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Vanishing Point 第13

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 その後に受けた依頼で辰弥が電脳狂人フェアリュクター後れを取り、直前に潜入先の企業を買収したカグラ・コントラクター特殊第四部隊の介入を利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 まずいところに喧嘩を売ったと思うもののそれでも依頼を断ることもできず、三人は「サイバボーン・テクノロジー」からの要人護衛の依頼を受けることになる。
 しかし、その要人とは鏡介きょうすけが幼いころに姿を消した彼の母親、真奈美まなみ
 最終日に襲撃に遭い鏡介が撃たれるものの護衛対象を守り切った三人は鏡介が内臓を義体化していたことから彼の過去を知ることになる。
 帰宅してから反省会を行い、辰弥が武器を持ち込んだことについて言及されたタイミングで、御神楽 久遠くおんが部屋に踏み込んでくる。
 「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」、その言葉に反論できない辰弥。
生物兵器LEBだった。
 確保するという久遠に対し、逃走する辰弥。
 それでも圧倒的な彼女の戦闘能力を上回ることができず、辰弥は拘束されてしまう。
 拘束された辰弥を「ノイン」として調べる特殊第四部隊トクヨン。しかし、「ノイン」を確保したにもかかわらず発生する吸血殺人事件。
 連絡を受けた久遠は改めて辰弥を調べる。
 その結果、判明したのは辰弥は「ノイン」ではなく、四年前の襲撃で逃げ延びた「第1号エルステ」であるということだった。
 「一般人に戻る道もある」と提示する久遠。しかし、日翔たちの元に戻りたい辰弥にはその選択を選ぶことはできなかった。
 辰弥が造り出された生物兵器と知った日翔と鏡介。しかし二人は辰弥をトクヨンの手から取り戻すことを決意する。
 IoLイオルに密航、辰弥が捕らえられている施設に侵入するし、激しい戦闘の末奪還に成功する日翔と鏡介。
 鏡介はトクヨンの兵器「コマンドギア」を強奪し、追撃を迎撃するが久遠の攻撃とリミッター解除の負荷により右腕と左脚を失ったものの、桜花への帰還を果たす。
 しかし帰国早々聞かされたのた失踪していた雪啼が吸血殺人を繰り返していることとそれを「ワタナベ」はじめとする各メガコープが狙っていることだった。
 包囲網を突破し、雪啼を確保することに成功した辰弥と日翔。
 義体に換装した鏡介に窮地を救われたもののトクヨンが到着、四人はなすすべもなく拘束される。
 ノインが御神楽の手に落ちたことを知った「ワタナベ」傘下企業の攻撃も飛来するがそれはカグラ・コントラクター保有の宇宙戦艦「ソメイキンプ」が撃墜、拘束された四人はそのままトクヨン旗艦「ツリガネソウ」へと収容される。

 

13章 「Weak Point -弱点-」

 

