Vanishing Point Re: Birth 第9章
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そんな「グリム・リーパー」に武陽都のアライアンスは補充要員を送ると言う。
補充要員として寄こされたのは
そんな折、ALS治療薬開発成功のニュースが飛び込み、治験が開始されるという話に日翔を潜り込ませたく、辰弥と鏡介は奔走する。
その結果、どこかの
どのメガコープに取り入るかを考え、以前仕事をした実績もある「サイバボーン・テクノロジー」を選択する辰弥と鏡介。いくつかの依頼を受け、苦戦するものの辰弥のLEBとしての能力で切り抜ける四人。
不調の兆しを見せ、さらに千歳に「人間ではない」と知られてしまう辰弥。
それでも千歳はそんな辰弥を受け入れ、「カタストロフ」ならより詳しく検査できるかもしれないと誘う。
同時期、ALSが進行した日翔も限界を迎え、これ以上戦わせるわけにはいかないとインナースケルトンの出力を強制的に落とす。
そんなある日、辰弥の前に死んだと思われていたもう一体のLEB、「ノイン」が姿を現す。
「エルステが食べられてくれるなら主任に話してあきとを助けてもらえるかもしれない」と取引を持ち掛けるノインに、辰弥は答えを出すことができないでいた。
そんな邂逅から暫く、「グリム・リーパー」の拠点が何者かに襲撃される。
撃退するものの、報復の危険性を鑑み、千歳に泊まっていけと指示した鏡介だが、辰弥が買い出しに行っている間に襲撃者を調査していると「エルステ観察レポート」なるものを発見。こんなものを書けるのは千歳しかいないと彼女を詰める。
帰宅し、二人の口論を目撃し狼狽える辰弥に、鏡介は辰弥の逆鱗に触れる言葉を吐いてしまい、辰弥は千歳を連れて家を飛び出してしまう。
行く当てもない辰弥に、千歳は「カタストロフに行こう」と誘い、辰弥はそれに応じる。
「カタストロフ」に加入し、検査を受ける辰弥。
その結果、テロメアが異常消耗していることが判明、寿命の限界に来ていると言われる。
自分に残された時間は僅か、せめて日翔が快復した姿は見たいと辰弥は願う。
そのタイミングで、「カタストロフ」は第二世代LEBを開発した
失意の中、「カタストロフ」は「榎田製薬」の防衛任務を受ける。
「サイバボーン・テクノロジー」の攻撃から守るため現地に赴く辰弥だったが、そこで「サイバボーン・テクノロジー」から依頼を受けた鏡介と遭遇する。
鏡介とぶつかり合う辰弥。だが、互いに互いを殺せなかった二人はそれぞれの思いをぶつけ、最終的に和解する。
「グリム・リーパー」に戻る辰弥、しかし千歳はそこについてこなかった。
第9章 「Re: Gret -後悔-」
「お前がいなかった間の、互いの情報をまとめよう」
鏡介の言葉に、辰弥がうんと頷く。
「まず、俺から状況を説明する。日翔の容体は――見ての通りだ。『イヴ』の見立てでは気管切開していくらか延命できる程度、治験に関しては一刻の猶予もない。治験の日程に関しては来環一巡スタート、『サイバボーン・テクノロジー』が現在手続きを進めてくれている」
「……よかった」
辰弥がほっとしたように呟く。
いくら
「辰弥が『榎田製薬』の本社を倒壊させたことで『サイバボーン・テクノロジー』もひどく喜んでな。『うちの所有軍の工作員にならないか』というスカウトも来た。流石に俺はどこかの組織に所属する気はないから断ったが、お前が少しでも安定した収入を得たいというのなら止めはしない」
「いや、俺もサイバボーンには行く気ないよ。組織に所属するなんてもうこりごりだし、それに――」
言葉を濁す辰弥。
「組織に所属したくない」は本音だった。「カタストロフ」の、自由の利かない扱いを受けて、組織に所属することの実態を思い知った。
それに、自分のことを考えると組織への所属は望ましくない。
「サイバボーンが義体やパワードスケルトンをメインに開発していることを考えると、生物兵器には明るくないだろうし、『カタストロフ』みたいにLEBの量産を、ということは計画しないと思う。だけど俺の能力は喉から手が出るほど欲しいだろうし、手に入れればいいように利用されるのは目に見えている」
「……お前、少し自意識過剰になったな」
秋葉原の影響か、と呟きつつ鏡介が小さくため息を吐く。
以前の辰弥なら自分を過小評価することはあれ過大評価することはなかった。
辰弥の言う通り、「サイバボーン・テクノロジー」は辰弥の能力を知ればより効率的に利用したいと考えるだろう。それがたとえ辰弥を使い潰すことになったとしても、この世界では命なんてものは何よりも安い。辰弥の能力が希少なものであったとしても利用するだけ利用したいと思うのは当然だ。
それを、辰弥も自分で評価できるようになっただけだ。
その点では自分の生まれをポジティブに考えることができるようになったのは喜ばしいことかもしれない。自分の能力を受け入れ、必要に応じて使って、最大限生存できるようにしている。
しかし、それでも鏡介の胸を過る不安は何なのだろうか。
うっすらと、鏡介は感じ取っていた。
辰弥のこの能力は本当にデメリットがないものなのか、と。
ノインとの戦い前まで、つまりノインのトランス能力をコピーする前は辰弥の不調は専ら貧血によるものだった。
実際のところ、「イヴ」こと渚は辰弥に言われたかそれを伏せていたため、鏡介はずっと過労だと思うようにしていたが、あの頃の辰弥の不調と今の不調は同じものではない。
トランスを多用するようになったからか貧血の頻度は大幅に下がった。しかし、その代わりのように謎の不調が顕在化している。
渚はそれに対しては「守秘義務がある」と何も教えてくれなかったが、医療に疎い鏡介でも気付いていた。
辰弥のトランスには、何かしらのデメリットが存在するということに。
ただ、それが何か分からなかったし、トランスが原因とも確信するものはなかったから黙っていただけだ。素人が適当に話して当たるようなものではない。
それに関しても辰弥に問いただしておきたかったが、今はまだ情報共有がある。
辰弥が自分のことを肯定的に見られるようになったならいいじゃないか、と思いつつ、鏡介は話を続けた。
「まぁ、サイバボーン側も俺たちのスカウトはダメ元だったようだからな。断っても食い下がらなかった。そして、日翔の治験の手続きを進めてくれたことで分かるだろうが――今回の専売権は『サイバボーン・テクノロジー』が獲得した」
「だろうね」
辰弥も頷く。
そもそも「サイバボーン・テクノロジー」と「榎田製薬」の一騎打ちとなり、その決着をつけるべく「サイバボーン・テクノロジー」は「榎田製薬」の本社を攻めた。辰弥が「榎田製薬」と契約している「カタストロフ」を裏切らなければALS治療薬の専売権を得たのは「榎田製薬」だった可能性すらある。
辰弥か鏡介、どちらが死んでもおかしくない状況ではあったが、辰弥が「カタストロフ」を裏切ったことで、治療薬争奪戦は少なくとも「グリム・リーパー」にはほぼ最善の形で結末を迎えたとも言えよう。
ただ一つ、
「千歳……」
千歳の件を除いて。
辰弥が千歳の名を呟いたことに気付いた鏡介がわずかに眉を寄せる。
結局、千歳の目的は何だったのか。
「カタストロフ」を除籍されたが、戻りたくて辰弥を利用したのか、とも初めは思っていたが、今では違う確信が鏡介の中にはあった。
