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Vanishing Point 第8章

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 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 その後に受けた依頼で辰弥が電脳狂人フェアリュクター後れを取り、直前に潜入先の企業を買収したカグラ・コントラクター特殊第四部隊の介入を利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 まずいところに喧嘩を売ったと思うもののそれでも依頼を断ることもできず、三人は「サイバボーン・テクノロジー」からの要人護衛の依頼を受けることになる。
 しかし、その要人とは鏡介きょうすけが幼いころに姿を消した彼の母親、真奈美まなみ
 私情を混ぜることなく依頼に当たった三人だが、最終日に襲撃に遭い、シェルターにしていたセキュリティホテルを離脱することになる。
 武器持ち込み禁止のホテルで武器を取り出し、日翔にも手渡す辰弥。疑問に思う間もなく離脱を図る面々だったが、真奈美を庇い鏡介が撃たれてしまう。
 だが、その時に鏡介から流れた血は義体特有の人工循環液ホワイトブラッドであり、日翔は彼が体の一部を義体化していることを知る。
 それでも逃げ切り、闇義体メカニックサイ・ドックで鏡介の治療を終え、真奈美は自身の過去と狙われた心当たりを語る。
 同時に明らかになる鏡介の過去。スラムで壮絶な幼少期を送りつつも生き延びた彼は真奈美ではなく、「グリム・リーパー」を自分の居場所として選択する。
 帰宅してから今回の依頼についての反省会を行う三人。
 辰弥が武器を持ち込んだことについて言及されたタイミングで、御神楽 久遠くおんが部屋に踏み込んでくる。
 「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」、その言葉と共に。

 

 
 

 

第8章 「Turning Point -折り返し地点-」

 

「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」
 そう言いながら入ってきた女は御神楽みかぐら財閥所有するPMC「カグラ・コントラクター」の特殊第四部隊トクヨン隊長、御神楽 久遠くおん
 誰だ、と言いつつも立ち上がり非常事態に備えて常に銃を携帯していた日翔がそれを抜いたのに対し、辰弥は丸腰だった。
 ただ身構えるだけで久遠を睨みつけ、辰弥は、
「……何が、言いたい」
 そう、絞り出すように呟いた。
 どうしてここに来た、いや、何故ここが分かったという響きが含まれているが相手は世界最大手のPMC、情報部の情報収集能力は侮れなかったということだろう。
 久遠が辰弥の質問に答えることなく言葉を続ける。
「そうでしょノイン、探すのに苦労したわよ。何しろ貴方の開発データは全て削除されていて、『ワタナベ』が――いや、永江ながえ博士が探していると知るまでLEBの最終開発ナンバーはアハトだと思っていた。まさかノインが存在して、永江博士が逃がしたとは思っていなかったわよ」
「……どう、いうこと」
 違う、と辰弥は呟いた。
 俺は「ノイン」じゃない、その否定が言葉に含まれているのは明らかである。
 どういうことだ、と辰弥は事態を理解していなかった。
 久遠は自分を「ノイン」と呼ぶ。だが、そんなはずはない。
 「ノイン」という開発コードは知らない。
 あら、と久遠が面白そうに笑う。
「それとも、お仲間の前では『人間だ』と主張するつもり? ノイン?」
「……違う、俺は、『ノイン』じゃ、ない……」
 相変わらずかすれた声で辰弥が否定する。
 だが、辰弥のその言葉に鏡介が鋭い質問を投げかけた。
「『ノイン』じゃない――『LEB』であることは否定しないのか」
「な――」
 鏡介の言葉に日翔が絶句する。
 確かに、辰弥は「ノイン」であることだけを否定した。
 それはつまり、「LEB」であることは否定しない――「LEB」であることを認めるというのか。
「鏡介! お前、辰弥を――」
 鏡介を詰るかのように日翔が声を上げる。
 鏡介自身も「何故」と言わんばかりの顔で辰弥に問いかける。
「ならどうして『LEBではない』と否定しない? 辰弥、お前は……何者なんだ」
 鏡介の疑いの目が辰弥に投げかけられる。
 辰弥は本当に「LEB」と呼ばれるものなのか。
 正直なところ、日翔も鏡介も「LEB」が何であるのかは分からない。
 ただ、久遠の言葉からたった一つだけ推測できることがある。
 それは、ごく普通の人間ではないということ。
 それこそ、「ワタナベ」が開発していたような生物兵器バイオウェポン――。
 いくらなんでも話が飛躍しすぎる、と鏡介は思ったものの、それでも納得できてしまう。
 辰弥の戦闘能力、収支の合わない弾丸管理、そういったことが「人間ではないから」で片づけることができてしまう。
 収支の合わない弾丸管理については説明が難しいが、「人間ではない」なら作り出すことくらいできるのかもしれない。勿論、原理は知る由もない。
 辰弥の唇が震える。
 だが、その口から言葉が紡ぎ出されることはない。
「辰弥……」
 本当なのか、と久遠に向けた銃を下ろして辰弥に視線を投げ、日翔が呟く。
 その言葉は「嘘だと言ってくれ」という響きが含まれている。
 日翔の目は「嘘だよな」と訴えかけている。
 それでも、辰弥は何も言わない。何も言うことができない。
 違う、と否定したかった。しかし、否定することはできない。
 そうだ、と肯定もできなかった。肯定すれば全てが終わる。
 肯定も、否定もできず、辰弥はただ茫然と立ちすくむのみ。
「辰弥!」
 何か言えよと日翔の口調が強くなる。
 それから、日翔は久遠に向き直った。
「根拠はあるのかよ! 辰弥がその、『LEB』とかいう奴って!」
「あるわよ」
 日翔の精いっぱいの抵抗も、久遠はあっさりと打ち砕く。
「あの時保護した『サイバボーン・テクノロジー』の木更津きさらづ 真奈美まなみのGNSログで確認したわよ。何もないところから武器を作り出した瞬間はバッチリ記録されていてね。それに、LEBはね、特徴的な眼をしているの。血のように紅い瞳、爬虫類のような瞳孔。貴方たち、目を見て話したりしないの?」
 久遠の言葉に、日翔と鏡介が思わず辰弥の、彼の眼を見る。
 この時ほど辰弥は「俺を見るな」と思ったことはなかっただろう。
 辰弥が思わず目を伏せ、二人から顔をそむける。
 俺を見るな、この眼を見るなと、二人が「そんなはずはない」という願望で向けた眼差しを拒絶する。
 二人は確かに辰弥の瞳が普通の人間によくある色彩をしていないことは知っていた。
 しかし、瞳孔の形までは意識していなかった。
 そのため、思わず視線を投げてしまったが辰弥は目を伏せ見られないようにしている。
 それが肯定だと誰もが認めてしまう。
「辰弥、お前……」
 本当に、人間じゃないのか、と日翔が呟く。
 だが、それでもすぐに久遠に向けて銃を構え直す。
「だったら何なんだよ! そんなこと言うためにここへ来たのか?」
