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Vanishing Point 第5章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 そんな折、「とある企業の開発サーバを破壊してほしい」という依頼を受けた三人は巧妙に仕掛けられた罠にかかったものの依頼を完遂する。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれたことを知ってしまう。
 そんな折、日翔あきとが福引でエターナルスタジオ桜花ESOのペアチケットを当ててくる。
 チケットを譲り受けた辰弥は雪啼を連れて遊びに行くが、それは日翔が仕組んだものだった。
 帰宅の際に日翔がなぎさから薬を受け取っていたところを目撃、問いただしたところ、日翔は国に難病指定されている筋萎縮性側索硬化症ALSを患っていることを打ち明けられる。
 普段の怪力はそのALSの対症療法としてひそかに導入していた強化内骨格インナースケルトンによるものだと知らされ、辰弥は日翔の今後について考えるようになる。

 

第5章 「Intersection Point -交点-」

 

 いつもの光景。
 辰弥が昼食を作るために包丁を握り、それを日翔がCompact Communication TerminalCCTのホログラムディスプレイに映ったニュースチャンネル越しに眺めている。
「辰弥ー、今日の昼飯何ー?」
「……たまには手伝ってよ」
 そう言ってから、辰弥はすぐに「いや、いい」と訂正する。
 日翔に料理の手伝いをさせようものなら卵の殻は確実に混ざるし皿は割るし半分くらいつまみ食いする。
 それならまだ雪啼の方が――。
「パパー、お皿出した」
 テーブルに皿を置き終わった雪啼がパタパタとキッチンに戻ってくる。
「ああ、ありがとう」
 包丁を握ったまま、辰弥が雪啼に頷いて見せる。
 その彼の手元を見た雪啼が、急に目を輝かせた。
「パパ、せつなもお料理したい!」
 辰弥の手によって丁寧に研がれた包丁が食材を小気味よく切断していく様を見て興味を持ったのだろう。だが、推定五歳児の雪啼が包丁を持つにはあまりにも危なすぎる。
 ダメだよ、と辰弥が優しく諭す。
「危ないからね、君にはまだ早い」
「やだやだ、せつなもお料理するのー!」
 雪啼は時々わがままを言う。
 大抵はかわいい展開で済むが、流石に包丁はまずい。怪我をした場合責任を持てない。
 一応は今現在も雪啼の本来の家族を探して調査を行っているのである、もし家族が見つかって帰す際に怪我をしていました、では下手をすれば訴訟案件である。
 できれば危ない目には合わせたくなかったが。
 雪啼が駄々をこねながらシンク下の収納を開ける。
「あ、こら!」
 辰弥が慌てて止めようとするも雪啼の動きは迅い。
 あっという間に扉裏のナイフケースから包丁を一本取り出し、
「あっ」
 雪啼のその手から包丁がすっぽ抜けた――ように、辰弥の視界に映る。
「辰弥!?!?
 ガタン、と日翔が手を伸ばしながら席を立つ。
 辰弥の顔面に向けて包丁の先端が迫る。
 咄嗟に、辰弥は首を横に倒した。
 直後、その耳元を包丁が通り過ぎ、勢いそのままに天井に突き刺さる。
「……」
 辰弥が無言で雪啼を見る。
 その耳に一筋、紅い筋が浮かびぽたり、と肩に雫が落ちる。
「……雪啼、」
 屈んで雪啼の目線に自分の目線を合わせ、辰弥が口を開く。
「包丁は、まだ早い。ましてや振り回すとか絶対ダメ」
 実際のところ、雪啼は包丁を手に振り回したわけではない。
 ナイフケースから抜いた勢いで包丁が手から離れただけだとは思う。
 それでも包丁は気を付けて扱わなければいけないという意味を込めて辰弥は敢えて「振り回す」という表現を使った。
 辰弥に怒られた雪啼が残念そうな顔をした後、しょんぼりとうなだれる。
 ちょっと厳しく怒りすぎたか、と思いつつも、辰弥は今後何かあっては遅い、と敢えて厳しさを残したまま言葉を続ける。
「どうしてもパパの手伝いをしたかったら、ちゃんと言うこと聞くこと。今度子供用の包丁買ってあげるから」
「え、パパいいの?」
 雪啼の表情が一転、ぱあっと明るくなる。
 うん、と頷き辰弥は雪啼の頭に手を置いてポンポンとする。
「でも、とりあえず言うことあるよね?」
 辰弥に言われた雪啼がキョトンとする。
 しばらく宙に視線を走らせ、それから、天井に刺さった包丁を見上げ、
「あの包丁がいい」
 あっけらかんとそう言ってのけた。
「違う、そうじゃない!」
 思わずそう即答してから辰弥が血の滴る自分の耳を指さす。
「君のせいでパパは怪我したの、怪我させたら何て言うんだった?」
「むぅー……」
 あ、これ悪いと思ってないやつだ、と辰弥が察する。
 雪啼は時々善悪の区別がつかない。五歳児だから仕方ないことかもしれないが、だからこそ今のようなときにしっかり教える必要がある、とも考えていた。
 流石に傷の痛みを傷で教え込むような愚は犯さない。体罰などもっての外である。
 それならこのような場合どう諭すべきか。
 やってはいけないことはきちんと説明すべきである。説明した上で、その次にどうするべきかを理解させなければいけない。
「包丁で遊んだら怪我をする。分かる?」
「うん」
 素直に雪啼が頷く。
「怪我したらどうなる?」
「んー……血が出る」
 それはその通りだ。
 そして、辰弥は自分が少量の出血でも調子が悪いときは倒れることを理解している。
 だから、
「血が出たら死んじゃう人もいるの。怪我はさせちゃダメ」
「……パパ、しんじゃうの?」
 不安そうな雪啼の目が辰弥に投げかけられる。
 あ、やば、と辰弥が自分を叱咤する。
 今のところ貧血の予兆はないが、少し脅しすぎたかもしれない。
 大丈夫だよ、と辰弥は笑んでみせた。
「だけど、危ない人もいるから、自分も他の人も怪我させちゃダメ。いい?」
「……うん」
 雪啼の返事にいささか不承不承ふしょうぶしょうさが混ざっていた気がするがここで気にしていてはいけない。
 それなら、と辰弥は改めて彼女に声をかけた。
「怪我させることは悪いこと、悪いことをしたらなんて言うんだった?」
 悪いこと、と雪啼が繰り返す。
 それから、彼女は少しだけ涙目になり、
「パパ、ごめんなさい」
 と、素直に謝った。
「うん、謝れて、偉いね」
 そう言い、辰弥が雪啼の頭を撫でる。
 むふー、と満足げな顔をした雪啼が辰弥から離れる。
 それを見届け、辰弥は耳を伝う血を拭い、ぺろりと舐めた。
 それから振り返って天井を見上げ、突き刺さっている包丁を見る。
「……この部屋、賃貸なんだけどな……」
 家主は日翔とは言え、万一強制退去でも命じられようものならこの疵は確実に修繕費用を請求される。
 しかし、ただ雪啼の手からすっぽ抜けただけだとは思っていたが天井に突き刺さっていることを考えると意図的に投げたりしたのだろうか。
 こんなものが顔面に直撃していれば確実に命はなかっただろう。
 いや、いくら雪啼の体幹の深層筋インナーマッスルは普通の五歳児よりははるかに鍛えられていると言っても包丁が天井に突き刺さるほどの投擲を行えるはずがない。
 きっと、偶然が重なってとんでもない勢いが包丁に乗ってしまっただけなのだ、と自分に言い聞かせ辰弥は包丁を引き抜き、ナイフケースに戻す。
 しかし、どうして雪啼は急に包丁を使いたがったのか。
(……エターナルスタジオ桜花ESOでナイフジャグリング見たからかな)
 武器の持ち込みは禁止のESOでのナイフジャグリング。
 いくら模造品であったとしても雪啼にそんなことが分かるはずがない。
 とんでもないものを見せてしまったな、と思いつつ辰弥はその日のニュースを思い出した。
 ここしばらく、辰弥たちの地元、下条二田市げじょうふったしで頻発していた吸血殺人事件がよりによってESOに遊びに行った日に、そのESO内で発生した。
 被害者は雪啼が辰弥の手を振り切り迷子になるきっかけとなったバギーラ・ガール役のスーツアクター。
 偶然にしてはできすぎている。
 犯人はまるで辰弥の行動を熟知しているような――。
 そこまで考えたタイミングで、辰弥の電脳GNSに着信が入る。
 発信者は鏡介、グループ通話ではなく個別通話。
 辰弥が応答すると、厳しい面持ちの鏡介が視界に映り込む。
《辰弥、お前がESOに行った日のGNSログを閲覧してもいいか?》
 開口一番、鏡介がそう確認してくる。
(何を急に)
 ちら、と日翔の方を見つつ辰弥が訊くと鏡介は厳しい面持ちのまま説明する。
《お前を疑いたいわけじゃないが、あまりにもできすぎているんだ。下条二田市に集中していた吸血殺人事件が、お前がESOに行った日に限りESOで発生した。犯人はお前の行動を把握しているかお前かしか考えられない》
(全く同じことを今考えてたよ。ただ、あの日のログは、ちょっと……)
 辰弥が渋い顔をする。
 あの日、ESOへの道中で彼は「グリム・リーパー」を狙うチンピラと交戦した。
 先日の「サイバボーン・テクノロジー」のサーバ破壊に対する報復だろうとは考えているが、日翔と鏡介には敢えて報告していない。
 あの日のGNSログを開示すれば確実に戦闘のことがバレる。
 バレるだけならまだいいだろう。ただ、あの時辰弥は武器を所持していた
 事前に日翔による身体検査ボディサーチを受けていたにもかかわらずチェック漏れのバタフライナイフは存在し、それを使って辰弥はチンピラと交戦した。
 流石にこれだけは二人に知られるわけにはいかない。
 しかし鏡介の疑いの目が自分に向いていることもまた、辰弥は理解していた。
(……少なくとも、犯人は俺の動向を把握している。むしろ君たちの疑いの目を俺に向ける意図があるのかも)
《……それをはっきりさせるためにログを閲覧したいんだがな……》
 鏡介としては辰弥がログの開示を拒否することは想定の範囲内ではあったのだろう。それ以上は追及することもなく小さくため息を吐く。
《まあいい、お前を疑うにしても根拠が少なすぎる。今はお前でないと信じるが今後お前が怪しいとなったら場合によってはハッキングしてでも強制的にログを確認するからな》
(……分かった)
 素直に辰弥が頷く。
 自分が疑われるのは無理もない話だ。
 二人には自分の情報の大半が開示されていない。
 それは辰弥自身が自分の記憶の大半を失っていることが原因だがそれ故に、過去に何をしていたのか、それ故に今後何をしていくのかは全く分からない。
 それこそ鏡介だけでなく日翔も感じているのだろう。
 「実は辰弥は過去にも別の地域で猟奇殺人を行っていて、追われた結果記憶を失って下条二田市に来たのではないか。その記憶を少しずつ取り戻して四年たった今吸血殺人事件をおこしているのではないか」と。
 それは否定できない。失った自分の過去が血にまみれたものだということは重々承知している。それを認めたうえで、今こうやって暗殺連盟アライアンスの一員として裏社会に身を置いている。
 鏡介に疑われている、という件に関しては辰弥は特にショックを受けていなかった。
 「来るべき時が来た」程度の認識だった。
 ESOで吸血殺人事件が起こった時点で、その可能性は考えたのだ。
 疑いの目が自分に投げかけられるのは覚悟の上だ。
 それでも、辰弥は自分の潔白を示すためにGNSのログ開示を行うことはできなかった。
 自分の潔白を示すよりも知られたくないことの方が多すぎる。
 ――何を自分勝手な。
 思わず、自嘲する。
 日翔の過去を暴いておいて、自分の過去は開示したくないなど自分勝手にもほどがある。
 それでも。
(……ごめん)
 鏡介に、謝罪する。
《お前が何者かなんてお前が全て思い出して言いたくなるまで聞きたくないさ。無理に知ったところで受け入れられるかどうかは別の話だ》
 まぁ、お前がどんな人間だろうと受け入れる覚悟はしているがな、と続けた鏡介が話題を変える。
《ところで、吸血殺人事件が下条二田市で発生する以前に周辺地域で何かおかしいことがないか調査したんだが、結果聞くか? お前が犯人ならもう分かっている話だろうが》
(やっぱり疑いだけは残すんだ)
 辰弥の言葉に「それはまぁ、」と頷く鏡介。
《あらゆる事態だけは想定しておいた方がいいからな。で、どうする》
(勿論、聞くよ。何か分かったの?)
