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Vanishing Point 第7章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 そんな折に受けた依頼、現場にに現れた電脳狂人フェアリュクターに辰弥が襲われ、後れを取ってしまう。
 突如乱入してきたカグラ・コントラクター特殊第四部隊隊長の御神楽みかぐら 久遠くおんを利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 鏡介きょうすけが調べた結果、特殊第四部隊の介入は直前に御神楽財閥が侵入先の会社を買収していたことによるものだと突き止める。
 まずいところに喧嘩を売った、と不安になる三人。そんな折、これまで何度か辰弥たちが破壊工作を行ってきた「サイバボーン・テクノロジー」が暗殺連盟アライアンスに要人の護衛を依頼してきたのだった……

 

 
 

 

第7章 「Common Point -共通点-」

 

 雨が降っている。
 朝から降り出した雨は止むことを知らないかのように降り続き、いや、雨脚を強くし続けていた。
 バシャバシャと響く足音が家の前で止まり、ドアが激しくノックされる。
 怯える「僕」を片手で制した母さんが玄関に出て、それから小さく頷いた――ように見えた。
 母さん越しに、ドアの向こうに立っている大男が見える。
 大男は母さんに傘を差しだし、外に出るように促す。
「それじゃ、お母さんはちょっと出かけるから」
 振り返った母さんが「僕」にそう言ってドアをくぐる。
「――ごめんね
 聞こえるか、聞こえないかのギリギリの声。
 弾かれたように立ち上がって、「僕」は玄関に向かった。
 外に出て追いかけようとした「僕」をもう一人いた大男が制止する。
 離せ、と「僕」は叫んだ。
 大男の腕に噛みつき、振りほどいて、母さんを追いかける。
 しかし、母さんは初めの大男に促されるまま、この辺りでは見かけないような立派な車に乗り込んでいく。
 「僕」に追いついた大男が「僕」を突き飛ばし、「僕」はぬかるみに倒れ込んだ。
 それを忌々しそうに睨みつけた大男も車に乗り込んでいく。
 慌てて体を起こし、「僕」は車に向かって走った。
 とはいえ、まだ生身の子供である「僕」が車に追いつけるはずもなく、あっと言う間に車は走り去っていく。
 ぬかるみに足を取られ、「僕」は再び地面に倒れ込んだ。
 激しい雨が地面を、全身を叩き、張り付いた服から「僕」の体温を奪っていく。
 母さん、と「僕」は叫んだ。
 待って、置いていかないで、と。
 「僕」は分かっていた。
 このスラム街で、何の力もない子供が一人で生きていけるはずがないということを。
 だからかもしれない。
 「僕」は捨てられた。
 たった一人の家族である母さんに。
 あとは一人でなんとかしろと。
 母さん、と「僕」はもう一度叫んだ。
 この声はもう届かないけれど、でも届いてほしくて――

 

「――っ!」
 目を開けると同時にがばり、と身体を起こす。
 カーテンの隙間から差し込む光が目に入り、身体を起こした長身の青年――鏡介きょうすけが眩しそうに目を細めた。
 電脳GNSによって視界に映り込む時計を見ると交代を目前とした起床時間で、彼ははぁ、と一つ息を吐いてベッドから降りた。
 寝巻きを脱ぎ捨てシャワールームに入り、雑念を洗い流すかのように熱めのシャワーを浴びる。ドライヤーで乾かした髪を結ってから着替えのワイシャツに腕を通し、ジャケットを羽織り、現場に向かうためにドアへ向かったタイミングで、インターホンが鳴った。
 鏡介がロックを解除してドアを開けるとそこには彼より頭二つ分近くは小柄な青年――辰弥たつやが立っている。
「あ、準備できてたんだ」
 辰弥が鏡介を見上げてそう声を上げる。
 ああ、と鏡介が頷き、部屋を出る。
 入れ替わりで辰弥が部屋に入り、それから再び鏡介を見た。
「……やっぱり話さないの?」
 唐突な問いかけに、鏡介が首を傾げる。
「母親なんだよね? なんで何も言わないの」
 ほんの少し、問い詰めるような口調で辰弥が再び口を開く。
「……お前には関係ないだろう」
 先程の「夢」の内容を思い出し、忌々しそうに鏡介が呟く。
 ――あいつは俺を捨てた。何を今更。
 今回の依頼もただの偶然だ、俺とあいつは赤の他人だ、と鏡介は吐き捨てる。
 そのまま現場となる護衛対象の部屋に向かおうとした彼の腕を辰弥が掴んだ。
「何を――」
 邪魔するな、と言おうとした鏡介が辰弥の鋭い視線に射抜かれて言葉に詰まる。
 辰弥の深紅の瞳がいつになく厳しく見える。
「鏡介」
 厳しい口調で辰弥が言葉を紡ぎ出す。
「君が母親のことをどう思っているかは正直どうでもいい。だけどこれはれっきとした依頼だ、雑念持って当たらないで」
「それは当然だ」
 それくらい理解わかっている、依頼に私情は挟まない、と鏡介が確認するように言う。
「それならいいけど。無理はしないで」
 じゃ、俺は寝るから、と辰弥が部屋の奥に消えていく。
 閉じられたドアに、鏡介はもう一度ため息を吐いた。

 

 「一週間の護衛」という依頼が始まって既に十二日四巡が経過している。
 一切の武器持ち込み禁止、館内は万全のセキュリティシステムだけでなく防衛機構が組み込まれた「サイバボーン・テクノロジー」系列会社の高級セキュリティホテル。
 国の要人や特別に護衛が必要な人間がシェルターがわりに利用することもあるこのホテルで辰弥たちは泊まり込みの依頼を遂行していた。
 普段の彼らなら決して泊まることのないクラスのホテル、特にそのサービスにテンションが上がっているのは日翔あきとのみ。
 内装はここが物々しい警備で守られているとは一切感じさせない豪奢なもので客室の設備も最高級の物が取り揃えられている。
 テンション爆上がり、ノリノリで依頼の護衛をこなす日翔だが辰弥と鏡介は常に気を張り詰めてホテル外からの攻撃はないか、内部に何かしらの方法で武器を持ち込んだ人間はいないかと警戒している。
 今回の依頼はどこからか――恐らくはライバル巨大複合企業メガコープのどこかからか送り込まれた殺害予告、その対象である「サイバボーン・テクノロジー」重役の木更津きさらづ 真奈美まなみを予告期間守り通すというもの。
 予告期間は十巡、そのうち二巡は凌げたが買収された社員による攻撃もあり、最終的に中立を保っているフリーランスの集まり、暗殺連盟アライアンスに護衛の依頼が来た、という次第である。
 アライアンスがこの依頼に最適なチームとして辰弥たち「グリム・リーパー」を選抜した、というのが今回の経緯である。
 しかし、「グリム・リーパー」は現在辰弥が拾ってきた身元不明の少女、雪啼せつなを預かっている。一週間のホテル缶詰の依頼に彼女を連れていくことはできないため、普段から「グリム・リーパー」との連絡役を担当しているメッセンジャー、姉崎あねさき あかねが連携して雪啼を預かり、依頼の遂行をサポートしている。
 鏡介と入れ替わりで休息兼待機用に充てがわれたスイートルームにあるベッドルームの一つに入り、辰弥はどさりとベッドに倒れ込んだ。
 現時点では襲撃や食事への毒物混入といった異常事態は発生していない。
 当然、戦闘が発生することもないので傷を負うこともないがそれでもいつ何時何が起こるか分からないため緊張状態は続いている。
 三人で護衛するため、一人十六時間二日を護衛、八時間一日を休息に当てるという形で持ち回り、今は辰弥が休息の時間になった、というわけだ。
 高級ホテルで、しかも要人護衛ということで普段着慣れないスーツを着ていたため、ネクタイが首を締め付けるようで息苦しい。
 寝返りを打って仰向けになり、辰弥はネクタイを緩めて息を吐いた。
 スーツのまま寝転がっていてはしわになる、ということは頭では理解していても動く気になれない。
 仰向けのまま、辰弥は空中に指を走らせた。
 通信回線を開き、茜のGNSを呼び出す。
 しばらくのコールの後、茜が応答する。
《あら鎖神くん、休憩?》
 うん、と辰弥が頷く。
「そっちの状況はどうかなって」
 そう、辰弥が聞いたものの茜の様子は少し焦っているようで、何かがあったのかと勘繰ってしまう。
「なんか慌ててない? 何かあった?」
《落ち着いてから連絡しようと思ってたんだけど――ああ、『イヴ』さん、その部屋使って》
 一瞬、茜が振り返り後ろにいるらしき人物に声を掛ける。
八谷やたに来てるの? まさか――」
 アライアンスの人間の大半はメンバーの一員であり闇医者である八谷 なぎさのことを『イヴ』と呼んでいる。
 その渚が茜の部屋に来ている。
 茜本人は体調等になんの問題もなさそうなのでそう考えると可能性は一つ。
 少々苦い面持ちで茜が頷いた。
《せっちゃんが倒れたの》
「雪啼が!?!?
 辰弥ががばり、と上半身を起こす。
 依頼が始まる前、「パパと離れたくない」とぐずる雪啼はとても健康そうで大丈夫だと思っていたが。
「どういうこと、急病?」
 確かに雪啼は先天性色素欠乏症アルビノではないかと言われている。病院着らしきものを着ていたこともあり何かしらの病気を抱えているかもしれないと言われてたが、ついに何かしらの症状が出たというのか。
 分からない、と茜が答える。
《『イヴ』さんの見立てでは重度の貧血らしいわ。緊急で輸血するからって準備してもらってたの》
 なるほど、と辰弥が頷く。
 しかし、雪啼が貧血と聞いて彼は一抹の不安を覚えざるを得なかった。
 雪啼を預かってそれなりに日数が経過しているが、今まで一度も貧血など起こしていない。
 そのため、寝耳に水の話ではあったが今までから貧血の兆候はあったというのだろうか。
 それとも、普段とは違う食事で栄養バランスが偏ったか。
 辰弥の眉間にしわが寄る。
「姉崎、雪啼にちゃんと食べさせてた?」
 辰弥のその発言に、茜がえぇ~、と声を上げる。
《わたしがインスタント食品ばっかり食べさせてたって言いたいの? そ、それはもちろん、ちゃんと栄養バランスは、考えてたわよ……デリバリーも使ったけど……》
 茜の言葉尻がどんどん下がっていくのはデリバリーを使ったという負い目からだろう。
 いや別にそれで怒ったりしないし、と辰弥が茜をなだめる。
「でも、栄養バランス考えてたなら鉄分少ないとかそんなことはないよね」
《せっちゃん、『パパのレバほうれん草!』とか叫ぶから頑張って作ったわよ》
 それなら鉄分不足による貧血というわけでもないだろう。
 そう、思ったものの辰弥にはまだ懸念事項があった。
 以前から辰弥と雪啼の血縁関係は何度も疑われていた。
 それに関しては辰弥は頑なに「あり得ない」と否定してはいたが、外見――瞳の色が二人とも珍しい深紅ということで何かしらの関係はあるのではないかと言われている。
 辰弥は否定するものの「なら証明しろよ」とDNA鑑定をするという話まで持ち上がっているくらいである。ただ、それを行う前に今回の依頼が入ってしまったのだが。
 ――それとも、まさか。
 不安が辰弥の胸を締め付ける。
 ――まさか、雪啼は俺と同じ――?
 いやそんなことがあるはずがない。
 自分は雪啼を知らないし血縁であるはずがない、と否定し、辰弥は雪啼の容態を尋ねる。
 すると、通話の向こう側で「わたしが話すわ」という声が響き、通話に渚が割り込んできた。
《ああ鎖神君、ちょうどいいところで掛けてくれたわね。せっちゃんは今輸血中、ちょっと大切なことだから話しておきたくて》
「大切なこと?」
 渚の口調に、辰弥がふと不安そうな声を漏らす。
《ええ、とても重要なこと》
 そこまで渚が話したところで、これは自分が聞いていてはいけない話題だろうと思ったのか茜が「私はせっちゃんの様子見てくるから」と言い残して通話から降りる。
 二人きりの通話になり、渚は小さく息を吐いて口を開いた。
《せっちゃん、造血機能がひどく低いの。ほとんどないって言ってもいいかもしれない》
「どういうこと」
 そう呟くように訊ねた辰弥の声がわずかにかすれている。
《言葉の通りよ。造血幹細胞がほとんど機能していないの。あの子、元々定期的に輸血しないと生きていけない体質かも》
「それは」
 だったらおかしい、雪啼がうちに来てからそんなことは一度もなかった、と辰弥が反論する。
 それとも、その手の病気を発症したのか、と推測して辰弥は渚に尋ねるが、通話の向こうの彼女は首を横に振ってそれを否定する。
《再生不良性貧血とでも言いたいの? 確かに先天性のものもあるけれども大抵は後天性、でもせっちゃんの場合、ちょっと違う感じなのよね》
「具体的には」
 再生不良性貧血に関しては辰弥も聞きかじった程度の知識はある。「定期的に輸血が必要」という話でその可能性に至ったものの、渚は違うという。
《再生不良性貧血の症状じゃないもの。せっちゃん、あざとか出ててないし顔色が悪いわけでもない。なんと言うか……文字通り『血が少なくなった』という感じね》
「血が、少なくなった……」
 かすれた声で辰弥が呟く。
 その症状は――。
《鎖神君と同じね。貴方の貧血も血液の成分から来るものではなくて血液そのものが不足することが原因。まだ貴方の造血幹細胞は機能しているからそこまで重度の貧血には至らないけどせっちゃんは自分ではほぼ血液を作り出せない》
「なら、どうやって……」
《それは私が知りたいわ。それこそ、最近話題の吸血殺人事件の犯人だったりして》
 まさか、と辰弥が呟く。
 そんなことがあるはずがない。
 雪啼はまだ五歳くらいの子供である。そんな子供が大の大人を殺して血を吸うなんてことができるはずがない。
 そこまで考えてから、辰弥はふと思い出した。
 今までの雪啼の行動の数々。
 それに、辰弥は何度殺されそうになったか。
 あれは事故だったり分別もつかず衝動的に行ったものだと認識していたが、「雪啼が犯人かもしれない」と考えるとある程度辻褄が合ってくる。
 ――雪啼は、本当に、俺を――?
「いや、まさかね」
 首を振って辰弥は自分の思考を否定した。
 それならまだ自分が無意識のうちに行った犯行だと考えた方が納得できる。
 しかし、渚は辰弥のその思考を許さなかった。
 はっきりと、自分の考えを口にする。
《鎖神君、ちゃんと調べた方がいい。せっちゃんは、貴方と同じかもしれない》
「それ、は――」
 あり得ない。あんな五歳の子供が「自分と同じ」とは考えたくない。
 そもそも四年前に――
《鎖神君、何を知ってるの?》
 ふと、投げかけられた渚の強い言葉。
 辰弥が言葉に詰まり、呆然としたように視界に映り込む彼女を見る。
「俺、は、何も――」
 本当の話だ。雪啼に関しては何も知らない。
 だから「可能性」の話としても信じたくなかった。
 そんなことがあるはずがない。自分は、雪啼という存在を知らない。
 しかし。
 考えれば考えるほど、辻褄だけが合っていく。
 雪啼が吸血殺人事件の犯人である可能性も、自分と同じである可能性も、そして自分に明らかな殺意を持っているということも。
 どうすればいい、と辰弥は考えた。
 雪啼のことを、もっと本気で調べなければいけないのか。
 鏡介は桜花国この国のかなりの数のデータベースを漁ったが何も見つからないと言っていた。
 いや、その範囲は恐らく狭すぎる。
 もっとその範囲を広げれば。
 ――いや、そんなことをすれば。
 もう隠せないのか、と辰弥が唇を噛み締める。
 強く噛みすぎて口内に錆びた鉄の味が広がるがそれに構っていられない。
「……ごめん八谷、俺にはもう何も言えない」
《……そう、》
 渚が低い声で呟く。
《まあ、鎖神君がそう言うならこっちは強く言えないわ。私と貴方の約束でしょう》
「八谷、」
《でも、覚悟はしておいた方がいいんじゃないかしら。遅かれ早かれ、はっきりすることになるわよ》
 これ以上は隠し通せないと渚は言う。
 潮時かもしれない、と辰弥も小さく頷いた。
 全てが明らかになれば自分は確実に「グリム・リーパー」に残留することはできないだろう。
 それでもいいか、とふと思う。
 自分は元から普通に存在していい存在などではない、そんな思いが辰弥の胸を過る。
「……ありがとう八谷」
 不意に、辰弥が呟くようにそう言った。
《いきなり何を》
 怪訝そうな渚の顔。
 ふっ、と辰弥がかすかに笑みを浮かべた――ように彼女の視界に映る。
「いや、俺もここまでかなって。この四年、楽しかったよ」
《まさか鎖神君、貴方――》
 ちょっと待って早まらないで、と渚が言う。
 それは勿論、と辰弥も答える。
「仕事があるんだ、今日明日にとかは考えてないよ。ただ、やっぱり俺は生きてていい存在じゃない」
《鎖神君……》
「今回の依頼が終わったらその時に考えるよ」
 何かを決断してしまったような辰弥の声。
 渚がそれは、と引き留めようとするが、辰弥は「とりあえず雪啼はちゃんと診てあげて」とだけ言い残して通信を切断してしまう。
「……」
 再びベットに仰向けに転がり、辰弥は天井を見上げた。
 深紅の瞳が豪華な装飾の天井を彷徨うように見る。
「……そういうものだよね」
 ぽつり、と呟く。
 日翔はともかく、鏡介は辰弥に多少の疑問を持っている。
 遅かれ早かれ全ては暴かれるだろうと覚悟していたが、その時がいよいよ来たと考えていいだろう。
 ――本当は、もう少し――。
 考えていても仕方ない。
 とりあえず、次の交代までしっかり休まなければ、と辰弥は思い直し、部屋着に着替えるために体を起こした。

