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Vanishing Point 第11

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 その後に受けた依頼で辰弥が電脳狂人フェアリュクター後れを取り、直前に潜入先の企業を買収したカグラ・コントラクター特殊第四部隊の介入を利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 まずいところに喧嘩を売ったと思うもののそれでも依頼を断ることもできず、三人は「サイバボーン・テクノロジー」からの要人護衛の依頼を受けることになる。
 しかし、その要人とは鏡介きょうすけが幼いころに姿を消した彼の母親、真奈美まなみ
 最終日に襲撃に遭い鏡介が撃たれるものの護衛対象を守り切った三人は鏡介が内臓を義体化していたことから彼の過去を知ることになる。
 帰宅してから反省会を行い、辰弥が武器を持ち込んだことについて言及されたタイミングで、御神楽 久遠くおんが部屋に踏み込んでくる。
 「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」、その言葉に反論できない辰弥。
生物兵器LEBだった。
 確保するという久遠に対し、逃走する辰弥。
 それでも圧倒的な彼女の戦闘能力を上回ることができず、辰弥は拘束されてしまう。
 拘束された辰弥を「ノイン」として調べる特殊第四部隊トクヨン。しかし、「ノイン」を確保したにもかかわらず発生する吸血殺人事件。
 連絡を受けた久遠は改めて辰弥を調べる。
 その結果、判明したのは辰弥は「ノイン」ではなく、四年前の襲撃で逃げ延びた「第1号エルステ」であるということだった。
 「一般人に戻る道もある」と提示する久遠。しかし、日翔たちの元に戻りたい辰弥にはその選択を選ぶことはできなかった。
 辰弥が造り出された生物兵器と知った日翔と鏡介。しかし二人は辰弥をトクヨンの手から取り戻すことを決意する。
 IoLイオルに密航、辰弥が捕らえられている施設に侵入する日翔と鏡介。
 激しい戦闘の末に二人は辰弥の救出に成功、鏡介が「コマンドギア」と呼ばれた兵器を強奪して逃走を開始する。
 追手の多脚戦車を撃破し逃走を続ける三人だが、久遠は三人の確保のためにコマンドギア部隊を投入することを決意する。

 

 
 

 

11章 「Branch Point -分岐点-」

 

 車に追いつき、並走して岬に向かっていた鏡介きょうすけのコマンドギアのレーダーに反応が出る。
『ツリガネソウより熱源の発進を確認、カグラ・コントラクターの音速輸送機です』
 a.n.g.e.l.エンジェルの言葉に鏡介が上空を見上げる。
 林を構築する木によって上空ははっきり見えないが、音速輸送機が上空を通り過ぎていくのは分かった。
 そこから三機のコマンドギア――鏡介が強奪したものと同じ、「ヘカトンケイル」が飛び降り、ブースターで落下の勢いを殺しながら木の枝を揺らし車とコマンドギアの前に立ちふさがるかのように降下する。
「クソッ、増援か!」
 鏡介が降下したヘカトンケイルの一機に狙いを定め、二〇mm機関砲を向ける。
『画像認識による装備を識別。カグラ・コントラクター製の対コマンドギア兵装です。警告。近接武器である対CGランスは反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアでは防げません。ご注意下さい』
 分かっている、と鏡介が頷き、目の前のヘカトンケイルを睨みつける。
「そこを、通せぇ!!!!
 鏡介が吠え、二〇mm機関砲が火を噴く。
 放たれた二〇mm砲弾がまっすぐ敵のヘカトンケイルに向かって飛ぶが三機のヘカトンケイルは隊列を乱すことなくそれをやすやすを回避し、それぞれ手にしていた得物を鏡介のヘカトンケイルに向けて構えた。
 ――殺る気か。
 三機のヘカトンケイルが手にしている武器は機械仕掛けの騎乗槍ランスに見えるもの。
 背面から延びるサブアームにはそれぞれ鏡介が装備しているものと同じ機関砲を装備している。両方のサブアームで装備している辺りリロードを考慮しない装備の仕方。
 メインは手にしたランスで機関砲はあくまでも牽制などのサブか、と判断し、鏡介は車を見た。
日翔Gene、先に行け! ここは俺が止める!」
《だが!》
 進路を阻まれた三人だが、先ほどの戦闘を考えればヘカトンケイル一体で相手のヘカトンケイル三体くらいは対処できるだろう、と鏡介が判断する。
 一対三だぞ、無茶すんなと日翔が反論しようとするがこちらはただの兵員輸送車、どうすることもできない。
 くそ、という日翔あきとの呻き声が鏡介に届く。
《すぐに追いつけよ! 約束だからな!》
 進路を阻まれて一度は停止した車が急発進する。
 それを見届け、鏡介は改めて目の前の三機のヘカトンケイルに二〇mm機関砲を向けた。
『上空より飛翔物警告。義体兵降下用ポッドです』
 a.n.g.e.l.の声と同時にレーダーに光点が表示され、直後、鏡介と三機のヘカトンケイルの間に一つのポッドが落下する。
 轟音と共に粉塵を巻き上げ投下されたポッドに、鏡介が咄嗟に二〇mm機関砲を向ける。
 二〇mm機関砲が火を噴く。
 二〇mm砲弾を受けたポッドが爆発する。
 やったか、と思いつつも拭えない恐怖に鏡介の額を汗が伝う。
 風によって粉塵が晴らされ、辺りの視界がクリアになる。
「行かせないわよ」
 そこに、青いボディスーツを身にまとった全身義体の女が立っていた。
 カグラ・コントラクター特殊第四部隊トクヨン隊長、御神楽みかぐら 久遠くおん
 機関砲の砲弾でボロボロになったポッドの前で、傷一つなく何事もなかったかのように涼しい顔で立っている。
 その久遠が地面を蹴った。
 同時に三機のヘカトンケイルが散開、鏡介を取り囲むように移動する。
「そこをどけ!」
 鏡介が目の前の久遠に二〇mm機関砲を向ける。
 当たれば確実にズタズタになるだろうその砲弾を久遠は難なく回避し、空中高く跳躍する。
 その動きをトレースするように二〇mm機関砲の砲身が動くが、それを遮るようにヘカトンケイルの一機が突進、鏡介の動きを妨害する。
「クソッ!」
 突き出されるランスを脚部の左右ローラーを独立して複雑に稼働させ、旋回蛇行し回避、鏡介が咄嗟にターゲットを変更、そのヘカトンケイルをロックオン、ミサイルランチャーから一発のミサイルを発射する。
 しかし、相手も同型機。AEGIS Weapon SystemAWSを起動させ、サブアームの機関砲でそれを撃ち落とす。
 動きが違う、と鏡介は呟いた。
 先ほどの多脚戦車とは勝手が違う。
 あの、多脚戦車に対して自分が行った、いや、それ以上の動きで三機のヘカトンケイルは鏡介を翻弄する。
 鏡介が強奪したヘカトンケイルの主武装は対装甲装備の二〇mm機関砲とミサイルポッド。単分子ブレードも装備はしているが切れ味を考えると多用はできない。
「あいつらの武装はなんだ? 俺の対装甲装備やらとは違うようだが」
 空手だった鏡介のヘカトンケイルのサブアームと違い、三機のヘカトンケイルはサブアームに鏡介が持っているのと同じ機関砲を装備している。
 それ以外にも両肩にはそれぞれ形の違う砲のようなものを装備、手には対CGランス、腰には単分子ブレードが装備されている。
 自分のヘカトンケイルの対装甲装備とは違い、対コマンドギアに特化された装備だろう、と鏡介は判断していた。
 自分が使っていたものと同じ装備は理解できる。しかし両肩に装備された武装が何であるか分からないうちは下手に攻撃を仕掛けたくない。
『メインウェポンに対CGランス、両サブアームに二〇mm機関砲、左肩に戦術高エネルギーレーザー砲MTHEL、右肩に大口径多目的砲、状況から考えて装填しているのはショットシェルでしょう、ウエストラックに単分子ブレードを装備しています』
 その音声と共に、鏡介の視界に映ったヘカトンケイルの各武装がハイライトされ、名称が表示される。
 やれるか、と鏡介は自問した。
 今の自分の武装では決定打に欠けそうな印象を受ける。また、二〇mm機関砲も残りの弾数が少なく、心許ない。
『兵装システムの不足が不安ですか? でしたら、方法はあります。「ツリガネソウ」に搭載されたウェポンオーダーシステムを活用して下さい』
 鏡介の不安を読み取ったのか、a.n.g.e.l.が突然そんな提案を投げかけてくる。
「それは無理だ。大体ツリガネソウとのネットワークは切断したんだろう?」
 「ツリガネソウ」との戦術データリンクをはじめ各種ネットワークはこのヘカトンケイルを強奪した際にa.n.g.e.l.が先回りして切断、現在スタンドアロンの独立モードで動いている。
 「ツリガネソウ」に接続したままであればウェポンオーダーシステムとやらに割り込むことはできただろうが、ネットワークを切断している以上それはできない。
 それでも、a.n.g.e.l.は鏡介に可能性を示唆する。
『はい、ですが、ウェポンオーダーシステムに侵入すれば、利用は可能です』
「ツリガネソウのメインフレームを? 無理だ、この世界でも有数の量子コンピューターだぞ」
 「ツリガネソウ」の中央演算システムメインフレームは大規模な量子コンピュータ、侵入するにはどうしても高性能な量子コンピュータが必要になることを考えると今の鏡介には侵入する術がない。
『方法はあります。ウェポンオーダーシステムはDARPAダーパの設計システムをそのまま再現している都合上、ツリガネソウのメインフレームと独立しています。そして、私のニューラルネットワークはウェポンオーダーシステムともラインを持っています。道中には大きな障害はありますが、私と繋がっているウェポンオーダーシステムに侵入出来れば、そこからウェポンオーダーが可能です。貴方にそれだけのスキルがあれば、ですが』
 a.n.g.e.l.の提案が何故か煽っているように聞こえてくる。
 「やれるならやってみろ」、そう言われたような気がして鏡介は敵のランスを回避しながら視線を巡らせ、それから一つ頷いた。
「俺を誰だと思っている! 量子ネットワークでもない限り、俺に侵入できないシステムはない!」
 やってやる、と鏡介は宣言、GNSからターミナルを開き指の先のフィンガーキーボードでツールを開く。
 視界に映るターミナルはろくに見ず、コマンドを入力していく。
 コマンドを宣言しながらもa.n.g.e.l.のアシストを受けて突き出される三本のランスを回避していく。
 鏡介の指が紡ぎ出す呪文コマンドワードでa.n.g.e.l.のニューラルネットワークがこじ開けられ、それを通じてウェポンオーダーシステムに侵入を試みる。
「どうしたの、避けてばかりで逃げられると思ってる?」
 久遠の単分子ナイフが鏡介の左腕の二〇mm機関砲の砲身を切断する。
「チィ!」
 そう声を上げつつ鏡介が使い物にならなくなった左腕の二〇mm機関砲を放棄する。
『警告、左腕、二〇mm機関砲が破損。放棄されました』
 それでもコマンドの入力は止まらない。
 鏡介が宣言するコマンド一つ一つが起動し、ウェポンオーダーシステムのセキュリティを剥がしていく。
 久遠と連携して突き出されたランスを回避、右腕の二〇mm機関砲だけでは埒が明かない、と判断した鏡介はコマンド入力を止めることなくa.n.g.e.l.に指示を出す。
「残っているミサイルを全部ロックせずに発射、二秒後に自爆をセット!」
『承知しました』
 a.n.g.e.l.が返答、ミサイルポッドに残っていたミサイルが全てリリースされる。
 それはロックオンしていなかったものの真正面にいたヘカトンケイルに向けて飛翔する――ように見せかけて、二秒後、鏡介の指示通りに自爆した。
『右肩、ミサイルランチャー、弾薬ゼロ。パージします』
 ミサイルランチャーがガコンと音を立てて右肩から外れる。
 ――これで敵の視界は塞いだ!
 鏡介は一気にローラーを加速させ、爆炎を突き抜けて、敵に向けて肉薄する。二〇mm機関砲を至近距離で接射すれば流石に敵も回避が間に合わないはずだ。
「何っ!?!?
 しかし、爆炎の先に見えたのは鏡介が予測していたのとは全く違う光景。
 鏡介の網膜に投影されるのはこちらの突進を予測していたかのように、ランスを構えてまっすぐこちらに向けて加速してくるヘカトンケイルの姿。
 ――こちらの動きを読まれたのか!
 こうなってはむしろ爆炎は相手に利したと言う他ない。
 鏡介は慌てて二〇mm機関砲を発砲し、牽制しながら側面に逃れようとする。しかし、敵は最小限の動きで回避し、なお鏡介に迫ってくる。
「全身のパワーアシストを全てホロ――」
『全身のパワーアシストをカットし反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアのエネルギープールにバイパス。警告。全身のパワーアシストが――』
「さらに、防御自動除去アシ――」
反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアの防御自動除去アシストを解除』
「よし、緊急ブー――」
『緊急ブースター起動』
 本来、反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアは継続的に力が加えられる近接攻撃に対してはエネルギーを浪費するだけで防ぐことはできない。そのため、近接攻撃の際は自動でホログラフィックバリアの展開を除去するアシストがついている。
 だが、鏡介は全身に使うエネルギーをホログラフィックバリアに回した上で、このアシストを解除した。
 するとどうなるか。
 ホログラフィックバリアが突っ込んできたランスを受け止める。エネルギープールが大きく消費され、二秒も保たない結果で終わるが、その二秒の間に、緊急ブースターにより鏡介の体は大きく飛び上がった。
 その間もウェポンオーダーシステムへのハッキングは止めることなく、コマンドを入力し続ける。
 戦闘中のハッキングでいつもより時間がかかるものの、それでも鏡介はウェポンオーダーシステムに侵入した。
 普段なら侵入の形跡を悟られることのない緻密なハッキングを行うが、今回はそんな余裕などない。
 防壁I.C.E.を強引に突破し、ウェポンオーダーシステムの基幹部分にアクセスする。
 奇妙な事に、最後に待ち受ける防壁はI.C.E.氷の壁ではなく、ファイアウォール炎の壁だった。
 オーダーできるチャンスは恐らく一回。
 認証を通し、ウォーラス自分のヘカトンケイルへ武装をオーダーする。
『ウェポンオーダーシステムとの接続を確認。識別番号:ウォーラスに対コマンドギア兵装をオーダー』
 そのオーダーは「ツリガネソウ」の格納庫ハンガーに届き、システムが自動的に武装を射出する準備に入る。