 「ツリガネソウ」に連れてこられた辰弥たつやたち三人はそれぞれ独房に収容されるかと思ったがそんなことは一切なく、普通に一般隊員用の四人部屋に案内され、拍子抜けしていた。
「え、こういう時普通独房にぶち込むだろ?」
 どうしても疑問を晴らしたかったのか、日翔あきとが不思議そうにウォーラスを見る。
 確かにこの部屋に来るまでは特殊第四部隊の隊員に銃を突きつけられながら案内されていたが、部屋に入ったのは三人とウォーラスのみ。他の隊員は通路で警戒しているのだろうが、あまりにも警戒が緩すぎる。
「抵抗するか? 抵抗したところで現時点のお前たちでは脱出など無理だろうに」
 余裕そうな口調でウォーラスが言う。
 実際、今辰弥たちがいるのは空中空母「ツリガネソウ」である。
 もちろん、脱出艇の類はあるだろうがそれを奪って逃げたとしてもすぐに追跡されて連れ戻されるだろう。
 そこにどれだけの犠牲が出るかは想像もつかないがそれでも逃げることで無駄な血が流れるのは事実。
 ここは指示に従った方がいい、と判断した辰弥は日翔と鏡介きょうすけに「今は無駄に暴れないで」と指示を出した。
 いくら反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリアを搭載した義手であっても防御に特化しただけで戦闘には不向きということで鏡介は小さく頷いて静かにしている。
 日翔は日翔で現場を打開できる道が見えない以上は辰弥の指示に従った方がいいと判断したか、大人しくしている。
「……雪啼は、」
 ふと、気になって辰弥がウォーラスに尋ねる。
 別の輸送機に乗せられてからここに来るまで雪啼の顔は一度も見ていない。
 別の部屋に監禁されているのだろうが、まさか五歳児……いや、もっと幼い雪啼を独房に入れたというのであれば話は別である。
 雪啼に何かあれば抵抗する、という雰囲気を見せる辰弥にウォーラスは「大丈夫だ」と答えた。
「ノインを独房に入れると思ったのか? いくらLEBであったとしても子供を独房に入れるほど私たちも心無い人間ではない。空いている個室で監禁させてもらった」
 流石に監禁しておかないと犠牲者が出るからな、というウォーラスの言葉に辰弥はほっとしたように肩の力を抜いた。
「だったらいい」
 その言葉に辰弥も抵抗するつもりはない、と判断したウォーラスはオーグギアを操作し三人の手錠のロックを解除、回収する。
「……え、」
 ウォーラスの行動に、辰弥が困惑したような声を上げる。
「流石に拘束解除されたら俺だって」
「私を殺せる、か? 自惚れるな、私が死んだところでお前たちが脱出できる可能性はほとんどないぞ」
 冷静なウォーラスの言葉。
 確かに、逃げられないのなら無駄に血を流す必要はない。
 それに拘束を解除するのであれば何らかのチャンスをものにすることができるかもしれない。万一勝ち筋が見えたならその時に動けばいい。
 分かった、と小さく頷き、辰弥は手近なベッドに腰掛けた。
 日翔もそれに続いて辰弥の隣に座り、鏡介はその二人に向かいに座る。
 ウォーラスが退室し、部屋のロックがかけられた音を聞いてから、日翔は一つ大きなため息をついた。
「……結局、振り出しに戻った感じだな」
「いや、もっと後退したようなものだ。俺たちも雪啼も全員カグラ・コントラクターカグコンの手に落ちたも同然だからな」
 日翔の言葉に鏡介が落ち着き払ったように呟く。
「……流石にここのロックも『ツリガネソウ』の中央演算システムメインフレーム制御か……ハッキングしてロック解除は無理そうだな」
 a.n.g.e.l.エンジェルに相談していたのだろう、鏡介がそう続け、辰弥を見た。
「これはお前次第だが、お前がこの扉を破壊するというのなら俺は止めない」
「あー……」
 鏡介の言葉に、辰弥は低く唸った。
「いやぁ、一応考えたんだけどねそれ。でもそれは今じゃないかなって」
「なるほど」
 辰弥もその手は考えていたか、と認識し、鏡介が頷いてベッドに寝転がる。
「とりあえず、話が進展するまで俺は寝る」
「あら、せっかく話をしようと思ったんだけど後の方がよかったかしら」
 鏡介が寝転がったタイミングでロックが解除され、扉が開かれる。
「……げ」
 自分の呟きをバッチリ聞かれてしまった鏡介が気まずそうに体を起こしたのと、久遠くおんが室内に足を踏み入れたのは同時だった。
「何しに来たの」
 身構えることなく辰弥が久遠に問いかける。
 だが、その視線だけはしっかりを彼女を見据え、場合によっては抵抗する、と言わんばかりの雰囲気を漂わせている。
 その久遠はというと二週間前に辰弥に義体を粉々にされたことがなかったかのように新しい義体に換装して三人の前に立っている。
第一号エルステ……辰弥と呼べ、ということだったわね。辰弥君、あの時はほんとよくやってくれたわね。おかげさまで最新の義体のテストをすることになったわよ」
「それはどうも。あんたが望むならもう一回耐久テストしておく?」
 こっちは万全だから亡霊の幻影ファントム・ミラージュはいつでも撃てるけど? と挑発する辰弥。
 それに対しては久遠は首を横に振ることで拒否をする。
「どんな物質の義体であっても単分子ワイヤーモノワイヤーに耐えられるほどの強度は得られないから遠慮するわ。逆に言うと、それだけ貴方は危険な存在ってこと」
 そう言ってから、久遠は室内の三人を見回した。
「……で、ここからが本題。あなたたち、一般人になるつもりはない? どうしても戦いたいと言うのなら特殊第四部隊トクヨンで受け入れるつもりもあるけど、そこまでして戦い続けたいタイプには見えないわね」
 久遠の言葉に、辰弥は「またその話か」と思った。
 確かにその話は悪い話ではない。日翔と鏡介も一緒に一般人になることができるのであれば、今までの生活から暗殺を抜いただけで新しい生活を送ることができるかもしれない。
 しかし辰弥には迷いがあった。
 本当にそれでいいのか、という内なる声の囁きが聞こえる。
 その囁きは自分のLEBとしての闘争本能の囁きだと一蹴することはできる。
 それでも、本当にその道を歩んでいいのか、という不安がある。
 何が不安なのかは自分でも分からない。
 いくら御神楽の監視下という条件であったとしても血を吸わなくていい、殺しをしなくてもいいというのであればそれは日翔と鏡介にとっても望ましいことである。
 それなのにどうして手放しで頷けないのだろう。
 ――それとも、どこかで俺の力を利用しようとしている可能性か。
 自分は人間ではない。戦闘用に造り出された生物兵器である。
 いくら一般人になれたとしても、どこかの巨大複合企業メガコープが自分を利用しようと手を出してくる可能性はある。
 実際のところ、どのメガコープにも属する気は辰弥にはなかった。
 ただ暗殺連盟アライアンスで今まで通り気楽に暗殺していればいいと考えていた。
 事態はそこまで甘くないことは理解している。御神楽の監視下でなくても同じ道を辿る可能性はいくらでもある。
それでも、いや、それだからこそ辰弥は「自由に生きたい」のだ、と気がついた。
 いくら殺しをしなくていいとなっても御神楽の監視下だと本当の自由は得られないのだ、と。
「……やっぱり、トクヨンには入りたくないし御神楽の監視下ってのも個人的には受け入れたくないんだよね……もっと、自由に生きたい」
 ぽつり、と辰弥が呟く。
「確かに『一般人になる』という道は魅力的だと思う。殺しをしなくてもいいという生活は日翔にも鏡介にも必要な生活だと思う。だけど……。そこに少しでも『自由』を束縛する要素があるなら、ちょっと受け入れられないな、って」
「……『自由』、ね……」
 辰弥の言葉に久遠が小さく頷く。
「分かるわよ、自由に生きることの大切さを知ったのならそれを守るべきだってことくらい。だけど勘違いしてない? いくら御神楽私たちの監視下で生活することになるって言っても、殺しを含む犯罪行為以外の行動は制限しないわよ」
 私が懸念しているのは貴方がその力を使い続けることだけ、その力さえ使わないなら何も制限する気はないわ、と久遠が続ける。
「だから何も心配することはないわよ。仮に貴方の力を狙った他企業があったとしても御神楽は全力でそれを阻止するって言ってるの。貴方が無理に力を使って戦う必要はないの」
「……」
 久遠の言葉に一瞬気持ちが揺らぐ。
 そこまでしてくれるのなら、久遠の提案を受け入れるのもいいのではないか、と。
 そして同時に思う。「どうして人間ではない自分にそこまで」と。
「なんだよ、そんなこと言ってどこかで辰弥を利用する気なんだろ、御神楽っていつもそうだもんな」
 不意に、日翔がそう声を上げる。
 同時にすっ、と辰弥の前に片腕を伸ばして「辰弥には指一本触れさせねえ」とばかりに久遠に対して敵意を露わにする。
「あらあら、威勢のいいこと。貴方じゃ私に傷ひとつ付けることなんてできないでしょうに」
「なにをう!」
 ため息混じりに久遠が放った言葉に日翔が彼女に噛み付かんばかりの勢いで凄む。
「日翔やめろ、無駄だ」
 鏡介が日翔を止める。
「でも鏡介!」
「御神楽の提案は俺たちにデメリットがない。むしろメリットしかない。何かあった時に辰弥を守ってくれるのであれば、この話は受けたほうが賢明だと思う」
 久遠の話を冷静に分析した鏡介の言葉。
 鏡介は続ける。
「日翔、お前が反御神楽の陰謀論に染まっているのは分かっているがだからと言って何もかもを信じようとしないのはお前の悪い癖だぞ」
「何を! 御神楽なんて、身勝手に辰弥を造ってんだぞ! 自分たちの勝手で造っておいて、危険だから管理しようって話だろ? 辰弥は、もっと自由に――」
「その結果、辰弥が苦しむことになったとしてもか?」
 静かだが、それでも日翔には確実に鋭い一撃となる言葉が鏡介の口から紡ぎ出される。
「――っ!」
 怯んだように日翔が言葉に詰まる。
「でも、俺は――」
「最終的に判断するのは辰弥だ。辰弥、少なくとも俺は賛成、日翔は反対の立場だという認識で結論を考えろ。どっちの意見を採用するかも含めて判断はお前の好きにしろ」
 そう言って、鏡介は「俺に言えるのはここまでだ」と口を閉じる。
「俺は……」
 まだ答えに悩む辰弥に久遠が畳み掛ける。
「まぁ、そう言っても選択肢は御神楽の監視下で一般人になるかトクヨンに入るしかないと思うわよ?」
「なんでそう言い切るんだよ」
 なおも噛みつきそうな勢いで日翔が尋ねる。
「脅すようであまり言いたくなかったけど、桜花の警察機能は御神楽が担当しているのよ? 私達は貴方たち三人を殺人及び武器の違法所持、凶器準備集合罪で立件することができるけど?」
「っ……!」
 久遠の発言に日翔が唸る。
「それ、脅迫じゃねえか! 御神楽はそこまでして辰弥を管理下に置きたいのかよ!」
「何とでも言いなさい。私達御神楽はLEBを含むあらゆる人間を幸せにするためになら、どんな汚名も被る覚悟があるのよ。ただ反御神楽を振り回して喚く貴方と違って」
 落ち着き払った久遠の声。
 どうしてそこまで、と辰弥は呟いた。
「……人権ない存在にどうしてそこまで」
「あら? 人権くらいあるわよ? なんでないと思ったの?」
 逆に問われ、辰弥は驚いて久遠を見上げた。
 どういうことだ、と困惑した目が久遠を見る。
 作り出されてからずっと「LEBに人権などあるものか」と虐待同然の仕打ちを受けてきた。「実験台となって当然だ」と違法な実験も繰り返しされてきた。
 それが当たり前だった辰弥にとって、久遠の言葉はにわかには信じられなかった。
 「ないと思ったの」という久遠の言葉。
 人権というものが、自分に、存在するのか、と辰弥が言葉にできずに久遠を見る。
「第一研究所を潰してすぐの話よ。保護したLEBも人間として認められるようにヒト型の生物兵器――少なくとも人語を解する個体の人権獲得に奔走したから。現時点で確認されている該当の生物兵器はLEBだけだけどLEBにもちゃんと人権はあるわよ。知らなかった?」
「……知らなかった」
 素直に辰弥が答える。
 まさか、御神楽がそこまで動いていたとは。
「……」
 何かを言おうとした辰弥が口を閉じる。
 何を信じて、何を選択していいのかが分からない。
「俺は……」
 どうする、日翔には悪いが久遠の話に乗るか、そう、辰弥が考え始めた時。
 久遠が通信を受け取ったか、耳元に手を当てて何かのやり取りを始めた。
「監視下に置いて軟禁していた永江博士が消えたらしいわ。私はそっちの対処に向かうから貴方たちはそこにいなさい。せっかくだからじっくり考えることをお勧めするわ。っても一般人になるかトクヨンに入るか立件されるかしか選択肢はないと思うけど」
「立件はずるい」
 一方的に告げて部屋を出ようとする久遠に辰弥が声をかける。
「だったら、どちらか選びなさい」
 そう言い残し、久遠が部屋を出て扉がロックされる。
「……永江博士もここにいたのかよ」
 ドアに視線を投げ、日翔が呟く。
「確か永江博士はノインを探していたな。で、雪啼がそのノインだったということを考えると……ノインに接触するつもりか?」
 久遠の言葉から状況把握に努めていた鏡介が自分の推測を口にする。
「……多分ね。永江博士からすれば久しぶりに雪啼に会えるかもしれないわけだし」
「だが、雪啼が永江博士を攻撃する可能性はあるんじゃないのか?」
 ふと、日翔が気になったのかそう疑問を口にする。
「いや、それはないんじゃない? これは君たちに助けてもらう前に聞いた話だけど雪啼は永江博士に対してすごく懐いていたらしいし、さっきも一瞬は俺よりも永江博士を優先しようとした。攻撃することはないと思うよ」
 辰弥の言葉にそうか、と安堵の息を吐く日翔。
 彼としては「これ以上雪啼が誰かを攻撃することがあってはいけない」と思ったのだろう。
「でも、どうするよ。永江博士がどっか行ったとかで今トクヨンはドタバタしてんだろ? 今なら逃げられるんじゃね?」
 今が逃げる最大のチャンスだろ、と日翔が提案してくる。
 だが、辰弥はかぶりを振ってそれを却下する。
「これが地上だったらね。忘れた? ここ、『ツリガネソウ』。どうやって逃げるの」
「まぁ脱出艇があるだろう。ここに来た直後の状況ではすぐ追跡されただろうが今ならもしかするとうまく撒けるかもしれない」
 とはいえ、逃げる逃げないも辰弥次第だ、と鏡介が辰弥を見る。
「お前はどうしたい? 逃げるなら今がチャンスだ。この際雪啼は諦めなければいけないかもしれないが――」
「……」
 鏡介の言葉に、辰弥が沈黙する。
 それが迷いによるものだと判断した鏡介がふう、と息を吐く。
「もしかして、御神楽 久遠トクヨンの狂気の話を気にしているのか?」
「そう、だね」
 辰弥が小さく頷く。
「仮に逃げられたとしてもトクヨンの追跡がいつまでも続くのならあいつの提案のどれかを受けるのが賢明だとは思う。だけど逃げられるなら逃げたほうがいいかもと思ってる」
「普段はすぐ決断できるお前が珍しいな」
 答えを出せない辰弥に鏡介が少しだけほっとしたように呟く。
「まぁ、七歳児がそう簡単に一生を決める選択できるかって話だ。トクヨンの狂気も酷なことしやがって」
「七歳児は余計だと思うけど」
「いや、子供ガキだろお前。まぁ、決められないなら無理に逃げる必要はない。が、もしお前が逃げるという選択をするなら逃げられるように俺と日翔で作戦を立てておく」
 というわけで日翔、いいな? と鏡介が確認する。
「ああ、いいぜ?」
 ベッドから立ち上がり、日翔が鏡介の隣に移動する。
「辰弥、お前はじっくり考えていろ。難しいことは俺たちの仕事だ」
「だから子供扱い――」
「子供だから、だけじゃない。お前は一人で抱え込みすぎた。だがな、今回の決断だけはお前が一人でしないと意味がない。だから、しっかり考えろ。その決断の先の話は俺たちに任せろ」
 鏡介が諭すようにそう言い、頷いてみせる。
「……うん」
 辰弥も小さく頷いた。
 日翔も鏡介も、そして久遠トクヨンも自分の幸せを考えてくれている。
 その誰をも傷つけないように、そして自分が納得できる答えを出せるように、辰弥は考え始めた。

 