 

◆◇◆  ◆◇◆ 

 

「へー、あんた、なかなかやるな」
 日翔が興味津々の顔で盤面を見ながら目の前の護衛対象対戦相手に称賛の言葉を贈る。
「俺はリバーシってきょ……鏡介Rainにいくつかの定石教わってちょっとかじった程度だからそこまで強くないけど、この手はなかなかやるなって分かるぞ」
「あら、そう言ってもらえると嬉しいわ」
 日翔と盤面を挟んだ向かいに座る女性――真奈美が嬉しそうに微笑む。
「生きていくためにはこういったゲームであってもきちんと知っておく必要があるから。適当に打って相手を怒らせれば殺されるのがこの世界よ」
 八掛ける八マスの緑の盤に白黒のチップを置いて相手のチップを自分の色に染める、シンプルながらも奥の深いゲーム。
 シンプルなルールゆえに手軽に遊べることから今ではGNSやCCTの通信対戦アプリとしても人気の高い二人用のボードゲームである。
 ただじっとしているだけではつまらない、と暇つぶしに日翔が真奈美に対戦を持ち掛け、ものの見事に玉砕したところである。
「まあ、普段はCEOの相手でシャトランジをさせられていたし、暇つぶしするならそれかなと思ってたのにまさかリバーシ挑まれるとは思ってなかったわよ」
「流石にシャトランジはルールが分からねえから。あれだろ、将棋みたいなものって聞いてるけど実はやったことがなくて」
 子供ガキなら将棋くらい誰でもやるって言われるけど俺はそんな友達いなかったし、リバーシだって辰弥BBとやったのが初めてかもと言いつつ日翔が盤面のチップを回収し始める。
 それを眺めていた真奈美が、ふと、口を開く。
「貴方たちって仲いいのね」
 羨ましい、と言う真奈美の言葉に日翔が頭を掻きながらまあな、と頷く。
「なんだかんだ言って俺たち仲間だからさ。普段から仲悪くて全滅しましたじゃシャレにならねーから」
日翔Gene、あまりこっちの事情をペラペラ喋るな」
 二人と同じ室内の隅の方、ソファに座ってGNSで情報収集を行っていた鏡介が釘を刺した。
「えー、別にヤバいことは話してないだろ」
 日翔が抗議するが鏡介は二人に視線を投げることなく、せわしなく中央制御システムメインフレームをハッキングして取得した館内の防犯カメラの映像を眺めている。
「元からお前は口が軽い。なんでも喋りすぎなんだよ」
 日翔は非常に口が軽い。そして見知らぬ相手でも物怖じせず話しかけていく。
 さらに厄介なことに、滅多なことで嘘をつかない。
 それに対しては「聞かれなかったら言うな」を徹底させてこちら側の情報を漏らさないようには対策しているがそれでもかなり雄弁な方だろう。
 鏡介の言葉を聞いた真奈美がクスリと笑って謝罪する。
「ごめんなさいね。貴方たちの事情も分かっているはずなのに色々聞いて」
「……いや、いい。あんただって俺たちはまだ信用できないだろう」
 依頼の内容を思い出しつつ、鏡介がぶっきらぼうに答える。
 「サイバボーン・テクノロジー」に寄せられた殺害予告の内容は、こうだ。

 

 我々は貴社のスパイル・アーマメント開発プロジェクトを認めない。
 よって、貴社の機密情報を握っているという木更津 真奈美を殺害することにした。
 十巡、我々は十巡以内に彼女を殺す。
 もし、その十巡を凌ぐことができれば我々もこの件から手を引こう。
 これはゲームだ。なお、そちらに拒否権は存在しない。
 この手紙が届いた瞬間から十巡間、全力で守ってみせろ。

 

