縦書き
行開け
マーカー

Vanishing Point Re: Birth 第3章

分冊版インデックス

3-1 3-2 3-3 3-4 3-5 3-6 3-7 3-8 3-9 3-10

 


 

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

日翔の筋萎縮性側索硬化症ALSが進行し、構音障害が発生。
武陽都ぶようとに移籍してきたうえでもう辞めた方がいいと説得するなぎさだが、日翔はそれでも辞めたくない、と言い張る。
そんな「グリム・リーパー」に武陽都のアライアンスは補充要員を送ると言う。
補充要員として寄こされたのは秋葉原あきはばら 千歳ちとせ
顔合わせののち、試験的に依頼を受ける「グリム・リーパー」
そこで千歳は実力を遺憾なく発揮し、チームメンバーとして受け入れることが決定する。
そんな折、辰弥たちの目にALS治療薬開発成功のニュースが飛び込んできた。
ALS治療薬は近日中に治験を開始するという。
その治験に日翔を潜り込ませたく、辰弥と鏡介は奔走する。
その結果、どこかの巨大複合企業メガコープに治療薬の独占販売権を入手させ、その見返りで治験の席を得ることが最短だと判断する。
どのメガコープに取り入るかを考え、以前仕事をした実績もある「サイバボーン・テクノロジー」を選択する辰弥と鏡介。その手始めに受けた仕事はとある研究主任の暗殺。しかし、やはり独占販売権を狙う御神楽による謎のセキュリティによって辰弥たちは「カグラ・コントラクター」の音速輸送機と交戦することになってしまう。

 

 
 

 

  第3章 「Re: Flect -反射-」

 

 「サイバボーン・テクノロジー」からの依頼で「生命遺伝子研究所」のとある部門の研究主任を暗殺してから数巡が経過する。
 繁忙期でもない限り暗殺連盟アライアンスから依頼が割り振られることはそう頻繁にはない。だからあまりにも閑散期すぎると食うに困る時もある、というのがフリーランスの暗殺者たち、だった。
 そんな食いっぱぐれがないように辰弥たつやたちは上町府うえまちふにいた頃は隠れ蓑も兼ねてファンシーショップ「白雪姫スノウホワイト」を経営し、生活費の足しとしていた。そもそも日翔あきとが受け取るべき報酬はほとんどが借金返済のために天引きされており、こうせざるを得なかった、ということもあったのだが。
 ましてや武陽都ぶようとは首都機能がある都合もあり、上町府よりも物価は高い。できれば隠れ蓑の副業を行って収入を得たいところではあったが、現在日翔に副業するほどの余力は残されていない。辰弥も鏡介きょうすけも治験の権利を確約されていない今、兼業して日翔から目を離すこともできなかった。そのため武陽都に越してからの彼らは兼業することもなく三人シェアハウスのような形で同居し、支え合っている。
 そんな状況での待機時間。
 まだか、こうやって待っている間にも日翔の時間は刻一刻と減っていく。
 そんな焦りが辰弥に浮かび始めたころ。
 不意に、彼に着信が入った。
 一体誰が連絡を寄こしてきたのか。
 武陽都でGNSアドレスを交換するほどの関係になった人間はほとんどいない。上町府の同業者が何かあって連絡してきたのか。あるいはなぎさか。
 そんなことを考えながら発信者の名前を見る。
 秋葉原あきはばら 千歳ちとせ
 えっ、と辰弥は思わず声を上げた。
 リビングのソファから日翔がこちらを見た気がするがそれを気に掛ける余裕すらない。
 千歳から連絡を入れてくるとは一体どういう風の吹き回しだ。彼女は確かに「グリム・リーパー」の一員である。仲間といえば仲間だが――共に依頼をこなしたのはたった二回。信頼を築いたと言うにはまだ浅いだろう。
 それなのに一体どうして。
 いや、何か重要な要件があるのかもしれない。普通、重要な案件であればリーダーである鏡介に連絡すべきなのだが鏡介は極度の女嫌い、もしかすると通話拒否された可能性もある。
 それなら俺が出ないと用件は何も分からない、と辰弥は通話ボタンをタップした。
 視界に千歳の顔が映し出される。GNSがユーザーの顔の筋肉の動きなどを把握して疑似的に顔を表示しているのだ。
《ああ、鎖神さがみさん、こんにちは》
 辰弥が応答したことで千歳が笑う。
(ああ、うん。どうしたの?)
 何か用があるなら鏡介に連絡すると思ってたんだけど、と辰弥が尋ねると千歳は「違いますよ」とさらに笑った。
《まぁ、『グリム・リーパー』案件ではあるのでしょうが……鎖神さん、お買い物行きません?》
(へ? 買い物!?!?
 全く想定していなかった用件。「グリム・リーパー」案件とは言っていたが買い物のどこがそれだというのだろうか。
《鎖神さん、武陽都の地理にはまだ慣れてないでしょう? 都心部とかは庭みたいなものですし、案内できますよ。お買い物ついでに案内しようかと。あと、お得にお買い物できる店も色々知ってますから生活の質も上がりますよ?》
 なるほど、と辰弥は呟いた。確かにこれは鏡介より自分に声を掛けた方がいい案件である。鏡介は衛星写真や交通網のハッキングで道を拓けるがそれに頼れなくなった時は自分の地理感がものを言う。しかし、ただやみくもに歩き回っているだけでは面白くないだろうから買い物を口実に誘っている、ということか。
 辰弥がちら、と日翔を見る。
 日翔はソファの上で丸まっていた。依頼に向けて体力は温存しておきたい、といったところだろうか。
 最近、日翔は本当に寝ることが多くなった。調子がいいときはGNSによる強化内骨格インナースケルトンの出力調整も兼ねたトレーニングを行っているが今寝ているということは調子はあまりよくないのだろう。
 時間はあまりない。早く、次の依頼を受け取らなければ。
 そのためにもここは千歳の誘いを受け、地理を把握しておいた方がいい。
(ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうよ)
 辰弥がそう答えると千歳の顔が明るくなる。
 眩しいな、と辰弥がふと思う。
 どうして千歳は俺にこんな表情かおを見せるのだろう、と考えてしまう。
 ――俺に、そんな価値は――。
 そこまで考えてから首を振る。
 そんなことを考えてはいけない。日翔も鏡介も、ただ「暗殺者」としての価値ではなく「LEBレブ」としての価値でもなく、「人間」としての価値を見出し、接してくれた。お前は生きていていいのだ、楽しんで生きていいのだ、と教えてくれたのは彼らだ。自分に価値なんてない、と考えるのは自由かもしれないがそれは彼らに対する裏切りだろう。千歳もそうだ。鎖神 辰弥という一人の人間に何らかの価値を見出して声をかけてくれたに違いない。
 その好意を無碍にしてはいけない。それに地理の把握は暗殺者として最低限のスキルである。
 辰弥がそんなことを色々考えている、ということに気が付いたのだろう。千歳が笑い、口を開く。
《鎖神さん、考えすぎていませんか? 鎖神さんの悪いところですよ?》
 そうだ、考えすぎるのは自分の悪い癖だ。千歳はただ純粋に今後仕事をする上で地理を把握していた方がいいという親切心で買い物に誘ってくれただけだ。
 それなのに自分には誘ってもらう価値も笑いかけてもらう価値もないと考えていてはいけない。
 ごめん、と呟き、辰弥は時計を見た。
(待ち合わせはいつ、どこにするの?)
《そうですね、駅前からぐるりと案内したいですし佐々木境ささきさかい駅前のロータリーで。今からだと二日目昼日の0時頃に合流すればお昼ご飯もご一緒できますね》
 昼ご飯を一緒に、か、と辰弥が唸る。
 鏡介はいつもの通りゼリー飲料とエナジーバーで済ませるだろうが日翔はどうしようか。作り置きは数食分あるが、できればそれは疲れて料理できないときに取っておきたいし日翔にはできるだけ温かい食事を摂らせたい。
 日翔のALSの件が発覚し、しばらくしてから聞かされた彼の食事事情。
 日翔の母親は所謂「メシマズ嫁」の部類だったらしい。
 料理が全くできないわけではない。むしろ日翔の体調を慮って栄養バランスが完璧なものを、と考えたら自然と味気ないものになってしまった、というのが実情ではあったが日翔はその母親の手料理が苦手だったらしい。そのために日翔は比較的若いころからジャンキーな味付けの合成食のファストフードを好んでいた、という。
 辰弥が日翔と同居するようになり、料理を覚える前も確かにファストフードが多かった。栄養バランス「だけ」を考えて作られた合成食に慣れていた辰弥からすればファストフードは新鮮な経験で、「こんなおいしいものが世界には存在するんだ」とそこから料理に目覚めたと言ってもいい。
 結果、辰弥は料理の腕をめきめきと伸ばし日翔も栄養バランスが偏ったファストフードではなく栄養バランスも味も申し分のない食事を摂ることができるようになった、というわけだが。
 そういう経緯と、いつまでちゃんとした食事が摂れるか分からない日翔だったから、辰弥は彼の食事くらいはきちんとしておきたい、と考えていた。
 しかし今から出かけるとなると日翔の昼食を作るには間に合わない。
 少しだけ考え、辰弥は、
(ごめん、日翔のごはんの準備あるからもうちょっと遅らせられない? 遅れてもいいならお昼は一緒に食べよう)
 そう、提案した。
 もしかすると反対するかな、秋葉原って日翔のことあんまりよく思ってないもんな、とふと思うが辰弥にとっては日翔はまだ優先度合いが高い。
 千歳に対する興味も少しずつ膨らんでいるところではあるがそれでも日翔に対する気遣いよりは小さい。
 しかし、辰弥の予想に反して千歳は「ごめんなさい!」と両手を合わせてきた。
《ごめんなさい! 天辻さんのこと、失念してました! もうすぐお昼ご飯の時間ですもんね、合流はお昼ご飯の後でも》
(いや、いいよ。日翔のごはんさえ用意したら俺は別に遅れても構わないから。君だって俺と食事したいから誘ってくれたんでしょ?)
 言ってから、少し自意識過剰だったか、と考える。
 千歳が食事に誘ってきたのだ、それを断ることは辰弥にはできなかった。ただ、時間的に日翔に料理を用意しておきたかっただけだ。
 だが、辰弥の言葉に千歳がぱぁっと顔を輝かせる。
《いいんですか? 急なお誘いで断られても仕方ないと思ってたんです》
(いいよ、どうせ急に依頼が来ることもないだろうし今のうちに慣れておいた方がいい)
《分かりました、じゃあ、目いっぱいおめかししていきますね!》
 それじゃ、時間は一時間遅らせますね、と千歳が笑い、辰弥も頷いた。
(それじゃ、昼日の一時に)
 了解です、と千歳が頷く。
 通話が終了し、辰弥はもう一度ソファで寝ている日翔に視線を投げた。
「ん……寝てたか、俺」
 目を覚ました日翔が身体を起こす。
「もう、寝るならベッドで寝なよ」
「悪い悪い」
 うーん、と伸びをした日翔が辰弥を見る。
「通話してたのか?」
 うん、と辰弥が頷く。
「お昼ごはん作ったらちょっと出かける。秋葉原が道案内も兼ねて買い物しようって」
「ほへー」
 あいつが誘ってくることなんてあるんだ、などと感心しながら日翔が少し考え、
「飯作ったら出かけるって? そしたらあいつ昼飯食いっぱぐれないか?」
 おいおい、と言いたげな面持ちで辰弥を見る。
「うん、日翔の分だけ作って俺は秋葉原と食べてくるよ」
「お前が外食とは珍しいな」
 普段、辰弥はめったなことで外食をしない。いくら合成食より本物の食材が割高であったとしても桜花では外食の方が比較的コストがかかる。自炊した方が楽しいし美味しいもの食べられるし安くつくし、で外食しない辰弥が千歳の誘いに乗って外食とは。
 これは光輪雨バギーラ・レインでも降るかなと思いつつも日翔は申し訳なさそうにする辰弥に笑いかける。
「おいおい、湿気た顔すんなよ。たまには外食した方がいろんな味の研究ができるだろ」
「……それは、そう」
 常においしいものを作りたい、という辰弥に鏡介も言っていた。「味の研究は自分で作るだけでなく他の奴の料理を口にして初めて進むものだ」と。
 本当は日翔と一緒に食べたい、という気持ちはあったが千歳の誘いを無碍にするわけにもいかない。
 手早く食事の準備を整え、辰弥は「行ってくるよ」と声を掛けた。
「おう、楽しんでこい」
 日翔がテーブルに置かれた食事を見てから辰弥に手を振る。
 辰弥も軽く手を挙げてそれに応え、自室にこもっている鏡介に「ちょっと出かけてくる」と声をかけ、外に出た。