「辰弥、」
鏡介が辰弥に声をかける。
「秋葉原は本当にお前のことが好きだったと断言できるか?」
「それは――」
勿論、と言おうとした辰弥が言葉に詰まる。
本当に、千歳は俺のことが好きだったのか、という疑念が胸を過り、言葉を続けられない。
あの時、鏡介は言っていた。「『カタストロフ』はLEBの量産をするつもりだ」と。
鏡介の言葉だけで、裏取りは何もしていない。
それでも、辰弥には確信できるものがあった。
「カタストロフ」の上町支部に到着したその日に見かけた所沢 清史郎らしき姿。その後「御神楽財閥」から拉致した永江 晃の二人。
この二人はLEB研究の最先端にいる。研究自体は潰されたとしても研究資料が断片にでも残っていればそこから復元することも可能だろう。
そこへもっての辰弥の「カタストロフ」入り、血液検査にも遺伝子検査にも、あらゆる検査に応じた辰弥の各種情報があればLEBの量産は確実視できる。
千歳は辰弥の不調を見て「カタストロフ」に来るよう誘った。
それが、辰弥の不調を取り除くためではなく、LEBのゲノム情報を入手するためだったと考えれば全てがつながる。
千歳は自分を利用していたかもしれない、その考えが辰弥の胸を締め付ける。
「カタストロフ」へ戻るために辰弥に近づいたのか、それとも「カタストロフ」が辰弥を釣るために千歳を敢えて除籍したのか。
そんなことはどうでもいい。いずれにせよ、辰弥は「カタストロフ」の思惑通りに自分のゲノム情報を提供してしまった。
もしかすると、今後新たなLEBが敵として現れるかもしれない、そう思いつつも辰弥はごめん、と鏡介に謝罪した。
「やっぱり、俺はまだ千歳を信じたい。千歳が『カタストロフ』のLEB量産計画に関わっていたとは、思いたくない」
その言葉に、再びため息を吐く鏡介。
辰弥としては初恋だったんだろうな、などと考えながら紡ぎ出すべき言葉を考える。
「……済んだことは仕方がない。LEBの量産に関してはそのうち『カグラ・コントラクター』……いや、
「そうだね」
LEBの量産については「グリム・リーパー」が関与する必要はない。自分たちに牙を剥くなら立ち向かうしかないが、そうでないなら触らぬ神に何とやら、である。
「秋葉原が本当にお前を想っていたなら付いてきたと思うがな……」
あの時、辰弥に付いてこなかった時点で千歳の気持ちははっきりした、と鏡介は思っていた。
千歳は辰弥をただ利用しただけに過ぎない、と。
それでも辰弥はまだ千歳のことを信じたい、と言う。
――ったく、余計なことをしてくれる。
心の中で毒づき、鏡介は苦笑した。
「どうしてあの時俺を殺さなかった。俺を殺していれば今ごろ悩まずに済んだだろうに」
「それはできないよ。俺の居場所は『グリム・リーパー』なんだ。俺が『カタストロフ』に行ったのも、確かに鏡介と喧嘩したってのもあるけど『カタストロフ』も日翔を助ける手伝いをしてくれるって言ったからだ。日翔のためなら、俺は邪神にだって魂を売るよ」
その結果、あれだけ好きだった千歳を捨てているのだから世話がない。
結局、恋よりも友情を取ったのか、と思いつつも辰弥らしいな、と鏡介が再び苦笑する。
「とにかく、お前が戻ってくれて俺は助かった。あとは――そうだな、お前は今回の治療薬争奪戦で御神楽が降りたのは知っているか?」
鏡介が「榎田製薬」本社攻撃の依頼の際に「サイバボーン・テクノロジー」のジェームズから聞かされた話を振ってみる。
辰弥もあの戦いが「榎田製薬」と「サイバボーン・テクノロジー」の最終戦になることは承知していたはずだから恐らくは知っていた情報だろうが、情報の共有として確認しておく。
「それは宇都宮から聞いた」
「は!?!?」
思わず鏡介が声を上げる。
「ちょっと待て、宇都宮生きてたのか!?!?」
「うん」
え、知らなかったの? と辰弥が意外そうな顔をする。
「『カタストロフ』にいた。どうも上町支部のリーダーらしい」
「マジか」
まさか、こんなところで昴の生存を知るとは鏡介は思ってもいなかった。
だが、それで薄っすらと確信する。
昴は辰弥が人間ではないことを、LEBという生物兵器であることを知っていた。知っていたうえで 「カタストロフ」入りし、LEBの量産を計画したのだろう。
それで、辰弥のゲノム情報を入手するために千歳を餌としたのだ、と。
それに辰弥はまんまと引っかかった。
女に慣れていない男というものはそういうものだ、少し優しくされればすぐに落ちる。
辰弥もその例に漏れず釣られてしまったのだろう。
「……お前は怒るかもしれないが今ので確信したな。秋葉原は宇都宮の差し金だろう。お前を『カタストロフ』に引き込むためのな」
「……」
辰弥が沈黙する。
千歳が付いてこなかったという事実が、鏡介の言葉の正しさを物語っている。
鏡介は、言葉選びこそ悪かったものの間違ったことは何一つ言っていなかった。
それなのに、千歳が正しいと思い込んで家を飛び出して、カタストロフに自分のゲノム情報を手渡してしまった。
なんてことをしてしまったのだ、といういう気持ちと、それでも千歳を信じたい、という気持ちがせめぎ合う。
「……君が正しかった、というのは分かってる。だけど、千歳が、宇都宮の差し金って……」
信じたくない、と呟く辰弥に鏡介も一度口を閉じる。
暫く、辰弥が考えをまとめるのを待ってから改めて口を開く。
「話を戻そう。お前も、御神楽が降りたことは把握していたか」
「うん、理由までは知らないけど」
そう答え、辰弥は鏡介を見た。
「もしかして、治療薬は日翔を完治させるほどの効果がない……?」
「さあな」
その言葉が冷たく突き放すように響いた気がして顔をしかめ、鏡介は言葉を続ける。
「俺もサイバボーンから御神楽が降りた話を聞いて、少し調べた」
「何か分かったの?」
焦りからか、辰弥が話の続きを促す。
「どうやら、御神楽が生命遺伝子研究所で治療薬の研究をしていた研究者を根こそぎ買収したらしい」
「……御神楽らしい」
治療薬の専売権を買収するより、研究者を買収した方が安くつくと思ったのか、それとも現時点で開発された治療薬の効果が薄いと判断してより効果の高い治療薬を開発させるために研究者を買収したのか。
そのどちらが真実かは辰弥にも鏡介にも判断はできなかったが、御神楽らしい選択だ、と辰弥は思った。
後発で、しかも御神楽から出るというのであればその薬は確実に今回治験されるものに比べれば高性能だろう。だが、それを待っている時間はない。
御神楽が降りたということは今回、自分たちに有利に働いたとだけ思うことにして、鏡介は辰弥に話を促した。
「それで、お前の方はどうなんだ」
「どう、って」
「『カタストロフ』へ行って、土産話が『宇都宮が生きてました』だけではないだろう。何か掴んだことはないのか?」
そうは言ったが、辰弥が「カタストロフ」の内部事情を掴んでいるということは望み薄だろう。下っ端に重要な機密事項を任せるほど「カタストロフ」の情報管理もざるではないはずだ。
「俺は、別に何も聞かされてないから……。あ、でも作戦の一つに永江 晃の拉致があった」
「は?」
鏡介の声が裏返る。
「ちょっと待て、お前自分が何をしたか分かってるのか?」
「分かってるよ。『カタストロフ』がLEBを戦力にしたい、その上でノインを捕獲するために永江 晃を餌にするって言ってたし」
「……」