「……主任……」
 監禁された個室の隅で、雪啼ノインが膝を抱えて座り込んでいる。
 第二研究所が襲撃され、逃げ出してから数環。
 せっかく見つけたエルステパパも拘束され、今は別の部屋にいる。
 主任が言う「完全」になるにはパパが必要なのに、と呟いてノインは自分の膝をぎゅっと抱いた。
 永江博士主任は自分のことを特に大切にして可愛がってくれた。
 研究所が襲撃された時も「ノインは逃げろ」と逃がしてくれた。
 逃げてもどこに行けばいいか分からず、ただなんとなく「こっちだろう」と思った方向に逃げ続けた。
 途中でひどい空腹を覚え、近くにあった牧場の牛を食べ、血を吸った。
 行き着いた街、何かに呼ばれたような気がしてふらふらと忍び込んだ家で死体を見つけ、血を吸った。
 それから、近くなった何かの気配を追ってたどり着いたマンションのエントランスでノインは力尽きた。
 それを抱き起こした一人の男。
 目を開けて見れば自分と同じ瞳を持った、そしてずっと感じていた気配を持つ男。
 そうだ、とノインは感じた。
 この男こそが、主任の言っていた「ノインを完全にするための鍵」だと。
 そこで出た言葉が「パパ」だった。
 本能的に感じ取ったのだ。この男が原初のLEBエルステだと。
 そこで何も知らない風を装い、彼女は「雪啼」と名付けられ、生活を始めた。
 それでも主任に会いたいと思っていたら永江博士が御神楽の客員研究員として登用されたというニュースを見た。
 主任は御神楽にいる。自分はエルステと共にいる。
 エルステを殺して、その血肉を吸収すれば。
 しかし、何度試みてもエルステは自分の攻撃を躱し、その度に子供に対しての安全策をとってくる。
 そんな生活を送っていたが、その生活は特殊第四部隊の乱入によって打ち破られた。
 入ってきた兵士が怖くて、思わず逃げ出した。
 逃げ出してからはどこに帰ることもできずにただ人を狩り続けた。
 それ以前から、エルステに保護されてからも血が足りずに吸血を行い続けたが、自由になってからは誰かの目を気にする必要はない。
 だからという訳ではないだろうがノインは様々な兵士に目をつけられた。
 逃げるために兵士を殺しては血を吸い、そして逃げ続けたがその運も尽きた。
 自分を呼ぶ主任の映像と駆け寄るエルステに、一瞬の躊躇の後エルステを選んだ。
 エルステを殺して、それから主任の元に戻ろうと思ったがエルステに縛られ、それから特殊第四部隊に拘束された。
 その結果、この部屋での監禁である。
 見た目が子供だから、で独房入りは免れたがそれでもこれでは主任に会うどころではない。
 主任、とノインが小さく呟く。
「……主任、助けて」
 ノインがそう呟いた時、部屋の外で何やら叫び声が聞こえ、それからドアが激しくノックされる。
『ノイン、扉から離れろ!』
 その声に、扉に駆け寄ろうとしたノインが踏みとどまる。
 直後、爆発音と共にロックがショートし、扉が開かれる。
「ノイン!」
 そう言いながら部屋に飛び込んできたのはノインがずっと探し求めていた永江博士主任だった。
「主任!」
 ノインが晃に駆け寄る。晃がノインを受け止め、強く抱きしめる。
「よかった、ノイン、無事か!」
「うん、大丈夫」
 ノインが頷く。
 ノインを抱き上げ、晃は立ち上がった。
「よし、脱出しよう。脱出艇は確認している」
「うん!」
 頷き、ノインは晃にぎゅっと抱きついた。
 晃とて御神楽がLEBにも人権を与え、監視下という条件付きではあるが自由に生きる道を与えてくれるということは理解している。何せ自分の造ったノイン以外のLEB達が毎日のように自分たちの楽しい生活を報告に来るのだから。
 しかし、それを考慮してもノインはあまりにも人を殺しすぎた。
 聞いたところ既に数十人、いや、百人近い死者が発生している。ここまで殺戮を行ってしまえばいくら御神楽でもノインに監視付き自由を与えてくるとは思えない。
 最悪の場合、危険な生命体として「処分」を決断するかもしれない。
 だから晃はノインと共に逃げることを決断した。
 ノインを抱き抱えたまま晃が通路を走る。
 しかし、研究畑一筋の晃はすぐに息切れを起こして立ち止まってしまう。
「主任、おろして」
 晃が自分を抱えていることで走ることができないと気がついたノインが晃に言う。
 晃が小さく頷き、ノインを降ろす。
 バタバタと通路の向こうから足音が聞こえてくる。
 即座にノインは両手を足音の方に向けて突き出した。
 その腕がガトリングに変貌トランスする。
 特殊第四部隊の兵士の姿が見えた瞬間、ノインは発砲した。
 叫び声と共にバタバタと倒れる兵士たち。
 目の前の兵士が全て倒れたことを確認し、ノインは腕を元に戻した。
 だが、そのタイミングで背後から近づいてきた別の兵士がこちらに銃を向けていることに気づく。
「主任、じゃま!」
 咄嗟に、ノインは晃を突き飛ばした。
 銃弾が飛来し、突き飛ばされる前の晃がいた位置を奔り抜ける。
「おい、何やってる! 発砲許可は出ていないぞ! 永江博士に何かあったらどうするんだ!」
 そんな怒声が聞こえてくる。
「しかし、ノインが!」
「ノイン射殺を優先して永江博士まで殺す気か!」
 そんなやりとりが聴こえる。
 そのやりとりを聞いた晃は特殊第四部隊がノインを射殺する気だと判断した。
「ノイン、逃げろ!」
「でも、主任!」
 晃の言葉にノインがいやいやとかぶりを振る。
「私のことは今はいい、後で追いかける!」
「主任……わかった」
 ノインも自分が狙われている、主任と共にいれば主任も危ないということは理解していた。
 それなら晃の指示通りに逃げるべきである。
「主任、あとでね」
 そう言って、ノインは身を翻した。
 それを追うように兵士たちが銃を構える。
 だが、それを遮るように晃が兵士の前に立ちはだかる。
「永江博士、どいてください!」
「ノインは殺させない!」
 晃と兵士のやりとりが展開される。
 それを背に、ノインは通路の奥へと駆け出した。
 兵士が晃を突き飛ばそうとするが晃は兵士に縋り付いてそれを妨害する。
 晃を拘束した方が早い、と判断したのか兵士が晃の両手に手錠をかける。
「ノイン……逃げてくれ」
 背後から離れていくノインの気配に、晃はそう呟いた。

 