 

 佐々木堺駅のロータリーには待ち合わせの目印にうってつけの、緑に覆われ、「佐々木境駅」のネオンの文字が飾られたゲートが存在する。
 辰弥がゲートに到着すると、千歳はもう到着していた。
「あ、鎖神さん!」
 辰弥の姿を視認した千歳が手を振ってくる。
「お待たせ」
 足早に千歳に歩み寄り、辰弥は息を呑んだ。
 「仕事」の時の黒のジャケット姿とは違う、女性らしいワンピースを身に纏った千歳。年頃の女性らしくメイクもしているのだろう、ほんのり差したチークと派手すぎないルージュにどきりとする。
 対するこちらは特に余所行きの服装はしていない。洗いたてのジーンズに清潔感のあるジャケットという出で立ちである。一応は出かけるということで清潔感には気を使っていたがこれはもう少しまともな服装で来た方がよかったか、と考えてしまう。
「? どうしたんですか?」
「いや、君がそこまでおしゃれしてくるとは思わなかったから」
 しどろもどろに辰弥が答える。
 えー、と千歳が笑った。
「私だってオフの時くらいおしゃれしますよ。それに、『目いっぱいおめかしして行きます』って言いましたよ?」
 そうだった。千歳はそんなことを言っていた。
 しかし、それはちょっとした冗談だと思っていた。まさか、ここまで可愛らしく、派手過ぎずに着飾って来るとは。
 彼女の耳元でピアスがちらり、と揺れる。
 黒とシルバーを基調とした、モチーフ連結型のピアス。四角いシルバーのフレームが付いた黒い丸のプレートの下にシルバーのワイヤーで作られた球体、その下に差し色で赤いビーズがつながり、さらにその下には小さなパールを封じ込めたシルバーワイヤーのバネチャーム。
 ワンピースもモノトーン調で整えられているだけに、このピアスはよく映える。
 辰弥がピアスに目を取られていると、千歳はにこりとして髪をかき上げる仕草をした。
 彼女の手が当たったピアスが再びちらり、と揺れる。
「このピアス、気になりますか? つい最近、気になって衝動買いしちゃったんです」
「……へえ」
 アクセサリーに関してそこまで理解しているわけではないから辰弥はあいまいに頷いた。しかし、何故か心がざわつく。何かが「これ以上は踏み込むな」と警鐘を鳴らしているが、それが何なのかは分からない。
 そんな辰弥の考えをよそに、千歳が微笑む。
「……ちょっと鎖神さんっぽくないですか?」
「……え?」
 その瞬間、辰弥の心の中で違和感のピースがぱちりと嵌った。
 本能的に感じ取っていたのだろうか。「本来の自分を思い出す」と。
「この赤いパーツが金色だったら鎖神さんの眼の色みたいだな、って思ったんですけどこのカラーリングしかなくて。でもどうしても鎖神さんっぽくて、買っちゃいました」
「なんで……」
 ――何故、この組み合わせで俺だと思った?
 確かに辰弥の本来の瞳の色は深いあかだ。御神楽みかぐらに自分の生存を知られたくなくて、身に着けたトランス能力で黄金きんに変えているだけだ。
 千歳は知っているのか。自分の本来の姿を。
 千歳は気付いているのか。エルステの生存を。
 いや、そんなはずはない。ただ、「仕事」の時の黒装束と資料に書かれた「ピアノ線をメインウェポンにする」という項目、そして返り血の赤というイメージから「鎖神さんっぽい」と思っただけだ。
 いくら千歳がかつて「カタストロフ」に所属していた人間とはいえ、除籍されるくらいだからそんな上層部にも食い込んでいないだろうしそんな末端の人間が生物兵器LEBの存在を知っているはずがない。
 いつもの悪い癖で考えすぎただけだ。それに――「鎖神さんっぽくて買っちゃった」という言葉は辰弥の耳に心地よい響きがあった。
 俺と会うことを前提にして、わざわざ買ったのかという思いがそれまでの考えを吹き飛ばし、思わず苦笑する。
「わざわざ買ったの? 俺っぽいからって」
 一瞬は硬直したものの、すぐに口元に苦笑を浮かべて辰弥が訊ねる。
「ええ、デザインも素敵でしたし、似合うでしょう?」
 そう言って千歳が少し首を傾ける。ちらり、とピアスが揺れ、シルバーのパーツに街灯の光が当たる。
 「似合うでしょう?」という問いかけに、辰弥は頷いた。
 確かにこのピアスは千歳によく似合っている。自分に通じるものがあるからとわざわざ購入して、それを身に着けて自分に見せてくれるなんて、可愛い奴だ、とふと思う。
 ――可愛い奴?
 今、初めて千歳のことを可愛いと思った?
 いや、資料を見て顔写真を見た時にも何かしら感じたはずだ。何の興味も湧かなかったわけではない。だが――辰弥は今、はっきりと千歳が「可愛い」と認識した。
 どういうことだ、と自問する。
 千歳はただの「仕事」上の仲間だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 それなのにどうして、こうも、気になってしまうのだろう。
 彼女の一挙手一投足が辰弥の心をざわつかせる。
 この感覚は一体何なのだろう。
 少なくとも、無関心というわけではない。鏡介が聞けば「お前も人間に興味を持つようになったんだな」と喜んでくれるかもしれない。確かに辰弥は身近な人間以外に興味を持つことは一切なかった。上町府にいた頃も近所の御姉様方とは交流こそあったがそれはあくまでも生活の知恵を借りるだけで特別な感情を抱いたことはない。
 しかし、千歳に対しては。
 日翔にも、鏡介にも感じたことのない得体のしれない感情。ただ漠然と、「目の前で死なれたくないな」という思いが胸を締め付ける。いや、その考えは日翔と鏡介にも感じている。しかし、違うのだ。千歳に対してだけは、あの二人に対するのとはまた別の感情で「死なれたくない」と感じてしまっている。
 何だろう、この感情は。
 知りたいような、知りたくないような、そんな複雑な気持ちで千歳を見る。
「どうしました? 早く行きましょう。この辺のレストラン、結構人気があってこの時間帯だと結構待っちゃいますよ」
「え、あ、ああ、うん」
 千歳が辰弥の手を引く。
 なめらかでひんやりとした皮膚の感触に一瞬くらりとする。
 柔らかい。柔らかいのに、この手は銃を握り、人を殺す。
 それは辰弥も同じだ。人を殺す手で、千歳を守りたい、と思う。
 ――秋葉原を守りたい――?
 どうして、と辰弥は困惑した。片手でデザートホークを撃てるような腕力で、体術も心得ていて、守る必要もないような千歳に、どうしてそんなことを考える? と自分に言い聞かせる。むしろ、それは彼女にとって邪魔なのではないか、と。
 自分の思考に戸惑いながら、辰弥は千歳に手を引かれて近くのレストランに入った。
 席についてメニューを開くまで上の空で、何を注文したかも覚えていない。
 しかし、
「……どうしました、鎖神さん?」
 柔らかな千歳の声に辰弥は我に返った。
 目の前にはどうやら自分が注文したらしいハンバーグランチが。
「あ、ちょっと考え事してた」
 ごめん、と辰弥が素直に謝る。
「んー?」
 千歳が、悪戯を思いついたような顔で辰弥を見る。
「もしかして、私に惚れちゃいました?」
「な――」
 ぽろり、と辰弥の手からフォークが滑り、慌てて持ち直す。
「いきなり何を」
 普段は動揺を表に出さない辰弥が明らかに動揺している。
 「惚れちゃいました?」という質問、意味は理解できないのにどうしてここまで動揺するのか。
 惚れる? 俺が? 秋葉原に? そんなことがあるわけがない。その考えが真っ先に浮かぶ。それなら、どうして彼女のことを気に掛けてしまった? その答えが、分からない。
 ただ仲間として気に掛けただけだ、信用し始めただけだろう、と考え直す。
 しかし、出た言葉は違った。
「分からないな。俺、惚れるとかそういうの全然分からないから」
「やだなあ鎖神さん、本気にしちゃって。冗談ですよ」
 千歳が朗らかに笑う。その笑顔が眩しい。
「……少なくとも、俺は君のことは敵じゃないと思ってるよ」
 冗談か、とほっとしつつも辰弥は今度こそ正直に言葉を紡ぐ。
 そんな、当たり前じゃないですか、と千歳が答えた。
「私、仲間ですよ? まぁ……水城さんにはまだ信用されてないみたいですけど」
 ほんの少し拗ねたように千歳が言う。
「私だって少しでも皆さんの力になりたいって思ってるんです。もうちょっと信用してくれてもいいですよね?」
「そうだね」
 辰弥が同意する。
 鏡介は警戒しすぎだ。彼が極度の女性不信であることを差し引いても警戒度合いはかなり高い。
 彼としては千歳が「カタストロフ」に在籍していたという実績が引っかかるのだろうが、それは過去のことだ。今、気にする必要はない。
「……鏡介が、ごめん」
「鎖神さんが謝ることじゃないですよ。それに、私はずっとソロで活動していたんです。鎖神さんとチームが組めてすごく嬉しいんですよ」
 屈託のない千歳の笑顔。彼女の耳でピアスが揺れる。
 こんな彼女がどうして暗殺者になったのか、気になってしまう。
 しかしいくら仲間であっても、その過去に深入りしてはいけない。実際、深入りしてしまったから、抜け出せないところまで来てしまった。日翔も、鏡介も、辰弥の過去に触れてしまったから、上町府にいられなくなってしまったし、カグラ・コントラクターの特殊第四部隊に目を付けられた。
 今彼らがカグラ・コントラクターに拘束されたりしないのは、上町府から武陽都に移る際に国民情報IDを新たなものに偽造したからだ。
 もし上町府にいた時と同じIDを使用していればあっという間に発見、拘束されていただろう。その結果として三人の中で唯一正規のIDを持っていた日翔まで偽造IDに変わってしまったが本人は何も気にしていない。
 だから、辰弥は千歳には絶対踏み込まないし踏み込ませない、と誓っていた。それなのに千歳の過去が気になってしまう。
 いや、今はそんなことを考えてはいけない。それでも。
「俺も、補充されたのが君でよかった」
 そう、呟いていた。
 その言葉を聞いた千歳が嬉しそうに笑う。
「そう言って貰えて嬉しいです。私、歓迎されてないと思ってましたから」
「そんなことないよ。少なくとも、俺は……嬉しい」
「ありがとうございます。本当に、よかった」
 千歳も不安だったのだろう。チームに受け入れられていないのではという。
 辰弥としては初めから受け入れていたつもりだったが、今こうやって言葉にして彼女は安心したらしい。
 嬉しそうに笑い、辰弥を見る。
「私、頑張りますから」
「うん、よろしく」
 辰弥がハンバーグを口に運ぶ。肉汁が口の中に広がり、千歳が選んだ店は流石だな、と思う。同時にこの味付けはどうやっているのだろう、肉も合成肉や大豆ミートじゃないみたいだし、と思考が流れていく。
 辰弥が興味深そうに食べている様子を千歳がニコニコしながら見る。
「鎖神さん、お家では合成食なんですか? 珍しそうに食べてますけど」
「え? いや? 普通に食材買って俺が作ってるけど?」
 辰弥の返答に千歳が驚いたようなリアクションを見せる。
「え、鎖神さん料理できるんですか?」
「むしろ料理が趣味だよ」
 えええ、と反応する千歳のリアクション一つ一つがオーバーに見えて辰弥が苦笑する。
「さっきの天辻さんにご飯を用意する、というのもてっきり出来合いのものを見繕うってことだと思ってました。道理で一時間遅らせたわけですね」
 それなら納得だ、と千歳が頷く。
「でも、じゃあどうして珍しそうに食べてるんですか? 食材使ってるなら別に珍しいなんてことないでしょうに」
 千歳は辰弥の趣味が料理研究であることを知らない。常に安い食材でも最大限のうまみを引き出す方法を彼が研究しているとは思ってもいないだろう。
 それだけ、彼女も辰弥のことを知らないというわけだが、それは辰弥も同じだった。
 千歳のことは気になる。だが、踏み込んではいけない。
 それでも千歳の質問をはぐらかしたくなくて、辰弥は正直に答えた。
「ここのハンバーグ、すごくおいしいから。どういう味付け、どういう調理で作ってるのかなって。今度自分で作るときの参考にしたい」
「参考にしたい、って……もしかして、鎖神さんって本格的に料理されるんですか?」
「本格的かどうかは分からないけど最低限の労力で最大の味を引き出す方法はいつも考えてるよ」
 すごい、と千歳が感嘆の声を上げる。
「私も自分でご飯用意すること多いですけど、基本的にレシピ通りだし食材って結構高いから合成食で済ませることも多いし……鎖神さん、凄いですね」
「……日翔にはおいしいもの、食べてもらいたいから」
 できれば、これからも、ずっと。
 治験を受けさせて、ALSを克服して、それからも、ずっと。
 ちくり、と辰弥の胸が痛む。
