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Vanishing Point Re: Birth 第1章

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  序 Re: Start Point -再出発点-

 

 ――日翔あきとが倒れた。
 その事実が辰弥たつやの胸を締め付ける。
 日翔が筋萎縮性側索硬化症ALSで、それによる筋力の低下を抑えるために強化内骨格インナースケルトンを導入しているのは知っている。しかし、インナースケルトンを導入したからと言ってALS自体が克服されるわけでもなく、症状は徐々に進行していくのは明白。
 今回、引っ越しの疲れで症状が一時的に悪化したのだろうとは思う。実際、全身の力が入らず急激に倒れたがすぐに身体を起こし何事もなかったかのように振舞おうとしているが指先の細かい動きは難しく、さらに構音障害も出始めたのか発音が不明瞭となっている。
 そこで、武陽都ぶようと暗殺連盟アライアンスに話を付けて手配していた闇医者を呼び、カルテの引継ぎをはじめとして現状の確認を行おうとした……のだが。
 インターホンが鳴り、鏡介きょうすけが応答する。
 その声に驚きの色が含まれていることに辰弥が疑問符を浮かべる。
「喜べ辰弥、日翔。心強い味方だ」
 そんなことを言いながら鏡介が玄関に出て医者を迎え入れる。
 入ってきたのは白衣を着た女性。
「はーい、何日ぶりかしらー?」
 テンション高く入ってきた彼女に、辰弥が黄金きんの目を見開いた。
「……八谷やたに……?」
「うげ、『イヴ』……?」
 入ってきた女性――「イヴ」こと八谷やたに なぎさはにっこりと笑んで見せた。
「そうそう、今日からわたしも武陽都所属になったからー! まさか配属初日に日翔くんに呼ばれるとは思ってなかったわよー」
 そんなことを言いながらてきぱきと鞄から聴診器を取り出す渚。
 辰弥がどうして、と訊ねる。
「えー、やっぱり日翔くんと鎖神くんのことが心配でね。流石に武陽都所属の医者もALSの治療ノウハウなんてないだろうし、LEBの秘密を知ってる人は少ないほうがいいだろうし、日翔くんの方で山崎やまざきさんに相談したら移籍していいって言うから、来ちゃった」
 てへぺろ、と舌を出しかねない雰囲気の渚に辰弥は心強さを覚えた。
 とても軽いノリで診察する渚だがその腕は確かで辰弥も何度助けられたことか。
 武陽都という慣れない地で慣れない医者にかかるよりは渚に診てもらったほうが心強い。まして、辰弥の輸血パックの確保は課題の一つだったところだ。
 それは日翔も同じだったようで、彼もなんだかんだ言いながらほっとしたような面持ちで渚を見ている。
「日翔くん、無茶しちゃって……」
 そう言いながら日翔の手を握って動きを確認した渚が辰弥と鏡介を見る。
「……席、外してくれない?」
「え――」
 渚の言葉に辰弥がたじろぐ。
「なんで、日翔の病気のことは俺だってもう――」
 俺に隠す必要なんて、と言う辰弥の肩に鏡介が手を置く。
「鏡介まで――」
「『イヴ』が席を外せと言う時は他には絶対聞かれたくない話をするときだ。恐らくは――」
 そこまで言って鏡介が目を伏せる。
「……分かった」
 鏡介の行動に辰弥も何かを察したか、渋々ではあるが立ち上がり、鏡介と共に一旦家を出る。
 二人が家を出たのを確認し、渚は改めて日翔を見た。
「あとどれくらいって言われたの」
 御神楽みかぐらの医療チームに、と渚が確認する。
 日翔が一度目を伏せ、それから唇を振るわせる。
「……あと、半年保てばいい方だって」
 その日翔の言葉は不明瞭だったが、渚は確かに聞き取った。
「……鎖神さがみくんには言わないの?」
 水城みずきくんは多分気づいてるんでしょうけど、と続けつつ渚が言うと日翔は苦笑して身体を起こした。
「ちょっと、まだ色々検査するから大人しくしてて」
「どうせ検査したところで良くなるわけでもねえだろ」
 そう毒づき、日翔がふう、と息を吐く。
「ちょっと待って――息、ちゃんとできてないんじゃないの!?!?
 渚も失念していた。
 日翔が現時点で健常者と同じように動けているのはインナースケルトンの補助があるからであって、それが関わって来ない部分は早い段階で症状が進行していることに。
 現時点で構音障害が顕在化しただけでなく、呼吸筋もかなり弱まっているのでは、と渚は判断した。
「日翔くん、もう暗殺はやめて延命に専念した方がいい。このままでは日翔くん――半年も保たずに、死ぬわよ」
 思わず渚の口から出た言葉。
 その言葉に日翔がはっとする。
 ――半年も、保たない。
 御神楽の医療チームに「半年保てばいい方」と言われた時にはまだ実感が湧いていなかった。
 半年あれば色々準備をして、「その時」が近づけば何も言わずに辰弥のもとを去って一人で死ねばいいと思っていた。
 しかし、その半年ですら、残されていないのか。
 そもそも医療チームの話も「無理はせず延命に専念すれば」という条件がついていた。
 それを今までと変わらず動いていれば、当然その分余命は短くなる。
 それは分かっていたはずなのに、日翔はまだ働こうとしていた。
 あと数回「仕事」をこなせば、借金は全て返済できるから。
「辰弥くんには言いなさい。保護者なんでしょ」
 渚の言葉が日翔に突き刺さる。
 それでも、日翔は首を横に振ってそれを拒絶する。
「……あいつには幸せになってもらいたいのに……俺のことで苦しめたくねーよ……」
 その日翔の言葉は弱々しいものだった。
「日翔くん……」
 渚も日翔の気持ちが分からないわけではなかった。
 辰弥を苦しめたくないから言えない、それは分かる。
 しかしその結果がより彼を苦しめることになるとは日翔も分かっているはずだ。
 それでも、日翔は打ち明けられない、と言う。
 ふぅ、と渚はため息を吐いた。
「……わたしは医者だから日翔くんが開示してと言わない限り二人にこのことは開示しない。だけど、日翔くんの口からちゃんと伝えることはお勧めするわ」
「……そのうち、な……」
 日翔が弱々しく呟く。
「……まだ、言えねーよ……あいつらに……辰弥になんて言えばいいか、分からねえ」
 震える手で弱々しく拳を握り、日翔が呻く。
「だから、なんとかしてくれよ」
「日翔くん……」
「『イヴ』ならできるだろ、俺がもう少し働けるように調整するくらい」
 せめて、ぎりぎりまではなんともないと二人に思わせておきたい。
 だが、渚はそれを首を振って否定する。
「医者をなんだと思ってるの。できないことはできないわよ。今のわたしにできることは現状をなるべく引き延ばすこと、そして言われた余命まで生きさせること。前と同じような状態にするなんて、魔法使いでもない限り、できない」
 はっきりと、渚は言い切った。
 これが他の患者であればもう少しオブラートに包んだ表現をしただろう。
 相手が日翔だから、湾曲表現では伝わらないからと渚ははっきり宣言した。
「だから仕事は辞めて延命に専念しなさい。鎖神くんも、きっとそれを望むはず」
「それができねえから頼むって言ってんだよ」
 日翔が渚の白衣を掴む。
 だがその手に力はなく、渚が腕を掴めばあっさり離れてしまう。
「もうやめて、日翔くん。わたしはいい、だけど二人をこれ以上苦しめないで」
「『イヴ』……」
 日翔が渚を呼ぶ。
 渚が首を振り、そっと日翔の手を握った。
「頼む、『イヴ』。ギリギリまでは、俺、頑張りたい」
「日翔くん……」
 聞き取りづらい日翔の言葉。
 そういうレベルで彼のALSは進行しているのに、まだ諦めないというのか。
 なるべくなら日翔の希望に沿いたいと考えていた渚だったが、それでも状況はあまりにも悪すぎる。
 それでも日翔が諦めないというのなら――。
「どうしても、と言うのならわたしは可能な限りあなたの要望に沿うようにはする。だけど――余命は保証できない。それでもいいの?」
 念の為に渚が確認する。
 日翔が頷く。
 分かった、と渚も頷いた。
「だったら――まず、電脳GNS入れなさい。発声に関してはもうどうすることもできないから仕事を円滑に進めるためにもGNSはどうしても必要。まずその条件が呑めないならわたしは二人に全部開示する」
 渚にできる最大限の譲歩。
 一瞬、日翔が渋るような顔を見せたがすぐに思い直し、頷いた。
「……分かった、GNSは入れる」
 オーケー、と渚は日翔の手を掴み、立ち上がらせる。
「二人には一過性のもの、とだけ伝えておくわ。ただし構音障害に関しては進行してるからGNS入れさせる、ということで」
「……すまん」
 日翔が謝る。
「謝らないで。調子狂うから」
 そう言ってから、渚は日翔の目を見る。
「……でも、暗殺連盟アライアンスには報告させてもらうわ。基本的に日翔くんが主戦力の『グリム・リーパー』なの。依頼の調整も必要だからそれだけは言うこと聞いてもらうわよ」
「……ああ」
 渚の言葉に、日翔は小さく頷いた。