 ああ、と鏡介が頷く。
滝畑岩湧市たきはたいわわきしから泉北市せんぼくしにかけて牧場地帯があるだろう? あそこで不可解な事件が起こった、と言われている――いや、起こっていた》
 不可解な事件? と辰弥が尋ねる。
 いくら自分が疑われている――仮に犯人であったとしても心当たりがなさすぎる。
 無関係じゃないの? と鏡介に尋ねると彼は「関連性は分からんが」と前置きした。
《吸血殺人事件が下条二田市に集中する少し前にあの牧場地帯で家畜のくり抜きキャトルミューティレーションが何件か発生したらしい》
(……は?)
 ナニソレ、と辰弥が尋ねる。
 キャトルミューティレーションという言葉自体初耳だった。
 マジか、と鏡介が唸る。
《お前、世代なのに知らんのか? 俺たちがガキの頃に流行った『宇宙人による家畜のアブダクション及び吸血事件』だぞ?》
(え、いや知らないしそもそもその頃って俺……)
 辰弥が言葉に言いよどむ。
(……全然、記憶にない)
 子供のころの記憶が全然戻ってなくて、と辰弥が返答すると鏡介が「そうか」とだけ呟く。
《とにかく、キャトルミューティレーションってのは家畜が血や内臓を抜かれて殺されてるんだがその手口も犯人も一切不明なオカルトの話だ。これまでは数年に一度くらいの周期でごくごく稀に起きるものだったんだが、今回はそれが連続して近い地域で数件あったとかで、一部のオカルトマニアが騒いでいる。当の牧場側も一応は被害届を出しているがあまり公には報道されていないようだな》
(なるほど。吸血さキャトられてたからもしかして何かしらの関連性があるんじゃないかと?)
《キャトられる……》
 辰弥の略しように鏡介が絶句する。
 が、すぐに思い直し鏡介はまあな、と頷いた。
《まぁ、あの時期泉北周辺に行くこともなかったから関係はないと思うがな。お前のことだから牛の丸かじりくらいするかもとか考えたかったんだよ》
(俺を何だと思ってんの……)
 鏡介の発言には心当たりがある。
 四年前、辰弥が日翔に保護された直後に冷蔵庫に入っていた生の牛肉をつまみ食いしたことを言っているのだ。
 あれは調理も何も分からなかったし冷蔵庫に入っていたんだから食べてもいいものだと思ってたと辰弥が言い訳すると鏡介が再びため息を吐く。
《まぁ、とにかくそんなことがあった訳だが――いや待てよ》
 不意に、鏡介が何かを思いついたような顔をする。
 そのまま手元で何かを操作すると辰弥の視界の通話ステータスに日翔が割り込む。
「あー? お前ら通話してたのかよ」
 ダイニングから日翔の声が響き、通話に参加する。
《悪いな、ちょっと吸血殺人事件で気になることがあって辰弥と話をしていた。その話自体は終わったんだが、もう一つ気になることに気が付いてお前も通話に招待した次第だ》
「……はぁ」
 そう気の抜けた声を上げながら日翔が辰弥を見る。
「で、何なんだ気になることって」
《いや、辰弥の奴ガキの頃前に流行ったキャトルミューティレーションのこと知らなくてな。宇宙人の話題とか友人ダチとよくやったよな?》
 そう、鏡介が確認すると、日翔が一瞬キョトンとしたもののすぐにぶんぶんと首を縦に振る。
「あったあった、キャトルミューティレーション! いたずらすると親に『宇宙人にアブダクションされるぞ』とか脅されたわー。それ、辰弥知らないの?」
《ああ、そう考えると一つ思い当たることがあってな。辰弥は実はアブダクション被害者じゃないのかと》
「はぁ!?!?
 思わず、辰弥が声を上げる。
「ちょっと待って本気でそれ言ってんの!?!?
《ああ、記憶がないのも全て辻褄が合うんだ。辰弥はガキの頃に宇宙人によってアブダクションされてて、人体実験とか改造とかされまくって四年前に解放されてたんじゃないかと》
「え、ちょ、待ってそれ何の根拠もない」
 辰弥が全力で否定する。
 それには構わず鏡介が続ける。
《辰弥の戦闘能力を考えると宇宙人の人体実験によって辰弥は何らかの生体兵器にされた。それが用済みになって捨てられたというなら――》
「違う! 俺は生体兵器なんかじゃ――」
 思わず辰弥が叫ぶ。
 違う、俺はそんな存在じゃない、と彼は否定した。
 そんなことは、宇宙人にアブダクションされたとか、人体実験の末に生体兵器にされるとか、そんなことはあり得ない
 普段ならここまでムキにならない彼が全力で否定するのを見て、日翔が訝し気に首をかしげる。
「なんでそこまで全力で否定するんだよ。それとも鏡介の言うとおりだったりするのか?」
「っ――」
 日翔に指摘され、辰弥が口をつむぐ。
 ここで下手な発言をすればそれこそ先ほどの会話まで巻き戻ってしまう。
 今ここでGNSのログの開示を強制されれば事態はますます複雑になる。
 そこまで考えてから、辰弥は力なく首を振った。
「全然憶えてないから、否定はできないけど――ありえない」
《そうか。まぁ、宇宙人なんてまだ存在すると確定したわけでもないし悪かったな、ちょっと悪ノリしすぎた》
 だから気にするな、と鏡介が続けると辰弥がほっとしたように肩の力を抜く。
「……悪ノリなら仕方ないね」
「まぁ、鏡介って時々突拍子もないこと言うからな。一瞬本気にした、すまん」
 日翔も謝罪し、辰弥は「ん」とだけ頷いた。
《しかし、吸血殺人事件はいい加減捜査に進展があってもいいようなものだが》
「まあなー……。派手なことやってる割には犯人のはの字も分からんとか、不気味すぎる」
 日翔が頷くと鏡介は「とりあえず気を付けろよ」とだけ言い残し、通話を抜ける。
 辰弥と日翔も回線を閉じ、互いに顔を見合わせた。
「……辰弥、」
 真顔で日翔が辰弥の名を呼ぶ。
「何」
「……自分の事、早く全部思い出せるといいな」
「日翔……」
 ――違う、俺は君が思っているような存在じゃない。
 口をついて出かかったその言葉を飲み込み、辰弥が小さく頷く。
「……案外、知らない思い出さない方がいいのかもしれないけど」
 そうか、と日翔が呟く。
「別に俺のことが知られたからってわけじゃないが、俺はお前のことが気になる。本当は何処のどいつで何やってたのか、知りたい。本当の名前で呼びたいじゃん」
 日翔の言葉に、辰弥がうなだれる。
 その唇がきつく噛み締められる。
「それは……分からない」
 絞り出すように辰弥が言葉を紡ぐ。
「君に知られたくないとかじゃない、俺は、自分が何者なのか、分からない」
 そう呟く辰弥に、日翔が歩み寄った。
 そっと手を伸ばし辰弥の頭に手を置きポンポンと叩く。
「だから子供扱いしないでって」
「大丈夫だ、俺がいる」
 辰弥が頭を上げて日翔を見る。
 絶対に言われることがないと思っていた言葉。同時に言われたいと思っていた言葉。
 日翔はこんな自分でも信じるというのか。
 にわかには信じられず、辰弥は声一つ出せずに日翔を見る。
「誰が何と言おうと、お前が裏切らない限り俺はお前の味方だ。お前がどんな人間であっても、俺が守ってやる」
 そう言い切り、日翔は屈託のない笑みを見せた。
「だからあんまり気に病むな」
「……うん」
 小さく、辰弥は頷いた。
 日翔は不治の病に冒され、余命宣告まで受けている身である。
 それなのに、自分のことで手一杯のはずなのに辰弥のことを気に掛けている。
 それが自分の病のことを忘れるためであったとしても、辰弥の心には確かに届いた。
 日翔になら、今話せることを話してもいいかもしれない。
「日翔……」
 思い切ったように辰弥が口を開く。
「どした?」
 日翔が辰弥の目を見る。
「日翔、俺は……」
 そこまで言ってから、辰弥は「ごめん」と目を伏せた。
「……俺、生きてていいのかな」
 絞り出すように、それだけを呟く。
 ――言えない。
 自分の身体輸血のことすら、日翔に打ち明けられない。
 そっか、と日翔が呟いた。
「無理して言おうとするな。言いたくなればでいい」
 そう言いながら、日翔が再び辰弥の頭をポンポンと叩く。
「だから――」
「生きろよ。お前がどれだけ呪われた人生を送っていようが、これからには関係ないだろ」
 そう言いながら、日翔は少し無責任すぎたかと反省していた。
 辰弥がどのような人生を送ってきたかはまだ分からない。
 それでも、もしそれに縛られているのであればその呪縛から解き放たれてもらいたい。
 それは、恐らく自分にはできないことだから。
 残された時間を考えれば、自分には筋萎縮性側索硬化症ALSという呪縛を解き放つ方法は存在しない。
 だからこそまだ時間のあるように見える辰弥には暗殺業殺しという業はあれども自由に生きてもらいたかった。
 日翔の手の下で辰弥が小さく頷く。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 それじゃ、この話は終わりな、と日翔が努めて明るく言う。
「で、今日の昼飯何」