 本当に、これでいいのだろうかと。日翔のALSは本当に克服できるのだろうかと。
 今回開発された治療薬が効かなかった場合、自分が絶望するのは目に見えている。それならいっそ今のうちに見捨ててしまった方が傷は浅いのではないだろうか。そんな思いがほんの一瞬胸を過る。
「天辻さんのこと、大切にされてるんですね」
 ぽつり、と千歳が呟く。
 それではっと我に返った辰弥がまぁね、とあいまいに頷く。
「一応は命の恩人だからさ。それなのに病気だなんて、笑っちゃうよ」
 そう言って力なく笑う。
「……だからさ、そう長く生きられないって言うなら、『その時』までは好きにしてもらいたいって思ってる。できれば、『その時』が何十年後にもなればいいなって思ってるけど」
「あと何回か依頼を受ければ完済でしたっけ?」
 どうやら千歳に送られた日翔のデータには借金のことも記載されていたらしい。
 うん、と辰弥が頷く。
「だからごめん、暫くは俺たちのわがままに君を付き合わせることになる」
「いいですよ」
 辰弥の予想に反して、千歳はあっさりと頷いた。
「ソロで受けるには重い依頼が多そうですけど、その分報酬はおいしいですから」
 そう言って最後の一口を口に運ぶ。
 それを飲み込んでから彼女は口を開いた。
「……でも、私、心配なんです」
「何が」
「鎖神さんが、天辻さんを庇って怪我しないかって」
 それは、と辰弥が呟く。
 日翔を庇って自分が傷を負ったところで大したことはない。LEBとして継戦能力を最大限発揮できるように設計されている。どのような傷であっても脳と心臓さえ無事ならやがて痕も残さず治癒してしまう。ノインの血を吸ってトランス能力をコピーした今では四肢の欠損ですらトランスの応用で修復できる。
 だから千歳の心配は心配に含まれるようなものではなかった。ただ、彼女に知られるわけにはいかないだけだ。
「……大丈夫だよ」
 そう、答えた辰弥の声はほんの少しだけ掠れていた。
「そんなヘマはしない」
「でも、」
「俺だって、鍛えてるからね」
 そう言って、笑う。
 千歳は以前自分が口にした言葉を利用して返答されたことで黙ってしまう。
 ほんの少しの沈黙。レストランのBGMが二人の間に流れた空気とは裏腹に明るさを演出している。
「とにかく、俺は大丈夫。日翔も借金が完済したら引退させるし、それもあと数回の話だ」
「……そうですね」
 千歳が頷く。
 それから、苦笑して辰弥を見た。
「ごめんなさい、湿っぽくなっちゃいましたね。話、変えましょうか」
「そうだね」
 こんな明るいレストランで湿っぽい話をしていても仕方がない。
 とはいえ、二人とも食事は終わっており、長居をする必要性もなかった。
「……それじゃ、この辺りを案内してもらおうかな」
「任せてください!」
 張り切った千歳が席を立ち――辰弥が手を伸ばした伝票を素早く奪い取る。
「あっ」
「ここは、奢らせてください」
 悪戯っ子のような笑みで千歳が伝票をひらひらと振る。
「なんだかんだ言ってお世話になってるのは私ですし、今日無理してきてもらってますからね、これくらいはさせてください」
「でも――」
「どうしても何かしたい、って言うなら何かおやつ作ってくださいよ。私、甘いもの大好きですから」
 そう言われてしまえば辰弥も俄然燃えるというものである。
 スイーツ作りは辰弥の料理スキルの中でも特に得意分野である。
 分かった、と辰弥は頷いた。
「リクエストある? 大抵のものなら作れるけど」
「わぁ、頼もしい! それなら、マカロン作ってください! 私、マカロン大好きなので」
 了解、と辰弥は頷いた。
 同時に思う。
 これは、またプライベートで会ってくれるということなのだろうか。
 会計に向かう千歳の背を追いながら、辰弥はほんの少し自分が期待していることに気が付いた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「ああ、辰弥、帰ったか。日翔はちゃんと飯食ってたぞ。今は『イヴ』の所に診察に行っている」
 食事のあと、たっぷりと佐々木野市の市街地周辺を案内してもらい、「仕事」の際の移動に使えそうな裏道なども頭に叩き込んだ辰弥が帰宅すると、リビングでコーヒーを飲んでいた鏡介が声をかけてきた。
「うん、ただいま。日翔がちゃんとご飯食べてたならよかった」
「秋葉原と出かけていたのか」
 日翔から聞いた、と鏡介が眉間に皺を寄せたまま訊いてくる。
「うん、お昼ごはん奢ってもらった」
 ジャケットをハンガーに掛け、部屋用の上着を羽織った辰弥が鏡介を見て苦笑する。
「眉間に皺寄せてると老けるよ」
「気にするな」
 おや、鏡介、機嫌が悪い、と辰弥はふと思った。
 彼の機嫌を損ねることをしたのだろうか、と考え、辰弥はふむ、と小さく頷く。
 恐らくは気に食わないのだ。辰弥が千歳と出かけたことに。
 そんなに秋葉原の事が気に食わない? 今日色々と案内してもらったけど結局おかしいところなんて何一つなかった、と思う辰弥に気づいたのだろう。鏡介がはぁ、とため息を一つ吐く。
「お前は秋葉原のことを信用しているのかもしれないが、俺はまだ信用してないからな」
「警戒しすぎだって。敵だったら道案内とかしてくれないって」
 実際、密かに殺すにはうってつけの路地裏や人通りが全くない横道なども案内された。もし千歳が辰弥を殺す気なら、そうでなくとも敵だと認識しているのなら既に殺しているかこういった場所は敢えて秘匿しておくはずだ。
 だから辰弥は「秋葉原は敵ではない」と認識したわけだが、鏡介はそれが面白くないらしい。
 あのな、とため息交じりに続ける。
「俺たちと出会った頃の自分を忘れたか? あの頃のお前は誰一人信用しようとせず、二人きりで行動しようともしなかっただろう。それがなんだ。出会ってまだ何週間も経っていない、どこの誰ともはっきりしてない奴と出かけて、飯を奢られて、人通りのない道を二人で歩いた、だと? 飯に毒が入っていたらどうするつもりだったんだ」
「あ、俺毒効かないから」
 入ってたら分かるけど第一世代LEBって対毒性能高いんだよね、などと嘯く辰弥に鏡介がもう一度ため息を吐く。
「効かなかったら効かなかったでお前が……いやなんでもない」
 売り言葉に買い言葉ではあったが、鏡介が何かを言いかけて口を閉ざす。
 辰弥の黄金きんの瞳が、す、と鏡介を捉える。
「言いたければはっきり言っていいよ? 『人間じゃないとバレる』って」
「それは……」
 今の辰弥が気にしている内容ではないということくらいは分かっている。だが、「その言葉」を口にしてしまうことでこの関係が崩れてしまう気がする。
 鏡介は言えなかった。「お前は人間ではない」と。
 辰弥は確かに遺伝子構造上は人間ではないだろう。だが、鏡介から見れば感情を持ち理性を持ち生きたいという意思を持っている辰弥は「人間」だった。
 むしろ、「師匠が拾ってくれなければ死んでいた身」だと自分に対する愛着が希薄な鏡介の方が「人間らしくない」だろう。辰弥がカグラ・コントラクターの特殊第四部隊トクヨンに拘束された際、救出劇の果てに右腕と左脚を失っても何の感傷も湧かなかったのだ、どれだけ自分のことを軽視しているかは自分も辰弥も、日翔も理解している。
「……鏡介、」
 表情を和らげ、辰弥が鏡介の名を呼ぶ。
「俺が人間じゃないのは事実だし今更『人間じゃない』と言われても気にしないよ。君が俺のことを心配してくれるのは分かる。だけどだからといって味方を疑ってばかりじゃ自分をすり減らすだけだよ」
「……辰弥……」
 近寄ってきた辰弥にそっと左手を伸ばす。
 ふに、と触れた辰弥の頬は少々体温が低いが温かく、やはり血の通った「人間」じゃないかと思わせる。
「……すまない」
「謝らないで。鏡介が謝ることじゃない」
 辰弥が薄く微笑む。
 謝罪を受け入れない、のではない。鏡介は謝罪しなければいけないようなことは何もしていない。
 むしろ謝るのはこちらだと辰弥は心の中で鏡介に呟く。
 鏡介の心配という好意を無視した。ほんの一瞬だが日翔を見捨てる可能性を考えた。
 何が辰弥の思考を誘導したかは分からない。それでも「三人で生きる」と三人で決めたことを捨てる可能性を一瞬でも考えた。
 裏切ったのはこっちだ、と辰弥は思う。だが、謝罪はしない。
 生きている限り、迷いがある限り、裏切りは誰しもあり得る。その裏切り全てを許さずにいたら神経がいくら太くても足りない。
 だから、もし日翔や鏡介が自分を切り捨てる決断をするならそれを受け入れるつもりだったしその逆もあり得ると思っていた。
 それが、信頼の形の一つだと思ったから。
 それでも。
 今は日翔も鏡介も信じている。それは揺るぎのない真実だった。
 確かに千歳という存在はノイズかもしれない。だがそれも日翔が治験を受け、回復すれば解消する。
 そう思うとほんの少し心が痛んだが、辰弥にはその理由が分からなかった。
「ああそうだ、依頼が来てるぞ」
 お前が出かけている間に連絡が来た、「サイバボーン・テクノロジー」も動きが早いな、と鏡介が続ける。
「もう来たんだ」
 ああ、と鏡介が頷いた。
「前回の仕事でテストは合格だったようだな。本格的に依頼を回したい、と」
 これで日翔の治験に一歩近づいた、と辰弥の心がほんの少し軽くなる。
 この調子で依頼を受け続けて、「サイバボーン・テクノロジー」に治療薬の専売権を獲得させることができれば。
 そう思ったところで、ふと、不安がよぎる。
 本当に、治験は受けられるのか。
 本当に、治療薬は日翔に効くのか。
 本当に――。
「……本当に、日翔は助けられるのかな」
 ぽつりと、辰弥はその不安を口にしてしまっていた。
 鏡介は何も答えない。
 それを、辰弥は回答とした。
「……鏡介も、分かってるんだ」
 治療薬が日翔に効かない可能性を。自分たちの今の行動が全て無駄になる可能性を。
 そうなった時の絶望の大きさを。
「……降りるなら、今の内だ」
 苦しそうに鏡介が言う。
 これ以上進めば、後戻りはできない。諦めるなら、今の内だと。
 だが、辰弥はかぶりを振った。
「……それでも、俺は日翔を助けたい」
 薬が効く効かないは考えたくない。ただ、日翔にはもっと生きてもらいたい。
 あと数回の依頼で日翔は借金を完済できる。そうなれば自由に生きればいい。治験を受けて、治療薬を投与して、回復して、そこからは――。
 暗殺者の道から足を洗ってもらいたい、と思うのは贅沢だろうか、と辰弥は考えた。
 元々はごく普通の一般人だった日翔。ALSさえなければ裏社会に足を踏み込むことはなかった。
 だから。だから日翔には。
「……日翔のためなら、俺は――」
「それ以上言うな」
 鏡介が止める。
「お前のその言葉は……最後まで聞きたくない」
 辰弥が何を言おうとしたのかくらい分かっている。だから、聞きたくない。
 それに、それでは意味がないのだ。
 日翔が助かったとして、それで辰弥がいなくなるのであれば本末転倒だ。
 三人が揃ってこその「グリム・リーパー」なのだ、誰一人欠けてはいけない。
 いや――少なくとも、辰弥と日翔の二人は健在でいてほしい。そのためなら。
 そう考えて、鏡介は苦笑した。
 俺も辰弥と同じことを考えているじゃないか、と。
「辰弥、お互い日翔のために死ねると言うな。三人揃っての『グリム・リーパー』だ」
 鏡介に諭され、辰弥も苦笑する。
「ごめん。考え過ぎた。……依頼の話、聞こうか」
 依頼の話が来るたびに日翔のことを考えていてはいつか破綻する。
 とりあえず今は日翔のことを考えず、依頼に集中したい。
 辰弥が促すと、鏡介もああ、と頷いた。
「詳しくは打ち合わせの時に話すが御神楽に殴り込みをかける」
「……そっか」
 御神楽は現時点でALS治療薬専売権獲得に最も近いところにいる。 今回「サイバボーン・テクノロジー」はその御神楽を突いて少しでも自社を優位に立たせようとしている。
 恐らくは自社勢力を使って全面的な戦争を仕掛ければ不利だから暗殺連盟アライアンスのようなフリーの戦力を使って極秘裏に破壊工作を仕掛ける、ということだろう。
 了解、と辰弥が頷く。
「まずは地道だけど実績を積もう。『サイバボーン』の依頼をこなしていけばきっと信頼も掴める」
「そうだな。今は実績のことだけを考えよう」
 そう言い、鏡介は立ち上がって一つ伸びをした。
「分かった。三日目夜日の打ち合わせ?」
「そうだな。後で全員に連絡する」
 うん、と頷く辰弥の横を通り過ぎ、鏡介が自室のドアに手をかける。
「……辰弥、あまり背負いすぎるな」
「それは鏡介も同じだよ」
 即座に返された辰弥の言葉に鏡介が苦笑する。
「……そうだな」
 それだけを言い残し、鏡介の姿は部屋の中へと消えて行った。