 

 

  第1章 「Re: Verse -反転-」

 

「辰弥、暗殺連盟アライアンスから連絡があった」
 辰弥が食事の準備をしていると、鏡介がキッチンに乗り込んできてそう口にする。
「アライアンスが?」
「ああ、『グリム・リーパー』に補充要員を入れる、とのことだ」
 そう言った鏡介が苦々しそうな顔をする。
「……正直、俺だって戦える。だから俺とお前の二人で充分だ、とは断ったんだが、アライアンス側としては『天辻あまつじの借金はこちらが引き継いだ。この指示が呑めないようならその借金を一括で支払ってもらう』と言い出してな」
「……なんという無茶振り」
 上町府うえまちふのアライアンスは結構ゆるくやってくれていたんだな、と思いつつこれが本来のアライアンスの在り方か、と考える。
「まぁ、そう言われたら受け入れざるを得ないよね。で、誰が来るの」
 このマンションに住んでる人だったらある程度は挨拶済みだから分かるけどとぼやきつつ辰弥が言葉の続きを促す。
 実際、上町府もアライアンス所属の暗殺者の多くがまとめ役の山崎やまざき たけるが管理していたマンションをセーフハウスとして利用していた。
 それは武陽都ぶようとのアライアンスも同じだったようで、越してきた早いタイミングで三人は顔合わせを済ませている。
 中には単身ソロで活動しているメンバーもいたため、その中の誰かが補充されるというのだろうか。
「……プロフィールは送ってもらった」
 そう言いながら鏡介が辰弥にデータを転送する。
 転送されたデータを開き、辰弥はプロフィールを見た。
「……秋葉原あきはばら 千歳ちとせ……聞かない名前だね」
 視界に映し出されたプロフィールに目を通し、辰弥が呟く。
 それから写真を見て、彼はふーん、と呟く。
 そこに写っていたのは一人の女性。
 肩までかかる程度の黒髪の、まだあどけなさの残る少女と言ってもいい雰囲気の彼女。
「どうだ?」
「え? どうって」
 鏡介の言葉の意図が分からず、辰弥が首をかしげる。
「今ので何となく思ったんだが、お前、興味なければ初手で『別に』とか言うだろう。そう言わないというのがほんの少しだけ気になってな。まさか――」
 そこで一度言葉を切る鏡介。
 辰弥が言葉の続きを促す。
「一目惚れしたんじゃないか、とか」
「……は?」
 思いもよらなかった鏡介の言葉に辰弥が思わず声を上げる。
「まさか」
「俺が考えすぎだというなら悪かった。少しだけ、な……」
 一目惚れをしたわけではないが、この女性に何かしらの興味を持っているのは確かだろう。そう思いつつも鏡介はまぁ、と呟いた。
「今まで三人でやってきたのに一人追加されるから不安になっているのか? まあ、それは俺も同じだ。だが……慣れるしかないな」
 辰弥のその感覚を不安ととらえた鏡介がそう言って辰弥の頭にポンと手を置く。
「だから子供扱い――」
「七歳児が偉そうに言ってるんじゃない」
 そう言ってから、鏡介はさらに言葉を続ける。
「顔合わせは三日一巡後、その後手始めに一つ依頼を受けて欲しいとのことだ」
 全く、どうして俺がリーダーにならなきゃいけないんだと鏡介がぼやく。
 上町府にいた頃、「グリム・リーパー」は辰弥をリーダーとして活動していた。
 しかしあの「ノイン」との戦いで死んだとされる辰弥は上町府を出るまでその生存を秘匿することとなった。上町府のアライアンスに辰弥の生存を秘匿したほうがいいと判断した理由。それは、辰弥がカグラ・コントラクターに捕らえられた際の救出作戦でアライアンスのまとめ役、猛が裏社会の一大組織「カタストロフ」の協力を仰いだことにある。
 そして、その救出作戦は複数のPMCや反御神楽みかぐらを謳うレジスタンスも巻き込み、単純な費用としては億単位の金額が飛ぶこととなった。
 しかし「カタストロフ」はその費用のほとんどを請求せず、日翔と鏡介がIoLイオルに密航する際の費用と幾ばくかの武装支援の費用のみを請求した。
 そこに鏡介は疑問を覚えたのだ。
 猛は「カタストロフ」に辰弥の、いや、雪啼ノインというLEBの存在を示唆したのではないかと。そして「カタストロフ」はLocal Eraser BioweponLEBという存在に興味を持ったのではないのかと。
 雪啼を引き渡す、という契約は成されていなかったが「カタストロフ」は裏社会で暗躍する巨大な組織。血肉から武器弾薬を生成できる、義体でもないから義体チェックにも引っかからない、そんな存在が組織にいれば暗殺も破壊工作も思いのまま。
 それは辰弥エルステというLEBを有している「グリム・リーパー」だから分かっている。そしてその存在を表に出してはいけない、ということも。
 それがあるから辰弥の生存は上町府には秘匿していたし武陽都に移籍した時も辰弥は「素質のある人間を見つけたから面倒を見ることにした」ということで登録している。
 そういうこともあって現在の「グリム・リーパー」は鏡介をリーダーに据え、活動している。アライアンスにあてがわれたセーフハウスも鏡介の名義となっている。ALSの進行で余命宣告を受けている日翔では先がないからと三人で話し合った結果だ。
 アライアンスの補充要員の話も恐らくは日翔が遠からず戦力外になるから。実戦部隊として辰弥はいるがそれも新人扱い、鏡介は右腕と左脚を義体化したことで戦力として強化はされたがメインはハッキングであることを考えるともう一人くらいは実際に暗殺できる人間を送り込んだ方が確実なのだろう。
 ――いや、監視目的か。
 ふと、鏡介が考える。
 上町府での「グリム・リーパー」の活躍は武陽都のアライアンスにもある程度は伝わっているはず。それでも一人は新人、一人は戦力外寸前という現状も把握しているだろうし第一、アライアンス所属のフリーランスが移籍することは本来ならあり得ない。
 あり得るとしたらトラブルを起こして追放され、流れてきたという状況が大半なのでアライアンスも警戒しているのだろう。
 実際のところ、「グリム・リーパー」も御神楽に喧嘩を売ったという実績があるため警戒くらいはされて当然である。
「……まあ、新しい土地だから信用も実績もゼロだからね。日翔のこともあるしそりゃ不安もあるか」
 千歳のプロフィールを閉じ、辰弥が呟く。
「とりあえず、三日一巡後の顔合わせ次第だね」
「ああ、使える奴だといいが」
 そんなことを二人が話していると、
《お前ら何話してんだよ、『グリム・リーパー』の話だったら俺も混ぜろ》
 二人の電脳GNSに日翔の言葉が届く。
 と、同時に日翔がぬっ、とキッチンに顔を出してきた。
「ああ、日翔」
 辰弥が日翔に視線を投げる。
「調子は大丈夫なの?」
《ああ、今のところは》
 顔は出しているものの日翔は一言も言葉を発していない。
 引越ししてから、日翔が自分の口で音声を発することはなくなった。
 インナースケルトンで手足の筋力は補えても他の部分の筋力の衰えは補うことができない。
 引越し直後に倒れた日翔はその時点でまともに発声することはできなくなっていた。
 診察に来た渚の診断により、日翔は「怖いから」という理由でずっと導入していなかったGNSを漸く導入することとなった。
 それにより、会話は滞りなくできるようになったが日翔の肉声はもう聞くことができない。
 その時点で辰弥も鏡介も日翔には「もうお前は前線に立つな」と何度も説得されたがそれでも日翔は折れなかった。
「まだ大丈夫だ」と。
 しかし、「大丈夫」と言う人間に限って大丈夫ではないのが世の常で。
 日翔がこちらに顔を出したということは、と辰弥は小さくため息を吐いた。
「……こっちに来たってことは……」
 辰弥が調理の手を止めてリビングに移動する。
 テーブルの上には変形したハンドグリップがいくつも置かれていた。
 そのいずれもが日翔が握り潰したものであると分かっているのでため息すら出ない。
「……やっぱり、制御できない?」
《そうだな、強化内骨格インナースケルトンの出力調整がうまくいかねえ》
 日翔が裏社会で生きるきっかけとなったのが体内に埋め込まれたインナースケルトン。
 ALSの根本的治療にはならないが低下する筋力を補い、動くために日翔は裏社会の伝手を使ってインナースケルトンを埋め込まれていた。
 その出力調整が行われることなく日翔の両親は殺され、日翔本人も上町府を牛耳る反社組織の人間を殺害し、その結果アライアンスで暗殺者として生きることになってしまった。
 しかし、インナースケルトンはALSを克服するものではない。
 筋力の低下は遅らせることができたがそれでも症状は進行し、現時点では一見健常者と変わらない動きができているようでも細かい動きはできなくなっている。
 それだけではない。
 GNSの導入で今まで制御できなかった出力は調整できるようになったが、日翔がまだGNS自体に慣れていないためその出力の微調整がうまくできていない。そのため、今までと同じ感覚で手を出しては出された食器を握りつぶすことが日常茶飯事となってしまった。それを少しでも制御できるようにとリハビリとしてハンドグリップを使用していたが本来握力を付けるために使うハンドグリップが簡単に握りつぶされてしまうという状態になっている。
 握りつぶされた数々のハンドグリップに視線を投げてから、辰弥は背後に立つ日翔を見る。
「……やっぱり、もう無理しないほうが」
《何言ってんだ、俺はまだ大丈夫だよ。それに俺がいなかったらお前らまともに働けないだろ》
 やっぱり「グリム・リーパー」の最大戦力は俺だからと笑う日翔に辰弥の胸が潰れそうに痛む。
 そんなことはない、俺だって戦える、そう言いたかったがそれをぐっと飲み込む。
 日翔はもう長く生きられないことは分かっている。言葉が発せなくなった時点でいずれは呼吸もままならなくなり死んでしまうということは理解している。
 それを回避する唯一の方法が義体化。
 全身を義体にしてしまえば日翔のALSは克服できる。
 それは本人も分かっていることなのに、日翔はそれを頑なに拒絶した。
 「ホワイトブラッドを体に入れたくない」、ただそれだけの理由で。
 全身を義体にすれば当然その義体を維持するために体内に人工循環液ホワイトブラッドを入れることになる。
 今はいない日翔の両親がそれを忌避する反ホワイトブラッド派の人間だったことは本人から聞いている。
 両親の影響か、本人の意思なのかは分からないが日翔は誰が説得しても義体化を拒んだ。
 「ホワイトブラッドを入れるくらいなら死んだほうがマシだ」とまで言って。
「……」
 辰弥が苦しそうな視線を日翔に投げる。
 しかし日翔はそれに気づかなかったかのようなそぶりで手にしていたハンドグリップを握りつぶす。
《で、一体何を話してたんだ?》
 日翔の問いに、辰弥がああ、と頷く。
「『グリム・リーパー』に補充が入るって」
《マジか》
 別に俺だってと反論する日翔だが、それは鏡介が制止する。