 コード・ブルーを告げる艦内放送でノイン脱走の報が通知され、警報が鳴り響く。
「おいおいおいおい……」
 艦内放送にやばくね? と呟く日翔。
「ところで、コード・ブルーって何なんだよ」
 聞きなれないコードに日翔が辰弥を見る。
「なんで俺を見るの」
「いや、何となく」
 辰弥の質問に何となくで返した日翔が首をかしげる。
「いや、病院なら緊急で蘇生が必要な時に使われるのは知ってるんだが、そんな事態じゃないだろ? 御神楽でなんか特別な意味があるのかと思ってな」
「ああ、そういうこと」
 日翔の意図を漸く察した辰弥が一瞬遠くを見るような眼をする。
「……第一研究所では被検体が脱走した時に使われた。つまり、生物兵器の脱走案件のコードだね」
「あ……」
 辰弥の言葉に日翔が喉を鳴らす。
「……マジかよ……」
「マジな話だけど」
 真面目に返し、それから辰弥が立ち上がる。
「……逃げるなら、今だね」
「え?」
 突然の辰弥の声に日翔が声を上げるが、辰弥はそれを気にすることなく立ち上がり、ドアに向かう。
 ドアの開閉パネルは外側からロックがかけられており、機能していないが辰弥はそこに手を当てた――と思ったらそこに信管付きのプラスチック爆弾S4が貼り付けられている。
 辰弥が数歩下がり、空中に指を走らせて起爆コマンドを入力する。
 爆発するS4。量は少なめなので室内が吹き飛ぶことはない。
 しかし、開閉パネルは完全に破壊されており、扉が開放される。
「っ、お前ら!」
 室外で警備に当たっていた兵士の一人が思いもよらぬ事態に銃を構えるがそれよりも迅く辰弥が兵士の懐に潜り込み、即座に生成したナイフで心臓を一突きにする。
 もう一人が辰弥に向けて発砲するがそれは引鉄を引く前のモーションで射線を予測して回避、ナイフを一閃させて銃を握る腕を切断、そのまま手首を返して頸動脈を掻き切る。
「……まぁ、これくらいはいつでもできたんだけどね」
 床に沈んだ二人の兵士に視線を投げることもなく、辰弥は振り返って室内の二人を見た。
「辰弥、お前……」
 まさかこの事態を想定していたのか、と鏡介が辰弥に声をかける。
「んー、永江博士が雪啼と接触するまでは想定済み。だけど雪啼が逃げたのはちょっと想定外かな」
 そう言いながらも辰弥がハンドガンを三丁生成し、そのうち二丁を日翔と鏡介に渡す。
「え、俺もか」
「どうせ義体にしたからって射撃アシスト入れてんでしょ。だったら撃てるよね」
 GNSと義体の最大の連携、アシストのインストールによる技能向上だが鏡介がこの期に及んで射撃系のアシストを入れていないはずがない、と辰弥は踏んでいた。
「……まぁ、一応は」
 躊躇いながらも銃を受け取り、鏡介がスライドを引いて初弾を装填する。
「極力殺しはしたくないが――」
IoLイオルであれだけ殺しておいて今更無理とは言わせないよ」
「っ、」
 辰弥に痛いところを突かれ、鏡介が唸る。
 確かにIoLのあの施設内では不殺を貫いた鏡介だったが、施設脱出時に自分の意志でコマンドギア兵器を強奪し、追撃部隊を葬った。
 あの時の感触、特に単分子ブレードで敵のコマンドギアを切り裂いたときの手ごたえは今でも覚えている。
 直前の多脚戦車撃破の際はまだ実感が薄かったがコマンドギアを相手にした時、あれは確実に自分の手で「殺した」とはっきり認識した。
 いくら辰弥を救出するためだったとはいえ自分の手で明確に命を奪った事実に変わりはなく、今後はもうそんなことが起こらなければいいがと思っていたが。
 それでも折角の義体、もう殺したくはないと思いつつもせめて辰弥が殺しをしなくてもいいように、日翔の力になれるようにと鏡介は射撃アシストをインストールしていた。
 それがまさかこんなにも早く使われることになるかもしれないとは。
「……分かった、しかし基本的に何もできないと思ってくれ」
「了解。当てにはしないでおくよ」
 そんなことを言いながら、三人は通路に出た。
「しかし、雪啼はどうするんだ? あいつを見つけないと……」
 通路を走り出した辰弥に日翔が声をかける。
 そうだね、と辰弥が頷いた。
「雪啼は……いや、でも……」
 妙に歯切れの悪い辰弥の声。
「なんか引っかかることがあるのか?」
 日翔としては雪啼も連れて帰りたいところ、しかし辰弥はそうではないというのか。
 そうだね、と辰弥は頷いた。
「……雪啼は、俺を殺そうとしてる」
「え」
 その日翔の声には「バカな」という響きが混ざっている。
 ――雪啼が辰弥を殺そうとしている……?
「何言ってんだよ、別に雪啼は」
「君も見たでしょ、さっきの雪啼は俺に刃を向けた。それに、雪啼は『完全になる』って言ってたんだ」
「それが何の関係……」
 そこまで言ってから日翔もそれ以上の言葉が続けられずに口を閉じる。
 辰弥は何かを知っている、もしくは何かに気づいている。
 そして雪啼には辰弥を殺す理由が存在する。
 LEB同族同士の嫌悪か? と日翔は考えた。
 生物によっては同族が近くにいれば排除しようとする本能が働くことがあるらしい、と以前とあるドラマで見た。
 その時は「そんなことあるかー?」で真に受けていなかったが、実際はそういう現象は発生するのかもしれない。
 その同族嫌悪から雪啼は辰弥を殺そうとしているのか?
 しかし、それでも疑問は残る。
 IoLの施設で日翔はLEBの女と交戦したが彼女は別に辰弥に嫌悪を抱いているようには見えなかった。
 辰弥も「殺せ」とは言わなかった。
 それに、辰弥は雪啼と出会った時から彼女に攻撃することはなく、逆に保護のために動いていた。いくら同族という確信がなかったとしても本能的に攻撃してしまうこともあり得るはずだ。
 そう考えると同族嫌悪の殺し合いとは違う気がする。
 それでもまだ疑問はある。
 同族嫌悪でなかったとしたら、雪啼が辰弥に刃を向けたのは何故だ。
 何故、あの時雪啼は辰弥を殺そうとした。
 その理由が分からない。
 が、辰弥は何かに気づいている。
「……お前は理由に心当たりがあるのか?」
 考えに考えて、日翔はそう質問を変えた。
 うん、と辰弥が頷く。
「あくまでも推測だけど雪啼は俺と違って造血機能がほとんどない。それは第二世代LEBの弱点なんだけどもしかしたら雪啼は造血機能がある第一世代LEBを捕食することで機能を回復させられるかもしれないと思ってるんじゃないかって」
「な――」
 そんな可能性に賭けて雪啼は辰弥を殺そうとしているのか。
 いや、そもそも捕食してその生物の特性をコピーすることなんてできるのか。
「捕食で生物の機能を……?」
 そんなことができるのか、と鏡介も辰弥に問う。
 さぁ、と辰弥ははぐらかすようにそう言った。
「少なくとも、雪啼にその能力が再現されてるかどうかは知らない」
 意味深な辰弥の言葉に「どういうことだ」と思うものの、目の前の十字路をトクヨンの兵士が駆け抜けて行ったため思考を中断する日翔と鏡介。
 可能な限りは被害を出さずに脱出したいと三人は考えていたため、交戦ではなく隠密スニーキングでの脱出を試みる。
 しばらく息を潜めて移動し、兵士の気配が途切れたところで辰弥は息を吐いて日翔と鏡介を見た。
「……二人には悪いけど、雪啼は諦めようと思う」
「え――」「何、」
 辰弥の言葉に日翔と鏡介が同時に声を上げる。
 それは二人が想定していなかった言葉。
 辰弥なら最後まで雪啼を諦めずに探すと思っていた。
 それなのに、何故。
 いや、分かっていた。
 雪啼が辰弥の命を狙い続けるのであるなら、連れて帰ったところで平和になるわけがない、と。
 それに雪啼は永江博士に懐いているというなら辰弥よりも彼を選択するだろう。
 仮に連れて帰ることができたとしても何らかの隙を突いて雪啼は辰弥を殺し、永江博士の元に戻ろうとするのだ、と。
「流石に俺も四六時中警戒なんてできない。それに雪啼は大量に人を殺しすぎた。最悪の場合、俺が殺そうと思ってたけどここにいるなら、御神楽 久遠トクヨンの狂気なら雪啼を確実に保護することができると思う。それならカグコンの判断に委ねたほうがいい」
「……そうか」
 辰弥の決断に、鏡介が小さく頷く。
「そこまで明確に理由づけて決断できているなら俺はその決断に従おう」
「だが鏡介……」
 事情が分かったとしても日翔としては雪啼を連れて帰りたいと思っているのか。
 日翔が躊躇いがちに口を開く。
「でも、御神楽は雪啼を利用しようとするかもしれないんだぞ。それでいいのかよ」
「日翔、お前はそれで辰弥が死んでもいいというのか」
 努めて冷静に、鏡介が日翔に言う。
 流石の鏡介も日翔がここまで物分かりが悪いと苛立つがこんなところで喧嘩をするわけにはいかない。
 鏡介の言葉に日翔が言葉に詰まる。
「そ、それは……」
「辰弥が雪啼を諦めるというのならその決断を尊重しろ。俺たちが間に入っていい問題じゃない」
 それに対し、日翔が反論しようとするが言葉が浮かばなかったのか悔しそうに頷く。
「……分かった。だが、俺は諦めないからな」
「……勝手にしろ」
 そこで話が一度終わり、三人はさらに移動する。
 移動している間、三人は始終無言だった。
 時々死体が転がり、それを乗り越えるようにバタバタと兵士たちが駆け抜ける「ツリガネソウ」の通路を抜け、脱出艇の格納エリアを探す。
 流石の鏡介も量子コンピュータメインフレームには侵入できず、艦内の見取り図を入手することができない。そのため、現在地も分からず三人は艦内を彷徨うことになった。
 幸いなのは兵士たちが雪啼を追うのに必死で三人に対する注意が非常に薄かったことである。
 本来なら見つかってもおかしくないような状況でも兵士たちは気づくことなく通り過ぎていく。
 よほど切羽詰まった状況なのか、と思いつつ三人が角を曲がる。
 と、そこで、
「ちょっと、貴方たちどうやって抜け出したの!」
 三人は久遠一番遭遇したくない人物と遭遇した。
「げ、」
 日翔が咄嗟に銃を構え、久遠に向ける。
 鏡介もそれに続くが、辰弥は銃を構えることもなく久遠を睨む。
 亡霊の幻影ファントム・ミラージュを撃つ気か、と日翔が考える。
 だが、辰弥は動かなかった。
 その代わり、
「ひとつ聞きたい。雪啼の状況は?」
 そう、久遠に言い放った。
「え?」
 思いもよらなかった言葉に日翔が声を上げる。
 辰弥は「雪啼を諦める」と言っていた。
 それなのに今ここで雪啼の状況を聞くとは、言動が矛盾している。
 辰弥の問いに久遠が首を横に振る。
「あの子、永江博士によれば猫の特性埋め込まれてるそうじゃない。猫みたいに隠れて今はどこ、よ」
「……そう、」
 久遠の言葉に辰弥が小さく頷く。
「俺の力が借りたいんじゃなくて?」
「「辰弥!?!?」」
 辰弥の言葉に日翔と鏡介が声を上げる、
 辰弥の言葉は二人の想定を外れ過ぎている。
 「俺の力を借りたい」、一体どういう意図があるというのだ。
「正直、逃げようと思ったけどこのまま放置していたら『ツリガネソウ』も大変なことになりそうな気がしてね。実際、死体も結構転がってるし雪啼に手を焼いてるんじゃないかって」
「……悔しいけど、図星よ。私が見つけられたらすぐ無力化できると思うけどあの子、警戒心がすごくて私の前には全然姿を見せてくれない。被害は大きくなるばかりだしいい加減捕まえたいところね」
 少々煽るような口調の辰弥に、久遠が素直に現状を説明する。
「交渉の余地はあると思うけど、どう?」
「……ノイン――雪啼を探す手伝いをするから、見逃せと?」
 意図を察した久遠の言葉に辰弥が小さく頷く。
「やっぱり、俺は今まで通りの生活を送りたい。確かに犯罪行為に手を染めなくていい生活は理想かもしれないけどそれはあくまでも『あんたの理想』なんだよ。当事者の幸せを第一に考えているようなことを言いながら、当事者の気持ちを蔑ろにしてる」
「……」
 久遠が沈黙する。
 辰弥の言うことにも一理ある。
 御神楽の理想はあらゆる人類の救済ではある。だが、御神楽も遵法組織である以上そこに「犯罪者を犯罪者のまま受け入れる」道はない。
 そこを突かれると御神楽は弱い……とも言えるのかもしれない。
 久遠がため息を一つ吐く。
「約束はできないわよ。確かに私は極力貴方が幸せになれるよう計らいたいけど流石に『暗殺者としての道がいい』を通せるほど優しくもないの。どうしてそこまで暗殺の道にこだわるの。戦いたいならトクヨンに入ればいいじゃない。暗殺じゃないと嫌なら、暗殺任務に専念してもらうし、三人だけで仕事したいなら、貴方達三人を独立分隊として使ってあげることも出来る」
 久遠としてはそれが最大限の譲歩。
 辰弥たちを今まで通り犯罪者として世に放つことができないからトクヨンで受け入れる。
 確かに規律は存在するがそれでも三人をトクヨン内でも希望する配置に就かせるくらいは問題ない。
 しかし、辰弥は首を横に振ってその提案を拒絶する。
「いや、俺は誰かの指揮下じゃなくて気ままに生きたい。トクヨンに入る道はないね」
 辰弥としてはあくまでも「気ままにその日暮らしができる暗殺者」としてこの先を歩んでいきたい、という気持ちがあった。
 それがトクヨンの指揮下では好きに生きることはできない。
 いや、あの施設で出会ったゼクスたちを考えると案外気楽な生活は送ることができるのかもしれない。それでもかつて自分を造った研究所が御神楽の所属だったことを考えるとそれを潰したのも御神楽であったとはいえ御神楽に戻る気にはなれない。
 その辰弥の思いは想定済みだったのか、だったら、と久遠が反論する。
「ならますます一般人になるべきじゃない。貴方達に逃げられた後に説得のため周辺を調べたけれど、貴方の料理の腕は店を出せるほどって聞いたわよ。それこそ惣菜屋でも開けばいいじゃない。もっと料理の腕を磨きたいならドリッテがパティシエになろうとした時にしたようにどこかの料亭にでも口利きするわよ?」
 「誰だよそれバラしたの」と聞きたいが、今は緊急時、話を長引かせると久遠が「もう良いわ、部屋に戻りなさい」と言い出しかねない。
「……そんなこと、俺にできるわけ」
「いや、できるだろう」
 辰弥の言葉を遮り、鏡介が口を挟む。
「辰弥、お前言ってただろ。『もっと楽しいこと、幸せだと思えることが見つけられたら考えさせて』と。まずは何事も経験してみないとそれは分からない」
「でも……俺は殺ししか知らない。他のことなんて」
「辰弥……」
「それならこうしましょう。貴方たちは一回一般人になる。それでやりたいことを探してみなさい。その上でどうしても普通に生きるのが無理だと言うのなら私たちの監視を逃れてどこへなり好きに行って好きに生きなさい。そうね……最初の一回は見逃して、逃げられてあげるわ。だけどそうするなら、次会ったその時は敵よ」
 なるほど、と辰弥は呟いた。
 悪い話ではない。一度は見逃してくれるのなら、そこで完全に行方をくらまして二度と見つからなければいい。
「分かった。あんたがそこまで不誠実な人間だとは思ってないから」
 辰弥が頷き、日翔と鏡介に銃を下ろすよう指示を出す。
 日翔と鏡介も銃を下ろし、辰弥を見る。
「お前、いいのか」
「元々そのつもりだったよ。ただ逃げたところで永遠に追跡される。まぁ、逃げたら見逃してくれるというなら文句はないよ。すぐに逃げればいいだけだ」
 雪啼が逃げてくれたおかげで交渉の余地ができた、と辰弥が鏡介に説明する。
「うわあ、逃げる気満々」
 こういう時の辰弥は絶対に良くないことを考えている。
「せっかく一般人の道を提示してもらったというのに、無碍にする気か。言われた通り、やりたいことを探してみる気はないのか」
「貴方がそうして二人のブレーキ役になってくれれば、二人が無茶をしなくて助かるわ、永瀬ながせ 正義まさあき君」
「その名を呼ぶな」
 そのやりとりをスルーして辰弥は久遠を見た。
「雪啼は俺を探している。俺を囮にすればいい」
「まあ、そうなるわね」
 久遠も小さく頷く。
「だけど、はっきり言わせて貰えばこの交渉は貴方たち有利とはいえ貴方たちの命は私が握っている。『ツリガネソウ』内では私の指示に従ってもらうわよ」
「というと?」
 それは一応想定済み、と辰弥は久遠の言葉を促す。
 久遠は三人を一瞥し、それから口を開いた。
「この交渉がダミーで、貴方たちが三人揃って逃げ出す可能性は否定できない。だから、貴方たちにも雪啼の追跡はやってもらうけどそれは三人揃ってではなくて護衛付きの分散追跡にする」
「……なるほど」
 久遠の指示に辰弥が頷く。
「いいよ、どうせ雪啼は俺を真っ先に狙うだろうしそこに日翔と鏡介がいたら巻き込むことになる。護衛とやらには悪いけど盾くらいにはさせてもらうよ?」
「あまりトクヨンうちの隊員をいじめないで欲しいんだけど」
 辰弥君、貴方部屋を抜け出す時二人殺したでしょと久遠が指摘する。
「殺らなきゃ殺られるのは戦場ここの常識だと思うけど」
「もう、分かったわよ。とにかく貴方たちそれぞれに護衛はつける。だけど極力死なせないでよ」
「了解。極力努力する」
 辰弥がそう言うと、久遠は通信で兵士を呼び出し、辰弥たちの護衛に就くよう指示を出す。
 一人につき二人の護衛。
 雪啼の追跡には心許ない気もするが何しろこの三人は数環とはいえ彼女と生活した関係がある。
 雪啼とて辰弥はともかく日翔や鏡介を出会い頭に殺すようなことはないはず。
 第一、雪啼が辰弥を探しているのであれば真っ先に遭遇するのは辰弥である可能性が非常に高い。
 それでも警戒は怠らないで、という久遠の指示に全員が頷き、三手に分かれて散開した。

