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Vanishing Point 第9章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 惑星「アカシア」桜花国おうかこく上町府うえまちふのとある街。
 そこで暗殺者として裏社会で生きる「グリム・リーパー」の三人は暗殺連盟アライアンスから依頼を受けて各種仕事をこなしていた。
 ある日、辰弥たつやは自宅マンションのエントランスで白い少女を拾い、「雪啼せつな」と名付けて一時的に保護することになる。
 依頼を受けては完遂していく三人。しかし巨大複合企業メガコープの抗争に巻き込まれ、報復の危機を覚えることになる。
 警戒はしつつも、雪啼とエターナルスタジオ桜花ESO遊びに出かけたりはしていたが、日翔あきと筋萎縮性側索硬化症ALSだということを知ってしまい、辰弥は彼の今後の対応を考えることになる。
 その後に受けた依頼で辰弥が電脳狂人フェアリュクター後れを取り、直前に潜入先の企業を買収したカグラ・コントラクター特殊第四部隊の介入を利用して離脱するものの、御神楽みかぐら財閥の介入に驚きと疑念を隠せない三人。
 まずいところに喧嘩を売ったと思うもののそれでも依頼を断ることもできず、三人は「サイバボーン・テクノロジー」からの要人護衛の依頼を受けることになる。
 しかし、その要人とは鏡介きょうすけが幼いころに姿を消した彼の母親、真奈美まなみ
 最終日に襲撃に遭い鏡介が撃たれるものの護衛対象を守り切った三人は鏡介が内臓を義体化していたことから彼の過去を知ることになる。
 帰宅してから反省会を行い、辰弥が武器を持ち込んだことについて言及されたタイミングで、御神楽 久遠くおんが部屋に踏み込んでくる。
 「それは貴方がLEBレブだからでしょう――『ノイン』」、その言葉に反論できない辰弥。
生物兵器LEBだった。
 確保するという久遠に対し、逃走する辰弥。
 しかし、逃げ切れないと知り彼は抵抗することを選択する。
 それでも圧倒的な彼女の戦闘能力を上回ることができず、辰弥は拘束されてしまう。

 

 
 

 

第9章 「Ignition Point -引火点-」

 