「お前は戦力外寸前。辰弥は新人扱い。そして『グリム・リーパー』は武陽都では信用も実績もゼロ。補充要員くらい送られてくるだろう」
《そっか……》
 ほんの少し、しゅん、とした日翔の肩を鏡介が叩く。
「喜べ、補充要員は女だ」
《それ、喜ぶ要素ないんですけどー》
 それに鏡介は女が苦手なのに大丈夫なのかよ、と逆に指摘され、鏡介は苦笑した。
「……それな。正直、どうして女なのか俺も疑問に思っている」
「野郎三人の首輪にはちょうどいいと思ったんじゃない?」
 補充要員が女性だったことに特に疑問を抱いていない辰弥がそう言い、それから少しだけ考えるそぶりを見せる。
「……まぁ、依頼によっては女性の方が有利な場合もあるだろうし」
《今までは辰弥が女装して潜入してただろ。辰弥なら小柄だし女装しても違和感なかったから別に……》
 だから別に補充なんてなあとぼやく日翔を辰弥がじろりと見た。
「なんで俺の女装前提なの」
《可愛かったから》
 あっけらかんとした日翔の返答。
 辰弥が一瞬硬直する。
「……はぁ?」
 一瞬の沈黙の後に辰弥の口から洩れた言葉はかなり棘のあるものだった。
 その反応に日翔が慌てて辰弥を止める。
《辰弥! ストップ! ストップ!》
「落ち着けお前ら。それはそうと、三日一巡後に顔合わせだ、身だしなみくらいちゃんとしておけよ」
 鏡介が割り込み、二人を止める。
「……ったく……」
 憮然としている辰弥。女装はそんなにも嫌な思い出だったのか。
 一方で日翔は「まあいいや」などとぼやき、それから先の話はなかったかのように話題を変える。
《ところで今日の夕飯は何なんだ?》
「あ……」
 話題を変えた日翔に辰弥が声を上げる。
「……ドリアにしようと思ってる」
《そっか、今日も楽しみだな》
 日翔は気づいていない。
 辰弥がさりげなく食事のメニューを比較的飲み込みやすいものに切り替えていることに。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 三人が指定された喫茶店に入ると、新しいメンバーは既にまとめ役と共に待っている状態だった。
「遅れてすまない」
 鏡介が代表して二人に声をかけると二人が立ち上がり、三人を見る。
「ああ、来ましたか。資料にはもう目を通していますよね?」
 まとめ役がちら、と隣に立つ女性に視線を投げると、彼女は三人に向かってぺこりとお辞儀をした。
「秋葉原 千歳です。暗殺者名キラーネームは『Snowスノウ』、これからお世話になります」
 そう言って頭を上げ、女性――千歳が三人を順番に見る。
 鏡介、日翔、辰弥の順に見て――そして、千歳は辰弥に向かって微笑んで見せる。
「――っ、」
 千歳の笑みに辰弥が息を呑む。
 妖艶、とかそんなものではない。ただ普通に笑っただけなのに、今まで感じたことのない感覚を覚える。
 上町府にいたころも暗殺の隠れ蓑として女子高生が足しげく通うファンシーショップの店員をしていたし、それなりに人気もあったので女性と会話することも、笑いかけられることもよくあった。しかし、彼女たちに対してこんな感覚を覚えたことはない。
 どきり、と心臓が跳ね、辰弥はそれを気取られぬよう自分を抑える。
 資料を見た時に鏡介が「一目惚れか?」と言っていた。あり得ないとは思っていたが、なぜか彼女を前にしていると、その言葉を思い出し、彼女に対して平常心ではいられなくなってしまう。
「? どうかしましたか?」
 千歳が首を傾げる。
「……いや、なんでもない」
 千歳から目をそらすように顔を背け、辰弥が呟いた。
「資料でもう見ているだろうが俺が『グリム・リーパー』をまとめているRainレイン、こっちがGeneジーンだ。Bloody BlueBB、お前どうしたんだ」
 鏡介がざっくりとメンバーを紹介しつつも辰弥を見て声をかける。
「いや、本当に何でもない」
「なんでもなければ目を逸らしたりしないだろう。まさかお前――」
 本当に一目惚れか? と鏡介が一瞬考える。
 あり得ない話ではない。いくら生物兵器であったとしても人と同じ思考を持ち感情を持つのであれば好意というものくらい抱いてもおかしくない。
 それが一目惚れであっても、おかしくないのだ。
 しかし、当の辰弥は「違う」とそれを否定する。
「いや、そんなことは――」
Bloody Blueブラッディ・ブルーさん……資料では本名が鎖神さん、でしたよね? よろしくお願いします」
 辰弥が鏡介の後ろに隠れようとするところを見逃さず、千歳は彼の前に歩み寄り、その手を取った。
「っ――!」
 反射的に辰弥が振り払おうとする。
 しかし、千歳は流石暗殺者と言うべきかその手を振り払われることもなくしっかりと握り、辰弥に微笑みかける。
「そんな怖がらなくてもいいですよ。私、敵じゃないですよ」
 そんな千歳の様子に、鏡介は「あ、これはダメなやつだ」と思った。
 辰弥は良くも悪くも純粋である。確かに知識に関しては三人の中でも突出しているし暗殺技能も一番高いかもしれない。
 しかし、見た目は成人であったとしても実年齢は一桁だしその分経験というものも少ない。思考に関しては「ただのマセガキ」である。
 そんな辰弥が真っ当に成長するには千歳は刺激が強すぎる。
 今のところは悪い虫がつかないように牽制しておくか、と考え、鏡介は、
「それくらいにしておいてやれ。こいつは人見知りだ」
 そっと二人に割って入り、千歳を止めた。
「……あ、ごめんなさい! 私、つい……」
 鏡介に止められ、千歳が手を引っ込める。
 その動きが何故か計算されたものに見えて、鏡介はわずかに眉をしかめた。
 こいつ、まさか辰弥を狙っているのか? などと思いながら辰弥を見る。
 その当事者の辰弥はおどおどしたように自分の手を眺めていた。
《辰弥?》
 心配そうに日翔が辰弥を見る。
「大丈夫……。ちょっとびっくりしただけ」
 秋葉原の手、柔らかかったな、と辰弥がふと思い、それから首を振る。
 こんなことを考えている場合ではない。
 これからこの女性と共に依頼を進めていくことになる。
 実際、どこまで使えるかどうかは分からない。
 しかし、いずれ動けなくなるだろう日翔のことを考えると今のうちに千歳の実力は把握しておいた方がいい。
 ちょうどその実力チェックを兼ねた依頼も届いている。
 データチップを鏡介が受け取るのを見てから、辰弥はもう一度千歳を盗み見た。
 じっと辰弥を見ていた千歳と目が合う。
 にこり、と千歳が笑う。
「……」
 目を逸らし、辰弥はため息を吐いた。
 何故だろう、こんなに気になるのは。
「今回の依頼は指定したガレージで行われている取引の妨害。取引相手を殺害し、『商品』を回収、指定の場所に運ぶことです。詳しくはデータチップに登録してありますので四人で確認を」
 分かった、と鏡介が頷き千歳を見る。
「秋葉原、とりあえず、打ち合わせ用にGNSのアドレスを教えてくれ。打ち合わせ自体は三日目夜日の八時からだ」
 鏡介の言葉に千歳が頷き、三人にGNSアドレスを転送する。
 通知音と共に辰弥のGNSにも千歳のGNSアドレスが送られてきて、忘れないうちにアドレス帳に登録し、日翔たちと同様に自分のGNSアドレスを転送する。
「打ち合わせの件、分かりました。皆さんのお宅にお伺いすればよろしいのですか?」
 千歳の確認に、鏡介が「いや、」と首を振る。
「秘匿回線をつなぐから来る必要はない。それに夜日の深夜だ、出歩くのも危険だろう」
 鏡介としては千歳に家バレすることは別に脅威ではない。アライアンスのメンバー同士で家の出入りはよくある話である。
 彼が千歳に「来る必要はない」と言ったのは純粋に夜日の深夜帯に女性を一人で出歩かせるのは危険だし下手をすれば職務質問されかねないから。
 オンラインで打ち合わせをすることも盗聴の危険性は存在するが、基本的に鏡介が開いた秘匿回線で行うため千歳がスパイでもない限り、いや、スパイであったとしても鏡介が張った網にかからず情報を外部に漏らすことは不可能。
 分かりました、と千歳が頷く。
「では、今夜八時にお邪魔します」
 千歳がそう返答すると、まとめ役は「それなら」と四人を見る。
「私はここで失礼します。みなさんは親睦でも深めていただければ。ああ、今回の飲食は全て私にツケるよう話を付けているのでお気になさらず」
 そう言って、まとめ役がテーブルを離れていった。
「……それなら、お言葉に甘えて」
 そう言いながら鏡介が四人掛けのテーブルの席の一つに腰かけ、日翔がその隣に座る。
「え……」
 空いているのは千歳の隣だけで、辰弥が困惑する。
「どうしましたか?」
 まごついている辰弥に千歳が声をかけると、彼ははっとしたように残りの椅子に腰かける。
「ここのケーキセット、美味しいんですよ。払ってもらえるならお言葉に甘えて頼んじゃいましょう」
 千歳が楽しそうにそう言ってメニューを広げる。
「ああ、俺は義体の都合上生身用の食事はあまり摂らないことにしているからコーヒーだけでいい」
 真っ先に鏡介が答え、辰弥と日翔を見る。
 その彼の言動に辰弥は「警戒してる」と漠然と考えた。
 鏡介は内臓をほぼ全て義体化しているとはいえ生身用の食事も吸収できる機能は備えている。実際、少量ではあるが辰弥が作った食事も摂っている。
 流石に栄養素の吸収に関しては義体用のエナジーバーとゼリー飲料の方が効率がいいため辰弥の料理は味わう程度にとどめているといっても過言ではないが、出先では基本的に出されたものは口にする。
 それを早い段階で拒否しているということは千歳に対して何らかの警戒心を持っている、そう判断できた。
 ――まあ、鏡介女性苦手だもんな……。
 外見は三人の中でも一番女性好みする容姿をしている鏡介だが、幼いころからとんでもない毒婦に手玉に取られた経験でもあるのか極度の女性不信なところがある。恋愛なんてもってのほか、俺は一生独身で通す、と地で行っているような彼が上町府にいたころ隠れ蓑にしていたファンシーショップでどれほど苦い思いをしてきたかは辰弥もよく分かっている。
 だから、鏡介が千歳の提案を蹴ったのも無理な話ではない、と納得する。
《よっしゃ、俺はこの金魚鉢パフェとアイスコーヒーで》
「……日翔、よく食べるね……」
 うきうきしながらオーダーを決める日翔に辰弥が苦笑いする。
 ALSが言葉を発せないレベルまで進行しているとはいえインナースケルトンの補助はあるし嚥下障害はまだはっきりとは出ていない。今は食べたいと思うものを食べさせるのが一番いいだろう。
「……じゃ、俺はこの季節のケーキと紅茶を頼もうかな」
 辰弥もオーダーを決め、店員を呼んで注文する。
 届いたケーキを口にするが、隣に座った千歳のことが気になり、味は全く分からなかった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