 ごくごくシンプルな殺害予告。
 手紙の文面は「グリム・リーパー」の面々にも開示されているため知っていたが、穏やかな話ではない。
 しかし引っかかる点もある。
 現時点では不明の差出人はどうして木更津 真奈美が「サイバボーン・テクノロジー」の機密情報を握っていると把握したのか。
 それに関しては企業スパイが当たり前のように横行している巨大複合企業メガコープ企業間紛争コンフリクトの一環だろうと予測はできる。
 それでも真奈美一人を殺したところで「サイバボーン・テクノロジー」が傾くとも思えず、また、企業が一個人をここまで厳重に護衛することもそうそうあり得ない話ではある。
 一体何が、と疑問に思うもクライアントの事情を聞き出すのはアライアンスとしてはご法度で辰弥たちはただ護衛するしかない。
 「もう一戦」と日翔が真奈美に声をかける。
 いいわ、と真奈美も頷いた。
 それから、ちら、と鏡介を見る。
 真奈美に視線を投げられた鏡介が思わず目を逸らす。
「……私と一緒にいるの、そんなに嫌?」
 突然、真奈美に質問された鏡介が答えに詰まる。
「いや、別に俺は――」
「いいのよ。見ていて分かるわよ。貴方、単に女性が苦手なだけじゃないでしょ」
 真奈美は見抜いていた。鏡介が自分に対してあまりいい感情を持っていないことを。
「そうよね、一週間缶詰で私の護衛なんて退屈なだけでしょ? でもあと三巡だから、ごめんなさいね」
「謝らないでくれ。報酬をもらっている以上、報酬分の働きはする」
 相変わらず、ぶっきらぼうに鏡介が答える。
 そうね、と真奈美も小さく頷き、それから立ち上がって鏡介の前に移動する。
 鏡介の前で屈み込んで視線を下げ、彼女は鏡介の顔を見た。
「……っ……」
 思わず鏡介が顔を逸らす。
 真奈美が、いたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべた。
「Rain、貴方、もうちょっと遊んだほうがいいわよ」
 そう言い、そっと手を伸ばして鏡介の手を取る。
「な、ちょ――」
 途端に赤面し、硬直する鏡介。
「あら、女性に触られるのは苦手?」
 初日から思ってたけど貴方って私好みのイケメンなのよね、と言いながらも真奈美は鏡介の手に指を滑らせる。
「なかなかのイケメンなのに、勿体ないわね」
 こう見えても昔は色んな男を手玉に取っていたもの、と嘯く真奈美に鏡介が完全に硬直してしまっている。
 「俺はあんたの息子だ、息子にも手を出すのか」という言葉が鏡介の喉元にまでこみ上げてくるがここでそんなことをばらせば何が起こるか分からない、とぐっと飲み込む。
 真奈美護衛対象は俺が息子だと気づいているのか、と鏡介は一瞬考えるが彼女の目は獲物を狙う女豹のようで、相手が息子だとは全く思っていないように見える。
 彼女の後ろで日翔が口笛を吹くがそれに反応できる鏡介ではない。
「あ、あの、だからそれは――」
 真奈美の手がまるで恋人つなぎをするかのように鏡介の手に指を絡ませる。
 暴れて抵抗することすらできずに、鏡介は目を見開いてその手をを見て、そして――
「あ、あ、あの、その……」
 彼は口をパクパクさせ、それからそのままバタリとソファに倒れ込んだ。
「あー……」
 その様子を眺めていた日翔が呆れたように声を上げる。
「Rainの奴、女に免疫がないのは分かってたがここまでかよ」
 ていうかさー、手をつながれたくらいで目を回すとかなんなんなどと嘯きながら日翔も立ち上がってソファに移動し鏡介を揺さぶる。
「おい、仕事中だぞー」
「うぅ……」
 目を回していた鏡介が低く呻く。
 それからはっとしたように体を起こして真奈美から離れるようにソファの端に移動した。
「あら、刺激が強すぎた?」
 あっけらかんとした様子の真奈美とは真逆にすっかり怯えた様子の鏡介。
「残念ね、せっかくCEO以外に遊べそうな男を見つけたと思ったのに」
 心底残念そうに真奈美が呟き、ぺろりと舌なめずりをする。
「こう見えてね、私はイケメンが大好きなの。CEOみたいな脂ぎったオジサンは相手してても疲れるだけなのよ」
 確実にターゲットにされた、と認識した鏡介がずりずりとソファの背に背中を擦り付ける。
 いつでも逃げ出せるような体勢になりつつも彼女を見て、
「な、なるべく俺に近寄らないでくれ」
 そう、言い放った。
「Rain……お前、流石にそれは……」
 日翔が思わずそう言いかけるがすぐに口を閉じる。
 鏡介も「それ以上言ったら殺す」と言わんばかりの顔で日翔を見る。
 日翔は「母親だろ」と言いかけたし鏡介もそれに気づいたからだが、真奈美にはその沈黙が単純に「言い過ぎだろう」という意思表示に見えたらしい。
 真奈美が鏡介の母親かもしれないという話は絶対に口にするなと辰弥から言い渡されている。
 仮に、真奈美がその事実を知った場合、何かあった際に依頼の遂行に支障が出る可能性が出てくる。
 もう一つは鏡介本人が「息子かもしれないということは開示しないでほしい」と要望したからで、辰弥もその要望を受け入れた形となる。
 一番の懸念は日翔がうっかり口を滑らせることだったが、流石の彼も嘘はつかずとも言うなと言われたということはそう簡単に言わない、ということらしい。
 日翔が口を滑らせなかったことにほっとしつつ、鏡介はソファの端に座り直した。
 真奈美も何事もなかったかのように鏡介から離れ、日翔に促されてリバーシ盤の前に座る。
 二人の対戦が始まったことを横目で見つつ、鏡介は館内の防犯カメラの映像の監視に戻っていった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 依頼で指定された期日最終巡の二日目。
 殺害予告で指定された十巡間の最終巡でもある。
 「グリム・リーパー」が護衛に当たってから、そして真奈美がこのセキュリティホテルに避難してからは一度も襲撃や毒物混入等の加害行動もなく、回りは「このまま諦めるのではないか」という空気が漂っている。
 ただ、「グリム・リーパー」の三人だけがいつになくピリピリした様子で真奈美の部屋で警戒していた。
 最終巡ということで三人ともが普段の交代での休息を取らず、真奈美の部屋に集っている。
「Rain、様子はどう」
 緊張した面持ちの辰弥に鏡介が空中に指を走らせいくつかの防犯カメラの映像を転送する。
「特に問題はないな。出入り口の荷物チェックにも不審な点はない」
 鏡介の報告に辰弥はちら、と日翔を見た。
「Gene、寝ていいとは言えないけど休憩してていいから」
「おう」
 日翔が頷き、ソファにごろりと横になる。
「もし寝てたら起こしてくれ」
 了解、と辰弥が小さく頷き、真奈美を見る。
「あんたはどう思ってる」
 辰弥に話題を振られた真奈美がそうね、と小さく頷いた。
「もし、狙うとしたら今日でしょうね。場合によってはこのホテルを出た瞬間とか」
 いくら「十巡」と期限を切ってきたとしても相手が必ずしもこの約束を守るとは断言できない。油断したところを襲うのは常套手段である。
 周りの、辰弥たちを除く護衛は「もう諦めたんだろう」と楽観視しているが真奈美がそうでなかったため、辰弥はほっと息を吐いた。
 ここで真奈美まで油断していると万一何かが起こった場合の対処は遅れる。
 残り十六時間弱、守り切れば「グリム・リーパー」の今回の依頼はひとまず終了となる。
 一時期は「雪啼が倒れた」という連絡が入ったもののその後は特にプライベート側での問題もなく、辰弥は「雪啼のお土産、どうするかな」と少し考えていた。
 それでも警戒だけは怠ることなく、じりじりと時間だけが経過していく。
 そんな、緊張した時間が数時間過ぎた頃。
「おいBB、ちょっと見てくれ」
 不意に、鏡介が辰弥に声をかけ防犯カメラの映像を転送する。
 その言葉に部屋の中の緊張が一気に高まる。
 映像を転送された辰弥が映り込んでいるものを確認する。
 それは、一見、何の問題もないエントランスの所持品チェックのカメラ映像だった。
 首に下げられた社員証は「サイバボーン・テクノロジー」の人間であることを示している。
 X線検査のゲートに複数の男たちが通され、検査を受けている。
「……ぱっと見は問題なさそうだけど」
「あいつら、義体だ。チェックで武器の類は全て外されているし外腕刃ブレード・アームは装備していないようだが警戒することに越したことはない」
 鏡介にそう言われて辰弥も映像に映る男たちを凝視する。
 確かに、見た目はごく普通の人間の手足のようだがX線の映像はそれがホワイトブラッドを使った義体だと示している。
 このホテルは別に義体を受け入れないという方針ではなかったが、利用者の大半が富裕層を占める状況でホワイトブラッドを必要とする、出力の高そうな軍用義体の人間が、それも複数入館するとは珍しい。
 欠損した手足を補完する義体が普及して久しい。しかし、高性能な義体となると全身の血液を人工循環液ホワイトブラッドに置き換える必要があり、これは定期的に透析し直す必要がある。そんな大きな手間があるホワイトブラッドへの置換が必要な高性能な義体を用いるのは、傭兵やギャングのような、その手間ですら受け入れなければならないほどにそれを必要とする人間くらいのものである。そんな物とは無縁の富裕層が体をホワイトブラッドを必要とする義体に換装することは考えられない。
 義体が普及したからこそ生身至上主義者も存在するわけで、生身というだけで優遇される施設もあるくらいである。
 それを考えるとホワイトブラッドを使った義体の人間が、それも複数入館したということは何かがおかしい。
 何事もなければいいが、と思いつつ辰弥は鏡介に指示を出した。
「そいつらを常に監視してて。移動ルート含めて全部教えてほしい」
「了解だ、BB」
 鏡介が視界に映り込むウィンドウを操作し、館内の防犯カメラの映像を先ほどの義体の男たちが優先的に確認できるように並べ直す。
 日翔も身体を起こし、真奈美の隣に立った。
「なんもねーとは言いきれないから、一応安全そうなところにいた方がいい」
 そうね、と真奈美も日翔に誘導されて万一ドアが破られても射線に入らない場所へと移動する。
 武器持ち込み禁止のホテルで、入館チェックをクリアしているから銃なんてものは持っていないはず。それなのに辰弥の胸を締め付けるようなこの不安は何だというのか。
 ――丸腰ではない、何かあるはず。
 丸腰ではない、という妙な確信がある。
 どういう理屈かは分からない、それでもこいつらだけは侮ってはいけない、何か持っているはず、そう何かが囁いてくる。
 辰弥もドアに通じる廊下の端に背を付け、警戒する。
 そのまま緊迫した数分が経過する。
「おい、BBビンゴだ、『サイバボーン』の本社データベースを調べたが、社員IDが存在しない」
 鏡介が報告し、辰弥が小さく頷く。
 日翔は真奈美のすぐ傍に控え、いつでも庇える体制に入った。
「そんな、そこまで警戒せずとも彼らは社員だぞ? ましてこの短時間でサイバボーン・テクノロジーうちの社員を全検索できるわけが……」
 比較的楽観的に構えていた真奈美の付き人が心配そうな面持ちになり、日翔に言う。
「バカ言うな、Rainが調べたんならそれは間違いない。あいつのハッキングスキルを舐めんな」
 じりじりと焦れるような時間だけが経過する。
「このエリアに入ってきた。BB、防衛システム使っていいか?」
 館内の中央制御システムメインフレームはこの依頼が始まった時から鏡介が掌握している。防衛システムを起動して危険人物を排除することは簡単である。
 客室内にはそのような設備は設置されていないが廊下には数多くの無人銃塔タレットが仕込まれており、有事の際には画像認識で指定されたターゲットを排除できる。
「まだ作動させないで。でも認識登録はよろしく」
 角からドアの方向を警戒したまま、辰弥が指示を出す。
 鏡介が頷き、先ほどの入館チェックの映像から切り取った男たちの顔情報を部屋付近のタレットに登録した。
 ホテルの床はカーペットになっていて足音は響かない。
 それでも今までの移動速度から、辰弥は男たちのこの部屋までの到達時間を計算する。
 鏡介もカメラを切り替えつつ、男たちの動向を見守る。
 男たちが真奈美の部屋の前に到達する。
「立ち止まったぞ」
 鏡介のその声で、室内の緊張が一気に高まる。
 ただ真奈美に用があるだけの「サイバボーン・テクノロジー」の社員なのか、それとも本当に――。
「ん? こいつら、鞄から何かを――」
 防犯カメラで様子を窺っていた鏡介が怪訝そうな声を上げる。
 その瞬間、辰弥が叫んだ。
「伏せて! Rainは防衛システムを!」
 次の瞬間、ドアに何かが撃ち込まれる音が響き、直後、蹴破られる。
「はぁ!?!?
 そう声を上げつつも鏡介が防衛システムを操作、部屋の周りのタレットを起動させる。
 廊下の壁や天井に隠すような形で据え付けられていた数機のタレットがドアを蹴破った男たちに発砲する。
 最後尾の二人ほどはそれを回避する間も無く撃ち抜かれるが、残りの数人は既に部屋に侵入していた。
 慌てふためきつつも真奈美を護衛しようとした付き人が侵入者に撃ち抜かれて床に倒れ臥す。
「あんたはここに!」
 真奈美をベッドの陰に隠し、日翔が床を蹴った。
「Rain、真奈美さんを頼む!」
 日翔の言葉に鏡介が頷き、真奈美に駆け寄る。
 ハッキング特化で戦闘能力がほとんどない鏡介には真奈美を庇うのが精一杯である。
 それなら強化内骨格インナースケルトンで戦闘用義体並みの出力が出せる日翔と体術もそれなりに心得ている辰弥が前面に立つ方がいい。
 実際、辰弥は廊下になだれ込んできた男達の前に飛び出しその身のこなしで翻弄、数人を転倒させている。
「何なんだよこいつら、普通に銃ぶっ放してるがどうやってあの入館チェックすり抜けたんだよ!」
 黙々と敵を排除する辰弥に対し、日翔がそう叫びながら別の男を捉えて殴り倒す。さらに別の男の腕の武器格納庫ウェポンベイから義体透過性金属探知機では検出されなかったカーボン製ナイフが飛び出してくる前に義手を引きちぎることで対応している。
 真奈美が小さく悲鳴をあげて鏡介に縋り付く。
「落ち着け、あいつらならあんたを守ってくれる」
 真奈美の肩を抱き、鏡介はそう言い、それからベッドの向こうの戦闘を見る。
 X線透過映像で視界に届く様子に、二人が善戦はしているもののそれでも苦しい戦いを繰り広げていると判断する。
 「武器持ち込み禁止」のレギュレーションを守り、こちらは丸腰である。
 しかし、向こうは明らかに銃を所持している
 何発もの銃弾が飛来し、ベッドを穿つ。
 真奈美が再び悲鳴をあげる。
「BB、Gene! 大丈夫か!」
 鏡介が叫ぶ。
「あと一人!」
 そう怒鳴りながら辰弥が足払いで相手の足元を掬い、相手がバランスを崩したところを日翔が殴り倒す。
 戦闘の喧騒が止み、静けさがあたりを満たす。
「どうする、BB」
 日翔が倒れた男の手元から銃を蹴り飛ばし、辰弥を見る。
 辰弥はというと何かを考え込むかのように眉間にしわを寄せていたが、すぐに日翔を見て、それから何かを押し付けてきた。
「え、一体何を――って!」
 日翔が驚きの声を上げて自分の手元、辰弥が渡してきたものを見る。
 それは、日翔が普段の依頼で使用している愛銃ネリ39R
 いや、よく見れば細部が違う気がしないでもないがそれでも使い慣れた銃とそのマガジン数個が日翔の手の中にある。
「ごめん、準備が遅れた。それ使って」
 いささか青白い顔をした辰弥も普段愛用しているハンドガンTWE Two-tWo-threEのスライドを引いて初弾を装填している。
「おま、これ、どうやって……」
 入館時に受けた厳重なチェックを思い出し、日翔が尋ねる。
 だが、それには答えず辰弥は蹴破られた客室のドアから身を乗り出して廊下を確認した。
 防衛システムが作動したことで館内に警報が鳴り響き、そこかしこから叫び声が聞こえる。
 その防衛システムもこの部屋から離れたところでも作動していることを確認し、辰弥は今の襲撃で全てが終わったわけではないと判断する。
 このままこの部屋にいては危険だ、と辰弥の本能が囁く。
 ドアを蹴破られた時点でこちらは侵入者をひたすら防ぐ防衛戦になる。