こいつはどこまで迂闊なんだ、と鏡介が心の中で毒づく。
永江 晃がノインをはじめとして第二世代LEBを生み出したのは辰弥も分かっているはず、そんな人間が清史郎と合流すればLEBの量産計画がどれほど加速すると思っているのだ。
いや、辰弥はLEBの量産計画を把握していなかった。それどころか、そんな計画が進められていたことも把握していなかっただろう。
とにかく、清史郎と晃というLEBの第一人者が揃った今、「カタストロフ」はLEBの量産体制を整えている、というところか。
「あ、でも永江 晃は今どこにいるか分からない」
「は?」
辰弥の言葉に、鏡介の声が再び裏返る。
「ノイン捕獲作戦が失敗して、永江 晃はノインに連れ去られた。今も『カタストロフ』が総力を挙げて探していると思う」
と、言っても俺の裏切りの後始末で大変だろうけど、と続けつつ、辰弥は「こんな感じかな」と話を締めくくろうとした。
「いや、まだだ。まだ重要な情報をもらっていない」
鏡介に止められ、辰弥がえっと声を上げる。
「俺が持ってる情報なんてこれくらい――」
「いや、まだあるだろう。特大のネタが」
先ほど、ふと感じた不安を晴らすべく辰弥に問いただす。
「それは――」
「何もなかったとは言わせないぞ。『カタストロフ』で精密検査くらいは受けただろう。まして永江 晃まで回収したとなれば尚更だ」
はっきりと、鏡介は言い切った。
鏡介のその言葉に、辰弥の反応が目に見えて変わる。
ああ、これは言いたくないパターンだな、と分析しつつ、それでも確実に辰弥の逃げ場を塞ぐ。
「そもそも、『カタストロフ』に行ったのも日翔を助けるために行ったとは思えない。秋葉原が日翔を餌にお前を釣るはずがないからな。こう、もっとお前に寄り添った――お前の不調を詳しく調べることができる、とも言ったはずだ」
ぐうの音も出ない。
まさに、鏡介の言う通りだった。
千歳は確かに日翔の治験の席も餌にはしたがそれ以上に辰弥の体調を慮った。
それで検査を受けていないと言えば明らかな嘘だろう。
「……言わなきゃいけない?」
「……」
辰弥の言葉に、鏡介が黙り込む。
辰弥がそんな言い方をするとは、よほど結果が悪かったとしか思えない。
聞くべきか、と一瞬迷う。
しかし、ここで辰弥のコンディションを確認しておかなければ今後に差し支える可能性がある。
意を決して、鏡介は辰弥を促した。
「言ってほしい。お前の今後のためにも」
「……」
辰弥が口を開いては閉じる。
言わなければ、と思うがどう説明すればいいか分からない。
いや、相手は鏡介だからぼかしたところですぐに正確な情報に行きつくだろう。
「……そんなにも、悪いのか」
辰弥が何も言えないことで、思わず訊いてしまう。
その言葉に、嘘だろう、という願いが込められていることに辰弥は気が付いた。
だからこそ、言えない。
鏡介に心配を掛けたくない。
それでも、言わなければ余計に心配させるだけだ、と自分に言い聞かせ、辰弥は口を開いた。
「もう、時間がない」
「それは、どういう」
聞くまでもないことだと思いつつも、そう尋ねてしまう。
うん、と辰弥が意を決したように頷く。
「俺の不調の原因は、トランスだ」
「トランスが……」
予想していた通りの言葉に、鏡介が低く呟く。
「うん、永江 晃の話が本当なら、トランスは細胞を異常分裂させ、その時に細胞を変質させているらしいんだ。その結果、テロメアが急激に消耗していくらしい」
その可能性は考慮していなかった。
辰弥が貧血以外の不調を出し始めたのがトランスするようになってからだから因果関係は推測できた。
しかし、それはただ身体に多大な負担をかけるからで、生命を脅かすようなものではないと思っていた。
そういえば渚に血液検査してもらった時も「いや、別に」としか答えていない。
その時点で何かしらの異常があったことは想定していたが、まさかテロメアとは。
そこまで考えてから、「榎田製薬」の本社を攻撃した時のことを思い出す。
あの時、辰弥は周囲の血を使って大型可変口径レールガンを生成したが、それにエネルギーを供給するためのジェネレータは――。
「お前、トランスが原因だと分かっていてトランスしたのか!?!?」
がたん、と鏡介が椅子を蹴る。
辰弥が一瞬、びくりと身を震わせ、それから小さく頷く。
「生成だけで全てを用意するのは、無理があった」
「だがだからといってそこでトランスするのは自殺行為だ! 死ぬ気か!?!?」
やめろ、俺はお前を喪いたくない、と鏡介が内心で叫ぶ。
せっかくノインとの戦いで生き残り、トクヨンの目からも逃れられて、これから三人で生きていくと決めたのにそこからの残り時間がほとんど残されていないとは考えたくない。
いや、いくら日翔を救うためにと言って自分の寿命を大幅に削るような行為を行っていたことが許せない。
日翔を救って、改めて三人で生きていけると思っていたのに、そこに辰弥がいないのであれば意味がない。
それは日翔も望んでいないはずだ。自分のために辰弥が死ぬようなことがあれば日翔はきっと一生後悔する。
何ができる、と鏡介は思考を巡らせた。
テロメアの修復? いや、人間ですらその技術は確立されていない。
トランスをさせない? もう残り時間がないのに、焼け石に水だ。
そこまで考えてから、鏡介はふと、気付いたことがあった。
――それならノインは?
「おい、辰弥」
鏡介が辰弥に詰め寄る。
「お前、まだ隠しているだろう」
「何を」
もう隠していることは何もない、なんでそんなことを言うの、と辰弥が鏡介を睨む。
違う、と鏡介が声を上げた。
「永江 晃」
「あ――」
そこで辰弥も思い出す。
そういえば、晃を拉致した時に話したからこそこの情報が自分にあった。
勿論、テロメアを修復する方法も含めて。
ただし、その方法は失われてしまった。日翔を確定で助ける方法も含めて。
「……テロメアを修復する方法は、ある」
ぽつり、と辰弥が呟くようにいる。
「それは本当か!?!?」
それを早く言え、と鏡介がさらに辰弥に詰め寄る。
「鏡介、近い」
ぐい、と辰弥が鏡介を押しのける。
「すまん。……で、それは本当なのか」
辰弥に押しのけられて我に返った鏡介が椅子に座り直す。
辰弥がうん、と頷いたものの、その口は重かった。
「詳しい説明は省くけど、第二世代LEBはメンテナンスさえすれば実質、不老らしい。そのメンテナンスがLEBのテロメアを修復するもので、俺のテロメアも修復できるはず、だった」
「だった……」
なるほどと鏡介が頷く。
恐らくは「カタストロフ」で晃にテロメアの修復をしてもらう話があったのだろう。だが、その話は白紙となった、というところか。
恐らくはノインが晃を連れ去ったことで。
そこで、鏡介に一つの案が閃く。
辰弥が「カタストロフ」を裏切った今、この状況はむしろ好ましい。
希望は潰えていない、むしろ光が見えた。
「辰弥、諦めるのはまだ早い」
「え?」
鏡介の言葉に、辰弥が怪訝そうな声を上げる。
「何言ってるの、永江 晃は今どこにいるか分からないんだよ? あいつがいない今、テロメアの修復なんてできるわけ――」
「今だからこそ、だ。辰弥、お前、今の自分の立場を考えろ」
鏡介に言われ、辰弥が考える。
晃は現在行方不明、そして辰弥のテロメアの修復ができるのも晃だけ。
それなのに今だからこそ、という状況は。
考えろ、と辰弥が思考を巡らせる。