《全員揃ったか? 打ち合わせするぞ》
 辰弥の聴覚に鏡介の言葉が届く。
 鏡介が開いた秘匿回線のグループ通話のメンバーが自分を含めて四人揃っていることを確認し、辰弥も頷く。
(いいよ。始めて)
 今までも打ち合わせは鏡介が主体で行われていたが今は「グリム・リーパー」のリーダーも鏡介である。下手に口出しする必要もない、と思い鏡介を待つ。
《今回の依頼は肩慣らしみたいなものとは言われているが佐々木野ささきの市内で横行しているとある物品の密売現場を押さえろ、というものだな。何が密売されているかは明かされていないが多分『それが何か』を探らないのもアライアンスとしてはチェックしておきたいのだろう》
《上町でもよくあったやつだな、対象だけ殺って後は深掘りしないって》
 日翔の言葉に鏡介がああ、と頷く。
《今回の密売現場には密売グループの中でも比較的重要ポジにいる奴が出張ってくるという情報が入っている。暗殺ターゲットだな。で、取引物品も強奪して指定場所に輸送しろとのことらしい》
(初手でなかなかハードな仕事もってくるね……)
 思わず辰弥がぼやく。
 上町府にいた頃も似たような依頼はしばしばあった。ただし、大抵は「ターゲットを暗殺する」か「別チームがターゲットを暗殺するから物品の輸送を行え」というどちらか一方のもの。いきなりその両方をやれとは穏やかな話ではない。
 よほど信用されていないのか、よそ者は排除したいという封鎖的な方針のアライアンスなのか、そんなことを考えながら「それでも受けるしかない」と考える。
 アライアンスの依頼はあまりにも理不尽だと思えば拒絶することもできる。しかし、今回ばかりは「内容が危険すぎる」と拒絶をすればアライアンスの「グリム・リーパー」に対する印象は下がるし「実力はそんなものか」と思われてしまう。
 それを避けるためにもこの依頼は受けざるを得なかった。
 鏡介もそれは思っていたようで、ため息交じりに「できるか?」と訊いてくる。
(できるもなにも受けるしかないでしょこれ)
《それはそうだな。日翔、お前も行けるか?》
《問題ないぜ。話、進めてくれ》
 日翔も頷き、千歳も「大丈夫です」と返してくる。
《それなら、話を進める。取引自体は九日三巡後の二時、場所は――》
 鏡介がデータチップの資料を転送しながら確認していく。
《ただし、輸送ルートに関しては俺たちはまだ土地勘がない。一応交通状況や衛星写真からルートは割り出すが場合によってはお前らの判断に任せることになるかもしれない》
《大丈夫ですよ、この辺りは庭なのでナビはできます》
 懸念事項を口にした鏡介に、千歳がすかさず声を上げる。
《分かった、それならナビは秋葉原に任せる》
 一応事前にルートを作っておきたいから後で個チャに来てくれ、という鏡介の指示に秋葉原が頷く。
 その会話を聞きながら、辰弥は「案外使えるかもしれない」とふと思った。
 一応はアライアンスで、しかもソロで活動していた暗殺者である。普段の依頼がこのレベルでハードであるならこれくらいできなければこの社会では生きていけない。
 そう考えると千歳の実力は本物だろう。
 視界に映る千歳の顔をまじまじと見る。
 整った顔立ち。一般的には「可愛い」部類に入るのだろう。
 顔合わせの時は少々取り乱してしまったが、今こうやってみると特に胸がざわつくというほどではない。
 しかし、鏡介に言われた「一目惚れか?」という言葉を思い出すと妙に意識してしまう。
 これが一目惚れということなのか? それともただそう言われて慌てているだけか?
 それは分からなかったが、この秋葉原 千歳という女性に対して全くの無関心でないということは事実だった。
 鏡介の言う通り、全くの無関心であれば資料を見た時点で「で、使えるの?」とでも発言していただろう。
 千歳のどこに興味を持ったのかは分からない。
 もしかしたら興味というよりも新たなメンバーにほんの少しでも期待しているのかもしれない。
 それは分からなかったが、今こうやって千歳を見ていると考えることは色々ある。
(……死ななきゃいいけど)
 ふと、思考を回線に乗せてしまう。
《? どうした辰弥》
 細かいことを打ち合わせしていた鏡介が辰弥に訊く。
(え? あ、なんでもない)
 思考の切り替えができていなかったことで自分を内心で叱責し、辰弥は首を振った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 当日夜。
 久々の「仕事」に辰弥がGNSでニュースチャンネルを開く。
 上町府にいたころから「仕事」の開始前にニュースチャンネルを開き、最近の情勢を知ることで意識を仕事モードに切り替えていた。
 最後の方はニュースの大半がノインが起こした吸血殺人事件のものばかりだったが、吸血殺人が解決した今、流れてくるニュースは巨大複合企業メガコープ間の小規模な紛争や桜花政府のことばかり。
 とりあえずは平和になったのかな、と考えていたところで特集が入る。
《今日の特集はこちら。『桜花で頻発する失踪事件』です》
 ニュースキャスターの声に、辰弥が「またか」と呟く。
 御神楽のお膝元で世界全体を見ても治安が良い方な桜花国内であっても、事件の類が途切れることはない。そのなかでも失踪事件は特に深刻なものとして扱われるが解決することはめったにない。その大半が悪質なメガコープによる生身にこだわる富裕層向けの臓器密売や他国への労働力としての人身売買のための事件だからである。
 常勝不敗とされるカグラ・コントラクター擁する御神楽も全ての悪質なメガコープを滅ぼすには至っていない。
 だからこの特集も「気を付けないと生死関係なく売られてしまうよ」という警鐘で報道されているのだろう。
 ほんと、物騒な国だよと思いつつ辰弥は時計を見てニュースチャンネルを閉じる。
《準備はいいか?》
 自宅で後方支援を担当する鏡介Rainから通信が入る。
(問題ない、いつでもいけるよ)
《ああ、大丈夫だ》
《問題ありません》
 日翔Gene千歳Snowも返答し、鏡介が頷く。
《今回は秋葉原の動きを見ることにもなる。お前ら、女の前だからってイイカッコするなよ》
 そんな言葉が飛んでくる。
《なんでぇー、俺がそんなことするような奴に見えるかー》
(見える)
 日翔の反論を肯定で返し、辰弥Bloody Blueが愛用のハンドガンTWE Two-tWo-threEを構える。
 辰弥の隣で同じく自分のハンドガンネリ39Rを構えていた日翔が辰弥を見て抗議する。
《ひでぇ》
《お前ら、痴話喧嘩は家でやれ。さっさと始めるぞ》
 冷静な鏡介のツッコミ。その瞬間、辰弥と日翔が姿勢を正す。
(ごめん)
《へーい》
《仲、いいんですね》
 辰弥、日翔の横に控えていた千歳がクスリと笑う。
(……とにかく、こっちの準備はできてる。いつでもいけるよ)
 千歳の反応に一瞬硬直した辰弥だったが、すぐに気を取り直して鏡介に返す。
《気を付けろよ。今までよりはハードな内容だ。特にGene、お前は無理するな》
 日翔の体調を考えると無理はさせられない。しかし彼の性格を考えると必ず突っ走る。
 一応は辰弥が同行しているし千歳もいるから余計な真似はしないだろうが、それでも忠告しておくに越したことはない。
 今まではどちらかというと辰弥に対して言うことの多かった言葉だったし辰弥もまた自分の出自に負い目を感じているからか時折命を軽視した行動を取る。
 それを止めるのが鏡介の役割の一つであったが、そこに日翔の無理を止めるというものも入り、鏡介は三人に気づかれないようにため息を吐いた。
 日翔は自分の命を軽視することはあまりなかったが無茶はする。特に辰弥のこととなれば突っ走ることもあるから気を付けなければいけない。
 最悪、日翔のGNSをハッキングして強化内骨格インナースケルトンの出力をオフにして辰弥に回収させるか、とまで考えている。
 共有された辰弥の視界に映る日翔を見る。
 三人が身を隠していた物陰を飛び出し、密売現場へと駆けだす。
 暫く進んだところで散開し、それぞれが配置に付く。
 路地裏に、アタッシュケースを手にした複数の男が現れ、反対側からも同じようにアタッシュケースを手にした男たちが現れる。
 顔を合わせた男たちは辰弥たちの存在に気づくことなく取引を始める。
 まず、片方の男がアタッシュケースを開き中身を相手に見せる。
《何だありゃ》
 物陰から様子を窺っていた日翔が首をかしげる。
(義体のパーツのようだけど――それを詮索するのは俺たちの仕事じゃない。何であったとしてもターゲットを排除して強奪するだけだ)