 しかし、一人でも乗り込まれればほぼこちらに勝ち目はなく、また、手榴弾でも投げこまれれば自分たちだけでなく護衛対象まで、全員が吹き飛ばされるだろう。
 避難するしかない、と辰弥は考えた。
 その上で、鏡介に指示を出す。
「Rain、『サイバボーン』本社に連絡を! ここも安全じゃない!」
「もう連絡済みだ、今装甲リムジンを手配してもらっている、五分後に到着する!」
 自分に縋り付いて震える真奈美の肩を抱いたまま、鏡介が答える。
 その判断と対応の早さにほっとしつつも、辰弥は廊下から身を乗り出して数発発砲、銃を構え迫る男を正確に撃ち抜く。
 ……だが、ふと不安を覚える。
「待って、向こうは『サイバボーン』の社員を偽装し、こっちの警備を把握してる。『サイバボーン』にスパイがいるのかも。『サイバボーン』の手配する車に乗るのは危険だ。アライアンスに連絡して、ポーターを手配して!」
「了解だ!」
 鏡介が頷き、連絡役である茜に回線を開く。
「……事情は後で話す、装甲車を持ってるポーターを手配してくれ!」
 そう一方的に告げて回線を切り、鏡介が辰弥に頷いて見せる。
 日翔も銃にマガジンをセット、初弾を装填して鏡介と真奈美に移動するよう促す。
 鏡介に肩を抱かれたまま、真奈美が姿勢を低くしたまま走り始める。
 と、背後で防弾仕様の窓ガラスが破られ、室内に何かが飛来、床に転がるのではなく張り付いて点滅する。
 遠隔操作の小型爆弾だ、と日翔が鏡介と真奈美を部屋の外へ突き飛ばし、自分も転がるように客室から出る。
 直後、爆弾が爆発し、部屋の中のもの全てを吹き飛ばす。
「っぶねえ!」
 少しでも反応が遅れていたら死んでたぞ、とぼやきつつ、日翔は突き飛ばした二人を助け起こした。
「Gene、助かった」
 真奈美を抱えながら鏡介がそう言い、「大丈夫?」という辰弥の確認にも頷いて走り出す。
 辰弥が先行して廊下を走り、鏡介に庇われながら真奈美が後を追う。
 しんがりを日翔が務め、時折飛来する銃弾には当たらないことを祈りつつ四人は階段を駆け下りる。
「BB、正面ではなくて非常口に回れ! そっちに車を回してもらう!」
 一階に到着したところで鏡介が指示を出す。
 了解、と辰弥が頷き、それから周りを見た。
 鏡介が非常口に車を回したのは正面入り口が既に封鎖されていたから。
 正面からは誰も通さぬとばかりに多数の武装した男たちが待ち構えている。
 防衛システムも動作はしているが、数人が防弾盾バリスティックシールドを構え、防御している。
 これを突破するのは辰弥と日翔の銃では不可能。
 幸い、非常口は手薄になっていて、一同はすぐに外部への連絡通路に飛び込んだ。
 しかし、そこで辰弥が足を止める。
「BB!?!?
 日翔が声を上げる。
 急げ、どうして止まる、と。
「行って! 俺は後で合流する!」
 通路に置かれたロッカーで遮蔽を取りながら辰弥が叫ぶ。
 通路の向こうからは殺害対象が正面入り口ではなく非常口に回ったと察した男たちが迫り来ている。
 このまま三人で車に向かったとしてもすぐに追いつかれ、車に乗り込む前に全員殺されるだろう。
 それなら辰弥が一人残り足止めした方が少なくとも護衛対象は守り切る可能性が高まる。
 少なくとも、護衛対象は。
 だが、それをすれば――。
「BB、お前死ぬ気か!?!?
 お前を置いて行けるか、と日翔が怒鳴る。
 それでも辰弥は「いいから行って」と振り返ることなく怒鳴る。
「俺よりも護衛対象の方が命は重いの! それにこの依頼、失敗すれば『サイバボーン』から報復を受ける可能性がある! だから行って!」
 数発発砲しながら辰弥が続ける。その視線の先で数人の男が倒れるも、それを乗り越えるように別の男が迫ってくる。
 男たちが撃つ銃弾が日翔の頬をかすめる。
「クソッ、いいからお前も来い!」
 鏡介と真奈美を庇いながら日翔も応戦する。
 しかし、それでも辰弥は頑としてその場を動こうとしなかった。
 むしろ、正面からの攻撃に構わず振り返り――。
 その銃声だけがやけに大きく響いて聞こえた。
「B、B……」
 日翔がかすれた声で呟く。
「それ以上俺に来るように言うなら本気で撃つ」
 日翔に銃口を向けた辰弥が冷たい声で宣言する。
「これはリーダーの命令、二人を連れて脱出して」
 再び振り返り、辰弥は改めて迫りくる男たちに向かって発砲を始める。
 その圧に、日翔は辰弥の意志の硬さを思い知った。
 ――そこまでして、お前は。
「Gene、もたもたするな!」
 それでもなお、辰弥に手を伸ばそうとした日翔に鏡介が声をかけた。
「BBの覚悟を無駄にする気か! 信じろ、そう簡単に死ぬタマじゃないだろ!」
 むしろこっちの方が重要だ、依頼を失敗させるわけにはいかない、と鏡介が続ける。
「……あ、ああ」
 鏡介と真奈美を見て、それから日翔はもう一度辰弥を見た。
 辰弥はこちらを一切見ることなく、正確に敵を排除しつつある。
 ――死ぬなよ。
 そう、口にせず辰弥に語り掛け、日翔は辰弥に背を向けた。
 鏡介と真奈美を庇うように通路を駆け抜け、非常口から外に出る。
 その目の前に、一台の装甲車が急停車した。
「あんたらか! 今回の依頼人ってのは!」
 後部座席のドアが開くと同時に助手席の窓も開き、運転手が叫ぶ。
「なんかヤバいことになってんじゃねえか、とっとと乗りやがれ!」
 運転手の声に、日翔は前に出て辺りを見る。
 装甲車の後方からは武装した車が、それ以外にも複数の武装した敵の姿が見える。
「マジで殺る気だな! Rain、走れ!」
 こちらに向けて発砲しようとする敵に応戦するように発砲し、日翔が怒鳴る。
 鏡介に誘導され、真奈美が装甲車に駆け寄る。
 鏡介もそれに並走し、真奈美に手を貸して車に乗せようとして――
「――っ!」
 日翔の死角、そして確実に真奈美を撃ち抜ける位置に控える敵の姿を視認した。
 ――マズい!
 咄嗟に真奈美に覆いかぶさり、鏡介は同時に彼女を車に押し込むように突き飛ばした。
 同時に響く銃声。
 はっとして日翔が銃声の方向を見る。
「がはっ!」
 鏡介の身体がぐらりと傾ぐ。
「Rain!」
 日翔が叫び、鏡介に駆け寄る。
 飛来した銃弾が腕をかすめるがそれに構わず強引に鏡介を掴み、装甲車に放り込む。
「おっさん、出してくれ!」
 強化内骨格インナースケルトンの出力で強引に装甲車に乗り込んだ日翔がドアを閉めながら叫ぶ。
「あいよ!」
 運転手が返答し、アクセルを踏み込む。
 急発進した装甲車は目の前に立ちふさがろうとした数人を容赦なく撥ね飛ばし、そのまま資材搬入用の道路から一般道路に飛び出した。
「Rain!」
 日翔が苦しげに呻く鏡介を真奈美と共に抱え上げ、後部座席に横たえる。
 幸い、この装甲車は物資輸送にも使われるそれなりに大型なものだったため、身動きできないことはない。
 揺れる車の中で座席に横たえた鏡介と見た日翔は、ぬるりとした感触に自分の手を見る。
 その手をべったりと汚す白濁した液体ホワイトブラッドに日翔が驚いたように鏡介を見た。
「Rain、お前……」
 義体だったのか、と日翔がかすれた声で呟く。
「……Gene……」
 苦しげに呻きながら鏡介が日翔を見る。
「護衛、対象、は……?」
「大丈夫よ、貴方が庇ってくれたから私は怪我一つない」
 真奈美が床に膝をつき、鏡介の手を握る。
「おいおいおいおい、なんか無茶苦茶追いかけて来てねえか!?!?
 不意に運転席で男が叫ぶ。
「なんか撃ってきてるんですけど!?!? お前ら、何やったの!?!?
「いいからあいつら撒いて指定した場所に行ってくれ!」
 日翔が怒鳴り返し、改めて鏡介を見る。
「いやいや、俺本当は銀行強盗とかを警察から逃がすのが仕事なんですけど!?!? 巨大複合企業メガコープの所有軍なんか相手にできるか! ってなんか四年くらい前に言った気がするぞ!」
「知るかよ! カグラ・コントラクターカグコンから逃げ切った伝説の運び屋ポーターなんだろ!」
 日翔がCCTに送られてきた運び屋の情報を見ながら再び怒鳴り、男も「あれは依頼人が強かっただけで俺は普通の運び屋なんだよ!」と返すが男の運転は的確で、時折追手の車からの射撃が命中するものの装甲車の走行に支障が出るような被弾はなく、それでいて傷を負った鏡介に過度の負担がかからないように車を走らせている。
「へへっ、この調子ならあのルートを使えば全員撒けるな――ちょっと揺れるが我慢してくれよ!」
 男はさらにアクセルを踏み込み、入り組んだ市街地に突入する。
 車の装甲に当たる銃弾の音も徐々にまばらになり、そこで日翔は漸く落ち着いて辰弥のGNSを呼び出した。
 数度のコール音。
 呼び出しがかかったことで辰弥がまだ生きていることを確認した日翔はほっとしつつも応答を待つ。
 ややあって、漸く辰弥が応答した。
《離脱できた?》
「ああ、こっちは何とか。お前も離脱しろ」
 そう言ってから、鏡介のことをどう報告するかと一瞬悩む。
《護衛対象は?》
 辰弥にとっては一番の懸念事項、真奈美のことを訊かれ、日翔は大丈夫だと答えた。
「それは大丈夫だ、怪我一つない。だが――Rainが撃たれた」
《はぁ!?!?
 ちょっと待って生きてるの? という辰弥の質問に「息はある」と答えた日翔が深刻そうな面持ちで鏡介を見る。
「まだ、生きてる。だが早く治療しないとやばい」
《どこ撃たれたの?》
 そう質問してくる辰弥の側からもひっきりなしに響く銃声に日翔はお前も早く離脱しろよと思いつつ答えを返す。
「背中だが――位置的に、腎臓のあたりだと思う。もし腎臓がやられてたら致命傷だぞ」
 傷口からの白い出血は止まる気配がなく、装甲車のシートを白く汚していく。
《……依頼、は、最優先……》
 回線の向こうで辰弥が唸る声が聞こえる。
 鏡介を治療してもらいたい、しかし依頼が最優先である以上場合によっては彼を諦めるしかない。
 がたん、と車が揺れ、鏡介が苦しげに呻く。
「俺、は……いいから――」
「バカ言うな! とにかく、義体も診てくれる病院に! BB、お前は離脱だけを考えろ、こっちはこっちで対応する!」
 そう言って回線を閉じ、日翔が運転手に行き先を病院に変更するよう告げようとする。
 それを鏡介が呻きながらも制止する。
「依頼、の、方が――ッ!」
「Gene、私はいいから病院に回して! Rainの治療が先よ!」
 鏡介の手を握ったまま真奈美が言う。
「あんた、なにを――」
「追手を撒けたならチャンスは今しかない。相手は私の居場所を見失ったロストしたから病院に行けばむしろ居場所が分からなくなるかも。だって、私の護衛状況は筒抜けだったんでしょ? 次逃げ込む先だって――」
 真奈美の言うとおりである。
 彼女の護衛状況は完全に筒抜けになっていた。「サイバボーン・テクノロジー」内に敵方のスパイがいることは確実である。
 そう考えると指定された避難先が安全とはどうしても言い難い。
 それなら、敵が真奈美の居場所を見失った今、逆に適当な場所に逃げ込んだ方が安全かもしれない。
 分かった、と日翔が頷いた。
 鏡介も「そこまで言うなら」と苦しげに頷いて同意する。
「おっさん、行き先変更だ! ここからなら多分左海さかい市立総合医療センターが一番近いし義体も対応してるはずだ!」
「だ……めだ……」
 しかし、鏡介がそれを否定する。
「大きな病院は……巨大複合企業メガコープが……網を……貼ってる可能性が……高い。闇義体メカニックサイ・ドックを……頼れ……」
「けど……この辺の闇義体メカニックサイ・ドックなんて俺ら……」
 義体とはほぼ無縁の日翔がこの手のメカニックを知っているはずがない。
 鏡介が身体のどこかを義体化しているだけでも驚きなのだ、闇義体メカニックサイ・ドックを頼れと言われてもどうすればいいか分からない。
 だが、その日翔の困惑を掻き消すかのように運転席から運び屋の男が声をかける。
「それなら俺が知ってるぜ、この辺は庭だからな」
 運び屋ポーターなら街のあらゆる施設に明るい。あらゆる場所へあらゆる物や人を、時には大胆に、時には緻密に運ぶことが要求される。
 男が知っていると言ったことで、日翔は縋るように彼を見た。
「じゃあ、そこへ頼む!」
「あいよ! 安全かつ最速で行くぜ!」
 男がアクセルを踏み込み、車を加速させる。
 車の列を縫うように装甲車が駆け抜け、最速で指定された闇義体メカニックサイ・ドックのハイドアウトに向かう。
 最速で向かっているにもかかわらず先ほどのような揺れは全くなく、日翔はこの運び屋ポーターの腕に舌を巻かざるを得なかった。
 妨害も追跡もなく、装甲車は闇義体メカニックサイ・ドックのハイドアウトの前に止まる。
 日翔が入り口のインターホンにまくしたて、それによって呼び出された義体メカニックサイ・ドックがやかましそうにしながら、鏡介達を招き入れる
「Rain、しっかりしろ!」
 酸素マスクを被せられた鏡介に日翔が声をかける。
 真奈美も日翔に続いて声をかけ、鏡介が小さく頷く。
 施術室に鏡介が運び込まれ、「施術中」のランプが点灯する。
 廊下の待機スペースに設置されたベンチに腰掛け、日翔は祈るように手を組んだ。
「鏡介……」
 思わず、名前を口走る。
「あの子、鏡介って言うの」
 日翔の隣に座った真奈美が、そう訊ねる。
「あ? ……ああ……」
 依頼の最中は絶対に口にしてはいけなかった名前を口走ったことにようやく気付き、日翔は呆然としながら頷いた。
「……助かるといいけど」
 私が狙われたばかりに怪我をさせてしまった、と真奈美は小さく呟き、それから彼女も祈るように手を組む。
「……一週間一緒にいただけの見ず知らずの私を庇うなんて、ほんと、バカね……」
「……」
 真奈美の言葉に、日翔がはっとしたように頭を上げて彼女を見る。
 ――この人は、本当に。
 鏡介が自分の息子だと知らないのだと。
 鏡介という名前自体、本当の名前ではなかったのか、それとも、忘れてしまっているのか。
「……なあ、あんた……」
 そう、言いかけて日翔は口を閉じた。
 鏡介は自分が真奈美の息子であると告げていいのか一瞬迷う。
 しかし、今更それを告げたところで何かが変わるとも思えない。
 真奈美は「サイバボーン・テクノロジー」の重役社員であり、鏡介はしがないフリーのハッカー。立場が違いすぎる。
 いや、真奈美が「一緒に暮らそう」と声をかける可能性は十分にある。
 そこまで考えてから、日翔はほんの少しだけ「嫌だ」と思った。
 鏡介は仲間である。それも、自分にはない技能を持った。
 戦力が半減する可能性を考えて、鏡介を手放したくないと思ってから、日翔は「違う」とその思考を否定する。
 単純に離れ離れになりたくないのだ。
 技術面での仲間というだけではなく、共に生きてきた仲間として、離れたくない、と思った。
 苦楽を共にして、時には命を救われて、また別の時にはその借りを返して、支え合ってきた。
 それは四年前辰弥が転がり込んできたときもそうだ。
 このメンバーで、ずっと続けていきたい。
 そう思ってから、日翔はだが、と考える。
 鏡介はホワイトブラッドに置換するほどの義体を身に着けている。
 親が反人工循環液ホワイトブラッド思考の持ち主で、それに影響された日翔にはそこだけがどうしても受け入れられない。
 「ホワイトブラッドは穢れた血だ」と親に言われて育った日翔はホワイトブラッドだけはどうしても近寄りがたい存在だった。義体自体に忌避感はない。ホワイトブラッドさえ使わなければ日翔も義体への置換を受け入れただろう。
 それを思い出してから、彼は自分の手を見た。
 鏡介が負傷し、闇義体メカニックサイ・ドックのハイドアウトまで来て、まだ手すら洗っていない。
 乾いたホワイトブラッドがこびりつく自分の手を見て、日翔はどうすればいい、と自問した。
 鏡介とは離れたくない。だが彼は義体装着者である。
 両親が生きていれば確実に「そんな人間とは付き合うな」と言うだろう。
 そして、親の言葉は常に正しい。正しいはずである。
 それでも、義体というだけで鏡介を切り捨てていいのかという疑問が日翔に浮かぶ。
「……んなわけ、あるか……」
 日翔が低く呟く。
 真奈美が不思議そうな顔をして彼を見る。
 手についたホワイトブラッドを握り潰すかのように拳を握り、日翔は目を閉じた。
「鏡介、助かってくれ……」
 ――親が何と言おうと、お前はお前だ。
 祈るように呟き、日翔は両手を組んだ。