 

《それじゃあ、打ち合わせブリーフィングをはじめる》
 夜日の深夜、日付が変わる目前。
 鏡介の言葉に辰弥が意識を集中させる。
《今回の依頼も『サイバボーン・テクノロジー』からだ。どうやら『サイバボーン』内部で大きな動きがあって、その一連の仕事を『グリム・リーパー』指名で流してくれることになりそうだ》
《へえ、『サイバボーン』がねえ……》
 日翔が独りごちるように呟く。
《なんで『サイバボーン』がうちみたいな弱小チームご指名なんだ》
《アライアンスに継続して受けられる高報酬依頼を回してもらえないか頼んでいたが、前回の『サイバボーン』の依頼で気に入ってもらえたようだな。実際依頼人クライアントも『また依頼する』って言ってたしな》
 鏡介の言葉に日翔が「そうだった」と頷く。
(で、俺はさっきちらっと聞いたけど御神楽にカチコミかけるって?)
 いきなり御神楽に乗り込むような依頼ということで辰弥は少々疑心暗鬼になっていた。
 鏡介がただの冗談で無理難題を吹っ掛けられたと言っただけだと思いたかった。
 だが、鏡介はそんな冗談を言うような人間ではないし治験の席を確保する条件として「サイバボーン・テクノロジー」の新薬独占販売権の獲得がある。御神楽に殴り込みをかけるという依頼自体は事実なのだろう。
 ああ、と鏡介が頷く。
《今回の依頼は御神楽の中でも医療品を扱う『カグラ・メディスン』のオフィスに侵入、サーバ内のデータの破壊だ。まぁ……オフィスを一つ潰した程度では『カグラ・メディスン』に打撃を与えることはほとんどないから俺が辰弥経由でサーバに侵入、そこから本社サーバにウィルスを送る形になるな》
《支所のオフィスだったら本社にカチコミかけるよりは楽かー》
《でも、御神楽系列ですからね……警備も相当なものなんじゃ》
 日翔と千歳がそれぞれ呟く。
 そうだな、と鏡介も頷いた。
《以前、とある事情で御神楽の施設に侵入したことがあるが、俺でも感知できない未知のセキュリティが施されてあった。前回の『生命遺伝子研究所』もそうだ。全てのセキュリティはオフにしたはずなのにお前らの侵入は感知されていた》
(つまり、今回も感知されるだろう、と)
 ああ、と鏡介が再び頷く。
《侵入した中央演算システムメインフレームに存在するセキュリティは全てオフにした、という自信はある。だが、こうも侵入を察知されるとハッカー内で共有されていないセキュリティシステムが存在するか、そもそもメインフレームに頼らない未知のシステムが使用されているかのどちらかだ。前者なら俺の見落としという責任問題で済むが後者だとお前らが見つけ出さない限り対処できないかもしれない》
《水城さん程のハッカーでも見つけ出せないセキュリティなんてあるんですか?》
 深刻そうな面持ちで千歳が尋ねる。
 その瞬間、鏡介の眉間に皺が寄るが彼もそれに対してはイエスと答えるしかできなかった。
《ハッカーは常に新技術との戦いだからな。ハッカーのネットワークにも『御神楽には未知のセキュリティシステムが存在する』とは流しておいたが具体的にどのようなシステムなのかは皆目見当がつかない》
《じゃあ、戦闘は避けられないってわけか》
《ああ、あのオフィスにどれだけの警備が割かれるか、『カグラ・コントラクターカグコン』の部隊が投入されているか次第にもよるがな》
 今回も厳しい戦いになりそうだ、と辰弥は考えた。
 前回の「生命遺伝子研究所」への侵入が思いの外楽だったと思っていたところへの「カグラ・コントラクター」との戦闘である。同様のセキュリティシステムが「カグラ・メディスン」の支所オフィスに仕掛けられていないとは言い切れないだろう。むしろ侵入が察知されれば「カグラ・コントラクター」の部隊が駆けつけての戦闘になると考えた方がいい。
 そこに特殊第四部隊トクヨンが投入されればどうあがいても辰弥たちに勝ち目はない。辰弥としてもトクヨンとは二度と関わりたくないところなので投入は御免被りたいが御神楽財閥は世界最大規模の巨大複合企業メガコープ。どこの馬の骨とも分からぬ暗殺者グループ程度に最強の特殊部隊を送り込むこともないだろう。
 そう考えると投入されるのは前回と同じ、通常部隊だろう。それなら立ち回り次第ではまだ突破できる道はある。
《……まぁ、未知のセキュリティに関しては『サイバボーン』も把握しているところだろう。今回は潜入しての破壊工作ではなく、侵入して攻撃をかいくぐっての破壊工作だと明記されている》
《うわ、鉄砲玉じゃねえかそれ》
 日翔が非難の声を上げる。
 確かに今回の依頼は難易度が高いというよりも実行者の命を軽視しすぎている。「サイバボーン・テクノロジー」クライアントとしては期待はしていない、破壊工作が成功すればラッキー程度の認識しかないのだろう。実際に、御神楽の施設に侵入できたとしても破壊工作に至る前に自分たちが全滅する可能性もある。今回の依頼はそれほどに難易度が高すぎる。
 「サイバボーン・テクノロジー」は俺たちを使い潰す気だ、と辰弥も痛感した。少しでも長く、多くの依頼をしていきたいのであればこのような普通に命を落としかねない依頼を平気で持ってくるはずがない。
 結局、捨て駒に過ぎないのか、と辰弥は思う。自分たちの生死など興味がない、ただ仕事さえしてくれればそれでいい、という。
 それでも、辰弥はこの依頼を受諾するしかなかった。依頼を断るという選択肢は存在するが「存在する」だけで「選択できる」わけではない。これを断れば、日翔の治験の話もなかったことにされてしまう。
(分かった、受けよう)
《え、受けんのかよ!?!?
 分かってんのか、と日翔の声。
 肉声で聴きたかったが、彼が言葉を発しなくなってもうどれほど経過したのか。
 こうやってGNSでコミュニケーションはできるものの、時折寂しさがこみ上げてくる。
 いや、その声を取り戻すためにもこの依頼は受けなければいけない。
(分かってる、『サイバボーン・テクノロジー』が俺たちを使い潰そうとしていることくらい。だけど、この依頼を受ければ日翔の完済が少しでも近づく)
《辰弥……》
(大丈夫、もっとひどい修羅場を俺たちは越えてきたはずだ。今更御神楽にビビって引くなんてことできない)
 きっぱりと辰弥が意見する。
 今まで辰弥がここまで言い切ったことはあっただろうか。自分どころか仲間の命も顧みず、ただ報酬だけで危険を冒すような発言を、聞いた記憶がない。
 いったい何が辰弥をそこまで駆り立てる、と日翔は考えた。
 いくら自分の借金返済のためとはいえここまで無理をするようなことは今までなかった。
 過去に無理をしたことがあったとすればそれはノインとの戦いくらいだ。あの時は自分の限界を超えた兵器生成を行い、それでもなおノインに届かなかった。
 あの場に日翔がいなければ確実に殺されていた戦い。今回の依頼がそのレベルかどうかは分からないがそれでも困難を極めることは確実だろう。
 上町府にいた時ならそもそも回されないし回されたとしても拒否するような案件。
 どうして、と日翔の口が動く。
 俺の借金のためだけにそんな無理をするのか、と。
《辰弥、お前はそれでいいのかよ。俺のために無理する必要――》
《まあ、危険だから、という理由で依頼蹴っていてもアライアンスの信用は勝ち取れませんからね》
 不意に千歳が口を挟んだ。
 今まで黙って話を聞いていた彼女だが、思うところは色々とあったのだろうか。
《アライアンスによりいい依頼を回してもらおうと思えばそれこそ最初は無茶をするくらいがちょうどいいです。私だってソロの時は結構無茶してましたよ?》
《……それはそうだな》
 渋い顔で鏡介が頷く。
 実際のところは日翔を治験に参加させるために「サイバボーン・テクノロジー」に無理を言って依頼を回してもらっているところである。そのために鉄砲玉にされるのは仕方がない。
 しかし、千歳はそれを「グリム・リーパー」がアライアンスで信頼を勝ち取り、より楽な依頼を受けやすくするためと認識したらしい。それなら話は楽だ。
 鏡介は千歳にこの依頼を受けることを拒否するよう進言されるのではないかと危惧していた。だが、その逆で受けた方がいいと思っているのなら今後の話を進めやすい。
《だが、『サイバボーン』の鉄砲玉だぞ? 生きて帰れる保証なんて》
(日翔、)
 辰弥が日翔の言葉を遮る。
(秋葉原の言う通りだ。今はアライアンスの信頼を勝ち取るために動かなきゃいけない。それにこの依頼を蹴ることでアライアンスに『グリム・リーパー』はその程度かと思われたくない)
《それは……まぁ、そうだが……》
《とにかく、御神楽のセキュリティに関しては俺ももう少し調べておく。あの未知のセキュリティさえ把握できればかなり楽な仕事ではあるんだがな……》
 分かった、と辰弥が頷いた。
(指定はいつなの?)
《ああ、内容が内容だからしっかり準備してくれと一週間用意されている。俺は個別にアライアンスからハッキングの依頼を受けているしちょうどいいな、その間に調査も進めておこう》
 了解、と三人が頷く。
《それじゃあ、今回の打ち合わせはここまでだ。直前のブリーフィングは前巡に行う》
 鏡介が締め、日翔と千歳がログアウトする。
《……辰弥、》
 ログアウトしようとする辰弥を鏡介が呼び止める。
(何、)
《……いや、何でもない》
 「すまない」という言葉をぐっと飲み込み、鏡介は通話を切る。
 「日翔のためなら死ねる」と思っている辰弥と鏡介であったがより死に近いのは辰弥の方である。鏡介はただ一人安全なところでフォローするだけ。
 いや、GNSも利用したハッキングは防壁に引っかかった場合脳を焼かれる可能性もあるから必ずしも安全とは言えない。それでも、前線に立つ辰弥に比べれば。
 しかしここで謝罪したところで辰弥が必ず生還するとは限らないし彼も鏡介の謝罪を望んでいないだろう。
 だから、その言葉を飲み込んだ。
 通話を切った鏡介が椅子に体を預ける。
「……死ぬなよ」
 ぽつり、とそう呟いた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 一週間後、深夜。
 辰弥、日翔、千歳の三人が「カグラ・メディスン」佐々木野オフィスの傍の路地裏に集まっている。
 今回は戦闘が避けられない、と判断し全員フル装備という出で立ちでいる。
 手にはメインアームのアサルトライフル、もしくはサブマシンガン。太もものホルスターにはサブアームとしてハンドガン、普段の暗殺任務では邪魔になるからと身に着けない防弾ベストも今回は羽織ってきている。そのベストには予備のマガジンと数個のグレネード。
 ふぅ、と息を吐いて辰弥が意識を集中させる。
 オフィスの見取り図はGNSにインプット済み、いつでも呼び出せる。
 突入までまだ時間があるな、と辰弥はゲン担ぎにニュースチャンネルを開いた。
《――先日の『生命遺伝子研究所』の試験課研究主任の青山あおやま 直樹なおきさん殺害事件の続報です。捜査の結果、青山さんは『榎田えのきだ製薬』から贈賄を受けており、先日同社が開発成功したという筋萎縮性側索硬化症ALS治療薬の専売権の融通を行おうとしていたことが分かりました――》
 ――なるほど。
 ニュースキャスターの言葉に、辰弥が納得する。
 「サイバボーン・テクノロジー」はその情報を掴んでいたから研究主任の暗殺を計画した。
 たまたまそのタイミングで「グリム・リーパー」が仕事を回せと要求したのか、と考える。
 ただ、御神楽が謎のセキュリティで固めていたから暗殺依頼としては高難度のものになったしそれを踏まえての今回の襲撃だろう。
 「サイバボーン・テクノロジー」としても今回の破壊工作は極秘裏に行いたいはずだ。だが、御神楽に謎のセキュリティがある以上どうしても明るみに出てしまう。
 結局、鏡介は御神楽のセキュリティを突き止めることはできなかった。彼の持つあらゆる伝手と「カグラ・メディスン」表層サーバに取り付いての事前調査ではセキュリティについては何も分からなかった。
 できたのは監視カメラや赤外線センサーといった既知のセキュリティを全てオフにしたことくらい。これでオフィス内の警備程度は誤魔化せるだろうがどこに仕掛けてあるか分からない謎のセキュリティに反応した瞬間、「カグラ・コントラクター」が飛んでくるだろう。
 できれば戦闘はしたくない。どこで日翔が動けなくなるか分からない。
 ぎゅ、とPDWTWE P87を握る手に力が入る。
辰弥BB、緊張してんのか?》
 日翔がGNS越しに声をかけてくる。
「……多分。やっぱ『仕事』は緊張するから」
 緊張せずに暗殺などできるものか。
 それは日翔も分かっていたが、訊いてくるということはそのレベルを超えて緊張しているように見えたのだろう。
「……大丈夫、へまはしない」
「……時間です」
 千歳が軽機関銃TWE デカデを持ち直し、立ち上がる。
