Vanishing Point Re: Birth 第5章
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日翔の
そんな「グリム・リーパー」に武陽都のアライアンスは補充要員を送ると言う。
補充要員として寄こされたのは
そんな折、辰弥たちの目にALS治療薬開発成功のニュースが飛び込んできた。
近日中に開始するという。その治験に日翔を潜り込ませたく、辰弥と鏡介は奔走する。
その結果、どこかの
どのメガコープに取り入るかを考え、以前仕事をした実績もある「サイバボーン・テクノロジー」を選択する辰弥と鏡介。いくつかの依頼を受け、苦戦するものの辰弥のLEBとしての能力で切り抜ける四人。
不調の兆しを見せる辰弥をよそに、今度はアライアンスから内部粛清の依頼が入る。
簡単な仕事だからと日翔を後方待機にさせ、依頼を遂行する辰弥と千歳。
しかし、その情報は相手チームに筒抜けになっており、その結果、辰弥は千歳に自分が人間ではないことを知られてしまう。
第5章 「Re: Infection -再感染-」
「終わったぞ」という言葉に辰弥が目を開け、寝かされていたベッドから体を起こす。
視界のUIが起動処理を行っており、GNSを一旦再起動したのだと判断する。
「GNSの不正な有線接続中に相手側のセキュリティ起動、切断が早かったからよかったもののあと数秒遅かったら脳を焼かれてたぞ」
闇GNSクリニックの技師がため息交じりに端末を操作し、再起動した辰弥のGNSに診断結果を送る。
興味なさげに結果を確認し、辰弥はうなじのポートからケーブルを引き抜いた。
「死にたくなかったら気安く他人のGNSに侵入しないこったな」
「……別に、死にたくないわけじゃないし」
辰弥が引き抜いたケーブルから手を離すと、ぜんまいばねの反発力を利用した自動巻取りで端末に格納されていく。
「……でも、日翔のためだったらまだ死ねないな」
「ああ、天辻の調子はどうだ? インナースケルトンの出力調整はしやすくなったと思うが」
技師の言葉に、辰弥は小さく頷くことで返答した。
構音障害の発現を機にGNSを導入した日翔。元々、インナースケルトンという埋め込み型のスケルトンを導入した時点でGNSも導入すべきだった。しかし、日翔の両親は当時中学生だった彼にGNSはまだ早いと初期設定のままインナースケルトンを埋め込んだ。だが、初期設定だと思っていたのは両親と日翔本人だけで、実際は埋め込んだ闇医者が最大出力に設定。その結果、日翔は常人ではあり得ない怪力を身に着けることになった。
インナースケルトンに慣れるためのリハビリで多少ではあるが自身の筋肉を利用した出力調整は行なえるようになったし「ラファエル・ウィンド」に引き込まれてからはピッキングなどの器用さを求められる細かい指の動きも叩き込まれた。だから後から事情も何も知らない辰弥が加入しても四年間悟られることがなかった、という次第である。
しかし、インナースケルトンはあくまでも弱まった筋力を補助、補強するもの。補助するとはいえ治療するものではないから日翔の
だから、構音障害を機に日翔がGNSを導入したのは遅かったとはいえ正解だったと言える。ただ、今までGNSなしでのインナースケルトンの運用に慣れていたから細かい調整に慣れていないだけだ。
辰弥の返答に問題なさそうだなと判断した技師がぽん、とデータチップを投げて寄こす。
「まぁ問題はなかったが念のための保険だ。ワクチン打っとけ」
技師が辰弥に放って寄こしたのは、GNSを構築するために脳内に注入されたナノマシンのプログラムの暴走を抑えるワクチンプログラムを格納したデータチップ。
辰弥がそれをうなじのスロットに差し込んでロードすると、視界にインジケーターが表示される。
インジケーターの数値が100%になり、【
「ったく、
データチップをケースに戻しつつ技師がぼやく。
「さあ、終わったならとっとと帰れ。もう無茶はするなよ……と言いたいがどうせお前のことだ、自前の脳が擦り切れるまで無茶するんだろうよ」
そんな技師の言葉を聞き流しながら辰弥がジャケットの袖に腕を通し、ベッドから降りた。
技師から転送された請求書を確認、ウォレットから決済を済ませクリニックを出る。