 

 途切れることなく銃弾が飛来し、辰弥はロッカーの影に身を隠す。
「……キリがない……!」
 少しずつだが確実に排除しているし相手もここに残っているのがターゲットではないと把握したのだろう、攻撃の手は確実に緩んではいる。それでも真奈美を守ろうとした辰弥は排除しておこうと考えたのか攻撃自体が止むことはない。
 マガジン交換のための射撃の切れ目を利用しようと考えていた辰弥だったが、あまりにも攻撃が途切れず歯噛みする。
 それでも、僅かな隙を突いて攻撃していたがこのままでは確実に追い詰められてしまう。
 正直なところ、真奈美が安全な場所へ逃げ切ったのならそれでもよかったが日翔からはまだ連絡がない。
 せめて連絡が来るまではここで敵を引き付ける、と辰弥は貧血で時折霞む自分の視界に耐えながらも応戦していた。
 ……と、そこへ日翔からの着信が入る。
 数発発砲して牽制し、ロッカーの影に戻って辰弥は回線を開いた。
「離脱できた?」
 回線を開いて真っ先に口を突いて出たのはその言葉だった。
 ああ、と回線の向こうで日翔が頷く。
《ああ、こっちは何とか。お前も離脱しろ》
 よかった、と辰弥は安堵の息を吐く。
 しかし、離脱できたとは言え護衛対象が負傷していた場合の可能性を考慮し、質問を続ける。
「護衛対象は?」
 辰弥のその質問にも、日翔は大丈夫だ、と答える。
 だが。
《それは大丈夫だ、怪我一つない。だが――Rainが撃たれた》
「はぁ!?!?
 思わず辰弥が声を上げる。
 その声を頼りに相手の射撃が集中する。
「ちょっと待って生きてるの!?!?
《息はある――まだ、生きてる。だが早く治療しないとやばい》
 日翔の言葉に、鏡介が思っていた以上の重傷を負っていることを知らされる。
 本来なら早く病院へ連れて行けと指示へ出すところである。しかし。
 今は真奈美の護衛が最優先、できればそれが落ち着いてからにしたいが。
「どこ撃たれたの?」
 重傷であるのは分かっている。聞くだけは無駄かもしれないが、辰弥は鏡介の傷の状況を確認した。
《背中だが――位置的に、腎臓のあたりだと思う。もし腎臓がやられてたら致命傷だぞ》
 日翔のその言葉の向こうから苦しげに呻く鏡介の声が聞こえる。
 一刻を争う事態だと把握し、辰弥は唸った。
「……依頼、は、最優先……」
 自分たちの命は軽いもの、依頼を、それも巨大複合企業メガコープからの依頼は絶対である。
 それはたとえこちらに欠員が出たとしても遂行しなければいけないもので、真奈美を守り切った場合、鏡介が助かる可能性は限りなく低くなる。
 真奈美を危険にさらした状態で鏡介を病院に連れて行けという指示を出すことは辰弥にはできなかった。
 これが、傷を負ったのが自分だった場合は迷わず自分を置いて真奈美を守れと命令できただろう。
 しかし、負傷したのは鏡介で、自分は真奈美を逃がすために現場に残って別行動を取っている。
 最終的な判断は日翔に任せるしかないが、彼に全責任を押し付けるようで申し訳なさが先に立つ。
 その辰弥の迷いが伝わったのか。
 日翔が「俺はいいから」と言った鏡介に怒鳴りつけ、自分の判断を口にする。
《BB、お前は離脱だけを考えろ、こっちはこっちで対応する!》
 その言葉を最後に、回線が閉じられる。
「……鏡介を、頼んだ……」
 一度目を閉じて祈るように低い声で呟き、辰弥は目を見開いて正面から迫りくる男たちを見据えた。
 日翔たちが追手を撒けていると信じれば今一番危険なのは自分である。
 日翔としてもいきなり自分と鏡介を失うのは損失どころの話ではない。
 ただ、それでも辰弥は離脱することに抵抗を覚えていた。
 ――もう、隠せないなら――。
 ここで離脱できずに殺された体にすれば誰も何も知らなくて済む。
 自分のことなど、誰も知らない方がいい。
 そう、理性では考えていても身体は真逆の行動を起こしていた。
 左腕を一振り、何もなかったはずの袖から一つの小型手榴弾を取り出す。
 ピンを抜き、三秒数え、投擲。
 手榴弾が床に落ちると同時に炸裂、近くにいた男たちを吹き飛ばす。
 一瞬射撃の手が緩み、辰弥は立ち上がった。
 出口に向かって駆けだす。
 が、手榴弾の攻撃に怯まなかった誰かか、それとも奥から来た新手が撃った銃弾が辰弥の脇腹を穿った。
「――ぐっ!」
 足がもつれ、バランスを崩す。
 それでも転げるように外へ出て、辰弥は非常口のドアを閉めた。
 このドアは防弾仕様、開けられない限り中からの攻撃に被弾することはない。
 ドアノブと近くの配管をどこからともなく取り出したピアノ線で固定し、辰弥は壁にもたれかかるように座り込んだ。
 周りを見るが、外の連中は全て真奈美の追跡に当たったらしく人影はない。
 すぐ近くに日翔が対処しただろう死体が転がっているが暫くは大丈夫そうだと辰弥はほっと息を吐く。
 脇腹に突き刺さった銃弾は貫通していない。このまま放置するのは傷の治癒にもかかわってくる。
 どうする、と考えたが辰弥はすぐに判断を固めた。
 銃を地面に置き、バタフライナイフを抜く。まるで手品のようにどこからか取り出した様は、本当に虚空から取り出したようにしか見えない。
 他にいいものが思いつかず、ネクタイを噛み、彼は脇腹の傷にバタフライナイフを突き立てた。
「――っ!」
 声にならない叫びが辰弥の口から漏れるが、それでもバタフライナイフで傷を抉る手は止めず、体内の銃弾を探り当てる。
 ――この程度の痛み!
 死ぬほどの痛みは過去に何度も味わってきたはずだ、この程度でと自分を叱咤し、銃弾を抉り出す。
 カラン、と血まみれのバタフライナイフが地面に落ちると同時に抉り出された銃弾も地面を跳ねる。
 貧血で霞む視界の中、辰弥は銃弾を拾い上げた。
「……なに、これ……」
 呆然と、辰弥が呟く。
 辰弥の手の上で転がる銃弾は彼が今まで見たどのタイプでもなかった。
 いや、そもそも素材が金属ですらない
 よくミステリで岩塩や動物の骨で作った銃弾が利用されるが、それとも違う。
 らせん状に渦を巻き、中空になったそれは――。
 ――まるで、貝殻のようだ。
 そう、辰弥は思った。
 小型のタニシのような、巻貝のような銃弾。
 まさか、と辰弥はすぐそばの死体を、いや、死体が握っている銃を見た。
 見たことのない銃。
 それは辰弥が知っているどのメーカーの銃でもなかった。
 いや、銃の形をしているが銃ですらない
 表面は貝殻のような生体鉱物で守られており、内部で何かしらの器官がうごめいている。
 気持ち悪さを覚えつつも、辰弥はその銃を手に取った。
 形自体は本物の銃に酷似しているため扱い方はなんとなく分かる。
 適当な方向に銃口を向け、引鉄トリガーを引くと内部器官がうごめき、巻貝状の弾丸を射出する。
 そこで、辰弥は初めてこの銃からの銃声がほとんど響いていないことに気づいた。
 ホテル内で響いた銃声は全て防衛システムのタレットのもの。
 金属探知機にも引っかからず、手荷物検査でもクリアしたということはもしかすると使用直前までは銃の形すらしていないのかもしれない。
 生体兵器、という単語が辰弥の脳裏をよぎる。
 こんなものが開発されていたのか、という思いと、真奈美を狙った相手が以前から「サイバボーン・テクノロジー」に対して様々な妨害を行っていた「ワタナベ」であるという確信が辰弥を揺り動かす。
 元々は自動車産業で巨大複合企業メガコープの一社として上り詰めた「ワタナベ」。
 最近は軍需産業にも事業範囲を広げており、その中でも生物兵器バイオウェポンを開発しているらしいと言われていたから確定していいだろう。
 辰弥が想像していた生物兵器バイオウェポンは何かしら実在の生物の姿をしていながら特殊な戦闘能力を持っているものだった。
 しかし、この銃を見る限り「生物の形」をしているのではなく「無機物を生体に」している。
 生物兵器というより生体兵器と呼んだ方が正しいのかもしれない。
 こんなおぞましいものを「ワタナベ」が開発しているとは。
 いつまでもここで休憩しているわけにはいかない。日翔たちと合流しなければいけない。
 壁を支えに、辰弥は立ち上がった。
 ぼたり、と脇腹から滴る血が地面を濡らす。
「……合流、しないと……」
 しかし失われた血はあまりにも多く、全身が「まだ休め」と悲鳴を上げている。
 脇腹の傷はいい。こんなものはすぐに治る。
 しかし、貧血は自分の造血機能だけでは間に合わない。
 地面に転がる死体に視線を投げる。
 この男は義体化していなかったのか、赤黒い血が地面を染めている。
 ――この血を飲めば
 辰弥の奥底で声が囁く。
 ごくり、と辰弥の喉が鳴る。
「……バカ、言わないで」
 内なる声の囁きを拒絶するかのように辰弥は呟き、ヨロヨロと歩き出した。
 自分を落ち着けるように最初は壁を伝って歩き、近くに止まっていた車を以前鏡介からもらっていたハッキングツールでハッキングして乗り込み、発進させる。
 現時点では追手はいない。
 対象以外を狙っても意味がないと判断したのか。
 ただ、それでもまっすぐ日翔たちと合流するのは危険である。
 日翔のCCTのGPSを呼び出し、辰弥は車を走らせ都市部に入り込んだ。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 何度も自分を呼ぶ声が聞こえる。
 うるさいな、と鏡介は目を開け、声の方向に視線を投げた。
「鏡介!」
 日翔が泣きそうな顔でひたすら鏡介の名を呼んでいる。
「……うるさいな」
 そう、応えた声がかすれていて、鏡介は顔をしかめた。
「鏡介! よかった……」
 そう言って、日翔が安心したようにベッド脇の椅子に腰を落とす。
「鏡介君、助かってよかったわ」
 日翔の横で座っていた真奈美も鏡介の手を取り、そう言う。
 それを見て、鏡介は現在自分が置かれている状況を漸く把握した。
 上半身を起こし日翔を睨みつけようとするが麻酔をかけられているのか身体が思うように動かない。
「まだ動くな、辰弥も無事だ」
 あいつの事は心配するな、後で合流できると日翔が説明する。
「バカかお前、護衛対象をこんな危険なところに――」
「大丈夫よ、追手は振り切ったし私のGNSの位置情報はオフにしてる、ここを見つけるにも相当な時間がかかるはずよ」
 鏡介の手を握ったまま、真奈美が彼を落ち着けるように言う。
「……だったら、いいが」
 天井を見上げ、鏡介が呟いた。
「お前、運がよかったな。撃たれたのがよりによって義体化してる腎臓だったから弾がそこで止まって致命傷は免れたらしい」
 ていうか、内臓を義体化してんのか? という日翔の問いに、鏡介はああ、と頷いた。
「ちょっと色々あってな……」
「でも、本当に無事でよかった。私のせいで貴方がと思うと自分が許せなかったわ」
 心底ほっとしたように真奈美が言う。
「何を……俺とあんたはただの依頼人と護衛という関係だ。気に病む必要は」
「思い出すのよ」
 鏡介の言葉を、真奈美が遮る。
「思い出すって」
 一瞬ドキリ、として鏡介が訊ねる。
「私ね、息子がいたの。生きてたら……貴方くらいかしら」
 再びドキリとする鏡介。
「それは――」
「私、『サイバボーン・テクノロジー』に入社する前は夜の街で働いてたの。言ってしまえば身体を売って生きてきたのよ。生まれも育ちもスラム街で、女の武器と言えば身体だけ。だから頑張って高級娼館に下積みから入ってなんとかトップに立つまでになったのよ」
 真奈美の口から明かされる過去。
 鏡介が想像していたよりはるかに過酷なその過去に絶句する。
 幼い頃はそんなことは何一つ分かっていなかった。
 夜、寂しくても手を握ってくれる人すらいない、と母親を恨んだこともある。
 今なら分かる。
 生きるためなら、子供を育てるためならこうでもしないと無理だったということくらい。
「そんな時にね、CEOと出会ったの。そこで思ったわけよ。『この生活を抜け出すならこの人の弱みを握って入社すればいい』って。そこで弟に相談したらハッキング用のチップをもらってね、それを使ってCEOのGNSから機密情報を抜き取ってわたしのGNSに入れたの。それがきっかけで『サイバボーン・テクノロジー』も私を取り込まざるを得なかった」