「そんなくだらないことじゃないわ。私はノインを回収に来ただけ」
 久遠の言葉に鏡介が「回収?」と声を上げる。
 その瞬間、日翔が吠えた。
「んなことさせるか! 御神楽に辰弥を渡してたまるか!」
 同時に、日翔は久遠に向けて発砲。
 確実に眉間を狙ったその一撃は久遠がわずかに首を傾けることで回避されてしまう。
「あら、る気?」
 久遠の口元がわずかに吊り上がる。
「アライアンスの狗程度に私の力見せる必要もないと思うけど――」
 そう言って久遠は床を蹴った。
 日翔もその動きに合わせ数発発砲する。
 しかし久遠はそれを意に介することなく日翔に肉薄し、軽い動きで彼を床に叩き付けた。
「がはっ!」
 床に叩き付けられた日翔がうめき声を上げる。
「反応速度も判断力も大したものじゃない、カグラ・コントラクターうちにスカウトしたいくらいよ」
 でもおあいにく様、私の義体ボディは防弾仕様だからその程度の弾は痛くも痒くもないの、と久遠が不敵に笑う。
「クソッ!」
 その声に久遠が鏡介に視線を投げる。
 鏡介は空中に指を走らせていた。
 相手がGNS制御の義体を使っているのならその制御OS「フェアリィ」を乗っ取ればいい。
 しかし、あまりにも多くのことがありすぎて鏡介はいつもの冷静さを欠いていた。
 久遠のGNSはカグラ・コントラクターの、いや、特殊第四部隊トクヨン有する旗艦「ツリガネソウ」の中央演算システムメインフレームをメインサーバにローカルネットワークで接続されている。つまり、久遠のGNSはグローバルネットワークに接続されていない。
 それは以前鏡介自身がハッキングを試みようとしてできないと理解していたことだった。
 それなのに、鏡介はその事実を忘れてハッキングを行おうとしていた。
 久遠のGNSにハッキングできるわけがない、それでも、今ここで彼女を止めなければ辰弥が危ない。
 鏡介がハッキングを試みていることに気づいた久遠が再び床を蹴り、一瞬で彼も床に沈める。
「正直、貴方の方が脅威度は高いのだけどここまでもやしなら私の敵じゃないわね。戦闘用の出力を出すまでもない」
 鏡介を床に押し付けた久遠が少しだけ安心したように言う。
「もやしと、言うな……!」
 床に押し付けられながらも鏡介が必死に抵抗しながら声を上げる。
 しかし、それよりも久遠の戦闘能力が高すぎる。
 日翔を床に叩きつけたあの攻撃も、鏡介を床に沈めた一撃も、全く本気ではない。いや、彼女からすればただ軽く撫でただけなのかもしれない。
 それでも流石の久遠もハッキングを続けられては不都合だと思ったのか鏡介の両手を拘束用の結束バンドで後ろ手に拘束し、それから改めて辰弥を見る。
「で、どうする? 抵抗しないならこっちも手荒なことはしないけど」
 呆然と立ちすくむ辰弥の前で久遠がそう宣告する。
 だが、辰弥はそれで大人しく投降することはなかった。
 辰弥が久遠に向けて薙ぎ払うように手を振る。
 その手から、何もないところから投擲用ナイフスローイングナイフが現れ、久遠に向けて飛翔する。
 それもあっさりと打ち払い、久遠はちら、と左右に転がる日翔と鏡介を交互に見た。
「な――」
 丸腰のはずの辰弥からスローイングナイフが投擲されたことに驚いた日翔が声を上げる。
 その様子に、久遠がふん、と鼻先で笑った。
「見たでしょう、これが『LEB』の能力よ。自分の血から、武器を生み出す」
 日翔も鏡介も確かに見た。
 あれは服に隠していたものを取り出したとかそういうものではない。
 明らかに手のひらからスローイングナイフが出現していた。
 ――じゃあ、辰弥はこうやって――。
 日翔が低く呻く。
 あの鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュも辰弥が無数のピアノ線を作り出して投擲していたのかと。
 それから、心当たりに気づく。
 鮮血の幻影を使用した直後の辰弥は調子が悪くなる。ひどければ倒れる。
 それ以外にも、何度か貧血に似た症状を起こしていた。
 それは全て自分の血から武器を作り出し、使用していたことによる貧血。
 体内の血液量には上限がある。必要以上に血を使えば当然、貧血くらい起こす。
 ここまで根拠が導き出されてしまえば、認めざるを得ない。
 辰弥は人間ではない。LEBという、自らの血で武器を作り出して戦う生物兵器なのだということを。
「認めなさい、ノイン。貴方は人間じゃない。かつて御神楽うちが開発したLocal Eraser BioweponLEB。研究自体は潰したと思ってたけど永江博士がその研究を復活させた。貴方は再開された研究によって作り出された個体」
「違う、俺は――」
 もう言い逃れはできない。辰弥もそれは理解していた。
 ここまで暴かれて、否定の根拠も出せない以上認めるしかない。
 それでも違う、俺は「ノイン」なんかじゃない、そう言いたくて、それでも「LEBではない」と否定できなくて、辰弥は久遠を見た。
 それから、日翔と鏡介を見る。
 両手を拘束された鏡介は頭を上げて、ただ床に転がされただけの日翔は体を起こして、辰弥を見ている。
 その二人が「逃げろ」と言っているような錯覚を辰弥は覚えた。
 カグラ・コントラクターカグコンの手にだけは落ちるな、というメッセージを受け取ったような気がして、辰弥は身を翻した。
「待ちなさい!」
 辰弥が逃げる気だ、とすぐに気づいた久遠が彼に手を突き出す。
 その手のひらから圧縮空気を超高速で撃ち出した衝撃波が放たれる。
 振り返ることなく辰弥はそれを回避し、そして手を振って鉄球を作り出し窓に叩き付けた。
 鉄球によりサッシが粉砕され、砕けた窓から辰弥が外に躍り出る。
「ちょっと! ここ、五階――!」
 いくら辰弥がLEBであったとしても生身の存在が高所から飛び降りて無傷で済むはずがない。それに地上には特殊第四部隊の構成員が控えている。
 飛び降りたところですぐに捕まるだけ、と思った久遠だが、辰弥は手からさらにピアノ線を伸ばして地面に降りることなく道路向かいのマンションの壁に張り付き、すぐ近くにあった非常階段を使って屋上に上がる。
 それを呆気にとられて見送った久遠だが、すぐに真顔に戻り彼女も窓に突進した。
 窓枠を蹴り、空中に躍り出る。
「だからここ五階だろ!?!?
 立ち上がった日翔が窓に駆け寄る。
 久遠は義体の出力に物を言わせ、さらに脚部に隠されていたブースターも利用して向かいのマンションに飛び移っていた。
 そのまま辰弥とは違い、義体の出力だけで跳躍し、階段を駆け上がることなく屋上に出る。
「……御神楽 久遠トクヨンの狂気って、バケモノかよ……」
 ていうか、ここ賃貸なのに……と呟く日翔の背後から複数の足音が響き、突入してきた特殊第四部隊の戦闘員が日翔と鏡介を取り囲む。
 拘束することもなく、ただ銃を構えて取り囲むだけの彼らに「邪魔するなら容赦しない気だ」と判断、日翔が鏡介に頷いて見せる。
「辰弥……」
 逃げてくれ、日翔も鏡介もそう願った。
 たとえ辰弥がLEBノインであったとしても。
 こんな形で真相は知りたくなかったが、それでも辰弥は仲間だと二人は思った。
 だから逃げてくれ、と。
 逃げ延びさえできれば後は何とかなるだろうと。
「……逃げろよ」
 そう呟き、日翔は拳を固く握りしめた。