ごみごみとした街を、視線を落とし気味に歩く。
別に
辰弥の心は沈んでいた。数時間前の昂ぶりが嘘だったかのように、現実に引き戻されている。
――千歳は、信じてはいけないのだろうか。
鏡介は言っていた。「秋葉原には注意しろ」と。
鏡介は自他共に認めるウィザード級ハッカーだ。千歳のことについても何か調べているのだろう。そして、掴めなかったとしてもそれまでに得た情報から彼女は危険だと考えているのだろう。
その鏡介の勘は信頼するに値する。彼の洞察力の鋭さを甘く見てはいけない。千歳がかつて「カタストロフ」に所属していたという事実などからつながりはまだ絶たれていないという可能性を考えたのだろう。
鏡介の言葉を信頼するなら千歳を信頼してはいけない。しかし、自分のことを好きだと言ってくれた彼女を切り捨てることは辰弥にはできなかった。
辰弥もまた千歳に想いを寄せてしまっていることを自覚していた。
鏡介を信じて千歳との接触を断つべきか。鏡介に反発して千歳と共に歩むべきか。
そんな迷いが、辰弥の胸を締め付ける。
分かっている。鏡介を裏切ることはそのまま日翔も見捨てることになるということも。
だから、答えは分かり切っている。千歳を切り捨てて日翔のために戦うべきだと。人間ではない自分が人間の真似事をする権利などないのだ、たとえ鏡介を裏切ったとしてもその先で千歳を不幸にするのが見えている。それなら傷が浅いうちに切り捨ててしまえば苦しみは少なくて済む。
――「人間じゃない」から、か……。
LEBとして生み出され、兵器として、道具として運用されてきたことに後悔はない。「人間ではない」から当たり前のことだと辰弥は受け入れていた。「グリム・リーパー」の一員として暗殺業に勤しんでいた時も、自分がLEBであるということは知られたくなかったものの「使えるものなら使ってくれ」と言わんばかりの態度で「仕事」を続けてきた。自分は、人を殺すためだけに造りだされたのだから、と。
そこに「どうして自分は人間ではない?」という疑問は浮かばなかった。そんな疑問を持つことは許されなかった。
それなのに、どうして今こんなに自分が「人間ではない」ことが悔やまれるのだろうか。
もし、自分が人間だったら、作られた存在でなければ、どう感じていたのだろうか。
そんなあり得ないIfなど考えたところでどうしようもないことは分かっている。それでも、考えてしまう。もし、自分が人間だったら、と。
鏡介を裏切って、日翔を見捨てて、千歳を選んだのだろうか。自分の幸せのために仲間を棄てたのだろうか。
分からない。あり得ないIfの話なんて。どうあがいても自分は人間になれないし、人間ではない存在が人並みの幸せを掴む権利などどこにもない。好きと言って、好きと言われて、踏み込んだ関係になったとしても、人間のように自分の遺伝子を残すことすら許されない。どこまで行っても
千歳を諦めろ、と辰弥の奥底で声が囁く。
お前には千歳を幸せにすることなんてできない、と。
人々がせかせかと歩く通りを歩く辰弥の足取りは重い。
その足が歩みを止める。
「……俺、は……」
自分の掌に視線を落とし、辰弥は苦しげに呟いた。
この手は血に染まっている。そうなるべく作り出された。ノインのトランス能力をコピーしてからはこの手が奪われたとしても即座に再生できる。
その事実が、純粋に悔しい。
人間になりたかった。人間として生きたかった。その上で命が絶たれるのならそれは仕方のないことだ。「兵器ではない自分」が生きていけるほどこの世界は甘くない。
千歳と出会って、初めて自分が人間でないという事実に絶望した。
千歳は全てを知った上でそれでも受け入れてくれたが、辰弥自身が自分の存在を受け入れられなくなっている。
ぽたり、と掌に水滴が落ちる。
それに驚いて目をこする。
「なんで、俺、泣いて……」
涙がこぼれた理由など考えたくなかった。考えたところで解決する問題ではないから。
袖で涙をぬぐい、辰弥は再び歩き出した。
高層建築物に囲まれた狭い空がどんよりと曇り、今にも降り出しそうな様子を見せている。
早く帰ろう、そういえば鏡介が八谷を呼ぶと言ってた、と思い出し、ほんの少しだけ、歩く速度を早めた。
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