 

《ウェポンオーダーシステム、起動しています! オーダー先は……副隊長!?!?
「しまった、ウェポンオーダーシステムは独立システムだからハッキングが可能なのね! ……ハッキングされているわ! オーダーを緊急停止して!」
 艦橋ブリッジからオペレーターの叫びが聞こえ、久遠が慌てて指示を飛ばす。
《駄目です、コマンド受け付けません! コンテナ、射出されます!》
 コンテナがカタパルトに移動する。
 クルーが強制停止コマンドを入力しようとするが先回りした鏡介の妨害によりそれは叶わず、電磁カタパルトが起動する。
 直後、射出される武装コンテナ。
「ウェポンオーダーシステムの主電源を落として! 以降、私が『ツリガネソウ』に帰還するまで、再起動は禁止。これ以上彼に武装を渡すわけにはいかないわ」
 射出されたコンテナを見上げ、久遠が冷静に指示をする。
 了解、と艦橋のエンジニアがウェポンオーダーシステムの主電源を落とす。
「あの子、やるわね……でも、これ以上好き勝手はさせないわ」
 コンテナから視線を外し、鏡介を見て久遠はそう呟いた。

 

 射出されたコンテナが鏡介の眼前に迫る。
『武装コンテナ、到着します』
 鏡介の視界にコンテナがズームアップされる。
『兵装オプションを変更します。対装甲兵装から対コマンドギア兵装へ、現在装備中の兵装の一部を放棄』
 鏡介のヘカトンケイルから右腕の二〇mm機関砲を放棄する。
 頭上に見えるコンテナに向け、鏡介はさらにブースターを点火した。
 コンテナが空中で展開し、中の武装を放出する。
 右手を伸ばし、鏡介は飛来したランスをキャッチした。
『右手、対CGランスを装備』
 両サブアームが肩に装備するためのパーツをそれぞれキャッチし、自分の肩と背中へと装着する。
『右肩に六連装ミサイルランチャーを装備。誘導方式は画像認識です。発射前にシーカーを起動し、ロックオンするのを忘れないでください。背部の反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリア用の追加大型ジェネレータを装備。この装備により、短時間ですが、対CG用ランスによる突撃チャージを一時的に静止させる事も可能となります。有効に活用してください』
 直後、両サブアームが大きな鋼鉄の板をキャッチ、左手で単分子ブレードを受け取りウエストラックに収納する。
『両サブアーム、大型防弾盾を装備。警告。重量が大幅に前方に偏ります。重量調整は原則としてパワーアシストによって行われますが、反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアのエネルギーを調整する場合などは細心の注意を払ってください。ウエストラックにさらに追加の単分子ブレードを三本収納』
 a.n.g.e.l.の注意説明を聞き流しながら鏡介は敵のヘカトンケイルへ狙いを定めた。
 サブアームの機関砲はホログラフィックバリアと防弾盾でほぼ無効化できる。
 大口径多目的砲もショットシェルの種類によるが同じく無効化できるだろう。
 問題は左肩のMTHEL、流石にこれはホログラフィックバリアでは防げない。
 しかし、相手は本当にそれを使うのだろうか?
 鏡介の中で一つの仮説が立っていた。
 特殊第四部隊トクヨンは日翔と鏡介を生け捕りにしようと画策している。
 そこへホログラフィックバリアでも防げない武装を使用して殺そうとすることがあるだろうか。
 あの五機の多脚戦車も、実は不殺で鏡介を止めようとしていたのではないかと考えが及び、鏡介は吐き気を覚えた。
 ――俺は、あいつらを……殺した?
 鏡介は他人に対して直接手を下すことはない。ハッキングの過程で障害になった場合のみ相手の脳を焼く程度でそれ以外で殺人は犯さない。
 だが、今回はどうだ。
 五機の多脚戦車、中にいた人間が生きているはずがない。
 いくら辰弥を連れて脱出するためとはいえ殺人を犯したという事実に眩暈を覚えるも、鏡介は即座に首を振ってその考えを振り払った。
 ――今はそんなことを考えている場合じゃない!
 いくら施設内ではゴム弾を使用して生け捕りを図ったとはいえ今は鏡介も兵器を所持している。不殺を貫くには無理がありすぎる。
 日翔と辰弥はともかく、自分は犠牲なしで止めることはできないから殺すつもりで来るはず、と自分に言い聞かせ、鏡介は目の前のヘカトンケイルを睨みつけた。
 敵のヘカトンケイルが機関砲で牽制しながらこちらに向かってくる。流石、こちらの弱みを分かっていると言うべきか、牽制を飛ばしつつ、確実にホログラフィックバリアの死角である右側を取ろうと移動しているのが分かる。
 機関砲の弾はホログラフィックバリアと防弾盾で無効化し、さらに突き出されたランスを自分のランスで弾き、鏡介は後ろに跳んだ。
 相手の動きは迅い。初めてコマンドギアを装着した自分と違い、訓練を受けている分手慣れている。
 通常の戦車に比べて機動力が高いとはいえ、それでもヘカトンケイルに比べて鈍重な多脚戦車とはわけが違う。
 それに、敵のヘカトンケイルに混ざり単分子ナイフで攻撃してくる久遠の対処に手を焼いている。
 このままではジリ貧だ、いつかは追いつめられると判断した鏡介は「何か手はないか」と考えた。
 敵は同型機。せめて、もっと自在に動くことができれば。
 多少はあり得ない動きをしたとしても、相手を翻弄することができるのなら。
 鏡介の指がフィンガーキーボードを叩く。
 ――システムをオーバークロックするか? いや――。
 ヘカトンケイルに搭載された制御システムをハッキングによって過加速オーバーブーストすれば負荷は高まるもののセンサー等の性能を大幅に上げることはできる。
 しかし、それでは足りない。
 もっと、こう、ヘカトンケイルの動作そのものをより向上させることができれば。
 そこまで考えて、鏡介の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。
 ヘカトンケイルは兵器とはいえ、人間が扱うもの。
 人間を使い捨てるわけにはいかないから、各部モーターや駆動部にはリミッターが設定されているのではないか、と。
 このリミッターを解除すれば少なくとも、動きで相手を上回ることができる。
 勿論、リミッターの解除にはかなりのリスクを伴うことになる。
 限界を超えた動作に使用者が無傷で耐えられるはずがない。
 それでも。
 鏡介の判断は一瞬だった。
 フィンガーキーボードに指を走らせ、コマンドを入力していく。
『警告:各駆動部のリミッターが解除されようとしています。使用者に過度の負荷が――』
「黙れ!」
 鏡介が叫ぶ。
「奴らを出し抜くにはこれしか方法がない、黙ってリミッターを――」
『リミッター解除の権限は私には存在しません。承服しかねます』
「ならいい、俺がやる!」
 リミッター解除を阻止しようとするa.n.g.e.l.を黙らせ、鏡介がシステムに侵入、リミッターを解除していく。
 最後のコマンドの入力を終えた直後、鏡介の全身にずん、と圧がかかった。
『リミッターが解除されました。以降、過剰なアシストが行われる可能性があります』
 a.n.g.e.l.の言葉に鏡介は知るか、と吐き捨てた。
 自分はどうなってもいい。とにかく今はこの追手を全て撃破し、トクヨンの狂気も無力化して二人を脱出させるべきだ、と目の前のヘカトンケイルを見る。
 目の前のヘカトンケイルはこちらに距離を詰めつつあった。
 右肩の大口径多目的砲がまっすぐこちらを捉えている。
 ――MTHELを撃つ気ではない?
 それなら、ホログラフィックバリアで防げる、と鏡介はランスを構えた。
 背部のブースターを起動、目の前のヘカトンケイルに向けて突撃チャージする。
 空気抵抗を減らすために防弾盾の角度を調整した鏡介のヘカトンケイルが撃ち出された弾丸のように走り出す。
 目の前のヘカトンケイルが右肩の大口径多目的砲を撃つ。
 撃ち出されたのは――散弾ではなく、単発スラッグ弾
 散弾特有の細かい弾が広がるのではなく、黒い塊が一つ、鏡介の視界に入る。
 その瞬間、鏡介は叫んだ。
「緊急回避!」
『緊急回避します』
 背部のブースターの偏向ノズルが推進力の向きを強引に変える。
 それと同時に鏡介は横へ跳んだ。
 全身に先ほどとは比べ物にならない重力がかかり、筋肉が悲鳴を上げる。
 全身に走る激痛を歯を食いしばって耐えながら横に流れるショットガンの弾を見る。
 スラッグ弾に見えた塊がぶわり、と広がり、蜘蛛の巣のような網に変わる。
 ――電磁ネットか!
 ほんの一瞬覚えた違和感を信じて回避を選択した鏡介の判断は正しかった。
 蜘蛛の巣のように広がった網が電撃を纏いながら地面に落ちる。
 あれをまともに受けていれば電撃によって確実に動きを封じられ、また、網によって捕獲されていただろう。
 やはり向こうは不殺のつもりか、と鏡介は考えた。
 向こうに殺す気がないのならこちらも不殺を貫くべきか、と一瞬迷う。
 しかし、こちらの武装で不殺を狙うにはあまりにも威力が強すぎる。
 それに不殺を貫いたとしても久遠トクヨンの狂気を排除しない限り三人の逃げ延びる道は険しいものとなる。
 ぎり、と鏡介の奥歯が鳴る。
 何を迷っている、と鏡介は自分を叱咤した。
 ――殺らなければ、辰弥を助けられない!
 ランスを握り直し、鏡介が吠えた。
「邪魔をするなあぁぁぁぁ!!!!
 シーカーを起動、電磁ネットを撃ってきたヘカトンケイルをロックオン。
 ミサイルポッドからミサイルをリリース。
 リリースされたミサイルがヘカトンケイルに向けて飛翔する。
 敵のヘカトンケイルがAWSを起動、ミサイルを迎撃する。
 ミサイルが爆発する。
 爆炎を目くらましに使い、鏡介は突撃チャージしようとし、そこで一瞬踏みとどまった。
 ――この手は使えない。
 先ほど、既に見切られ対策されていた。
 咄嗟の機転とa.n.g.e.l.のサポートによって辛うじて被弾は免れたがその幸運も何度も続かない。
 どうする、そう踏みとどまった一瞬で考えた後、鏡介は相手の思考を考えた。
 向こうも爆炎を利用しての攻撃を考えるだろうが、その手は既に使っている。
 そうなるとこの爆炎は囮となるだろう。
 どこから来る、と鏡介は考えた。
 レーダーを見る。【Enemy】の表示が動く。
 ここまで接近していると大きな動きを見ることはできないが参考にすることはできる。
 突撃するつもりか、と鏡介は身構えた。
 動きを考えると、爆炎を突き破るように見せかけての側面からの突撃チャージ
 それなら行ける、と鏡介は思った。
 一瞬の思考で攻撃をシミュレートする。
 ヘカトンケイルの性能を信じての攻撃になるが、対応しなければ殺されるのは自分である。
 大きく息を吐き、鏡介は腰を少し落として身構えた。

 

 爆炎を突き破っての突進に警戒し、鏡介を捕獲しようとしているヘカトンケイルがランスを構える。
 相手は素人でありながらたった一人で五機の多脚戦車を撃破している。
 殺す気で行かねば殺されるのはこちらである。
 電磁ネットという捕獲のための隠し球が知られてしまったのならもう手加減はできない。
 久遠隊長の最優先命令に従うことは不可能。殺すしかない。
 たとえ刺し違えたとしても、強奪されたヘカトンケイルを破壊しなければ残りの二人も捕獲できない。
 やるしかない、とヘカトンケイルの装着者はランスを握り直した。
 一度対策されたとはいえ、それでも爆炎を利用しての突進が一つの攻撃のチャンスであると考えるだろうということは分かっている。素人なら猶更その戦術に頼らざるを得ない。それが最大の攻撃のチャンスだ、とランスを爆炎に、その向こうにいるだろうヘカトンケイルに向ける。
 ――いや、正面から向かうように見せかけて回りこむ!
 爆炎を迂回するようにヘカトンケイルが突撃チャージする。
 爆炎の裏側に強奪されたヘカトンケイルの姿が見える。
 ランスを構え、相手もこちらの勢いを利用して貫くつもりでいるように見える。
 ――刺し違い狙いか!
 そのような場合の対処方法がないと思っているのか。
 その対処方法くらいこちらは訓練で身に付けている。
 相手のランスのラインから外れるようにローラーの向きを斜めにずらして軸をズラし、ランスを相手に向けてまっすぐ突っ込む。
 だが、そのランスは、ホログラフィックバリアによって阻まれ、突進そのものを止められてしまう。
「追加ジェネレータか!」
 コマンドギアの兵装の一つに追加大型ジェネレータがある。
 実際にはコマンドギアが前線で盾役を務める場合などに、より長時間ホログラフィックバリアを展開し続けるために使う装備。しかし、これを装備することで本来なら受け止めることのできない近接攻撃もほんのわずかな時間受け止め、相手の推進力を奪うことができるということか。
 それでも相手の攻撃を敢えて受けるような選択を常人が行えるとは思っていなかったため、目の前の事態に一瞬の戸惑いが生じてしまう。
 そのヘカトンケイルに、目の前のヘカトンケイルは両サブアームの盾で殴りかかった。
 激しい衝撃と共に、全身が二つの盾で挟まれる。
 ヘカトンケイル同士の目が合う。
 ――こいつ!
 咄嗟に左肩のMTHELを撃つがそれは相手が密着し、砲身が相手の頭とミサイルランチャーの隙間に入り込んでしまったことで無駄撃ちとなる。
 ――だが、奴もランスは使えまい!
 自分は拘束されたに近い状態だが、相手も自分の動きを封じたことでそれ以上動くことはできない。
 今仲間がこの隙を突けば敵を排除することができる。
 それに気づいたか、仲間がこちらに向かって移動する。
 しかし、相手の動きは迅かった。
 サブアームの盾で動きを封じている状態、右手はランスを握っているものの左手は空手である。
 その左手が腰から単分子ブレードを抜く。
 ヘカトンケイルを挟む盾が動き、二人の間にほんの少し、特に拘束している側のヘカトンケイルが腕を動かす余地を作り、次の瞬間、単分子ブレードは拘束されている側のヘカトンケイルを股から上へと真っ二つに切り裂いた。