 

 建物の屋上を飛び越え、辰弥が街を駆け抜ける。
 それに追従するかのように、いや、じりじりと距離を縮めながら久遠が追ってきている。
 追いつかれるのは時間の問題、それならと辰弥は覚悟を決めた。
 次のビルに飛び移ろうとしていた脚の力の流れを変え、飛び降りる。
 手を上に伸ばし、意識を集中させる。
 手のひらに血液が集中し、指先へと伝い、指先からピアノ線が射出される。
 放たれたピアノ線は近くの配管に絡みつき、落下する辰弥の体にブレーキをかける。
 着地直前でピアノ線を切り離し、辰弥はビルに囲まれた、建設中の工事現場のような空き地に踏み込んだ。
 それに続いて飛び降りた久遠も脚部のブースターで落下の勢いを殺し、着地する。
「あら、観念した? それとも――」
 久遠の言葉に辰弥は無言で足元に転がっていた鉄パイプを踏むことで跳ね上げ、拾い上げた。
 それに自らの血で作り出したナイフをピアノ線で括り付けて即席の槍を作る。
 これくらいの武器なら一から生産できないこともない。
 しかし血液を消費する以上使えるものがあるなら使った方がいい。
 そう、やる気、と久遠も腕を振り腕部に仕込まれた武器庫ウェポンベイからナイフを抜いて握りしめる。
 辰弥が地面を蹴り、巧みな槍捌きで鉄パイプを突き出す。
 扱い慣れたその動きに、やるわね、と思いつつも久遠は回避、そのまま辰弥との距離を詰めようとする。
 単純な得物の間合いでは辰弥の方が有利。しかしその分久遠が肉薄すれば長物を手にした辰弥が不利になる。
 それを理解していたから辰弥はすぐに後ろに跳んで間合いを開ける。
 こっちの間合いには入ってくれないのね、と久遠が判断する。
 いくらLEBが武器を作り出して戦えると言っても所詮は生身、全身義体の自分の敵ではない。生身ならどのタイミングで何が出るか分からず脅威となるが久遠ほどの高出力の軍用義体、かつハイエンドモデルのGNSによる状況分析なら反応に遅れることもない。
 初めから辰弥に勝ち目など存在しない。ただ、抵抗される以上制圧する必要はある。
 辰弥が槍を振り、図りづらいタイミングで突き出してくる。
 だがそれも視覚からの情報分析で的確に判断、久遠はナイフを一振りした。
 辰弥が持つ槍の穂先、ピアノ線で括り付けられたナイフ部分が切断され、宙を舞い、円を描きながら落下して地面に刺さる。
「くっ――!」
 そう、声を上げるものの槍の破損は想定していたのか辰弥が銃を抜き久遠に向けて連射する。
「なっ!」
 流石の久遠もそれは想定していなかったのか、一瞬反応が遅れる。
 放たれた銃弾の一発が頬を掠め、桜色の高性能超伝導循環液ブロッサムブラッドが一筋流れる。
 続けて飛んでくる銃弾は軽い身のこなしで躱し、久遠はナイフを構え直した。
「槍は陽動――本命はその銃だったのね!」
 今までの辰弥ノインの動きから、ナイフやピアノ線等の小物なら瞬時に生成できる事は判断していた。
 流石に銃ほどの複雑メカニカルかつそれなりに大きな武器は時間がかかるのだろう。
 だから先に槍を生成し、時間を稼いだのだと。
 だがそれも分かってしまえばいくらでも対処できる。
 それは辰弥も理解するところだった。
 彼が一番得意とするところの不意打ち、これが有効打とならなければ手の打ちようはない。
 それでも日翔と鏡介が「逃げろ」と伝えてきた以上、辰弥には逃げる義務があった。
 なんとかして逃げ延びて、トクヨンの手から逃げ切って、それから――?
 それから、何をすればいいのだ?
 あの二人の元へはもう戻れない。いくら仲間であったとしても「人間ではない」自分を受け入れてくれるはずがない。
 かつて、言われた言葉を思い出す。
 「お前はただ殺戮するためだけに生み出された化け物だ」と。
 思い出すだけではない、声そのものが脳内で再生される。
 他人の記憶なんてもの、聴覚から薄れていくと言われているのにどうしてこの声だけはっきり覚えているんだろう、と辰弥はふと思った。
 まるで自分の魂に刻み込まれたかのような悪意ある言葉呪い
 きり、と辰弥の奥歯が鳴る。
 あの二人は違う、そんなこと言わない、そう自分に言い聞かせてもそれは二人が自分を人間だと思い込んでいたからであって正体を知ったからには受け入れるはずがないという思いが胸を締め付ける。
 ――それなら、俺は生きている価値なんて。
 助けてくれたからこの四年間二人のために生きてきた。
 突っ走る日翔が危険な目に遭わないようにサポートしてきた。
 鏡介が安全にハッキングできるようにGNSを導入した。
 だが、それももう意味はない。
 自分はただ、人間を恐怖に陥れる存在としてトクヨンに狩られるだけなのだ。
 実際のところ、辰弥は吸血殺人事件を起こしていない。少なくともそう思っていた。
 体内の血液の減少により吸血衝動が起こることはある。しかし、それは制御できる
 有事でなければ輸血だけですべてが事足りる。緊急時でない限り経口摂取の必要はない。
 元々、そのように設計されている。輸血する時間が確保できないような緊急時は時間はかかるものの胃から血液が吸収されるようにはなっている。輸血すれば即座に戦線に復帰することはできるがそれが難しい場合は経口摂取することで長時間の継戦能力が発揮できるようになっている。
 それでも。
 辰弥は血液の経口摂取は好まない。長時間の貧血状態で、なおかつ経口摂取しなければいけない状況になって初めて口にする程度だった。
 また、そのような状況が近づくと身体が血液を求めて吸血衝動が発生するように叩き込まれている。
 それを理解しているから、普段は渚に頼んで輸血パックを融通してもらっていた。
 だから辰弥が吸血殺人を起こす理由はない。
 それでもトクヨンが、いや、カグラ・コントラクターが自分を血が必要なLEBだと認識している以上吸血殺人の犯人として狙うだろう。
 いや、その誤解が解けたとしても自分を「危険な存在」として消すのだろう。
 久遠が言っていたではないか。「研究自体は潰した」と。
 当然、その研究で作り出された自分は。
 認めるしかできない。自分はLEBなのだと。
 いや、四年間ずっとそれを自覚して生きてきたではないか。
 自分がLEBだと認めないなら、自分のことが「人間」だと思うなら初めから能力を使うこともないし真っ当な人間として振る舞う。
 自分がLEBだと分かっているからこそ、その能力ちからを使って二人をサポートしてきた。
 だから、いずれはこうなるのが運命だったのだ。
 しかし、それでも。
 ――ここで死ぬわけにはいかない。
 いくら自分が生きていていい存在でなかったとしても、死ぬのはここではない。