 あ、弟はハッキングを少しかじっててね、別の街に住んでたのよと真奈美が説明する。
「でも、誤算があったの。CEOに言われたのよ。『息子までは連れていけない』って」
 それで、まだ小さい息子を一人取り残すことになってしまった、と真奈美は悲痛そうな顔で言う。
「今でも覚えてる。あの激しい雨の日、私が乗ったリムジンを追いかける息子の姿を。外部と連絡を取ることはできなかったけど何とかして弟には連絡して息子を保護するよう頼んだ。けど、弟ともそれっきりで二人とも生きてるかどうか分からない」
「……真奈美、さ――」
 かすれた声で鏡介が真奈美に声をかける。
 俺はここにいる、俺こそあんたが探していた息子だ、そう言いたいが声が出ない。
「『サイバボーン・テクノロジー』に引き込まれたとはいえ最初は下っ端でね、それでも頑張って重役にまで上り詰めたの。CEOの勧めで結婚もしたけど子供はできなくてね。でも今の立場になってから多少は自由に動けるようになったからずっと探してるの。今更遅いとか言われそうだし恨まれてるかもしれないけど、一緒に暮らしたいって」
「……」
 鏡介が真奈美の顔を見直す。
 そんなことを思っているのか、と心がざわつく。
 名乗れ、名乗るんだと鏡介は自分に言い聞かせる。
 俺があんたの息子だと。別に俺はあんたを恨んじゃいない、と言いたいがどうしても声が出ない。
「……もしよかったら、あんたの息子探すの手伝おうか?」
 不意に、日翔がそう声をかける。
「日翔、何を――」
 驚いたように鏡介が言うが、真奈美にはそれが「依頼人クライアントにそこまで同情するんじゃない」という意思表示に見えたらしい。
 少し考え、真奈美は笑った。
「……いいえ、やめておくわ。これ以上貴方たちに迷惑はかけられない」
「そんな、迷惑だなんて」
「それに私、イケメン大好きなのよね。もし息子が鏡介君みたいなイケメンだったら食べられないじゃない」
 真奈美が冗談めかしてそう言った瞬間、日翔と鏡介の肩がガクリと下がった。
 ――そういうものなんですかい。
 日翔が内心そう毒づくが口にはしない。
「だから、息子は自分で探すわ。ありがとう、日翔君」
「あんたがそう言うならしゃーねーな。でも、もし何か分かったら連絡するから名前くらいは教えろよ」
 ――日翔、こいつ。
 日翔の発言に、「こいつさりげなく俺の本名探る気だ」と思った鏡介が日翔を牽制しようとするが麻酔が抜けきっていない身体は思うように動かず、また、真奈美に手を握られてることもあり何もできない。
「そう? それなら……」
 真奈美が一度言葉を切る。
「……正義まさあき永瀬ながせ 正義」
「正義、か……いい名前じゃねーか」
 そう言って、日翔はちら、と鏡介を見た。
 ――いい本名もってんじゃねーか。
 ――うるさい、殺すぞ。
 日翔と鏡介が視線だけで会話する。
 そんなことはつゆ知らず、真奈美が話を続ける。
「正義はね、父親が分からないの。私がドジっちゃって客の子を孕んじゃって。でも大切な息子であることは変わりないし、あの時一緒に連れていけなかったことを今でも後悔してる」
 そっか、と日翔は頷いた。
「じゃ、もし何か分かったら連絡するぜ。こういう縁は大切にしないとな」
 そう言って、笑う。
 真奈美もつられて笑う。
「しかし、なんで今回あんたは狙われることになったんだ?」
 話が一区切りしたからか、ふと日翔が真奈美に質問した。
「ちょ、日翔!」
 依頼人クライアントに事情を聴くのはご法度である。アライアンス側から厳しい罰則を受けることもあり得るのに、日翔はなぜ訊いてしまったのか。
 すっかり打ち解けてしまって口を滑らせたのか、と鏡介は思うも、真奈美は「そうね」と小さく頷いた。
「いや、言わなくていい! アライアンスの規則だ!」
 鏡介が慌てて真奈美を止める。
 このままではアライアンスの禁忌を破ってしまう、流石にそれはまずいと鏡介が思ったそのタイミングで、部屋のドアがノックされた。
「おい、お前らの連れとか言う奴が来てるんだが」
 ドアを開けて首だけ出してそう言ってきたのは鏡介を治療した闇義体メカニックサイ・ドックだった。
 闇義体メカニックサイ・ドックは鏡介をちら、と見てそれから不満げに頷く。
「ちっ、生きてたか。死んだらその人工臓器全部いただこうと思ってたんだがな」
 内臓の義体は高く売れるんだよ、などと言いつつも闇義体メカニックサイ・ドックは改めてドアを開けて連れてきた人物を招き入れる。
「辰弥!」
 入ってきた人物――辰弥に日翔が駆け寄る。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
 心配そうな日翔に対して、落ち着き払った様子の辰弥。
「大丈夫だよ、それより鏡介は」
 そう言ってから、辰弥は「しまった」と顔をしかめる。
「……なんで名前で呼んだの」
「……すまん、もうバレてる」
 両手を合わせ、日翔が謝る。
「日翔、口軽すぎ」
 そう言いながら辰弥がベッドに歩み寄り、鏡介を見る。
「大丈夫?」
「ああ、問題ない」
 止むを得ないとはいえ義体メカニックサイ・ドックの世話になったから背中が防弾仕様の義体になった、麻酔さえ切れてればもう動けるんだがと言う鏡介に「今は安静にしてて」と指示し、辰弥は室内を見回した。
「搬入先が闇義体メカニックサイ・ドックの所と聞いてびっくりしたよ。鏡介、義体化してたって?」
「ああ、内臓の一部が義体だってさ」
 鏡介の代わりに日翔が説明し、辰弥がなるほどと頷く。
「まあ、それが原因で助かったならそれでいいよ。それよりも護衛対象を狙った張本人が分かった。『ワタナベ』だ」
「「はぁ!?!?」」
 日翔と鏡介が同時に声を上げる。
 辰弥はあの単独行動の間に実行犯が「ワタナベ」だと確信を得る何かを見つけたというのか。
 いずれにせよ、生還しただけでも儲けものなのに敵の素性まで見つけてくるとは大した奴だと鏡介が思う。
「どういうことだよ『ワタナベ』って……」
 なぜ辰弥が「ワタナベ」と特定したのか分からず、日翔が訊く。
「そもそもあいつらがどうやって武器を持ち込んだかが疑問だったんだけど、あいつらが使ってたのは生体兵器だった。多分、手荷物検査全部クリアできるレベルに武器じゃない形状をしてて、使うときに急速成長させてたんだと思う」
「生体兵器……確かに『ワタナベ』は生物兵器バイオウェポンを開発してると言ってたな。あれか、動物の姿をしてるとかじゃなくて武器の形をした、生物……」
 辰弥の言葉に、鏡介が苦々しげに呟く。
「まさか生体兵器がもう実戦投入されているとは……」
「そうだね。見た感じリロードの間隔も通常のものに比べてすごく長い。あんなものが世の中に出回ったら企業間紛争コンフリクトのパワーバランスも変わるし手に入れることができたら簡単にテロが起こせてしまう」
 そうだな、と頷く日翔と鏡介。
 今後巨大複合企業メガコープ絡みで依頼が来たら大変かもね、と話し始めた三人に、真奈美がおずおずと声をかけた。
「……『ワタナベ』って言ったわね。私、心当たりあるわ」
「え?」
 真奈美の言葉に真っ先に反応したのは鏡介だった。
「ここまで巻き込んでしまって何も言わないわけにはいかないし、話すわ」
「いや、別に言う必要は――」
 鏡介が慌てて止めるが真奈美は口を閉ざさない。
「私がCEOから与えられた仕事の一つにハッキング盗聴アプリを使って社内の産業スパイを炙り出すという仕事があってね。そこで『ワタナベ』から来ている産業スパイの話を聞いちゃったの。『ワタナベ』がとある人物との取引にあるものを探していることを」
「『ワタナベ』だと?」
「とある人物?」
 日翔と鏡介が同時に別々の単語に反応する。
 真奈美の発言から、彼女を襲ったのは辰弥の言う通り「ワタナベ」だろうと確定してしまう。
 さらに、その「ワタナベ」がとある人物と取引しようとしているその人物とあるものが気になる。
「私はよく知らないんだけど、その『とある人物』というのは永江ながえあきらという人。『ワタナベ』はその人から生物兵器を独占的に購入出来る交換条件として何かを探すように言われているらしいの 」
「それが奴らの使って、作ってる生物兵器ってことか……」
「何か、か……」
 流石にそこまでの情報はなかったか、と少し肩を落とす辰弥だがここまでの情報だけでも大きな収穫である。
「永江 晃……」
 鏡介も顎に手を当てて呟く。
 その名前に聞き覚えがある。
 永江 晃という人物は以前カグラ・コントラクターに保護され御神楽財閥の客員研究員として登用されたとニュースで見た記憶がある。若き遺伝子工学の天才で、御神楽財閥は彼に生体義体の研究を期待しているはず。
 そんな彼が御神楽財閥を裏切って密かに「ワタナベ」と通じて兵器を販売しているのは驚きである。
 御神楽財閥で生体義体の研究をする裏で、別の巨大複合企業メガコープと通じて何かを取引しようとしている。
 あいつ、生体義体の研究するって言ってなかったか? それが生物兵器とは穏やかじゃねえ、と日翔が唸る。
「で、その何かってのは?」
 辰弥が続きを尋ねる。
「私も盗聴しただけだから、詳しくは。ただその暗号名は聞けたわ。その暗号名は……『ノイン』」
「『ノイン』だと!?!?
 鏡介と辰弥が驚愕する。
「どしたんだ、二人とも。ただのUJFユジフ語で9って意味の言葉で深い意味なんてないだろ?」
「その、ユジフ語で9ってのを君はどこで知ったの?」
 事態を飲み込めていない日翔に辰弥が問いかける。
「え、それは……。そういえば、確か辰弥が言ってたんだよな、カグコンが追ってる奴の……暗号名が……って!」
「あぁ、厳密にはその中の特殊第四部隊トクヨンがカグコン全体に通達した命令にあった暗号名だ」
 鏡介が頷く。
「つまり、その永江って奴は、カグコンが『ノイン』を見つけてしまう前に自分で見つけたいと思ってる、ってことか?」
 日翔の言葉に三人は唸った。その可能性はある。だが、あくまでも可能性というだけで確定はできない。
「だが、御神楽にいられなくなるほどのスキャンダルか?」
 「ノイン」とやらをカグラ・コントラクターが探しているのは分かっていた。だが、永江 晃が御神楽財閥を裏切ってでも出し抜こうとしていることがそんなにも重大に見えなかった鏡介は思わず首をかしげる。
 そんな鏡介に、日翔は思わず声を荒らげた。
「カグコンの手に渡っちゃならない生物兵器以上のやばいものだろ! カグコンが探してるってならどうせろくでもない兵器だろ!」
「いや、あるいは……」
 日翔と鏡介のやりとりに、辰弥の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。それは、もしかするとスキャンダルでもあり、単なる生物兵器以上の脅威でもあり、そして、暗号名とも合致するかもしれない。
 ……が。
 いや、そんなことがあるはずがない。と辰弥は脳内で自分の考えを打ち消す。
 可能性は十分に考えられるが、どうしてもその可能性を可能性として考えたくない。
 そんなことを辰弥が思っているうちに、鏡介が話を戻してしまう。
「……とにかく、あんたはその情報を入手してしまったから口封じに消されようとしていた、というわけか……」
 それなら納得だ、と鏡介が頷く。
 真奈美は「ワタナベ」と永江 晃の取引を知ってしまった。
 それが「サイバボーン・テクノロジー」に放たれた「ワタナベ」のスパイによって察知されてしまったのだろう。
 「ワタナベ」が永江 晃との交渉のために探しているものが何かを知られると交渉自体が難しいものとなる、いや、交渉の機会を奪われてしまう。
 そう思った「ワタナベ」が真奈美に刺客を放った。
 余程の自信があったのだろう、十巡という期限を切り、ゲームのような形で真奈美を恐怖に陥れた。
 その事実に憤りを隠せず、鏡介が拳を握り締める。
 時計を確認すると約束の刻限まではあと数時間。
 それまでにこの場所を察知されなければこちらの勝ちである。
 逆に、この場所を察知されてしまえば鏡介の麻酔が切れていない今、辰弥と日翔の二人で守り切るしかない。