 

 「ツリガネソウ」艦内をノインは一人で移動していた。
 猫としての本能が隠れるのに適した物陰をすぐに察知し、兵士をやり過ごす。
 やり過ごしてから背後から首を刎ねては先へと進む。
「……パパ、どこにいるの」
 永江博士には「逃げろ」と言われた。
 しかし、ノインとしてはこのまま逃げるわけにはいかなかった。
 館内にはエルステパパも収容されている。
 ノインにとっては最大のチャンスでもあった。
 ここでエルステを捕食し、主任の言う「完全」になってから合流して脱出すればいい。
 艦内にいる兵士は強いがそれ以上にノインは強い。
 武器は自在に用意できるし猫の特性ならではの隠密性は身を隠すのに適している。
 艦内の人間を全滅、いや、壊滅に追い込むのも時間の問題だとノインは理解していた。
 いくら多数の兵士が控えていたとしても一人一人殺していけばやがていなくなる。
 そうなればゆっくり主任と合流して脱出すればいい。
 だから、先にエルステを探して――。
 気配は近い。
 これなら、すぐに捕まえられる。
 物陰に身を潜め、ノインは機会を窺った。

 

「雪啼! どこにいるんだ!」
 二人の護衛に挟まれながら日翔が声を張り上げる。
「かくれんぼか? 降参するから出てこいよ!」
 日翔が言うものの、反応はない。
「……どこ行った……」
 あれだけ「あきと、じゃま」と言いつつも日翔にじゃれついていた雪啼だ、いきなり背後から攻撃してくることはないと思いたい。
 辰弥も鏡介も雪啼の処遇は御神楽に任せる方針でいるが、日翔としては連れ帰りたい。
 雪啼が辰弥を殺そうとしているという話も日翔としては信じられないものだった。
 拘束される直前、雪啼が腕を刃に向かってきたのは覚えている。
 しかし、それは本当に辰弥を狙ったものなのか?
 実際は自分たちの後ろに別の兵士が控えていたりしなかったのか?
 それが甘い考えだとは日翔も薄々勘付いている。
 雪啼が辰弥を殺そうとするはずがないと思い込みたいだけなのだということも分かっている。
 それでも、日翔は雪啼を信じたかった。
 一緒に帰ればまた今までのような気楽な生活が送れると思いたかった。
 四人揃った、血に塗れつつも穏やかな日々に。
 だから、日翔はもう一度声を張り上げた。
「雪啼! いるなら出てきてくれ!」
 護衛に付けられた二人の兵士は何も言わない。
 日翔の好きなようにさせればノイン雪啼が出てくるかもしれない、と思っているのかもしれない。
 雪啼が出てきたらこの兵士たちは確実に雪啼を撃つだろう。
 そうさせないように日翔は動きたかった。
「雪啼!」
 日翔がもう一度叫ぶ。
 がたり、と何かが動く。
「雪啼か!?!?
 日翔が物陰に向かって声をかけ、駆け出そうとする。
 それを遮り、二人の兵士が彼を押し退け物陰に向かう。
「やめろ!」
 咄嗟に、日翔は二人へと手を伸ばした。
 二人の装備を掴み、引き止めようとする。
 日翔に引き止められ、二人が動きを止める。
 その直後、二人から血飛沫が舞う。
「――っ!」
 どさり、と床に崩れ落ちる二人。
 その先に、少女がいた。
 血に染まった白い髪、あちこち綻んではいるが見覚えのあるロリータ服。
「雪……啼……」
 かすれた声で日翔が少女の名を呼ぶ。
「……あきと」
 雪啼が日翔の名を呼ぶ。
「あきと、こわかった」
「……ああ、怖かったな」
 息絶えた二人の兵士をかき分け、日翔が雪啼に近づく。
「辰弥も心配してる、帰ろう」
「……パパが?」
 雪啼の言葉に日翔は頷いた。
 実際のところ、辰弥は雪啼を久遠に引き渡すつもりでいる。
 辰弥の言い分も分かる。自分の命を優先するのであれば雪啼を久遠に引き渡した方が安全である。
 その決断に、「自分の命を優先する」方針が混ざったことは辰弥を褒めてやりたい。
 以前の彼なら「それで雪啼が完全になるなら、もう吸血殺人を犯さないなら」と自分の命を差し出す選択をしていたかもしれない。
 だから、日翔にとって「帰ろう」という言葉は嘘だった。
 いや、真実にしたかった。
 両親に「嘘を吐いてはいけない」と言われて育ってきた日翔にとっていくら辰弥を守るためとはいえこの嘘は苦痛だった。
 本当のところは「ここにいたら御神楽に何をされるか分からないから逃げろ」と逃がしたかった。
 しかしそんなことをして世間を恐怖に陥れてはいけない。
 雪啼と一般市民大勢の命どちらを選ぶ、と言われて雪啼を選べるほど日翔は強くなかった。
 ――辰弥の言う通り、雪啼は御神楽に引き渡すしかない。
 もう一度日翔は呼ぶ。「雪啼、帰ろう」と。
 雪啼が一歩、日翔に近寄る。
 大丈夫だ、と日翔は雪啼を安心させるように声をかけた。
 雪啼がもう一歩、日翔に近寄る。
「あきと……」
 おずおずと雪啼が日翔に手を伸ばす。
 その手を掴もうと日翔も手を伸ばす。
 しかし、日翔が雪啼の手を握ることはなかった。
 雪啼の手が素早く動く。
 直後、日翔のみぞおちに強い衝撃が走った。
「――っぐ!」
 強い衝撃に横隔膜の動きが一瞬止まり、呼吸が止まる。
 ぐらり、と日翔の身体が傾ぎ、その場に膝を付く。
 次の瞬間、こめかみにも重い衝撃が走り、平衡感覚が消失する。
 日翔の全身が床に崩れ落ちる。
 急速に失われていく視界の中で、日翔は雪啼が腕をハンマーの形状から元に戻すのを見た。
「雪……啼……?」
「あきと、じゃま。いつもいつもパパを殺すじゃまをして」
 日翔を見下ろしながら雪啼が呟く。
「だけど――エルステを呼ぶのに、使えるかもしれない。あきとは、ひとじち」
 雪啼のその言葉が遠くに聞こえる。
 まずい、と日翔は全身に力を入れようとした。
 しかし人間を失神させるのに有効な急所二か所を攻撃されてなお立ち上がることができるほど日翔も強靭な人間ではなかった。
 ずるずると意識が闇に引きずり込まれる。
 ――辰弥、逃げろ――。
 意識を失う直前、日翔はそう願った。
 ――俺のことは諦めて、お前と鏡介だけでも――。
 そう願ったところで、日翔の意識は途絶えた。

 