 ただ御神楽にゴミのように消されるのは真っ平御免だった。
 ――どうせ死ぬなら、俺らしく――。
 逃げ道はない。目の前の御神楽 久遠に勝てる道など何一つ見えない。
 それでも、せめて一矢報いて、自分という存在を刻み付けたい。
 だから。
「俺は、諦めない!」
 辰弥が吠えた。
 両手に意識を集中させる。
 脳から脊髄に信号が伝わり、その信号が身体中に命令を下す。
 作り出せと。
 全身に神経のように張り巡らされたLEB特有の造鋼器官が血液を変質させていく。
 変質させた血液は両手に集中し、そして辰弥はそれを解き放った。
 無数のピアノ線が射出される。
 射出されたピアノ線は周りに無造作に置かれていた工事資材の入った木箱を打ち砕き、久遠ですらも粉々にしようと襲いかかる。
 ピアノ線が久遠に届く。
 ピアノ線が久遠に絡みつく。
 だが、辰弥のその必殺の一撃ブラッディ・ミラージュですらも久遠には届かない。
 防弾性能の高い素材で作られた久遠の四肢はピアノ線程度で打ち砕くことができず、ただ絡みつくだけで止まってしまう。
「ふん、」
 腕に絡みついたピアノ線を久遠が軽く力を込めて引く。
 久遠にとっては「軽い」力の行使だったが辰弥をよろめかせるには十分な力だった。
 バランスを崩した辰弥がたたらを踏む。
 一歩、久遠に向かってよろめいたところを彼女が片手を突き出す。
 その手から衝撃波が放たれる。
「っ!」
 隙だらけになった辰弥だったが、その衝撃波はもう一歩久遠に踏み出しつつも身を捻って回避する。
「まだまだぁっ!」
 再度辰弥が意識を集中させる。
 体勢を立て直しつつも久遠に肉薄、その手に考えつく限り最高の硬度を持つ超硬合金でできたナイフを生成、彼女の首を狙う。
 ――いくら義体であっても、首を落とせば――!
 超硬合金のナイフを選択したのは先ほどの陽動で作った金属製のナイフを久遠のナイフが切断したから。
 金属が金属をいとも容易く切断するとは思えないが、流石に超硬合金製のナイフを切断することなどあってはたまらない。
 しかし、それでも。
 辰弥の目が自分のナイフに食い込む久遠のナイフを捉えた。
 久遠のナイフは辰弥が作り出した超硬合金のナイフをバターだと言わんばかりの滑らかさで切断し、刃先ははるか上空へと弾け飛ぶ。
 そこで辰弥は漸く理解した。
 超硬合金ですら切り裂く性能を持つナイフ。
 世界で一番硬い物質でナイフを作ったとしても、そのナイフがあらゆるものを切り裂くことができるわけではない。
 それでも、あらゆるものを切り裂くことができるものは一つある。
 それはその物質を構成する分子の結合そのものを分離してしまう、分子一つ分の極々薄い分子の刃――。
 ――単分子ナイフ!
 分子と分子の結合を断たれてしまえばどんなものでも切り離されてしまう。
 金のある組織はそんなものですら標準装備なのかと、絶望の色が辰弥に浮かぶ。
 ――いや、まだだ――!
 久遠は辰弥のナイフを切り捨てた状態でモーション自体は終わっている。
 しかし辰弥の腕はまだ久遠の首筋を捉えたまま。
 もう一度ナイフを生成すれば、久遠が腕を引き戻すモーションの間に首を掻き切ることができる、そう判断する。
 辰弥の手に再びナイフが出現する。
 ナイフはまっすぐ久遠の首筋を狙う。
 辰弥と久遠の視線が交差する。
 しかし、刺し違え覚悟の決死の形相の辰弥とは真逆に、久遠は余裕の笑みすら浮かべていた。
 「その程度?」と久遠の唇が動く。
 次の瞬間、離れたところで一発の銃声が響き、直後、辰弥の体が硬直した。
 全身を駆け巡る高圧電流。
 高圧電流によって全身の筋肉が強制的に収縮させられ、激痛となって辰弥を襲う。
「ぐ――っ!」
 狙撃か、と思うものの撃ち込まれた弾丸はそれ自体がスタンガンのように電撃を発している。
 こんな弾は知らない、カグコンの特製なのかと考えるものの喰らってからでは対処することができない。
 ナイフは久遠を捉えることができず、彼女は一歩後ろへ跳躍する。
 そして、辰弥に向けて再び手のひらを突き出した。
 久遠から放たれた衝撃波が辰弥に直撃する。
 衝撃波に軽く弾き飛ばされ、辰弥の体が地面に叩きつけられた。
「く……そ……っ!」
 電撃によって麻痺した全身に鞭打ちそれでも辰弥は立ちあがろうとする。
 だが、だが、駆け寄ってきた久遠に頭を掴まれ、うなじのGNS制御ボードのスロットに小型の端末を接続されてしまう。
 視界に映り込む全てのGNS情報が沈黙し、同時に全身への力の伝達が遮断される。
 全てのUIが沈黙した視界の中で、唯一【Locked】という文字だけが赤く浮かび上がっている。
「……あ……ぅ……」
 力のない辰弥の声が口から漏れる。
「危なかったな、久遠」
 動けなくなった辰弥の頭から久遠が手を離したタイミングでティルトジェット機の轟音と共に何者か――戦闘服BDUをまとった屈強な男が地面に降り立ち、彼女にそう声をかけた。
「あら、言うほどピンチでもなかったわよ」
 辰弥を見下ろし、久遠が男にそう言う。
「本当はブースターで避けられたんだけどね、ちょっと面白くてついギリギリまで様子見ちゃった。それに貴方がこういう時にちゃんと狙撃してくれるかどうかも気になってたしね」
「言ってくれるな。そういうところだぞ」
 久遠の隣に立ち、男がたしなめるように言う。
 そこで辰弥の記憶が蘇る。
 これと同じ構図の状況に、以前遭遇していたような――。
 あの時のあの二人はこの二人だったのか。
「とりあえず基地に連れて行こう。調べることは色々ある」
 男の言葉に久遠が頷く。
「そうね、いくらGNSロックで動きを封じたとしても絶対じゃない。ここまで抵抗するなら動けた場合大変よ、拘束しておきましょう。ウォーラス、一応鎮静剤打っといて」
 久遠に指示され、ウォーラスと呼ばれた男はポーチから注射ケースを取り出し中から注射器を取り出した。
 辰弥の首筋に針が突き立てられ、薬液が投与される。
 その薬液の冷たさにかつて実験のために投与された薬物のことを思い出し辰弥が目を見開く。しかし打ち込まれた鎮静剤は即効性のものだったのかすぐに意識が混濁し始める。
(まず、い……)
 少しでも意識を保ち、脱出する機会をと考える辰弥だったが電撃を受けた身体は麻痺しており、さらにGNSの制御を完全に掌握されている都合上筋肉に信号を送ることすらできない。当然、武器を作り出すこともできないしたとえできたとしても指先一本動かせない。
(く、そ……)
 闇が意識を引きずり込もうとするかのようにその手を伸ばす。
 一切の抵抗をすることもできないまま、辰弥の意識は闇に呑まれていった。