「餡掛け炒飯」
 雪啼も多分お腹空かせてるから急ぐよと辰弥がシンクに向き直る。
 ――と。
 いつの間に戻ってきたのか、雪啼がシンク下の収納扉を開けていた。
 その手には、ナイフケースから取り出した包丁が。
「……雪啼、」
 地を這うような辰弥の声。
 びくり、と雪啼が身を震わせ、そして慌てたように包丁を戻し脱兎の如く駆け出す。
「あ、こら雪啼!」
 辰弥が追いかけようとするが、それを日翔が制止する。
「俺が行くからお前は昼飯作っててくれ」
「……あ、うん」
 じゃ、行ってくるわーと日翔が辰弥から離れ、逃げ出した雪啼を追いかけた。
「……」
 日翔の背を見送り、辰弥が小さくため息を吐く。
「……ごめん」
 日翔はああは言ったが真実を知れば自分を拒絶するだろう、という思いが辰弥にはあった。
 だから、思い出したくない。自分が何者かなんて、考えたくない。
 包丁を握る手に、力が入る。
「……俺なんて……」
 ――結局は、ただの――。
 その考えを自分の心の中で握り潰し、辰弥は包丁を握り直した。
 今はそんなことを考えている場合ではない、と調理に戻る。
 トントンという規則的な音が、静かなキッチンに響き渡った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 その依頼が届いたのは『白雪姫スノウホワイト』が閉店間際の時間帯になった頃だった。
 その時間には店員目当ての女子高生たちも既に帰宅しており、店内は閑古鳥タイムになっている。
 それを見越したかのようにあかねは店に立ち寄り、辰弥に依頼データデータチップを手渡す。
「あのさあ、過去の依頼のことをグチグチ言うのはNGだと分かってるけどアライアンスのチェックちゃんと機能してる? 後で考えたらアレ明らかにアライアンス拒否案件だったんだけど」
 チェックちゃんとしてたら巨大複合企業メガコープ関連の依頼って拒否してるよね? と辰弥が茜に釘を刺す。
 その辰弥の言葉が耳に入った鏡介が棚の裏で身を竦ませるが茜はそれに気づかず「ごめんね」と謝罪する。
「まぁ、報告受けた時は本部でも粛清案件かどうか紛糾したらしいけど元々はこっちがちゃんとチェックできてなかった依頼だったから、そこは申し訳ないと思ってるわ」
「え、辰弥お前報告したのか?」
 鏡介が思わず棚から身を乗り出して辰弥に声をかける。
 それはもう、と辰弥が頷いた。
「本来なら受諾した依頼、それも遂行後にクライアントを調査するのはご法度だとは分かってたけどね、あまりにも危険すぎた。それこそカグラ・コントラクターカグコンの航空支援を要請できるレベルの前金の時点でアライアンスももっとしっかり裏取りするべきだったよ。だから自衛のためにも調査した。その結果がアレだからね」
「もし違反案件じゃなかった場合は貴方たち良くてアライアンス追放、最悪粛清だったのよ? それは分かってるの?」
 茜の言葉に、辰弥が「それは勿論」と頷く。
「けどその懲罰対象は間違ってるよね? 実際調査したのは俺だけだから対象になるのは俺だけのはずだ。日翔と鏡介は関係ない」
「お、おい辰弥……」
 鏡介の声が上擦っている。
 嘘だ、と鏡介は茜に聞かれないように呟いた。
 実際気になって独断調査を行ったのは鏡介である。それを、自分の保身で辰弥と日翔に打ち明けた。
 それなのに辰弥は自分の独断で調査したとアライアンスに報告したという。
 ふざけんな、と鏡介は怒鳴ろうとしてその言葉を飲み込んだ。
 辰弥に手柄を取られたとかそのような考えは全くない。
 もしかしたら違反行為を行ったということで消されるかもしれないのに自分の罪を被ったことが許せない。
 だが、今ここで下手に声を上げれば実際に調査を行ったのが鏡介だということが発覚し、辰弥が虚偽の報告を行ったことが明るみに出る。
 それを辰弥が望んでいるか、と自問して鏡介は言葉を飲み込んだ。
 辰弥がそんなことを望むはずがない。彼の性格を考えればこうなることは分かっていたはずだ。
 結果として今回はアライアンスにも落ち度があったということでお咎めなしだったようだが、それでも危ない橋を渡ったことには違いない。
 これは帰ったら一発殴らないと気が済まない、と思いつつ鏡介はそっと業務に戻った。
 棚の向こうから辰弥と茜の会話が聞こえてくる。
「今回の件で今の調査方法に穴があると分かったからチェック体制も変えたわよ。あと、巨大複合企業メガコープ案件を受けない方針は少し緩和されたわ。メガコープ同士の抗争に直接関わらない依頼は例外的に受諾するしそれが火種になった場合、違反金の支払いと事態終息のための支援をしてもらうことにしたから」
「……なら、リスクは多少減るかな。だけどあまり関わりたくない案件だよね」
 そんな会話をBGMに、鏡介はハンディターミナルを操作して在庫チェックを続ける。
「ちなみに、今回は中小企業案件だけどメガコープの息は掛かっていると思っているわ。抗争に直接関わらないと判断しての受諾だけどスパイル・アーマメント周りだと下請けとかは十分あり得るし」
「スパイル・アーマメント絡みなの? どうせメガコープが中小企業の特許取得妨害のために開発中のもの壊して来いとかじゃないの?」
「うわあ、よく分かったわね。試作品のスパイル・アーマメント破壊と設計図削除よ」
 うわ、めんどくさ、という辰弥の声が店内に響く。
 脊髄外装スパイル・アーマメントとは、近年開発された脊髄に接続して身体能力を向上させる装備である。俗には義体の一種としてカテゴライズされる場合もあるが、厳密な定義では義体とは身体部位を置換するものなので別物と扱われている。
 そんな物の破壊が依頼として来るとは。
「いやまぁ受けた依頼はやるけど。それ、絶対警備がやばい奴だよね」
「中小企業だからといって油断したら痛い目を見るでしょうね……気を付けてね?」
 めんどくさいことになったな、と鏡介は内心呟いた。
 ただ、今回の依頼は恐らくいつもの配置、自分は後方からのハッキング、辰弥と日翔で現場に侵入しての試作品破壊で済むだろう。
 警備がどのようなものかはハッキング下調べしないと分からないが中小企業なら義体や強化外骨格スケルトンを装着した警備員を配置することも考えにくく、施設の監視システムを遮断オフラインにすればいいだろう。
 辰弥がぼやいたようにメガコープが絡んでいた場合はその限りでもないだろうが、彼と日翔のコンビなら何とかなるだろう、と考える。
 頭の中でざっくりとプランを練りながら、鏡介はそのまま在庫チェックを終わらせ閉店処理に移行した。

 

「……というわけで今回の依頼は工場に侵入して試作品のスパイル・アーマメント破壊、設計図削除でーす」
 やや投げやりな口調で辰弥がそう宣言する。
 うわあ、やさぐれてんなあと日翔が自室で呟いたが、その言葉はばっちり辰弥の聴覚に届いている。
「これがやさぐれなくてどうしろっての。あ、スパイル・アーマメント破壊した後なら工場は爆破してもいいってさ」
《まあ、確実性を上げるためだろうな。ただ派手にやりすぎると山手組やまのてぐみが隠蔽しづらくなるからほどほどに、ということだが》
 データチップの情報を解析しながら鏡介が補足する。
 彼もまた、辰弥が荒れているという認識を日翔と同じく持っていた。
 無理もない、辰弥の頬には一枚の湿布が。
 氷で冷やすのがめんどくさい、と冷感湿布を貼っているからだがその原因は鏡介である。
 閉店後の『白雪姫』で鏡介は辰弥に一発お見舞いした。
 普段なら避けられるか腕を掴まれて終わりだが、あの時に限り辰弥は素直に殴られた。
 もしかすると「他人に心配をかけること」に対しての罪悪感というものを覚えたのかもしれないがそれでも今この場でやさぐれていては学習の意味を問いたくなってくる。
《おい辰弥、いつまでも拗ねてるんじゃない。お前はガキか》
 鏡介がそうたしなめると、辰弥は「むぅ」と頬を膨らませた。
「拗ねてなんかないし。子供じゃないし」
《バッチリ拗ねてんじゃねーか。鏡介が辰弥を殴るのも珍しいが素直に辰弥が殴られるのも珍しいぞ。明日流星群光輪雨でも降るか?》
 光輪雨こうりんうとはアカシア上空に存在する微惑星帯バギーラ・リングから離れた岩石が地上に落下する現象である。
 そもそも光輪こうりん自体がバギーラ・リングの桜花語での呼び名だがこの光輪雨は大半が大気中で燃え尽きるもののごくまれに地上に落下し、甚大な被害を出していた。
 現在は御神楽財閥有するカグラ・スペースが除去を行うため地上に降り注ぐことはほぼ起こらないが、それでも誰かが普段やらないような行動を取った時などは珍しいことのたとえとして「光輪雨が降る」と表現される。
 西洋化の影響で光輪の事をバギーラ・リングと呼ぶのが一般化している今も、バギーラ・レインと呼ばれず光輪雨と呼ばれ続けているのは概ねこの有名な慣用句が原因だろう。