 そう言う辰弥も取引されている物品にいささかの興味を覚えたようだが深く気にすることなく取引の様子を眺めている。
 取引の物品を確認した反対側の男がアタッシュケースを開く。
 そこにはいくつかの金の延べ棒が。
(なるほど、刻印を潰して足が付かないようにしてるのか……確かに電子マネーだと追跡しやすいし通貨も取引によって価値変わるもんね……やっぱ貴金属が一番ものを言うのか……)
 アカシアこの世界では確かに通常の買い物では電子マネーや現金といった通貨が使用されるが政府よりもメガコープが力を付けた今、通貨というものは取引によって価値が変わる。通貨の発行は政府だけでなくメガコープも行っている。
 そうなるとどのメガコープについているかによって使用できる通貨もその価値も変わってくるというもの。人々は基本的にGNSやCCTを経由した両替機能付きの電子マネーで買い物を行うことになる。
 ちなみに、世界最大規模のメガコープが御神楽財閥であるため、当然そこが発行した通貨が世界で一番使い勝手がいい、ということは言うまでもないだろう。
 しかし、こういった闇取引で御神楽の通貨を使うのは危険すぎる。資金洗浄マネーロンダリングの手間を考えると貴金属、それも刻印を潰して追跡を逃れたものを使うのが裏社会の人間にとって一番安全な取引方法となる。
 慣れた話だ、と思いつつ辰弥がターゲットの動向を探る。
 物品の回収とターゲットの暗殺、ただターゲット一人を殺して終わる話でもない。
 なるべく周りの隙が大きい時、そして取引の決定的な瞬間に仕留める必要がある。
 互いのアタッシュケースの中身を確認した男たちが歩み寄る。
 アタッシュケースを交換した瞬間、三人は動いた。
 それぞれ隠れていた物陰から身を乗り出し、発砲。
 辰弥が放った弾丸がターゲットの頭を撃ち抜き、同時に日翔と千歳の弾も男の取り巻きを貫いていく。
「誰だ!?!?
 そんなベタな台詞を吐きながら銃を抜き、残りの男たちが銃弾が飛来したと思しき場所に向かって発砲する。
 辰弥が隠れていた遮蔽物に銃弾が跳弾し、明後日の方向に飛んでいく。
 射撃の切れ目を狙い、三人がそれぞれ応戦する。
 日翔と千歳が無理をしていないか気になり、辰弥がちら、と二人に視線を投げる。
 日翔は気になるが無理をすればどうなるかは分かっているのだろう。勝手に飛び出すこともなく遮蔽を利用して応戦している。むしろ以前は辰弥の方が飛び出すこともあり、それを日翔が止めていたことを考えると彼が飛び出すことはないだろう。
 一方で千歳も冷静に両手に構えた二丁のハンドガンで男たちを確実に排除している。
 その、彼女の手に握られた二丁のハンドガンを見た辰弥は思わず声を上げかけた。
 ――デザートホーク二丁!?!?
 デザートホークといえばハンドガンの中でも特に大型の、別名「ハンドキャノン」とも呼ばれる大口径のものである。その中でも特に大型の弾を使う.50AEに見える。
 大の男でも慣れていなければ肩を持っていかれると言われるデザートホーク、それも二丁拳銃ということで流石の辰弥も面食らった。
 日翔でもそんな無茶はしないぞと思いつつも、見ていると千歳はそれで肩を痛めることもなく涼しげな顔で連射し、敵を排除している。
 辰弥が呆気に取られている間に千歳は残りの男たちを排除し、こちらを向いた。
「終わりましたよ」
 GNSではなく肉声だが、それを聞くのは辰弥と日翔以外いない。
 辰弥が銃を下ろし、千歳を見る。
「秋葉原、それ……」
 女性がデザートホークを、それも二丁拳銃するというのがまだ信じられないらしい辰弥に千歳が笑う。
「これですか?」
「……よく、二丁持ちできるね」
 辰弥も二丁拳銃自体はできないこともない。反動の軽減のさせ方も心得ている。
 しかしデザートホーク二丁でやれと言われてできる自信はない。
 それは日翔も同じだったようで、「すげえな」と言いながら二人に歩み寄る。
 辰弥と日翔の反応に千歳がきょとんとした顔で二人を見るが、すぐに銃を両腰のホルスターに仕舞い、左腕を曲げて力こぶを作るようなポーズをとる。
「鍛えてますから」
 その辺の男には負けませんよ、と笑う千歳に辰弥の胸が締め付けられるように痛む。
 まるで「天辻さんなんていなくても依頼はこなせますよ」とでも言いたげな顔に違う、と内心首を振る。
 確かに日翔を依頼の現場に立たせるのは心が痛む。余命幾許もないのに命の危険にさらされるようなことばかりさせるわけにはいかない、と思っている。
 しかしそれとこれとは別の話だ。
 辰弥にとって日翔は「いなくてもいい」人間ではない。かけがえのない存在だということは彼自身が一番よく分かっている。
 しかし、千歳の言葉は日翔などいなくてもいいのだと言っているように感じてしまい、それは受け入れられない、と思う。
 実際はそんな意図など全くなく、「女だからって足手まといになると思わないで下さいよ」程度の反骨心なのかもしれない。そこに日翔の影がちらつくのは何故だろうか。
 いや、そんなことを考えていても仕方がない、と辰弥は日翔と千歳を見た。
「とりあえず品物を輸送しよう」
 地面に落ちた二つのアタッシュケースを辰弥と日翔が拾う。
「おっも。やっぱ金は重いな……」
 辰弥が「商品」のアタッシュケースを、日翔が金塊のアタッシュケースを運び、車に詰め込もうとする。
 しかし、それを鏡介が止める。
《待て。念のため発信機がついていないか確認したい……が、このメンバーでX線透視できる奴、いないな》
 X線透視可能な義眼にしていれば簡単に荷物に厄介なものが仕掛けられていないか確認できるが四人の中で唯一義眼にしているのが鏡介。そしてその鏡介は現在自宅で後方支援である。誰も透視で確認できない。
 あっ、と日翔が声を上げる。
 しかし、それに対して辰弥が「大丈夫」と答えた。
「こういうこともあるかと思って……持ってきた、携帯用のX線スキャナ」
 そう言って懐から小型のスキャナを取り出す。
「おい、辰弥……!」
 慌てたような日翔の声。
 無理もない。辰弥が「普通なら誰も持って来ないだろう」ものをどこからともなく取り出すのは「こうなることを想定していた」からではない。
 血肉から武器弾薬を生成できる能力を持つ生物兵器LEBとしての辰弥の能力。
 生成できるものは単純に武器弾薬だけではない。
 辰弥曰く「自分の知識の範囲が及ぶもの」なら血さえあればほぼ全て作り出せる。
 あの、上町府でノインと戦った時も辰弥は「周囲の血」からジェネレータを、自分の血から戦術高エネルギーレーザー砲MTHELを生成して攻撃する、といった離れ業をやってのけた。
 辰弥曰く「エネルギー兵器はエネルギー供給の問題があるから基本的には作っても意味がない」とのことで、今回も電力というエネルギーを使うX線透視スキャナを生成したとしても使えないのでは、と日翔は考えた。
《おい、バッテリーどうすんだよ》
 千歳には聞かれないよう、辰弥に個別回線を開いて日翔が訊ねる。
《ああ、これのバッテリーくらいなら手回し発電機でなんとかなりそうだから作った》
 辰弥の返答に目眩を覚える日翔。
 千歳にバレる可能性を考えなかったのか、という考えと無茶しやがってという考えがぐるぐると脳内を回る。
「手回し発電式ですか? 珍しいものを持ってるんですね」
 辰弥の手元を覗き込み、千歳が興味深そうに呟く。
 急に顔を近づけてきた千歳に一瞬ドキリとするものの辛うじて平静を取り繕い、辰弥は発電機を回し始めた。
《ほらー、やっぱり疑われてるぞ》
 日翔のそんなヤジが飛んでくる。
 しかしそんなことを言っていてもいい状況ではない。
 今回の取引に関わった人間を皆殺しにしているのである、どこかで取引をチェックしていた仲間がいる可能性を考えた方がいい。
 辰弥がアタッシュケースをスキャンして発信機の類がないかをチェック、見つけた気になる付属物は全て破壊する。
「多分、これで全部だと思う」
 そう言い、辰弥は日翔にも指示して二つのアタッシュケースを車まで運び込む。
 だが、車に乗り込む直前、辰弥は銃を抜いて振り返った。
「乗って!」
 そう言いながら辰弥は数発発砲、日翔と千歳が車に乗り込むのを確認して自分も飛び乗る。
 車に固いものが当たる音が響く。
《もう来たのか!?!?
 銃を抜いた日翔が後部座席で振り返る。
「多分、ターゲットを始末したタイミングで向こうも異常事態を察したんじゃないかな。近くで待機してたなら駆けつけるくらいすぐだろうし」
 助手席から身を乗り出し、辰弥が発砲。