《まずいわ、日翔君に付けた護衛からの連絡が途絶えたわ》
 辰弥のGNSに久遠からの連絡が入る。
《連絡が途絶えたポイントの座標を送るわ、すぐに向かって》
 日翔が、と辰弥が声を上げる。
「ちょっと待って雪啼は俺じゃなくて日翔を……!?!?
 想定外の事態に、思考が回らない。
 とりあえず送られた座標の場所へ、と足を向けようとした辰弥に鏡介から連絡が入る。
《行ったところで手遅れだ。借りた権限を使って『ツリガネソウ』内の監視カメラの映像を全て確認した。今そっちに該当座標の映像を送る》
 グループ通話に参加していた鏡介がそう言い、辰弥に監視カメラの映像を転送する。
《え、ちょっと、貴方この短時間で今のシステムより効率の良い監視カメラの管理システムを構築したって言うの?》
 驚いたような久遠の声が辰弥に届く。
《伊達にウィザード級を名乗ってるわけじゃない》
(さすが鏡介)
 どうやら御神楽の使ってるシステムを上回る成果を出したらしい鏡介に辰弥が称賛の言葉を贈る。
 が、すぐに真顔に戻って鏡介から送られてきた監視カメラの映像を見た。
 指定座標には日翔の護衛だった二人の兵士の遺体が転がっているのみでそこに日翔の姿も雪啼の姿もない。
 カメラを【LIVE】から【VIDEO】に切り替え、辰弥は鏡介が設定したタイムスタンプの箇所を呼び出した。
 シークバーが該当箇所に移動し、動画を再生する。
 日翔が雪啼の名前を呼びながら歩いている。
 その途中で日翔が何かを見つけ、護衛の兵士が動く。
 それを日翔が引き止め、そして兵士たちが倒れる。
 物陰から現れる雪啼。声をかける日翔。
 連れて帰ることはできないのに日翔は「帰ろう」と声をかけ、雪啼もそれに同意した――ように見えた次の瞬間、「それ」は起こった。
 雪啼が腕をハンマーにトランスさせ、日翔を攻撃する。
 日翔は雪啼の攻撃を想定していなかったのか二度の攻撃をまともに喰らい、昏倒する。
『だけど――エルステを呼ぶのに、使えるかもしれない。あきとは、ひとじち』
 その声が聞こえてくる。
 そして、雪啼は五歳児とは思えない力で日翔を引きずり始めた。
 そのままカメラからフレームアウトしていく。
「……日、翔……」
 悔しそうに辰弥が唸る。
(まずい、雪啼が日翔を人質に取った)
《『グリム・リーパー』も形無しね。うちの隊員を盾にするんじゃなかったの?》
 呆れたような久遠の声が聞こえてくるがすぐに彼女も真顔になる。
《で、ノインは今どこにいるの?》
《残念だが、もう自動操縦の音速輸送機で逃げた。どうやら、永江博士が事前に仕込んでいたらしいな》
 引き続き、鏡介が艦外映像を転送する。
 そこには「ツリガネソウ」を離れていく音速輸送機の姿が見える。
《どうする、撃墜するのか?》
 鏡介がそう、久遠に訊くがその間にも音速輸送機は光学迷彩を起動し、その姿をかき消してしまう。
 辰弥が日翔のCCTを呼び出す。
 しかし、何度呼び出ししても聴覚に響くのはコール音のみ、応答する気配がない。
 人質と言っているから殺されてはいないだろうが、拘束されていたとしても音声認識で応答することも可能なCCT、応答がないことを考えると意識がないのだろう。
 確かに映像で見たあの攻撃は常人を超える身体能力を持っている辰弥でも耐えられないだろう。
 それほど確実に雪啼は日翔の急所を二箇所も捉えていた。
《……辰弥君、もう遅いけど音速輸送機を撃墜してノインを殺せると思う?》
 唐突に、久遠が辰弥にそう問いかける。
(無理じゃない? いくら生身でも治癒能力とか耐久力が人並みに設定されてるわけじゃない。あんたの言うところの『ナノテルミット弾』で焼くのが確実だよ)
 まあ、短時間で相応のダメージを受ければ死ぬけどさ、と続けた辰弥はもう音速輸送機の姿が見えない映像から視線を外す。
(でも、永江博士はどうしたの)
《それは拘束済みよ。これから尋問する》
 そう、と辰弥は呟いた。
 雪啼は永江博士と分断されている。
 日翔を人質に取ったのは永江博士を引き渡せという交渉のためか。
 そこまでの知恵が五歳児にあるとは思えないが雪啼にも学習装置が使われていれば年齢不相応の知識くらいは簡単に身につけられる。
 しかし今はそれを考えている場合ではない。
 雪啼が日翔を人質に取ったのは事実であるし、トクヨンもある意味永江博士を人質に取っているようなものである。
 交渉が成立すればいいが、と思いつつ辰弥は久遠に提案する。
(その尋問、俺たちも混ざっていい?)
《どういうこと。部外者は――》
(もう部外者では済まないんだよ。こっちは日翔が人質に取られている。雪啼の動向を知りたいし俺も永江 晃の尋問に参加する権利はある)
 辰弥の主張に久遠が黙る。
 辰弥の言うことには一理ある。
 雪啼が辰弥も狙っているのであれば彼に何も知らせずに「交渉に応じろ」とは言えない。
 分かったわ、と久遠が頷いた。
《二人とも今から送る座標の部屋に来て》
 了解、と辰弥が頷く。
「ってことだけど、案内はしてくれるんだよね?」
 辰弥の言葉に二人の兵士がそれは勿論、と頷く。
 辰弥の戦闘能力を考えれば単独行動させればそれこそ戦闘指揮所CICくらい落として逃げかねない。
 彼にそのつもりはなかったがトクヨンにとっての不安要素は少しでも払拭しておくべきだろう。
 こっちだ、と兵士が辰弥を案内する。
 二人について歩きながら辰弥はふと、思いついたことを口にした。
「もし俺があんたたちを殺して逃げるって言ったらどうする?」
「そうなれば流石の隊長もあのハッカーを殺すんじゃないか?」
 隊長にとってはそれぞれがそれぞれの人質のつもりだろうからな、と兵士が答える。
「……ま、それはそうか」
 そう納得したように呟き、辰弥は言葉を続ける。
「今のところはあんたたちを殺す気はないよ。今回の件が落ち着くまでは休戦だと思ってるし」
「そう言ってもらえるとありがたい」
 そんな会話をするうちに三人はちょうど向かいの通路から指定の部屋に移動する鏡介たちと遭遇する。
「辰弥、大変なことになったな」
 開口一番鏡介がそう辰弥に言う。
 辰弥が小さく頷き、鏡介の隣に並ぶ。
「雪啼の狙いは俺か永江 晃だろうしすぐ日翔を殺すことはないと思う」
「それはそうだな。しかし、お前――」
 そこまで言って鏡介が一度口を閉じる。
「雪啼の目的がお前だった場合、お前は要求を呑むのか」
「それは――どうかな」
 雪啼が辰弥を要求した場合、それは即ち辰弥を「完全になる」ための素材として捕食することになる。それが実際に雪啼に造血能力を与えるかそうでないかは別として、雪啼はとにかく行動に移すだろう。
 その要求を辰弥は呑めるのか。
「日翔の命か俺の命か選択しろと言われたら俺はどっちを選ぶと思う?」
「それは、お前――」
 鏡介が言葉に詰まる。
 その選択は、鏡介にとってあまりにもむごいもの。
 辰弥は自分に選択を委ねたのだ、と鏡介は判断した。
 鏡介の判断が、辰弥の最終的な判断になるのだと。
「俺に選べ、と?」
「そんなこと言ってないけど?」
 いや嘘だお前は俺に選ばせるつもりだと鏡介は心の中で呟いた。
 辰弥の中で答えが出ているならこんな質問をするはずがない。
 鏡介が左手の拳を握りしめる。
「……そんな選択を、俺にさせるな」
「着いたぞ」
 鏡介が搾り出すように呟いたタイミングで兵士の一人がそう告げてくる。
 ドアが開き、辰弥と鏡介は久遠と、拘束された晃が待つ部屋へと踏み込んだ。

 