 なお、御神楽が財閥として世界の覇権を握ることとなった光輪雨の除去開始を記念して、この年を現行の紀元のP.B.R.ポスト・バギーラ・レイン元年と定めてカレンダーも作られている。
 ちなみに今年はP.B.R.三五九年であり、一部の人間からは「御神楽が世界を支配し始めてそれだけ経過した」とも言われている。
 それはそうと、三人の中では割と学がないと言われがちな日翔であるが、光輪雨程度の慣用句は普通に口にするらしい。
 辰弥がさらに頬を膨らませ、黙りこくる。
《ああ、もういいからさっさと打ち合わせを済ませよう。今回のターゲットは『荒巻あらまき製作所』で現在開発されている試作品の脊髄外装スパイル・アーマメントの破壊及びその設計図のデータ削除。まぁスパイル・アーマメントなんてブラックボックスの塊だからサーバのデータを消せばマスタも消えるだろう、とのことだ》
《うっわ、めんどくさ。設計図は鏡介が消せるとしてもスパイル・アーマメントの破壊か……どうせ警備とかきっついんだろ?》
 日翔がそうぼやいたのは最近は義体を装着せずともスパイル・アーマメントの接続インストールにより身体能力を向上させた人間が増えてきたから。
 義体は身体の部位を丸ごと置き換えるもの。軍用のものにもなれば単に一部位を置き換えただけでも全身の血液を人工循環液ホワイトブラッドに置き換えることになる。だが、スパイル・アーマメントは生身の体はそのままに、反応速度を向上、物によっては肉体の限界を超えた行動が可能となる。
 一応「荒巻製作所」は中小企業とは聞いていたがスパイル・アーマメントの開発は各社こぞって行う企業戦争の火種、ましてやメガコープの下請けだろうと推測されているのでそうだった場合元請けから強化された警備員くらい派遣されているだろう。
「しかし、スパイル・アーマメントか……」
 人体強化手段の一つとして最近注目されているスパイル・アーマメントは義体に接続、または生身であったとしても脊髄に接続することで装着者の身体能力を大幅に向上させる。
 義体に接続するタイプは単なる拡張パーツに過ぎないが、脊髄に接続するタイプは人体に多大な負担を強いるため余程生身にこだわった戦闘狂でない限り真っ当な人間は接続をためらうくらいである。
 それでも現時点でそれなりに流通しているのはこの世界アカシアの治安は悪い場所はとことん悪く、スラムは子供が一人で生きていくことすら困難なレベルであるからだろう。
 そのため、義体より安価なスパイル・アーマメントは少しでも力を付けたい、一攫千金を狙う人間がこぞって手を出し、そして破滅していく。
 日翔が極秘裏に導入した強化内骨格インナースケルトンはALS治療の希望として大々的に広報されていたため早期にその危険性が明るみに出て規制されたが、スパイル・アーマメントは開発の段階で既にある程度のアンダーグラウンドな代物であるため、未だに規制はされていない。
 スパイル・アーマメントが危険な理由――それは人体にかかる負担の種類である。
 スパイル・アーマメントは脊髄に直結するため、神経を直接触ることになる。
 この「触る」というのは「手で触れる」という意味ではなく、「スパイル・アーマメントが掌握する」という意味合いが強い。
 神経を掌握したスパイル・アーマメントはそこからGNSに作用し、装着者の反応速度、行動速度を格段に増幅する。
 しかし脳にかかる負担はとても大きく、スパイル・アーマメントの機能を発動する代償として装着者は抑制剤インヒビターの服用を求められる。
 だがそれも一時的なもので、やがて抑制剤が効かなくなった装着者は廃人、通称「電脳狂人フェアリュクター」となる。
 今回の依頼、そんな危険な代物であるスパイル・アーマメントの試作品を破壊する、というものであるが依頼人にはいったいどのような意図があったのだろうか。
 単純にメガコープの企業間戦争の鉄砲玉に使われるスパイル・アーマメントを破壊することで相手の戦力増強を妨害するためなのか、それともスパイル・アーマメントは危険だから抹消すべしという過激な正義感ゆえの依頼なのか。
 茜はメガコープの介入を明言しなかったが、それは恐らく依頼者が完全にメガコープの人間だと断言できなかっただけだろう。
 そのため、メガコープの息がかかっていると想定して動いた方が無難、ではある。
 はぁ、とため息をひとつ、辰弥は鏡介が展開した工場の見取り図を見た。
「……あのさ、」
 やや、ためらいがちに口を開く。
《どうした?》
 日翔の言葉に、辰弥はもう一度息を吐き、それから、
「今回の依頼、日翔をメインから外せない?」
 そう、提案した。
《は?》
 唐突な辰弥の言葉に日翔が素っ頓狂な声を上げる。
《外す、ってどういうことだよ!》
 外されたら報酬減る、とわめく日翔に辰弥が違う、と否定する。
「あくまでもメインから外すだけで後方待機、報酬はいつも通り三分割でいいよ」
《辰弥、お前……あの事を》
 鏡介も事態を察したのだろう、そう呟く。
「まぁ、そうだね。今回の依頼、破壊だけなら俺一人でもなんとかできそうだし警備だって後ろから殺れば戦闘にはならない、だろ?」
《まぁそれはそうだが》
 日翔が頷くが、心の中では「あんのやろう」と憤っていた。
 辰弥が自分を後方待機にしたいと言い出したのは確実にALSのことを知ったからである。
 そうでなければそんなことをいう理由がどこにも見当たらない。
 大体、今までは一人でも侵入できそうな依頼であっても万一に備えて二人で侵入してきたのだ。今更「病気だから」という理由で外されたくない。
《俺は別に問題ないぞ。むしろ辰弥お前の方が倒れがちだから後方待機するならお前の方だろ》
 日翔の言葉が辰弥の聴覚に届く。
「バカ言わないで。最近『調子悪い』と昼寝増やしてるのを俺が知らないと思ってんの?」
《う……》
 通話の向こうで日翔が言葉に詰まる。
《それは、まあ……》
「俺は大丈夫。それに単独潜入には慣れた方がいいと思うし」
 辰弥のその言葉の向こうに隠された意味。
 ――俺がいなくなっても『グリム・リーパー』を変わりなく稼働させるつもりか。
 辰弥の意図が、なんとなく伝わった気がしてそれなら、と日翔が頷く。
《分かったよ、それなら俺は後方待機させてもらう。何かあったらすぐ駆けつけるからな》
 うん、と辰弥が頷く。
《辰弥、お前気にしすぎだぞ。日翔は――》
「分かってるよ、別に日翔の境遇に同情してとかそんなのじゃない」
 鏡介の言葉を遮り、辰弥ははっきりと言い切った。
「日翔がインナースケルトンで健常者と同じように動けるならそれでいい。だけど最近調子悪そうなのは事実。だから今回は様子見で」
《……分かった。お前がそう言うならそれを信じよう》
 そう言いながら鏡介がキーボードに指を走らせ、見取り図にラインを引く。
《現時点で想定されるセキュリティとそのセキュリティを最低限に回避した予定侵入ルートだ。辰弥単独ならルート選定は単純でいい》
 中肉中背の日翔に比べて小柄な辰弥は遮蔽の選択や機敏さを利用したセキュリティの回避に強い。
 そのため、日翔前提での侵入経路ではなくより確実に目標に到達できる経路を選択することができる。
 ありがとう、と辰弥が自分のGNSに侵入経路を保存する。
「不安要素は警備周りか。戦術データリンクリンク繋いでたら鏡介がメインフレームにアクセスして無力化できるだろうけど今のところは?」
《メインフレームに警備のリンクは構築されていないようだな。もしかすると警備員自体置いてないかもしれない。あくまでも楽観的推測だがな》
 了解、と辰弥が頷く。
「とりあえずこっちは侵入シミュレーションしておくよ」
 日翔とは違い、GNSを利用したVRフルダイブシミュレーションができる。
 以前から日翔と侵入する時でも万一に備えたシミュレーションは行っていたが、今回は辰弥の単独侵入になるためより精度の高いシミュレーションができるだろう。
 分かった、と鏡介がさらにPCを操作し辰弥に詳細なデータを転送する。
《いくつか想定できるシチュエーションデータを用意した。使えるなら使ってくれ》
 決行は三日一巡後、体調は整えとけよ、と鏡介はそう締め括った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

《――緊急ニュースです。先程、下条二田市でまたも吸血殺人事件が発生し、一連の殺人事件に対する当局の対応について市民の不満が噴出しています。ただ、今回の殺人事件は過去の同様の事件と違い、遺体に複数もの刃物で切り付けたような傷と一部欠損部位があるとのことで、模倣犯である可能性もあります――》
 いつもの如くGNSのニュースアプリで確認したニュースは今回も連続している吸血殺人事件のことを取り扱っていた。
(……欠損部位……?)