 できるか、いや、やるしかないのか、そう辰弥が考え、相談しようとしたその時。
「なるほど、『ワタナベ』の仕業だったのね」
 辰弥たちの会話に、不意にもう一つの声が混ざった。
 えっ、とその場にいた全員が部屋の入り口を見る。
 そこには一人の女が立っていた。
 いや、恐らくは部屋の外にも数人の武装した人間が控えている。
 女はブルーを基調としたボディスーツを身にまとっていた。
 その左肩には黄色いエンブレム――中央に四弁桜の花びら、その周りを取り囲むように薄紫の花の意匠が施されたものである――が描かれている。
「……あんた、は」
 辰弥が低く呟いて身構える。
 その声がかすかに震えていることに気づいた日翔も臨戦態勢に入る。
 あの時、「荒巻あらまき製作所」で乱入してきた全身義体の女――御神楽みかぐら 久遠くおん
「あらやだ、私は別にあなたたちとりあうつもりなんてないわよ。そこにいる木更津 真奈美に用があるだけ」
「……私に、ですか」
 女――久遠に名指しされ、真奈美が緊張したように言う。
 そう、と久遠が頷いた。
「『サイバボーン・テクノロジー』の木更津 真奈美、CEOのGNSから機密情報を抜き取ったのが原因で会社に飼われているんでしょう? そして入手したデータを巡って何者かに命を狙われた――それが『ワタナベ』だったとはね」
 腕を組み、久遠が思案気に言う。
暗殺連盟アライアンスの狗たち、後は私たちに任せなさい。『ワタナベ』が噛んでいるのなら私たちの目的も同じ、木更津 真奈美は私たちトクヨンが責任をもって保護する」
「どういうこと」
 警戒を解かずに辰弥が質問する。
 あら、と久遠は辰弥を一瞥し、それから不敵に笑う。
「これ以上は御神楽の機密になるので言えないわね」
 ふざけやがって、と日翔が毒づくが相手はカグラ・コントラクター、それも最強と言われる特殊第四部第トクヨン。下手に喧嘩を売るわけにはいかない。
 しかし、同時にほっとする案件でもある。
 トクヨンが真奈美を保護するというのであれば自分たちよりも心強いし『ワタナベ』も下手に手出しはできないはず。
 久遠もそれは分かっているのだろう、「どうする?」と言いたそうな顔で真奈美を見ている。
「……分かりました」
 真奈美が小さく頷く。
「話が早くて助かるわ。それじゃ、ここもいつまで隠し通せるか分からないから行きましょう。悪いようにしないわ」
 外にはティルトジェットを待たせているから、と久遠が真奈美を誘導する。
 一瞬、迷ったようなそぶりを見せた真奈美だったが、すぐに久遠の側に歩み寄った。
「じゃ、行きましょう」
 部屋の外の武装兵に指示を出し、久遠が真奈美を連れて歩き始める。
 だが、部屋を出る直前、久遠が一度立ち止まり室内の三人を――いや、辰弥を見据える。
「……ふぅん?」
 舐め回すような視線を投げた後、意味ありげに呟いて部屋を出る。
 真奈美もそれについて歩き、そして部屋を出る前に一度立ち止まって振り返った。
「……鏡介君、」
 真奈美が鏡介に声をかける。
「ありがとう。元気でね」
 そう言い残し、真奈美の姿が部屋の外へと消えていく。
 部屋から緊迫した空気が消え、辰弥はほっと肩の力を抜いた。
「……大変だったな」
 日翔も肩の力を抜いた。そして、辰弥を見て、頭に手を伸ばす。
「それにしてもよく無事だったよ。流石にお前も助からないんじゃって冷や冷やしたぞ」
「そう簡単に死ぬような存在じゃないって」
 いつものように頭を撫でられると思い、その手を振り払った辰弥がぶっきらぼうに言う。
「とにかく、全員生き残ってほっとしたよ。でも鏡介が……義体だったとは」
 そこまで言ってから、彼は何か思いついたことがあるのかポン、と手を叩く。
「なるほど、俺の料理滅多に食べに来ないと思ってたけど内臓を義体化してるから普段は効率の良い義体用のエナジーバーとゼリー飲料だったってわけか……」
「痛いところ突いてくるなお前」
 鏡介がそう言って辰弥を睨みつけるが意に介されず、ため息を吐く。
「ちなみにどれだけ義体化してるの?」
「……臓器移植で使えるもの全部だ」
「マジか」
 鏡介の回答に日翔が声を上げる。
「なんでそんなことに」
 日翔としては全く考えられないことだったのだろう、深入りしてはいけないと思いつつも尋ねてしまう。
「……護衛対象……母さんがスラム街の生まれって言ってたのは覚えているな? そんなスラム街で子供が一人取り残されてみろ、生きることなんてできるわけがないんだ」
「でも、君は生き残った」
 内臓が義体化しているのはそれが原因? と辰弥が確認する。
 ああ、と鏡介が頷いた。
「最初は腎臓を売るだけで暫く生きる金にはなる、と闇ブローカーに言われてな。生きるには金が必要だと思ってたから同意したんだ。そうしたらあいつら遠慮なく臓器移植に使える臓器全部抜き取って俺をゴミ捨て場に捨てやがってな」
 ああ、臓器って言うのは内臓だけじゃないぞ、眼球も含めてだからなと補足して鏡介は続ける。
「まぁ流石にそのまま捨てるのは忍びなかったのか数日分の栄養点滴だけは付けてくれて死に損なったわけだ」
「……よく、生きてたね」
 内臓を抜かれて捨てられた幼い頃の鏡介を想像したのだろう、辰弥が悲痛な面持ちで呟く。
「そんな、死にかけてた俺を助けてくれたのが俺にハッキングを教えてくれた師匠だ。師匠がゴミ捨て場から俺を拾って、すぐに義体メカニックサイ・ドックの元に連れて行ってくれて俺は義体化したってわけだ」
 なるほど、と辰弥と日翔が同時に頷く。
「まあ、母さんが『サイバボーン』に行ったのを恨む気はない。しかし――師匠、まさか、な……」
 先ほどの真奈美との会話を思い出し、鏡介は顎に手をやり考えた。
「師匠、母さんの弟だったのか……?」
「どういうこと」
 真奈美の過去を聞いていない辰弥が首をかしげる。
「ああ、お前はあの時いなかったもんな。真奈美さん、自分の弟に鏡介を保護するよう頼んだらしいんだ」
 日翔の説明になるほどと頷く辰弥。
「でもなんで疑問形なの。その師匠って人、名乗ってないの?」
 至極真っ当な辰弥の質問。
 鏡介の師匠が名乗っているならこの疑問は生まれないはずである。
 そうだな、と鏡介が頷く。
「師匠、『ハッカーが正体を明かすのは危険だから』と言って名前も何も教えてくれなかった。ただ、『白き狩人レフコス・キニゴスと呼べ。かつて存在した偉大な祖先の名だ』とだけ」
 ハッカーには通り名があってな、それで呼べってことだよと鏡介が解説する。
「へー、ハッカーには通り名、ふぅん……」
 それは初めて聞いた、と日翔が意味ありげに笑う。
「じゃあ、お前の通り名は何なんだよ」
「は!?!? なんでお前に言わなきゃいけないんだよ!」
 日翔のニヤニヤした質問に鏡介が何故か赤面しながら怒鳴る。
 その頃には麻酔も切れて来たのか漸く上半身を起こし、そして接続したばかりの背部と生身部分の接触による痛みに顔をしかめる。
「いいじゃんかよー、教えろよ正義くん」
「……正義?」
 日翔が口にした聞きなれない名前に辰弥が首をかしげる。
「日翔! 辰弥、その名前は忘れろ! 俺の名前は! 水城!  鏡介! だ!!!!
「えー、いい名前じゃん正義って。ああ、辰弥、こいつ、本名はなが――」
「日翔ォォォォォォォォ!!!!」
 痛みをものともせず、鏡介が日翔の口を塞ぎにかかる。
 しかし元から体力差のある二人、鏡介は「怪我人は大人しく寝てろ」とばかりにあっさりベッドに転がされ、日翔は一仕事したとばかりに手を叩く。
「ぐぅぅぅ……」
 鏡介が唸り、日翔を睨みつける。
「ほんと、怪我人は寝てて。で、通り名は何なの」
 一応知っておいた方がよさそうだ、と辰弥が鏡介に訊く。
 観念したように鏡介は口を開いた。
「……黒騎士シュバルツ・リッター……」
 辰弥と日翔が顔を見合わせる。
 辰弥は「そう来たかー」という顔をするが、日翔は何故か顔を輝かせる。
「カッコいいじゃん! 黒騎士だろ? 俺、バカだけどそれくらいは分かるぞ!」
「……だから言いたくなかったんだよ……」
 布団を頭まで被りながら鏡介が呟く。
「まあ、とにかくこれで大体のことは分かったよ。鏡介、お疲れ様」
 その調子なら明日にはもう動けそうだよね、と辰弥に言われ、鏡介はああ、と頷いた。
「今日一日はここで休ませてもらおう、俺も疲れた」
 そう言って辰弥が「今日一日泊めてもらえるように交渉してくる」と部屋を出ていく。
 二人きりになり、日翔は布団をかぶったままの鏡介を見た。
 何かとても大切な話があったはずなのに、忘れている気がする。
 しかし、日翔もそろそろ疲労が限界だった。
 一つ大きなあくびをして、部屋の隅のソファに身を沈める。
「……まあ、お前が助かってよかったよ」
 そう、本音をぽつりと漏らす。
 いくら鏡介が両親が嫌った義体を装着していると言えども、その両親は今はこの世におらず、最終的な判断は自分でするしかない。
 最終的に自分は親の言葉より鏡介を優先したのだと、今更ながらに日翔は思う。
 同時に、それでよかったのだ、と。
 両親の言葉に背いたことにはほんのわずかに呵責を覚える。
 しかし、それ以上に鏡介が大切な仲間だと思えたから日翔は彼を見捨てなかった。
 日翔の視線の先で、布団がもぞもぞと動く。
「……手間をかけさせて、護衛対象を危険にさらして、悪かった」
 ベッドの上で、鏡介が呟くように日翔に言う。
 何言ってんだよ、と日翔が反論した。
「お前は真奈美さんを庇ったじゃねーか。庇ってなかったら真奈美さんは死んでた。それに結果として位置情報を隠せたんだしお前は何も悪くねーよ」
「……そう、かな」
 不安そうな鏡介の声。
「それより、お前はよかったのか? なんで自分が息子だって言わなかったんだよ」
 少々非難するような日翔の声。
 日翔としては正直なところ、鏡介が息子だと名乗り出なかったことにほっとしていた。
 あの展開なら鏡介が名乗り出ていれば確実に「一緒に行こう」という話になったはずである。
 それなのに、鏡介は最後まで何も言わなかった。
 純粋に、その理由が知りたい。
 日翔は両親がとても大切な存在だった。
 今でも両親の言葉は正しいと思っている。
 今回はそれよりも鏡介を優先したが、それは親の言葉に背いたこととして申し訳ないことをした、という意識もある。
 だから、鏡介が母親に自分が息子だと名乗り出ず、相手が何も知らないまま別れたことが理解できなかった。
 理由がいるか? と鏡介が言う。
「そりゃあ、普通名乗るだろ。『一緒に暮らしたい』とまで言われてんだぜ?」
「……まあ、それはそうだな。そうだが――」
 鏡介が少し迷ったように口を閉じる。
 それから、
「……俺の居場所は、あの人のところじゃなくて、『グリム・リーパー』だと思ったからな」
 そう、ぽつりと呟いた。
「鏡介……」
 日翔が鏡介の名を呼ぶ。
「確かに、本名は永瀬 正義かもしれない。だがな、師匠が『お前は生まれ変わったんだ』と付けてくれた水城 鏡介今の名前の方がしっくりくる」
「そっか……」
 鏡介もまた、親より仲間を選んだのかと。
 そう思ってから、日翔は「ん?」と声を上げた。
「お前、今、『グリム・リーパー』って」
「……あ」
 再び布団がもぞもぞと動き、鏡介が布団に潜り込む。
「俺は! チーム名が! 『グリム・リーパー』とは! 認めない!!!!
「もう認めてんだろ! いい加減認めろよ!」
「嫌だ! 認めたくない!!!!
 低レベルの口論が展開される。
 そこへ交渉を終えた辰弥が戻ってきて、
「……君たち、何やってんの」
 呆れたように言い放った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 数日後。
 内臓が義体だったため何の損傷もなかったが、義体メカニックサイ・ドックに掛かった都合上傷の治療ができず義体部分が増えてしまった鏡介も新たな義体部分に慣れ、また、「サイバボーン・テクノロジー」からも依頼完遂による終了宣言が行われたため三人は茜の家に雪啼を迎えに行っていた。
「予定より長期間預けちゃって、ごめん」
