、どこへなりとも行きなさい。一応、上町府うえまちふから出ていくことをお勧めするわ。マンションまでは送ってあげる」
 傷の具合ももういいでしょ、と久遠が日翔に確認する。
 御神楽の医療用ナノマシンの技術は凄まじく、日翔の傷はまるで何もなかったかのように塞がっていた。
 もう一度頷いた二人が立ち上がる。
「その前に、立ち寄ってほしいところが二か所あるが聞いてもらえるか?」
 久遠について格納庫まで歩く途中、不意に鏡介がそんなことを言う。
「立ち寄ってほしいところ……?」
「ああ、花屋とあの廃工場に立ち寄ってほしい」
 鏡介の言葉に日翔が思わず彼を見る。
 久遠も一瞬立ち止まり、それからすぐ納得したように頷いた。
「でも、あの現場は今立ち入り禁止にしてるの。上空を通過するだけになってもいいかしら?」
「ああ、構わない」
 鏡介が頷き、音速輸送機に乗り込む。
 音速輸送機の中では三人は始終無言だった。
 その途中で最寄りの花屋に立ち寄り、鏡介が小さな花束をオーダーする。
「……花、立向けるんだ」
 ぽつりと日翔が呟く。
「あいつは『俺には似合わない』とか言いそうだがな。俺個人としてのけじめだ」
 受け取った花束に視線を落とし、鏡介がぽつりと呟く。
「……『誠実』と『君を忘れない』か……」
「ん?」
 鏡介の呟きに日翔が首をかしげる。
竜胆リンドウ紫苑シオンの花言葉だ。今調べた」
 何となくで選んだが、と続ける鏡介に日翔が何か言いたそうに少し口を開くがすぐに閉じる。
「……あいつにはお似合いなんじゃね?」
 やっとのことで絞り出した言葉がそれだった。
 そんな会話をしているうちに音速輸送機は辰弥と雪啼が戦った廃工場の上空に差し掛かる。
 眼下に広がる焼け焦げた工場。完全に崩落し、見る影もない廃工場に、二人の胸が締め付けられるように痛む。
 ――結局、助けられなかった。
 二人の思いは同じだった。
 何も知ろうとはせず、何もかもが明らかになった時にはもう遅くて、幸せというものを知らずに逝ってしまったのではないか、と二人が思う。
 日翔が音速輸送機のドアを開ける。
 ほんの少しだけ、鏡介は身を乗り出した。
 そっと手を差し出し、花束から手を放す。
 鏡介の手を離れた花束が吸い込まれるように焼け焦げた工場へと落ちていく。
「辰弥……」
 悲痛な面持ちで鏡介が呟く。
 すまなかった、と。
 音速輸送機が廃工場の上空を二度、三度旋回し、その機首の方向を変える。
 一人欠けた状態で、日翔たちが住むマンションへと。

 

エピローグへ

Topへ戻る

 


 

おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第14章 「すっぽん☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第14章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
OFUSE  クロスフォリオ

 


 

「いいね」と思ったらtweet! そのままのツイートでもするとしないでは作者のやる気に大きな差が出ます。

 マシュマロで感想を送る