 

 まず一つ、とヘカトンケイルを切り裂いたことで切れ味が落ちた単分子ブレードを投げ捨て、鏡介が呟く。
 味方を失った二機のヘカトンケイルがそれぞれランスを構えて鏡介に急接近する。
 二機で隊列を組むように接近したヘカトンケイルは鏡介のランスが届く少し手前で二手に分かれ、左右からの挟撃を試みる。
「させるか!」
 鏡介が一度前進してから反転、左右に分かれた二機のヘカトンケイルそれぞれをロックオンし、ミサイルをリリースする。
 その上で片方に狙いを定め、ランスを構えて突撃する。
 相手がサブアームの機関砲でミサイルを迎撃し、その直後、鏡介が繰り出したランスと相手のランスがぶつかり火花を散らす。
「どけって言ってるだろ!」
 鏡介がブースターに点火、その勢いで相手を転倒させようとする。
 だが、その前にやはりミサイルを迎撃したもう一機のヘカトンケイルの攻撃が迫り、横へ跳ぶ。
 リミッター解除によって無理やり動かされる全身が悲鳴を上げている。
 それでも、鏡介は抵抗をやめなかった。
 二機のヘカトンケイルに向かい、鏡介はランスを構えて突き進んだ。
 敵のヘカトンケイルも二機ともランスを構え、鏡介に向かう。
 片方は機関砲で鏡介を牽制、もう片方は回り込むように移動し、大口径多目的砲から電磁ネットを射出する。
 横から射出された電磁ネットを加速することで回避し、鏡介は地面を蹴った。
 目の前のヘカトンケイルに掴みかかるように飛び掛かる。
 左手を伸ばし、相手の右肩の大口径多目的砲を掴もうとするが、それは相手が仰け反って回避する。
 そこを追い込むようにリミッター解除で出力を上げたモーターのアシストを受けた蹴りで相手を蹴り飛ばした。
 吹き飛ばされるように後退したヘカトンケイルがパワーアシストを受けて体勢を立て直しつつ鏡介に向けて左肩のMTHELを撃つ。
 高出力のレーザーが鏡介に向けて伸びるがそれを最小限の動きで躱し、鏡介が接近してきたもう一機のヘカトンケイルに向けてランスを繰り出す。
 相手も単分子ブレードを抜いてランスを破壊しようとするが、鏡介がヘカトンケイルの手首のスナップを利用し、ランスでそれを弾き飛ばす。
 単分子ブレードを弾いたランスを戻しながら鏡介がウエストラックから二本目の単分子ブレードを抜く。
 ――せめて、片腕くらいは!
 片腕だけでも落とせば相手の戦力は格段に落ちる。
 腕を狙い、鏡介が一歩踏み込む。
 その、右側面から複数の砲弾が飛来し、そのうちのいくつかが鏡介のヘカトンケイルの装甲を削る。
 ――右!?!?
 鏡介が強引に回避しつつも砲弾が飛来した方向を見ると、そこには先ほど蹴り飛ばしたヘカトンケイルがサブアームの機関砲を撃っていた。
 ホログラフィックバリアは起動していたが、砲弾は完全にバリアの死角を突いて飛来していた。
 そこで、鏡介が思い出す。
 ――左肩に装着する都合上、頭が邪魔になり、右方向にはバリアの死角が出来ます――。
 こういうことか、と、鏡介は唸った。
 網膜に投影されるヘカトンケイルの全身図の数カ所にダメージ表記が現れる。
 装甲を穿った砲弾は鏡介に致命傷を負わせることはなかったもののそれでも身体の数カ所を掠め、傷を負わせていた。
 いや、厳密には砲弾自体は体に当たらなかったが破損したパーツによって傷を受けている。
 傷の痛みが全身の痛みに追加されるが、それには構わず鏡介が機関砲を撃つヘカトンケイルを見る。
 これが自分ならここで撃っているのは機関砲ではなくMTHELか電磁ネットのはず。
 何故より確実に仕留められるそういった武装を撃たなかったのか。
 そう考えてからなるほど、鏡介が納得する。
 あのヘカトンケイルは先にMTHELを撃っている。恐らくは今、チャージタイム。
 あれほどの出力のレーザー、連発はできないだろうし見たところカートリッジ式ではない。
 大口径多目的砲もリロードに時間、もしくは手間がかかるものかもしれない。
 幸運に助けられたと思いつつ、鏡介は厄介だな、と呟いた。
 この二人の連携が強すぎる。
 片方を攻撃してもすぐにもう片方がフォローする。
 まずは片方を潰さなければ、消耗するのはこちら。
 どちらを攻撃する、と考え、鏡介は今機関砲を撃っている方を捨て置くことにした。
 機関砲も弾の数は限られている。大口径多目的砲はリロードされれば撃たれるがMTHELは脅威でも連射はできない。
 弾切れで接近される前にどちらか片方を無力化すれば対処のしようはあるだろう。
 そう決め、鏡介はもう一度目の前のヘカトンケイルを睨み直した。
 距離を測り、ブースターに点火、急加速で突撃チャージする――
 かのように見せかけて、鏡介は大きく横に跳んだ。
 ブースターの勢いを利用し、横に跳んだあとさらに複雑な機動で相手の死角に回り込もうとする。
 リミッターを解除していなければ絶対にできない無理な機動。激しいGに揺さぶられるがそれでも相手に手の内を悟られないように移動する。
 通常ではあり得ない速度で相手の死角に回り込むようにし、鏡介は叫んだ。
「ミサイルロックオン! 対象は俺とあいつの中間ポイント!」
『警告:対象が存在しません』
「ならロックオンなしで俺とあいつの間に撃て!」
『了承しました』
 a.n.g.e.l.が了承し、ミサイルを一発二人の間に向けてリリースする。
 相手がAWSを起動する前にミサイルは地面に落ち、爆発した。

 

 粉塵と土煙を巻き上げた爆発に、視界が奪われる。
「その手は通用しない!」
 爆炎を利用しての攻撃など、お見通しであるし既に対策されているだろう、馬鹿めとヘカトンケイルの装着者はレーダーに視線を投げ周りを警戒する。
 回り込むなら反応もそのように動くはず。動かず直進するなら上空からの攻撃も考えられる。
 レーダーの光点は爆炎を回り込むかのように移動していた。
「その手は見え見えなんだよ!」
 光点の方向に向き、MTHELの発射体勢に入る。
 地面にミサイルを撃ち込んだことでそれ単体で爆発した時よりも多くの煙がノイズとなって視界は悪い。
 だが、光点の方向に、線ではなく面で攻撃を行えばより確実に攻撃を当てることができる。
 そう思っていたら、光点が複雑な軌道を描き始めた。
 本来のヘカトンケイルにはありえない機動、だが当初の予定通り面で攻撃を行うなら関係ない。
 複雑な機動で動く光点がひときわ大きく動く。
 【Warning!】の文字と共に接近警報が響き渡る。
「そこか!」
 偏向ノズルの向きとローラーの駆動で向きを変え、ヘカトンケイルがMTHELを撃つ。
 一筋の高出力レーザーが粉塵を薙ぎ払うように放たれる。
 ホログラフィックバリアでは防げず、防弾盾も両断するほどの高出力のレーザー、当たれば無事で済むはずがない。
 しかし、それでもヘルメット内に響く警告音は止まらない。
 直撃したという手ごたえもなく、ヘカトンケイルの装着者は今の攻撃が外れたことを察知した。
 面の攻撃が外れた。線の動きでも面の動きでもない、つまり――。
 ――上か!
 咄嗟に上を見る。
 そこに一つの黒い影があった。
 ランスを両手で構え、まっすぐ落下する四本腕の巨人ヘカトンケイル
 回避する時間は残されていなかった。
 せめて相討ちに、と自分もランスを巨人に向けて突き上げる。
 a.n.g.e.l.による軌道予測で、確実に胴体の中心を貫く位置への攻撃。
 その瞬間、巨人の動きがブレた。
 ブースターを使用し、あり得ない挙動でヘカトンケイルの巨体が突き出されたランスを回避する。
 それでも自身が持つランスの軸はずれることなく、目標に突き刺さった。
 断末魔の叫びをあげる猶予すら与えられず、ヘカトンケイルが串刺しにされる。
 直後、上空から目標を貫いたヘカトンケイルが着地する。
 ランスを引き抜いたヘカトンケイルがゆらり、と視線を巡らせ、その先の久遠を睨むかのように見据えた。

 

「――っ!」
 視界に表示される戦術データリンクで共有された友軍のリストに二つめの生体反応消失の【Lost】が表示され、久遠は低く唸った。
(一般人に戻る道があるっていうのに、どうして抵抗するの!)
 大切な隊員を殺されたからではない。
 話さえ聞いてくれれば一般人に戻ることができると理解できるはずなのにどうして聞こうとしない、と久遠は考えてから「そもそも何も伝えていない」ことに気づく。
 辰弥エルステには既に話しているが、彼はそれをこの二人に伝えていないというのか。
 どうして、と久遠が呟く。
 そんなにも、一般市民になりたくないというのか。
 今までと同じ、暗殺の道を進みたいというのか。
「やめなさい! 無駄な抵抗はやめて! 貴方たちを悪いようにはしない!」
 久遠が叫び、残されたヘカトンケイルと共に鏡介のヘカトンケイルに向かって地面を蹴る。
 貫いたヘカトンケイルからランスを引き抜き、鏡介がゆらり、と久遠を見る。
 と、次の瞬間、鏡介も地を蹴った。
 鏡介のヘカトンケイルが久遠を貫かんとランスを彼女に向ける。
 それを上空に跳ぶことで回避し、久遠がヘカトンケイルに取り付こうとする。
 だが、ヘカトンケイルはあり得ない機動で久遠から離れ、取り付かせない。
 その動きに、久遠はまさか、と呟いた。
 あの動きは通常のヘカトンケイルではあり得ない。
 あんな機動をすれば中の人間の負担が大きすぎる。
 リミッターを解除したのか、と考え、久遠は思わず声を上げた。
「無理しないで! とにかく話を聞いて!」
「うるさい!」
 鏡介が叫び、左手で単分子ブレードを抜き久遠に斬りかかる。
「隊長!」
 いくら防弾仕様の義体であっても単分子ブレードまで止められるわけではない。
 最後のヘカトンケイルが久遠を庇うように割り込み、ランスで鏡介の単分子ブレードを弾く。
「邪魔するな!」
 右手のランスで割り込んできたヘカトンケイルを牽制し、鏡介が後ろに跳ぶ。
「隊長、損害が大きすぎます、殺害の許可を!」
 久遠の前に立ったヘカトンケイルが彼女にそう進言する。
 どうする、と一瞬悩んだ久遠だったが、すぐに「分かったわ」と頷いた。
「ウォーラスのヘカトンケイルを最優先排除対象に変更。対象の殺害を許可する」
 了解コピー、とヘカトンケイルの装着者が命令の変更を承諾する。
「これ以上、私も仲間に死ねとは言えないの。エルステには悪いけど、貴方は排除させてもらう!」
 久遠も単分子ナイフを抜き、鏡介に肉薄する。
 突き出されたランスを単分子ナイフで斬り裂き、強引な動きで久遠から離れようとした鏡介にさらに接近する。
 ランスを破壊したことで切れ味の落ちた単分子ナイフを投げ捨て、腕の武器庫ウェポンベイから次の単分子ナイフを取り出し、握った久遠が脚部のブースターを点火する。
 高出力の義体であったとしても単体の脚力では届かない距離をブースターによって急速に縮める。
 一瞬で距離を詰めた久遠は、鏡介の首を狙い単分子ナイフを一閃した。

 