 静けさの中に響く苦しげな息遣いが辺りを支配している。
 独房のベッドに横たわったまま、辰弥はじっと目をつぶってひたすら耐えていた。
 ざわざわと這い上がってくるかつての記憶。
 研究所での虐待同然の仕打ちや実験。
 そう設計されたゆえに身に付いている治癒能力の高さで傷痕自体は残っていなかったがそれでも全身に刻み付けられた痛みは忘れることができない。
 独房の硬く冷たいベッドの感触がかつての記憶を呼び起し、辰弥を苛ませる。
 久遠の計らいで拘束具は外されたもののGNSロックは解除されておらず、時間の経過すら分からない。
 食事と用を足すときだけ制限は緩和されたが、それでも独房の扉を破るといったことはできず、また、施設の人間も警戒しているため独房に誰かが入ってくることはない。
 せめて、のたうち回ることができればこの苦しみも多少は和らぐだろうに、と思いつつも身動きできない辰弥は押し寄せる自身の記憶に耐え続けていた。
 四年前の、あの研究所の襲撃で逃げ延びてからの毎日を思い出そうとする。
 血にまみれた日々ではあったが、それでも研究所での生活に比べたらずっと楽しかった。
 「化け物」と言われていた自分でも、こんな生活を送っていいのだと、そう感じた。
 それと同時にずっと考えていたのは研究所に残された他のメンバーのこと。
 あの襲撃で全員殺されたと思っていたが。
 久遠の話を聞く限り、他のメンバーは「保護」されたらしい。
 それはほっとすると同時に、「結局御神楽みかぐらに飼われているのでは」という思いが湧き上がってくることとなった。
 「望むなら『一般人』として生きる選択肢も用意することができる」とは言われたが、そんなうまい話がそうそうあるはずがない。
 なんだかんだと理由を付けて、結局はカグラ・コントラクターの一員として使い潰されるだけなのだ――。
 そう、思っていた辰弥の傍に不意に人の気配が現れる。
 人の気配に、思わず目を開ける。
 そこに、ビール瓶を手にした一人の男が立っていた。
「な――」
 辰弥の目が見開かれる。
 深紅の瞳の奥、爬虫類のような瞳孔が広がり、警戒を露わにする。
「おいおい、そう警戒すんなよ」
 そう言い、ビール瓶を手にした男は辰弥に顔を近づけた。
 顔を近づけられたことで、辰弥は相手も自分と同じ瞳をしていることに気が付いた。
 血のように紅い瞳、爬虫類のような瞳孔。
 同じだ、と辰弥は思った。
 目の前の人物は人間ではない。自分と同じLEBレブだ。
 しかし、こんな姿をした同類は知らない。自分が知っているのは――。
「ゼクス、だから言ったでしょ。『いきなり入ったらびっくりする』って」
 不意に、独房の外から聞き覚えのある声が侵入者に投げかけられる。
 えー、とゼクスと呼ばれたLEBが入口の方に振り返り、独房の外にいる女に声をかける。
「だって独房の解除キーなんて知らないんだぜ? だったら」
「無駄にトランスしてんじゃないの。それにびっくりしてるじゃない」
 そう言いながら、独房の外にいる女は覗き窓から辰弥を見た。
「ノインが保護されたってみんな騒いでるところゼクスに引きずられてきてみれば、これはとんだ収穫ね」
 皮肉気にそう言う女に、辰弥は確かに見覚えがあった。
「……」
 それでも口を開こうとしなかったのは「どこで何を聞かれているか分からない」という警戒が残っていたからだろう。
久しぶり。なんか名乗るの嫌そうだし『番号なまえ』は呼ばないわよ」
「っていうかさ、ツヴァイテ、こいつノインじゃないじゃん。主任、他に作ってたのか?」
 10ゼンとか? と言うゼクスにツヴァイテと呼ばれた女がまさか、と返す。
「話聞いてた? だからあんたはバカって言われるのよ」
 手痛いツヴァイテの言葉にゼクスは「なにをう」と反論した。
「俺、賢者ぞ?」
「『森の』でしょ? ゴリラじゃない」
 第二世代のLEBってなんなのと呆れ果てたように言うツヴァイテにゼクスが「ゴリラ言うなし!」と返している。
「……」
 呆気に取られて二人のやり取りを見る辰弥。
 ――何、このフリーダム。
 想像していた扱いと全く違った。
 ツヴァイテもゼクスもLEBであるのは事実である。
 人間ではない、化け物と呼ばれる存在、自分が研究所にいた頃はこんな自由に歩き回ることなど許されていなかった。
 それなのにこの二人は。
 検査でも食事でもない時間に勝手にここまで来て声をかけるとは、余程の自由行動が許されていない限り不可能である。
 それとも、トクヨンに回収されたLEBは、本当に。
 辰弥が呆気に取られていることに気づいた二人が口論をやめて彼を見る。
「……なんで、自由にしてるの」
 思わず辰弥の口をついて出た言葉にゼクスが不思議そうな顔をする。
「え? 別にこれくらい普通だろ?」
第二研究所はね。第一研究所こっちはそんなことなかったの」
 ツヴァイテの言葉に辰弥は少し考えた。
 第二研究所の存在、そして久遠が言った「第二世代LEB」の存在。
 確か、トクヨンが潰した研究を永江ながえ あきらが復活させたと言っていた。
 永江 晃が研究を再開した結果作られたのが第二研究所で、第二世代ということか。
 それなら確かに納得できることはある。
 「第2号ツヴァイテ」含む自分たちは序数で呼ばれていたことに対し、ゼクスはUJFユジフ語で「6」である。その時点で所属が違う。
 ということは、ここは第二研究所で、第一研究所で確保されたLEBもここに収容されているということなのか。
 辰弥は第二研究所もトクヨンによって襲撃され、破棄されたことを知らない。
 だからここが第二研究所ではないのかと考えた次第である。
 考え込んだ辰弥に、ゼクスがビール瓶をずいっと突きつける。
「何考えこんでんだよ、飲むか?」
 辰弥が突き付けられたビール瓶をまじまじと眺める。
「……ピルスナー?」
「おう、UJFから取り寄せてもらったんだぜ! 飲めよ」
 よく見ると、ゼクスはほろ酔い特有の上機嫌さでビールピルスナーを勧めてくる。
「……いや、いい」
 弱々しく首を振り、辰弥は断った。
「えー、なんでだよ。美味いぞ?」
「……そもそも、未成年
 少なくとも、君は俺の後だろうと辰弥が続けると。
「いいじゃねぇか。LEBはみんな未成年。俺が飲めるんだから、お前も飲める! これが帰納法って奴だな!」
 そんな滅茶苦茶な持論をゼクスは展開してきた。
「……はぁ、」
 いやでも俺飲まないしと辰弥が断る。
「なんだよ、俺の酒が飲めないのかよー!」
 断られたゼクスが、どん、とビール瓶を床に置き両手のひらで自分の胸を叩きはじめる。
「はい、そこドラミングしない」
 だからゴリラは、とツヴァイテが冷静にツッコミを入れた。
「……ゴリラ、」
 ツヴァイテの言葉を辰弥が繰り返す。
 そう、ゴリラ、とツヴァイテが頷いた。
「聞いた話だけど、第二世代のLEBはそれぞれ何らかの動物の特性を埋め込まれてるらしいわよ。そこのゴリラは文字通りゴリラの特性を引き継いでるってわけ」
 なるほど、とツヴァイテの説明に頷く辰弥。 
「ゴリラ言うなし! 森の! 賢者だ!」
 不満そうにゼクスのドラミングが激しくなる。
「……ゴリラじゃん」
 どう見てもゴリラの動きをするゼクスに、辰弥が呆れたように呟いた。
「それはそうと、どうやって入ってきたの。まずそこからなんだけど」
 一頻りゼクスのドラミングを眺めさせられた辰弥だったが、それでようやく緊張が解けたのか最初に思った疑問を投げかける。
 ああそれ、とツヴァイテがちら、とゼクスを見る。
「第二世代LEBのもう一つの特徴、『トランス』よ。私たちは血液を変質させて武器にするくらいだけど第二世代は自分の体の構造そのものを自由に変化させられる。ゼクス、見せてあげて」
「お、アレやっていいのか?」
 ツヴァイテに指示されたゼクスが嬉しそうに笑い、ドラミングをやめる。
「見て驚くなよ?」
 そう言った次の瞬間、ゼクスの身体が割れた水ヨーヨーのように弾けた。
「え!?!?
 驚く辰弥の目の前に血だまりが広がり、そしてぬるりと移動する。
 血だまりは独房の扉の隙間をすり抜け、再びゼクスの身体を構築する。
「ってわけだ」
「……」
 辰弥が絶句する。
 研究が進めばここまでできるのか、という思いやこんなものまで開発されていたのか、という思いが脳裏をよぎる。
「……なんなの、君は」
「何って、六番目に製造されたLEB、ゼクスだが?」
 そういうお前は何組み込まれてんだよゼン、とゼクスが辰弥に問う。
「いや、俺は……」
 そこまで辰弥が言ったとき、廊下から足音が響いてきた。
「げっ!」
 ゼクスが慌てたような声を上げ、ツヴァイテはそんなゼクスとは正反対に足音の方へ向き直り敬礼する。
「ちょっとー! また飲んでるの!?!? 飲むなら休憩室だけにしときなさいって言ってるでしょ!!!!
 飛んできたのはトクヨン隊長の御神楽みかぐら 久遠くおんの怒号。
 え、怒るとこそこ? と辰弥は驚いた。
 生物兵器LEBが施設内を自由にうろついているのである。むしろそこが問題ではないのか。
「えー、別に迷惑かけてないからいいだろー?」
 近寄ってくる久遠にへらへらと笑うゼクスに何故か辰弥が冷や冷やする。
 そんなことをすれば確実に殴られる、と辰弥が身を竦めていると。
「そういう問題じゃないでしょ。一応規則なんだから規則くらい守りなさい。で、部外者はとっとと戻った戻った」
 シッシッと追い払う久遠のその様子も犬などの動物を追い払うのではなくあくまでも邪魔な人間を追い払うような態度で、辰弥が呆然とする。
 ――こいつ、本当に――。
「隊長、失礼しました。ゼクスには後で始末書書かせます」
「あら、ツヴァイテは相変わらずお堅いわね。そこまでかしこまらなくていいわよ」
 とりあえず、私はノインに話があるからと久遠が二人に手を振る。
「って言うけどさー、そいつノインじゃな……むぐっ」
「ちょっとゼクス、余計なこと言わない!」
 ツヴァイテがそんなことを言いながらゼクスの口を抑えて、背を押していく。
 二人の声が遠くなったところで独房の扉が開き、久遠が踏み込んできた。
