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Vanishing Point Re: Birth 第3章

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前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

日翔の筋萎縮性側索硬化症ALSが進行し、構音障害が発生。
武陽都ぶようとに移籍してきたうえでもう辞めた方がいいと説得するなぎさだが、日翔はそれでも辞めたくない、と言い張る。
そんな「グリム・リーパー」に武陽都のアライアンスは補充要員を送ると言う。
補充要員として寄こされたのは秋葉原あきはばら 千歳ちとせ
顔合わせののち、試験的に依頼を受ける「グリム・リーパー」
そこで千歳は実力を遺憾なく発揮し、チームメンバーとして受け入れることが決定する。
そんな折、辰弥たちの目にALS治療薬開発成功のニュースが飛び込んできた。
ALS治療薬は近日中に治験を開始するという。
その治験に日翔を潜り込ませたく、辰弥と鏡介は奔走する。
その結果、どこかの巨大複合企業メガコープに治療薬の独占販売権を入手させ、その見返りで治験の席を得ることが最短だと判断する。
どのメガコープに取り入るかを考え、以前仕事をした実績もある「サイバボーン・テクノロジー」を選択する辰弥と鏡介。その手始めに受けた仕事はとある研究主任の暗殺。しかし、やはり独占販売権を狙う御神楽による謎のセキュリティによって辰弥たちは「カグラ・コントラクター」の音速輸送機と交戦することになってしまう。

 

依頼終了から暫くが経過したころ、千歳から連絡が入る。
彼女は道案内も兼ねて買い物をしよう、と誘ってくる。

 

 
 

 