「まずい、トクヨンの狂気相手に勝てるはずがない!」
 体を起こして兵員輸送車のリアウィンドウから鏡介の様子を窺っていた辰弥が声を上げる。
 鏡介の動きは途中から明らかにおかしくなっていた。
 あり得ない機動で攻撃を回避し、二機目を撃破したところで辰弥は気付いた。
 ――何か無理をしてる……?
 それが何なのかはあの兵器が何かを知らない辰弥には想像もつかない。だが、もしリスクがないなら、同じことを敵もしていなければおかしい。それをしていないということは、それは鏡介にリスクがある行いだということだ。
 やめろ、と辰弥の口からそんな言葉が漏れる。
 俺のために自分を犠牲にするようなことはやめろ、と声を上げるがそんなものが鏡介に届くはずがない。
「どうした辰弥、鏡介に何が――」
「あいつ、何か無茶をしてる。多分このままじゃ無傷ですまない!」
 助けないと、と辰弥が窓に張り付いたまま思案する。
 相手はあの御神楽 久遠トクヨンの狂気
 たった一人でクーデターを鎮圧したなど、武勇伝の尽きない彼女の実力は辰弥も身を持って知っている。
 あの時、ウォーラスの狙撃がなくとも辰弥の攻撃を躱せたと言う彼女の義体の出力はあの装備であっても止められるものではない。
 むしろ小さい分小回りが利き、有利に立ち回れる。
 このままでは殺られる、と辰弥は唸った。
 久遠は「三人で一般市民に戻る道もある」と言っていた。
 しかし、彼女はここまで損害を与えた人間を生かしておくほど生ぬるい人間でもない。
 それに久遠の側にはまだもう一機残っている。
 助けないと、と辰弥が日翔を見る。
「車を戻して! 鏡介を見殺しにはできない!」
「だが、俺たちは生身だ、勝てない!」
 鏡介を信じるしかない、と日翔が反論するが、彼もまた今すぐ車をUターンさせて駆け付けたい衝動に駆られていた。
 「三人で生還する」、それは日翔と鏡介が約束したことであり、辰弥も強く願うことであった。
 こんなところで鏡介を見殺しにして二人で帰還するわけにはいかない。
 どうする、と辰弥は考える。
 自分には、力がある。自分の血肉を武器にして戦う、LEBレブとしての能力が。
 確かにあの時その力をフルに使っても攻撃は久遠に届かなかった。
 人間なら確実に肉片に切り刻める鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュですら久遠を切り裂くことができなかった。
 ――いや、本当に、不可能なのか――?
 考えろ、と辰弥は思考をフルで回転させる。
 久遠の義体ボディはピアノ線では切り裂けなかった。
 だが、もし、鉄ですら細断できるものが作り出せれば――。
 ――ある。
 世界最硬の物質ですら、バターのように切り裂くものは、存在する。
 それを見たから理解している
 今なら、作り出せる
 しかし、施設で定期的に血を抜かれていたため、血が足りない。
 強張って動きが鈍っていた身体は持ち前の治癒能力で今はほぼ回復している。
 そこまで考えて、辰弥は床に投げ捨てられた輸血パックを見た。
 手を伸ばし、それを掴む。
「辰弥……?」
 運転しながらも振り返り、日翔が辰弥を見る。
 そんな日翔に構わず、辰弥は輸血パックの口に噛みついた。
 パックの封を噛み千切り、そこから中の血を一気に飲む。
 喉を通る錆びた鉄のような独特の風味に理性が拒絶感を、本能が歓喜の念を抱く。
 砂漠で水を求めていた遭難者のような勢いで血を飲み干し、辰弥は口の端に付いた血をジャケットの袖で強引に拭った。
「日翔、今すぐ車を戻して!」
「だが……」
 勝算がどこにもない、と及び腰の日翔に、辰弥は、
「勝算はある。俺が作る」
 そう、はっきりと宣言した。

 

 久遠の単分子ナイフが首に迫る。
 これを受けるわけにはいかない、と鏡介は強引にのけぞった。
 同時にサブアームの盾を前面に展開、単分子ナイフが盾を切り裂く。
『右サブアーム、大型防弾盾破損。放棄します』
 右のサブアームが切り裂かれて使い物にならなくなった盾を放棄する。
 さらに左の盾で返す刃を受け止めようとするがこれもサブアームから切断される。
『左サブアーム損傷。以降、左サブアームを使用することができません』
 重量のある盾を二つとも失い、重量配分がおかしくなったヘカトンケイルがよろめく。
 各部のパワーアシスト用モーターが姿勢を制御するが、リミッター解除されたヘカトンケイルは必要以上に鏡介を動かし、その勢いでさらに繰り出された単分子ナイフを受け止めてしまう。
 右腕に一瞬の違和感。
 そこからずるり、と何かがずれる感触を覚え、次の瞬間、それは熱感という感覚で鏡介に襲い掛かった。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 たまらず、鏡介が絶叫する。
 熱い? 違う、これは痛みだ。
 右腕の上腕から先の感覚が完全に喪失している。
『右腕部損傷。以降、右腕装備を使用することはできません』
 a.n.g.e.l.の冷静なアナウンスが耳に届くが脳がそれを認識しない。
 ヘカトンケイルのパワーアシストによって右腕が締め付けられるように圧迫される。
 思わず視線が彷徨う。
 地面に落ちたヘカトンケイルの腕が見える。
 鮮やかに切断された断面から覗く、人工循環液ホワイトブラッドを滴らせる腕に鏡介は漸く事態を理解した。
 事態を理解したことで急速に思考が回復し、転がるように久遠から離れる。
 各部のモーターがすぐに態勢を整え、鏡介は距離を開けた久遠ともう一機のヘカトンケイルを見た。
 ほんの数秒であったが急激な大量出血に視界が暗く、狭まってくる。
『出血による視界悪化を確認。GNSとデータリンク。視界が回復するまで網膜投影ではなくGNSオーバーレイビジョンとして視界を表示』
 即座にa.n.g.e.l.が状況に対応し、視界がクリアになるが、想像を絶する激痛に意識を持っていかれそうになる。
 それでもランスを持って突進してくるヘカトンケイルを回避しようと地面を蹴る。
 必要以上の負荷をかけられた左脚が悲鳴を上げる。
 ブチブチという何かが引きちぎられるような音を耳にした気がするが、それでも横に跳び、ランスを回避する。
 横に跳んだ鏡介が着地するも、左脚に力が入らずバランスを崩す。
 ヘカトンケイルのパワーアシストで転倒は免れたものの、自分の力で立つことができない。
 ランスも単分子ブレードも失い、残された武装は右肩のミサイルランチャーのみ。
 追撃しようとするヘカトンケイルを半ば意地でロックオンし、残されたミサイルを全弾発射する。
『右肩、ミサイルランチャー、弾薬ゼロ。パージします』
 a.n.g.e.l.のその言葉を聞いた鏡介の全身から力が抜ける。
 前方のヘカトンケイルはAWSで制御された機関砲で全てのミサイルを撃ち落とし、さらに鏡介に向けて電磁ネットを放った。
 直後、強烈な電撃が鏡介のヘカトンケイルを一時的に動作不能へと追い込む。
 鏡介の視界のUIが一瞬のノイズの後、沈黙する。
 万策尽きた、と鏡介は一つ息を吐いた。
 ――あいつらは、逃げ切れただろうか。
 日翔が辰弥を連れて脱出できていたなら、レジスタンスと合流できていたなら思い残すことは何もない。
 久遠とヘカトンケイルが近づいてくる。
 ここまでか、と鏡介が呟く。
 走馬灯のように辰弥と出会ってからの四年間の記憶が脳裏をよぎる。
 ――辰弥、お前は生きてくれ。
 たとえLEBであったとしても、せめて、人間らしく――。
 そう呟いて目を閉じようとした鏡介の耳に車のエンジン音が届く。
 その音に思わず頭を上げて目の前を見る。
 そこに、鏡介と久遠たちの間に、一台の兵員輸送車が割り込んでいた。
「な――」
 運転席と後部座席のドアが開き、それぞれから日翔と辰弥が姿を現す。
 ――何故戻ってきた!?!?
 鏡介は先に行けと言ったはずだった。
 実際、日翔は先に行くことを選択した。
 それなのに、どうして戻ってきたのだ。
 日翔が辰弥の前に立ち、目の前の久遠たちを止めようとするかのように両手を広げる。
 やめろ、と鏡介が言葉を絞り出そうとするが声が出ない。
 自分が動かなければ今までの苦労が水の泡になる、と身体を起こそうとする。
 しかし電磁ネットの発した電撃で機能停止したヘカトンケイルは一切動く様子を見せない。パワーアシスト無しで体を動かすにはその装甲は重たすぎる。
 久遠とヘカトンケイルが二人を捕えようと近寄っていく。
 やめろ、と鏡介が辛うじて声を絞り出した時、「それ」は起こった。

 

 日翔が車をUターンさせ、鏡介の元へと急ぐ。
「勝機はあるって、ほんとかよ!」
 半信半疑で日翔が辰弥に問いかける。
 うん、と辰弥が頷く。
「だけどそれには日翔の協力が必要だ。手伝ってくれる?」
「それは勿論」
 その日翔の返答に、辰弥はありがとう、と呟いた。
「あいつらは多分俺と日翔を生け捕りにしようと思ってる。だから、一回だけチャンスがある」
 ここで鏡介の名前を出さなかったのはあの状況で鏡介を生かして捕獲することはできないという判断は下されているだろうと考えてのこと。
 だから、辰弥は戻ることを決めた。
 考えうるたった一度のチャンス、そこで決めれば逆転することができる。
 そのために本来なら飲みたくない血も飲んだ。
 輸血より時間はかかるが胃から吸収された血が少しずつ全身に回っていく感覚に辰弥は右手の拳を握り締めた。
 ――できる。
 必ず、鏡介も一緒に、三人で帰る。
 そこから先のことは考えていないが少なくとも桜花には三人で戻る。
 突き進む車の進む先で鏡介が電磁ネットを受け停止したのが見える。
「まずい、急いで!」
 日翔も一連の様子は見ていたため、「あいつら、よくも!」と叫びながらアクセルをさらに踏み込む。
 間に合え、と祈りつつも辰弥は軽く体を回してウォーミングアップした。
 失敗すれば全員捕まる状況ではあるが、大丈夫だ、できると自分に言い聞かせる。
 車が鏡介と久遠たちの間に割って入って停まる。
 ドアを開け、二人は久遠たちの前に立った。
「あら、助けに来たの」
 久遠が意外そうな顔をして辰弥を見る。
「そんなにも三人でいたいのなら、その道はあるって言ってるでしょうに」
「でも、あんたにその道を決められたくない」
 思わず辰弥が反論する。
「俺は俺が歩きたい、みんなが歩きたいと思っている道を進む。あんたの指示なんて――」
「でも、一般人に戻れるのよ? もう誰も殺さなくて済むのよ?」
 それをどうして、と言おうとする久遠だが、日翔が辰弥の前に立ったことで一瞬口をつむぐ。
「うるせえ、そんなこと言ってどうせ御神楽は辰弥を利用するつもりなんだろ! うまい話があるものか!」
 そう言って、日翔が辰弥を、そしてさらにその後ろにいる鏡介を庇うように両手を広げる。
「日翔、十秒稼いで」
 辰弥が日翔に指示を出す。
「応!」
 日翔が力強く頷き、ここは通さんとばかりに目の前の二人を見る。
「何を――」
 どうしてそんなことを言うの、と久遠が呟き、それから隣のヘカトンケイルに指示を出した。
「あの子、何かする気よ! その前に捕まえて!」
 久遠とヘカトンケイルが辰弥を捕えようと動く。
 そうはさせまいと日翔が真正面から二人に立ち向かう。
 それを見て、辰弥は意識を集中させた。
 自分が出来うる、最大の攻撃。
 イメージするは無数のピアノ線。
 鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュのためのピアノ線を作る過程をより詳細にイメージする。
 本来、これくらいなら日翔に十秒稼いでもらう必要はない。
 鮮血の幻影くらいはほぼノータイムで出せる。
 しかし、今回は違う。
 久遠の義体ですら切り裂く、より精度の高いワイヤーを作り出す必要がある。
 もっと細くと辰弥はイメージした。
 ヒトの髪と同程度の太さのピアノ線では太すぎる。
 もっと細く、もっとしなやかな――。
 イメージが固まり、辰弥は地面を蹴った。
「日翔、下がって!」
 そう叫びながら全身に指示を出す。
 ――作り出せ。
 全身の造鋼器官を血液が駆け巡る。
 変質させた血液を手に集中させる。
 ――今度こそ、仕留める!
 両手を広げる。
 ――解き放て。
 その瞬間、「世界」が切り裂かれた。

 