 独房の扉が閉まり、二人が狭い空間に閉じ込められる。
「……」
 辰弥がわずかに動かせる首を動かして久遠を見る。
 久遠は表情を読ませない顔で辰弥を見下ろし、それから口を開いた。
「吸血殺人事件がまた発生したわ」
「……そう、」
 そう呟くように言った辰弥の声は重い。
「……だから、俺はやってないと」
「そうね、でも手口は仮に人間にできたとしても人間が血を奪う理由が見つからない。しかも最近は人肉まで口にしている様子もある――と考えると、ね……」
 そう言ってから、久遠はほんの少しだけ考えるようなそぶりを見せた。
「……まさか、第一号エルステ……生きていて、今頃になって暴れたというの」
 ノインがここにいる以上、考えられるLEBは四年前に失踪したエルステ以外存在しない、それとも永江博士はまだLEBを隠していたの、と久遠は呟いた。
「……」
 だから、俺はノインじゃない、と言いかけるが話がこじれそうでつい黙ってしまう。
「でも、これで貴方が吸血殺人事件の犯人ではないということがはっきりしたわね」
 久遠がいささか悔しそうにそう言い、屈み込んで辰弥を見る。
「ノイン、教えて。永江博士が造ったLEBは本当に貴方が最後なの?」
「……知らない」
 永江博士がどれだけのLEBを開発したかなんてものは知らない。
 それに、自分はノインではない。
 それなのに久遠は頑なに自分をノインだと認識している。
 むしろ四年前に失踪したエルステが事件を起こしていると思い込んで。
「第二研究所発のLEBでしょ、貴方は。どうして知らないの」
「……違う」
 たまらず、辰弥はそう答えた。
 違う、俺はノインなんかじゃない。そう、久遠を見る。
「ノインじゃないって……エルステは四年前に失踪したきり生死不明よ? あれから御神楽の力で桜花で発生した全ての死体を確認してる。でもエルステの死体が確認されたって報告は上がってない。生きてるかもしれないと思ってるけど、そんな、今まで私たちの目から逃れてきたのよ? それをこのタイミングで都合良く現れるなんて考えられない」
 四年前の襲撃で、ナノテルミット弾に焼かれたと考えた方がまだ辻褄が合う、と久遠は呟いた。
「……」
 ――まぁ、こっちも姿を見せる気はなかったけど。
 言葉にはせず、辰弥は久遠を見続ける。
「それとも、永江博士以外にLEBの研究を再開したところがあるというの?」
 あり得ない、と久遠は唸る。
「永江博士が生み出したLEBはたった一つの欠点を除いて完成されたと言ってもいい。あれほどの遺伝子工学の天才でなければ漏洩した僅かな資料から研究を再開させるなんて不可能よ」
「欠点?」
 思わず辰弥が訊ねる。
 そもそも自分の時点でほぼ完成されたと言われていたのだ。第二世代は永江 晃によって様々なカスタムを施されているらしいが、そこに欠点があるというのか。
 ええ、と久遠が頷く。
「貴方たちは理解してるかどうかわからないけど、第二世代LEBは造血機能が圧倒的に低い。そして、血を作り出せなければ武器が作れない貴方にとって『輸血されない』は相当辛いはずよ。経口摂取でも補充はできるらしいけど、それでもノイン、そろそろ血が欲しいんじゃなくて?」
「……」
 血が欲しい、それは事実だ。
 あの久遠との戦闘で使用した血液を考えると現在の造血機能では全力を出すほどの血が作り出せていない。
 どうしても輸血、または経口摂取で血液の補給は行っておきたかったところだがその対策だろう、捕えられてから辰弥には血液は一滴も与えられていない。
 しかし、第二世代のLEBにそんな欠陥があったとは。
そこまで考えてから辰弥はふと心当たりに思いついた。
 ――せっちゃん、造血機能がひどく低いの。ほとんどないって言ってもいいかもしれない――。
「……雪啼せつな、」
 思わず、辰弥が呻くように呟く。
 まさか。いや、やはり雪啼は――
「どうしたの?」
 久遠が首をかしげる。
「雪啼、ああ、そういえば貴方父親の真似事してたみたいね」
 その辺りは調査済みよ、と久遠が続ける。
「LEBでありながら、人の親として生きていたかったの?」
 だったら、と久遠は提案した。
「一般市民になりなさい。監視下に置かれるという条件はあるけど、能力を使わない限り私たちは干渉しないし結婚だって――」
「違う、そうじゃない」
 久遠の言葉を、辰弥が否定する。
「俺が望んでるのはそういうことじゃない」
「じゃあ、何を――」
 そう言った瞬間、久遠は眉をひそめた。
 耳元に手を当てたことで辰弥は彼女に何かしらの通信が入ったことを察知する。
「……嘘でしょ!?!? ここまで来て、振出しに戻ったって言うの!?!?
 GNSによる通話のため、辰弥は久遠が何を話しているのかは分からない。
 それでも、久遠が自分を見たことによって話題の主軸が自分にあることを察する。
「……分かったわよ、確認すればいいんでしょ? でも違った場合――大変なことになるわよ」
 そんなことを言いながら久遠は通信を終了し、辰弥に手を伸ばした。
 まずい、と辰弥がその手をかわそうとするが食事時でも何でもないためGNSロックは全身の動きをほぼ封じており、抵抗することすら叶わない。
 久遠が辰弥からジャケットをはぎ取り、上半身を押さえつけ、Tシャツに手をかける。
「ちょ、やめろ――」
 辰弥の制止も聞かず、久遠は強引に辰弥のTシャツを脱がせた。
 細身だが引き締まった上半身が露になる。
「――っ」
 久遠が息を呑む。
「嘘……でしょ……」
 信じられない、と久遠は辰弥の顔を身体を交互に見比べ、それから何かに気づいたように彼の左鎖骨のあたりを爪でこすった。
 シールをはがそうとするかのように何度かこすると本当に何かが貼ってあったかのように皮膚の一部がめくれる。
 それを摘まんで剥がすと、人工皮膚の下からバーコード状のタトゥーが現れた。
「……まさか……」
 久遠が義眼のスキャン機能でバーコードをスキャンする。
 その結果がGNSを通じて視界に表示される。
 久遠の眼が、義眼の絞りが人間の瞳孔のように開かれる。
「……本当に……エルステ……?」
 そう言った久遠の声が震えている。
 そんなはずはない、どうしてこんなところにいるのという響きが声に含まれている。
 辰弥が久遠に鋭い視線を投げる。
「……あんたの言う『一般人』とは少し違うけど、一般人として、生きてたよ」
 久遠を睨みつけ、辰弥エルステははっきりとそう言った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 日翔の家に暗殺連盟アライアンス内でも「グリム・リーパー」と特に懇意にしている面々――メッセンジャーの姉崎あねさき あかね、闇医者の八谷やたに なぎさ、そしてアライアンスのまとめ役である山崎やまざき たけるが集まっている。
「……で、カグラ・コントラクター……いや、特殊第四部隊トクヨンは鎖神さんを」
 猛の言葉に、日翔が頷く。
「あいつら、なんか辰弥のことを『LEB』と呼んでた。しかも吸血殺人の犯人だと言って」
 鼻息荒くまくしたてる日翔に、鏡介は「落ち着け」と抑えつつも話を引き継ぐ。
「ただ、調べたんだが辰弥は『LEB』であったとしてもカグコンが探している『ノイン』ではない。あくまでも推測だが、『ノイン』は脱走してまだ数環、辰弥は俺たちの元に来てもう四年は経過している。四年前にも似たような事件があって、おそらく辰弥はその時の生き残りだろう」
 なるほど、と猛が頷いた。
「で、その『LEB』というものは?」
「御神楽が生み出した生物兵器、自分の血肉から武器や弾丸を作り出せる能力を持っているらしい」
 鏡介の説明に、猛は顎に手を置いて考えるようなそぶりを見せた。
「……鎖神君、人間じゃなかったってこと?」
 今までのいきさつを黙って聞いていた茜がそう確認する。
 ああ、と鏡介が頷いた。
「俺としては本質は人間だと思ってるから人外扱いする気はないが、遺伝子上は人間ではないな。悪い冗談だろうと思っても目の前でナイフを作り出すところを見せつけられては信じざるを得ない」
「……本人が打ち明ける前に、全部バレちゃったってわけね」
 不意に、渚がため息交じりに呟いた。
 一同の視線が彼女に投げられる。
「え、『イヴ』、知ってたのか?」
 驚いて日翔が渚に尋ねる。
 ええ、と渚が頷いた。
「わたしを何だと思ってるの。医者よ? 人間じゃなかったらすぐに分かるわ」
「マジかよ……」
 日翔がそう呟き、頭を掻く。
「なんで教えてくれなかったんだよ! あいつ、ずっと悩んでたんだぞ!」
 辰弥は以前から何度も何かを打ち明けたそうなそぶりを見せていた。
 確かに「人間ではない」と打ち明けるには勇気がいるだろう。
 それなら、せめて『イヴ』が教えてくれれば、と日翔が渚に文句を言う。
 それでも、彼女は落ち着き払った様子で日翔を見据えた。
「医者には守秘義務があるってことを一番よく知ってるのは日翔くんじゃなくて?」
「っ……!」
 渚の言葉に日翔が怯んだように声を上げる。
 そうだ。医者にはたとえ家族であっても本人の同意なしに病状を伝えてはいけないという守秘義務が存在する。
 ここにいるメンバーで一番渚の世話になっているのが日翔であるため、一番よく分かっている。
 そうだ、自分の筋萎縮性側索硬化症ALSのことを辰弥に訊かれても渚は答えなかったではないか。
 彼女が辰弥のことを知っていても本人が同意しないなら決して話そうとはしないだろう。
 日翔が悔しそうに呻き、それからやり場のない怒りをぶつけるかのようにソファに拳を叩き落す。
「なんで、あいつは……ずっと黙ってたんだ」
「そりゃ、『俺は人間じゃない』といきなり言われて納得できないでしょ」
 その通りだ。「人間ではない」と打ち明けられて今までと同じように接することができるかと問われればそれは否である。
 距離感が掴めなくなり、どうしてもぎくしゃくしてしまうだろう。
 その躊躇いがわずかにでも存在すれば慎重さを求められる依頼で意思疎通がうまくいかずに失敗するのは目に見えている。