《しっかし、見た目細い女なのにゴツの使うよなあ……》
 千歳のTWE デカデを見た日翔がそうぼやく。
 TWE デカデ、一部では「分隊支援火器」にジャンル分けされることもある銃だが装填次第では総重量が一〇kgは超える。それを軽々と取り回す彼女に日翔はそう言わざるを得なかった。
「鍛えてますから」
 お決まりの台詞で返し、千歳が笑う。
 辰弥と日翔も立ち上がり、互いを見た。
《作戦開始だ。お前ら、無茶はするなよ》
 鏡介の言葉に三人は頷き、走り出した。
 素早く裏口に回り、鏡介のロック解除を待って侵入する。
 鏡介が監視カメラの類はすべて無効化しているため、気を払うのは巡回している警備だけでいい。遅かれ早かれ未知のセキュリティに察知されるだろうが戦闘はなるべく後回しにした方がいい。
 廊下を駆け抜け、鏡介の指示に従って巡回を回避する。
 そうやって進むうちに三人はオフィスの中でも重要区画に相当するだろう、扉で仕切られた廊下の前に到達した。
 この先は恐らく目的のサーバルームの近く。扉を抜けた瞬間に例のセキュリティも発動するだろう。現時点で「カグラ・コントラクター」が来ないことを考えると十中八九そうだろう、と誰もが思う。
 辰弥が扉を開ける。瞬間、点灯する回転灯に鳴り響く警報。
 ここから「カグラ・コントラクター」が駆け付けるまで何分かかるだろうか。
 三人は赤い回転灯が回る廊下を駆け抜けた。
 サーバルームまではまだ距離がある。
 幸い、ルートは入り組んでいるため交戦になっても遮蔽は比較的取りやすそうではあるが御神楽の人海戦術に対抗するにはこちらはたった三人。
 そう思っているところで、通路の前後から複数の足音が響いてくる。
 ――挟まれた!?!?
 来るとすれば前方か、と思っていた辰弥は自分の判断の甘さに歯噛みした。
 後方から銃声と共に銃弾が飛来し、辰弥は咄嗟に携行遮蔽物ポータブルカバーを生成した。
 前方の角と後方のポータブルカバーで遮蔽を取り、三人はその陰に潜り込む。
 攻撃の切れ目を突いてポータブルカバーから頭を出し、アサルトライフルKH M4を連射しながら日翔が辰弥に個別回線を開いた。
《お前、血で生成したな!?!?
(こうでもしなきゃ、誰も助からない!)
 日翔に背を付ける形で反対側の兵士に銃を向けながら辰弥が答える。
「ポータブルカバー、持ってきてたんですか!?!?
 角の壁から身を乗り出し、TWEデカデを撃ちながら千歳も声を上げる。
「この可能性は想定してたからね!」
 今、交戦しているのは前後の二分隊といったところか。カグラ・コントラクターが侵入者に対して差し向ける戦力がたった二分隊だけとは思えず、急ぎこの場を離脱しなければ次々と増援が押し寄せてくるだろう。
 こちらも予備のマガジンを複数持っているとはいえ弾数が無限とは言えない。いや、辰弥が自身の血から弾薬を生成すればその分継続して戦闘は行えるが何も知らない千歳がいる手前、そんなことはできない。
 既にポータブルカバーを血で生成してしまっているが、この緊急時に千歳はまさか辰弥が生成したとは微塵も思っていないだろう。
 「カグラ・コントラクター」の兵士が千歳の張る弾幕で動きが鈍っているところを辰弥のP87の単射による精密射撃で確実に減らしているはずだが、次々と増援が来ているのだろう、数が減る気配がない。
 さらに敵のT4にマウントされたグレネードランチャーからグレネードが複数飛来し、ポータブルカバーを吹き飛ばす。
《ヤバいぞこれ!》
 辰弥がもう一つポータブルカバーを生成すればもうしばらくはもつかもしれないがそんなことをすれば千歳に辰弥が人間でないことは確実にバレる。しかしだからといって何もしないわけにはいかない。
 どうする、と考えるものの考えている時間もない。
 この際、後方の分隊は一旦考えるのをやめる。先へ進む必要があるのだからまず前方の分隊を蹴散らす必要性がある。
 ええい、と辰弥は腹をくくった。
 とりあえず見られなければいいのである、千歳の気を別のところに持っていかせて、その隙にトランスなりすれば。
「Snow、君の弾幕なら後の奴らの気を引ける、前後交代!」
「え?」
 辰弥の声を聞き取り切れなかったか、千歳が訊き返す。
「だからSnowは後の奴らを攻撃して! 前は俺とGeneでなんとかする!」
「え――は、はい!」
 即座に千歳が振り返る。後方から押し寄せる分隊をTWE デカデの弾幕が足止めする。
「Gene、フォローお願い!」
 そう言いながらも辰弥は角から身を乗り出し、右腕を防弾盾にトランスして弾丸を防ぎつつ前方の分隊へと突撃していた。
《ちょっ、BB!》
 慌てて日翔が援護する。
 辰弥の指示の意図はすぐに理解した。伊達に五年近く組んでいない、こういう時の辰弥はとんでもない無茶をする。
 日翔の援護とトランスした防弾盾で辰弥はあっという間に前方の分隊の中に飛び込んだ。
 相手も銃では近すぎるし味方への誤射フレンドリーファイアもあるとコンバットナイフを抜くが辰弥の盾がそれを阻む。
 だが、腕を義体にしている兵士が右腕から高周波で振動するブレードを展開し、辰弥の防弾盾に斬りかかると話は変わってくる。
「ぐっ」
 硬質化しているものの実際には腕そのものである防弾盾が切り裂かれ、辰弥は思わず低い呻き声をあげる。
 通常ならこれで腕を失った状態、とはいえ辰弥には血による生成とトランスを応用した再生能力がある、気にする必要はない。痛みは感じるがそれだけだ。
 即座に腕を再生、辰弥がほんの少し身を落とす。
 ――広がれ!
 意識を集中、両腕を無数の高炭素鋼ワイヤーピアノ線へとトランスさせる。
 相手は義体も使っているが生身の部分があるなら殺せない相手ではない。いくら「カグラ・コントラクター」に義体兵が多いと言ってもそれは腕や足を義体化した程度であって全身を義体にするほどの物好きはあの御神楽 久遠トクヨンの狂気をはじめとした一握り程度だろう。
 無数のピアノ線が周囲の兵士たちに襲い掛かる。
 痛みを感じる間などなかった。
 瞬時に生身部分を細切れにされ、兵士だったものは床に落ちる。
 トランスを解除し、辰弥はふぅ、と息を吐くもすぐに振り返り日翔と千歳に声をかける。
「今!」
 辰弥の合図とともに、三人は角の奥へ転がり込み、サーバルームへと向かう。
《BB、大丈夫か?》
 一部始終を見ていた日翔が辰弥を気遣う。
(大丈夫、欠損程度はトランスで再生できるし今は先に進むことが重要だ)
 階段を駆け上る。背後から追ってきた「カグラ・コントラクター」の兵士が発砲する。
 しんがりを走っていた辰弥の背に焼けつくような痛みが走る。
 被弾した、と瞬時に判断するが弾は防弾ベストに阻まれ、体内組織を傷つけるには至っていない。恐らくはプレートを貫通するにはしたが皮膚を少し穿った程度で止まったのだろう。
 それなら問題ない、と辰弥は階段を上り続ける。
 LEBの治癒能力は人間の比ではない。この程度の傷、数時間もすれば完治する。
 飛来する銃弾が腕や足を掠める。
 時折振り返り、応射しながら辰弥は先行する千歳と日翔を見た。
 それから眼下の階段をまとめて上ってくる「カグラ・コントラクター」の兵士を見る。
 いける、と辰弥は判断した。
 これくらいならまとめて吹き飛ばせる。しかしグレネード単発では心許ない。
 瞬時に判断して辰弥は指向性対人地雷を生成した。
 同時に腰に付けていたグレネードを一つ取り外し、ピンを抜く。
 二つ数えて三で兵士に向かって投擲、「グレネード!」という叫びの間にピアノ線を生成してワイヤートラップを作成、数段上り、踊り場の端で階下に向けて指向性対人地雷を設置。
 爆発音と爆炎に紛れ、辰弥は二人を追いかけた。
「今の爆発、なんですか!?!?
 追い付いた辰弥に千歳が尋ねる。
「グレネードを投げた。ついでにブービートラップも仕掛けてきた」
 直後響く爆発音と悲鳴。
「今の何ですか!?!?
 再び千歳が声を上げる。
「ブービートラップ、引っかかってくれたんだ」
「グレネードいくつ使ったんですか!?!?
「あ、地雷持ってきてたから使った」
《だから秋葉原Snowの前で力使ってんじゃねえ!!!!
 日翔からも個別通信が入る。
 うるさいなあ、と辰弥は二人を追い抜いて先頭に立った。
「とりあえず後ろは静かになったしこっちも打ち止めだよ、多分」
《その『多分』が信用ならねえ!》
 そんなやり取りをしながら、階段室を出る。
 階段室を出たところで三人は一斉射撃を受け、慌てて階段室に戻り、ドアの周りで遮蔽を取った。
「思ってたより、しつこいですね」
 応戦しながら千歳が唸る。
 千歳のTWE デカデはマガジンも使えるが今回は弾帯ベルトリンクで給弾している。そのため辰弥や日翔より装填間隔は長かったが連続しての発砲は銃身の過熱を引き起こす。彼女もそれは分かっていたからフルオートの弾幕は最低限にしていた。
「援護お願いします!」
 ベルトリンク一本分を撃ち切った千歳が階段室に身を隠す。
 それをフォローするように辰弥が身を乗り出し、フルオートで弾幕を張る。
 いつまでもここで足止めを食っているわけにはいかない。
 なんとかしてサーバルームに到達したい。
 そこで死んでしまえば元も子もないが、時間をかければかけるほど不利になるのが目に見えている状況で、早く前進したいと思うのは当然である。
 どうする、どうすればこの状況を切り抜けられる、と辰弥は自問した。
 手っ取り早いのは自分が盾をトランスして作成、突撃することだろう。
 しかし千歳の前でそれを行うのは彼女に「自分は人間ではない」ということをアピールする行為だしトランス自体かなりの体力を使う。
 実際、先日の「仕事」で戦術高エネルギーレーザー砲MTHELにトランスした時もかなり疲労した。千歳にバレないように気を使った、ということもあるがトランス能力をコピーする以前に武器を生成して貧血になった、というものとはまた違う不調が出る。
《どうするよ!》
 KH M4を連射しながら日翔が辰弥に指示を仰ぐ。
 特殊第四部隊トクヨンではないからHASHハッシュくらい効かないだろうか、と辰弥は一瞬考える。
(Rain、HASH送れない?)
《それはもう試行済みだ。やはりカグコンの通信に割り込むのは不可能だ》
 多くの巨大複合企業メガコープの武装勢力がGNSハッキングガイストハック対策としてグローバルネットワークではなく自社サーバを利用したローカルネットワークでの戦術データリンクを展開しているのはもはや常識である。しかし、鏡介はそのサーバに侵入してローカルネットワークを掌握することができる。
 だが、「カグラ・コントラクター」の戦術データリンクはそんな生ぬるいものではなかった。自社サーバを利用しているのは確かに同じだが、その自社サーバは超高性能の量子コンピュータを使用しており、データリンクもそこから各隊員個別に接続、隊員間の通信も量子コンピュータを介して行われる。
 ここでネックになるのが量子コンピュータだ。
 一般的に普及している、通常のノイマン型コンピュータは比較的侵入が容易で、その対策にファイアウォールやIntrusion Countermeasure ElectronicsI.C.E.、通称「アイス」によって守られている。しかし量子コンピュータはその構造の複雑さ、情報密度の高さ、暗号化の難解さによって通常のコンピュータでは侵入できない。そして量子コンピュータは一般には普及しておらず、メガコープクラスの大企業が使用している程度にとどまっている。当然、鏡介がハッキングに使うPCもハイエンドモデルではあるが従来型ノイマン型である。
 相手が「カグラ・コントラクター」とはいえ一般部隊であるならもしかして、と鏡介は最初の接敵でガイストハックを試みていた。その結果は予想通りの「ハッキング不可能」。
 未知のセキュリティに量子コンピュータを使用した戦術データリンク。いくら鏡介がウィザード級ハッカーであっても攻略はできない。
 己の無能さを鏡介は呪った。
 同時に思う。
 「俺も現場に出ていたら」と。
 「グリム・リーパー」を構成する四人のうち、義体化していると判明しているのはよりによって鏡介のみである。千歳は「生身ですよ?」と言っているがデザートホーク二丁拳銃をするほどの剛腕である。もしかすると事情があって義体であることを隠しているか日翔と同じように強化内骨格インナースケルトンを体内に入れているのかもしれない。
 それはさておき、鏡介は右腕を義体化した際、その義体に武装を一つ内蔵させていた。
 それが「カグラ・コントラクター」も主要兵装として使っている、反作用式擬似防御障壁ホログラフィックバリア。コマンドギアとかいう、スーツ状の強化外骨格スケルトンに似た兵器に搭載されていたホログラフィックバリア。辰弥救出作戦の際、右腕を失うきっかけとなったコマンドギア強奪で鏡介はそれを入手していた。