 辰弥の動きに、久遠はまたあのピアノ線攻撃をする気だ、と判断した。
 そして思う。
 無駄な足搔きを、と。
 同じ手は二度と通用しない。そもそも、ピアノ線程度では自分のボディに傷をつけることなどできない。
 何度やっても無駄、と久遠が辰弥に手を伸ばす。
 辰弥がピアノ線投擲のモーションに入る。
 そこで久遠は何故か違和感を覚えた。
 何かが違う。
 動き自体はあのピアノ線攻撃と同じ。
 それなのに「違う」と久遠の中の「何か」が囁く。
 避けろ、と声が聞こえる。
 あれを受けてはいけない、そんな警鐘が久遠を突き動かす。
 咄嗟に久遠は後ろに跳び、頭部を庇うように腕を上げる。
 次の瞬間、風が舞った。
 空気が切り裂かれるような鋭い音を立て、何かが全身を通り過ぎていく。
 久遠の脚が着地のために地面に降り立ち――
 文字通り、崩れ落ちた
 一瞬、何が起こったか理解できなかった。
 戦闘に痛覚は不要のため痛みは一切ない。
 しかし、頭部を除く全身が久遠を支えることができずに砕け散る。
 久遠の全身に流れる高性能超伝導循環液ブロッサムブラッドが飛び散り、地面を汚す。
 バカな、と落下しながら久遠の唇が動く。
 視線を巡らせると仲間のヘカトンケイルも粉々に細断され、地面に肉片とガラクタの山を築く。
 ――まさか、単分子ワイヤーモノワイヤー
 そんな物まで作ることができるのか、と考え、久遠は違う、と考え直した。
 モノワイヤーが作れるのならあの時既に使っているはず。
 それをあの時ではなく今作ったということはモノワイヤーの存在を理解したということ。
 どこでそんなものの存在を知った、と考えてからすぐに気づく。
 辰弥はモノワイヤーの存在を知ったのではない。応用したのだ。
 あの時の戦いで久遠が使った単分子ナイフ。
 分子一つ分の厚みはあらゆるものを切り裂くということを。
 その知識を応用し、分子一つ分の太さのワイヤーを作り出した。
 恐ろしい子、と久遠が呟く。
 知識を利用するだけではない。応用することで、あらゆる状況に対応する。
 改めてLEBの能力を思い知らされる。
 こんな危険な生命体を野放しにはしておけない。
 御神楽の管理下に置いておかないと何をされるか分からない。
 だから、一般人になりなさいと言ったのに、と首だけになった久遠は呟いた。

 

 辰弥の鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュのモーション直後、一瞬のラグを置いて久遠とヘカトンケイルが粉々になる。
 久遠は頭部だけは死守したようで首から上がそのままぼとりと地面に落ちる。
「辰弥、頭を潰せ!」
 鏡介に駆け寄りながら、日翔が叫ぶ。
 辰弥が頷き、久遠の頭部に駆け寄る。
 その右手にハンドガンTWE Two-tWo-threEが現れ、久遠に銃口を向ける。
「……やりなさい」
 頭部だけでは何もすることができず、観念したように久遠が言う。
 胴体はすべて失ったが頭部は単体でも暫く生存できるような構造になっていたのだろう、確かに今この頭を潰さなければ久遠は新しい義体を得て戻ってくるはず。
 引鉄に指をかけ、辰弥が何の感情も読ませない面持ちで久遠を見る。
「……どうして」
 引鉄を引くこともなく、辰弥が呟く。
「どうして俺に一般人の道を示したの」
 そんなこと、できるわけがない、と辰弥は続けた。
「……生物兵器だからって戦場で生きなければいけない道理なんてないわ」
 そう言って、久遠が視線だけを辰弥に向ける。
「貴方には幸せになってもらいたい。どのような生まれであったとしても、貴方は祝福される権利がある」
「……そう、」
 やはり感情を読ませぬ顔で辰弥は一言だけ返す。
 だが、その言葉にわずかに感情が含まれていたことに気づき、久遠は口元を緩めた。
「あの二人と生きることが貴方の幸せなの?」
 久遠の問いかけに、辰弥が小さく頷く。
「だけど私は諦めないわ。御神楽の監視下で、平和に生きた方が幸せだと思う」
 あの二人と一緒に、と続ける久遠に「それはどうかな」と答える辰弥。
「俺とあんたとは意見が合わないようだ」
 そう言って、辰弥は銃を握り直した。
「少なくともあんたは鏡介を殺そうとした。だから、俺はあんたを許さない」
 辰弥が銃の引鉄に掛けた指に力を込める。
 ゆっくりと引鉄が引かれようとして――
 辰弥は横に跳んだ。
 同時に辰弥が立っていた場所に突き刺さる銃弾。
 それからほんのわずかに遅れて、銃声。
「狙撃!」
 辰弥が声を上げ、なんとかヘカトンケイルを覆っていた電磁ネットを取り外した日翔に駆け寄る。
「急ごう、追手がまだ来る」
 そう言いながら鏡介は立ち上がり、二人を促す。
「出して!」
 辰弥が車に乗り込みながら日翔に声をかける。
 応、と日翔もアクセルを踏み込む。
 急発進した車がその先の岬へ、日翔が打ち合わせで聞いていたレジスタンスとの合流場所へと突き進んでいく。
「ここまで来たのはいいけど、どうやって帰るの」
 辰弥はここがIoLイオル国内であることは理解していたが具体的な場所は分かっていない。今、日翔がどこへ行こうとしているのかも分からない。
 ただ、あれだけの騒ぎを起こして脱出した以上、御神楽が各部署に圧力をかけて空路も海路も正規の手段では利用できないはず。
 もちろん、非合法に国外へ脱出する方法はいくらでもあるがそれでも空港などが抑えられた場合、桜花へ到着した瞬間に拘束されることは目に見えている。
 大丈夫だ、と日翔が辰弥に返す。
「『カタストロフ』の協力を取り付けている。『カタストロフ』経由でレジスタンスやら反御神楽のPMCやらが協力してくれてんだよ」
「え――」
 日翔の言葉に辰弥が絶句する。
 まさか、そんな大規模な作戦だったの、と今更ながら思い知る。
 どうして俺一人のために、という言葉を飲み込みながら辰弥は心配そうにフラフラ走る鏡介のコマンドギアを見つめた。
「出血とか大丈夫なの?」
「心配ない。コマンドギアこいつをつけてる限り、こいつが自動で傷口を圧迫して止血しておいてくれる」
 辰弥の問いかけに、鏡介が彼を安心させるように返答する。
「なら、どこかで外した時にちゃんと止血しないと」
「多分、それは『迎え』がなんとかしてくれるぜ」
 そんなことを言いながら、日翔はさらにアクセルを踏み込んだ。

 

《あの車は岬に向かってる、でも岬に逃げ込んだところで逃げ切れるはずがない》
 そこを確保して、という久遠の言葉が「ツリガネソウ」の艦橋ブリッジに届く。
 その声が届く前から、艦橋はハチの巣をつついたような騒ぎになっていた。
 データリンクから届くコマンドギア部隊三機のロスト、そしてロスト表示にはなっていないものの久遠のステータスが【Critical】になり危険な状態となっている。
 特殊第四部隊の最強の隊長が敗北したのだ、確かに相手もかなりの痛手を負っているとはいえエルステがもし本気を出せば次に出す追撃部隊も壊滅させられるかもしれない。
 それでも見逃すわけにはいかず、「ツリガネソウ」は久遠の指示を待った。
《追撃部隊を出して。エルステさえ無力化できれば、厄介だったヘカトンケイルももう武装がない。取り押さえるのは難しくない》
 了解、とオペレーターがオーダーを通し、待機中の追撃部隊に出撃の命令を出す。
 艦橋のモニターに追跡中の車の衛星映像が映し出される。
 車はスピードを落とすことなく岬に向かって突き進んでいる。
 このままでは車は崖から海に飛び込むことになる。
 海面には船が航行している様子もなく、一体何をするつもりなのだとモニターを見るオペレーターが首をかしげる。
 ――と、車が岬の先端に到達する直前、海が割れた。
「海面に反応! 潜水艦です!」
 オペレーターの一人がバカな、といった面持ちで叫ぶ。
 たった一人の救出のために、どこかのPMCの潜水艦まで持ち出すとは、いったいどれほどの人間が動いているというのか。
「潜水艦、VLSハッチ開いています!」
 別のモニターに潜水艦の衛星映像が映し出される。
 見たところ、潜水空母のようであるがその甲板にあるVLSハッチが全て開かれ、ミサイルを発射しようとしている。
《やむを得ない、可変口径レールガンで攻撃して。航行不能で拿捕がベストだけど、状況が状況だから、撃沈でも構わない》
 久遠の指示が響き、オペレーターが「ツリガネソウ」底部の可変口径レールガンの起動シークエンスを展開する。
「対空艦ミサイル、発射されます!」
 潜水艦のVLSのそれぞれのハッチから、ミサイルが発射されて「ツリガネソウ」に向かって飛翔する。
 だが、そのミサイルに対して「ツリガネソウ」のオペレーターは何の心配もしていない。
 「ツリガネソウ」には艦全体を覆うほどのホログラフィックバリアが搭載されている。メインエンジンを経由したジェネレーターの出力は非常に大きく、今海面に浮上している潜水空母が全てのVLSに装填されたミサイルを撃ち切ったとしても全て防げるくらいの性能はある。
 全てのミサイルが「ツリガネソウ」に到達し、ホログラフィックバリアによって阻まれる。
 阻まれたミサイルはその推進力を失って地上に落下する、誰もがそう思っていた。
 しかし。
 ホログラフィックバリアに接触したミサイルは、いや、ミサイルは接触する寸前に全て爆発した。
「近接信管!?!?
 オペレーターの一人が声を上げる。
 よくよく考えれば、カグラ・コントラクターの装備は他のPMCに比べてはるかに高性能で、実弾攻撃の大半はホログラフィックバリアによって阻まれるということはPMC間では常識である。
 それなのになぜホログラフィックバリアが阻めないエネルギー兵器を使用せずミサイルを撃ったのか、その答えはすぐに出た。
 爆発したミサイルがあり得ない量の煙を巻き起こし、「ツリガネソウ」全体を包み込む。
 煙幕用のフォッグオイルを大量に詰めたミサイルだったのか、とオペレーターが気付くももう遅い。
 視界を失った「ツリガネソウ」はモニターに映し出された車と潜水艦の衛星映像のみが外の情報を知る唯一の「目」となってしまう。
 モニターの先で車とヘカトンケイルが岬から潜水艦に向かってジャンプし、甲板に着地する。
 それを即座に回収した潜水艦が潜行を開始する。
《発射急いで!》
 焦ったような久遠の声が響き、彼女の指示で起動した艦底の可変口径レールガンの大容量キャパシタに電力がチャージされ、先ほど潜水艦が見えていた最終位置の海面に向けてその砲弾を解き放つ。
 撃ち出された砲弾が「ツリガネソウ」を包む厚い煙の層に鋭く突き刺さって煙を晴らし、一筋の道を作り出す。
 直後、砲弾は海面に突き刺さった。
「命中せず!」
 オペレーターが報告する。
 二枚のモニターに映された映像には車も潜水艦も映っていない。
《急いで対潜哨戒機を出して! 大東洋に入られたら終わりよ!》
 その命を受けて、「ツリガネソウ」の対潜哨戒機が発進していく。
《なんてことしてくれるの……甘く見すぎていたわ……》
 悔し気な久遠の声が、艦橋に響き渡った。

 

 目の前に崖が見えてくる。
 日翔はスピードを緩めるどころかさらにアクセルを踏み込んで車を加速させる。
「目の前崖だけど!」
 辰弥が前方を見て声を上げる。
「大丈夫だ、迎えは来てる!」
 そう言ってから、日翔は辰弥を見た。
「喋るなよ!」
 日翔の言葉に辰弥が、えっ、と声を上げかけるがすぐに衝撃に備える。
 車が最高速度のまま崖から飛び出し、ブースターの出力を全開にした鏡介のヘカトンケイルがそれに続く。
 その眼下に、海を割って潜水空母が姿を現し、VLSからミサイルを発射する。
 車は落下し、ヘカトンケイルと共に潜水空母の甲板に着地した。
 激しい衝撃に鏡介が苦しげに呻く。
日翔が誘導に従って車を格納庫に入れ、鏡介のヘカトンケイルもそれに続く。
 日翔がクルーに声をかけ、クルーの一人が格納庫に据えられた電話に駆け寄った。
 救護班の到着を待ち、鏡介がヘカトンケイルから出る。
 直前、ふと思い立って鏡介は尋ねる。
「a.n.g.e.l.、お前は何者なんだ?」
『私は、騎士団を支援するために作られた千年王国ミレニアム製の随行支援用AIです。現在はデータをコピーした特殊第四部隊に属しています』
 想像の通り、聞いたことの無い勢力の製品だった。
 a.n.g.e.l.の返答を聞きながら、鏡介は自分の意識が遠のいていくのを感じる。
 ヘカトンケイルの後部が開いた瞬間、意識を失った鏡介は自重を支えられず、後ろに倒れた。慌てて辰弥がそれを支え、横たえさせる。
 切断された右腕はコマンドギアの止血作用で出血は抑えられていたようだが全身ボロボロで生きているのが不思議なくらいである。
 左脚も右脚と比べてだらりとしており、ダメージがより大きいことが伺える。
「鏡介……」
 呆然と呟く辰弥、その隣にストレッチャーと共に救護班が駆けつけ、鏡介を素早く止血しつつ、ストレッチャーに乗せる。
「鏡介を、頼みます」
 辰弥が不安そうな顔で救護班のスタッフに声をかける。
「大丈夫です、このふねには義体メカニックサイ・ドックもいますので人工循環液ホワイトブラッドの輸血体制も万全です。我々に任せてください」
 安心させるように辰弥にそう言い、救護班が鏡介を搬送していく。
 それを見送った辰弥がほっと息を吐く。
 その瞬間、緊張の糸が解けたのか辰弥はその場に膝をついた。
「辰弥!?!?
 クルーと話していた日翔が辰弥に駆け寄る。
「大丈夫か?」
 御神楽に何かされたのか、と訊く日翔に辰弥が首を横に振る。
「大丈夫、貧血……」
 輸血パックの血を飲んだとはいえその吸収には時間がかかる。
 ただでさえ貧血気味だった状態でモノワイヤーの鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュを解放した上に銃を生成した。
 辰弥としても限界だった。
「ごめん、日翔……」
 辰弥が日翔を見るがそこで力尽き、床に崩れ落ちる。
「辰弥!」
 日翔が叫び、もう一度救護班を呼ぶよう依頼する。
 辰弥も救護班よって搬送され、残された日翔は今後のスケジュールなどの打ち合わせのためにクルーに誘導されて艦長室へと移動した。
 深海深くに潜航した潜水空母は静かに航行する。
 辰弥たちを待つ桜花へと。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「う……」
 目を開けた辰弥が視線を彷徨わせる。
 一瞬、ここがどこか分からず混乱するが、低く聞こえる音にここが桜花へ向かう潜水空母の中であることを思い出す。
「気が付いたか?」
 不意に声をかけられ、辰弥は視線を声の方向に動かした。
 辰弥が寝かされたベッドの横に置いた椅子に腰かけた日翔が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……日翔、」
「お前、無茶したな。輸血は一応したが……。それはそうと、今はここに到着して二時間後だ」
 日翔の言葉に辰弥がGNSのカレンダーを確認する。
 自分が捕らえられ、あの施設に連れてこられてからわずか二日、思っていたより時間が経過していなくて、日翔たちが迅速に行動してくれたのだと気づかされる。
「……なんで助けに来たの」
 辰弥の口をついて出たのは「ありがとう」でも「余計なことをして」でもなく、純粋な疑問だった。
 二人とも自分が人間ではないことをもう理解しているはず、それなのに助けに来た理由が分からない。
 あのなあ、と日翔が呆れたように言う。
「お前が人間じゃないのは承知の上だよ。だが、だから何だってんだ。お前はお前、『グリム・リーパー』の大切なメンバーだ」
「……」
 日翔の答えに辰弥が沈黙する。
 日翔の答えは答えとしては真っ当なものだろう。
 だが、それでもこの救出作戦で得た代償は大きすぎる。
 「カタストロフ」が無料タダで協力してくれるはずがない。
 いや、金銭的な代償はこの際どうでもいい。
 それ以上に、鏡介が失ったものはあまりにも多すぎる。
 体を起こして、辰弥はベッドから降りた。
「もう大丈夫なのか?」
 ジャケットを羽織る辰弥に日翔が声をかける。
「俺の貧血は輸血さえすればすぐに回復する。それよりも、鏡介の容態を聞きたい」
 そうだな、と日翔も頷く。
 その返答に、辰弥は日翔を睨みつけた。
「俺より重傷の鏡介放置してこっちに来てたの? バカじゃないの」
「いや、鏡介は集中治療室だし」
 日翔が言い訳するが、辰弥はそれを聞き流してドアに向かう。
「……もしかして、怒ってるのか?」
 恐る恐る尋ねてくる日翔。
「……」
 少し考えて、辰弥は小さく頷いた。
「そうだね、少なくとも俺を見捨てなかった君のバカさ加減に怒ってる」
 そう言ってから、辰弥は、
「……ありがとう」
 そう、辛うじて聞き取れる程度の声でそう言った。