 正直なところ、日翔は迷っていた。
 辰弥に再会できたとして、今までと同じ態度で接していいのかと。
 辰弥が全てを知った上でどう接してもらいたいのかも分からない。
 今までと同じでいいのか、人間とは違う存在として扱うべきなのか。
「……まぁ、バレただけならまだしも連れていかれたのなら守秘義務が、とか言ってる場合じゃないわね。鎖神くんには悪いけど、情報は開示するわ」
 今、今後のことを話すにしても必要なのは情報でしょ、と渚が言う。
「『イヴ』、あんたはどれくらい辰弥のこと知ってるんだよ」
 どれくらい知っているのか、どこまで開示してくれるのかが分からず日翔が訊ねる。
「本人が喋った範囲なら。あとはコネよコ・ネ」
 遺伝子工学に強い知り合いいるし、と渚が続け、ウィンクする。
 その、普段と変わらない渚の様子に鏡介はオーケー、と頷いた。
「『LEB』について知っていることは?」
「まぁそのあたりは大体貴方たちも見聞きした通りよ。鎖神くん曰く、『知ってる物質なら作れる』ということらしいわ。血肉、特に血液を変質させて物質を作り出してるから作りすぎると貧血で倒れちゃう。今まで倒れていたのもほとんど全部貧血よ」
 貧血のこととかも言わないでと言われてたから過労でごまかしてたけど、と言いつつ渚が続ける。
「実はね、さっき言った『遺伝子工学に強い知り合い』がどうも研究所の人と知り合いだったらしくてね……守秘義務とかあるから詳しくは聞いてないけど研究自体は約十年前に始まったらしいわ。その人とは四年前の事故以来音信不通だとかなんとか」
「その四年前の事故、事故じゃないぞ」
 渚の言葉を鏡介が訂正する。
 えっと声を上げる渚に、鏡介は日翔にも見せた四年前の研究所爆発のニュースを転送した。
「四年前の事故ってこれのことだろう? 事故は御神楽が用意したカバーストーリーだ。実際はトクヨンが研究を潰すために襲撃している」
「……どういうこと」
 その渚の問いには答えず、鏡介は黙り込んだ。
 今の渚の言葉で何か矛盾を覚えてしまう。
 考えろ、と鏡介は渚の言葉を繰り返す。
 何が矛盾なのか。
 ハッカーである鏡介は些細な違和感でもすぐに察知できる洞察力を身に付けていた。
 ハッキングの際に、ほんの少しでも違和感を覚えたらそこには必ず何かある、と身をもって知っている。
 ――研究自体は約十年前――
「……おい、」
 違和感の元に気づき、鏡介は声を上げた。
 その声が震えていることに気づき、顔をしかめる。
「どうしたんだ鏡介」
 日翔が心配そうに鏡介を見る。
「……辰弥は……あいつは、何歳なんだ……」
 研究自体は約十年前、ということは――。
「え、あいつ今年二十四って言ってたよな」
 そうは見えないけど、と続ける日翔に鏡介は思わず口元に手を当てる。
 こみ上げてくる吐き気に自分がかなりの緊張状態であることに気づかされる。
「あいつ……その半分も、生きてないぞ……」
「え!?!?
 日翔が声を上げ、それから渚もはっとしたように鏡介を見る。
「ちょっとそれ本当なの?」
「っていうか『イヴ』、年齢聞いてないのかよ!」
 渚の言葉に、日翔が声を荒らげる。
 それよりも、辰弥は渚にほとんど何も言っていないのでは、と考える。
 渚の開示した情報の大半は先ほど鏡介がハッキングして得た情報と一致していた。
 逆に言うと情報の裏付けができたようなものだが、新しい情報としては辰弥の不調が貧血によるもの程度である。
「じゃ、じゃああいつ実年齢は十歳……?」
「……いや、多分もっと若い。研究が始まったのが約十年前で、そのタイミングで作り出されたとは思えないからな」
 子供じゃないか、と鏡介が口元を押さえたまま唸る。
 ――そんな子供を、今まで殺しの世界に置いてきたのか――?
 日翔が保護した当時、辰弥は「成人済みだ」と答えていた。
 当時の時点で見た目は十代後半だったが実年齢より見た目の若い人間なんてごまんといるから辰弥もそんな若作りの人間だろうと日翔も鏡介も思っていた。
 そこへもってのあの戦闘能力、使わない手はないと思ったし辰弥本人も望んだからアライアンスに引き込んだ。
 それなのに、実年齢は十歳にも満たない、いや、保護した当時五歳程度の幼児を。
「いや待てよ。でもあいつ十歳以下だとしても見た目は俺たちとそう変わらないだろ、どういうことだよ」
 そもそも「LEB」というのも勘違いじゃないのか、と日翔は未だに信じたくないと言わんばかりの顔で言う。
 だが、その日翔のわずかな希望を渚は打ち砕いた。
「動物実験の基本よ。動物実験の際、なるべく成体がいいから若い個体を薬物投与とか急速成長させる技術は確立されてる。体の負担が大きいから人間への使用は法律で禁じられてるけど鎖神くん、人間じゃないから多分そんなの関係ないわ」
「な――」
 日翔が絶句する。
「実験のために、無理やり成長させたっていうのか……?」
 渚が頷く。
「……じゃあ、俺たち、マジで……」
 なんてことを、と唸る日翔。
 その様子を見ていた猛が口を開いた。
「しかし、彼には外見年齢相応の知識もありましたが? 少なくとも、大学卒業程度の教養はある」
 それも説明できる何かがあるのですか、と猛は尋ねた。
 多分、と渚が頷く。
「学習装置でも使ったんじゃない? 生物兵器として開発されて、何の知識もなく戦場に放り込んだところで的にしかならないもの。少なくとも武器の知識、戦闘の知識、物質の知識は叩き込まれてるし暗殺にも使えるようにと意図されてるなら不審がられない程度の一般教養も詰め込まれると思うわよ」
「学習装置、噂で聞いたことあるな。御神楽がより効率的に知識を身に着けられるようにと開発している、という程度だが」
 実用化されていたのか、と鏡介が呟く。
 とはいえ、一般的に普及していないところを見るとまだ実験段階かこれもまた人体に多大な悪影響を与えるために禁止されているのか。
 なにはともあれ、年端も行かない子供を成長させ教育することは可能だと分かった。
 それを利用してあの辰弥がいるということも。
「……どうすんだよ……」
 あいつにどんな顔合わせりゃいいんだよ、と日翔は唸った。
 そもそも、辰弥が生物兵器である以上御神楽財閥は、カグラ・コントラクターは回収しておきたいところだろうし現に回収してしまっている。
 カグラ・コントラクターが回収した生物兵器を世に放つことは考えられず、このままでは彼と再会することはできないだろう。
 どうする、と日翔は呟いた。
 自分は辰弥をどうしたいのか。何が辰弥にとっての幸せとなるのか。
「とりあえず、現状は把握しました。姉崎さん、情報収集をお願いします」
「分かりました。あと、山崎さん?」
 茜に指示を出して立ち上がった山崎。
 茜が何か気がかりなことがあるとばかりに声をかける。
「はい、なんでしょうか」
「雪啼ちゃんはどうするんですか。鎖神君が捕まったと同じタイミングで雪啼ちゃんも失踪してるんです」
 茜の言葉に、その場にいた全員がはっとした。
 辰弥のことで頭がいっぱいになっていたが、そういえば雪啼も失踪している。
 最近、この周辺は吸血殺人事件が頻発している、雪啼一人が歩き回っているのは危険である。
 まずいですね、と猛が呟いた。
「姉崎さん、とりあえず雪啼ちゃんの情報収集を優先で。鎖神さんはカグラ・コントラクターに拘束されているのならとりあえずは大丈夫でしょう」
「待てよ、また実験されたりするんじゃないのか?」
 猛の判断に日翔が勢いよく立ち上がり、不服を唱える。
「御神楽は信用ならねえ、助けに行った方が」
「どの施設に収容されているのかもわからない状態で、どうやって助けろと」
 食らいつこうとする日翔に、猛が落ち着き払った声で答える。
「鎖神さんには申し訳ありませんが、今は耐えてもらうしかありません。まだ雪啼ちゃんの方が先に見つかる可能性が高い」
「くっ……」
 日翔が拳を握り締め、歯ぎしりする。
「落ち着いてください。貴方が暴走すれば、それだけ助かるものも助からなくなります」
 あくまでも冷静に、猛が日翔をなだめる。
「日翔、落ち着け」
 鏡介も冷静を取り繕って日翔に声をかけると、彼は渋々ソファに座り直した。
「……でも、せっちゃんも案外危ないかもよ?」
 不意に、渚がそんなことを言った。
「それはそうだろう。五歳児なんて吸血殺人の格好の獲物だ」
 だから今こうやって雪啼を探す方にシフトした、と鏡介が怪訝そうに言う。
 何を当たり前のことを、という周りの視線に臆せず、渚は真逆のことを口にした。
「そのせっちゃんが犯人だったら?」
「はぁ!?!?
 渚の言葉に、日翔が思わず声を上げる。
「んな、何言ってんだよ! 雪啼はたぶん五歳児だぞ? 吸血殺人なんて――」
「そのせっちゃんが『LEB』だったら?」
「な――」
 日翔が言葉に詰まり、その横で鏡介が「嘘だろ」と呟く。
 呟いてから、鏡介はその可能性が否定できないことに気が付いた。
 雪啼は辰弥と同じ色の眼をしている。そして、久遠はLEBの特徴として紅い瞳を上げた。瞳孔の形まではまじまじと見ていないから断言はできないが、辰弥との類似点はそれなりにある。
 ただ、辰弥は親子関係を否定していたはずだ。ましてや彼が「造られて」十年も経っていないのでは特にそんな関係など――。
「確信はなかったんだけど、貧血のこととか考えるとせっちゃんも『LEB』である可能性は高いわ」
「でも親子ではないんだろ? 別ロットとか……?」
 日翔の言葉に鏡介が「そんな言い方をするな」とたしなめる。
「だが、引っかかるな。実年齢が一桁だったとしても肉体自体はほぼ成熟している、ということはやはり親子である可能性も――」
「あ、それはあり得ないわ」
 辰弥と雪啼の親子関係を考え始めた鏡介を、渚が否定する。
「なんでそう断言できんだよ」
 即答した渚に日翔が食いつく。
 それとは裏腹に、鏡介は顎に手を当ててふむ、と呟いた。
「まぁ、そりゃあ遺伝情報的には共通するんでしょうけど、あの二人が『親子』であるはずがない」
「……まさか」
 鏡介の頭にふと浮かんだ一つの可能性。