何もかも鏡介に教えてもらってばかりではいざという時に自分で判断ができなくなる。
今の自分の立場。
「カタストロフ」を裏切り、「グリム・リーパー」に戻ってきた。
恐らくはこれがカギとなるはず。
そこまで考えた瞬間、辰弥はあっと声を上げた。
「俺が『カタストロフ』を裏切ったから、今フリーの永江 晃を引き込めばノーリスクでテロメアの修復ができる!」
「そうだ。これが『カタストロフ』にいたままではテロメアの修復は不可能だった」
鏡介が頷く。
「だが、問題は一つある」
「何」
問題なんて何が、あれか、ノインのことか、と思いつつ辰弥が尋ねる。
「テロメアの修復ができる、とは聞いたがメンテナンスには専用の機材がいるんじゃないのか」
「それは永江 晃が作ってくれるって」
「その費用は誰持ちなんだ」
「……あ」
失念していたと言えば嘘になる。だが、テロメアの修復の話が出た時は辰弥は「カタストロフ」にいた。「カタストロフ」の中に晃もいたから、その予算で調整槽は作ってもらえるはずだった。
だが、辰弥も晃も「カタストロフ」の手から離れた今、費用の問題はどうしても発生する。
「……流石に、俺の貯金……あ、っていうか日翔のことでバタバタして忘れてたけど、俺、死んだことになってるから口座が」
「ああ、それは遺産相続で俺の口座に入れたから問題ない」
「……鏡介?」
じっ、と辰弥が鏡介を見る。
「……それ、俺に言った?」
「あ」
しまった、と鏡介が声を上げる。
「……鏡介、お金に汚い」
「ぐ……」
反論はできなかった。
そもそも上町府で「
三人の中で鏡介が比較的裕福に見えるのもハッキングで得た金を株などの投資に回している、さらに株価をハッキングを駆使して操っているというもはや真っ黒なものだが、鏡介としては「対策していない方が悪い」ということらしい。
「鏡介、ちゃんと返してね」
「……あ、ああ……」
くそ、どうしてこのタイミングで思い出すんだこいつは、などと思いながら鏡介が頷く。
「まぁ、費用に関しては鏡介から返してもらった俺の貯金と、後は鏡介のハッキングでなんとかなるだろ、ということで」
「そういう時は俺を利用するのかよ」
「もちろん」
あっけらかんとそう言い、辰弥は真顔に戻って鏡介を見た。
「永江 晃を探し出す。鏡介、できる?」
「俺を誰だと思っている。これでもウィザード級ハッカーだぞ。永江 晃のGNSさえ特定できればこちらのものだ」
そう言いつつも、鏡介はすでに不敵な笑みを浮かべている。
「ちなみに、ノインの件であいつにHASHを送り付けてやろうとハッキングしたから
「……こわ」
思わず辰弥が本音をぼやく。
つくづく、敵には回したくない男だ、と思う。
あの時、辰弥は絶え間なく攻撃を仕掛けていたためハッキングの余地を与えていなかったが、少しでも隙を見せていたらHASHで無力化されていただろう。
あるいは、HASHではなく自分の手で殺したいと思ってたんだろうか、などと思いつつも辰弥は鏡介に頷いて見せた。
「位置情報特定できる?」
「任せろ。パスさえあれば一分もかからん」
そう言いながら鏡介が視界のホロキーボードに指を走らせ、晃の位置情報を特定する。
「『カタストロフ』も永江を追っているのなら急いだ方がいい。必ず先に確保するぞ」
「了解」
そう言って、辰弥が立ち上がる。
その辰弥に、
「待て」
と鏡介が声を掛けた。
「一つ言っておく。絶対に、トランスはするな」
もう限界であるのなら、これ以上のトランスは危険だ。
辰弥の口ぶりではあと数回くらいは猶予はあるかもしれないが、それはここぞという時に取っておいた方がいい。
分かってるよ、と辰弥が苦笑した。
「……そうだよね、日翔のために俺が死ぬことなんて、日翔は望んでない」
「それに、これからの戦いはお前のためのものだ。お前が死んだら意味がないからな」
そう言い、鏡介も準備のために立ち上がった。
◆◇◆ ◆◇◆
「永江は武陽都にいる。といっても、郊外も郊外、ここ佐々木野市よりさらに西だがな」
ガンロッカーを開け、中からかつて日翔が使っていた
日翔はM4の特徴である「様々なアタッチメントを使用して各種状況に対応する」といった運用はしていなかったが、鏡介はM4を日翔から譲り受けた後、幾つかアタッチメントを取り付けていたらしい。
フォアグリップと、恐らくは自分の義眼及びGNSと連動させたダットサイト型カメラ、ガンロッカー内部にはマウント型のグレネードランチャーも見えたな、と思いつつ辰弥は鏡介が装備を整える様子を眺めていた。
そういう辰弥は鏡介に「フル装備で準備しろ」と言われ、久しぶりに愛用の
よし、と鏡介がダットサイト型カメラの動作を確認し、辰弥を見た。
「恐らく、ノインが永江を連れて武陽都に戻ってきたんだろうな。お前の捕食は諦めていない、ということか」
「武陽都に戻ってきてるなら都合がいい。『カタストロフ』が回収する前に確保してしまおう」
そう辰弥が言ったところで、日翔から通信が入る。
《出かけるのか?》
「うん」
辰弥が頷き、玄関のドアに手をかける。
「大丈夫、すぐ戻るよ」
《辰弥……無理するなよ》
日翔の言葉が辰弥の胸を刺す。
ここからは自分のための戦いだ。必ず、晃を確保して自分も治療する。
そして、三人で生きる。
「うん、無理はしないよ」
そう言って、辰弥はドアを開けた。
鏡介と共に、晃のGNSの位置情報が示す建物に足を踏み込む。
「ノインに警戒しろ。あいつが出てきたら厄介だ」
鏡介が義眼から送られてくる索敵データを辰弥に共有しながら囁く。
「分かってる」
「もし、ノインが出てきたら俺に任せろ。お前だけでも永江を回収するんだ」
M4を構えた鏡介に言われ、辰弥は「バカ言わないで」と即答した。
「ノインと刺し違える覚悟? ここで鏡介が死ぬのも意味がないよ」
辰弥に言われ、鏡介が苦笑する。
「確かにな……」
いざという時は辰弥一人でも生き残れ、と思ったがそれでは意味がない。
「三人で生きる」と約束して、日翔を救う目途が立ち、そして今度は辰弥を救うために動いているのにそこで鏡介が倒れたら何のためにここまで戦ってきたというのだ。
日翔に生きろと言い、辰弥に生きろと言い、自分はどうなってもいいと思っていたが、それでは駄目だ。
「ああ、必ず永江を連れて二人で帰ろう。ノインは――」
「永江 晃にこちらが要求するものさえ作ってもらえれば返す、で何とかしたいね」
辰弥がそうは言ったものの、鏡介にはまだ懸念点があった。
ノインは辰弥の捕食を目的としている。「完全になりたい」ということらしいが、それはノインが晃に懐いていて、「やめろ」と指示したところで聞くようなものではない。
ノインが出た場合、確実に辰弥と戦うことになるだろう。
そうなった場合、「カグラ・コントラクター」が介入する前に戦闘を終わらせ、離脱するのは難しい。
辰弥のトランスを封じた状態で、どこまでノインと渡り合えるか。
また、あの時のような結末になることも考えられるのだ。そして、そうなった場合、トランスなしで辰弥が助かる道はない。トランスできたとしてもそこで力尽きる可能性もある。
できればノインと遭遇したくない、そう思いながら鏡介は扉を開けた。
廃墟同然の建物だったが、ライフライン設備は生きていたようで、その部屋には様々な機材が置かれ、動いていた。
「……エルステ!?!?」