「大変なことをしてくれたわね」
 辰弥と鏡介が席についたのを確認し、久遠が晃にそう声をかける。
「おや、私が何か特別なことをしたかな?」
 両手を部屋に据えつけられた頑丈な机のバーに通した手錠で拘束された晃が不敵な笑いを浮かべる。
「どうしてノインを逃したの。しかもノインは人質を取ってるのよ、何かしら要求してくることも」
「我が愛するノインは自由でなければいけないんだよ。処分などさせてたまるか」
 そのためだったら私が拘束されても構わない、と晃は続けて呟く。
「追跡隊は出したから捕まえるのは時間の問題よ。貴方の行動は無駄だったわけ」
 だから諦めなさい、と久遠が言うがそれに対して、
「ちょっと待った。そんなことをしたら日翔が――」
 辰弥が口を挟んだ。
 雪啼は日翔を人質に取っている。ここで下手に追跡隊を出そうものなら雪啼は日翔を殺しかねない。
 久遠が辰弥の方に向き直る。
「人質のことがあるから今は上空待機させてる。時と場合によっては突入させるわ」
 久遠の言葉に辰弥が拳を握り締める。
 早く日翔を助け出さなければ雪啼が殺してしまう。
「俺を、行かせ――」
「雪啼からは連絡がないのか」
 辰弥の言葉を遮り、鏡介が尋ねる。
 それに対して辰弥が鏡介を睨むが、鏡介は「何も聞いていない」とばかりに久遠に答えを促す。
「今のところ何の声明も連絡もないわ。私としてはノインがエルステ辰弥君か永江博士、またはその両方を指定の場所に連れてくるよう指示してくるとは思ってるけどそれを待ってる余裕もない」
 早くノインを確保しないとまた被害を大きくするし他の企業も手を出してくる、と言う久遠に鏡介は確かに、という同意の、辰弥はそれでも、という拒絶の反応を見せる。
「とにかく、ノインの居場所を見つけるのが先決ね。さっきもぬけの殻の音速輸送機が発見された、という報告は来てるし」
「雪啼……」
 辰弥が低く、呻くように呟く。
 その時、彼の視界に【Calling】のアラートが表示された。
「ちょっと待って! 今――日翔から!?!?
 発信者は日翔。
 意識を取り戻し、雪啼の隙をついて連絡してきたというのか。
「共有かけて」
 久遠の指示に、辰弥が共有モードで回線を開く。
 その場の全員の視界に通話画面が表示される。
 そこに映っていたのは日翔ではなく雪啼だった。
 回線が開いたことで雪啼が嬉しそうに笑う。
「雪啼!」
 真っ先に辰弥が声を上げる。
《パパ、》
 無邪気な笑顔で雪啼が辰弥パパを呼ぶ。
《出てくれて、よかった》
「雪啼、今どこにいるんだ」
 久遠が「CCTのGPSを特定して」と指示を出すのを横目で見ながら辰弥が問う。
《なんかね、大きな工場の跡。いっぱい兵隊さんいた。せつな、おなかいっぱい。パパならすぐ分かるでしょ》
 小さく頷く辰弥。
 雪啼が言葉を続ける。
《パパ一人でここまで来て。あきとと、こうかん》
「……日翔は無事なの」
 「日翔と交換」という言葉に、辰弥は一抹の不安を覚えてそう尋ねた。
 うん、と雪啼が頷く。
《あきと、まだ殺してない。でもパパが来ないなら、殺す》
「永江博士はいいの?」
 雪啼が自分一人を指名したことに疑問を覚え、辰弥が確認する。
 うん、と雪啼は頷いた。
《せつなが今欲しいのはパパだけ。主任は、じゃま》
「……」
 どうする、と辰弥は久遠を見た。
 その久遠はというと通信で何事かを指示している。
 恐らくは日翔のCCTのGPSから雪啼の居場所を特定して追跡部隊を送り込もうとしているのだろう。
「まだ部隊を動かさないで!」
 咄嗟に辰弥は久遠に指示を出した。
 それはできない、と久遠が首を横に振ろうとする。
《……パパ、そこに作り物若造りババアいるの?》
「「つっ……!」」
 辰弥と、共有状態で会話を聞いていた久遠が同時に声を上げる。
「いや流石にそれは言い過ぎ。トクヨンの隊長は確かにいるけど」
《だったら、パパ以外がせつなを追いかけてきたら、あきと、殺す》
「雪啼……」
 辰弥がもう一度久遠を見る。
 久遠が「分かったわ」と小さく頷く。
《じゃあ、待ってる。パパ一人だからね》
「雪啼!」
 辰弥が雪啼を呼び止めようとする。
 しかし雪啼は日翔のCCTを破壊したのか映像はノイズと共に途切れ、【Disconnected】の文字だけが全員の視界に残される。
「……雪啼、」
 辰弥が低く呻く。
「うわぁぁぁぁん、ノイン、俺のこと邪魔だって。エルステの方が欲しいって……。少し遅いイヤイヤ期かなぁ」
 突然、晃が泣き出した。
「うわ、情緒不安定かこいつ」
 思わず鏡介が引く。
「彼が情緒不安定なのは、いつものことよ。今は放っておきなさい」
 呆れ顔の久遠はそう言いながら、話を続ける。
「情緒不安定な彼と作り物若造りババアはさておき、ノインも結構知恵が回るわね」
 おかげでもう一度上空待機よ、と久遠がため息混じりに呟く。
「一応貴方の意思を聞いておくけど、貴方が一言OK出してくれれば追跡部隊を即投入してノインを確保する」
 私としてはトクヨンに任せる方がが賢明だけど、と久遠が辰弥に言う。
「何を――」
「言っておくけど、トクヨンうちは最強の部隊よ。必ず、人質を回収して戻るわ」
 はっきりと、久遠は辰弥に告げる。
「ノインの目的が貴方だとはっきりした。ノインは、貴方を殺すつもりよ」
「……分かってる」
「それならどうして自分の命を捨てる選択を取ろうとしているの。私たちを信じなさい」
 人質を死なせるような愚を犯さない、と久遠が説得する。
「いや、信じられるわけがない。雪啼は、俺以外を見たら即日翔を殺すはず」
「そうだな、それは俺も同意する」
 鏡介が話に割り込む。
「辰弥にとって日翔は保護者だぞ? それを他人に任せろと言われてはいそうですかと頷けると思うか?」
「頷けるとは思ってないわよ。だけど、頷かせるしかないの」
 最大限辰弥の意思は尊重するけど、それで死んだら元も子もないじゃないと久遠が反論する。
「しかしどうして雪啼は辰弥を殺そうと――いや、『完全』になるために捕食するつもりだとかなんかそういう話は聞いているが、理屈が分からない」
 鏡介にとって最大の疑問。
 確定情報ではないのに、何故かこの展開で話は進んでいる。
 これは当事者に聞いたほうが話は早い、と鏡介は晃を見た。
 久遠も晃を見る。
「君たちの言うとおり、ノインは『完全』になろうとしているのだろう」
「うわ、もう戻ってる」
「でも、どうやって」
 晃の立ち直りの早さに相変わらずドン引きしている鏡介には構わず、久遠が尋ねる。
 辰弥が推測している通り、捕食することで完全になれるのは事実なのか。
 ああ、と晃は頷いた。
 それから、辰弥を見る。
「エルステ、君は自分の能力は全て把握しているか?」
「……一応」
 辰弥が小さく頷く。
「その名前では呼ばれたくないけど……まぁ質問に答えるなら、俺は俺に開示されていない能力でない限り全て把握している」
「なら、自分が『生物の特性をコピーできる』ことは把握しているか?」
「な――」「え?」
 晃の言葉に、鏡介と久遠が同時に声を上げる。
「『生物の特性をコピー』、だと……?」
 確かにそんな話をした記憶がある。
 あの時の辰弥は「雪啼にその能力が再現されてるかどうかは知らない」と答えた。
 つまり、辰弥は――。
 辰弥が小さく頷く。
「俺は一定量経口摂取した生物の血液からその生物の遺伝子情報を分析し、その特性をコピーすることができる。でもその能力はツヴァイテ以降には継承されなかったはずだ」
 辰弥の言葉に鏡介が息を呑む。
 辰弥が血液の経口摂取を拒む理由はこれか、と一瞬考える。
 それに気づいたか辰弥が鏡介を見る。
「まぁ、個人的にはそういう能力関係なしで血は飲みたくないんだけどね。そこは少しでも人間らしくありたかった」
「君にそんな感情があったとはね」
 クク、と晃が低く嗤う。
「なんだ、第一世代のLEBはみな人間味のない奴ばかりかと思っていたが、ニンゲンの真似事を出来る奴もいるんだな」
「貴様ァ!」
 鏡介ががたん、と椅子を蹴り晃に詰め寄る。
「辰弥は『人間』だ!」
「いや、エルステは人間ではない。LEBだ」
 鏡介の言葉を晃が否定する。
「本質を否定しては、そのものを見ているとは言えない。君はエルステを人間だということで別種の生命だという意識から目を逸らそうとしているだけだ」
「黙れ!」
 鏡介が義体右手の拳を振り上げる。
 その腕を、久遠が掴んで制止した。
「離せ!」
「今はそんなことを話してる暇はないの」
 強い口調で鏡介に言い、それから久遠は晃を見た。
「どうしてエルステ――辰弥君にそんなこと確認したの。まさか――」
 質問した途中で久遠も気づいたのだろう、言葉を途中で切って晃を睨む。
「ノインにも同じ能力を!?!?
 ああ、と晃は頷いた。
「完全には再現できていないが、ノインにもコピー能力はある。ただし、エルステと違い対象を捕食する必要がある」
「……やはりね」
 静かに、辰弥は呟いた。
「俺の予想通り、雪啼は俺を捕食することで第一世代にある造血能力を得ようとしてるってことか」
「……」
 想像以上に落ち着いている辰弥に、鏡介が口を開きかけて黙る。
「それなら確かに永江 晃と逃げるより俺を要求した方が効率はいいし俺にとって日翔は弱点だ、日翔を人質に取られれば俺は要求を呑まざるを得ない」
「辰弥、」
 まさか、と鏡介が声を上げる。
「辰弥、お前――」
「俺を行かせて。俺なら、雪啼を止められる」
 はっきりと、辰弥はそう言った。
 沈黙があたりを満たす。
 だがそれも晃の笑い声でかき消される。
「素晴らしい! まさか原初のLEBがここまで人間らしいとは。元からそうだったのか、あるいは四年の時間が彼を人間として成長させたのか……。実に興味深い」
「黙れ!」
 晃の言葉に鏡介が怒鳴りつける。
「なんとでも言えばいいよ。少なくとも俺が人間じゃないのは事実だしそれが人間の真似事をするのがおかしいなら笑えばいいよ。だけど、俺は――日翔を助ける」
「さっきも言ったでしょ、私たちが助けると」
 やめなさい、と久遠が辰弥を止める。
 しかし辰弥はそれでも折れようとしない。
 鋭い視線で久遠を見据え、口を開く。
「俺は日翔を助けたい。あんたたちなんて信用できるわけがない」
「でもだからと言って貴方が命を捨てること――」
「ギリギリまでは抵抗するよ? もし雪啼を止められる道があるとすればそれにも俺が必要だ」
 辰弥の言葉に久遠が黙る。
 しかし、ほんのわずかの沈黙の後、久遠は口を開いた。
「じゃあ、あの子が望んでいたように、ちょっと悪役っぽく振る舞いましょうか。GPS座標にナノテルミット弾を打ち込む手配をして。工場ごと焼き払う」
「おい!」
 久遠の言葉に、鏡介が彼女を睨みつけた。
「辰弥の意思は無視するのか!」
「何とでも言えばいいわ。あの子は筋萎縮性側索硬化症ALSよ? カグラ・メディスンでもまだ義体置換治療しか手法を見出せていないにも関わらず、あの子はそれを拒否しているんでしょう? なら、私は先が短い子より辰弥君を優先する」
 きっぱりとそう言い、久遠が辰弥を見る。
「二人は諦めなさい。そして、二人の分貴方が生きればいい」
「それ、は――」
 一瞬、辰弥がたじろぐ。
 だがそれも一瞬で、辰弥は床を蹴った。
 一瞬で久遠に距離を詰め、右手を振り上げる。
 その腕を難なく掴み、久遠は首を振った。
 辰弥の手から生成されたばかりのナイフが離れ、床に落ちる。
「その状態で落ち着いて二人を救えるの? 無理でしょ。だから、私達を信じて。そうでないならあの子を諦めて生き残るか、三人とも総倒れになるかしかないのよ?」
「少なくとも日翔は死なせない! そのためだったら俺の命なんて!」
「こういう時の犯人の常套手段分かってるの? 解放する振りだけして殺すのよ?」
 こうなった時点であの子は助からないの、と久遠が説得する。
「嫌だ! 俺は、日翔を助ける!」