 浮かんでしまったことと、開発者の悪趣味さに嫌気がさす。
 そうよ、と渚が頷いた。
「鎖神くんに生殖能力はないわ。それは私も確認済み。元から『交配』での繁殖は想定されてないのよ」
「っ……」
 次から次へと出てくる情報に頭が追い付かない。
 そんなので、と日翔が唸る。
「そんなにも色々抱えてあいつ生きてたのかよ」
 以前鏡介に言われた辰弥の希死念慮の話を思い出す。
 死にたくなるのも無理はない、と日翔はここでようやく納得した。
 同時に、自分は何も知らずに好き勝手言っていたのだと。
「……俺、あいつに謝りてえ……」
「それは後で考えろ。今は雪啼のことだ」
 相変わらず冷静な口調で鏡介が言うが、彼もまた頭に血が上っていることに日翔は気が付いた。
 一見落ち着いているように見えるが指先だけは落ち着きなくソファのひじ掛けを叩いている。
「で、どうする。雪啼が『LEB』なら、いや待て――」
 回りが一斉に鏡介を見る。
 分からないのか、と鏡介が声を上げる。
「雪啼こそが御神楽が探している『ノイン』じゃないのか?」
「え?」
「な――」
 鏡介の言葉に渚と日翔が声を上げる。
 それは盲点だった。
 渚としても辰弥と雪啼が同じという推測が立っている時点で「ノイン」だと考えるべきだろう、と鏡介も考える。
 しかし、すぐに思い直す。
 御神楽が「ノイン」を探しているという情報は「グリム・リーパー」内でのみ共有している情報だった。
 渚が雪啼のことを「LEB」かもしれないと考えていても、その情報がないため可能性に到達することはできない。
 せめて、彼女が辰弥のことを早い段階で打ち明けてくれていればその考えに至ることもできたかもしれないがそんなことを今考えていても仕方がない。
「マジかよ、雪啼が『ノイン』って……」
「あくまでも可能性の話だ。だが、辰弥と雪啼が『LEB』で、雪啼を保護した時期を考えると可能性は高い」
 そう考えると雪啼の確保は最優先事項となる。
 彼女が吸血殺人事件の犯人とは確定できないが、危険な生物兵器を野放しにしているも同然なのである。早急に確保してカグラ・コントラクターに引き渡した方がいい。
 そこで鏡介はふと考えた。
 カグラ・コントラクターよりも先に雪啼ノインを確保できたなら。
「……雪啼と交換条件で辰弥を解放できないか?」
「……」
 辰弥が「吸血殺人事件を起こしていない」という前提とはなるが、カグラ・コントラクターの目的がノインなのならそうではない彼に用はないはず。
 アライアンスとしても辰弥は貴重な戦力、いや、これ以上手を血で染めさせるわけにはいかないが引き取るということにすれば。
「……無理じゃね?」
 一瞬は可能性を考えたのだろうが、日翔が首を振る。
「御神楽が生物兵器を手放すとは思えねえ。どうせ辰弥も『使える』で使うんだろ」
「……確かに」
 日翔がやや反御神楽の陰謀論に染まっているところは認めるが、今回の彼の言葉には一理ある。
 そう考えると、雪啼を引き渡したところで辰弥の引き取りは難しいだろう。
 どうする、と鏡介は考えた。
 御神楽が辰弥をどう扱っているか分からない以上、下手に動くことができない。
「とりあえず、今はせっちゃんの確保を考えましょう。話はそれからよ」
 全員の考えをまとめるように渚が手を叩いて口を開く。
 そのタイミングで。
「……まずいわ、せっちゃんらしき女の子と警察が接触、警察側に被害が出ている感じよ」
 GNSで情報を集めていた茜が、そう報告した。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 辰弥が「ノイン」ではなく「第1号エルステ」であるということが確認された特殊第四部隊トクヨンは大騒ぎとなっていた。
 何人もの研究員が改めて辰弥を検査し、データを洗い直す。
 四年間ろくなメンテナンスも受けずに生き延びていた上に「原初」のLEBなのである。研究者としてはデータが欲しいところである。
「……もっと詳しく調べたいし、近々貴方を『ツリガネソウ』に移送するわ」
 辰弥を前にして、久遠がそう宣言する。
「……そう、」
 諦めたのか、辰弥は静かだった。
「それにしても、貴方がエルステだったなんて……」
 さっきはいきなり脱がしてごめんなさい、と久遠が謝った。
「第二世代のLEBが人工子宮で製造されるのに対して第一世代は培養槽で製造されてるから、へその有無を確認するのが一番早いじゃない」
「……それはそうだけど」
 あの時、Tシャツを剥がれた辰弥の腹部には確かに人間にあるべきはずの、本来から胎盤を通じて酸素や栄養を受け取る器官として存在する臍の緒の痕はなかった。
 それが辰弥を第一世代LEBとして確定する決め手となったのだが、久遠としては未だにエルステが生き延びていたことが信じられないらしい。
 四年間逃げ延びておいて、どうして今頃。
 だが、そんなことを考えていても仕方ない。
 今は彼がどうしたいのかを考えた方がいい。
「それで、どうする? 一般人に戻る? それとも私たちと一緒に来る?」
「……帰りたい」
 ぽつり、と辰弥が呟いた。
 あの二人のところに帰りたい、と。
「受け入れてもらえるかどうか分からないけど、一緒にいたい」
「……それは、」
 腰をかがめて辰弥に視線を合わせ、久遠が言う。
 それは、貴方のその能力を管理下に置けない、と久遠が呟く。
 いや、それとも――。
 しかし、「帰りたい」と言ったものの辰弥は不安そうだった。
「だけど、俺が帰ったところで二人が受け入れてくれるかなんて……」
 それに、殺しの世界以外での生き方が分からない、と辰弥は続けた。
 それに対し、
「その部分は心配しなくていいわ。一般人になることはできる」
 大丈夫、一般人化したLEBも実例があるから、と久遠は続けた。
「一般人になった……?」
「ええ、第3号ドリッテは戦いたくないからって一般人になる道を選んだわ。LEFレフのとある街でパティシエの修行やってるって報告受けてるけど」
 最近自分のケーキを店に並べられるようになったらしいわよ。と続ける久遠。
 久遠の言葉に驚きが隠せない辰弥。
 本当に、一般人として生きる道を用意してくれるというのか。
 一瞬、一般人として生きるべきかという迷いが辰弥に生じる。
 本当のことを言えば、日翔や鏡介が待つ「グリム・リーパー」に戻りたい。
 しかし戻ったとしても受け入れてもらえないかもしれないという恐怖が付まとう。
 万一、受け入れてもらえたとしても久遠としては辰弥が暗殺を続けることに抵抗があるらしい。
 一般人として、何も知らない体であの二人のところには戻れないだろうか。
 ……いや、暗殺をしないという条件で「グリム・リーパー」に戻ることはできない。
 アライアンスとしても自分は大きな戦力であるはずだし二人を戦わせておいて自分はのうのうと生きるなんてことはできない。
 結局、一般人になるにしても自分は日翔と鏡介を見捨てたという事実を抱えて生きることになるのだ、とふと思った。
 それならトクヨンに配属させてもらうか。
 いや、それはできない。
 依頼の上では巨大複合企業メガコープ暗殺連盟アライアンスはなるべく非干渉ということになっていたとしてもその依頼がブッキングして衝突することはある。
 特にカグラ・コントラクターはメガコープ間の企業間紛争コンフリクトに武力介入することもある。それに「グリム・リーパー」が巻き込まれた場合二人を生かしておける自信がない。いや、自分が手を下さずともカグラ・コントラクターが手を下す可能性もある。
 答えなど、出せるはずがなかった。
 それは捕えられて、「一般人に戻る道がある」と提示されてからずっと考えてきたこと。
 どうすればいい、と辰弥は自問した。
 何が、自分の、そして日翔と鏡介の幸せになるのかと。
「……あの二人のことを考えてるの?」
 黙り込んだ辰弥に久遠が訊ねる。
 辰弥が小さく頷く。
「俺は、あの二人を放って一人のうのうと一般人になんてなれない」
「どうしてそこまで」
 あの二人は貴方の能力を利用していただけよ? と久遠が言う。
 違う、と辰弥が首を振る。
「俺は利用されてなんていない。俺は、俺の意思であの世界に入ると決めた。あの二人は俺に居場所をくれた。あの二人には恩がある」
「そう、」
 そう一言だけ呟いた久遠が少し考えて続ける。
「どうしてもあの二人を放って置けないと言うなら、あなたの選択に二人を伴わせることも出来るわよ。二人とも一般人になるか、二人ともトクヨンに入るか」
「なっ」
 思わぬ提案に辰弥が目を見開く。
「望まず暗殺をさせられている人間を一般人になれるようにするのは御神楽の理念に叶う行為だし、あの二人も十分な戦闘員とウィザード級ハッカーだから、トクヨンに入れるのも支障はない。インナースケルトンの子はもう少し体系的に武術を身につけてもらうことにはなるかもしれないけどね。なんなら、インナースケルトンの汚染についてもメンテナンスを手伝うことが出来るし、その治療技術も研究中よ」
 久遠は続ける。自分一人だけが助かると言う心配はいらないのだ、と。
 思わぬ大きな提案に黙り込んでしまった辰弥に、久遠はそっと手を伸ばして辰弥の髪を撫でる。
「時間はあるから考えなさい。私も、何が貴方にとっての幸せになるか考えてあげるから」
「……」
 辰弥の返事を待たず、久遠が立ち上がる。
「……第一研究所のLEBについてはね、ツヴァイテはトクヨンに入ってLEB部隊のリーダーやってる。ドリッテはさっきも言った通りLEFでパティシエしてる。でも第四号フィアテだけは……助けられなかった」
 独房を出る間際、振り返ることなく久遠が辰弥に告げる。
「……え、」
 久遠の言葉に辰弥が身じろぎしようとする。
「フィアテ……が?」
 ええ、と久遠が頷いた。
「保護した時点で既に心が壊れていたわ。そのまま誰も止められなくて……」
「……そっか」
 呟くようにそう言い、辰弥は目を閉じた。
「……俺も、壊れたらそうなるのかな」
「させないわ」
 そう言って、久遠は独房を出て行った。