室内で機材の一つを前にして何かをしていた男――晃が物音に顔を上げ、そして辰弥の姿を認めそう声を上げる。
「エルステ、どうしてここが――いや、鏡介君か」
辰弥の横に立った鏡介を見て、晃が納得したように呟く。
「うーん、タイミングが良かったというか悪かったというか。調整槽はまだ完成していないんだ。もうちょっと待ってほしいな」
「え、調整槽作ってたの!?!?」
今度は辰弥が驚く番だった。
晃がノインに連れ去られて、あの話はなくなったもの、と思っていたのに晃はひそかに作り続けていたというのか。
勿論、と晃が笑う。
「約束しただろう? 君の調整槽は作る、と。まぁありあわせの資材だからちょっとボロいのは勘弁してほしいけど、もうあらかた出来上がってるよ? ところで日翔君の遺伝子情報が記録されたものは持ってきているのかい? 生体義体の方は作る準備ができているよ」
「は? こいつ頭おかしくないか?」
思わず鏡介がぼやく。
それを聞いた晃が「なにをう」と口を尖らせる。
「IQは高いぞ!」
「うわ、こいつIQだけだ」
「
調整槽が作られていただけでも驚きだったが、完成していなければ意味がない。
これは出直した方がいいか、と考えつつ、周りの気配を探る。
ぞっとするような、背筋が総毛立つような感覚にまずい、と判断する。
近づいている。ノインのものではない、これは――
「伏せて!」
辰弥が叫ぶ。
同時に鏡介が床を蹴り、晃の前に回って右腕を構える。
次の瞬間、鏡介の右腕のギミックが起動し、ホログラフィックバリアが展開した。
「Rainは永江 晃を!」
辰弥がP87を出入り口に向ける。
通路を駆ける複数の足音。
「もう嗅ぎつけられたのか!?!?」
鏡介が叫ぶ。
「なんだ、君たちもここにいたのか」
辰弥の前に、一人の男が、数人の武装した人間を従えて姿を現す。
「宇都宮……」
辰弥が、絞り出すようにそう呟いた。
「なんですか、『グリム・リーパー』も永江博士を連れ出しに来たのですか」
口では意外そうなことを言っているが、昴の表情はやはり、と言いたそうなものだった。
「……永江 晃は渡さない」
後ろに立つ晃と鏡介を庇うように立ちながら、辰弥が宣言する。
「それは『サイバボーン・テクノロジー』の依頼ですか?」
昴の声に合わせて周りの人間――「カタストロフ」のメンバーが一斉に銃を構える。
「違う」
銃を向けられながらも、辰弥は怯まず答えた。
「俺は、俺たちは、自分の意志で永江 晃を確保する」
「あぁ、そうでしたねエルステ。君は永江博士にテロメアを修復してもらう必要がある」
そう言った昴の隣に一人の女が立つ。
「千歳……」
辰弥の喉が鳴る。
どうして、千歳がここに。
千歳が「カタストロフ」のメンバーだからここに来るのは当たり前だろう、晃関連となればなおさらだ。
恐らくは昴が、辰弥もここに来ることを見越して連れてきたのだと思うと卑怯だ、という考えが脳裏をよぎる。
「おい、
「大丈夫、君を裏切ったりしない」
ふう、と息を吐き、辰弥は千歳に視線を投げる。
「どうしてここに来たの」
その言葉が自分で思っていたより冷たいものになって、辰弥がほんの少し眉を寄せる。
「辰弥さんならきっとここに来ると思ってましたから」
そう言うものの、千歳もMX8を辰弥に向けている。
「俺を殺す気?」
その辰弥の問いかけに、千歳は首を横に振る。
「殺しませんし、殺せません。でも、手足を奪って捕獲することはできます」
辰弥の再生能力は分かっている。しかし、今トランスを応用した再生を行うこともできないはず、と「カタストロフ」は考えていた。
日翔のために、という辰弥がここで無理にトランスをするはずがない。それなら手足を吹き飛ばしてしまえば確実に捕まえられるし、捕まえた後に晃も確保して調整槽を作らせ、メンテナンスすればいい。
「鎖神、戻って来なさい。『カタストロフ』なら、確実に君を延命できる」
「嫌だね」
きっぱりと、辰弥が拒絶する。
「『グリム・リーパー』はここで永江 晃を確保する。あんたたちには渡さない」
「何を寝ぼけたことを言ってるんですか。永江博士はLEBの研究をしたいと言っているのですよ? それを我々『カタストロフ』が叶えると言っているんです。それに、君も延命したいでしょう」
「カタストロフ」ならそれが確実に叶えられる、だから戻って来なさい、と昴が再度告げる。
「嫌だ。『カタストロフ』にLEBの量産をさせたりはしない」
「ほう、もうそこまで調べていましたか。やはり水城、情報収集能力が高い」
くつくつと昴が嗤う。
「それなら、二人とも――いや、天辻も治療した上で『カタストロフ』に来ればいい。安定した生活も、君の大切な秋葉原も、全て手に入る」
「く――」
一瞬、辰弥の心が揺らぐ。
日翔を治療した上で、鏡介も含めて「カタストロフ」に行く。そこには千歳もいる。
自分の欲しいものは、全て手に入る。
だが、それでいいのかと辰弥は自問した。
「カタストロフ」に行けば「三人で自由に生きる」部分のうち、「自由に生きる」という選択肢はなくなる。それに「カタストロフ」はLEBの量産を画策している。
LEBの量産は辰弥にはもう関係のないことだ。無視しても問題はない。
それなのに、辰弥にはそれを良しと思わない感情が渦巻いていた。
自分はいい。自由に生きている。
しかし、「カタストロフ」で量産されたLEBはどうなる?
組織という枷に縛られ、生物兵器としてただ生かされるだけの存在を許していいのか。
それに「カグラ・コントラクター」はLEBの存在を良しとしない。
すでに造られた個体に関しては最大限の自由と人権を与えているが、「カタストロフ」がLEBを量産してしまえば。
駄目だ、晃を渡すことも、LEBを量産させることもしてはいけない。
これ以上、昴の思い通りにさせるわけにはいかない。
それに、千歳だってきっと昴に洗脳されて自分の意志でここにいると思い込まされているだけだ。
だから昴を殺して、千歳をその洗脳から解き放つ。
「――断る」
きっぱりと、辰弥は昴の提案を拒絶した。
「BB……」
昴の提案は、辰弥にとってデメリットはない、それなら受け入れるかもしれないと考え始めていた鏡介が声を上げる。
「お前、いいのか」
「それともRainは『カタストロフ』に入りたかった?」
ちら、と鏡介に視線を投げて辰弥が問う。
「いや――お前がそれでいいというのなら俺はその意思に従う。まぁ、俺個人の意思としては――『カタストロフ』に入るのは真っ平御免だ」
「それなら話は早い。宇都宮、俺はあんたを殺す」
P87の銃口を真っすぐ昴に向け、辰弥が宣言した。
「それが君にできたらね」
ニヤリと笑う昴。
それを皮切りに、戦闘が始まった。
辰弥と「カタストロフ」の面々が同時に引鉄を引く。
辰弥はそれを
「Rain! 永江 晃を!」
「分かってる!」
鏡介がホログラフィックバリアを展開しつつ晃を室内でも安全そうな物陰に誘導する。
「鏡介君、君は!」
物陰に身を隠した晃が、鏡介も戦線に飛び出そうとするのを見て声を上げる。
「BB一人でここが切り抜けられるか! 俺も出る!」
「でも、君は戦闘力皆無じゃ……」
「それはもう昔の話だ!」
そう叫びつつも鏡介がM4を手に機材を飛び越えた。
「BB、待たせた!」
「大丈夫、これくらいなら俺一人でも防御できる!」
鏡介がGNS内の
その横から、いつの間に回り込んだか千歳がナイフを抜いて辰弥に躍りかかった。
「千歳!」