 佐々木堺駅のロータリーには待ち合わせの目印にうってつけの、緑に覆われ、「佐々木境駅」のネオンの文字が飾られたゲートが存在する。
 辰弥がゲートに到着すると、千歳はもう到着していた。
「あ、鎖神さん!」
 辰弥の姿を視認した千歳が手を振ってくる。
「お待たせ」
 足早に千歳に歩み寄り、辰弥は息を呑んだ。
 「仕事」の時の黒のジャケット姿とは違う、女性らしいワンピースを身に纏った千歳。年頃の女性らしくメイクもしているのだろう、ほんのり差したチークと派手すぎないルージュにどきりとする。
 対するこちらは特に余所行きの服装はしていない。洗いたてのジーンズに清潔感のあるジャケットという出で立ちである。一応は出かけるということで清潔感には気を使っていたがこれはもう少しまともな服装で来た方がよかったか、と考えてしまう。
「? どうしたんですか?」
「いや、君がそこまでおしゃれしてくるとは思わなかったから」
 しどろもどろに辰弥が答える。
 えー、と千歳が笑った。
「私だってオフの時くらいおしゃれしますよ。それに、『目いっぱいおめかしして行きます』って言いましたよ?」
 そうだった。千歳はそんなことを言っていた。
 しかし、それはちょっとした冗談だと思っていた。まさか、ここまで可愛らしく、派手過ぎずに着飾って来るとは。
 彼女の耳元でピアスがちらり、と揺れる。
 黒とシルバーを基調とした、モチーフ連結型のピアス。四角いシルバーのフレームが付いた黒い丸のプレートの下にシルバーのワイヤーで作られた球体、その下に差し色で赤いビーズがつながり、さらにその下には小さなパールを封じ込めたシルバーワイヤーのバネチャーム。
 ワンピースもモノトーン調で整えられているだけに、このピアスはよく映える。
 辰弥がピアスに目を取られていると、千歳はにこりとして髪をかき上げる仕草をした。
 彼女の手が当たったピアスが再びちらり、と揺れる。
「このピアス、気になりますか? つい最近、気になって衝動買いしちゃったんです」
「……へえ」
 アクセサリーに関してそこまで理解しているわけではないから辰弥はあいまいに頷いた。しかし、何故か心がざわつく。何かが「これ以上は踏み込むな」と警鐘を鳴らしているが、それが何なのかは分からない。
 そんな辰弥の考えをよそに、千歳が微笑む。
「……ちょっと鎖神さんっぽくないですか?」
「……え?」
 その瞬間、辰弥の心の中で違和感のピースがぱちりと嵌った。
 本能的に感じ取っていたのだろうか。「本来の自分を思い出す」と。
「この赤いパーツが金色だったら鎖神さんの眼の色みたいだな、って思ったんですけどこのカラーリングしかなくて。でもどうしても鎖神さんっぽくて、買っちゃいました」
「なんで……」
 ――何故、この組み合わせで俺だと思った?
 確かに辰弥の本来の瞳の色は深いあかだ。御神楽みかぐらに自分の生存を知られたくなくて、身に着けたトランス能力で黄金きんに変えているだけだ。
 千歳は知っているのか。自分の本来の姿を。
 千歳は気付いているのか。エルステの生存を。
 いや、そんなはずはない。ただ、「仕事」の時の黒装束と資料に書かれた「ピアノ線をメインウェポンにする」という項目、そして返り血の赤というイメージから「鎖神さんっぽい」と思っただけだ。
 いくら千歳がかつて「カタストロフ」に所属していた人間とはいえ、除籍されるくらいだからそんな上層部にも食い込んでいないだろうしそんな末端の人間が生物兵器LEBの存在を知っているはずがない。
 いつもの悪い癖で考えすぎただけだ。それに――「鎖神さんっぽくて買っちゃった」という言葉は辰弥の耳に心地よい響きがあった。
 俺と会うことを前提にして、わざわざ買ったのかという思いがそれまでの考えを吹き飛ばし、思わず苦笑する。
「わざわざ買ったの? 俺っぽいからって」
 一瞬は硬直したものの、すぐに口元に苦笑を浮かべて辰弥が訊ねる。
「ええ、デザインも素敵でしたし、似合うでしょう?」
 そう言って千歳が少し首を傾ける。ちらり、とピアスが揺れ、シルバーのパーツに街灯の光が当たる。
 「似合うでしょう?」という問いかけに、辰弥は頷いた。
 確かにこのピアスは千歳によく似合っている。自分に通じるものがあるからとわざわざ購入して、それを身に着けて自分に見せてくれるなんて、可愛い奴だ、とふと思う。
 ――可愛い奴?
 今、初めて千歳のことを可愛いと思った?
 いや、資料を見て顔写真を見た時にも何かしら感じたはずだ。何の興味も湧かなかったわけではない。だが――辰弥は今、はっきりと千歳が「可愛い」と認識した。
 どういうことだ、と自問する。
 千歳はただの「仕事」上の仲間だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 それなのにどうして、こうも、気になってしまうのだろう。
 彼女の一挙手一投足が辰弥の心をざわつかせる。
 この感覚は一体何なのだろう。