 鏡介の退院自体は翌日だったものの「ワタナベ」からの報復を恐れ、念のため数日ホテルを転々としていた三人だったが「約束通り貴社のプロジェクトは認めるし木更津 真奈美ももう狙わない」という連絡が来たという連絡を受け、漸く解放されたともいえる。
「お疲れ様。大変だったようね」
 ほっとしたような茜の足元から雪啼がひょっこりと顔を出す。
「パパ!」
 雪啼が嬉しそうに声を上げ、辰弥も抱き上げようと身をかがめる。
 そんな彼に抱き着こうとした雪啼の手が、辰弥の眼前に迫る。
「うわっ!?!?
 思わずのけぞる辰弥。雪啼の手が空を切る。
 今のは危なかった、避けていなければ目を抉られていたかもしれない、と内心胸をなでおろしながら辰弥は雪啼を抱き上げた。
「にへへ~、パパ、おかえり~」
 そう、にやける雪啼の様子が何やらおかしい。
 よく見ると仄かに赤面して、何となくろれつが回っていないように見える。
 まさか、酔っぱらってる? と辰弥は茜を見た。
「……姉崎?」
 辰弥の声が低い。
「ど、どうしたの?」
 辰弥が何やら不機嫌になっていると気づき、茜がおどおどした様子を見せる。
「……雪啼に飲ませた?」
「何を」
「酒」
 単刀直入な辰弥の物言いに、茜が「はぁ?」と声を上げた。
「何よいくら私が『イヴ』さんと毎晩酒盛りしてたからってせっちゃんに飲ませるわけないでしょ!」
「……ふぅん、八谷と酒盛りしてたんだ」
 酔っぱらって、雪啼の世話が適当になってたんじゃないの? と鋭く指摘され、茜は「げ」という顔をするがすぐに真顔になる。
「大丈夫よ、せっちゃん寝てからだし二日酔いもしてないし!」
「どうだか。で、本当に飲ませてないの?」
 どうしても信用できない辰弥に茜が「当たり前でしょ」と息巻く。
 辰弥に抱きつく雪啼がふにゃ〜、と笑い、
「しゅにん〜好き〜」
 そう呟いた直後に寝息を立て始める。
「……しゅにん?」
 雪啼の口から初めて聞いた言葉に辰弥が怪訝そうな顔をする。
 しかし、すぐに茜に向き直り追及を再開する。
「飲ませてないなら何飲ませたの」
「普通に麦茶よ。泡の出る奴じゃないわよ」
 単に「麦茶」と言っただけでは「それビールじゃん!」とツッコまれると思ったのか、茜が補足を交えつつ説明する。
 じゃあ、何がと思った辰弥だったが、これで雪啼を回収するという目的は達成したので帰ろうとする。
 しかし、それを奥から出てきた渚によって止められる。
「鎖神くん? ちょっとメンテナンスしておきましょうか」
「げ」
 渚の顔を見て、辰弥が露骨に嫌そうな顔をする。
「ああ、日翔くんは帰っていいわよ。水城君は負傷してたらしいからついでに診てあげる」
「俺は、別に」
 巻き添えを食らった、と鏡介が逃げようとするがその腕を辰弥に掴まれ、「逃がさないよ」と宣言される。
「とりあえず、診てもらおうか」
 身長は辰弥よりあるものの体力は彼よりも低い鏡介は観念して茜の家に足を踏み入れた。
 部屋に入るとおやつの時間だったのかテーブルに果物の入った皿が置かれている。
「……キウイ食べてたの」
 皿の上に置かれた黄緑色の果物に辰弥が呟く。
「そうよ、食物繊維もビタミンも多いからせっちゃんにと思って」
 なるほど、と辰弥が頷く。
 それから、まさかと呟く。
「……キウイ食べて酔っ払った……?」
 直前に摂取したもので考えるとこれしか考えられない。
 アレルギーならまだしも、酔っ払ったような状態になるとは。
 まぁ、体質によってはそうなるのかなと自分に言い聞かせ、辰弥は渚に言われるまま茜の寝室に誘導された。
「ほら、脇腹見せて。撃たれたんでしょ」
 スーツの綻びとか汚れで分かるの、と言われた辰弥が観念したように撃たれた箇所を見せる。
 それを応急セットを用意しながら見ていた渚が驚いた顔をする。
「……傷、塞がってるわね。処置するまでもない」
 あの時撃たれて、弾の摘出のために抉った傷は完全に塞がり、薄く皮が張った状態となっている。
 常人ならここまでかかるのにもっと時間かかるわよと言いつつも彼女は辰弥を見た。
「……言えるの?」
 分からない、と辰弥が率直に答える。
「まあ、そうよね。でも心の準備くらいはしておきなさいよ」
 そう言って渚は辰弥の肩をポンと叩いた。
「水城君呼んで?」
「あのさ、鏡介結局怪我したところ義体化しちゃったんだけど……」
 意味ありげな笑いを浮かべて鏡介を呼ぶ渚に、辰弥が申し訳なさそうに言う。
 はぁ? と渚が声を上げた。
「ちょっと待って水城君確かに内臓は義体化してるの知ってたけど義体部分増やしたの!?!? なんでなんで勿体ないじゃない私の出番は!」
「すぐに治療しなきゃ死んでたの!」
 子供のように駄々をこねる渚に辰弥が反論する。
 それは分かってるけど、と言いつつも渚は不満げに部屋の入り口を見た。
「水城君呼んできて! どこがどうなったか見るまで帰らない!」
 うわあ、オトナのオンナが大人げないこと言ってる、とやや引き気味の辰弥。
 それでもドアを開け、茜と話していた鏡介を呼ぶ。
 女性には免疫のない鏡介だが、普段から連絡役として接点のある茜や闇医者である渚には慣れているため普通に話せるらしい。
 仕方なさそうに鏡介が部屋に入り、入れ替わりに辰弥が部屋を出る。
「姉崎、大変だったね」
「そうね、吸血殺人事件が怖いからせっちゃんは一歩も外に出してなかった分パパがちゃんと遊んであげて」
 茜の言葉に辰弥がそうだね、と頷く。
「結局一週間ニュースとかもちゃんと追えなかったんだけど、なんか大きな事件とかはなかった?」
 真奈美の護衛に費やした一週間、ニュースをきちんと追うこともできず世の中から隔絶させてしまったような錯覚を覚えている辰弥。
 吸血殺人事件のことも気になり、茜にそう訊ねると彼女は意外な答えを口にした。
「近場での事件が多かったから警戒してたんだけど、実はなかったのよね……吸血殺人事件」
「……え?」
 茜の言葉に思わず声が出る辰弥。
 この一週間、いや、辰弥が留守にしていた期間、吸血殺人事件が発生していない。
 どういうこと、と辰弥が呟く。
「それは私も知りたいわよ。だけど少なくともニュースにはなってないしアライアンスの情報網でもそんな話は一件も上がってないわ」
 メッセンジャーだけでなく情報屋としても活動している茜が言っているのだから吸血殺人事件が発生していないのは事実だろう。
 自分がいないときに限って、と呟く辰弥。
 ――まさか。
 やはり、俺が無意識で行動しているのか、と辰弥は自問した。
 吸血事件が起こっていないタイミングが良すぎる。
 まるで自分が犯人のようだ、と考えてしまう。
 それとも、真犯人は別にいて、辰弥に罪を被せようとしているのか。
 しかし、こんな連続殺人犯シリアルキラーに罪を被せられるような覚えは全くなく、犯人の心当たりも全くない。
 いや、たった一人だけ、心当たりがある。
 ――まさか、本当に。
 ソファに寝かされ、寝息を立てる五歳の少女。
 辰弥が構えなかったタイミングで貧血を起こし、倒れた雪啼。
 何度も辰弥を殺しかねない行動を取った彼女に疑惑の念が浮かぶ。
 だが、まさかそんなことが。
 あり得ない、と辰弥は呟いた。
 いくら雪啼でも分別のつかない子供である。
 そんな子供が意図的に殺人を犯し、あまつさえ血を奪うなど考えられない。
 それとも、雪啼は辰弥が子供だと思い込んでいるだけでそうではないというのか。
 ――何者なんだ。
 そんな思いが胸をよぎる。
 雪啼が倒れたあの日、渚に言われた言葉を思い出す。
 ――せっちゃんは、貴方と同じかもしれない。
「……そんなわけ、あるか……」
「おい、辰弥帰るぞ」
 辰弥が呟いたタイミングで渚から解放された鏡介が彼に声をかける。
 一瞬、びくりと身を震わせたものの辰弥はすぐに頷く。
「帰ったら反省会だ。日翔が散々やらかしてくれたからな」
「……うん」
 雪啼を抱き上げ、辰弥は茜を見た。
「ありがとう。このお礼は後日」
「いいのよ。また遊びに来させてよ」
 茜の言葉に辰弥が小さく頷く。
 なんとなく、そんな日はもう来ないような気がして。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「じゃあ、デブリーフィング反省会するぞ」
 視界に映り込むウィンドウを操作しながら鏡介が宣言する。
 今回の依頼は想定外があまりにも多すぎた。いつもより長丁場になるだろうと辰弥は鏡介に準備を押し付けて雪啼を寝かしつけていた。
 鏡介の宣言と同時に寝かしつけが終わった辰弥がリビングに戻ってくる。
「今回の依頼、まさか『ワタナベ』が主犯だとは思ってなかった。『サイバボーン』との企業間紛争コンフリクトは思ってたより根が深いのかもね」
 ソファに腰かけ、そう言いながら辰弥がニュース映像を開き、日翔と鏡介にも共有をかける。
 ニュースは真奈美を護衛するのに利用していたセキュリティホテル襲撃の続報を流している。
 「ワタナベ」側から圧力がかかったのか、それとも本当にカグラ・コントラクターは襲撃犯の見当がついていないのか襲撃犯については不明のまま。
 当然、襲撃犯の目的、目標も特定できていないためコメンテーターが適当な私見をつらつらと述べているだけのものとなっている。
「……まぁ、この状況で俺たちの存在が把握されていないのは不幸中の幸いだったよ。もし明るみになってたらアライアンス除名もあり得た」
 確かに、と日翔が頷く。
「だが、ほんと誰も死なずに今回の依頼終わったよな。流石に鏡介が撃たれたときはもうダメかと思ったぞ」
 日翔も鏡介も辰弥の負傷は知らない。
 辰弥が一言も言っていないから、ということもあったが彼の動きは通常と変わらず、負傷したとは誰も思っていない。
「だが、正直言って釈然としないことはあるんだよな」
 ふと、日翔が呟く。
「何が」
 今回の依頼は確かに釈然としないことも多数あった。
 それは真奈美が本来ならアライアンスが知る必要のない依頼の事情を話したことでほぼ解消されたと思っていたが。
 日翔が続ける。
「お前、どうやって武器を持ち込んだんだ」
「え」
 思わず辰弥が声を上げる。
「そ、それは……」
 まさか今頃になって追及されると思っていなかった辰弥。
 辰弥の明らかな動揺に疑いのまなざしが日翔と鏡介から投げられる。
「あのホテル、武器持ち込みなんてできなかっただろ。なんで俺と自分の武器持ってんだよ」
「それ、は……」
 辰弥が縋るように鏡介を見る。
 だが、鏡介も眉間にしわを寄せて首を振った。
「俺は関与していない。俺がハッキングしてチェックシステムをすり抜けたとは思わないでくれ」
「鏡介……」
 「鏡介にハッキングしてもらった」と言おうとした辰弥が先手を取られ、何も言えなくなる。
「そもそも辰弥、お前には不可解なことが多すぎる。お前に限って銃弾の消費量の収支が合わなかったり、想定できないはずの事態に対応した装備を用意したり――お前、何を隠している?」
「っ――」
 退路を完全に断たれ、辰弥が思わず立ち上がる。
「俺は、それは……」
「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」
 不意に、玄関とリビングをつなぐ廊下から声が投げかけられる。
「誰だ!」
 跳ね上がるように日翔が立ち上がり、銃を抜いて声の方に向ける。
「あらあら、大層なおもてなしね。貴方たちも知らなかったんじゃなくて? 彼のこと」
 そう言いながらリビングに踏み込んできたのは青いボディスーツに身を包んだ全身義体の女――御神楽 久遠であった。

 

to be continued……

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第7章 「つっこみ☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第7章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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