 

「よう、お前、エルステだったのか」
 ぬるり、とドアをすり抜けてゼクスが独房に入ってくる。
「だったら何なの」
 君も暇だね、と強がりつつも辰弥がゼクスを見る。
「で、何の用」
「つれねえなあ……同じLEBだろ、仲良くしようや」
 とりあえずどうするか決めればGNSロックも解除されるんだからさー、とゼクスがそそのかす。
 それでも、辰弥は首を横に振ってそれを否定する。
「俺は、君たちと慣れ合うつもりはない」
 もし、特殊第四部隊に加入する、というのであれば必要に迫られての交流はするだろう。
 だが、今ここでゼクスたち他のLEBと慣れ合う気は全くなかった。
 ここに連れてこられて接触したLEBはツヴァイテとゼクスの二人のみ。
 ドリッテがここを離れ、フィアテも死んでいるのなら今残っているのはツヴァイテと、ノインを除いた第二世代LEBということだろうか。
 ツヴァイテはともかく、第二世代LEBとは面識がない今、慣れ合うという気には到底なれない。
 そうか、とゼクスが残念そうに呟く。
「ここの生活、楽しいぜ? 飯はうまいし自由時間は施設内好きに歩き回れるし、この間はツリガネソウがエウロッペ辺りに寄港した時はみんなで脱走してドリッテの店までケーキ買いに行ったりしてな……」
 いやぁあの時の隊長の鉄拳はやばかったぜ、などと嘯くゼクスに辰弥が思わず「はぁ!?!?」と声を上げた。
「何やってんの」
「いや、別に許可もらえば普通に買いに行けるんだがな、ほらそこは脱走のスリル味わいたいじゃんかー」
 あっけらかんとしたゼクスの言葉に、辰弥は「本当にこいつバカだ……」と呟いた。
「なにをう! バカ言うなし! 俺、賢者ぞ?」
 耳ざとく聞きとったゼクスが抗議する。
「『森の』でしょ、ゴリラじゃん」
「だからゴリラ言うなし!」
 そんなことを言いつつも、ゼクスはどん、と辰弥が寝かされているベッドの縁に腰かけた。
「……なあ、そんなに人間の仲間のことが大切か?」
 突然、そう問いかけられ辰弥が言葉に詰まる。
「何を」
「まぁ分からん話ではないぞ? LEB小隊にだって人間の隊員がいるわけだしさ。やっぱ『仲間』だったら幸せになってほしいとは思うから理解はできるし。でもさ……やっぱここで俺たちと一緒に暮らした方がお前は幸せじゃないのか?」
 何となく予想はしていたが、その予想通りの言葉が投げかけられて辰弥が黙り込む。
 久遠の発言も考えると、本来の自分が「自分らしく」生きることはできるかもしれない。同族と慣れ合うつもりはなかったが、それでも「自分と同じ」存在が身近にいることは多少の安心があるのかもしれない。
 それでも。それでも、辰弥は久遠の提案を受け入れることができない、と思っていた。
 ゼクスの言い分は分かる。確かに、LEBであることを隠して生きるよりは幸せかもしれない。
 しかし――。
 でも、と辰弥は動かせないなりにも首を横に振ろうとする。
「でも、あの二人は俺を助けてくれた。助けてくれたうえで居場所をくれた。だから守りたいって思う」
 ゼクスの問いかけに、辰弥が正直に答える。
 なるほど、とゼクスは頷いた。
「……人間って、案外、面白いよな? 最近分かってきた気がする」
「面白いか面白くないかで言うと面白くない人間の方が圧倒的に多いよ。だけど、面白いと思える人間に出会えたら大切にするべきだと思う」
 日翔も鏡介も。
 自分が「人間ではない」と言わなかったからだが、それでもあの二人は自分を一人の人間として扱い、尊重してくれた。
 人間には憎悪しか抱いていなかった辰弥だったが、日翔たち、そしてアライアンスの面々が優しく扱ってくれたことで閉ざしていた心が開けた、とも言える。
 勿論、全ての人間に対しての感情が変わったわけではない。
 身近な人間、自分に敵意を持たない人間に対しての意識が変わっただけだ。
 だから、自分を大切にしてくれた人間には報いよう、と思っていた。
 だから、あの二人の元に戻りたい、と思っていた。
 それでも不安は多い。
 真実を知ったうえで受け入れてもらえるのか、という。
 久遠に言われた、自分の行きつく先で二人を傷つけないか、という。
 そんな辰弥の背を、ゼクスがポンポンと叩く。
「お前、案外幸せ者だな」
 そう言い、ゼクスが天井を見上げる。
「だったらさ、やっぱりお前は仲間を呼び寄せて三人こっちで生きた方がよくね?」
「え?」
 思いもよらなかったゼクスの言葉。
 だってよー、とゼクスが続ける。
「そんだけお前のこと大切にしてくれる人がいるのに引き離して一般人かトクヨンかは幸せじゃないだろ。っても、戻ったところで今までと同じ生活じゃしんどくねーか?。だったら、やっぱ俺はお前がこっちに来て一緒に暮らした方が幸せじゃないかなって思う。お前の仲間も一緒にって選択肢があるんだろ? 悩む必要ないじゃないか」
「……そう、かな」
 久遠は二人も一緒にという選択肢を提示してくれた。
 「幸せになるべきだ」と言い、そこに日翔と鏡介が必要なら一緒にいてもいいと提示してくれた。
 それでももし、あの二人が拒絶したらどうなるのだろうか。
 「人間ではない辰弥とは一緒にはいれない」と言われてしまったら自分はどうしたらいいのか。
 いっそのこと、記憶処理してくれれば、と辰弥は思った。
 学習装置で脳に知識を書き込めるのであれば逆に記憶処理して二人のことを完全に忘れ去ることができれば。
 本当はそんなことをされたくない。
 だが、人間ではない以上人権はないわけで、久遠なら必要であれば同意なく処置を施すだろう。
 二人のことを忘れることができるなら、あるいは。
「……ま、さっきのはあくまでもオレの意見だ。実際のところ、何がお前の幸せなんだろうな」
 ゼクスが呟く。
 呟いてから、
「まぁ、考えていても仕方ない。とりあえず話題変えようぜ」
 そう、強引に話題を切り替えた。
「君、強引って言われない?」
 呆れたように辰弥が問う。
 さあ、どうだろうなとはぐらかし、ゼクスは次の言葉を紡ぎ出す。
「しかし、最初はノインが見つかったと聞いてたからさ、第二研究所のメンバーは大喝采よ。主任も喜んでたしな」
「……ノインじゃなくて悪かったね」
 ぬか喜びさせてごめん、と辰弥が呟く。
「いや、しゃーねーって。あいつ臆病だったし、そんなすぐに見つからないって」
 猫の特性埋め込まれてるから狭いところにでも隠れてんじゃないかな、と呟きくゼクス。
「……今、猫って?」
 「猫」という単語に辰弥が反応する。
 ――いや、まさか。
 何故か雪啼のことを思い出す。
 猫じゃらしに反応し、自分や本棚によじ登ろうとした雪啼。
 そのタイミングで以前TVで見たとある動物番組を思い出す。
 その番組で、実験と称して猫にキウイを与え、酔わせていた。
 キウイにはマタタビと同じ成分が含まれるため、猫によっては酔っぱらう、と。
 あの護衛依頼が終わって雪啼を迎えに行ったとき、彼女は茜にふるまわれたキウイを食べて酔っぱらっていた。
 つまりそれは――。
「雪啼!?!?
「うわっ」
 突然声を上げた辰弥に、ゼクスが驚いて立ち上がる。
「どうしたんだよ、急に大声出して」
 ゼクスの抗議に構わず、辰弥が身じろぎしようとして、それからゼクスを見る。
「……雪啼がノインだったんだ……LEBかもしれないとは思ってたけど、まさか……」
「え、お前ノインと一緒だったの?」
 辰弥の言葉にゼクスが興味深そうに彼を見る。
「ノインの特徴は? もしかすると……」
 早く答えろ、と辰弥が凄む。
 ああ、とゼクスが得意げに胸を叩いた。
「髪の色は白で結構長い。主任が『自分好みの姿が作れたからあとはこのまま成長させていく』と5歳くらいで止めてたな。色素薄めで、人形みたいでな。いつも『しゅにん、じゃま』って言いながら主任にまとわりついてた」
「……雪啼、だ……」
 特徴が一致しすぎる。むしろこんな特徴の五歳児が何人もいてたまるか、と思う。
 しかし、これで確定した。
 雪啼はカグラ・コントラクターが、そして永江 晃が探し求めている「ノイン」。
 どのような巡り合わせで自分のところに来たのかは分からないが、それでも謎は解けた。
 辰弥のことを「パパ」と呼んだのも彼が自分と同じ眼をしていたからLEBだと認識してそう呼んだ、と考えると辻褄が合う。
 吸血殺人事件に関しても人間離れした身体能力を持つLEBなら五歳児であってもそれくらい起こせるだろう。
 そう考えると一連の事件が近所で起きていたことにも納得できる。
 雪啼はあの小窓から抜け出し、猫のような身軽さで五階の高さから地上に降り、被害者を狩った。
 今なら納得できる。
 近所で起こっただけでなく、エターナルスタジオ桜花ESOで発生した吸血殺人も雪啼が起こしたものなのだ、と。
 護衛依頼の期間に吸血殺人事件が起きなかったのも茜が雪啼を一歩も外に出さなかったから。恐らくは四六時中一緒にいるために一人で外に出る隙を狙えず、血液が寿命を迎えても補充されないため貧血を起こしたのだ。
 もっと早く気付いていれば、と辰弥が唸る。
 もっと早く気付いていれば、雪啼のことを――どうしていた?
 御神楽が探していると分かった時点で引き渡したのか?
 それとも、吸血せずとも生きていける道を探したのか?
 何が、雪啼にとっての幸せだったんだろうか、と辰弥は自問した。
 ゼクスが辰弥を見る。
「なあエルステ、お前、ノインと一緒にいたなら教えろよ」
「何を」
 ゼクスに何を聞かれたのか分からず、辰弥が聞き返す。
「お前と一緒にいた時のノインって、どんな感じだったんだ」
 俺たちにとってはやっぱりかわいい妹みたいなものだったしさ、とそう言ってゼクスは笑った。
「……」
 つられて、辰弥もふっと笑う。
「雪啼は――ノインは、」
 ゼクスに促され、辰弥は雪啼のことを語り始めた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 辰弥のことより雪啼の情報収集が大切だという話になり、いったん解散することになった一同。
 日翔と鏡介が向かい合わせに座り直し、深刻そうな顔をしている。
「……雪啼が、『ノイン』だったか」
 鏡介の呟きに日翔も頷く。
「やっぱり親子みたいなものだったのかよ……よく分からねえけどさ」
「全てのLEBを一から作るなんて手間のかかることはしないはずだ。と考えると辰弥も雪啼も『原初』の個体の遺伝子を引き継いでいるはずだ。そう考えると親子というよりはきょうだい……か?」
 辰弥と雪啼が血がつながっている、というよりも遺伝子上つながりがあると考えてふと思った鏡介の言葉。
 だが、そこにもわずかな違和感を覚える。
 何故雪啼は辰弥を「パパ」と呼んだのか。
 ただの兄弟個体であるなら「お兄ちゃん」でいいはずである。
 ――いや、もしかすると――。
「日翔、」
 鏡介が日翔を呼ぶ。
「どうした?」
「案外、辰弥が父親はあり得る話かもしれないぞ」
 えっ、と日翔が鏡介を見る。
 あくまでも推測だがな、と前置きをして、鏡介は自分の見解を口にした。
「辰弥が四年前の襲撃の生き残りで、雪啼が別の研究所から脱走した、というのであれば過去の研究データから遺伝情報を復元して造られた可能性があるということだろう。そう考えるとある意味辰弥が父親、というのは正しいかもしれない。そう考えると雪啼にとっては辰弥こそが『原初』の個体とも言えるんじゃないか?」
「……難しくて、さっぱり分からねえ」
「分かれ!」
 日翔の理解度の低さに、鏡介が思わず声を荒らげる。
「難しくてよく分からんが、結局辰弥と雪啼は親子ってことでいいんだろ?」
「……もう、それでいい」
 額に手を当て、鏡介が諦めたように呟いた。
「……とにかく、俺たちは辰弥と雪啼をどうするか考えないといけない。このままでは二人ともカグラ・コントラクターカグコンの手に落ちるぞ」
「お前、雪啼を先に確保して交渉に使うとか言ってただろ」
「だが、それをすると親子を引き離すことになる。お前はそれでいいのか?」
 鏡介に言われ、日翔はあっと声を上げた。
 確かに、雪啼を交渉材料に使えば辰弥と雪啼は確実に引き離される。
 親子が顔を合わせたようなものなのに、それを引き離してまで辰弥を手元に戻す必要はあるのか。
 できるなら辰弥と雪啼の二人は一緒にした方がいい。
 少なくとも雪啼は辰弥を「パパ」と呼んでいるし辰弥も――。
「日翔、」
 もう一度、鏡介が日翔の名を呼ぶ。
「ん?」
 不思議そうに日翔が鏡介を見る。
「辰弥のために命を棄てる覚悟は、あるか?」
 たった一言。
 普段は察しの悪い、物事を深く考えようとしない日翔にもピンときた。
 ――辰弥を取り戻す気だ。
 世界最強のPMC、「カグラ・コントラクター」の中でも最強の特殊部隊「特殊第四部隊」の手から、辰弥を取り戻す。
 成功率は限りなく低いし、成功したとしても自分たちが生き残れる保証もどこにもない。
 それでも、辰弥を、そして雪啼を再会させる。
 ああ、と日翔が頷いた。
「そういうお前はどうなんだ。真奈美まなみさんのことはいいのかよ」
 折角母親が見つかったのに死んだらもう会えないぞ、と日翔が確認する。
 まあな、と鏡介は頷いた。
 しかし、鏡介は真奈美についていく道ではなく「グリム・リーパー」に残留する道を選んだ。
 その時点で母親とは決別したも同然だ、と考える。
 だから、
「元から棄てられた命だ、辰弥を取り戻すためなら惜しくもない」
 何のためらいもなく、鏡介はそう言った。
 そっか、と日翔が再び頷く。
「俺も元々は早死にする運命だ、それが多少早くなったところで惜しくもねえよ」
 アライアンスに借金を遺すことになるがな、と苦笑交じりに呟き、日翔は右の拳を鏡介に向けた。
「辰弥を取り戻そう。あいつが、望むなら」
「ああ、あいつの幸せのためにも」
 鏡介も右手の拳を上げ、日翔の拳にぶつける。
「と、なると情報収集だ。雪啼に関しては情報班が動く、それなら俺は辰弥に集中する」
 そう言って鏡介はすっと指先を動かし、視界に映るウィンドウを操作する。
「しかし、持つべきものは母親だな」
 意味深にそう言い、鏡介は通信回線に複数のプロキシを刺し回線が逆探知されないように対策する。
「なんなんだよ。真奈美さんがどうしたんだ」
 不思議そうな顔で日翔が鏡介に訊ねる。
「ああ、真奈美さんはトクヨンに保護されたからな。そんなすぐに『サイバボーン・テクノロジー』に帰ってるとも思えないし、運が良ければ何か情報が得られるかもしれない」
「その根拠は?」
「勘だ」
 普段理詰めで動いている鏡介が「勘だ」と言うのは珍しい。
 どういう風の吹き回しだ、と日翔がふと考える。
 いや、本人は「勘」と言っているが、実は何かしらの根拠があるのではないだろうか。
「まぁ、『サイバボーン・テクノロジー』の機密情報を握っているのが真奈美さんだ。御神楽としても『サイバボーン』に対する手札くらいは欲しいだろうから人質には取っているだろう」
「なるほど」
 それのどこが勘なんだよと思いつつも、日翔は鏡介の判断力に舌を巻いた。
 ここまで考えられるのだから、「命を棄てる覚悟はあるか」と言いつつも勝算はあるのかもしれない。
 第一、鏡介はウィザード級のハッカーだ。辰弥がどこに囚われているにせよ施設のセキュリティを無力化するくらいは朝飯前だろう。
「ま、俺はお前についてくぜ。真奈美さんに連絡するなら連絡しろよ」
 ああ、と頷き、鏡介は真奈美へと回線を開いた。