 

「……嘘だろ……」
 呆然と鏡介が呟く。
 そのタイミングで、室内を制圧していた特殊第四部隊の小隊長らしき人物が通信を受信、一言二言会話して回線を閉じる。
「撤収だ。こいつらは捨て置いていいとのことだ」
 その小隊長の言葉に「了解」と返答し、銃を構えていた面々は銃を下ろしぞろぞろと部屋を出ていく。
「……なんだ、何が……」
 特殊第四部隊が撤収する様を見送った日翔も呆然と呟く。
 それから、はっとしたように鏡介を見た。
「鏡介、まさか、辰弥が……殺られたのか……?」
 最悪の事態だけが日翔の脳裏をぐるぐると回る。
 あの御神楽 久遠という全身義体の女は規格外の出力とスピードを兼ね備えていた。
 それこそ、本気を出すことなく自分と鏡介を床に沈めた彼女に辰弥が敵うはずがない。
 恐らく、追い付かれ、戦闘になったのだ。
 久遠は辰弥を「ノイン」と呼び、かつて御神楽が開発した「LEB」だと言っていた。
 LEBが何かは分からない。しかし何もないところから、いや、自分の血液から武器を作り出すことを考えるとそういう生物兵器なのだろうとは日翔にも想像ができた。
 御神楽は「ノイン」を探していた。
 それは「ワタナベ」が取引を有利にする条件として探していたものであったが、それが辰弥のことだったとはにわかに信じがたい。
 だが、御神楽に、トクヨンに発見された以上辰弥はここに留まることはできない。
 だから逃げてほしいと二人は願ったし辰弥もその思いに応えて逃走した。
 それでもあの規格外の久遠から逃げ切ることはできなかったのだろう。
 そして抵抗して――。
 嫌だ、と日翔が呟く。
 辰弥はこんなことで殺されていい奴じゃない、ただそう思う。
 普段から募らせていた御神楽への不満が爆発するかのように胸に広がっていく。
「……鏡介、」
 怒りを隠せずに日翔が鏡介の名を呼ぶ。
 しかし、鏡介は冷静に、
「早まるな日翔、落ち着け」
 そう、日翔をたしなめた。
「落ち着いていられるかよ! 辰弥が――」
「あいつはまだ死んでない、早まるな」
 冷静さを欠いた日翔に対して冷静に言葉を紡ぐ鏡介。
「あいつはまだ死んでない、拘束されただけだ」
 日翔を落ち着けるかのように言葉を繰り返し、鏡介がもぞりと身じろぎする。
「それよりも、この拘束何とかしてくれ。話はそれからだ」
「あ、ああ……」
 鏡介が拘束されていたことを思い出した日翔が歩み寄り、ナイフで結束バンドを切断する。
 自由の身になってほっと息を吐きながら鏡介は手首をさすりつつ立ち上がった。
「どういうことだよ、なんで辰弥が生きてるって分かるんだ」
 この状況、もう処分したからこっちも用済みってことじゃないのかと言う日翔に鏡介が顔をしかめる。
「処分って表現するな。俺から見ればあいつはまだ『人間』だ」
 何をもって人間というかは人それぞれだがな、と続けた鏡介が説明する。
「手は拘束されたがGNSの視線操作で辰弥の視覚、聴覚の共有とあいつらの通信傍受だけはなんとかやっていたからな。とりあえず、通信では『確保した』と言っていた」
「んなもん、死体でも言うだろ」
 生死問わずで身体だけが目的なら死んでても確保って言うだろと反論する日翔に「だから」と説明する。
「そのための視界共有だ。最終的に信号はロストしたがあれは殺したとかそんなんじゃない、恐らくGNSロックされたな」
「なんだよGNSロックって」
 日翔は電脳GNSを導入していないためGNSロックというものが何かは分からなかった。しかし、分からないなりにどうやらGNS自体を封じられて動けなくなったのだろうとだけ理解する。
 そうだな、と鏡介が頷く。
「GNSロックはGNSの全機能を停止させる。まぁ流石に生命維持にかかわる部分まで停止させると死ぬから停止権限としては通信とか演算とか、あと拘束目的で運動野の制限も追加される」
 元々は義体制御OSフェアリィの範囲が有効範囲だが生身がGNS入れてると入れ方次第では運動野まで食い込むからな、あいつちょっと無理できるようにってそこまで適用させてたと解説する鏡介に日翔は、
「やっぱGNSって危険じゃん」
 と、ふとこぼした。
 それに関しては「まあな」と同意し、鏡介が視界に映るウィンドウを操作、日翔に向けてスワイプする。
 日翔のCCTが音を立てて何かを受信、彼がCCTを開くと先ほどの辰弥の視界映像が展開される。
「録画してたのか」
「何かあった時の保険だ。しかし……思っていた以上にすごいぞ」
 そう言われて日翔がCCTのホログラムディスプレイに視線を落とす。
 目の前で展開される辰弥と久遠の戦闘。
 最終的に突然途切れる形で映像は終了したが、見終わった日翔の第一声は、
「やべえ……」
 だった。
「あいつ、俺らの前ではほぼ本気出してなかったんだな。あいつの本気って鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュくらいだろ。それ以外にもあんなに武器出せるなんて」
 本気の喧嘩しなくてよかった、してたら相当回数死んでたかもと呟く日翔に鏡介も頷く。
「しかし、本当に辰弥が『ノイン』って奴なのか? 『ワタナベ』や御神楽が探していたやつが辰弥だったっていうのか?」
 日翔の問いに、鏡介が分からん、と首を振る。
「『ノイン』かどうかは分からない。が、『LEB』なのは確かだろう」
 辰弥は「ノイン」であることを否定したが「LEB」であることは否定しなかった。
 その時点で辰弥が「LEB」ということは事実。
 しかし、何故辰弥は「ノイン」であることを否定したのか。
 いや、そもそもの話「LEB」とは何者なのか。
 久遠は言っていた。「自分の血から武器を作り出す」と。
 それでも詳しいことが知りたくて、鏡介はGNSを操作してハッキングツールを展開した。
 目標はカグラ・コントラクターの記録が集約しているサーバ。過去にも何度かアクセスした、比較的セキュリティの弱いところ。
 カグラ・コントラクターのメインフレームに侵入したいが流石にセキュリティが硬すぎたりアクセスが許されている端末が限られていたりしてそれは不可能、しかしグローバルネットワークに接続された比較的セキュリティの弱いサーバは存在するため、鏡介はしばしばこのサーバにアクセスしてカグラ・コントラクターの動向を探っていた。
 しばらく沈黙が続き、「辰弥が生きている」と言われて落ち着きを取り戻した日翔がキッチンに行ってコーヒーを淹れてくる。
 テーブルに鏡介の分を置き、一口飲んでから日翔は辰弥のことを考えた。
 そもそも鏡介が内臓を義体化していると知って驚いたばかりである。
 まさかそれ以上の爆弾が投下されるとは思っていなかった。
 辰弥が人間ではない。
 彼がその部分を否定しなかったことで現実を思い知らされる。
 よくよく考えれば不可解なことは多かったのだ。それが全て「人間ではなかった」で説明がついてしまう。
 それよりもどう見ても人間にしか見えない生物兵器が開発されていた、しかもそれを御神楽が行っていた、という事実だけで充分苛立ちの種となる。
「御神楽……なんてことを……」
 日翔はそこまで知識があるわけではない。しかし生物兵器の開発には数えきれないほどの非人道的な行為や犠牲があったのだろうということだけは想像がつく。
 辰弥もまた被害者なのだと思うと胸が締め付けられる。
 本当は話したかったのだろうか、と日翔はふと思った。
 辰弥が何かを話したそうにしていたことはある。だが、結局彼は何も言えずにいた。
 ――もし、辰弥が言ってたら。
 何かが変わったのだろうか。
 いや、変わらないはずがない。
 「人間ではない」と告白されて、どう接すればいいか分からなくなる。
 実際、どうしていいか分からない。
 もし辰弥が戻ってくることがあったとして、今まで通りに接することができるのかと。
 辰弥ですら日翔がALSと知ってからなるべく変わらず接しようとしてそれでも態度を変えたのだ。それ以上に重い過去を背負う彼を今まで通りに接することなどできるはずがない。
 「苦しい思いしてたんだろ、無理すんな」と依頼から外して普通に生きろと言うに違いない、と日翔は思った。
 だが、そこまで思ってからふと違和感に気づく。
 ――何も言えずにいた?
 つまり、それは全て初めから憶えていたということではないのか?
「……なあ、鏡介……」
 日翔が鏡介に声をかける。
 ちょうど鏡介もその可能性に思い至っていたのだろう、まさかな、と低く呟く。
「……日翔、辰弥は『何も憶えていない』と言っていたよな」
「ああ、それ、俺も言おうと思ってた」
「……あいつは、自分が人間ではないと分かっていて、それで俺たちに嘘を吐いていたのか?」
 嘘。確かに嘘だ。
 今思えば違和感も多分にあった。
 何も憶えていない割には何かを知っているそぶりも見せたし何かを言おうとして言わなかった時もあった。
 それは、辰弥も隠し続けていることを心苦しく思っていて伝えようとしていたのではないのか、と、そんな気すらしてくる。
 本当は辰弥は伝えたかったのではないのか、「自分は人間ではない」ということを。
 その上で、「それでも見捨てないでくれ」と言いたかったのではないか、と。