 今回の殺人は血を抜き取っただけではなく、身体の一部を切り取ったということか。
 目的も切り取られた部位の行方も分からず、辰弥が困惑したようにニュースアプリを閉じる。
 時間を確認すると開始予定時刻まであと数分。
 いつもは隣にいる日翔も今日は後方待機ということで安全な場所に停めた車の中で鏡介から共有された辰弥の視界をCCTで見ているはずである。
辰弥BB、本当に大丈夫か?》
 日翔から連絡が入る。
《バイタルが安定しないな。いつもより脈が早い。緊張しているのか》
 鏡介からも指摘され、辰弥は深呼吸を一つした。
(大丈夫。スタートしたら安定するから)
 今はただ、開始前で緊張しているだけだ。始まればいつも通りに動ける。
 愛用しているハンドガンTWE Two-tWo-threEをチェック、問題ないことを確認してホルスターに収める。
 シースに収めたナイフも確認、何の問題もない。
(……いつでも行ける)
《了解した。何かあったらすぐに連絡しろ。日翔Geneをすぐに派遣する》
 分かってる、と頷き、辰弥はもう一度大きく息を吐いた。
 それから、地面を蹴って走り出す。
 工場の裏口に回り、鏡介のハッキング介助を受けて内部に侵入、すぐにセキュリティが見取り図通りであることを確認する。
 辰弥の視界に防犯カメラの探知範囲や赤外線センサーが可視化され、表示される。
 行ける、と辰弥は銃を手に走り続けた。
 スライディングで赤外線センサーを潜り抜け、各種防犯システムも突破する。
 普段ならこのあたりのセキュリティも鏡介が沈黙させていたがあまり長時間ハッキングを続けていると察知される危険性が高まってしまう。
 沈黙させずとも回避できるのであれば、回避した方がリスクは低い。
 セキュリティを難なく突破し、辰弥はスパイル・アーマメントの試作品が保管されている研究室に潜り込んだ。
 無造作に作業台の上に置かれているターゲットを前に、ほっと一息を吐く。
 それからぐるりと周りを見回すが、何か様子がおかしい。
 工作機械は置いてあるもののメンテナンスされている気配もなく、その代わりのように試験管や生物の臓器などが保存液に浸されたガラス瓶、バイタルを確認するための器具などが置かれている。
 何かおかしい、と辰弥は思った。
 実際、棚にはスパイル・アーマメントの整備に必要だと思えるものは何一つ残っていない。
 ただ作業台にひとつだけ、試作品のスパイル・アーマメントが放置されている。
 まるで、辰弥をここに誘い込む罠のような――。
 ここまで、センサー類のセキュリティは機能していたが危惧していた警備員には一人も遭遇しなかった。
 鏡介Rainからの報告では建物内に生体反応は殆どなく、僅かに反応があってもそれは辰弥の位置には全く関係のない場所だった。
 それすら違和感を覚えるが、今は依頼を遂行する方が先である。
 辰弥がセキュリティに引っかかっていれば警備員も駆けつけるだろうが、暫くは遭遇する可能性もほとんどない。
 暫くスパイル・アーマメントを眺めていた辰弥が手を伸ばしてそれを裏返す。
「……」
《『サイバボーン・テクノロジー』の刻印があるな。やはり『荒巻製作所』は下請けでこいつの開発をやってたか》
 ディスプレイに映し出された刻印に、鏡介が呟く。
《……む、動いている生体反応があるな。警備員でもいるのか? お前ならやり過ごせると思うが警戒しろよ》
「ん」
 頷いた辰弥の視界マップに光点が表示される。
 だがその動きは遅く、まっすぐこちらに向かっている気配もない。
 これなら破壊した後に設計図のデータを消しても余裕はある、なんなら工場ごと爆破しようか、などと考えながら辰弥はポーチからプラスチック爆弾S4を取り出した。
 ほんの少量、それでも強化合金製のスパイル・アーマメントを修理不能レベルに破壊できる量を取り設置、信管をセットする。
 残りは研究室を中心に、運が良ければ工場が崩落する程度に部屋のあちこちに設置しておく。
 それから、辰弥は作業台横の端末の前で立ち止まった。
 いくつかキーを叩き、ネットワークの接続を確認する。
(やっぱりスタンドアロンだね。メインフレームは作業機械制御とセキュリティ周りだけかな)
 辰弥がそう報告すると、鏡介がそうだな、と同意する。
《とりあえず、接続してくれ。遠隔でデータを消す》
 了解、と辰弥はうなじに埋め込まれたGNS制御ボードからケーブルを引き延ばし、PCに接続した。
 接続した、と辰弥が連絡すると直後、彼の視界をコードがスクロールし、鏡介がGNS経由でPCに侵入する。
《……ん? おかしい、スパイル・アーマメントのデータは表向き削除されたことになっているな》
「どういうこと?」
 鏡介の言葉に疑問は浮かべつつも、辰弥はこの研究室の違和感に同意せざるを得なかった。
《どうやら『荒巻製作所』は『サイバボーン』と手を切ることにしたようだな》
 スパイル・アーマメントのデータを確認しながら鏡介が呟く。
《OK、マスタデータは残ってるから消しておく。しかし……》
 鏡介が手を動かしながら眉を顰め、忌々しそうな顔をする。
《どうしてここに『ワタナベ』の名前が出てくるんだ》
「どういうこと?」
 「ワタナベ」といえば前回の依頼の依頼者クライアントである。
 「サイバボーン・テクノロジー」の強化外骨格パワードスケルトン技術開発に水を差し、軍需産業に参入するらしいとは聞いていたがこんなところでその名前を見ることになるとは。
《前に言ったはずだ、『ワタナベ』は生物兵器バイオウェポンを販路に流したいと》
「確かに」
《どうせ『サイバボーン』と手を切れば桜花企業のよしみで融通するとか裏取引したんだろ? それならその部屋にある気味悪いあれこれは説明がつく。『荒巻製作所』はバイオウェポンを開発するつもりだ》
「く……」
 鏡介が繰り返す生物兵器バイオウェポンという言葉がいちいち脳裏に引っかかる。
 不意に襲ってきた頭痛に辰弥は顔をしかめつつも視界に流れる情報を確認して気を紛らわせた。
(なんでどこもかしこも生物兵器なんて……)
 この頭痛は鏡介が自分を経由してハッキングを行っているからではない。
 全く別の要因、それも自分の精神状態が関係しているとは理解していた。
 だから落ち着けば頭痛もおさまる、と深呼吸し、鏡介が侵入を続けている間に辰弥は仕掛けたS4のタイマーをセットした。
 スパイル・アーマメントはすぐに起爆するようにして、その他の分は脱出の時間も考慮して長めに設定、起動する。
 辰弥の視界に二つのタイマーが表示される。
 そのすぐ後に彼の視界に【completed】の文字が表示され、鏡介から「終わった」と連絡が入る。
 PCからケーブルを引き抜いて収納、辰弥は即座に作業台から離れた。
 短めにタイマーを設定していた方のS4が起爆し、スパイル・アーマメントを破壊する。
 それを見届け、辰弥は工場から離脱しようと扉に手をかける――
 と、突然目の前の扉が吹き飛んだ。
 辰弥が咄嗟に横に跳んで飛んできた扉を回避するが、同時に伸びてきた腕に首を掴まれる。
「ぐぅっ……!?!?
 そのまま一気に部屋の奥に追い込まれ、壁に叩きつけられる。
 一瞬気が遠くなりかけるが辛うじて耐えきり、右腕を振る。
 辰弥の右手から放たれた極細の高炭素鋼ワイヤーピアノ線が彼の首を掴む腕に絡みつき、切断する。
 腕から噴き上がる人工循環液ホワイトブラッドが辰弥の顔を汚す。
 床に膝をついたものの、辰弥はすぐに頭を上げて目の前に立つ「何か」を見た。
 目の前に立っているのは屈強そうな躯体を持つ「人間」のようだった。
 だがその全身の大半が人造のパーツ義体に置き換えられており、見る者に威圧感を与えてくる。
 その両腕に構えられた大口径の銃が辰弥に向けられる。
 即座に横に転がり、辰弥はその銃の射線から離れ、距離を取る。
 転がりながら観察すると、両肩の辺りから伸びた細い伸縮性のアームの片方が切断され、ボタボタと循環液を滴らせている。
 ――サブアームで拘束してからの射撃か!
 腰のTWE Two-tWo-threEを抜き、相手に向け、発砲。
 小型のハンドガン程度の威力では義体によってはダメージを与えられない。
 しかし、辰弥の射撃は正確に義体の関節部分を撃ち抜いていた。
 相手が人間にあるまじき咆哮を上げる。
 そして、射撃のダメージなどなかったかのように辰弥に向けて突進した。
「な――!」
 工作機械などがあるため、逃げ道はほとんどない。
 ええい、ままよと横の工作機械を蹴って三角跳びの要領で空中に飛び上がり、辰弥は相手の後ろに着地した。
 振り返り、銃口を相手の延髄に向ける。
「――っ!?!?
 辰弥の体が硬直する。
 目の前に見える男らしき人物の背中に。
 ――スパイル・アーマメント!?!?
 脊髄部分に食い込んでいるのは明らかにスパイル・アーマメントだった。
 ステータスを示すLEDが薄暗がりで紅く輝き、人ならざるものエイリアンの瞳のように辰弥にその存在を誇張する。
(マズい……)
 スパイル・アーマメントは人体に多大な負担を強いるためLEDの色によってその危険性を可視化している。
 初めは青、そこから緑、黄、橙と変わっていき――。
(ダメだ、狂人フェアリュクターになってる)
 赤が点灯した時、装着者は人の道から堕ちる。
 目の前の男らしき人物は、既に人ではなくなっていた
《BB、大丈夫か!?!?