 

 真奈美のGNSに着信が入る。
 「カグラ・コントラクター」の施設に軟禁状態ではあったが通信が遮断されているわけでもなく、室内に見張りがいるわけでもなかった彼女は念のため周りを見てから手にしていたコーヒーカップをテーブルに置き、発信者を確認する。
 発信者の名前欄には黒騎士シュバルツ・リッターと表示されている。
 誰、と思いつつも、何故か通話に出なければいけないような気がして真奈美は回線を開いた。
《ああ、真奈美さんか。俺だ、Rainだ》
 回線を開くと、数日前まで自分を護衛してくれていた暗殺連盟アライアンスのメンバー、鏡介の顔が浮かび上がる。
(あら鏡介君。久しぶりと言うにはそんなに日が経ってないわね)
 室内が盗聴されている可能性を考慮し、言葉は口に出さずそう応答する。
《ったく、日翔が口を滑らせたせいで……まぁそんなことはどうでもいい、あんた今どこにいる?》
 鏡介の質問に、真奈美は特に疑問を持つことなく答える。
(カグラ・コントラクターの施設にいるわ。外には出られないけど割と自由にさせてもらってる)
《その様子だと、『サイバボーン・テクノロジー』には戻れていないようだな》
(私のGNSストレージに保存された情報が気になるからそれの解析が終わるまでは帰れそうにないわね。より詳しく解析するために『ツリガネソウ』のラボに移送するって言ってるし。まぁ、私としてはこのまま御神楽に飼われてもいいんだけど――)
 通話の向こうで鏡介がなるほど、と呟く。
 しかし、発信者を偽装しているということは何かカグラ・コントラクターに察知されたくない事情があるのかと考える。
 通常の通信は恐らく傍受されている。しかし、弟からハッキングの手ほどきをほんの少しだけ受けていた真奈美は知っていた。
 ハッカーにはハッカーが用意した、通常回線に割り込み偽装して傍受を回避するための通信手段があるということを。
 鏡介が発信者を偽造している時点でそれは想定できる。
 つまり、自分の力を借りなければいけないような何かがあった、ということ。
 興味は惹かれるが深入りしてカグラ・コントラクターに察知されるわけにもいかないので情報は収集しすぎない程度に協力しよう、と真奈美は考えた。
(でも、わざわざ回線を偽装して連絡してくるって、何かあったの?)
《まあ……な。真奈美さん、カグコンの施設にいるということは何か周りで騒ぎがあったりしなかったか? 何かを確保したとかそんな情報》
 鏡介も情報は出しすぎないようにしたいのだろう、少々ぼかしながら訊いてくるがこれだけで十分な質問となっている。
 そうね、と真奈美は返した。
(まぁ、軟禁されてるけど部屋の外の様子はほんの少しだけ分かるから。特殊第四部隊が『ノイン』を確保したから近々ツリガネソウに移送するけど何されるか分からないから怖いとか言う話し声は聞いたわ)
《『ノイン』、か……》
 そういえば「ワタナベ」が探してた何かだったな、と話しながら真奈美は思い出す。
 「グリム・リーパー」の面々も「ノイン」を探し始めたのかと思いつつ真奈美は続ける。
(『グリム・リーパー』も『ノイン』を探し始めたの? あ、ゴメンね、言いたくなければ言わなくていいから)
《まあ、そうだな。下手にあんたに話してあんたの身に何かあったら申し訳ない。だが大体分かった、協力助かる》
 今の会話で必要な情報が全て集まったというのか。
 流石鏡介君、ハッカーってすごいわねと思いつつ、真奈美は小さく頷いた。
(軟禁が解ければまた実際に会ってお茶したいものね、鏡介君)
《……俺はあんまりあんたには会いたくないが》
 鏡介の返答に「つれないなあ」と思う真奈美。
(その気が変わってくれるといいんだけどね、正義まさあき
《な――》
 「その名前」を呼ばれた瞬間、通話の向こうの鏡介が面白いように硬直する。
《なに、を》
(ごめんごめん、冗談よ鏡介君。そりゃあ……貴方が正義だったらいいなとか思ったのはちょっとあるけど)
 実際のところ、鏡介が真奈美が追い求める息子の正義であるかどうかは分からない。
 鏡介ほどのイケメンだと一度は「女として」相手をしてみたいとは思うが、実際に息子だった場合それは許されないこととなる。
 だから「そうでなければいい」という期待も含めた、冗談で呼んでみたのだが鏡介の反応は一体どちらだったのか。
《冗談はよしてくれ。あんたと話してると寿命がいくらあっても足りない》
(あら、言ってくれるわね。とにかく無茶なことはしないでよ。お茶したいんだから)
《だから断る。とりあえず、長話して探知されたくないから、ここで》
 そう言って、鏡介が回線を閉じる。
 相変わらず女性には免疫がないのね、とぼやきつつ、鏡介と会話できたことにいささかの安堵を覚えて真奈美はぬるくなったコーヒーを手に取った。