辰弥もナイフを抜き、千歳のナイフを受け止める。
「一緒に来てください! 私は、辰弥さんを傷つけたくない!」
辰弥と千歳の視線が交差する。
「嫌だ! 君こそ、宇都宮に洗脳されてるからそう言うんだろ! 目を覚まして!」
千歳を押しのけ、辰弥が牽制のために発砲、それを回避して千歳が後ろに跳ぶ。
「私は、私の意思でここにいます! 宇都宮さんに洗脳されたわけじゃありません!」
「洗脳されてる人間ほど洗脳されてないって言う! それに気づいて!」
千歳を近づけないように牽制の発砲を繰り返し、辰弥が叫ぶ。
「俺のことが好きなんだろ! だったら君がこっちに来たら全部解決する!」
「そういう傲慢なところですよ!」
辰弥の隙を窺いつつ、千歳も発砲する。
「『俺のことが好きなんだろ』? 『宇都宮さんに洗脳されてる』? 思い込みもいい加減にしてください! 私は自分の意志でここにいます!」
千歳が放った銃弾が辰弥の頬を掠める。
それと千歳の言葉に一瞬怯んだ辰弥に肉薄し、千歳は辰弥の眉間にMARK32を突き付けた。
「『カタストロフ』に戻ってください! メリットしかない話じゃないですか!」
「嫌だ! 俺は、『カタストロフ』には戻らない!」
千歳が引鉄を引くよりも迅く、辰弥が身を翻す。
銃弾が辰弥の髪を掠め、壁を穿つ。
それと同時に、辰弥は千歳の鳩尾に拳を叩き込んでいた。
「千歳、ごめん!」
ぐらりと傾いだ千歳に、追撃として頸動脈を狙った手刀も打ち込む。
頸動脈に重い一撃を受け、瞬間的に脳への酸素供給が半減、それに耐えられず千歳が昏倒する。
昏倒した千歳が床で頭を打たないよう受け止め、辰弥がそっとその場に横たえる。
「宇都宮ァ!」
立ち上がり、辰弥は昴に銃を向けた。
「ちっ、使えない!」
昴が舌打ちし、辰弥に銃を向ける。
先に辰弥がP87を斉射、素早くそれを回避した昴が周りのメンバーに指示を出して辰弥を取り囲もうとする。
「どけ!」
素早くマガジンを交換した辰弥が再びP87を斉射、周りを牽制、鏡介もM4で援護する。
その援護を受け、辰弥は昴に追いすがった。
昴が全ての元凶だ、昴さえ殺せば千歳も目を覚ます。
「あんたさえいなければ!」
「私がいたから君もここまで来れたでしょうに!」
昴もMARK32で応戦するが、その弾が辰弥に当たることはない。
「千歳を惑わせる奴は俺が殺す!」
辰弥がP87を撃ち、昴を徐々に壁に追い詰めていく。
「ラファエル・ウィンド」にいたころから昴は要注意人物だと思っていたが、射撃の腕や身のこなしを見ているとこのまま追い詰めることができそうだ、と判断する。
確かに他に取り巻きがいる状態で敵対するとその統率能力の高さゆえに脅威だが、昴単体では大したことがない、そんな印象を受ける。
行ける、このまま押し切れば殺せる、そう辰弥が思った時。
「仕方ない、やれ、プレアデス!」
昴の声が室内に響く。
何か来る、そう思ったがどこから来るかも、どのような攻撃が来るか、そういったものが分析される前に辰弥は吹き飛ばされた。
「――ぐはっ!」
床に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まる。
「BB!」
鏡介の声に、持っていかれそうになった意識を無理やり引き戻す。
――まずい、脚が――。
「何か」の攻撃は足元から来た。
回避も何もできず、右脚を一瞬で切断され、突き飛ばされたのはなんとか理解できた。
ごく普通の人間なら激痛に意識を持っていかれるか最悪の場合出血性ショックによるショック死もありえただろう。
幸か不幸か、研究所にいたころ大小さまざまな痛みを刻み込まれていた辰弥には右脚を失った痛みも痛みこそは大きいもののちょっとした切り傷と大差ない反応しか出なかった。
――何が起こった?
混乱しつつも、右脚を再生しようとして思いとどまる。
――駄目だ、今トランスするわけには――!
自分の身体がもう限界なのは分かっている。再生クラスのトランスができたとしてもあと数回程度、その一回を今消費していいのか。
いや、消費しなければ命がないのは分かっているが、昴の、あるいは昴が「プレアデス」と呼びかけた何かの攻撃が回避できない以上、ここでトランスするのは得策ではない。
「遅いぞ」
昴が虚空に向かって呼びかける。
「いきなり殺さず脚を奪ったのは褒めてやる。くれぐれも、殺すなよ」
その声を聞きながら、辰弥はテロメアの消耗に大きくかかわらないだろうレベルのトランス――止血程度に傷口を塞いで対処する。ついでに気休め程度にしかならないが鎮痛剤のシリンジを生成、打ち込んでおく。
しかし、今の一撃で右脚を失っただけでなくかなりの血を失った。
その気になれば床に落ちた血――「カタストロフ」のメンバーが流した血も含めて何かは生成できるだろうが、使うにしてもここぞという時にしておかないとただの無駄撃ちになる。
呻きつつも辰弥が体勢を変え、昴を睨みつける。
「宇都宮……!」
「まだ反抗する気力は残っていますか。もう少し痛めつけた方がいいようですね――プレアデス!」
再び、昴が虚空に呼びかける。
まずい、攻撃の予兆も何も分からない状態では回避すらできない。
昴は「殺すな」とは言っていたから、次狙うとすれば腕か。
「クソッ、どのセンサーにも反応しない!」
鏡介は鏡介で義眼に内蔵された各種センサーで索敵を行っていたのだろう。しかし光学迷彩であれば反応するはずの赤外線センサーにも、そうでなかったとしても反応するだろうX線透視にも、「プレアデス」と呼ばれた何かは反応しない。それとも、そんなものは存在しないのか。
昴は辰弥を「カタストロフ」に連れ戻そうとしている。
それは駄目だ。LEB量産計画が加速してしまう。
辰弥が再生ではなく止血にとどめておいたのは賢明な判断だろう。
とはいえ、脚を封じられたのは鏡介としても痛い。
辰弥の移動手段が封じられた今、動けるのは鏡介しかいない。
ネリ39Rを抜いて昴を牽制しながら、鏡介は辰弥に視線を投げた。
だが、昴に向かって放たれた弾丸は空中で何かに弾かれたように跳ね返って地面に落ちる。
まるでSFに登場する透明な壁に阻まれたかのようだった。アカシアにはホログラフィックバリア以外のバリア技術は存在しない。鏡介の知る限り、既存の科学では説明がつかない現象が起きていることになる。
(大丈夫か?)
だが、鏡介は一度それを無視し、音声ではなくGNS通信で辰弥に問いかけた。
《大丈夫、タイミング見てなんとかする》
苦しげに呻いてはいるが返答は明瞭で、ほっとしつつも鏡介は昴に視線を戻した。
「BBは渡さない」
「強がっても無駄です。鎖神にできないことが君にできるわけがない」
「それはやってみないと分からないだろ!」
鏡介が発砲、だがFCS制御のそれを昴はあっさりと回避する。
「相変わらず逃げ足だけは!」
「プレアデス」
昴がまたもプレアデスを呼ぶ。
(まずい、このままじゃ、あの不可視の刃が鏡介に――)
辰弥が思わず目を瞑る。
「主任、ただいまー! おっきなぶたさん捕まえてきたよ!」
しかし、その時は訪れなかった。
代わりに場違いな少女の明るい声、室内に巨大な猪を担いだノインが入ってくる。
「な――」
昴が驚きの声を上げる。
その声に反応したのか、鏡介には何の攻撃も届かず、昴の声だけが室内に反響する。
「ノインが戻ってきただと、クソ、このタイミングで!」