 辰弥の視界を共有していた鏡介が叫ぶ。
《ってか、生体反応確認してなかったのかよ!》
 同じく日翔も叫び、直後、バタンという音が聴覚に届く。
《今からそっちに行く! なんとか持ちこたえろ!》
 助かる、と辰弥は銃を構え直して頷いた。
「Rain、GNSハッキングガイストハックは?」
 俺経由ならできるだろ、と辰弥が鏡介に確認する。
 その視界の隅では既にガイストハック用のコードが起動しており、鏡介が対応に当たっているのは確認できた。
 しかし。
《クソッ、ダメだできない!》
 そう呻きつつも鏡介はキーボードに指を走らせている。
HASHハッシュは送ったが全く効果がない!》
「じゃあ脳を焼けば?」
 相手のGNSに無意味な情報を送り付けて無力化するHArdship Subliminal HangHASHが効かないのは相手が既に堕ちた存在だから。そうなると、確実に無力化するには脳を焼いてその機能自体を完全に停止させるしかない。
 いくらフェアリュクターでも脳を焼けば殺せるよね? と辰弥が確認するもののそれに対しては鏡介が「それは無理だ」と即答する。
《流石にお前経由で焼けばお前の負担がでかすぎる! 一歩間違えたらお前も廃人だぞ!》
「……く……っ、」
 流石の辰弥も「それでもいいから焼いて」とは言えなかった。
 日翔も鏡介も自分が「生還」するために動いている。
 そこで辰弥自身が廃人になるリスクを負っては本末転倒である。
 分かった、と辰弥は床を蹴り、フェアリュクターの攻撃を回避した。
 相手が持つ大口径の銃が工作機械を穿つ。
 咄嗟にフェアリュクターに向き直り、辰弥が銃をその眉間に向ける。
 いくら義体を装着していても、頭部は特に保護されていなかった。
 今までは回避に専念していたため見落としていたが、落ち着いて真正面に向き合った今なら見える。
 辰弥の銃のレーザーサイトの、赤色の光点がフェアリュクターの眉間に正確に照射される。
《こいつの義体に装着されている自動オート抑制剤インヒビター注入装置インジェクター抑制剤インヒビターじゃなくて睡眠剤が入ってるぞ。大方制御しきれなくて何とか眠らせてたようだな。もう薬品タマ切れのようだが》
 無理だと分かりつつも、鏡介なりに何か手を打とうとしているのだろう、キーボードに指を走らせる音が聞こえてくる。
《普通、インストールするにしても多少の適合検査はするだろ? まさか――》
 ――まさか。
 辰弥も鏡介と同じ結論に至る。
 ――開発中スパイル・アーマメントのインストール実験!
 そう思った瞬間。
 辰弥の動きが硬直した。
 ――実験体、だと。
 そう呟きながらも、自分を叱咤し、発砲。
 だが、愛用の銃を手にしているにもかかわらず辰弥が放った一撃はフェアリュクターの眉間に突き刺さることなく通り過ぎ、背後の壁に突き刺さる。
 その時になって、辰弥は漸く自分の手が震えていることに気が付いた。
 頭の中を「実験体」というワードが埋め尽くす。
 脳裏を過るかつての記憶。
 嫌だと叫ぶその声は記憶の物なのか、現実の自分の喉から出た物なのか。
《おい、BB、しっかりしろ! Gene急げ、BBがやばい!》
 鏡介のその声も辰弥の耳に届かない。
 フェアリュクターの肩から延びるもう一本のサブアームが蛇のようにうねり、辰弥の首に巻き付く。
「く……!」
 反応が遅れた辰弥が振りほどこうとするもののサブアームは首を絞めたまま彼の身体を持ち上げた。
(やば……っ)
 急速に狭まる視界の中、辛うじて銃を相手に向けて発砲するも決定打とならない。
 フェアリュクターが緩慢な動きで銃を辰弥に向ける。
 このままでは絞め殺されるか拘束されたまま頭を吹き飛ばされて終わりである。
 咄嗟に辰弥は右手の銃を手放した。
 彼の手から離れた銃が床に落ち、硬い音を立てる。
 そのまま空になった右手を振り、ピアノ線を射出。
 力を入れることはほとんどできなかったが、それでも腕の力だけでピアノ線を操りサブアームを切断する。
 辰弥の身体が床に落ちる。
 と、同時に研究室の窓ガラスが砕け散った。
 飛び散る破片と共に、青い塊が飛び込み、フェアリュクターに体当たりする。
 何が起こったのか理解できないまま辰弥は手を伸ばして銃を拾い、傍の机の陰に潜り込んだ。
 そこで漸く首に巻き付いたままのサブアームをほどき、激しくせき込む。
 脳に酸素が行き渡り、視界が戻る。
 机の陰からフェアリュクターを見ると、彼は乱入してきた青い塊――人影にターゲットを移したようだった。
「……女……?」
 乱入してきた青い人影は華奢な女性のように見えた。
 だが、女性にはあるまじき威力の蹴りを放ちフェアリュクターの片手の銃を弾き飛ばす。
 言葉にならない声を上げつつもフェアリュクターは女性を捕まえようとするものの、彼女の動きは素早く捕まえられない。
 ぐわあ、と叫びつつもフェアリュクターは肩甲骨のあたりからさらに追加のサブアームを展開する。
 伸縮性のサブアームが触手のように女性に迫る。
「甘いわね!」
 サブアームをやすやすと回避、女性が空中に飛びあがる。
「あなたを倒したら、早速この研究所を調べさせてもらうわよ。最近、裏で流れている生物兵器バイオウェポン、その販路と胴元をね」
 そう言いながら女性が左腕に仕込まれた武器庫ウェポンベイから大ぶりのナイフを抜き、フェアリュクターに向かう。
(そんなナイフ一本で!)
 小口径の銃ですら相手を怯ませることができない。それよりもはるかに威力に劣るナイフ一本で、どう立ち回るというのか。
 辰弥が見ていると、女性は空中からフェアリュクターに急降下、銃を持っている方の腕にナイフを振り下ろす。
 次の瞬間、フェアリュクターが絶叫した。
 その腕が、辰弥の銃弾ですら弾くだろうほどの重装甲の義体が熱せられたナイフで切られたバターのように切断されている。
 吹きあがる循環液に、この光景が夢ではないと辰弥は思い知らされた。
 同時に思う。
(あの女、まさか全身義体?)
 ブルーを基調としたボディスーツを身にまとっているように見えたが、行動の邪魔にならないようにと考えてのものなら説明がつく。
 また、空中で姿勢を変えた時に辰弥は確かに見た。
 一瞬、その脚からブースターらしき物が起動したのを。
 アカシアではもう珍しくない義体ではあるが、全身を丸ごと義体化する人間はそうそういない。
 だが、この女性は明らかに全身が義体、それも見た目はスレンダーな女性でありながら出力攻撃力だけは軍用の物と遜色ないレベルのハイスペック品。
 何者だ、と女性を凝視する辰弥の目に黄色い何かが映った。
 女性の左肩部分、それは所属部隊を示すエンブレムだった。
 黄色を基調に、中央には花弁が一枚散った四枚の桜の花びらとそれを取り囲む薄紫の花カンパニュラ
 どこかで見たことがあるようなそのエンブレムに、辰弥は鏡介に確認を依頼した。
(Rain、あの乱入してきた女のエンブレムの所属分かる?)
《今解析中だ――いや、おいBB逃げろ、アイツはやばい!》
 焦ったような鏡介の声。
 辰弥の視界にデータが転送される。
《あのエンブレムはカグラ・コントラクターカグコンが抱える最強の特殊部隊、特殊第四部隊トクヨンのものだ! 今はあのデカブツに夢中になっているようだが捕まったら後々面倒だぞ!》
(は!?!? トクヨン!?!?