 

 医務室で辰弥と日翔が並んで座る。
 目の前には医師と義体メカニックサイ・ドックが並んで座り、四人の間にホログラムスクリーンが浮かび上がり鏡介のカルテを表示させる。
「彼の受傷状況についてはひどいものですとしか言えません」
 開口一番、医師がそう宣言する。
「切断された右腕は切断面がきれいだったので腕さえ持ってきていただければ接合できたかもしれませんがないものは仕方ないですね。他にも全身の筋肉の断裂、これはかなりひどいですが安静にしていれば勝手に治癒します。しかし、左脚だけは神経も筋肉もズタズタで放置すれば壊死は確実です」
「治療は?」
 適切な治療ができれば後遺症は残っても歩けるようになるのか、と辰弥がわずかな希望を口にする。
 それに対し、医師は首を横に振った。
「もう、ただの肉の塊です。切断して義体にした方が負担も少なく、以前と同じ動きができるようになります」
「……そう、」
 辰弥がうつむき、唇を噛み締める。
「切断しか道がないなら、そうして」
「分かりました」
 辰弥の言葉を同意として医師が頷き、今度は義体メカニックサイ・ドックが口を開く。
「幸い、彼の体形に合わせた応急処置用の簡易義体の在庫はあります。こちらで接続しておきますか?」
 義体メカニックサイ・ドックの質問には小さく頷くことで同意し、辰弥は膝の上で拳を握り締める。
「貴方の方は輸血だけで回復したようですね。彼に関しては左脚の切断処置が終われば集中治療室ICUから出せますので後程顔を出してあげてください」
 とはいえ、まだ意識は戻っていないのですがと続ける医師に辰弥が再び頷く。
 それから暫く今後の治療についての説明を受け、辰弥と日翔は自分たちにあてがわれた船室に移動した。
 辰弥が二段ベッドの下の段に腰かけ、両手を組んでうなだれる。
「辰弥……」
 日翔が辰弥に声をかける。
「……君も、鏡介もバカだよ……」
 ぽつり、と辰弥が呟く。
 その手に水滴が落ちる。
「なんであんな無茶したの。俺、人間じゃないんだよ? こんな化け物に命賭けて君たちに何のメリットがあるの」
 絞り出すような辰弥の声。
 俺のことを諦めていれば変わらない生活が送れたのにどうしてあんなことをしたの、と辰弥は日翔を責めた。
 助けられたのが嬉しくないわけがない。
 だが、それ以上に鏡介が右腕と左脚を失ってまで助け出す価値がないと本気で思っていた。
 どうして、という疑問だけが脳内を駆け巡る。
 日翔は先程既に答えを出している。
 それは分かっていたが、鏡介の容態を聞いて余計に「何故助けた」という疑問を口にしてしまう。
 「大切な仲間だ」と言われても、その言葉を受け入れることができない。
 あれだけ聞きたかった、受け入れの言葉なのに自分が受け入れられない。
 確かに自分は日翔と鏡介の元に戻りたいと願った。
 その願いは叶えられた。
 日翔も鏡介も人間ではない自分を受け入れてくれている。
 それでも、その願いを叶えた代償が大きすぎる。
 こんなことになるのなら帰りたいと願うんじゃなかった、と辰弥は歯ぎしりした。
 涙があふれては両手に零れ落ちる。
「……俺なんて、生きてるべきじゃなかった」
 ――日翔も鏡介もここまで傷つけるのなら、とっとと死ぬべきだった。
 二人と共に過ごすのが楽しくて、ずるずると生きながらえてしまった。
 その結果が、これだ。
 自分がさっさと死んでいれば、カグラ・コントラクターに捕えられることも、日翔や鏡介が自分を助けに来ることもなかった。
 純粋に、それだけが悔やまれる。
 辰弥の言葉を黙って聞いていた日翔が彼に歩み寄る。
 床に膝をつき、手を伸ばし、日翔はそっと肩を震わせる辰弥を抱き寄せた。
 彼の背中に手を回し、子供をあやすかのように背を軽く叩く。
「日翔……」
 日翔の行動の意図が読めず、辰弥が困惑したように彼を呼ぶ。
「……子供扱いしないで」
 辰弥の拒絶の言葉。
 だが、日翔はそれに構わず背中を叩き続ける。
「子供だろ、お前は。ガキはガキらしく大人に守られてろ」
 もう、殺しなんてさせないから、と続ける日翔に辰弥がかぶりを振る。
「俺は殺しをするために造られた。他の道なんてない」
「だったら、今から探せばいいだろ」
 日翔がキッパリと辰弥に言う。
 辰弥が目を見開き、頭を上げて日翔を見た。
 その深紅の瞳が戸惑ったように揺らいでいる。
「お前が幸せになる道なんて探せばきっと見つかる。だから、探そう。これ以上何も背負うな」
「日翔……」
 おずおずと伸ばされた辰弥の手が日翔の服を掴む。
「俺は……どうしたらいい」
 久遠にも言われた殺しとは無縁の「一般人」の道。
 そんな道が見えなくて、分からなくて、辰弥は自分のスキルを活かせることをと暗殺の道に身を投じた。
 そんな血まみれの道でも、日翔と鏡介と共であれば楽しかった。
 これからもずっと続いていくと思っていた。
 カグラ・コントラクターに拘束されるまでは。
 今回の一件で、それが間違っていたのだと思い知らされた。
 自分が生きていたばかりに日翔も鏡介も危険に身を投じ、鏡介に至っては肉体の一部を失った。
 もう、今までには戻れない。
 助けに来てくれたことはとても嬉しい。しかし、今まで通りに過ごすことなどできない。
 やはり、俺は身を引くべきなのかと辰弥は考えた。
 桜花に戻ったら、二人の前から姿を消して、それから――
「辰弥」
 日翔が辰弥の名前を呼ぶ。
 辰弥が日翔の目を見る。
「……悪かった」
 日翔の口から漏れたのは謝罪。
 えっ、と辰弥が声を上げる。
「日翔、何を――」
「俺はお前のことを何一つ知ろうとしなかった。もっと早くに気づけてたら、お前もここまで追い詰められることはなかった。本当に、悪かった」
 日翔の、辰弥の背を叩く手が止まり、辰弥を強く抱きしめる。
「もう、一人で抱え込むな。一緒に道を探そう」
「日翔……」
 日翔の言葉の一つ一つが辰弥の心に沁みる。
 「受け入れて貰えないかもしれない」という恐怖が少しずつ溶かされていく。
 それでも日翔を、そして鏡介を傷つけてしまったという罪悪感からは逃れられない。
 その辰弥の思いに気が付いたか、日翔が「気にすんな」と声をかける。
「お前を助けたのは単に俺たちがお前と一緒にいたいと思ったからだ。嫌々ではないし御神楽相手に誰も死なずにお前を助けられただけで大勝利だ」
 それはそうだ。
 日翔と鏡介がただ助けたいだけに勝手に動いたこと、それに対して辰弥が必要以上に罪悪感を持つ必要はない。
 悪い癖だ、と辰弥はふと思った。
 何もかも自分が元凶だと一人で抱え込んでしまう。
 自分が人間ではないから、化け物だから。
 しかし、それでも受け入れてくれるというのならそれでいいのかもしれない。
 大切な仲間が真実を知ってもなお、受け入れてくれるのなら。
「日翔……ありがとう」
 うつむき、嗚咽交じりにそう言う辰弥にいつもの強さはない。
 日翔の目には年相応の子供が泣いているようにしか見えない。
 今まで辛かったな、と思いつつも、それでも日翔はそれをただの「同情」として見てはいけない、と考えていた。
 同情だけで、可哀想というだけで辰弥に優しくしてはいけない。
 大切な仲間として、信頼できる仲間として、その仲間が傷ついているのなら寄り添いたい。
 辰弥が落ち着くまで抱き寄せたまま、日翔が何度も「大丈夫だ」と声をかける。
 鏡介の話では自分に拾われるまではとてもひどい目に遭い続けていたらしい。
 自分だったらそれだけ痛めつけられれば心が壊れてもおかしくなかっただろう、とふと考える。
 それをずっと耐え続け、その心を隠して、今まで過ごしてきた。
 それならこれからそんな辛い思いをさせなければいい。
 確かに辰弥の能力は暗殺連盟アライアンスで生きていくには重宝するものである。
 だが、だからと言って実年齢七歳の辰弥にこれ以上背負わせるわけにはいかない。
 本人がどうしてもと望むのであればそれを禁止する権利はないが、できればこれ以上誰も殺さず平穏に生きてもらいたい。
「……辰弥、」
 日翔が辰弥の名前を呼ぶ。
「……お前は、これからどうしたい?」
 できるなら、辰弥が望む人生を送らせたい。
 辰弥が日翔の服を掴む手に力を入れる。
「……分からない。俺、殺すことしか教えてもらってなかった。鏡介が家事を教えてくれて家のことができるようになった。それしか知らないから、殺し以外でどうやっていけばいいか分からない」
 辰弥が素直に心境を吐露する。
「でも、もし許されるなら、これからも日翔や鏡介と一緒に今までと同じ暮らしをしたい。君たちと一緒なら、殺しも怖くない」
「……俺としては、殺しの道からは足を洗ってもらいたいがな」
 思わず、日翔がそうこぼす。
「お前は俺と違って借金を背負ってるわけでもない。どちらかというとアライアンスにその能力を利用されてるだけだ。だから、俺と鏡介が山崎やまざきさんに直談判して除名してもらってもいい。その上で、殺し以外は変わらない生活を送ればいいだろ」
「でも……」
「俺たちが足を洗えないからってお前まで付き合う必要はねえよ」
 そう言って、日翔が再び辰弥の背中を叩く。
「だから子供扱いしないでって」
「七歳児が生意気言ってんじゃねえ」
 日翔にそう言われて、辰弥が頭を上げた。
「は? 実年齢と肉体年齢関係ないんだけど?」
 むしろ肉体年齢は君より……と言いかけ、それから辰弥が口をつむぐ。
「……逃げた時点での肉体年齢、十四歳だった……」
「だったら俺より年下じゃねーか! なに逆サバ読んでんだよ!」
 見た目十代半ばでおかしいと思ってたがお前あの時点で成人してるって言ったよな? と日翔がそう言って拳を握り、辰弥の両こめかみをぐりぐりとし始める。
「痛い痛い痛い痛い」
「はい、ガキは大人しく大人の言うことを聞く。肉体年齢も俺より年下ならお兄さんの言うことくらいちゃんと聞きなさい」
「むぅ」
 日翔とのやり取りで落ち着いたのだろう、辰弥が膨れながらも日翔を見る。
 その様子が、以前の彼と違いかなり幼く見えて日翔は今度は辰弥の頭を撫で始めた。
「だから子供扱い――」
「お前、素は結構子供っぽいんだな」
 素を見せてくれて嬉しい、と日翔が笑う。
 その笑顔に怒るに怒れなくなり、辰弥は再び「むぅ」と頬を膨らませた。
「その様子ならもう大丈夫だな」
「……うん」
 辰弥が小さく頷くと、日翔は彼から離れて立ち上がった。
「……ま、お前としてはまだいろいろと思うところはあるだろうが桜花までは二週間の船旅だ。じっくり慣らしていけばいい」
「そうだね。桜花に着くまで考えるよ」
 今はまだ不安がある。その不安も桜花到着までの二週間のうちに少しずつ和らいでいくだろう。
 そう思った辰弥はベッドから立ち上がった。
「どこか行くのか?」
 日翔の問いかけに、辰弥が小さく頷く。
「鏡介の様子を見てくる。日翔も来る?」
「あー……」
 辰弥に誘われた日翔が少し考えてから頷く。
「そうだな、俺も行く。あいつもそろそろ起きるだろう」
 そう言って日翔が辰弥の肩をポンと叩く。
 二人が船室を出て医務室に向かう。
 並んで歩きながら、日翔は小さくため息を吐いた。
「辰弥……」
 名前を呼ばれて辰弥が日翔を見る
 ――お前は、幸せになるべきだ。
 その末を見守ることは恐らくできない。
 自分の病と宣告された余命を考えれば辰弥が行きつく先を見届けることはできない。
 それでも。
 幸せに生きてほしい、と日翔は思った。
 たとえ人間でなかったとしても。
 今まで得ることができなかった分の、幸せを。
 そこまで考えてから、日翔は苦笑し、辰弥の背中を思いっきり叩いた。
「ったあ! なにすんの!」
 辰弥の抗議を日翔が笑って聞き流す。
「いや、な……。やっぱ息子として扱った方がいいのかなあ、って」
「はぁ!?!?
 思いもよらなかった日翔の言葉に、辰弥は全力で「パパとは呼ばない!」と拒絶した。