 そう考えると、ますます辰弥をカグラ・コントラクターの手から助け出さなければという気持ちが芽生えてくる。
 戦力の問題はこの際どうでもいい。ただ、辰弥にこれ以上辛い思いをさせたくない。
 巨大複合企業メガコープの依頼が混ざるにつれ、辰弥は何度かトラウマをよみがえらせていた。あのスパイル・アーマメントの件が最近では特に顕著だ。
 あれは実験体としての記憶がフラッシュバックしての硬直だったのだと今なら分かる。
 そんな思いをさせてまで辰弥を殺しの世界に置いておきたくない。
 もし、許されるならごくごく普通の一般人として生活を送らせてやりたい、そう思ってしまう。
「……鏡介、」
 ふと、鏡介に声をかける。
 鏡介がハッキングの手を止めることなく日翔を見る。
「……もし、辰弥が戻ってきたらどうする」
「そんなIfを聞くな」
 鏡介が即答する。
「俺たちが何かアクションをしない限りあいつが戻ってくることはない。どうするかはお前が考えろ」
 そう言ってから、鏡介は視界に映るホロキーボードのエンターキーを叩いた。
「ビンゴ。と言いたいがあまり重要な情報はないな。LEBについての詳細はやはりトクヨンのツリガネソウメインフレームにアクセスしないと引き出せそうにないが御神楽は、いや、御神楽の一部の派閥が非人道的な実験を繰り返して生物兵器を開発していたのは事実だ。それを良しと思わない首脳部直下の部隊、トクヨンが独自の判断と権限でこれを潰したという記録は残っている」
 まぁ、「世界平和」を謳う御神楽も一枚岩じゃないだろうしその社是に反する研究くらいするんだろうなと鏡介はさらに続ける。
「一応、『LEB』というキーワードでも調べてみるか。レポートなんかは多分ツリガネソウ内部だろうが何かはヒットするだろう」
 そう言って、鏡介はテーブルに置かれたコーヒーを手に取った。
 一口飲んでその不味さに顔をしかめる。
「もっとうまく淹れられないのかよ」
「すまん、いつもは辰弥任せだったから」
 そんなやり取りを交えつつ、鏡介がLEBに関しての情報を集める。
「……なるほど」
 数分後、鏡介が肩を回しながら呟いた。
「細かい仕様とかは全てツリガネソウ内部だろうが大まかなことは分かった」
「何なんだ、LEBって」
 日翔が姿勢を正す。
「まあ、概ね御神楽 久遠が話していたがLEBとは『Local Eraser Biowepon』の略、局地消去型生物兵器のことらしい」
「きょくちしょうきょがたせいぶつへいき?」
 俺バカだからよく分からんわー、と日翔が鏡介の解説を待つ。
「まぁ、戦場に放り込んで『なかったこと』にするという感じじゃないか? とにかく、性能としては自分の血肉から弾丸を作り出して無限に戦える生物、ということらしい」
「つまり、武器の弾丸が無限になるってことか?」
 日翔の言葉にそんなところだろう、と返し鏡介はさらに目を走らせてデータを読む。
「体内の血液量に上限があるからそれが継戦能力になるんだろうが弾が足りなくなっても自分の血で補うことができる。いや――」
 そこまで言ってから鏡介がそうか、と呟く。
「武器が生成できるから丸腰で敵地に潜入して戦況をひっくり返すことができる」
「丸腰で潜入して――あっ」
 鏡介の言葉を繰り返した日翔があっと声を上げる。
 直近で心当たりが一つある。
 あの木更津 真奈美の護衛依頼、あの時、ホテル内部には一切の武器の持ち込みが禁じられていた。
 当然「グリム・リーパー」の三人も丸腰で護衛に当たり、そして襲撃に際に日翔は辰弥から銃を受け取った。
 それが、辰弥の能力による武器生成によるものだった、ということを日翔は漸く理解した。
 作ることができるのはナイフやピアノ線といった単純なものだけだと思っていただけに驚きが隠せない。
「銃まで作れんのかよ」
「内部構造の知識さえあれば作れるんじゃないか? とにかく御神楽はそんな物騒なものを開発していた」
「……で、それをトクヨンがぶっ潰したってことか」
 研究を潰したのならこれ以上危険な奴は出てこないのか、と日翔は考えたものの、一筋縄ではいかないような気もする。
 何故か覚える違和感、それが何かが分からない。
「……しかし、御神楽 久遠は『永江博士が研究を復活させた』と言っていた」
「そういや、そんなこと言ってたな……」
 日翔もそれは覚えていた。久遠は確かに「永江博士が研究を復活させた」と発言していた、それを考えると。
「……まさか、御神楽が永江博士を保護したって言うのは――」
「ああ、多分LEBの研究をしていたことを突き止めてその研究を潰したんだろう。その際に生体義体の開発を条件に御神楽に取り込んだ、大方そんなところじゃないか」
 以前見たニュースを思い出す。
 永江 晃はテログループ「クマガリ」から保護されて御神楽の客員研究員として生体義体の開発を行うことになった、と報道では言われている。
 しかしその実態はLEBの研究再開による粛清。
 遺伝子工学の第一人者であるということは当然主任研究員あたりだったのだろう、だから生かされた。
 もしかすると生体義体の開発も御神楽によるカバーストーリーなのかもしれない。
 そこで鏡介は「違う」と考え直した。
 昔ハッカー仲間から聞いた記憶がある。
 テロ組織「クマガリ」なんてものは存在しない、あれは「MIKAGURA」の並び替えアナグラムで御神楽が自社の不都合な出来事をテロ組織のせいにして欺瞞しているのだと。
 ――俺としたことが!
 それさえ分かっていれば、もっと早く、あの報道の時点でもっと何かを探れたかもしれない。
 その話を忘れていたことに苛立ちを覚えつつ、鏡介はさらに考えた。
 研究所で開発された他のLEBが殺されたか確保されたかは分からない。
 だが、少なくとも御神楽は、いや、トクヨンは永江 晃が今後LEBを開発しないように首輪をつけた。
 その上で辰弥を捕獲したということはやはり、最終的に彼は。
「……色々調べられた上に殺すつもりじゃ」
 そう、呟いた日翔の声が震えている。
 分からん、と鏡介も呟いた。
「しかし、大元はといえば御神楽が、いや、御神楽の中でも社是を良しとしない連中がLEBを開発したからこんなことになった」
「やっぱ御神楽は悪じゃん。そんな研究してたなんて」
「お前は一か〇かオールオアナッシングかよ」
 御神楽は確かに世界最大級の巨大複合企業メガコープである。「世界平和」を社是として動いているが「カグラ・コントラクター」という民間軍事会社PMCを運用している以上いくら社是のためとはいえ戦争に加担しているのは間違いない。
 それでも、だから「御神楽は悪だ」と決めつける日翔に鏡介は同意することができなかった。
 確かにどす黒い噂もスキャンダルもある。しかし、それが御神楽の全てではない。
 本来の御神楽は世界アカシアの平和ために活動している。慈善事業も他のメガコープの比ではない。採算度外視の慈善事業でどれほどの人々が救われたかと考えると「御神楽は悪」と決めつけることはできない。
 日翔がむぅ、と低く唸る。
「でも、やっぱり人道的じゃない方法で生物兵器を開発したのは納得できねえ」
「ああ、だからトクヨンという浄化機関に内部粛清された」
「何だよないぶしゅくせいって。難しい言葉使うな」
 日翔、お前中学校は出てるんだろ……とため息を吐きつつ鏡介は説明する。
「粛清は分かるな?」
「あ? ああ、めっちゃ厳しく怒ること」
 日翔の言葉に「え、そういう解釈?」と一瞬怯む鏡介だが概ね間違っていないのでそこは何も言わない。
「トクヨンは……いや、特殊第一部隊から特殊第七部隊までの七つの特殊部隊はいずれも御神楽財閥現会長の孫が部隊長を務めている御神楽首脳部直轄の部隊だ。御神楽自体巨大になりすぎて、全ての社員、全ての部門が『世界平和』のために動いているとは限らない。当然、今回LEBを開発したような上層部にとっては頭の痛いスキャンダルも発生するからトクヨンのような七つの特殊部隊はそれを取り締まり、理念に反する異端分子を粛清――まぁぶち殺してるってわけだ」
「なるほど」
 ぽん、と手を打ってから日翔は続けた。
「でも、生き残った奴が研究を持ち出して再開したってわけか」
「さもなくば、永江 晃がどこからかこの研究を嗅ぎ付けて再開したんだろうな」
 そこまで言ってから鏡介は顎に手を置き、考えるようなしぐさを見せた。
「しかし、色々と矛盾点を感じる。そもそも永江 晃が保護されたのはほんの数環前、辰弥を『ノイン』と呼ぶには無理がないか?」
「それってどうい――あっ!」
 鏡介の疑問に、日翔がその意味を問い質そうとして何かに気づく。
「ちょっと待った、辰弥を拾ったのは四年も前だぞ? 四年前に脱走して、今まで俺たちのところにいたのか?」
「それも無理がある。今回永江 晃を確保したタイミングで脱走したと考える方が無難だ」
 そう言い、鏡介は再び視界のホロキーボードに指を走らせた。
 思い出せ、と先ほどの久遠の言葉を思い出そうとする。
 ――LEBの最終開発ナンバーはアハトだと思っていた。まさかノインが存在して、永江博士が逃がしたとは思っていなかったわよ――。
「……日翔、まずいかもしれない」
「何が」