 そんなホログラフィックバリアが内蔵された右腕だが、現場に出なければ宝の持ち腐れである。鏡介本人もそれは理解しているし、現場に立つこともやぶさかではないと考えていたが、千歳の加入により「現場に出る人間が増えすぎるのは望ましくない」と結局後方支援でとどまっている。
 しかし、相手が「カグラ・コントラクター」だと鏡介はあまりにも無力。安全圏で高みの見物を決め込むしかない。
 せめて日翔がALS克服のためにも義体化すると言ってくれていれば、ホログラフィックバリアを譲ることも考えたのに当の日翔は「絶対に人工循環液ホワイトブラッドは身体に入れない」と義体化を拒否している。
 そもそも日翔が義体化してくれればこんな危険な依頼は受けなかったし、治験の席を獲得しようと躍起になることもなかった。その点では、全ての責任は日翔にあると言ってもいいだろう。
 とはいえ、日翔のせいにしたからといって事態が好転するわけではない。何ができる、と鏡介がキーボードに指を走らせる。オフィス内の設備を確認、使えるものがないか目を光らせる。
 ――消火設備はスプリンクラーではなくガス式か。
 サーバルームが近いからだろう、火災が発生してもサーバへの被害が最低限で済むようにガスによる窒息効果で消火を行う設備が設置されている。
 しかし、迂闊にこれを作動させれば辰弥たちまで窒息してしまう。
 だがこれを使わない手はない。うまくいけば「カグラ・コントラクター」の動きを鈍らせることができる。
 そう判断した鏡介の提案は早かった。
《BB、酸素マスク生成できるか?》
 鏡介からの個別回線に、辰弥がえっと声を上げる。
(できるけど、どういうこと)
 鏡介から生成の指示が出るのは珍しい、いや、初めてではないだろうか。
 千歳に知られるのを嫌がって極力生成するな、と言っている鏡介が、なぜ。
《そこの消火設備はガス式だ。うまく使えばカグコンの連中を窒息させることができる》
 すまない、と鏡介が謝罪する。
《お前を危険にさらし、負担をかけることになるが――こうでもしないとここは切り抜けられない》
 お前の聴覚情報で増援らしき足音も確認している、と言う鏡介に辰弥は分かった、と頷きかけ――。
「ちょっと待って、何かおかしい!」
 思わず声を上げた。
 なんだ、と日翔と千歳、そして通信先の鏡介が声を上げる。
 直後、目の前の「カグラ・コントラクター」の兵士が数人倒れ、他の兵士も何事かと振り返る。
 「挟まれた!?!?」「他にもいたのか!?!?」という声に、その場にいた三人は自分たち以外の侵入者の存在に気が付いた。
 「カグラ・コントラクター」の兵士を睨む辰弥の視界の奥で数人が駆け抜けるのが見える。視界を共有していた鏡介もそれを視認し、即座に解析に掛けた。
 一瞬、同士討ちフレンドリーファイアか、と考えるも「カグラ・コントラクター」がそんな愚を犯すほど中途半端な組織ではないと考え直す。
 やはり、自分たち以外に侵入者がいる。
 未知のセキュリティで侵入自体は察知しているはずだが、先に侵入した辰弥たちに気を取られすぎたのか。
 いずれにせよ、もう一組? の侵入者の存在で「カグラ・コントラクター」の動きが乱れた。
 辰弥が飛び出し、連携が乱れた兵士たちの中に突っ込む。
 やる気だ、と日翔が咄嗟に千歳を階段室の壁に押し付ける。
「何するんですか!」
《お前は見るな!》
 もがく千歳の耳に空気を切り裂く音、びちゃびちゃと何か水っぽいものが落ちる音、そして硬いものが床に落ちる音が届く。
 何が、と千歳は強引に日翔を押しのけた。
 想像以上の腕力に日翔が一瞬怯み、彼女がドアから顔をのぞかせることを許してしまう。
 千歳が覗いた時、全ては終わっていた。
 生身の人間と義体兵が混ざっていたのだろう、鮮血と人工循環液ホワイトブラッドの返り血を浴びた辰弥がそこにゆらりと立っている。
 その周りには肉片とガラクタの山が築かれている。
 ぽたり、と辰弥の前髪から、指先から血が滴り床の血だまりに波紋を起こす。
「――ッ」
 千歳は息を呑んだ。
 一体、何をすればこんなことが起こるのか。実際には先程も似たような惨状を見たばかりだが、先程は急いで通り過ぎたためその衝撃は少なかった。しかし、今、目の前でその惨状を見るとそう感じずにはいられない。
 武器らしきものは見当たらない。日翔も覗き込むがピアノ線が落ちているということもなく、血液の消費を抑えるために再度両手をピアノ線にトランスし、鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュを発動したのだろうと推測する。
《大丈夫か!》
 日翔が声をかける。うん、と辰弥が頷く。
「今の内に急ごう、すぐ増援も来るはずだ」
 ああ、と日翔が頷く。
「……何やったんですか」
 呆然と、千歳が辰弥に歩み寄り、尋ねた。
「何……って、突撃しただけだけど」
「突撃したって、一瞬で、こんなに粉々にして、どうやったらそんな芸当ができるんですか」
 気になるのだろう、食い下がる千歳。
《そこまでにしとけ。今は先に進む方が重要だ》
 日翔が千歳の肩に手を置く。握力が制御できていないのか千歳が痛そうに日翔を見る。
「……分かりました」
 納得できなかったが、今は自分を納得させるしかない。
 千歳が小さく頷き、TWE デカデを持ち直して歩き始める。
 辰弥も歩き出し、日翔も二人を追いかけ始めた。
《BB、さっきの奴ら、どう思う》
 鏡介から連絡が入る。
(どう、って)
 どうもこうもしない。自分たちに侵入者がいただけだろう。
 そう答えると、鏡介は「違う」と返してきた。
《今回の依頼、俺たちの単独チームだったはずだ。他に侵入者があるはずがない》
(言われてみれば確かに)
 今回、「サイバボーン・テクノロジー」から応援を寄こすとは一言も言われていなかった。それに、応援であるなら自分たちに何かしらの接触があるはずなのに何も言わずにただ邪魔な分を排除して勝手にどこかに走り去ってしまった。
 そう考えると、アライアンスが受けた他の依頼とブッキングしたのだろうか。それとも、同じ施設襲撃ならと同日程に調整されたのだろうか。
 いずれにせよ、今回はもう一組の侵入者に助けられた。
 目的が同じならぶつかることもあり得るがこちらも向こうに干渉するつもりはない。ただ依頼通りサーバルームに向かうだけだ
《しかし……。あいつら、妙に統率がとれていたな》
 ふと、鏡介が呟く。
(どういうこと?)
《お前は気付かなかったか? お前の視界から見たあいつらの動きは統率がとれていた。どこかの組織で訓練されていたみたいにな。アライアンス所属のチームでは連携はとれても統率がとれるレベルに息が合うなんてことはそうそうないぞ》
(なるほど)
 それだけ新たな侵入者は訓練されたチームだった、ということか。
 これは千歳の加入で息がぴったりとは言い切れない自分たちだと苦戦するかもな、と思いつつ辰弥は鏡介が提示したルートを駆け抜け、サーバルームに侵入する。
「Rain、入ったよ」
 日翔と千歳が出入口を固めたのを確認し、辰弥がサーバルームの制御端末に近づいた。
《よし、無線子機アダプタを接続してくれ。侵入する》
 了解、と辰弥がポーチからアダプタを取り出し、制御端末のポートに差し込む。
 ここからは鏡介の戦場、少し休憩だと辰弥も日翔と千歳の傍に戻る。
「今のところ、増援はなさそうだね」
「そうですね、『カグラ・コントラクター』の意識はさっきの別チームに向いたようです」
 遠くから銃声が聞こえ、「カグラ・コントラクター」と別の侵入者が戦闘していることが伺える。
 本当に一息吐けそうだ、と思った瞬間、辰弥の体がぐらりと傾いた。
 倒れそうになるところを膝をつくだけでなんとか耐え、荒い息を吐く。
《BB!?!?
 日翔が辰弥に手を伸ばす。
《貧血か!?!?
「いや、違う……」
 片手を頭に当て、辰弥が首を振る。
 この症状は貧血ではない。今まで感じたことのない、痛みの一歩手前のような感覚が全身を走る。
「大丈夫ですか?」
 千歳も辰弥の肩に手を置いて尋ねる。
「……うん、大丈夫」
 息を整え、辰弥は立ち上がった。
 妙な感覚は一過性のものだったのだろう、視界の揺らぎもすぐに消える。
 念のために両手を握ったり開いたりして感覚を確認し、問題ないと判断した辰弥は二人にごめん、と謝った。
「……疲れてるのかも。帰ったらちゃんと休むよ」
「そうしてください」
 千歳が床に置いたTWE デカデを拾う。
《貧血じゃないって言うが……なんで》
 辰弥が貧血以外で不調になったのは初めてだった。普段はかなり気を張って、倒れるなら帰りの道中でということが多い辰弥が「仕事中」に倒れるのはよほどの事態である。
 何かあるのか、と日翔は考えた。しかし人間とは体のつくりが違う辰弥の不調を考えたとしても何が原因かなど、いくら考えても分からない。
 そう日翔が悩んでいるうちに、鏡介から「終わった」と連絡が入る。
《こっちの作業に集中していたから状況が把握できていないが――辰弥が倒れたのか?》
《ああ、ちょっとふらついた程度だがな。Rain、分かるか?》
 GNS経由で辰弥と日翔のバイタルが確認できるようにしていた鏡介、日翔の言葉に即座に数分前のログを確認する。
 確かにバイタルに乱れが生じている。とはいえ、致命的な乱れでもなく、今は全て正常に戻っている。
《これを見た限りでは何とも言えないな。一応、『イヴ』には共有しておく》
 あとは帰るだけだ。離脱できそうか? と鏡介が確認する。
「できそうもなにも、離脱するしかないんだけどね」
 離脱できなければ死ぬだけである。なんとしても離脱する、そう意気込むが「カグラ・コントラクター」の意識の大半がもう一組に向いているのであれば離脱は容易だろう。
「行こう、こんなところからさっさと帰るに限る」
 制御端末からアダプタを引き抜き、辰弥が二人に声をかける。
 分かりました、と千歳が頷き、日翔もKH M4を抱えて部屋の外の様子を窺う。
 廊下は静かだった。「カグラ・コントラクター」がもう一組の侵入者に気を取られているのか自分たちをもう一組と誤認しているのかは分からない。いずれにせよ、この程度の施設の制圧に配置する一般部隊のレベルは少々低いのかもしれない。
 尤も、最強と言われる「特殊第四部隊トクヨン」と比べて、ではあるが。
 トクヨンは駄目だ、強すぎる。構成員の大半が義体兵であり、その義体もかなりの出力と防御力を誇っている。まともに敵に回して勝てるような相手ではない。
 辰弥救出作戦で誰も死ななかったのはいくつもの幸運が重なっただけである。次敵対した時は誰かが離脱することは覚悟した方がいいかもしれない。
 今回の侵入、いくら自分たちともう一組の侵入者がいたとはいえいきなりトクヨンを投入してくることはないだろう。それならさっさと離脱するに限る。
 侵入した時と同じルートは使わない。見取り図から鏡介が算出した離脱ルートが視界にオーバーレイされる。
 三人で通路を駆け抜ける。別の通路から銃声が響き、そちらを見るともう一組の侵入者と交戦しているところだった。「カグラ・コントラクター」に負けず劣らずの統率の取れた動きで立ち回り、戦況は楽観的に見て五分五分といったところか。
 ここに増援が入れば侵入者側があっという間に不利な状況になるだろうがアライアンスと無関係、いや、今回の依頼に協力者がいないと言われている以上下手に介入して事態を複雑にする気はない。
 千歳がちら、と気にするようなそぶりを見せたがそれは「一度は助けられたのだから助けた方がいいのだろうか」という意思表示と判断、辰弥が「行くよ」と声をかけて駆け抜ける。
 仲間でなければ介入する必要はない。下手に介入して敵対しても無駄に疲弊するだけだ。
 それなら最初から介入せず、放置しておいた方がいい。
 通路を駆け抜け、外に出る。
 ほっとするのも束の間、外に出た瞬間、銃声が響く。
 咄嗟に辰弥は二個目のポータブルカバーを展開した。
「何個持ってきてるんですか!?!?
 そう叫びつつも千歳がポータブルカバーに身を隠し、TWE デカデを構える。
「今そんなこと言ってる場合じゃないよね!?!?
 辰弥も物陰に身を隠し、応戦する。
「増援と鉢合わせしたのか!」
 日翔だけがまだ建物に残っており、ドアの影からKH M4を連射する。
「逃走する侵入者と遭遇、応援求む!」
 そんな声が聞こえてくる。
 まずい、と辰弥は声の主と思しき兵士に発砲、頭を撃ち抜くが通信自体は行われている。データリンクから位置情報も割れているだろうし建物内の突入部隊がすぐに引き返してくるだろう。
 そう考えている間にも装輪装甲輸送車が敵部隊の後方に到着し、そこから兵士を吐き出し始める。