 フロントガラスを突き破った銃弾は正確に運転席の人間の眉間を撃ち抜き、絶命させる。
 運転手を失ったことで車がスピンし、後ろへと消えていくがそれを掻き分けるように複数の車が三人を追跡してくる。
「結構しつこいよ! Snow、撒ける?」
 応戦しながら辰弥が千歳に確認する。
「任せてください! BBさん、振り落とされないでくださいよ!」
 運転席に収まった千歳がそう言い、強引にハンドルを切った。
 ものすごい勢いで車が角を曲がり、交通量の多い国道へと飛び込んでいく。
《は? 一般人巻き込むのかよ!》
 日翔が運転席を見ながらそう発言するが辰弥は逆に落ち着いたように助手席へと戻る。
「いや、国道に出た方がいい。後ろめたい奴が交通監視の厳しい国道で撃ってくるとは思えない」
 国道で銃撃戦でもしようものなら桜花の警察機能を任されているカグラ・コントラクターが確実に動く。
 もちろん、危険運転も取り締まりの対象ではあるがそこは千歳の運転技術を信じるしかないだろう。
 その辰弥の読み通り、国道に出た追跡の車は発砲してこなかった。その代わりにスピードを上げ、追従しようとする。
 しかし千歳もそれは想定の範囲内だったようで、平然とアクセルを踏みスピードを上げる。その上でGNSの補助もあるだろうが車同士のわずかな隙間を見つけてはそこへ車を寄せていく。
 三人の乗った車が他の車を縫うように追い抜き、さらに別の道へと入り、すぐに曲がって大通りに出る。
 その時点で交通違反を取り締まろうとやってきたパトカーのサイレンが耳に入ったが、千歳の裏道を利用したルート選択は複雑で、すぐにそれも聞こえなくなる。
 千歳がどのようなルートを通っているかは分からないがなるほど、こんなルートがあるのかと辰弥はGNSのマップに記憶させた。
 背後についていた車とパトカーは徐々に引き離され、やがてバックミラーから完全に姿を消す。
「……撒けたみたいですね」
 鏡介からの衛星映像も確認しつつ、千歳がほっとしたように二人に言った。
「流石、庭だというだけはあるね」
 武陽都の道に慣れていない辰弥や日翔ではこんなすぐに追っ手を撒くことはできなかっただろう。早くこの辺の地理に慣れなきゃ、と辰弥は視界のマップを確認しながら呟いた。
「ここまで来たらもう追跡もないと思いますよ。お二人は休んでてください」
《流石だな。正直なところ、見くびっていた》
 鏡介が素直に賞賛を贈る。
 そんな、と千歳がはにかんだ。
「私、ソロでやってたんですよ。これくらいできないと生きていけませんでしたから」
 そう言ってGNS経由で車のナビに合流地点の座標を登録したのだろう。千歳がハンドルから手を離すと車は自動運転モードになり、ダッシュボードのホロディスプレイにもマップが表示される。
「何かあったらマニュアルに戻しますから。それまでは休憩しましょう」
 あ、リラックスできるようにココア持ってきましたけどと千歳はちら、と後部座席の日翔を見た。
「鞄に水筒あるので取ってもらっていいですか?」
《ああ、これか?》
 日翔が後部座席に置いてあった鞄からステンレスボトルを取り出し千歳に渡す。
 しかし、インナースケルトンの出力調整がうまくいっていないのかほんの少し指の跡を付けてしまう。
《あ、すまん》
「いいですよ」
 そんなことを言いながら千歳が紙コップにココアを注ぎ、二人に手渡す。
 今度は日翔もGNS経由でインナースケルトンの出力を最低レベルにまで落としたのか紙コップを握り潰すことなく受け取る。
《すまん、一時的に出力落としてるから今襲撃されると俺動けないからな》
「分かってる、Geneは休んでて」
 辰弥が受け取った紙コップに口を付ける。
 牛乳を注ぐだけで作ることのできるインスタンスのココアだろうが、その甘味と温かさが緊張していた心をほぐしてくる。
 まだ完全に緊張を解くわけには行かないが常に緊張している状態ではいざという時に致命的なミスを犯してしまう。
 そういった点ではこのタイミングで一息つけさせてくれた千歳の気遣いが心に沁みる。
 日翔が一時的に動けなくなるのはマイナスであるが、それは本人も一番よく分かっている。一息でココアを飲み干し、再度出力を上げていた。
「……」
 辰弥が窓の外を見る。
 流れるように後ろに消えていく明かりやホロサイネージに視線を投げ、特に異常がないことを確認する。
 それから運転席でココアを飲む千歳に視線を投げて、辰弥は口を開いた。
「……Snowは、」
 辰弥の声に千歳が顔をこちらに向ける。
「なんでこの道に入ったの」
 えっ、と後部座席の日翔が声を上げる。
 辰弥が自分から他人のプライベートに踏み込むことは珍しい。
 いったいどういう風の吹き回しだ、と日翔が前部座席の二人を眺めていると千歳がくすりと笑い、口を開く。
「気になりますか? 聞いても面白い話じゃないし、私もあまり話したい内容ではないので……」
「あ、ごめん」
 辰弥も自分が踏み込んだ話をしてしまったことに気づいたのだろう、あっさりと引き下がる。
 どうして踏み込んでしまった、と辰弥が自分を叱咤する。
 好き好んで暗殺の道に身を投じるなどよほどの殺人鬼でない限りあり得ない。
 この裏の社会に生きる誰もが何かしらの闇を、過去を背負っているのは辰弥も分かり切ったこと。
 だから日翔や鏡介の過去は聞こうとしなかったし聞かれもしなかった。
 それなのにどうして千歳に聞いてしまったのだろう。
 それに、仮に千歳から聞き返されて辰弥は自分のことを話したのだろうか。
 いや、話すことなどできない。自分が人間ではなく生物兵器だとは千歳には絶対に言えない。どこでその情報が外部に漏れるか分からないし――
 ――違う。
 嫌われたくないのだ。人間ではない、と、気持ち悪い存在だと思われたくない。
 千歳の前ではただの人間でありたい。
 そんな思いがあるのに自分だけ千歳の過去を聞き出すなどあってはならない。
 しかし、それでも。
 一見、裏社会で生きなければいけないような人間に見えないのに何故という思いが浮かんでしまう。
 ――考えちゃいけない。
 裏社会で生きているのだ、それだけの理由がある。それだけでいい。
 表の社会に戻るべきなんて言葉をかけるべきでもない。
 日翔は病気の都合もあり残された人生は好きに生きるべきだ、とは思う。
 本人は「これでいい」と暗殺者としての道を選んでいるが千歳はどうなのか。
 気にはなるが、ここは深入りするべきではないだろう。
 そうは思ったが、辰弥はもう一つだけ気になることがあり口を開いた。
「……秋葉原、って珍しい苗字だね」
 聞いたことのない苗字。
 桜花の国民情報IDにはかなりの数の家系が連綿とつながっており、珍しい苗字の家も少なくない。
 しかしバラエティ番組で特集される「珍しい苗字」でも聞いたことのない「秋葉原」という苗字。
 確かに桜花国内にはほんの数家庭しかないような苗字も存在するが、そういった苗字なら特集される可能性が高い。
 そう考えると、単に辰弥が知らないだけで桜花国内にはそれなりの数存在するようなマイナーな苗字なのだろう。
 研究所にいたころ、辰弥は一般には使われないような、いや、安全性の問題から使用を禁じられている学習装置で多くの知識を埋め込まれた。アカシアに存在するあらゆる物質や様々な武器、装備を生成できるのも学習装置で埋め込まれた知識があるから。
 しかし、様々な知識を埋め込まれたとはいえ桜花の人名データベースを学習したわけではないので秋葉原という苗字を聞いたことがなくても無理はない。
「ふふ、珍しいでしょ」
 千歳が得意そうに笑って辰弥を見る。
「でも、私秋葉原って苗字気に入ってるんです」
《……?》
 千歳の言葉に鏡介が何か話に割り込みそうなそぶりを見せるが、すぐになんでもなかったかのように自分の作業に戻ってしまう。
 それに気付いたものの辰弥も深く追求しようとはせず、小さく頷いた。
「……そう、」
 苗字はよく地名や地形を表したものが使われる、と聞く。もちろん例外もあるが辰弥の知る限りそのどらにも当てはまらないような気がして気になってしまう。
 知らない地名なのか、それともまた別のものなのか。
 千年の反応を見る限りあまり深く踏み込まれたくないのでは、という感じがする。
 「グリム・リーパー」に参加してまだ初めての依頼である。連携は必要でもそこに個人の事情は必要ない。聞かれたくないなら聞かない方がいい。
 しかし、千歳を見ていたら何故かまた聞いてしまいそうで、辰弥は彼女から目を逸らし、窓の外を見た。