 まるでわがままを言う駄々っ子のように辰弥が叫ぶ。
「日翔はここで死んでいい人間じゃないんだ!」
「――そうだな」
 久遠の手を振りほどこうとする辰弥に同意するように鏡介が不意に口を開いた。
「日翔は辰弥だけじゃない、俺にとっても大切な相棒だ。いや、『グリム・リーパー』は誰が欠けてもその機能を失う。つまり、今日翔を失うわけにはいかない」
「でも辰弥を行かせればノインは、きっと――」
 鏡介の言葉に久遠と辰弥が同時に彼を見る。
「鏡介――」
「それに辰弥、お前も初手で諦めるつもりじゃないだろう。ギリギリまで抵抗して雪啼を止める道を探す、そこに勝ち筋が一筋でも見えるのならたとえ分の悪い賭けでも俺はベットするぞ」
 一息にそう言い、鏡介は久遠に向かって何かを弾く。
 弾かれた何かを久遠が空いている方の手で掴む。
「だけど、その賭けに負けた場合あなたは全てを失うわよ」
「そのリスクを冒さずして考えられうる最高のハッピーエンドには到達し得ないんだよ」
 そう言ってから、鏡介はすっ、と久遠を見据えた。
「そもそもこの事態は雪啼とこいつの監督不行き届きに起因する問題だろう」
「っ、それは――」
 鏡介の発言は久遠にとって痛いところだった。
 久遠はノインでさえも、まだ救済の対象と捉えていたし、晃も久遠どころか御神楽全体にとって今後、再生医療や生体義体という医療の大きな進歩を目指すために必要な人材だった。生体義体が実現すれば、それこそ日翔のような反ホワイトブラッドの思想に染まった義体治療でしか治せない難病の人間も治せる可能性があるからだ。
 それゆえ、今の時点で強く自由を阻害するような拘束は出来なかった。
 だが、それを監督不行き届きと言われれば全く否定できない。
「それに、辰弥の幸せを最大限考慮すると言っておきながら戦いに赴きたいという辰弥の意志を拒絶するというのは矛盾する。辰弥にとって日翔はかけがえのない『仲間』だ。ただのビジネスパートナーなんかじゃない」
「……」
 久遠が沈黙する。
 その沈黙を破るように晃が再び嗤う。
「『仲間』、実に興味深い。LEBを人間の仲間達に囲ませて育てさせれば、LEBはより人間らしくなるのか? あぁ、今すぐにでも10ゼン11エルフを作って対照実験したいくらいだ! あぁ、だが実験結果が出る頃にはノインは成長し切ってしまい、実験結果を反映できないな、ぐぬぬ、どうすれば……」
「いや、もう既存のLEBをメンテナンスする以上のLEBの研究なんてさせないわよ」
 そんなことをぶつぶつと言う晃にぴしゃりと言い放ってから、久遠は鏡介を見た。
「あなた達の気持ちは分かった。でも、だからと言って、辰弥君を危険に晒すのは受け入れられない」
 久遠は鏡介に対し、真剣な目でそう返事をする。けれど、その答えは決して色良い返事ではなかった。
「なら期限を切るのはどうだ? 辰弥に任せて一定時間待つ。それでダメなら、あんたらが介入すればいい」
「ダメよ。辰弥君とノインの戦闘にうちに部下を巻き込めば、より日翔君が危険に晒される可能性が高い」
 鏡介が提案する。先ほどの指摘も啖呵もこの提案のためのものだ。だが、それも久遠は首を横に振る。
「だったら、部隊は突入させず、本当にナノテルミット弾で三人まとめて焼き払えばいい」
「なっ……」
 鏡介が提案を重ねる。
「本当に、一人で行かせるの? もし辰弥君が失敗すれば、あなた一人が遺されるのよ?」
 小さく頷く鏡介。
 それを見て、久遠は辰弥から手を離した。
 それからもう片方の手で受け取った何かを見る。
 それは一枚のゲームコインだった。
 何の変哲もない、メダルゲームで遊ぶためだけのゲームコイン。
 鏡介は本当にベットしたのだ。ほんの一筋、勝ち筋を見出して。
 はぁ、と久遠はため息を吐いた。
 辰弥の手を取り直し、その手に鏡介が弾いたコインを握らせる。
「一時間」
「え?」
 久遠の言葉に、辰弥が不思議そうに声を上げる。
「一時間だけ猶予をあげるわ。その間にノインと決着をつけて帰ってきなさい。あなたが指定の廃工場に突入した瞬間からきっかり一時間後、トクヨンは廃工場にナノテルミット弾を撃ち込む。それまでに脱出できなければ貴方も灼くわ」
「……」
 辰弥が久遠を見上げる。
「……いいの?」
「よくないわよ。正義――鏡介君一人遺すことになるかもしれない作戦に私が行かせたいと思うわけないでしょ。だけど、ほんの一筋でも勝ち筋が見えて、それに賭けると言うのならその希望を無碍にするわけにはいかない。だから一時間だけよ。一時間で、全てを終わらせなさい」
 本当に不本意なのだろう、久遠は難しい顔をしている。
「眉間に皺寄せてたら老けて見えるよ」
「今すぐナノテルミット弾撃ち込みましょうか?」
 辰弥の言葉にますます難しい顔で久遠が答える。
 だが、辰弥はすぐに顔を綻ばせる。
「ありがとう」
「……」
 久遠が一瞬あっけにとられる。
 が、すぐに真顔に戻る。
「私は貴方を諦めたわけじゃない。貴方が幸せになるためだったら日翔君を諦めてもいいと思っていたけど日翔君がいてこその貴方の人生で、自分の手で掴みたいというのなら確実に掴みなさい」
 久遠に言われ、辰弥は頷いた。
「俺だって最後まで諦める気はないよ」
「だけど、どうしても無理だったらノインを殺しなさい」
 再び、辰弥が頷く。
「一応、向こうに和解の意思がなければそのつもりでいる。ただ、雪啼の抵抗は想定できるから少し小細工をしたい」
「小細工?」
 勝ちに行く気だ、と久遠は思った。
 「自分の命などどうでもいい」と思うところはあったとしても、勝ち筋が見えるのならより確実にそれが掴めるように準備を怠らない。
 うん、と辰弥が頷く。
「……最後の依頼だ。依頼者は俺、暗殺対象は……ノイン
「辰弥……」
 雪啼をノインと呼んだことで、鏡介が思わず辰弥を呼ぶ。
 久遠に渡されたコインに目を落とし、辰弥はそれを鏡介に向けて弾いた。
 鏡介が受け取り、小さく頷く。
「依頼の成功条件は日翔の奪還、雪啼の確保、それが不可能ならノインの殺害。そして――必ず生還しろ」
 鏡介が即座に暗殺プランを辰弥に転送する。
「分かってる」
 辰弥も頷き、久遠を見る。
「現場に向かうまでに俺が指定する武器の設計図を見せてほしい。多分、ノインには有効だと思う」
 ただ、それを持ち込めばバレるから戦闘になった際に生成する、と辰弥が久遠に告げる。
「あとは――ツヴァイテが使っていた輸血装置を貸して。流石に俺一人の血じゃ足りない」
「……分かったわ」
 久遠が頷き、手配を始める。
「それじゃ、行こうか」
 どうせ設計図はデータでしょ、だったら移動中に見ると言った辰弥が部屋の出口に向かって歩き出す。
 鏡介もそれに追従する。
 その途中で辰弥は一度立ち止まり、振り返った。
 机に拘束されている晃を一瞥する。
「……あんたの最高傑作とやら、壊させてもらう」
 そう、宣言する。
「え、LEB同士仲良くしてやってくれよ。ノインも家族が多い方が喜ぶ」
 晃がきょとんとした顔で辰弥に返事をする。
 あまりの言葉に絶句した辰弥はそれを無視して、再び踵を返した。
「じゃあ、永江博士は丁重に監禁しておいて」
 久遠も見張りの兵士にそう言い、辰弥の後を追う。
「私たちも現場の近くまでは行くわ。帰りの足は必要でしょう」
 カタパルトに向かいながら久遠が言う。
「ちょちょちょ、まじでノインを殺す気か! 説得なら私がするから、私を連れて行きなさい!!」
「あと――念のため、廃工場は包囲するわ。勿論、ノインを刺激しない程度に距離は置くし貴方の悪いようにはしない」
 背後から聞こえる晃の声は完全に無視した久遠が辰弥に話しかける。
「うわぁぁぁぁぉぁん、ノインー、生きてくれー」
「まあそれくらいはいいよ。成功した場合でも俺の逃亡はいったん阻止しておきたいだろうし」
 同じく晃を完全に無視した辰弥が久遠の言葉に頷きつつ、一同は音速輸送機に乗り込む。
 音速輸送機にはあのトクヨンのナンバーツー、ウォーラスも既に乗り込んでおり、久遠にケースを手渡す。
 ケースを受け取った久遠がそれを辰弥に渡した。
「LEB専用継続輸血装置よ。輸血速度は可変、交換はここのボタンを押せば空のパックが排出されるからここからセットして。予備の輸血パックは三パック、最大速度で輸血した場合三十分で全部なくなるわよ」
「携帯用の急速輸血装置よりは遅いんだ」
 辰弥の言葉に久遠がそうね、と頷く。
「使用者の負担を減らすためと動きながら安全に輸血するための限界よ。ああそう、装置には発信機が付いてるから借りパクして逃げてもすぐ追いかけるわよ」
 音速輸送機が「ツリガネソウ」から発艦する。
 久遠が空中に指を走らせ、辰弥に向けてスワイプすると彼の視界に一つの設計図が転送された。
「コマンドギア用の戦術高エネルギーレーザー砲MTHELの設計図が欲しいって……こんなもの作れたとしてもジェネレータはどうするの」
「勿論、作るよ?」
 設計図に目を通しながら辰弥が平然と言う。
「いやでもこんな大掛かりなもの作るにはあなた一人と渡した輸血パックだけじゃどうしても足りない。当てはあるの?」
 いや、何かしらの当てがあるから辰弥はこの設計図を要求した。
 当てもなく無意味なことをするような存在ではない、そう、久遠は感じていた。
 一応、と辰弥が返事をする。
「そう、まだ信用してもらえてないみたいだし、深くは聞かないわ」
 そんなやり取りをする辰弥たちを乗せた音速輸送機が指定された廃工場へと向かう。
 やがて音速輸送機は現場上空に到着し、廃工場から少し離れた駐車場の跡地に辰弥たちが降り立つ。
「辰弥、」
 さっさと廃工場に向かって歩き出そうとした辰弥を鏡介が止めた。
「何、」
 辰弥が振り返り、鏡介を見る。
 鏡介が無言で空中を操作し、辰弥の視界に鏡介からの視界共有申請が表示される。
「……今更、意味ある?」
 まさかの拒絶の言葉。
 「ここからは俺一人だ」と、辰弥は首を横に振り、それから空中を操作して視界共有申請を却下する。
「多分、鏡介には見せられない戦いになるから」
「辰弥……」
「あ、ハッキングで強引に視界共有もしないでね。そんなことしたら、許さない」
 まるで決別するかのような言葉。
 帰ってくるつもりではあったが、それでもここから先は見せられない。
「じゃ、行ってくるから」
 改めて辰弥が歩き出そうとする。
 その彼を、今度は久遠が呼び止めた。
「待ちなさい」
「今度は何」
 辰弥が久遠を見る。
 久遠が辰弥に歩み寄り、彼に何かを差し出した。
「これは……CCT?」
「日翔君のCCTは破壊されたみたいだし、予備よ。貴方だけに連絡しても日翔君に伝わらなきゃ彼も脱出できないでしょ」
 それはそうだ、と辰弥は久遠からCCTを受け取った。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
 鏡介が辰弥に声をかける。
 うん、と辰弥は頷いて歩き出した。
 その小さな背が廃工場に向かってさらに小さくなっていく。
「辰弥……」
 辰弥の背を見送り、鏡介が呟く。
「……必ず、帰ってこい」
 その言葉が届いたかどうかは分からない。
 しかし、廃工場に入る直前、辰弥は片手を挙げた。
 軽くひらひらと手を振り、廃工場に入っていく。
「……それじゃ、今から一時間よ」
 その場にいた全員と、辰弥の視界に一時間のカウントダウンが表示された。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第13章 「じんけん☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第13章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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