 鏡介が一つのデータに到達したところで久遠の言葉を思い出し、口を開く。
「……辰弥は、『ノイン』じゃない」
「それはもう分かったことだろ」
 何を分かり切ったことを、と呟く日翔に鏡介がデータを転送する。
「色々気になって四年前のニュースを調べた。四年前にもとある研究所が爆発、炎上したというニュースがあった」
「……は?」
 日翔が「んなバカな」と言いつつもCCTに転送されたニュースを見る。
 それは上町府うえまちふ内のとある研究所が爆発、炎上したというものだった。
 それから、鏡介がもう一つのニュースを転送する。
「それを見たうえでこれを見ろ」
 日翔がもう一つのニュースを確認する。
《――昨日未明に発生した滝畑岩湧市たきはたいわわきしの研究施設爆発・炎上事故についての続報です。昨日未明に発生した滝畑岩湧市の研究施設が爆発・炎上した事故は周辺住民の話によると直前に銃声のようなものが聞こえたともあり、当局は事件、事故両方の可能性を――》
 ニュースを見た日翔が目を見開く。
「え、これって――」
「あまりにも似すぎている。あと、タイミング的に四年前のニュースはお前が辰弥を拾う直前、今回のニュースは永江 晃が保護される直前に報道されている」
 偶然かもしれないから今から裏取りだが、と言いつつも鏡介は断言した。
「辰弥は『LEB』だが『ノイン』ではない。恐らく、四年前のトクヨンによる内部粛清を生き延びた個体だ」
「な――」
 そう声を上げた日翔の喉が鳴る。
 そんな、と日翔がかすれた声で呟く。
 だが、辻褄は合う。
 自分が辰弥を拾ったタイミングと、吸血殺人事件が発生するようになったタイミングが。
 辰弥が吸血殺人事件の犯人なら四年前から事件は発生していたはずである。
 いや、何かしらがトリガーとなって今年に入ってから吸血殺人事件が発生したとも考えられるが、それよりも永江 晃が逃がしたという『ノイン』が吸血殺人を行った、場合によっては辰弥の存在を認識していて彼に罪を被せようとしていたと考える方が自然である。
 がたん、と日翔が立ち上がる。
「だったら辰弥を助けないと!」
「『生物兵器LEB』であったとしてもか?」
 冷静な鏡介の言葉に、日翔の動きが止まる。
 ――助けて、どうする?
 辰弥は人間でない、それは確定だろう。
 いや、そう断言せざるを得ない。
 あの久遠との戦闘を見せつけられてそれでも「人間」だと断言することはできない。
 どうあがいても辰弥は「LEB」という生物兵器である事実からは逃れられない。
 それでも。
 さっき鏡介は辰弥のことを「あいつはまだ『人間』だ」と言ったではないか。
 それなのに今更それを否定するというのか。
 それを問いかけようとした日翔に鏡介が相変わらず冷静さを欠かさずに口を開く。
「俺は、あいつの本質はまだ『人間』だと思っている」
「だったら!」
「だが、いくら本質が『人間』であったとしても、生物兵器という事実がある以上俺たちにどうこうできる話じゃない」
 ただ、御神楽に「処分」されるのは俺も望んでいないと付け加えつつ鏡介は言葉を続けた。
暗殺連盟アライアンスに相談しよう。少なくともアライアンスにとっても辰弥は重要な戦力だ、何かしらの判断は下せるだろう」
「あ、ああ」
 頷きつつも、日翔は鏡介の冷静さに舌を巻いていた。
 ここまで冷静に物事を分析し、してアライアンスへ指示を仰ぐ、自分なら後先考えずに御神楽に突撃していたに違いない。
 日翔がそんなことを考えていたら、鏡介がそれに気づいたかふっと笑う。
「俺が冷静に見えるか? んなわけあるか、辰弥を連れ去られてはらわたが煮えくり返りそうだ」
「鏡介……」
「だが、俺が落ち着かないとお前が暴走する。それくらいは分かってろバカ」
 とりあえず、あの二件の研究所の事故をカグコンのデータ含めて裏取りする、とハッキングを再開した鏡介に日翔は、
「あの、もう一杯コーヒーいる?」
 と確認した。
 「いや、いい」と言いかけた鏡介が考え直し、
「頼む。あれくらいまずいコーヒーじゃないと今回は落ち着いてハッキングできない」
 そう、口元にわずかに笑みを浮かべながら返した。
 日翔がテーブルのマグカップを手に取り、キッチンに向かう。
 慣れない手つきでコーヒーを淹れながら、彼はふと何かを忘れていることに気が付いた。
 ――そういえば――。
「雪啼!?!?
 コーヒーを淹れる手を止め、日翔が声を上げる。
「ん?」
 一瞬、怪訝そうな顔をした鏡介もすぐに真顔に戻り、キッチンから駆け寄ってきた日翔と共に雪啼の部屋のドアを開ける。
「雪啼!」
「大丈夫か!?!?
 久遠が踏み込んでくる直前、辰弥は雪啼を寝かしつけていた。
 あれだけの騒ぎで起きてこないとなると何かあったのではないか、という不安が二人の胸をよぎる。
 ドアを開け、二人が部屋に踏み込む。
 だが、室内はもぬけの殻で、換気用の小窓だけが開いて小さなカーテンが風に揺らめくだけだった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 物音ひとつ響かない独房で、辰弥は一人考える。
 あの、飛翔するスタンガンのような電撃弾による麻痺は既に消えているがうなじのGNS制御ボードに差された端末は外されていない。視界は依然【Locked】の文字が表示されたまま、かつ全身の運動野を制限され身動き一つ取ることはできない。
 さらに万一ロックが解除されても動けないよう拘束具で全身を拘束され、辰弥はただ一人独房のベッドで思いを巡らせるしかできなかった。
 ――どうして。
 自分が「LEB」だと知られたことに対してではない。
 むしろ、ここに連れてこられてからの回りの人間の対応に辰弥は戸惑っていた。
 もちろん、LEBであることから何人もの白衣を着た研究員らしき人間に調べられたし注射器何本分もの採血も行われた。
 しかし、彼に対して行われた加害行為はその程度で、むしろ打ち込まれた電撃弾や久遠によって受けた傷、果てはふさがっているもののあの護衛依頼で受けた傷まで丁寧に処置され栄養点滴まで投与されている。
 その栄養点滴に何かしらの薬物が混入していることも十分考えられるが意識が飛ぶことも傷以外で痛みを感じることもなく、むしろ戦闘で使用した血液分の貧血以外は完全に解消されている。
 動きさえできればいくらでも脱走のチャンスは狙えるが、と思いつつも辰弥は回りの自分に対する対応に困惑を隠すことができなかった。
 かつて、実験体として研究所にいた時とは真逆の対応。
 殺されこそはしなかったもののあらゆる痛みは経験したし「LEBに人権があると思っているのか」と多くの辱めも受けてきた。
 実験体だからそうされても当然、と思ってもいたがこの施設の研究員は一切そんなことをしてこない。
 採血だけは「色々と確認することがあるから」とただでさえ貧血のところを容赦なく行われたがそれでも謝罪はされたし手荒にもされていない。
 ――血さえあれば。
 いくら拘束されていたとしても武器さえ生成できれば拘束具などいくらでも壊せる。
 しかし、それも想定済みなのだろう。輸血されることも、経口摂取で血液を取り込むことも許されていない。
 相当な欠乏状態ではあったが、それでも何故か起きない吸血衝動に辰弥は疑問を覚えていた。
 視線だけ巡らせて独房内を見る。
 薄暗い独房は簡易ベッドと壁に備え付けのテーブルとトイレくらいしかない。
 何か使えそうな道具があればよかったのにと思いつつも、そもそもGNSをロックされて身動きできないのにどうすることもできない、と辰弥はため息を吐いた。
 そんなタイミングで遠くからコツ、コツ、という足音が響いてくる。
 足音は辰弥が収容されている独房の前で止まり、そして扉が開かれた。
「……」
 視線だけ動かして辰弥が来訪者を見る。
 そこに立っていたのは特殊第四部隊トクヨン隊長、御神楽 久遠だった。
 久遠は辰弥に一切の警戒を抱くことなくベッドに歩み寄る。
「やっと見つけたわよ、『ノイン』」
 ベッドの上の辰弥を見下ろし、久遠が言う。
「……」
 辰弥は口を開かない。
 あら、黙秘する気? と面白そうに言いつつ久遠は言葉を続けた。
「どうして吸血殺人事件なんて起こしたの」
「……」
 違う、俺はやっていないと喉元までこみ上げてきた言葉を飲み込み、辰弥はただ久遠を睨みつける。
「まあ、大体は予想がつくわよ。そもそもLEBは血肉を変質させて弾丸を生成している。第二世代LEBはその対策としてトランス能力を身につけているわけだけど、あなたはどういうわけかそれを使わない。当然、体内の血液には上限があるから血は足りなくなるわよね」
 そうだ、その通りだ。
 様々な実験の結果、辰弥は自分が知りうる限りあらゆる物質で武器や弾丸を作り出すことができる。あの久遠に斬り捨てられた超硬合金もそうだ。
 そして、血液を大量に消費したから現在ひどい貧血状態となっている。
 もっとこまめに輸血しておけばよかった、まだいけると無理をしたばかりに何度も倒れてしまった、と今更ながら辰弥は反省した。
 あの久遠との戦いも輸血後の万全な状態であればもっとうまく立ち回れたのではないか、と。
 辰弥のその沈黙に「やっぱり黙秘する気?」と言いつつも久遠は辰弥が寝かされているベッド、その枕元に何かを置いた。