 

 追手に見つかることもなく無事に物品を指定の場所に輸送した辰弥たちはそれぞれの自宅に戻り、しばらくの休憩の後反省会デブリーフィングを進めていた。
 その際に辰弥が千歳のプライベートに踏み込もうとしたことに関しては「仕事」中ということもあり鏡介が軽く注意する。
《辰弥、気になるのは分かるが踏み込むのはオフの時にしておけ。何かあった時にフォローできない》
 やんわりと、そうたしなめた鏡介に辰弥が「ごめん」と謝る。
《とはいえ、武陽都での初仕事はうまくいったな。秋葉原も予想以上に頑張ってくれた》
《ありがとうございます》
 辰弥から見れば鏡介は千歳に対してあまりいい感情を持っていない、という印象だったがこうやって素直に褒めたところを見るとそれは思い過ごしだったのか。
 まぁ、鏡介女嫌いだもんね、でも「仕事」となれば話は別か、と考え、辰弥は鏡介のまとめを聞く。
《……秋葉原は『使える』。今回は体験会みたいなものだったが正式加入でもいいだろう、と俺は思う。お前らはどうだ?》
 話の最後に鏡介がそう確認してくる。
 「使える」、確かに千歳は使えるだろう。デザートホーク二丁持ちができる人間など普通ならいるはずもない。
 辰弥も途中で確認したのだ。「義体にしてるの?」と。
 しかし千歳の返答は最初と同じ「鍛えてますから」の一点。
 アライアンスの人間の一部は「仕事」中に欠損した四肢を補うため、またはより高度な依頼を受けることができるようにと身体のどこかを義体にしている。それでもほぼ生身の人間が多い状態、そこに千歳も含まれている。
 そんな彼女の射撃能力も車による逃走も確かなもので、これは武陽都に不慣れな「グリム・リーパー」には心強い味方となる。
 鏡介でさえ交通衛星のハッキングでルート算出を行えるとしてもいざという時現場でその時の判断で経路を変えられるメンバーがいるに越したことはない。
 そう言う点で千歳はうってつけの役だった。
《俺は問題ないと思うぜ。足引っ張るとかそんなの全然なかった》
 日翔がすぐに答え、辰弥もそうだね、と頷く。
(大丈夫、だと思う)
《どうしたんだ? 『だと思う』って》
 何か不安要素があるのかと日翔が訊ねる。
(いや、不安要素っていうか――)
 言葉を濁す辰弥。
 不安要素などあるはずがない。
 あの千歳の攻撃は的確で、しかもデザートホークという威力の高い大型拳銃を使ったもの。攻撃力に不安があるわけでもない。仮に近接戦闘が苦手だったとしても自分や日翔が十分カバーできるはず。いや、デザートホーク二丁持ちができる時点で腕力も、恐らくは格闘戦も問題ない。
 だとしたら一体何が引っかかるというのか。
 そう自問して、辰弥はああ、と気が付く。
 ――俺が意識しすぎているのか。
 千歳の一挙一動に。
 「仕事」に支障があるほどではないが、気が付けば彼女の動きを目で追っている。
 そこで辰弥ははっきりと認識した。
 自分は千歳に興味を持っている。もっと、彼女を知りたいのだ、と。
 彼のそんな思考をよそに、鏡介が反省会の終了を口にする。
《今回は三人ともよくやってくれた。ゆっくり休んでくれ》
《へいへーい》
 鏡介の言葉に日翔が「俺は寝るぞ」とグループ通話を抜けようとする。
 しかし、鏡介がそれを止めた。
《日翔と辰弥は残ってくれ。少しだけ話がある》
《えぇー……》
 通話を抜けようとした日翔が手を止め、その一方で千歳が「それでは、お疲れ様でした」と通話を抜ける。
 ほんの少しだけ名残惜しそうに千歳の名前があった空欄を見た辰弥が首を振って鏡介を見る。
(どうしたの)
《いや、秋葉原についてだが――》
 そこまで言ってから鏡介は辰弥に視線を投げる。
(何、)
《辰弥、お前は秋葉原に興味を持っているようだが一応は警戒しておけ。あいつは……秋葉原は今はアライアンスに所属しているが元々は『カタストロフ』の所属だ》
《なっ!?!? 》(え?)
 日翔と辰弥が同時に声を上げる。
 「カタストロフ」といえば以前辰弥救出のために日翔と鏡介が頼った裏社会の組織ではあるがどうしてその名前が今ここに。
 鏡介の言い分では「カタストロフ」に所属していたのは過去の話で今はフリーランスとしてアライアンスで活動しているようにも聞こえるがあれほどの組織を抜けることが本当にできるのか。また、抜けることができたとしたなら一体どういう理由があったのかが気になるところである。
 しかし、「カタストロフ」と関係があった人間だとは穏やかな話ではない。そもそも上町府で猛がLEBの存在を示唆したことで辰弥救出作戦の費用の大半が支払い免除されたのではないかとも推測されているのである。もし辰弥がそのLEBであるということを知られていれば「カタストロフ」は元構成員のふりをさせた千歳を送り込んだ可能性も考えられる。
 いや、考えすぎか、と三人は考えた。
 千歳が元「カタストロフ」の構成員だとしてもLEBのことを知っているはずがない。本当にただの偶然だし、意外と「カタストロフ」を抜けてフリーランスになる人間は多いのかもしれない。ただの偶然に決まっている。
 辰弥がLEBであるということが知られているはずがない。猛は雪啼ノインのことしか明かしていないし辰弥の生存自体猛に、いや、上町府のアライアンス自体に秘匿した状態で武陽都に来ている。武陽都のアライアンスにLEBの話が伝わっているはずがない。
 大丈夫だ、辰弥のことは知られていない、そう自分に言い聞かせたものの三人は沈黙したまま通話を切ることができずにいた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