 どうする、短期決戦で仕留めなければ離脱できない、と考え、自分の体調を確認する。
 ――鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ行けるか――?
 この時点でそれなりに血液を消費している。先の鮮血の幻影はトランスで行ったので血液の消費はないが今使うとなるとトランスではなく以前の血液消費になる。トランスで行えば千歳に確実に目撃されるからだ。
 まだ、血液消費でピアノ線を生成しての方が「隠し持っていた」で押し切れるため秘匿性は高い。問題は自分が鮮血の幻影の血液消費量に耐えられるかどうかだ。
 ポータブルカバーを生成していなければ使えただろう。だがポータブルカバーを二回生成した今、既に貧血の症状は出始めている。
「Gene、後で回収よろしく!」
 考えるよりも動け、と辰弥は声を上げた。
 えっ、と日翔が唇を動かす。その声くらいは出るのか、日翔の口から声が漏れる。
 遮蔽に使っていた物陰から、辰弥は生成したグレネードを兵士たちに向けて投擲した。
 こん、と音を立てて兵士たちの足元にグレネードが落ちる。
「グレネード!」
 兵士の一人が叫ぶ。辰弥が遮蔽物から飛び出す。
「BBさん!?!?
 千歳が声を上げるも、辰弥はそれに構わない。走りながら、意識を集中させる。
 ――もっと細く
 グレネードに備えて防弾盾を構える兵士。
 その真っただ中に、辰弥が飛び込む。
 グレネードが炸裂、金属片ではなくおびただしい量の煙をまき散らす。
 発煙弾スモークグレネードか、と誰もが思う。
 兵士が銃を構え直すが、濛々と立ち込める煙に誤射を恐れて発砲ができない。
 どこだ、と兵士が義眼のサーモグラフィを起動させた。
 だが、それは遅すぎた。
 次の瞬間、煙に混ざって鮮血とホワイトブラッドが飛び散る。
 煙を突き破って血飛沫が地面に広がる。
 何が起こった、と兵士たちに考える暇はなかった。
 どこだ、と思った時点で全ては終わっている。
 日翔と千歳も煙に包まれた状況で何が起こったのか一瞬理解できなかった。だが、日翔はすぐに理解する。
 辰弥がもう一度鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュを使ったのだ。
 煙が引き裂かれ、視界がクリアになっていく。
 そこに立っていたのは辰弥一人だった。地面に散らばるのは肉片と――義体の破片。装輪装甲輸送車までもがきれいに粉微塵になっていた。
 まさか、と日翔が呟く。
 辰弥はピアノ線による鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュではなく、その上位スキルとなる単分子ワイヤーモノワイヤー亡霊の幻影ファントム・ミラージュを使ったのか。
 確かに、鮮血の幻影よりは亡霊の幻影の方が血液コストは低いしモノワイヤーという特性上細断できないものはない。ただ、そのデメリットとして発動にどうしても時間がかかるというものだったがそれを移動とスモークグレネードの中という状況でクリアしてしまったのだろう。
 怖い人と千歳はふと思った。オフの時の幼さを全く感じさせない、冷静で冷徹な殺人鬼。あらゆる状況を覆す不可解な行動。
 暗殺者として生まれるべくして生まれたような辰弥に、「敵に回したくない」とつくづく思う。同時に味方として配置されて良かった、とも思う。
 アライアンスの依頼はブッキング次第ではチーム同士の潰し合いも発生する。基本的にはそうならないよう調整されるがアライアンスが懲罰も兼ねて意図的にブッキングさせることもある。千歳自身に懲罰されるような覚えはなかったが万一そのようなことになっていれば生きてはいないだろう。
「……Gene、Snow、帰ろう」
 ゆらり、と辰弥が揺れる。直後、その場にできた血だまりに倒れ込む。
《だから言わんこっちゃない!》
 日翔が駆け寄り、辰弥を担ぐ。
《Snow、撤退だ! これ以上増援が来る前に逃げるぞ!》
 「グリム・リーパー」最大戦力の辰弥が倒れた今、交戦はしたくない。
 日翔が全速力で走りだす。それに追従するように千歳も走る。
 路地裏を駆け抜け、人通りがない道を選び、車に戻る。
 千歳が運転性に収まり、日翔が辰弥と共に後部座席に収まる。
《出してくれ!》
「はい!」
 千歳が車を発進させる。最初はマニュアル運転で追跡がないことを確認するまで移動し、そこから自動運転に切り替え国道に入る。
 往来の激しい国道に出たことで日翔はほっと息を吐いた。
「……鎖神さん、大丈夫なんですか?」
 運転席から後部座席を、日翔に抱きかかえられるようにして意識を失っている辰弥を見て千歳が尋ねる。
《貧血だな。たぶん、輸血が必要だ》
「輸血が必要って……鎖神さん、血液系の病気を……?」
《まぁそんなところだ》
 日翔の回答に千歳が黙り込む。
 そりゃあ、病気の人間が二人もチームにいたら何も言えなくなるか、と日翔が納得し、それから辰弥の頬を軽く叩く。
《辰弥、大丈夫か?》
「……ん……」
 日翔に頬を叩かれて辰弥がうっすらと目を開ける。
「……ごめん、ちょっと無理した」
 そう言って体を起こそうとする辰弥を日翔が「帰るまでは寝てろ」と制止する。
《……ったく、無茶しやがって》
 そこまで行ってから、日翔は辰弥に個別回線を開いた。
《秋葉原にはまだバレてないとは思うが、気を付けろよ》
「……うん」
《あと、『イヴ』は呼んでおく。よかったな、武陽都に『イヴ』が来て》
 輸血パックの調達はとても重要な課題であった。それがなぎさが来たことでクリアされたのは辰弥たちにとって大きい。
 窓の外に視線を投げ、流れる景色を見ながら日翔は自分がいなくなったら辰弥はどうするんだろう、と考えた。
 あの時、日翔が回収できる状況だったから辰弥は無理をしたのだろうが、いなくなればそんなこともできなくなる。千歳が怪力であったとしても辰弥を抱えて逃げるような真似はさせたくない。
(……やっぱ、死にたくないな)
 覚悟は決めていたつもりだが、ふとそう思う。
 辰弥を遺して逝きたくないな、と思うもののだからといって義体に変えることはどうしてもできない。
 ホワイトブラッドだけはどうしても受け入れられない。あんな穢れた血を入れるくらいなら死んだ方がマシだという思いはある。
 辰弥と共に生きることとホワイトブラッドを身体に入れないことを天秤にかけて、まだホワイトブラッドを避けたいという方向に気持ちは傾いている。
 何が俺をそう駆り立てるんだろうか、と思ったもののその答えは既に出ている。
 両親が、特に母親がホワイトブラッドは穢れた血だと言っていたから。赤い血を流してこそ人間は気高く生きていけるのだと母親が言っていたから。
 今は亡き母親の言葉は大切にしたい。その思いだけで日翔は覚悟を決めたしそれを貫きたいと考えている。
 自分が、まだ「人間である」と思いたいがために。
 それが「人間ではない」辰弥を否定しているとは気づくこともなく。
 ただ無言で、日翔は窓の外の風景を、徐々に明けていく空を眺めていた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 帰宅後、鏡介が前もって渚に手配してくれたおかげで輸血パックを早々と受け取ることができた辰弥は休息と輸血を行った。
 そのため依頼終了後の反省会デブリーフィングは翌巡に回す。
 千歳も疲れていたからか、辰弥の体調を慮ってかそれに同意し、帰宅している。
《それじゃあ、反省会、するぞ》
 八時間丸一日を休息に費やし、翌日の太陽も高くなったところで鏡介が声をかけ、反省会が始まった。
依頼主クライアントには連絡済みだ。とりあえずは任務完遂、ご苦労、とのことだ》
《結局御神楽のセキュリティはなんも分からなかったのか……》
 日翔がぼやく。鏡介が「すまない」と謝罪する。
《通常のコンピュータを使っていないことは確かだ。せめて量子コンピュータによる監視なのか、それともアナログ的監視なのかさえ分かればな……》
 今後も御神楽が絡んでくる案件で立ちふさがるだろう壁に、全員が一度沈黙する。
 鏡介が何一つ分からないと言っているのだ、セキュリティの端末の類ですら見つけられていない他のメンバーが口を挟めることではない。
《ところで辰弥、お前倒れたようだが大丈夫なのか?》
 考えていても埒が明かない、と思ったのだろう、鏡介が話を変える。
(ただの貧血だよ。ちょっとやりすぎた)
《違う、その前だ。お前が貧血で倒れるのはいつものことだがバイタルがそれ以外で倒れたと判定している》
 倒れた、といっても膝をついた程度だが日翔がいつ倒れるか分からない状態で辰弥まで倒れるのは放置しておけない。
《『イヴ』に診てもらえ》
(そんな、疲れただけだって)
 辰弥が反論する。医者に診てもらうのだって無料ではないのだ、自分が少し膝をついた程度で診察してもらっていればいくら貯金があったところで足りやしない。
 いや、診てもらうんだ、と鏡介がやや強い語気で言う。
《疲れただけ、というのはただの素人判断だ。それに現場で日翔が倒れた場合フォローできるのはお前だけだ。せめてお前だけは万全の状態であってほしい》
(……そこまで言うなら)
 渋々、といった様子で辰弥が頷く。
 実際のところ、辰弥はあの時何故倒れたか分からなかった。突然物凄い疲労感と痛みの前触れのような感覚に身体の力が抜けた、ということしか分からない。
 疲れていたのか、と辰弥は考えていたが、実は何かあるのか。
 自分は人間ではない。LEBだ。人間が罹患するような病気にはかかりにくいと思っていたが罹患してしまったのか、それともLEB特有の何かしらの症状が現れたのか。
 まさか、と辰弥が呟く。
 LEBに関して自分も全て知っているわけではない。エルステ第一号と呼ばれていた「原初」のLEBである自分がいつまで生きられるかも分かっていない。
 もしかすると、LEBとしての寿命が近づいているのではないか、そんな予感めいた者すら感じてしまう。
 そして兵器として製造されたのだ。確かに兵器は長く使えるに越したことはないだろうが辰弥は実験体、早い段階で寿命を迎えることになってもおかしくない。
 もちろん、ただの杞憂かもしれない。実際はヒトと同じ寿命を持っており、今はただ少し疲れや引っ越しのストレスで体調を崩しただけなのかもしれない。
 何一つ分からないのだ。だから、鏡介も「『イヴ』に診てもらえ」と言っているのだろう。
 分かった、と辰弥は頷いた。
 ならよろしい、と鏡介がデブリーフィングを再開する。
《ああそうだ、もう一組の侵入者についても調べてみた》
 辰弥たちが切り抜けるきっかけとなったもう一組の侵入者。
 そういえばそんなのいたな、と思い出しつつ何か分かったの、と訊く。
《ああ、どうやらあいつらは『榎田製薬』からの差し金らしい》
(『榎田製薬』の)
 ああ、と鏡介が頷く。
《『榎田製薬』からの依頼を受け、破壊工作に出たのだろう。ターゲットこそは違ったが『榎田製薬』も御神楽を妨害したい、と考えていたのは同じようだな。それもアライアンスじゃない、『カタストロフ』だ》
(『カタストロフ』が)
 何度も聞いた名前に目眩がする。アライアンスとは別の、完全に組織化された世界規模の暗殺者集団、「カタストロフ」。
 暗殺者集団なのだから当然、依頼は受けるだろう。それが偶然、同じ日に同じ場所でブッキングしただけだ。
 「榎田製薬」の差し金だとしたら介入していれば敵対した可能性が非常に高い。自分たちは「サイバボーン・テクノロジー」に付いている、目的は同じであっても手を組む理由がない。
 しかし「カタストロフ」が動いたとは。
 「カタストロフ」は一つの組織ではあるがいくつもの派閥に分かれているだろう。組織が一枚岩でないのは世の常だから、想像に過ぎないとはいえ予想はできる。
 そんな「カタストロフ」だがそう表立って動くことはないし「カタストロフ」で断られたからアライアンスに依頼が流れてきた、ということもよくある話だ。そう考えると「カタストロフ」は自身のイデオロギーに則した依頼しか受けない、と思えてくる。
 その「カタストロフ」が依頼を受けたのだ。恐らく「榎田製薬」に賛同したのだろう。
 今後、ALS治療薬独占販売権周りでの依頼を受ける際、「カタストロフ」と接触することも考えた方がいい。
 敵は御神楽だけではない。御神楽ほどではないにせよ強大な力を持つ「カタストロフ」に「グリム・リーパー」は立ち向かえるのか。
 敵は万全で、こちらはいつ戦えなくなるか分からない日翔と謎の不調を発現した辰弥を抱えた状態。
 あまりにも不利な状況に、辰弥はただ苦笑して天を仰ぐしかできなかった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