 

 規則的な電子音が耳に入り、それが気になって覚醒する。
 ゆっくり目を開け、鏡介は自分が今どこにいるのかを考えた。
 意識を失う直前、自分はヘカトンケイルから降りようとして、その前にa.n.g.e.l.に「お前は何者だ」と問いかけた。
 その答えは、見たことも聞いたこともない組織の名前。
 そこから先の記憶はない。
 だが、そこまで思い出してから鏡介は自分が迎えの潜水空母にいることを理解した。
 ――なんとかなったな。
 辰弥は取り戻した。あとは桜花に帰るだけ。
 横になっているのがだるくて体を起こそうとし、全身を駆け巡る痛みに鏡介は低く呻いた。
 同時に、身体を支えようとした右腕の感覚がなく、そこで現実を思い知る。
 ――右腕くらい、御神楽にくれてやる。
「……鏡介?」
 不意に、ベッドの左側から声を掛けられる。
 鏡介が首だけ動かして声の方を見ると、そこに心配そうな面持ちの辰弥と日翔がいた。
「……辰弥、」
 よかった、無事か、と鏡介が辰弥に声をかける。
 うん、と辰弥が小さく頷く。
「無事でよかった」
 そう言いながら、鏡介は湿布だらけの左腕を辰弥に伸ばした。
 そっと辰弥の頭に手を置く。
 辰弥が「子供扱いしないで」と言いたそうな顔をするが構わず頭を撫でる。
「……むぅ」
 鏡介の気が済むまで頭を撫でさせ、それから辰弥は口を開いた。
「……君、思ってたより考えなしなんだね」
 辰弥が鏡介の全身を見ながら呟く。
 身体にシーツは掛けられているが右腕と左脚の部分は本来あるべき盛り上がりがなく、もう存在しないということを主張している。
 辰弥の言葉に、鏡介が、はは、と力なく笑う。
「日翔ほどじゃない」
「は? 俺そこまで考えなしじゃないぞ」
 日翔が全力で否定するが、辰弥と鏡介に軽くスルーされる。
 うわあ、傷つくなあとぼやく日翔の横で辰弥が鏡介に語り掛ける。
「でも、日翔が俺を助けたいって言うから動いたんでしょ。普段の君なら止めるはずだ」
 辰弥がそう言った瞬間、鏡介の顔色が変わった。
 やばい、そこ突いてくる? と言いたげなその様子に辰弥が首をかしげる。
「……え、まさか」
「そのまさかだ」
 観念したように鏡介が答える。
 あの時、辰弥の救出を先に提案したのは鏡介である。
 辰弥としては無鉄砲な日翔が言い出して鏡介がそれに付き合ったと思い込んでいたようだが、その実は逆。
 辰弥の表情が呆れのものに変わっていく。
「……鏡介が猪突猛進になった」
「うるさいな、仲間の救出くらい俺だって提案する」
 鏡介の言葉に辰弥が沈黙する。
 そのまま数分、三人の間を気まずい空気が流れる。
「……ごめん」
 不意に、辰弥が謝罪の言葉を口にした。
「どうした、急に」
 不思議そうに鏡介が尋ねる。
「日翔にも言ったけど、なんであんな無茶したの」
 俺、人間じゃないんだよ? と続けようとした辰弥が口をつむぐ。
 日翔も鏡介もその事実を重要視していない。
 気にしているのは自分一人、それなら何も言わない方がいい。
「お前の境遇に同情したんだろうな。その上で、お前には幸せになってもらいたいと思った」
 ぽつり、と鏡介が呟く。
「結局お前は御神楽の身勝手に振り回された被害者だ。そんな奴らに付き合う必要なんてない」
「だけどそれに自分の腕と脚捨てる必要ないじゃん。無茶しすぎだよ」
 辰弥の言葉に鏡介が再び力無く笑う。
 辰弥の言う通りかもしれない、と鏡介は思った。
ほぼ無傷で救出するならまだしも、この結果で辰弥が手放しで喜ぶはずがない。
 むしろこうなるなら俺を諦めるべきだった、そう言おうとする辰弥を制し、鏡介は口を開いた。
「手足の一本や二本御神楽にくれてやるよ。どうせ義体を付ければ元通りだし前より日翔をサポートしやすくなる」
 鏡介の言葉に、辰弥が目を伏せる。
 そこに、俺の名前はないのかと、ふと思う。
「……そこに俺はいないんだ」
「「……」」
 辰弥の言葉に、日翔と鏡介が口を閉じる。
「日翔にも何か言われたのか」
 うん、と辰弥が頷く。
「殺しから足洗えって」
 それは鏡介も同意だった。
 実年齢七歳の子供にさせていい仕事ではない。
 外見は十代後半だから今さら小学校に通えとは言えないが、それでもせめて真っ当な職に就くくらいはした方がいい。
「何度でも言うが、俺はお前も幸せになるべきだと思う。その上で聞くが――お前は人を殺すことが幸せなのか?」
「それは――」
 鏡介に言われて、辰弥が言葉に詰まる。
 人を殺すことに罪悪感はない。そんな感情を持たないように教育されている。
 それが幸せかと訊かれると、分からないとしか答えられない。
 喜びを感じるわけではないから幸福ではないが、だからといって不幸でもない。
 分からない、と辰弥は呟いた。
「人を殺すことは法律で禁じられているってことは分かってる。だから俺たちみたいな殺しを生業にしてる人がいるってことも分かってる。その上で、俺はどうして人を殺しちゃダメなのか分からない。法律だって人が決めたものじゃん、なんで殺しちゃダメなの。それを考えても、俺は人殺しが悪だとは思えないし不幸だとも思ってない」
「サイコパスかよ」
 思わず鏡介がそう言うものの、同時に納得する。
 元々兵器として開発された存在だ、罪悪感など存在しない方が使いやすいに決まっている。
 同時にかつての実験で受けた仕打ちを考えれば実際には倫理観などない。
 まずはそこからか、と思いつつも鏡介は改めて辰弥に問う。
「お前は、これからどうしたい?」
 鏡介の言葉に、辰弥がすぐに口を開く。
「日翔や鏡介と一緒にいたいし同じことをしたい。二人が暗殺連盟アライアンスにいるって言うなら俺も辞めたくない」
「おい、辰弥、それは――」
 日翔が割ってはいるが、鏡介がそれを制して口を開く。
「日翔には辞めろって言われてるんだろう、俺もそれには同意する。それでも、お前はやめたくないって言うのか」
 うん、と辰弥が頷いた。
「俺にはこれしかないと思ってる。勿論、教えてもらえれば他のこともできるんだろうけど日翔と鏡介だけ危険な目に遭って俺だけのうのうと生きてたくない」
「……そうか」
 辰弥の言葉にたった一言だけ呟いて鏡介が天井を見る。
 ここまで腹が決まっているなら辞めろという言葉は逆効果か、と考える。
「俺たちといるのが、お前にとっての幸せか」
「うん」
 即答する辰弥。それを見る鏡介。
「……参ったな」
 再び辰弥から視線を外し、鏡介がため息交じりに言う。
「俺は……いや、俺も日翔もお前のことは大切な仲間だと思っているし手放したくはない。だが……。お前は自分の血に縛られる必要はないと思っている」
「どういうこと」
 怪訝そうな辰弥の声。
 鏡介が言葉を続ける。
「お前が殺しを苦痛だと感じているのなら、足を洗う手助けはするつもりだった。だが、お前は俺たちと一緒に今まで通りに生きるのが幸せだとというのか」
 うん、と再び頷く辰弥。
 そうか、と鏡介は呟いた。
「……お前が本気でそう思っているなら、仕方ないな」
「え、鏡介お前辰弥に殺しを続けさせるのかよ」
 それは反対だ、と日翔が言うが鏡介はあのな、と日翔に言う。
「本人がやりたいと望んでいることが本人に一番の幸せだ。『可哀想だから』と勝手に決めつけるな」
「それは――」
 鏡介の言い分は分かる。
 だが、辰弥は何も知らないだけなのだ。だからこれからもっと楽しいことを教えれば――。
「俺、今の生活がすごく楽しい。他の楽しみなんて考えられない。でも……」
 辰弥がそう言い、少しだけ考える。
「もし、それでももっと楽しいこと、幸せだと思えることが見つけられたら、その時は考えさせて」
 今は何も知らないだけだから。
 もし、今後多くのことを知っていくのなら、その過程で今よりもっと幸せだと思える出来事に出会えるかもしれない。
 だから、それまでは今のままで、と辰弥は言った。
 今はまだ、この生活以外に幸せが分からないから、と。
「そうだな、これから見つけていけばいい」
 鏡介が頷き、日翔も若干不服そうだが分かった、と頷く。
「でも……」
 話は終わったはずだが、辰弥がふと思い出したように呟く。
「トクヨンの狂気に言われたんだ。『三人で一般人に戻る道もある』って」
 でも、それがよく分からなかった、と続けつつ辰弥がポツリと言う。
「え……」
 思わず鏡介が硬直する。
 ――待て待て待て待てそれって――。
 そこで鏡介はあの施設で見かけた通達を思い出す。
 何があっても生け捕りにしろという厳重な通達、そして非殺傷武器での攻撃。
 まさか、それは、辰弥が一般人として生きていけるように、そこに自分たちも居られるようにという御神楽なりの配慮だったのか――?
「……もしかして、余計なことを――いやなんでもない」
 いくら御神楽と言えどLEB一体のためにそんなことをするはずがない、と、鏡介が自分に言い聞かせる。
 しかし、それでも自分たちの行動が辰弥の幸せの可能性の芽を摘んでしまったのではないかと思ってしまう。
 この際右腕と左足のことはどうでもいい。ただ、選択を誤ってしまったのではないか、その不安が胸を締め付ける。
「俺は、辰弥の幸せを……?」
「んなもん嘘に決まってんだろ、そう言って油断させて後から俺たちを殺すつもりだったに決まってる」
 考え込んだ鏡介とは真逆に、日翔がその可能性を否定する。
「御神楽は利用するために辰弥を造ったんだぞ? そんなことをしといて今更『一般人になれる』? ふざけんな、そんなの嘘に決まってる」
「日翔……」
 流石の辰弥も「それは言い過ぎでは」という顔をしている。
 日翔が反御神楽の陰謀論に偏っているのは知っているが、いくらなんでもこれは酷すぎる。
 辰弥を安心させるための方便であったとしても、辰弥は久遠の言葉を嘘だと断言することはできなかった。
 もしかすると、真実だったかもしれない。
 久遠は本当に、自分の幸せを考えてくれていたのかもしれない。
 だがそれももう真実は闇の中。
 それに、日翔と鏡介と共にいることができるのならその先が今までと同じ殺しの道でも構わない。
 御神楽の暗部ディープ・ミカグラの真実はもっと知られなくちゃいけねえ、などという日翔の言葉を聞き流しながら辰弥はふっと笑った。
「なんなんだよ」
 不満そうに日翔が辰弥を見る。
「ありがとう」
「え?」
 日翔がキョトンとして辰弥を見る。
「日翔も、鏡介も、俺を見捨てないでくれた。俺が人間じゃないと分かっても受け入れてくれた。だから……ありがとう」
 その言葉に日翔と鏡介が顔を見合わせる。
 それから、
「お前は大切な仲間だからな。人間じゃなかろうが関係ねえよ」
 そう言って日翔が辰弥に手を伸ばし、頭をわしゃわしゃと撫で始めた。
「子供扱いしないでって」
「七歳児が偉そうなこと言ってんじゃねえよ」
 辰弥と日翔のやりとりを見て鏡介もふと笑う。
 そうだ。いくら「一般人に戻る」道があったとしてもそれは御神楽の監視の下のはず。自由にこんなこともできないかもしれない。
 これでよかったのだ、と鏡介は考えた。
 俺たちは何も間違っていない、これが最善だった、そう自分に言い聞かせる。
 そう思ってから、改めて今回の久遠たちとの戦闘を思い出した。
 確かに最終的には殺す判断をしたようだがそれでもギリギリまでは生け捕りの方針だったな、と考え、それからふと思い出す。
 辰弥が来てくれなければ殺されていたか捕まっていたが、それでも辰弥のあの攻撃は何だったのだろうか。
 そう思うとどうしても気になってしまい、鏡介は辰弥の名を呼んだ。
「おい辰弥」
「ん?」
 不思議そうな顔をして辰弥が鏡介を見る。
「お前、あのトクヨンの狂気とヘカトンケイル……コマンドギアをどうやって破壊した?」
「え?」
「捕まった時のお前は鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュを使ってもトクヨンの狂気に傷をつけることはできなかった。なのに今回はあのざまだ。お前、何をした?」
 落ち着いて考えたら当然のように浮かぶ疑問。
 日翔もそうだそうだと頷き、椅子に座り直す。
 辰弥も椅子に座り直し、少し考えてから口を開いた。
「……モノワイヤーで鮮血の幻影使った」
 その瞬間、日翔と鏡介が顔を見合わせる。
 確かにあの時、辰弥のモーションは鮮血の幻影のものだった。
 だが、直後に全てを切り刻んだのは不可視の刃。
 どういうことだと思っていたがなるほど、単分子ワイヤーモノワイヤーなら電子顕微鏡でもない限り視認することはできない、ということか。
 しかし、それができるなら最初の戦いで久遠に使っていたはずだ。
 それが今頃になって使えたということは、と考えて、鏡介はなるほどと呟く。
「単分子ナイフを学習ラーニングしたのか。それを応用してモノワイヤーを生成した、なるほど……」
「え、どゆこと。さっぱり分からん」
 話が理解できなかったのか、日翔が辰弥と鏡介を見比べる。
 鏡介がため息を吐き、説明した。
「あの施設に侵入するときに単分子ナイフ使っただろ。単分子ナイフがどういうものかは分かってるよな?」
「ああ、めっちゃ薄い刃物」
 日翔の返答に「えぇ……」と声を上げる辰弥。
 鏡介も日翔の返答にげんなりしながら話を続ける。
「辰弥はその単分子ナイフを応用して分子一つ分――とにかくすごく細いピアノ線を作り出した。単分子ナイフと同じ細さだからどんなものでも軽く細断できるって寸法だ」
「なるほど」
 鏡介の解説に日翔がポンと手を叩く。
「辰弥、すごいな。そんなこともできるんだ」
 日翔が手放しで辰弥を褒めると、彼も「えへへ」と恥ずかしそうに笑う。
「まぁ、すごく集中するから鮮血の幻影みたいにノータイムでは撃てない。モノワイヤーの生成と制御に十秒ほどかかるかな」
 そう説明する辰弥に、日翔がなるほどと頷く。
「だからあの時俺に時間を稼がせたのか」
「まあ、慣れたらもう少し早く撃てるとは思うけどそんな感じかな」
「しかし、新必殺技か……」
 辰弥と日翔のやり取りを聞きながら、鏡介がふと呟く。
「なんなんだよ、鏡介、何が言いたい?」
 考え込んだ鏡介に日翔が声をかける。
「いや、新必殺技なら名前つけた方が区別しやすいなと思ってな」
「確かに」
 鏡介に言われ、日翔も納得して頷く。
「なあ辰弥、なんて技にするんだ?」
「えー……鮮血の幻影のままじゃ、だめ?」
「区別するためってんだろ、別の名前を付けろ」
 日翔にそう言われ、辰弥は「うーん」と考え始めた。
 モーション自体は鮮血の幻影のまま、ただし繰り出すは不可視の刃。
 しばらく考え、辰弥は口を開いた。
「思いつかない。日翔、考えて」
「あ、こいつ俺に投げやがった」
 そうぼやく日翔だが、まんざらではないらしい。
 今度は日翔が少し考え、そして口を開く。
鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュの見えないバージョンだから……。亡霊の幻影ファントム・ミラージュなんてのはどうだ?」
「うわ、なんつーネーミングセンス」
 鏡介が毒づくが、辰弥としては気に入ったのか。
「それいいね、それにする」
 辰弥は嬉しそうに頷いた。
「えっ、お前もそれでいいのかよ」
 辰弥ではなく鏡介が狼狽えたようにそう言うが、当の辰弥は「なんで?」と言わんばかりの顔で鏡介を見る。
「名前に関連があるし分かりやすい。それに基本的に日翔が名付け担当だし」
 辰弥の言葉に鏡介が「あー……」と声を上げる。
 そうだった。
 辰弥の名前をはじめとして彼の周りで名前を決めるようなことがあった場合、それを決めているのは日翔だった。
 日翔の厨二病全開のネーミングセンスは鏡介的には御免被りたいところではあるが、辰弥としては「日翔が付けてくれた」で嬉しいのかもしれない。
「……好きにしろ」
 もういい、俺は知らん、と鏡介が目を閉じる。
「俺はもう少し寝る」
 鏡介の言葉に分かった、と辰弥が立ち上がる。
「しっかり休んで。できることは協力するから」
 ああ、と鏡介も頷くと辰弥は病室からさっさと出ていってしまう。
 それを追いかけようと立ち上がった日翔に、鏡介が声をかける。
「日翔、」
「どうした、鏡介」
 日翔が鏡介の方に向き直る。
「無理してないよな?」
「何を今更」
 それがそんなことするタマに見えるか? と逆に訊かれて鏡介はそうだな、と笑った。
「お前が無理してないならいい。今回は俺が巻き込んだからな」
「気にすんな、俺だってお前を巻き込むつもりだった。それでおあいこだ」
 そう言って日翔が、辰弥に伸ばしてそのままになっていた鏡介の腕を元の位置に戻す。
「ゆっくり休め。お疲れ様」
 そう言い、日翔も病室を出て行った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 約二週間の潜水艦生活が終わり、三人が迎えに来た偽装の漁船に乗り移り桜花の土を踏む。
「戻って、きたぁー」
 日翔が大きく伸びをして周りを見回す。
「やっぱ桜花が一番だわ」
「そうだな、IoL行きはもう懲り懲りだ」
 潜水艦内で接続してもらった簡易義体にまだ慣れていないのか少々ふらつきながら鏡介が杖を付き少し歩く。
「とりあえず、行きつけの義体メカニックサイ・ドックに行ってちゃんとしたやつを付けてもらうか……」
 日翔に持ってもらったケースを見ながら鏡介は考えを巡らせる。
「いっそのこと、戦闘用にするか……脚にブレードとかカッコいいよな……」
「っていうか、なんであの……コマンドギアとかいうやつのパーツもらったんだ? 義体に付けるのか?」
 日翔が鏡介の代わりに持っているケースはヘカトンケイルから取り外したパーツの一部。
 ああ、と鏡介が頷く。
「何を取り外したかは今後のお楽しみだ。だが、義体を付けるんだからもうもやしと呼ぶなよ」
「……もやし」
 ボソリ、と辰弥が呟く。
「だから、もやしと言うな!!!!
 鏡介が声を荒らげ、辰弥の脳天に右手の拳をお見舞いする。
「ったいな! しかも義体で殴るとか、ひどい!」
「自業自得だ」
 頭を押さえて涙目になる辰弥に冷たく言い放つが鏡介の頬はわずかに緩んでいる。
 とにかく、三人とも生きて戻ってきた。
 とはいえ、御神楽の目もあるから家は別のセーフハウスになるな、いやその前に山崎さんに戻ってきたことを連絡しなければ、そんなことを考えつつ鏡介はGNSの回線を開いた。
 猛を呼び出し、応答を待つ間に少し座りたいな、などと鏡介が考える、が。
《あ、帰ってきましたか!》
 1コールも待っただろうか。
 即座に猛が呼び出しに応じ、切羽詰まったような声で鏡介に声を掛ける。
「ああ、三人とも無事だ」
「いや無事じゃないだろ」
 鏡介の言葉に日翔がツッコミを入れるがそれには構わず鏡介が言葉を続ける。
「何かあったのか? 今戻ってきたばかりで状況が全く分からないんだが」
《厄介なことになりましたよ。『ワタナベ』が雪啼ちゃんのことを嗅ぎつけたようです》
「なんだって!?!?
 思わず声を上げ、それから鏡介が慌てて通話をグループ通話に切り替え辰弥と日翔を招待する。
「山崎さん、迷惑かけてごめん。で、どうしたの?」
 通話に割り込んだ辰弥が開口一番猛に状況を聞く。
《雪啼ちゃんのことを知った色んな企業が雪啼ちゃんを追っていましてね――、とはいえ、当初から『ノイン』を追っていた『ワタナベ』が捕捉するのが一番早く、現在街は『ワタナベ』の私兵により包囲されて、少しずつその包囲網が縮まっていっているところです》
「『ワタナベ』が動いた……」
 呆然と、辰弥が呟く。その様子なら、一日もしないうちに雪啼と『ワタナベ』は接触してしまうだろう。
「っていうか、雪啼はどうしたの! 日翔と鏡介がこっちに来たからてっきりアライアンスが預かってると――」
鎖神さがみさん、あなたがカグラ・コントラクターカグコンに捕まったと同時に雪啼ちゃんも行方不明になってたんですよ。それと同時に吸血殺人事件も一気に増加、カグコンも動いてますし多くの巨大複合企業メガコープもLEBの存在を嗅ぎつけたか雪啼ちゃんを追っています。幸い、鎖神さんがLEBだとは察知されていないようですがあなたも危険です、どこかに身を隠したほうがいい》
 捲し立てる山崎に辰弥は軽く目眩を覚えた。
 雪啼のことは気がかりだったが、まさかこんな事態になっているとは。
 ほとぼりが覚めるまでは、と言う山崎に、辰弥は大丈夫、と返す。
「俺のことはいい、だけど雪啼を止めないとまずい」
 このままでは『ワタナベ』に奪われるくらいなら、と判断したどこかの企業が核か何かで街を焼き払いかねない。
 当然、『ワタナベ』の手に雪啼を渡すわけにも行かない。『ワタナベ』には永江ながえ主任の後ろ盾がある。雪啼を懐柔する策もあることだろう。
 それを阻止するためにも、まずは雪啼を確保して事態の収拾を図らねばならない。
 そうですね、と山﨑は頷いた。
《しかし、鎖神さんを危険に晒すわけにはいきません。今回、『グリム・リーパー』は外れて――》
「『ワタナベ』以上に雪啼の関心を惹けるのは俺だ。多分、雪啼も俺が戻ってきたら俺を探すと思う」
 猛の言葉を遮り、辰弥が言う。
《それはどういう――》
「今は話してる場合じゃない、でも、なんとなく分かるんだ。雪啼は、俺を探している」
「えっ?」
「何を――」
 辰弥の言葉に日翔と鏡介も声を上げる。
「とにかく、俺が囮になれば雪啼を見つけ出せるはず。早く止めないと」
 その辰弥の言葉に猛が一瞬沈黙するが、すぐに「分かりました」と頷いた。
《それでは、『グリム・リーパー』に『ワタナベ』の包囲網の中心地点を伝えます。恐らく、雪啼ちゃんはその近辺にいるはずです。場合によっては――》
「もし、止められないなら俺が殺す」
 口ごもりかけた猛の言葉を引き継ぐように、辰弥はそう宣言した。
 鏡介が回線を閉じ、辰弥を見る。
「辰弥、お前――」
 辰弥が鏡介の目を見る。
 その目に迷いはない。
「行こう、休んでられない」
 そう言って辰弥が歩き出す。
 歩き出しながら、彼は、
「でも――雪啼がLEBだってこと、なんでみんな知ってるの?」
 自分がいない間のアライアンスの状況を全く把握していない辰弥が、そう、不思議そうに尋ねた。