 声には出さなかったが辰弥が驚いてその名を繰り返す。
 アライアンス内でも有名な話である。
 アカシア最強の巨大複合企業メガコープである御神楽財閥みかぐらざいばつが抱える最強のPMC「カグラ・コントラクター」。その最強の部隊が選りすぐりの義体兵を集めた精鋭部隊、第四特殊部隊こと通称「トクヨン」でありその中でも最強と言われるリーダーが――。
(『トクヨンの狂気』……御神楽みかぐら 久遠くおん……)
 ああ、と鏡介が頷く。
《カグコンも何かを把握していたってことか。さっきの口ぶりからするとカグコンは『ワタナベ』の事は把握していなさそうだな》
 とにかく、離脱しろ、と鏡介が辰弥を急かす。
 そのタイミングで日翔が漸く到着、辰弥の肩を叩く。
「BB、大丈夫か?」
「……うん、大丈夫」
 そう言いながらも辰弥がさらに観察していると、女性――久遠は肩甲骨のあたりから一対のサブアームを展開、振り下ろされた腕を受け止めている。
「流石は『サイバボーン』製、と言いたいけど――その程度じゃ私を止められないわ!」
 サブアームが掴んだ腕を引きちぎる。
 腕を失ったフェアリュクターがそれでも久遠を押し潰そうとのしかかるがそれをやすやすと回避し、彼女はフェアリュクターの背中に掴まり上に立つ。
「流石にフェアリュクターを回復させるすべ御神楽うちにもないの。悪いけど、死んでもらうわ」
 そう言いながら久遠が手にしたナイフをフェアリュクターの延髄に突き立てる。
 一瞬、身を震わせたフェアリュクターが全ての活動を停止して床に崩れ落ちる。
 軽い身のこなしで床に降りた久遠が周りに視線を走らせた。
 その視線の先で、S4にセットされたタイマーが0を刻む。
「な――」
 研究室内で次々に爆発するS4。
 爆発は研究室だけにとどまらず、工場のガスなどにも引火、誘爆していく。
「ふー……お前、派手に仕掛けたな」
 爆発、炎上する工場を見ながら、日翔が呆れたように呟いた。
 ぎりぎりまでは久遠の戦闘を観察していたが、終わる前にはタイマーの都合もあり二人は工場から離脱していた。
 車に戻り、運転席に座った日翔が助手席の辰弥の全身を軽く観察する。
「怪我は特に……なさそうだな」
「ん、一番やばいのは首だけどあざとかない?」
 そう言いながら辰弥がジャケットを脱ぎ日翔に首を見せる。
「あー、ちょっと痕とひっかき傷残ってるな。これは数日残るかも」
 派手にやられたな、お前がここまでやられるとは珍しい、と日翔がぼやくと辰弥が「まぁ俺だって」と小さく呟く。
「帰ったら一応『イヴ』に診てもらいな」
 そう言いながら日翔は車を発進、だが辰弥からの返事がなく不審に思い横目で彼を見る。
「……って!」
 一瞬、寝ているのかと思った辰弥だが明らかに様子がおかしい。
 どう見ても「気絶してます」な辰弥に、日翔は慌ててブレーキを踏み彼を揺さぶる。
「おい、またかよ!」
「ん……」
 低く呻き、辰弥が目を開ける。
「お前、気絶すんならするって言えよ!」
「んな無茶な」
 気絶してた? と確認する辰弥の顔色は悪く、日翔はああ、と頷いた。
「絞められたダメージが思ったよりでかかったようだな。お前は休んでろ」
 そう言われて辰弥が小さく頷き、シートに身をうずめる。
 実際のところは首を絞められたダメージではなく貧血が原因だと分かっている。
 意識を失ったレベルなら戻った時に輸血も必要だろう。
 あの時、久遠が乱入した時に意識を失わなくてよかったと辰弥は心底そう思った。
 もしあの時倒れていたら日翔が自分を抱えて離脱する際に時間がかかり、脱出が間に合わなかったかもしれない。
 そこまで考えてから、辰弥は「そういえば」と体を起こした。
「あの……御神楽 久遠はどうなったんだろう」
 バックミラーに映る炎に辰弥が呟く。
「さぁな。お前が思ってたより派手に仕掛けたせいで工場自体崩落してるからな……っても『トクヨンの狂気』は全身義体のバケモノだろ? ちゃっかり逃げてんじゃねーか?」
 車が角を曲がり、バックミラーに映る炎が消える。
「……『トクヨンの狂気』……相手にしたくないな」
 辰弥の呟きに日翔もそうだな、と同意する。
「そもそもカグコン自体敵に回したくないが――アイツだけは絶対にやりあいたくないな」
 そんな会話を繰り広げながら、二人が現場から離れていく。
 燃え盛る「荒巻製作所」だった工場。
 そのがれきががらり、と崩れ、ゆらりと人影が立ち上がる。
「……派手にやってくれたわね……情報統制する側にもなれってものよ」
 そう呟きながら人影――久遠が跳躍、火の手が回っていない場所に着地する。
 全身を包むボディスーツはところどころ破れ、義体の素体がむき出しになっている。
「……やっぱりバイオウェポン開発の痕跡はあったわ。でも先客がいてね――ウォーラス、先客に心当たりはない?」
 燃え盛る工場を背に、久遠が通信をつなぐ。
 ややあって、久遠のGNSに返答が届いた。
《派手にやられたようだな久遠。奴らは恐らく手を切られた事に腹を立てた『サイバボーン』から依頼を受けた暗殺連盟アライアンス暗殺者キラーだろう。顔は見ていないのか?》
 通信の相手――特殊第四部隊のナンバーツーにして久遠の相棒として動いているウォーラス・ブラウンが冷静に判断する。
「……ええ、顔を見る前に隠れた上にさっさと撤退したようだから。ここに仕掛けたS4も恐らく彼らが仕掛けたのでしょうね。余計なことをしてくれるわ」
 そう、ため息交じりに久遠がぼやく。
巨大複合企業メガコープ間の争いに敗れた落ち目の企業が、余計な邪魔をしてくれるじゃない」
《落ち着け久遠。情報は……何一つ手に入れられなかったようだな》
 憤る久遠をウォーラスがなだめる。
 分かってるけど、と言いつつも久遠は振り返り、工場に視線を投げた。
「それにしてもアライアンスのネズミは逃げ足だけは早いわね。ったく、吸血殺人事件の調査もあるってのにこんなところで邪魔されるわけにはいかないのよ」
 カグラ・コントラクターも治安維持にあたっているためこうも立て続けに同一地域で吸血殺人事件が起きると自分たちの沽券にもかかわってくる。
 久遠、いや、特殊第四部隊としては他にも対応しなければいけない事態も数多い。
 最強の部隊正義の味方は最高に忙しいのよ、こんなところで手を煩わされたくない、と呟き、久遠は拳を握り締めた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 帰宅後、反省会デブリーフィングを行う前に風呂に直行し、一風呂浴びた辰弥は脱衣所に蹲っていた。
 そもそも貧血で一度意識を失っていたのに輸血をする前に入浴したのだ、貧血くらいぶり返す。
 全身が酸素を求めているが浅い息しか吐けず、床を掴むかのように拳を握る。
(まずい、息ができない)
 酸欠状態になり、朦朧とする意識でそれでもせめて自分の部屋に戻らなければ、とかごに入れていた着替えを掴む。
 ――と、そのタイミングで突然ドアが開いた。
「おわっ、辰弥!?!?
 ドアを開けた張本人、日翔が思わず叫び声を上げる。
「お前まだ出てなかった――って、大丈夫か!?!?
 恐らくは脱衣所につながっているトイレに行くつもりだったのだろうが蹲っている辰弥を見てそれをすっかり忘れたらしい。
 床に落ちているバスタオルを拾って辰弥の肩にかけ、日翔はその背中をさすった。
「そういえばお前、気絶してたのに風呂入ったのかよ!」
「……」
 辰弥は何も答えない。
 ただ苦し気に息を吐くだけで精一杯なのだろう、と判断した日翔はそのまま辰弥を仰向けにして気道を確保するように上を向かせる。
 その際、辰弥の体に一瞬違和感を覚えたような気がしたが容態が心配でそれどころではない。
 とりあえずベッドに運ぶか、とバスタオルを巻き、日翔は辰弥を持ち上げた。
 元から成人男性の平均よりは小柄な辰弥なので抱きかかえることは簡単にできる。
 そのまま辰弥の部屋に直行、彼をベッドに寝かせ日翔は湯冷めしないようにとタオルケットを掛けた。
「……日翔……?」
 焦点の定まらない辰弥の目が日翔を探す。
「ああ、大丈夫か? 『イヴ』呼ぶからちょっと待ってくれ」
 とりあえず水はそこにあるから、と部屋を出ようとした日翔の服を、辰弥が掴んだ。
「……? どうした?」
「……見た?」
 辰弥が尋ねる。
 主語が分からず、日翔は首をかしげて辰弥を見た。
「見たって、何を」
 日翔がそう尋ねると、辰弥の眉間がわずかに寄った。
 「聞くんじゃなかった」系の顔だな、と日翔が考える。
 ほんの少しの沈黙の後、辰弥は口を開いた。
「……俺の裸」
「は? んなもん別に見られて恥ずかしいもんじゃねーだろ! 別にお前の〇〇〇なんて見てねーしすぐにタオル掛けたからマジでなんも見てねーわ!」
「何だよ見るとこ見てんじゃないこの変態!」
 がばり、と体を起こして辰弥が怒鳴る。
「はぁ!?!? 何が変態だ! ここまで運んできたことくらい感謝しろよ!」
「……ま、まぁそれは」
 ひとしきり怒鳴って力尽きたのだろう、辰弥が再びベッドに沈む。
「……見てないなら、いい」
 ごめん、迷惑かけたと謝る辰弥に日翔は「気にすんな」と頷いて見せた。
「とりあえず『イヴ』は呼ぶ。反省会はお前が落ち着いてからだ、だからとりあえず休め」
「……うん」
 辰弥が頷くと、日翔はそのまま部屋を出て行った。
「……何か見られてマズいものでもあったのか……?」
 ドアを閉め、日翔が呟く。
 そこで、辰弥を仰向けにした際に覚えた違和感を思い出したが、映像としての記憶が蘇らず気のせいだったのだろうと思い直す。
「……ま、いっか。とりあえず『イヴ』に連絡しよう」
 そう呟き、日翔はCCTを取り出し電話帳を呼び出した。
 その一方で、辰弥は辰弥で浮かない顔をして天井を見上げていた。
 ドアの向こうから渚に電話しているだろう声がボソボソと聞こえてくる。
 もう一度、今度はゆっくり体を起こし辰弥はサイドテーブルのペットボトルを手に取った。
 一息に水を飲み、それから肌着と部屋着を身に着ける。
「……ほんとに見てないなら、いいけど」
 ベッドに腰かけ、辰弥が呟く。
 同居して四年とは言え、日翔に裸体をさらしたことはない。
 日翔には、いや、「グリム・リーパー」の誰にも見られたくなかったためだが、まさかこんなところで見られるとは失態にもほどがある。
 上着の、腹の部分を握り締め辰弥はうつむいて歯ぎしりした。
 ――俺のことが、知られれば。
 そう、考えているとドアがノックされた。
「鎖神くーん、生きてるー?」
 渚の声が聞こえる。
 辰弥が立ち上がってドアを開けると白い塊が彼に突撃し、抱き着いてくる。
「……雪啼、」