《秋葉原さんはどうでしたか?》
 そんな連絡が鏡介のもとに入ったのは数日も経過しないころだった。
「ああ、戦力として申し分ない」
 元「カタストロフ」の構成員ということだけは気がかりだったがそれでも断るにはあまりにも弱い理由、それに戦力として充分すぎる貢献だったため「グリム・リーパー」は千歳の受け入れを決定していた。
 今後日翔が戦力外になったとしてもその彼の代わりを埋めるには十分な戦力。
 辰弥一人で戦わせるより仲間がいた方が心強いだろう、と鏡介も思っていた。
 今、この瞬間、辰弥は食材の買い出しに出かけている。日翔はここ最近体が重いと昼寝をすることが増え、今も自室で眠っている。
 鏡介一人がリビングでコーヒーを飲みながらまとめ役の連絡を受けていた。
《それならよかった。今後は、秋葉原さんを含めた四人で『グリム・リーパー』を回してください》
「……ああ、分かった。次の依頼を待たせてもらう」
 まとめ役との会話はほんの少しだけだった。
 千歳を受け入れると決めたのだ、今更彼女が元「カタストロフ」の人間だと追求することもないし下手に追及して腹を探られたくもない。
 問題は千歳に興味を持っているらしい辰弥だが、これは前回の反省会の時に指摘したしもう一度注意しておけば問題ないだろう。
 ふう、と息を吐き、鏡介はGNSのニュースチャンネルを呼び出す。
 同時に別窓でSNSのウィンドウも開き、現在流れているニュースとそれに関する一般市民の見解をチェックする。
 「仕事」柄、社会情勢をこまめにチェックしておくことは重要である。特に「グリム・リーパー」の司令塔とも言える鏡介は時間さえあればニュースをチェックし、今後の活動への影響を考慮していた。
《――続いてのニュースです。先程、桜花の中小企業、生命遺伝子研究所が国指定難病、筋萎縮性側索硬化症の特効薬の開発に成功し、近く治験を行うと――》
「――っ!?!?
 がたん、と鏡介がテーブルに手をついて腰を浮かす。
《筋萎縮性側索硬化症はALSと略されており、発症すると全身義体に置換するしか克服方法はないとされておりました。この新薬が治験を経て認可されるとALS患者にとっての希望の光と――》
 鏡介が素早くSNSのウィンドウにも目を走らせる。
 一般市民の反応も「マジかよ」から「これが本当ならすごいよな」といったものが数多く流れている。
 そこに「これはデマ情報、ソースは~」といった発言が全く見受けられないことを確認し、新薬開発の報は完全に秘匿されていたものだと判断する。
 勿論、ALSの治療薬の開発は各製薬企業の課題となっておりそのノウハウや実験データは極秘のものとして管理されており、それを狙う産業スパイが企業間を走り回っている。
 しかし今まではどの企業からも「開発中」というアナウンスは出ていたものの続報がなく、開発が難航しているものと思われていたし人々の関心も薄いものだった。
 そんな中の開発成功の報である。「生命遺伝子研究所」という企業は鏡介も知らなかった。恐らくはメガコープではなくどこかのメガコープの下請けか、またはどのメガコープにも属さないと宣言した中小企業だろう。
 そんな中小企業でも新薬を開発すれば一獲千金を狙える。あるいは権利を任意のメガコープに売り渡し莫大な利益と権力を得ることができる。
 とはいえ、そんな中小企業の思惑などどうでもいい。それよりも。
「日翔……」
 この新薬が手に入れば、あるいは。
「ただいま」
 そんなタイミングで、辰弥が買い出しから帰宅する。
「おい辰弥ニュースを見ろ!」
 おかえりも言わず、鏡介が辰弥にニュースを見るよう促す。
「え、何」
「いいから早く!」
 鏡介の剣幕に、辰弥が慌ててエコバッグを床に下ろし、ニュースチャンネルを開く。
 繰り返されたニュースを聞いた辰弥が鏡介を見る。
「鏡介、これ――」
「ああ、日翔を治療できるかもしれない」
 ALSの治療薬が開発された。これを使えば日翔を治療することができるかもしれない。
 日翔が余命に怯えずに未来を生きることができるかもしれない。
 辰弥も鏡介も同じことを考えていた。
 「何としても、この新薬を手に入れなければ」と。

 

to be continued……

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第1章の登場人物

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おまけ
ばにしんぐ☆ぽいんと り:ばーす 第1章
「オンナノコ☆り:ばーす」

 


 

「Vanishing Point Re: Birth 第1章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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