よいしょ、と猪を床に下ろすノイン。
「んー? エルステ、来てたの。せっかくだからこのぶたさん調理してくれる?」
そう、呑気に、立ち上がろうとする辰弥に声をかけ、それから落ちている右脚に気付き、笑う。
「エルステ、脚斬られたんだ。ざまないね」
「ノイン……!」
敵が増えて、辰弥が額に脂汗をにじませながら呻く。
この状況はかなりまずい。ノインにとっても「カタストロフ」は敵かもしれないが、それ以上に捕食対象の辰弥が動けないのはチャンスだろう。
ここまでか、いや、起死回生の手はどこかにあるはず、最悪、ここでトランスしてでも、と辰弥が痛みに耐えつつも思考を巡らせる。
鎮痛剤は打ったが、そもそも薬物は中枢神経に作用するような物以外はほぼ効果がない。エルステとして研究所にいた頃、暴れないようにと実験時以外は鎮静剤を使用されていたからその効果は理解している。それ以外の薬物は身体に入れたとしても素通りして排出されてしまう。
毒物による排除を回避するために設計されたとはいえ、この構造のために、鎮痛剤は全く効かなかった。それは分かっていたが、気休めやプラシーボ効果を期待しての投与だから仕方ない。
そう、焦る辰弥とは裏腹に昴は最初こそ驚いたもののすぐこれはチャンスかもしれない、と考え直していた。
室内にいる自分の部下に指示を出す。
「ノインを捕獲しろ! 今度はしくじるなよ!」
辰弥が動けないなら現時点での脅威はノインだけである。
昴の指示を受けた「カタストロフ」の面々がノインを取り囲む。
「じゃま、しないで」
ノインは手に持っていた巨大な猪を振り回して放り投げ、部下の動きを封じたのち、その腕を刃物にトランスし、迫る部下を切り裂いていく。
「……流石に、この状況だとノインはある意味援軍だな……」
「カタストロフ」の注意がノインに逸れたことで、辰弥に駆け寄って抱き起した鏡介が一息つく。
「大丈夫か?」
こうなったら離脱するしかないか? と鏡介が辰弥に確認する。
「いや……ここで永江 晃を諦めるわけ、には」
大丈夫、俺はまだ戦える、とP87を握る辰弥に鏡介が無理だ、と止める。
「宇都宮は訳の分からん攻撃をしてくるんだぞ! 初手でやられたお前が勝てるわけ」
「勝てるか、じゃない、勝つんだ。勝って、永江 晃を確保する」
今はまだその時じゃない、チャンスは必ず来る、と辰弥は苦しげに呟いた。
ノインが自分の部下をあっさりと斬り捨てたことで昴は「やはり人間では無理か」と低く呟く。
「プレアデス! ノインを捕獲しろ! こいつも殺すなよ!」
再度、プレアデスに指示を出す。
「っ!」
突如、ノインは何もない場所から何もない場所へ横に跳んだ。ノインが飛び去った後の地面に、大きなクラックが出現する。
「プレアデスの攻撃を回避しただと!?!?」
ノインの動きに、昴が驚きを隠せず声を上げる。
辰弥が手も足も出せなかったように、普通の感覚の持ち主ではこの攻撃を察知することなど不可能。
それなのに、ノインは明らかに何かが迫ってきたのを察知したかのように攻撃を回避した。
それどころか、何度も空中からの攻撃を受け流すかのように刃にトランスした腕を振っている。
まるで刃物で斬り合っているかのように空中で火花が散り、ノインが攻撃を捌いていく。
「……何か、いる……?」
ノインのその動きで辰弥も漸くこの場に不可視の「何か」が存在することに気が付いた。
鏡介が義眼のセンサーで索敵しても見つけられない、この世界の常識を超越した何か、ということか。
「ノインにはプレアデスが見えているのか!?!?」
プレアデスの攻撃をいなすノインに、昴が驚愕の声を上げる。
同じLEBである
これが第二世代の能力なのか、と思いつつも昴はプレアデスに指示を出す。
「殺すつもりでやらなければ無理だというなら本気を出せ! 最悪、殺しても構わん!」
この時、昴の意識は完全にノインに向いていた。
片脚を失った辰弥など放っておいてもいい、テロメアが限界を迎えているならトランスをすることはあり得ない、そう思っていた。
「カタストロフ」にいた頃の辰弥を見ていて、そして「エルステ観察レポート」を見て理解している。
辰弥は、日翔のためなら自分が命を失うことを恐れてはいないが、同時に、日翔のためなら無駄に死に急ぐようなことはしない、と。
今ここでトランスをすれば確実に残された時間は削られる。晃は辰弥のための調整槽を作っているようだが、それも晃を回収してしまえば辰弥に届くことはなくなる。
その時点で晃を餌に辰弥を釣ればいいのだ。「永江博士はこちらにいる、『カタストロフ』に戻るなら全員生きる道を提示する」と。
そのためにはまずノインを無力化しなければいけない。ノインさえ無力化してしまえば動けるのは鏡介だけだ。そして、プレアデスを感知できない鏡介など敵ではない。
やれ、と昴はプレアデスに指示を出した。
室内に存在する不可視の何か――プレアデスがノインにこれまた不可視の刃を振るう。
昴の指示を受け、プレアデスも本気を出したのか、ノインに対する攻撃が激しくなる。
子供体型のノインが徐々に押され始め、じりじりと部屋の隅へと追い詰められていく。
やはり子供か、てこずらせやがって、と昴が口角を上げた時。
昴の視界の隅で何かが動いた。
ノインとプレアデスの戦いを、辰弥が呆然と眺める。
ノインにはプレアデスが視えている、いや、視えているは語弊がある。感知している。
プレアデスの攻撃を的確に受け止め、いなし、回避している。
とはいえ、それが精一杯のようでノインからの反撃は見られない。
ちら、と辰弥が昴に視線を投げる。
昴はプレアデスとノインの戦いに集中しているようで、こちらに注意を払っていない。
――今なら、宇都宮を――。
体勢を整え、意識を集中する。
「おい、BB――」
再生する気か、と鏡介が辰弥を止めようとする。
しかし、鏡介も昴がノインに意識を取られていてこちらに注意を払っていないことに気が付いていた。
この、圧倒的に不利な状況を覆せるとしたら今しかない。
それなら鏡介が攻撃するのも手ではあったが、それでは確実性に欠けることは鏡介も理解していた。
状況を冷静に見られることと、その状況に的確に対処できることは別物だ。
そして、自分がここぞという時に決定打に欠けることも鏡介は分かっていた。
単純な身体能力だけでも辰弥の方がはるかに上、さらにLEBの能力を使えば鏡介では届かない攻撃も届けることができる。
だから、ここで愚直に「トランスはやめろ」とは言えなかった。
テロメアを修復するまでは残り回数が定められたも同然のトランス、だがそれが辰弥にとっての、いや、自分たちにとっての最強の切り札であることは分かっている。
「Rain、行かせて」
昴を真っすぐ見据えて辰弥が言う。
恐らくは鏡介が反対したとしても辰弥は右脚を再生して昴に突撃するだろう。
それなら、自分に出せる指示は一つだけだ、と鏡介は頷いた。
「行け、行って宇都宮を叩きのめしてこい!」
「了解!」
クラウチングスタートの体勢になり、辰弥が両手に力を込める。
直後、右脚が再生し、力強く床を蹴った。
それと同時に床にたまった血に呼びかけ、コンバットナイフを生成、握り締める。
「宇都宮ァ!」
撃ち出された弾丸のように、辰弥は昴に突進した。
「な――!」
まさか辰弥が再生するとは思っていなかった昴の反応が遅れる。
――馬鹿な、刺し違える気か!?!?