エルステ観察レポート

 

 『カグラ・メディスン』支社に突入し、警備を務めるカグラ・コントラクターと交戦。
 カグラ・コントラクターとの交戦が想定されるにも関わらず、単に突入して行き当たりばったりで戦うという計画の杜撰さにも関わらず、「グリム・リーパー」の面々が今回生還できたのは、完全にエルステの貢献によるものである。
 エルステは今回の戦闘ではトランスのみならず、血による生成も使用。その特性を遺憾なく発揮し、場面場面に合致した装備を使い分け、「グリム・リーパー」を勝利に導いた。
 特筆すべきは、二度に渡るピアノ線による広域粉砕攻撃、通称「鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ」の使用であろう。かつては一度使用するたびに極度の貧血に陥っていたとのことだったが、トランスを用いることによって、二度に渡って使用してなお、ごく僅かな不調のみであった。
 また、特殊第四部隊と交戦時に使用したと報告されていた、モノワイヤーによる広域粉砕攻撃、通称「亡霊の幻影ファントム・ミラージュ」の使用も確認出来た。一度のみの偶然ではなく、意図的に使用できるものと思われる。
 ただし、発動時にスモークグレネードによる時間稼ぎを行っていたため、「鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュ」より発動に時間がかかるという欠点があるものと思われる。モノワイヤーを生成するのに過度の集中が求められるためだろうか。
 なお、この時はトランスではなく血による生成で実行していた。トランスでは扱えないのか、まだエルステがLEBであるという真実を知らないチームメンバーであるチトセ・アキハバラに配慮した結果かは不明。

 

――― ――

 

to be continued……

第4章へ

Topへ戻る

 


 

おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと り:ばーす 第3章
「げてもの☆り:ばーす」

 

作中で千歳が身に着けていたピアス
作:やまち.S様(@yamachi_s_)

 


 

「Vanishing Point Re: Birth 第3章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
FANBOX
OFUSE
クロスフォリオ

 


 

「いいね」と思ったらtweet! そのままのツイートでもするとしないでは作者のやる気に大きな差が出ます。

 マシュマロで感想を送る この作品に投げ銭する