 

「日翔、辰弥の居場所が分かった」
 真奈美との通話を終え、鏡介が日翔に言う。
「は!?!? 分かったって?」
「多分だが、辰弥は真奈美さんと同じ施設にいる。真奈美さんも辰弥も近々『ツリガネソウ』に移送されるらしい」
 そこだけは少し想定外だが、と言いつつ鏡介は地図を展開、日翔と共有する。
「真奈美さんのGNSのGPS情報から施設は特定した。辰弥はラス・ストレリチアにあるトクヨンの第三研究所にいる」
「……はぁ!?!?
 地図に示された光点を見て日翔が絶叫する。
IoLイオルかよ! どうすんだこれ!」
「密航するしかない。お前は国民情報IDあるかもしれんが俺のは偽造だからな」
 落ち着き払った鏡介の言葉に日翔もなんとか自分を落ち着ける。
「……IoLか……」
 まさか辰弥が既に桜花国外に移送されているとは思ってもいなかった。
 しかも、近々「ツリガネソウ」に移送されるとなると一刻の猶予もない。
 「ツリガネソウ」は特殊第四部隊が所有する空中空母であり本拠地である。
 まだ、地上の施設にいるのであれば潜入する方法は残っている。
 しかし空中空母に移送されてしまえばこちらは手も足も出ない。
 それまでに助け出さないと、と鏡介が告げる。
「とりあえず準備しろ。チケットと武器持ち込みに関しては俺がなんとかする」
 GNSから自宅のPCに接続、ハッキングの準備を始めた鏡介に日翔が「ああ、」と頷く。
 持ち込む武器と弾丸の選定、鏡介は基本的に戦えないため全ては自分にかかっている。
 適当な準備では助けられるものも助けられないし自分たちも危ない。
 自室のクローゼットを開けて中のガンロッカーからアサルトライフルKH M4を取り出す。
 マガジンはいくつ持っていけば足りるだろうか、などと考える。
 とりあえず持てるだけ持っていくか、とギターケースに偽装したキャリングケースに銃を収め、予備のマガジンも収納する。
「日翔、こっちはもう終わるが?」
 リビングから鏡介の声が響く。
「ああ、こっちももうすぐ終わる」
 そう、日翔が答えた時。
 不意にインターホンが鳴った。
 誰だ、とCCTで応答するも、相手はインターホンのカメラの画角から外れているうえに返事もしない。
 嫌な予感がする、と思いつつも日翔は玄関に向かい、ドアを開けた。
「……」
 日翔が息を呑む。
 そこに立っていたのは猛だった。
 普段の得物ショットガンをマウントしたアサルトライフルをぶらりと手に下げ、日翔を見ている。
「な、なんなん山崎やまざきさん」
 普段の温和な様子ではなく、「仕事」の時に見せる鋭い視線が日翔に投げられる。
「いえ、あなた方のことですからアライアンスに無断で動こうとしているのではないかと思いまして」
「……げ」
 なんでこういう時はすぐ察知すんだよこのおっさん、と思いながら日翔は猛の視線に負けじと睨みつける。
「俺たちは辰弥を助けに行く。このままでは助けられない」
「そういうわけにはいきません」
 ずいっ、と猛が部屋に踏み込む。
 部屋に踏み込んで、リビングに鏡介がいることを確認し、猛はため息を吐いた。
「……本気ですか?」
「ああ、辰弥の救出は一刻を争う。あんたに止められても、俺たちは行くぞ」
 猛の手に握られたドアノックショットガンCBTマザーキーがマウントされたアサルトライフルT4に怯むことなく、鏡介はすっと空中に指を走らせる。
「おっと、ハッキングはなしで。ぶっ放しますよ」
「やれよ、最前線から引退したジジイが」
 そう挑発するものの、本当に撃たれては元も子もないため鏡介が手を止める。
 猛を追って日翔もリビングに戻り、鏡介の横に立つ。
「二人とも、鎖神さがみさんを追いかけるのは辞めた方がいい。相手は世界一のPMCカグコンですよ? 貴方たち二人だけで勝てると思うのですか?」
「勝てる勝てないじゃない。勝つんだ」
 下手に手を動かすことはできない。
 それでも視線操作でGNSを特定しようとする。
「だからハッキングはするなって言ってるんですがね」
 鏡介の視線の動きを察知した山崎がT4を構える。
「……ちっ、」
 悔しそうに、鏡介が視線操作を停止する。
「あ、それに私にHASHハッシュを送り付けるのは無駄ですよ。私はCCT派なので」
「……」
 くそ、だから老害は、と鏡介が毒づく。
「行くかせてくれよ山崎さん! 辰弥は俺たち……いや、アライアンスにとっても重要な戦力だろ!」
 日翔が猛に訴えかける。
 だが、鏡介としては内心「嘘だな」と勘づいていた。
 辰弥の実年齢が十歳にも満たない子供だと認識したばかりである。
 そんな彼を殺しの世界にとどまらせるかと言えば日翔も鏡介もそれはどちらかと言うと反対であった。
 できれば、連れ戻して、一般人として生活させたい。
 だが、二人がそう思っていることは猛も理解していた。
「嘘は辞めてください。分かってますよ、裏社会こっちから足を洗わせようと思っていることくらい」
「く――っ」
 ずばり、図星を突かれ日翔が唸る。
「それにですね、水城みずきさんはともかく、天辻あまつじさんはまだアライアンスに借金が残っていますからね、それを返済する前に死なれては困ります」
「でも――!」
 それでも、辰弥を御神楽に残したままにはできない、と日翔は訴えた。
 それに対して、猛が首を振る。
「鎖神さんが御神楽の手に落ちた時点で私たちにはもうどうすることもできません。諦めてください」
「嫌だ! 俺は、辰弥を助けに行く!」
「どこにいるかも分からないのに?」
 猛は鏡介が辰弥の居場所を突き止めていることを知らなかった。
 だから、「闇雲に探しても無駄だ」と説得しようとした。
「いや、辰弥の居場所は分かっている――IoLだ」
「な――」
 こんな短時間で、と猛が唸る。
 居場所が分かっているからこそ、二人は助けに行くと言っている。
 今はそれどころではない。雪啼らしき子供が方法は分からないが数名の警官を殺害、カグラ・コントラクターもアライアンスも、いや、恐らくは雪啼の存在を知ったいくつかの巨大複合企業メガコープが彼女を追っている。
 「グリム・リーパー」にも、特に雪啼と共に過ごしていた日翔にも協力してもらいたいところ。
 それなのにこの二人は雪啼より辰弥を優先するというのか。
 T4を構え直し、猛はCBTマザーキーの銃口を二人に向ける。
 今ここで撃てば確実に二人は仕留められる。
 だが、二人は怯まなかった。
「撃てよ山崎さん。そんなに俺たちを止めたければ引鉄を引けよ」
 す、と鏡介を庇うように腕を伸ばした日翔が落ち着いた声で言う。
強化内骨格インナースケルトンの支払いだけじゃなくてこの家の修理費用も請求するつもりなんだろ? だけど山崎さんが撃てばそれどころじゃないぜ?」
「……」
 日翔の言葉に、猛が沈黙する。
 確かにそうだ。
 日翔が住んでいるこの部屋は猛が管理している賃貸マンションの一室である。
 辰弥が派手に壊した窓枠の修理費用は当然、家主である日翔持ち。
 それだけでなくアライアンスが山手組やまのてぐみに立て替えたインナースケルトンの導入費用もまだ回収しきっていない。
 だから日翔にはまだ死んでもらうわけにはいかない。
 辰弥の救出を諦めてもらいたくて脅してはいるが、その脅しも通用しない今、猛に勝ち目はない。
「どうしても、行くのですか」
 猛の問いに、日翔も鏡介も頷く。
 ――この二人は、もう何を言っても聞かないのですかね。
 ふと、そう思う。
 基本的にはアライアンスの、猛の指示には従う「グリム・リーパー」ではあったがここぞという場面では独断専行することもあることは彼もよく知っている。
 そして、今がその「ここぞ」という場面なのかと彼は思った。
 辰弥は人間ではない。生物兵器として、危険も孕んでいるだろう。
 それでも、この二人は辰弥を一人の人間として認めているのだ、と。
 その上で何をするか分からない御神楽の手から救い出したいのだ、と。
 恐らくは死ぬことなど覚悟の上。
 何もせずに辰弥を見捨てるより、たとえ死んだとしても抗いたいのだと、猛は理解した。
 はぁ、と猛が特大のため息を吐く。
 それから、T4の銃口を床に向けた。
「……山崎さん……?」
 猛の行動に、日翔が怪訝そうな声を出す。
 分かりましたよ、と猛は呟いた。
「貴方たちがいざという局面で独断専行するチームだということを忘れていました。そうなってしまえば誰が何を言っても聞かない」
 それは宇都宮うつのみやさんの影響ですかね、と続けつつ猛は二人を見る。
「……必ず、帰ってきてください。鎖神さんを連れて。誰一人欠けてはいけません」
「山崎さん……!」
 日翔の顔が明るくなる。
「分かった、必ず辰弥を連れて帰るから! その上で、借金は全額返す!」
「そうですね、鎖神さんには賃貸物件の破損についてしっかり責任を取って理解してもらわないといけませんから」
そう言い、猛は鏡介を見る。
「IoLに行く方法は?」
「あ、ああ……IoL行きの飛行機のチケットをハッキングして取ろうと思ってた。電子査証ビザもそれで」
 鏡介の返答に、猛が「まあそうですよね」と呟く。
 呟いた後、ほんの少しだけ考え、口を開いた。
「『カタストロフ』の協力を仰ぎましょう。あの組織なら世界規模で活動していますし、非合法に桜花からIoLへ渡る手段も用意してくれるでしょう」
「『カタストロフ』の!?!?
 山崎の提案に、鏡介が驚きの声を上げる。
 「カタストロフ」は「暗殺連盟アライアンス」とは違い、専属の暗殺者や情報屋を抱えた裏社会の一大組織である。
 アライアンスがフリーランスの暗殺者を取りまとめているのに対して「カタストロフ」の構成員はきちんとした雇用契約によって守られている、プロ集団。
 とはいえ、アライアンスと「カタストロフ」が何の関係もないかと言えばそうでもなく、案件によっては連携することもあるし「カタストロフ」がアライアンスに依頼を流してくれることもある。
 装備も充実しているため、アライアンスでは荷が重い依頼でも「カタストロフ」と連携して遂行することもある、とは聞いていたが。
 その「カタストロフ」に協力を仰ぐというのか。
「偽造するとはいえ、国民情報ID電子査証ビザを使えば御神楽財閥に捕捉される可能性がありますからね」
「俺の腕を舐めるな。そんなヘマは……」
 猛の言葉に鏡介がやや憤りの声を上げるが、それでも猛の提案には一理ある、と思い言い止まる。
 いくら鏡介がウィザード級ハッカーであっても、ハッキングの範囲には限界があるし日翔はともかく鏡介は正式な国民情報IDすらない。
 それなら「カタストロフ」に協力してもらってIoLに渡った方が確実性は高い。
 場合によってはIoL支部の人間がバックアップしてくれるかもしれない。
「『カタストロフ』は御神楽財閥と戦っている『レジスタンス』とも繋がっているんです。御神楽財閥から隠れて移動するなら彼らがプロフェッショナルですよ。第一、行きは良いとしても、帰りはどうするつもりなんです?」
 鏡介が黙ったのを確認して猛が話を続ける。
 「レジスタンス」は世界を牛耳らんとするほどの規模をもつ御神楽財閥を悪として御神楽財閥と戦っているテロリスト集団である。少なくとも五年以上も前から活動しているにもかかわらずかの御神楽財閥が未だに制圧出来ていないことから、彼らの御神楽財閥から隠れる方法の確かさが伺える。
 それに、帰りは辰弥を連れて帰らなければならず、まさか堂々と飛行機で帰る事が出来るはずもない。確かに確実かつこっそりと桜花とIoLを行き来する方法があれば助かるのは確かだった。
 そう思ったから、鏡介はすぐに「分かった」と頷いた。
「『カタストロフ』に協力を仰ぐ。っても俺たちにパイプはないんだが」
「それは私が手配しておきます。貴方たちはすぐに『エリアル・フロントライン』の飛行場へ」
 場所も送っておきますから、と猛は言い、改めて二人を見る。
「必ず帰ってきてくださいよ」
「それは勿論」
 鏡介が日翔を促し、荷物を手に部屋を飛び出す。
 それを見送り、猛は、
「……若いっていいですね」
 そう、ぽつりと呟いた。

 

to be continued……

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第9章の登場人物

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと 第9章 「ぶっぱなし☆ぽいんと」

 


 

「Vanishing Point 第9章」のあとがきを
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