 少なくとも、無関心というわけではない。鏡介が聞けば「お前も人間に興味を持つようになったんだな」と喜んでくれるかもしれない。確かに辰弥は身近な人間以外に興味を持つことは一切なかった。上町府にいた頃も近所の御姉様方とは交流こそあったがそれはあくまでも生活の知恵を借りるだけで特別な感情を抱いたことはない。
 しかし、千歳に対しては。
 日翔にも、鏡介にも感じたことのない得体のしれない感情。ただ漠然と、「目の前で死なれたくないな」という思いが胸を締め付ける。いや、その考えは日翔と鏡介にも感じている。しかし、違うのだ。千歳に対してだけは、あの二人に対するのとはまた別の感情で「死なれたくない」と感じてしまっている。
 何だろう、この感情は。
 知りたいような、知りたくないような、そんな複雑な気持ちで千歳を見る。
「どうしました? 早く行きましょう。この辺のレストラン、結構人気があってこの時間帯だと結構待っちゃいますよ」
「え、あ、ああ、うん」
 千歳が辰弥の手を引く。
 なめらかでひんやりとした皮膚の感触に一瞬くらりとする。
 柔らかい。柔らかいのに、この手は銃を握り、人を殺す。
 それは辰弥も同じだ。人を殺す手で、千歳を守りたい、と思う。
 ――秋葉原を守りたい――?
 どうして、と辰弥は困惑した。片手でデザートホークを撃てるような腕力で、体術も心得ていて、守る必要もないような千歳に、どうしてそんなことを考える? と自分に言い聞かせる。むしろ、それは彼女にとって邪魔なのではないか、と。
 自分の思考に戸惑いながら、辰弥は千歳に手を引かれて近くのレストランに入った。
 席についてメニューを開くまで上の空で、何を注文したかも覚えていない。
 しかし、
「……どうしました、鎖神さん?」
 柔らかな千歳の声に辰弥は我に返った。
 目の前にはどうやら自分が注文したらしいハンバーグランチが。
「あ、ちょっと考え事してた」
 ごめん、と辰弥が素直に謝る。
「んー?」
 千歳が、悪戯を思いついたような顔で辰弥を見る。
「もしかして、私に惚れちゃいました?」
「な――」
 ぽろり、と辰弥の手からフォークが滑り、慌てて持ち直す。
「いきなり何を」
 普段は動揺を表に出さない辰弥が明らかに動揺している。
 「惚れちゃいました?」という質問、意味は理解できないのにどうしてここまで動揺するのか。
 惚れる? 俺が? 秋葉原に? そんなことがあるわけがない。その考えが真っ先に浮かぶ。それなら、どうして彼女のことを気に掛けてしまった? その答えが、分からない。
 ただ仲間として気に掛けただけだ、信用し始めただけだろう、と考え直す。
 しかし、出た言葉は違った。
「分からないな。俺、惚れるとかそういうの全然分からないから」
「やだなあ鎖神さん、本気にしちゃって。冗談ですよ」
 千歳が朗らかに笑う。その笑顔が眩しい。
「……少なくとも、俺は君のことは敵じゃないと思ってるよ」
 冗談か、とほっとしつつも辰弥は今度こそ正直に言葉を紡ぐ。
 そんな、当たり前じゃないですか、と千歳が答えた。
「私、仲間ですよ? まぁ……水城さんにはまだ信用されてないみたいですけど」
 ほんの少し拗ねたように千歳が言う。
「私だって少しでも皆さんの力になりたいって思ってるんです。もうちょっと信用してくれてもいいですよね?」
「そうだね」
 辰弥が同意する。
 鏡介は警戒しすぎだ。彼が極度の女性不信であることを差し引いても警戒度合いはかなり高い。
 彼としては千歳が「カタストロフ」に在籍していたという実績が引っかかるのだろうが、それは過去のことだ。今、気にする必要はない。
「……鏡介が、ごめん」
「鎖神さんが謝ることじゃないですよ。それに、私はずっとソロで活動していたんです。鎖神さんとチームが組めてすごく嬉しいんですよ」
 屈託のない千歳の笑顔。彼女の耳でピアスが揺れる。
 こんな彼女がどうして暗殺者になったのか、気になってしまう。
 しかしいくら仲間であっても、その過去に深入りしてはいけない。実際、深入りしてしまったから、抜け出せないところまで来てしまった。日翔も、鏡介も、辰弥の過去に触れてしまったから、上町府にいられなくなってしまったし、カグラ・コントラクターの特殊第四部隊に目を付けられた。
 今彼らがカグラ・コントラクターに拘束されたりしないのは、上町府から武陽都に移る際に国民情報IDを新たなものに偽造したからだ。
 もし上町府にいた時と同じIDを使用していればあっという間に発見、拘束されていただろう。その結果として三人の中で唯一正規のIDを持っていた日翔まで偽造IDに変わってしまったが本人は何も気にしていない。
 だから、辰弥は千歳には絶対踏み込まないし踏み込ませない、と誓っていた。それなのに千歳の過去が気になってしまう。
 いや、今はそんなことを考えてはいけない。それでも。
「俺も、補充されたのが君でよかった」
 そう、呟いていた。

 

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