 

 薄暗い路地を染める赤。
 その中央で、白い少女が蹲っている。
 ごくり、と、少女の喉が鳴る。
 その口が咥えているのは自分よりも遥かに大きく逞しい男の喉。
 口元を血で染めながら、少女は男の首から血を吸い続ける。
 離れたところからバタバタという足音が近づき、少女は追っ手がようやく自分を見つけたことに気づく。
 それでも、少女は怯えた様子もなく、ゆらり、と立ち上がる。
 少女が口を離したことで男の体がどさり、と地面に落ちるが男からはもう血がこぼれない。
 次が来た、と少女が呟く。
 足音がさらに近づき、数人の武装した男が近づいてくる。
「抵抗はやめろ!」
 銃を構え、男たちが警告するが少女はそんなものは無意味とばかりに右手を振る。
 その右手が変形し、一振りの刃を形作る。
いただきます
 そう、言葉を発した少女は地面を蹴った。
 男たちが警告はしたぞとばかりに発砲するがそれを軽い身のこなしで躱し、少女は男たちとすれ違うように駆け抜ける。
 直後、吹き上がる血飛沫。
 すれ違いざまに頸動脈を掻き切られた男たちが地面に沈む。
 それを見届けることなく、少女は男の一人に取り付き、掻き切ったばかりの首の傷に口を当てた。
 喉を鳴らし、甘いジュースを飲むかのように血を啜る。
 と、突然、少女は頭を上げた。
 男から手を離し、とある方向を見る。
 その、少女の顔が明るくなる。
「パパだ!」
 確かに感じ取った原初父親の気配。
「パパ、帰ってきた!」
 嬉しそうに声を上げ、返り血で赤く染まった少女――雪啼は、パタパタと駆け出した。
 無邪気にはしゃぐ彼女はまだ、自分を包囲しつつある味方の存在には気付いていない。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第11章 「いんぼう☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第11章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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