ここでトランスを利用した再生をするなど、自殺行為である。
ただでさえほとんど残っていない時間を消費してまで、私を殺したいのか、と昴が辰弥を見る。
それから、プレアデスを見る。
プレアデスは部屋の隅に追い込んだノインとまだ斬り合っている。呼び戻すには微妙に遠く、間に合わない。
「くそ――」
間に合わない、と理解しつつも昴がMARK32を辰弥に向けようとする。
対する辰弥は捨て身で昴の懐に飛び込もうとする。
コンバットナイフの切っ先が真っすぐ昴の心臓に向けられる。
「うおおおおおっ!」
辰弥がコンバットナイフを握ったまま体当たりするかのように昴に迫る。
その、ナイフの切っ先は、
「宇都宮さん!」
横から飛び出してきた千歳の胸に、深々と突き刺さった。
一瞬、何が起こったのか誰も理解できなかった。
「な――」
そう、声を上げたのは、鏡介。
嘘だろう、という響きを孕んだその声が耳に届き、続いて辰弥も目の前の光景に言葉を失う。
「あ――」
辰弥の手がナイフから離れる。
その手をべったりと汚す
目の前の千歳が膝を折り、その場に頽れる。
慌ててそれを抱き留め、辰弥は嘘だ、と同じ言葉を繰り返した。
「嘘だろ……千歳……」
胸の傷から溢れる白い血はとどまることなく溢れている。早く止血をしなければ、と辰弥が腰のポーチから応急キットを取り出そうとする。
その辰弥の手を、千歳の手が止めた。
「千歳……」
駄目だ、早く止血しないと、と辰弥が言うが、千歳は弱々しく首を振って拒絶する。
「……分かりますよ、致命傷って……こと、くらい」
弱々しく呟き、それからかはっと気道に溢れたホワイトブラッドを吐き出す。
「大丈夫、ナイフはまだ抜いてないから、まだ間に合う!」
応急キットからガーゼを取り出すも、その程度のガーゼで対処できる程度の傷ではない。
ガーゼが一瞬でホワイトブラッドで染まり、役に立たなくなる。
「嫌だ……嫌だよ、そんな……」
止まらない血に、辰弥が何度も嫌だと呟く。
「宇都宮も手伝ってよ! 部下なんだろ!」
思わず、辰弥は昴に向かって懇願していた。
だが、昴はそんな辰弥を見下ろして薄い笑みを浮かべる。
「まさか私を庇うとはね――使えないなりにも役立つことはあったのか」
「宇都宮!」
もう一度、辰弥が昴を呼ぶ。
「千歳を助けてよ!」
「それはできない相談だ。彼女が君を釘付けにしてくれるというなら、ね」
冷たく、昴が突き放す。
そのタイミングで、昴が呼び寄せていたのか、「カタストロフ」の増援が部屋になだれ込んでくる。
「BB!」
鏡介が床を蹴り、辰弥の前に立ってホログラフィックバリアを展開する。
「BB、諦めろ、秋葉原は助からない!」
「嫌だ! そうだ、救急ビークル呼んでよ! バイタルはこっちで確認するから!」
「こんな戦場に呼べるか!」
辰弥が千歳のGNSにアクセス、救急用のバイタルモニタを呼び出し、視界に投影する。
「千歳、しっかりして!」
嫌だ、死なないで、と辰弥が千歳の手を握る。
その視界に映るバイタルモニタの数値は目に見えて低下していた。
「千歳!」
もう一度、辰弥が千歳の名を呼ぶ。
一度は目を閉じていた千歳がゆっくりと目を開け、辰弥を見る。
「……なんて顔……してるんですか……」
笑ってくださいよ、と千歳が弱々しく言う。
そして、震える手で辰弥の頬に手を添え、引き寄せた。
千歳の血まみれの唇と、辰弥の唇が触れる。
ホワイトブラッド特有の、間違って経口摂取しないように付けられた苦みが口内に広がる。
「っ……」
その味に、辰弥の思考が現実に戻った。
「……君、は……」
ホワイトブラッドの味に、辰弥の心臓がきゅう、と痛む。
千歳の血は飲めない、その事実に声が出ない。
第一世代のLEBで、
だが、流石のLEBもホワイトブラッドは飲めない。飲めないということは、千歳の身体に刻み込まれた記憶を受け継ぐことができない。
ここで俺を拒絶するの、と辰弥は千歳を見た。
――それとも、君は初めから俺を拒絶していたの――?
出血と共に流れていく体温に、もう一度嫌だ、と呟く。
ごく普通の人間に比べてやや低めの体温の辰弥だったが、千歳の身体はもうその辰弥の体温を下回っている。
「……辰弥、さん……」
千歳が辰弥を呼ぶ。
「BB! もう無理だ!」
鏡介がそう叫ぶが、辰弥はかぶりを振って千歳を抱きしめる。
「千歳……ごめん……」
辰弥にももう分かっていた。千歳を助ける術はないのだと。
バイタルモニタの表示が、一部【計測不能】のアラートを表示している。
そのバイタルモニタも徐々にノイズが混ざり、GNSの通信自体が不安定になってきていた。
「たつ、や、さん……」
千歳が再び辰弥を呼ぶ。
「ずっと……好き、でしたよ……」
その声と同時に、千歳の手から力が抜けた。
するり、と千歳の手が辰弥の手から滑り落ちる。
同時に、バイタルモニタも【No Signal】の表示に切り替わった。
「千歳……?」
かすれた声で、辰弥が千歳の名を呼ぶ。
嫌だ、という声が言葉にならない。
嘘だ、と言いたくても声にならない。
「あ――」
辛うじて喉から出た声がそれだけで、他の言葉が出てこない。
「BB!」
早くそこから離れろ、という鏡介の声が遠くに聞こえる。
その警告ですらどうでもよくて、ただ、目の前の現実が受け入れられずに冷たい千歳の身体をもう一度抱きしめる。
「嫌だ……」
絞り出すように、辰弥が呟く。
「嘘だ……嘘だよね……? 千歳……」
もう一度バイタルモニタを呼び出そうとするが、【対象が見つかりません】という表示が出るのみ。
そんなはずはない、だって、千歳はここにいる、と現実から逃れたくて辰弥が何度も千歳のGNSにアクセスを試みる。
「嫌だよ、嘘だと言ってよ、ねえ、千歳、目を開けてよ!」
――無駄だよ。
そんな声が聞こえた気がする。
「無駄じゃない! 千歳、千歳ってば!」
思わず千歳の身体を揺さぶる。
重傷を負った人間を揺さぶってはいけないという応急手当の基本は、もう辰弥の意識の中にはなかった。
何度も揺さぶり、千歳の意識を引き戻そうとする。
「千歳、起きて! 倒れてる場合じゃないんだ!」
――そんなことをしても無駄だ。何故なら――。
聞こえてくる声、現実を告げる声は無視して何度も千歳に呼びかける。
だが、現実の声は無慈悲だった。
――千歳は、お前が殺した。
「あ……ぁ……」
幻聴だとは分かっている。だが、その幻聴はあまりにも的確で、残酷なものだった。
千歳の胸に刺さったままのナイフを見る。
そうだ、このナイフは自分が生成したものだ。他の誰にも奪われていない。
「俺が……千歳を……」
俺が殺した、違うこれは嘘だ、俺が千歳を刺した、違うこれは宇都宮が見せた幻覚だ、千歳は死んでなんかいない、これは千歳に似た誰かだ、千歳が死ぬはずがない、だってずっと一緒にいると言ってくれた、だから――。
――現実を、受け入れろ。
幻聴が、現実逃避を始めた辰弥の思考を現実に引き戻す。
「うわあぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁ!!!!」
それに耐えられず、辰弥が絶叫した。
それを、昴は薄ら笑いを浮かべて見下ろしていた。
「BB!」
しびれを切らした鏡介が攻撃の合間を縫い、辰弥を強引に引きずり、比較的安全そうな物陰に連れ込む。
「千歳も!」
「BB、しっかりしろ! このままでは、俺たちもやられる!」
物陰から千歳に向かって手を伸ばそうとする辰弥を鏡介が叱咤する。
「現実を見ろ! 秋葉原は死んだ! もう何をやっても無駄だ!」
「無駄じゃない! まだ、間に合う!」
それでもなお手を伸ばそうとする辰弥、鏡介が素早くホログラフィックバリアのエネルギーカートリッジを交換し、バリアを展開する。
「千歳!」
ともすれば千歳のもとに駆け寄ろうとする辰弥を制止しながら、鏡介が「カタストロフ」に応戦する。
「ふん、エルステも所詮はただのガキということか。今ならエルステは捕獲できる、私はプレアデスと共にノインを追跡しますから、後は君たちに任せましたよ」
物陰の向こうから、昴の声が聞こえる。
言われてみると、ノインと主任と猪がいない。ノインが連れ出したのだろう。
「ああ、あと一応は秋葉原の回収も。死体であったとしても使い道はあるでしょうからね」
「――!」
昴の言葉に、辰弥がそうはさせまいと物陰から飛び出そうとする。
それを、ホログラフィックバリアの展開を一度停止した右腕で掴んで引きずり戻し、鏡介が辰弥を叱咤する。
「今出たところで蜂の巣だ! 落ち着け!」
「でも、千歳が――」
どうして止めるの、と辰弥が鏡介を睨みつける。
「お前は『カタストロフ』に戻りたいのか!」
鏡介にそう言われ、辰弥がはっとして動きを止める。
それは嫌だ。だが、「カタストロフ」に千歳を渡したくない。
二つの思考が辰弥の中で
それによって動きを止めた辰弥に「とりあえずはこれでいい」と判断した鏡介が手を放し、再度応戦を始める。
「この際、水城は殺してもいい。確実に、エルステを捕獲しろ」
昴の冷たい声が、その場に響き渡った。
to be continued……
おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと り:ばーす 第9章
「はぴえん☆り:ばーす」
「Vanishing Point Re: Birth 第9章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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