「パパ、大丈夫?」
 抱き着いた雪啼が心配そうに辰弥を見上げている。
 一瞬、眩暈を覚えて膝の力が抜けかけるがなんとか踏みとどまり、彼はそっと雪啼を引きはがした。
「大丈夫、だけどちょっと診てもらうから日翔と遊んでな」
 辰弥がそう言うと、雪啼はちら、と渚を見上げ、それから「んべー!」と舌を出した。
「パパせつなよりおばさんのほうがいいんだ」
「「ぎゃーーーー!!!!」」
 雪啼の爆弾発言に辰弥と日翔が絶叫する。
「ちょ、せ、雪啼? いい子だから向こう行ってな」
「むぅ~」
 渋々、雪啼が辰弥から離れる。
「ゴメンね、せっちゃん~?」
 渚が大人の余裕かにこやかにそれを見送り、部屋に入ってドアを閉め、鍵までかける。
「……で」
「は、ハイ」
 鍵をかけた瞬間、渚は笑みを絶やさずに辰弥に声をかけた。
 だがその目は笑っていない。
「せっちゃんにどういう教育してるのかしら?」
「お、俺はおばさんなんて言葉教えてない」
 そこまで言ったのが辰弥の限界だった。
 激しい眩暈に、その場に膝をつく。
 これはまずい。渚は明らかに怒っているのにこの様では手も足も出ない。
 そう思い、立ち上がろうとするものの身体は全く言うことを聞かない。
 その目の前に渚は椅子を差し出し、掴まるように指示を出した。
 辰弥が息を吐いて椅子に寄り掛かると渚が手慣れた動作で骨盤のあたりを支え、立ち上がらせる。
 立ち上がったところで改めて身体を支え、ベッドに座らせた。
「なんでそんなに重症なの。ピアノ線使った?」
「……うん」
 辰弥の返事に渚がOK、と頷きカバンから鉄分サプリメント鉄剤を取り出し手渡す。
 それからクローゼットを開けて隠し保冷庫から輸血パックを取り出した。
「日翔くんから聞いたわよ? 首絞められた挙句一度気を失っておいて直後にお風呂入ったって?」
 渚に輸血用の針を刺されながらも鉄剤を飲み、辰弥が頷く。
「だってホワイトブラッド全身に浴びておいてそのまま輸血するのはちょっと……」
「……まぁ、それもそうね。でもせめて体拭いて輸血してからにしなさいよ」
 ごめん、と辰弥が謝った。
「謝るのはわたしにじゃないでしょ? ったく、貴方って子はいつも無茶して」
 辰弥の前に椅子を置いて座り、渚ははぁ、と大仰にため息を吐いて見せた。
「……貴方、生きたいの死にたいのどっちなの」
「……」
 分からない。
 死にたくはない。だが、生き続けていたいという思いもない。
 自分の本心が、分からない。
 ただその刹那を駆け抜けて、駆け抜けることができなければそこが終着駅なのだと。
 自分の出自が出自だけに。
 思い出したわけではない。それでも、思い出したくない。
 あのフェアリュクターと対峙した時を思い出し、辰弥は思わず口を手で覆った。
 胃のあたりからこみあげてくるものを飲み込み、荒い息を吐く。
「……何を見たの?」
 渚が眉間にしわを寄せて辰弥に問う。
 辰弥が何かを見て、重篤なトラウマをよみがえらせているのは明らかだった。
 あの辰弥がここまで動揺すること自体珍しく、一体何があったのか、純粋に気になる。
 それが取り除くことができる要因であれば取り除きたい。それでも恐らくは無理だろうという思いが渚にはあったが。
「……見たのはフェアリュクターだよ。ただ、それで、嫌なことを……」
「……そう、分かったわ。皆まで言わなくていい」
 それだけ言い、渚は口を閉じた。
 沈黙がその場を支配する。
 ……と、不意に辰弥の視界に着信のアイコンが表示される。
 ちら、と辰弥が渚を見ると彼女は小さく頷いた。
《辰弥、体調はどうだ? 差し支えないなら反省会するが》
 鏡介からだった。
 日翔から連絡を受けて辰弥の調子が悪いことは把握しているはずだが何かしら早いうちにまとめておきたいことがあったのか。
 大丈夫、と辰弥は頷いた。
(……トクヨンか)
 前回の依頼の最大の注目点を、鏡介が話を始める前に辰弥が確認する。
 ああ、と鏡介が頷いた。
《カグコンが動いた。『御神楽財閥』も自分たちが不利になるようなものを開発されるのを黙って見ているわけがない、恐らくは『荒巻製作所』でバイオウェポンの開発が行われていることを察知して潰しにかかった。わざわざ下請けの『荒巻製作所』に手を出したんだ、『御神楽財閥』は『ワタナベ』が関与していることを感知していない》
(なるほど。じゃあ、)
 恐らく鏡介の推測は当たっているだろう。
 アライアンスの依頼受諾基準が緩和されメガコープの依頼も内容によっては受けるのであれば、今後似たような依頼は増えるはず。
 そして、場合によっては。
《場合によっては『御神楽財閥』とやりあうことになるぞ。流石に最大手となると勝ち目がなさすぎる》
《あの『トクヨンの狂気』と真っ向勝負もあり得るのかよ》
 そうだな、と鏡介。
《あのトクヨンでなくても楽に制圧できるだろう案件に『トクヨンの狂気』自ら首を突っ込んできたんだ、遭遇する可能性がないなんて絶対に言えない》
(でもアイツ、全身義体じゃない。GNSさえ封じてしまえば無力化できるんじゃ)
 あのカグラ・コントラクターが利用している義体である。最新であるのはもちろんのことそれならGNS制御によって稼働しているのは言うまでもない。
 それならGNSがHASH等で使用不可能になった場合、久遠は指一本動かすことができないはず。
 だが、鏡介は首を横に振った。
《そう甘くはないんだよ》
(なんで)
 鏡介ほどのGNSハッカーゲシュペンストであれば久遠を無力化するくらい朝飯前だろう。
 それなのに「そう甘くない」とは。
《ちゃんと対策されてる。トクヨン構成員は近接通信すらオフにして、トクヨンの所有旗艦ツリガネソウ中央演算処理装置メインフレームを基幹サーバにしたローカルネットワークにのみ接続していて、ネットワーク外の人間との通信さえメインフレームを介して行なってる徹底ぶりだ。メインフレームに侵入しない限りトクヨン構成員へのハッキングは無理だ》
 言っておくが、流石の俺もツリガネソウのメインフレーム侵入は荷が重いぞと鏡介が続ける。
《あの時一度侵入を試みての結果だ。拠点サーバの特定はできたもののそれ以上はかなり厳しい》
(鏡介でも荷が重いってことあるんだ)
《俺を何だと思ってるんだ。師匠ならもうちょっと短時間で侵入できるかもしれないが俺もまだまだだな》
 自他ともにウィザード級ハッカーと認めている鏡介だが、その本人がまだまだというレベルで難易度の高いハッキングなのだろうということは辰弥にも容易に想像できた。
 それでもやるときはやるつもりなのだろうと辰弥が考えていると鏡介はまあ、と呟く。
《ツリガネソウの侵入は今後シミュレートしておく。いつ『トクヨンの狂気』と遭遇するか分からんしそれで俺たちのことが明るみに出たら表は歩けないからな》
《鏡介、任せたぞ。俺と辰弥の侵入はお前頼みの部分がでかいからな》
 日翔もそう言い、鏡介は任せろ、と力強く頷いて見せた。
《アライアンス所属のフリーランスだからって舐めていれば痛い目を見るってことくらいはあいつらに分からせてやるさ》
(心強いね、鏡介)
 ああ、と鏡介が頷く。
《今後メガコープがらみの依頼も増えるだろうからな、お前たちを危険にさらしたりはしない》
 何があってもお前たちを守る、その意気込みが辰弥に伝わる。
 分かった、と辰弥は頷いた。
《ちょっと待てよ。自分達に不利なものを開発されるから、なんて理由でカグコンが動くか?》
 だが、そこで日翔が異を挟んだ。
《どういう事だ?》
《『御神楽財閥』は世界最高の巨大複合企業メガコープだぜ? もし自分達に不利な開発物があるなら、さっさとそれを買収して自分達のものにするだろ。なんで破壊する必要があるんだ?》
 鏡介の疑問に日翔が答える。事実、ここまで「御神楽財閥」は自分の持たない技術を持つ企業を買収して自分達のものにしてきた経緯がある。今回それをしないのは不自然だ。
生体兵器バイオウェポンの大元である企業を買収したいとかじゃないの? 奴らは大元が『ワタナベ』だって知らないんだし)
《確かにその可能性はあるか……》
《いや、日翔の疑問は正しい。技術が中小企業に行ってるのが分かるならそこを買収して技術を得つつ聞き出せばいいだけだ。カグコンなら報復も怖くないしな。にも関わらずわざわざ武力で介入してる》
 辰弥の考察に日翔が納得しかけるが、鏡介が否定する。
 巨大複合企業メガコープのぶつかり合いに単純な武力が使われる事は多々あるが、世界最高の「御神楽財閥」に限って言えば、金でスマートに解決出来てしまう問題が多いはず。そこをまず武力で動くというのは不自然だった。
 暫く悩んだが、答えは出そうになかった。
 ただ、「御神楽財閥」、もしくは、カグラ・コントラクター、あるいは、特殊第四部隊には、生物兵器研究に武力を投入しなければならない理由があった事だけは、意識しておいた方が良さそうだ。と三人は結論づける。
《じゃあ、今日の反省会はここまで。辰弥、お前はしっかり休めよ。なんなら明日の『白雪姫スノウホワイト』は欠勤してもいい》
(店長、俺なんだけど)
 鏡介の言いように辰弥が文句を言うが、それに怯む鏡介ではなかった。
《じゃあ部下として進言する。店長、明日は休んでくれ》
(……分かった)
 それじゃ、おやすみと三人が互いに交わし、通信が切れる。
「……終わった?」
 今まで黙って様子を窺っていた渚が確認する。
 うん、と辰弥が頷くと渚はふと口元をほころばせた。
「ちょっといい顔してるじゃない。何かいいことあった?」
「いや、別に……」
 別にそこまで重要なことを言われたわけではない。
 だが、鏡介の言葉は辰弥の心に沁みていた。
 たとえ自分がどのような存在であったとしても。
 鏡介も日翔も自分を守ると言ってくれるのだろう。
 もしかすると全てが明らかになった時は拒絶されるかもしれないが、少なくとも今の状態では守ってくれる。
 それなら、自分も全力でそれに応えるまでだ、と辰弥は思った。
 たとえそれが自分の命を危険にさらすことであったとしても――。
 ――いや、二人が俺を必要とする限り、必ず生還する。
 そう、渚に聞こえないように呟き、辰弥は点滴の針を刺していない方の手を握り締めた。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第5章 「しとつ☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第5章」のあとがきを
こちらで楽しむ(有料)ことができます。

 


 

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