「……っ……」
 辰弥の喉が鳴る。
 欲しいという衝動が全身を駆け巡る。
 枕元に置かれた「何か」は輸血パックだった。
 血を使いすぎた上に採血された辰弥にとっては今一番欲しいもの。
 いや、駄目だ。御神楽 久遠はこれをだしに交渉する気だ、と自分に言い聞かせ辰弥は言葉を飲み込もうとし、
「……俺は、やってない……」
 思わずそう呟いていた。
 久遠の眉間が寄る。
「あくまでもやってないというの? ノイン、貴方しか考えられないのよ? あらゆる状況が、LEBという事実が、貴方を犯人だと証明している」
「……俺は、『ノイン』じゃ、ない」
「あら、他に脱走したLEBがいるというの? 永江博士が興した第二研究所は完全に制圧したし記録にあったLEBは全て回収したわ――貴方以外」
 ノイン以外の何物でもないじゃない、と言い、久遠は辰弥に顔を近づけた。
「それとも、永江博士は他にもLEBを隠していたの?」
「それ、は……」
 血が欲しい。飲ませてくれ、という衝動に抗いながらも辰弥は久遠の言葉を否定する。
「その様子、相当飢えているんじゃないの? 話してくれれば飲ませてあげてもいい」
 白状しなさいよ、そう、久遠が囁く。
「……そこまでして、血は、欲しくない」
 精一杯の虚勢で辰弥が首を振ろうとする。
 しかしそれすらできず、辰弥は再び久遠を睨みつけた。
「強情ねえ……それとも、本当にノインじゃないって言うのかしら」
 そう言いつつも久遠は辰弥から目を逸らさず話を続ける。
「でも、何はともあれやっとノインを保護することができた。心配しないで、貴方が思ってるような非人道的な扱いはしない」
「……『保護』?」
 予想だにしなかった単語に、辰弥が思わず尋ねる。
 ええ、と久遠が頷いた。
「あら、私たちがただLEBを確保して実験した上に殺すと思ってたの?」
 小さく頷こうとする辰弥。
 それに気づいたか久遠が「バカね」とその表情を緩めた。
「御神楽のモットーは『世界平和』よ。たとえ人間でなかったとしてもヒトと同じ思考で活動する以上その理念から排除することはない」
 だから、非人道的な手段で創られて実験されてたLEBも保護している、と久遠は説明した。
「……偽善だ」
 思わず、辰弥が呟く。
 そんなことをして、結局は自分たちの駒にしたいのではないのかと。
「口では綺麗事を言って、俺の力が欲しいだけじゃないの」
 辰弥のような、「弾薬を無限に作り出せる」能力を持つLEBはカグラ・コントラクターのようなPMCからすれば喉から手が出るほど欲しいだろう。
 たとえ手持ちの弾薬が尽きても弾薬が生成できればそれだけ戦い続けることができる。また、LEBは常人に比べて身体能力も高い。傷を負ったとしても人間に比べてはるかに高い治癒能力を持っている。そうだろう、血液の消失はそれだけ継戦能力の低下につながる、だからすぐに傷が塞がるように創られている。
 そんな辰弥を「殺さない」のであれば利用したい、というのが「人間」の常だろう。実際、研究所で、出資者に向けてのデモンストレーションで戦場に駆り出された際、そう評価されたのだ。「これなら首輪型爆弾制御装置さえ掌握してしまえばいくらでも利用できる」と。
 そこに人権も何もない。そもそも「人間ではない」からそんなものは存在しない。
 それが辰弥の認識だった。
「自惚れないで。LEBなんていなくても、トクヨンうちにはもう充分すぎる戦力がいる」
 しかし、久遠の返答は少し想像と違っていた。
 それでも辰弥としては結局勧誘しているのだから、「結局カグコンも戦力は多い方に越したことはない」を地でいく組織なのだという認識に変わりはない。
 ところが。
「そもそも、別に無理やり『戦力になりなさい』とは言わないわよ。貴方だって『戦わなくていい』なら戦いたくないでしょ?」
「……」
 思いもよらなかった言葉に、辰弥が言葉に詰まる。
 この女は何を言っているのだ? という疑問が脳裏を埋め尽くす。
 「戦わなくていい」? そんなことができるのなら、そうしている。
 自分が暗殺連盟アライアンスに身を置いたのも「戦わずに済む」道が分からなかったからだ。そんな選択肢が、LEBに存在するはずがない。
 それとも、御神楽 久遠この女にはその道を提示することができるというのか。
「……貴方が望むなら『一般人』として生きる選択肢も用意することができる。貴方は『やってない』と言い張るけど、吸血殺人の容疑者である以上、絶対は言えない。でも、能力血液を使わずには生きることができなかった、暗殺することでしか生きられなかったという点は考慮に値する」
「……一般、人……」
 嘘だ、と辰弥は呟いた。
 そんな選択肢が、易々と提示されるなんてあり得ない。
 LEBはLEBらしく手を血に染めて生きていくのが当たり前だと思っていたのに、そんな選択肢を見せつけられたら、迷ってしまう。
「御神楽の影響力なら、一人の新しい国民情報IDを登録するくらい訳ないわ。必要なら、御神楽系列の仕事を斡旋することも出来る。まぁ、一般人として生きる、とは言ったけどその能力を野放しにしておくことはできないわ。どうしても監視付きという条件にはなってしまうけど、貴方が能力ちからを使わない、もう吸血殺人を犯さないというのであれば、御神楽の権限で可能な限り貴方の要望に応えられるように計らってあげる」
 そう言って久遠が辰弥の頬に触れる。
 義体特有の、ひんやりとした硬い感触。
 それでもなぜか温かい、と辰弥は感じた。
 「自分はLEBだから」と諦めていた生活を、手に入れられるのかもしれない。
 日翔に過ごしてもらいたかった生活を送れるかもしれない。
 たとえ人間ではなかったとしても、人間として生きていいのかもしれないと思った瞬間、不思議な感情が辰弥の胸を締め付けた。
 ――いいのか?
 ――本当に、それでいいのか?
 日翔も鏡介もずっとアライアンスで生きてきたしこれからも生きていくだろうに、自分はそれから抜け出していいのか?
 あの二人なら「俺たちはいいからお前は好きに生きろ」と言うだろう。
 辰弥もあの二人が自由に生きられるかもしれないのならそうしろと言う。
 しかし、あの二人を置いて自由にはなりたくない。
 その迷いに気づいたのか、久遠が苦笑する。
「……その顔、迷ってるわね。完全な自由とは言えないけどそれでも自由に生きられるのよ? 人を殺さなくても済むのよ?」
「……分からない」
 辰弥が素直に呟く。
 本当にそれでいいのかと。
 しかし、一般人としての選択肢を蹴るのであれば残された選択肢は現状特殊第四部隊への編入のみ。それはそれで、選びたくない選択肢だった。
 自分にとってのベストな選択肢は、と考え、辰弥は、
 ――そうか、「グリム・リーパー」の一人として生きたいんだ。
 そう、気が付いた。
 日翔と鏡介と今までと変わらない生活を送りたい。
 しかし、そこにかつてあった「どうせ死ぬならその時はその時」という感情はない。
 ただ、二人とともに、自分が生きられるその終着駅まで走り抜けたい、そう思った。
 久遠が立ち上がり、辰弥を見下ろす。
「まぁ、いきなり言われても混乱するだけでしょう。じっくり考えなさい。拘束は――色々と決まるまでは外せないけど悪いようにしないから」
 そう言い残し、久遠が独房を出ていく。
 扉が閉まり、ロックされる音を聞いて、辰弥はため息を吐いた。
「日翔、鏡介……」
 低く呟く。
「……君たちを置いていきたくない。トクヨンに入れば場合によっては君たちを殺すことになる」
 片やアライアンス、片や世界最大手の巨大複合企業メガコープ
 もし、辰弥が特殊第四部隊に加盟する道を選んで、なおかつアライアンスの依頼とカグラ・コントラクターが衝突するような事態に陥った場合、確実に敵対してしまう。
 それが嫌だからと一般人として生きる道を選べば二人が危機に陥っても助けることができない。
 俺には何もできないのか、と辰弥は自問した。
 せめて、この施設から脱出できれば、二人の元に戻ることができれば、あるいは。
 だが、それも絶対ではない。
 今まで自分が「人間ではない」ということを隠して過ごしてきたのだ。信用はなくなっているだろう。
 そんな信用のない状態で今まで通りの依頼がこなせるかどうかなど分からない。
 帰ったところで「おかえり」と言ってもらえる保証もない今、辰弥には選択肢などないも同然の状態だった。
 カグラ・コントラクターに入るか、一般人に戻るか、それとも、「グリム・リーパー」に戻るか。
 辰弥の心は闇の中にあった。

 

to be continued……

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第8章の登場人物

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第8章 「うわき☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第8章」のあとがきを
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